どこにでもあるようなガハマさんとヒッキーのお話   作:凍傷(ぜろくろ)

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前を向いたあの日から①

 ……拾った金は届けると1割貰える。という話を聞いたことがある人は多いだろう。

 しかしこれは間違いであり、正しくは金額の5~20%を受け取る権利が発生する、というもの。

 その5~20%の範囲は拾ってもらった持ち主自身が決めていいものであり、拾った人は金を差し出されても断ってもいいとのこと。

 さて、では本題だ。なんだってそんな話をしたのかといえばだ。

 

「………」

「………」

 

 最初はただの、ふっと沸いた善意だった。

 ほら、たまにあるだろ? べつに、したいと常に思ってるわけでもないのに、ある日突然気まぐれが働く時。

 俺のこれもそんなものであって、およそ人に褒められるべき類のものじゃない。

 ていうか帰りたい。なにこれ、今すぐ帰りたいたすけて小町。

 あぁほらお巡りさんも、〝まいったな困ったな”って顔でさっきから無言じゃねぇか。俺もだけど。

 どうしてこうなった。

 俺はただ、本当に、ただ気まぐれで行動しただけだったのに。

 そりゃな、ちょっと期待しなかったわけでもないよ? 落とし物があったから届けたらその過程を誰かが見てて、〝実はあたし昨日ヒッキーがー!”とか噂になっちゃって、とか……おい、なんで例えの時点で人物特定しちゃってんだよ。

 

「あの……」

「いや、ああ……」

 

 なんだか息苦しくなって声を出してみると、お巡りさんは肩を弾かせたあとに溜め息混じりにそう返し、お茶を淹れてくれた。

 インスタントの紅茶だ……雪ノ下の紅茶の味に慣れてると、あんま美味しく感じない。

 いや、今は雪ノ下の味でも安心出来るかどうか。

 

「俺、やっぱり帰───」

「それは困る! 頼む! 本官のその後を思う心が少しでもあるなら! この通りだ!」

「頭上げてください!? いやほんとなにやってんすかやめてくださいごめんなさい!」

 

 さっきからこんな状態のままだ。

 帰ると言えば頭を下げられ、俺も下げてはわたわたして、お互い気まずくなって座り直して、手持無沙汰で時間を浪費する。

 なんでこうなったのかを一言で言うなら、お金を拾っただけ、なのだが。

 拾ったものを、俺はそもそも金だなんて思っていなかった。

 むしろどうすりゃこんなもの落とすんだってものを、何気なく届けただけだったんだよ。それがなぁ……。

 

「………」

「………」

 

 自宅から最も近い、小さな派出所。

 そこに、ちょっと歳いってるけどやさしそうな警察官さんと二人、椅子に座って待っている。

 待っているのは当然落とし物の持ち主なんだが……ああ、嫌だな。道行く人が俺を見てヘンなものを見る目で通り過ぎてゆく。

 どうせ、この目と合わせて第一印象だけで〝なにかやらかしたんだろ”って思っているんだろう。

 慣れているとはいえ……気まぐれの、それでも善行と呼べることをやったのにそれは……正直、辛かった。

 途端に生まれる心細さに、無理矢理蓋をして黙する。

 

「………」

 

 しばらくして、その人は現れた。

 ガードマンらしき人を後ろに、派出所前につけられた車から降りてきたその人は、何度かTVでも見たことがある人だ。

 けど、相手が有名だからとかそういう感情は働かない。

 ぼっちが取る相手への評価など、まずは“ただの人”でしかない。

 自分と同じ人間だと言い聞かせて、臆することなく向かい合う。

 そして───

 …………。

 そして……

 

……。

 

 散々と礼を言われた。

 いかにも大物って在り方を隠そうともせず、むしろ見せびらかすが如く振る舞い、豪快に笑いながら感謝を述べていた。

 この感謝は20%でも足りんなんて言い出した時はどうしようかと思った。

 いらないって断ったって聞きやしない。

 だったらせめて5%でって言ったら「ボウズ! おめぇはこの儂がそんなちっぽけな人間に見えるってのか!」なんて滅茶苦茶なことを言い出した。

 ちっぽけだとかそんなことは問題じゃない、これは受け取る側の問題だって、なんとか伝えた。

 するとまたガッハッハ。肩や背中をバンバカ叩かれ、彼は言った。「んじゃあ一枚やろう。それで手打ちだ。どうだぁボウズ」と。

 一枚。金なら一円だろうが一万だろうが一枚と呼ぶ。

 つまり、金額は1~一万。それで相手が納得するならと、いい加減滅茶苦茶すぎる相手の対応に疲れていた俺は頷いてしまった。

 同じく疲れていた警察官の人と一緒にホッと安堵して、きちんとそういったものの証明として書類も書いて、正式に。

 ……書いて、しまったのだ。

 

「………」

 

 今、俺の手の中にはその一枚がある。

 無造作に渡された、一枚の“カード”。

 してやられたって思った。なるほど、確かにこれは一枚だ。正式に譲渡を認めるって書類も書いてしまったし、受け取らないわけにはいかなかった。

 さてこのカードだが……拾った金額から比べりゃ20%にも満たないが、それなりには入っている、らしい。あのおっさんが言ってた。

 ただ俺、拾った金額がいくらなのか、結局聞いてないんだよな……。

 だって俺、なんかすっごいツヤッツヤな銀色のアタッシュケース、届けただけだし。

 それがなんだって、部下まで連れて派手なスーツ……スーツ? なんか極道のボスが着てそうな服着たおっさんが来るんだか。

 届けたら丁度落とし物探索依頼が出されていたようで、警察官さんがすごく安心してた……んだが、安心のあとに電話口の先から野太い声が聞こえて、ボス自らが来訪することになって……待っている間は生きた心地がしなかった。

 なんで部下からボスとか呼ばれてんだよ。

 TVで見たことあったけど、それがどんな系統だったかとか覚えてねぇよ。

 思い出したくないだけかもしれねぇし。

 

(まあ、あれだ)

 

 こんなガキに気前よくポンと渡すほどだ。そんな入ってるわけでもないんだろう。

 そう思わなきゃやってられん。

 きちんと法律で守られた取り引きだ、むしろもう受け取ったものだって吹っ切っちまえばいいさ。

 

……。

 

 後日。

 確認してみましたところ、カードには…………ア、アハハ。

 八幡、ちょっと目が腐りすぎて疲れちゃったかなぁ。

 ケタがさ、ケタがちょっと……予想より幾つも多くないかなぁ。

 アレレーおかしいぞー? じゃああのアタッシュケースの中、いったいなにが入ってたんだろー?

 

「………」

 

 ふらふらと自室に戻ってきて、自室の中心で体育座りをしてみた。

 ……むなしいだけだった。

 なぁみんな。突然手元に一億円が舞い降りたらどうする?

 俺ならアレな、人間不信になる。

 誰にも言わなければいいとはいえ、人の噂はどこからでも漏れるものなのだ。

 そして、人っていうのは金に群がるものだ。

 だから、俺は突然自分にやさしくなる人を信じられないだろうし、その行動に金のことを知っているのか否かを見い出せるかの自信が持ちきれない。

 

(どうしろってんだよ、こんな金……)

 

 突然渡された大金ほど、心を乱すものはない。

 汗水流して働いて手に入れた金ほど安心出来るものはない。

 とりあえず連休二日目ってこともあり、今日一日を思い切り悩む日として、存分に悩むことにした。

 

 

───……。

 

 

 そして翌日。

 

「………」

 

 悩んだ。

 散々。

 これからの将来で悩む様々なことを組み立てて、そこから自分が通る過程を自分らしく生きたのち、自分に待つものがなんなのかを。

 結果、散々な未来しか残っていなかった。

 軽く絶望しかけて、けど……あえてその絶望に身を投じ、さらに悩んだ。

 悩んで悩んで、考えて考えて考え尽くして、答えを求めて……残ったものが自分の本心だというのなら、これは本当にそうなのだろうかとさらに考えて……やがて結論を出したのだ。

 

「……ん、よし」

 

 金に見合うだけの、立派な人になろう。

 この金は本当に必要になる時まで使わない。

 これは自分が言い訳を盾に出来なかったことをするために、あのおっさんがくれた先行投資なのだと言い聞かせる。こんな自分に賭けてくれたのだと自身で自身に鼓舞を贈る。

 さあ比企谷八幡、俺には何が出来る。

 やろうとせずに諦めていたことはなんだ。

 まずはそれを皮切りに、一歩を踏み出そうじゃないか。

 少なくとも……こんな“一枚”をぽんと渡せる価値はあるのだと、自分を信じてみろ。

 

「……よしっ! いきますかっ!」

 

 バッと立ち上がって、階下へ降りて洗面所へ。

 眠ってない顔を水で引き締めて、石鹸つけてしっかり洗って歯も磨いてスッキリ。

 小町の分の朝食を作って俺は食わずに部屋に戻り、準備をしたなら登校開始。

 メシ食うと睡魔に負けそうだからそのまま行く。

 

「……緊張するな……けど、決めたことくらいは、周りがどんだけ引こうと貫こう」

 

 それを積み重ねていこう。

 いきなりなにやってんだこいつとどれだけ言われようが、もう決めた。俺はこう生きる。

 

……。

 

 健康のため、という意味も含めて歩いての登校。

 学校に着く頃には目も完全に冴え、寝不足で余計に淀んでいただろう目の腐り具合も多少はマシになったんじゃねぇかね、と思うくらいには眠気も飛んだ。

 

「おはっ……げほっ! ……んん、おはよう」

「へっ? あ、ああ……? おはよう……?」

 

 声をかけてゆく。

 おはようは朝の挨拶だ。

 たとえ相手が知らんヤツだろうと、これからはきっちりと言っていこう。

 気持ち悪いと言われたなら、そんなものはもう自分でも納得済みだから痛くねぇ。

 ななななんだ、はは? べべべべちゅに、知らん誰かにおはよう言うことくらい? わわっわわわけねーし?

 

「……よしっ」

 

 一歩目は踏み出せた。

 どんどん行こう、努力に見合う自分に到るために。

 ガラじゃないが、そんなガラだって自分だけが決めるものじゃないだろう。

 いろいろなものを経験した先に自分が居て、過去を否定することを良しとしない自分が居るのなら、周囲を否定するのも過去の否定に繋がるのだろう。

 だから俺はもう、周囲を言い訳には使わない。

 社会が悪いなら、その一部である自分だって悪いのだと受け取ろう。

 一億の男になるために……ああいや。もういっそ、金のことは忘れたって構わない。

 これから生きていく中で、自分がそこまでに到れる自信なんてものは言ってしまえばこれっぽっちもないんだ。

 それでもこういうことが起きたってのはなにかしらのきっかけなんだと思ってる。

 いつまでも高二病を胸に置くのはやめよう。

 黒歴史の先に八幡あり。

 だが、築き上げてきた黒歴史の中には、捨てちゃいけないものだってあったのだ。

 それは、それを実行してみせる勇気だ。

 それまで捨ててしまっては、俺はただの臆病者にしかなれないから。

 

「過去を否定しない。このスタンスはそのままでいいとして───あとは」

 

 否定しないなら、口約束だろうが叶えなければいけないものがたくさんある。

 向き合わなければいけないことも、きっとたくさん。

 

「ハニトーと、シーデートか」

 

 気合いを入れよう。

 きっと、言葉にはしなくてもあいつは待っている。

 待たずに迎えに行くと言ってくれたあいつだが、断ってばかりの男を迎えに行くのがどれほど勇気が要ることだかを考えてみろ。

 考えたなら、行動だろ?

 

   ×   ×   ×

 

 ……たとえば、誰かが自分に好意を向けていることに気付いたとする。

 それは恋ですかと訊くのは怖くて、でも……知りたいからその人を見る。

 その人は元気で、いつも笑顔で、けれどそれが全てじゃなくて、人間だから泣きもするし怒りもする。

 泣かせたのは自分ばかり。

 怒らせているのも自分ばかり。

 他の人のところへ行けばきっといっつも笑っていられるだろうに、なんでその人は傷ついてでも自分の傍に居たがるのかなと考えたことがある。

 ふとした拍子に見える、笑顔の奥にある表情が、時々“俺”にそれでいいのかって訊ねてくる。

 自分が気になっている人の“在り方”は、それで間違いないのかと。

 もう散々勘違いをしてきただろう?

 たくさん傷ついてきただろう?

 それをしないために身に着けた人間観察だ。

 ただ単純にやさしい女が嫌いだからと突っぱねてしまうのではなくて、もっと見てみればいい。

 その人はやさしいだけか?

 隣に来て、どんなことをしてくれる。

 キモいって言葉が出るのは、大体どんな会話の中でだ。

 

「………」

 

 待ち慣れた廊下の先、その曲がり角に背を預けて、昨日寝ずに考えたことを思い出した。

 様々な解はある。けど、どれが真実なのかは出せていない。

 当然だ、俺の気持ちじゃないのだから。

 けど、間違えばきっと離れることを経験しているから、手を伸ばせない。

 伸ばせば掴めるところにある解に、手を伸ばせないでいた。

 ……そう、いたのだ。

 それも、今ならきっと出来る。

 

「……はぁ」

 

 気付けばかけがえのないものになっているものこそ、本当にかけがえのないものだと思う。

 普段から“これの代わりになるものなんて”と言えるものなんて、ハッと視線をずらしてみればポンと見つかるものだろう。

 けど、知らずに築き上げてきたものが消えることほど怖いものはない。

 何故って、それが既に自分の中で“あって当然”のものになっているからだ。

 日常が壊れることは怖いのだから。

 大切なものが崩れることは、怖いのだから。

 それでも───そうして悩んだことで解ったことだってある。

 壊れてしまうなら所詮は勘違いだった。

 そして、俺はもう、自堕落な自分のままで居るつもりはない。

 勘違いであったにせよそうでないにせよ、居づらくなってしまった場所があるなら、もう出ていける。

 もちろんそんな逃げ道がなかったとしても、俺はもう……“あいつの今”をこのまま浪費させるつもりはなかった。

 

  輝けよ青春。

 

 命が救われた感謝から始まったものがあった。

 出会いもそれで、再会もそれ。

 和解もそれで、そんなきっかけで始まったものは今も奇妙に続いている。

 

  バカ、と言って泣いた少女。

 

 彼女の接近ややさしさが全て同情からくるものだと勝手に決めつけて泣かせたいつか。

 

  告られるならここがいいと目をきらきらさせていた少女。

 

 そんな少女の前で他人に告白し、それでもやさしく“これっきりね”と言ってくれた少女に対し、言い訳ばかりで解を出さず、泣かせてしまった自分。

 他人のエゴは嫌いなくせに、自分はエゴばかりを押し付け、泣かせてばかりだ。

 だから、望んでくれた全てを叶えに行こう。

 水族園で見ることで知ることとなった少女の在り方を、きちんと受け取った上で、まちがえることなく、やさしくて元気で、でも……ずるい少女の青春に栄養を与えるつもりで。

 ……ほら、あれだよ。腐葉土とかってめっちゃ栄養になるし。

 

「……ハッ」

 

 自分の中に浮かんだくっだらない冗談を笑い飛ばし、のんびりと顔を緩ませた。

 叶えに行こうとか言ってるくせにこうして待ってるんだから、ほんと俺ってやつは。

 それでも……叶えてやりたいことがいっぱいあるんだ。

 困ったことに、傷つけてばっかだったから。

 

「───おい」

 

 いやちょっと待て、待ってちゃだめだろ。いや、けどそれじゃあ“ちょっと待て”も出来ねぇよ。いやいいんだよそれで。

 既に放課後だが、今日はそりゃあもう努力したぞ俺。

 戸塚には自分から話しかけたし、川なんとかさんにもおはよう言ったし、授業だって超真面目に受けたし、数学だって頑張った。わからんことがあったから先生に訊きにいったよ。あんなん初めてだ。

 当然平塚先生に呼び止められたが、“何も言わず見守ってやってください”って言ったら、えらく男前な顔で頷いて、背中を押してくれた。

 昼は教室で、小町の分と一緒に作った弁当を食べたし、遅れを取り戻そうと成績がよろしくない科目の復習もした。

 で、放課後……なんだが、いろいろ考えてたら気付けばここに居た。

 これはよくないとすぐに教室に戻って、そこで───

 

「ゆひっ───由比ヶ浜っ」

「えっ……あ、え? ヒッキー? ……えと、どしたの?」

 

 由比ヶ浜に、つっかえつつも声をかけた。

 いつもなら廊下の先で待つ俺なのに、そもそも教室で声をかけるなオーラを出している俺なのに、俺から声をかけたことに相当驚いている。

 実際、今も周囲を伺うようにキョロキョロしてるし。

 けど、俺はもう臆することなく言うことにした。

 変わらない自分よ、そのままで居てくれ。世界に絶望したら、またお前に会いにいく。それまで、今は寝てろ。

 

「……部活、一緒に行こう」

 

 噛まないように、一言一言を大事にしながら言った。

 不思議と恥ずかしさはない。

 思えば由比ヶ浜はいつも、こんな空気の中で俺に声をかけてくれていたのだ。

 感謝があるなら返さないと、だよな。

 

「…………うんっ! 行こうっ!」

 

 由比ヶ浜は少し固まっていた。けど、すぐにぱあっと笑顔になって、三浦たちに声をかけると、俺の手を取って歩き出した。

 教室を出てもそのまま。

 いつもの待ち合わせ場所を過ぎても、その先へ行っても。

 引っ張られたままなのもなんなので足幅を広げ、その横に並ぶ。

 途端、待ってましたとばかりに足を止め、見上げてきた。

 

「びっくりした」

 

 えへへ、と笑いながら言う言葉はそれだった。

 まあ、そりゃそうだと返す俺も、自然と苦笑が漏れる。

 

「今日のヒッキーいろいろ違ってた。なんかあった?」

「ヘンだった、とかおかしかった、とは言わないんだな」

「うん。だって、見てて……えと、よくは解らなかったんだけどさ。なんか……頑張ってるって解ったから。それをおかしかった、とか言われるの、なんかヤじゃん」

「………」

 

 “空気を読むことに長けている”───そんな特技を持つやつが、楽しい過去だけを歩いてきたわけがない。

 誰だってそいつなりの嫌な過去があるもので、もちろんそれを誰かと比べたってなにが解決するわけでもない。

 過去は過去のままずっと残るし、それを大切にしたって苦悩したって、決定的な救いになるわけでもない。

 だから、俺がここでこいつの過去をどーのこーの言おうが想像しようが、俺がこいつになにかしてやれるわけでもない。

 解ってるのに、なんでか胸がしくんと痛んだ。

 

「言ったら笑われるだろうから言わない……って思ったなら、言わなきゃだめだよな……はぁ」

「ヒッキー?」

「えっとな……人として成長しようって思ったんだ」

「成長?」

「ああ。あるきっかけがあってな、それを受け入れる、っつーか……まあやっぱりきっかけか。手に入ったものがあって、それに相応しい自分になろうって思ったーとか、まあそんなもんだ」

 

 信じられないものはたくさんあって、信じられない事態、予測出来ないことなんて山ほどだ。

 今たとえば自分の私腹を満たすためにあの金を使うとする。結構使っても残るくらいの額だろう。

 が、いつだって予測不能の不幸っていうのはあるもんだ。

 いきなり金が必要になって、もうあのお金じゃ足りません、なんて状況になったら俺はずっと後悔する。

 だからあれを自分の金だとは思わず、未来に貯めた金として、多少の出来事が起こっても自分の力で解決出来る自分作りに踏み出した。

 自分作りっつーと……あー、なんだ。中二病とか浮かんでくるけど、そっちの方向では断じてない。……というか、中二が終わって高二が終わると、次はなんだろう。大二病? あるのかそんなの。

 まあいい、とにかくやってみるだけだ。

 笑われたって貶されたって、誰に迷惑かけるわけでもない。

 挨拶されたやつは迷惑かもしれないが、だったら無視してくれていい。

 こんなものは、ぼっちがただ挨拶してみてるだけの一歩にすぎないんだ。リア充どもがやっていることを真似ているだけでも大冒険なら、こんなもので足踏みしてたらいつまで経っても自分の世界は広がらない。

 無理に広げたくないというのならそれでもいいのだろう。

 そうして、そういった世界を“そのままに”と願ったことだってあるのだ。

 

  でも……それが答えだと言ってしまえば、たぶん……もうそこには居られない。

 

 欺瞞が嫌いだと。

 耐えきれないくらいにそれが嫌いだというのなら、きっとそこは、無理に変わらない“そのまま”を求め、やがて潰れてしまうのだろう。

 その中で誰が変わらないままを維持しようと努力するのだろう。

 誰が、その中で頑張って手を伸ばし、やがて自分のやさしさで潰れるのだろう。

 それが誰なのか、なんとなく解るから……俺は。

 

「ゆい、がはま」

「? なに? ヒッキー」

「いきなりヘンなことを言うけど、まずは聞いてくれ。……その、な。あの日から……水族園に行った時から考えてた。あそこで話したことは、正直に言うと俺の人生の中でも随分とデカくて、重いことだと思う。それに比べりゃ、勘違いがどうとかそういう俺の感情なんてものは……軽いものだった」

「……それは」

「あ、いや、聞いてくれ。すまん、俺はまたまちがってるかもしれないが、これでも丸一日くらい寝ないで考えた。別の話も混ざってるが、悩んだことは結局それだった」

「うん」

 

 何かを言おうとしてくれた由比ヶ浜を遮り、沸いてくる言葉を口にする。

 こいつに効率云々を説いた時のように、自分がそれは違うと思えば“効率的な結論を出そうとする口”を強引に止め、飲み込み、計算して、もう一度組み立て直す。

 効率云々は、もうこいつの前では口にしない。そう決めた。だから、どうしても随分ともったいぶった話し方になってしまうのだが。

 そんな面倒臭い喋り方をしている俺を前にしても、由比ヶ浜は待ってくれていた。

 滅茶苦茶な言葉を並べていると思う。

 なんだそりゃ、って普通なら口にして、さっさと歩いていってしまうだろう。

 それでも待ってくれていることに、感謝が沸いてくる。

 

「あ……ヒッキー、こっち」

「……っと」

 

 放課後ってこともあって、人はちらほら歩いてきている。

 それを気にして手を引いてくれる由比ヶ浜に感謝しつつ、俺は言葉を組み立てては壊してを続けた。

 

  やってきたのはベストプレイス。

 

 吐く息は白く、奉仕部に行くつもりだったのでつけていなかった手袋をしっかりとつけると、随分と感じる寒さも違った。

 

「………」

「………」

 

 段差に腰かけ、話を続けた。

 

「……クッキーのこと」

「……うん」

「誤魔化さず、受け止めるつもりで言うなら、その相手は俺だって思ってる」

「うん」

「俺が取ってきた解消手段も、俺は自己犠牲って思ってなくても、周囲はそうじゃない。……だよな?」

「うん」

「じゃあ、言うぞ」

 

 すぅ、はぁ。こんな場面で深呼吸をして、それでも足りない勇気は誤魔化して。

 そもそも勇気なんて呼べるものはただの勢いと自分への誤魔化しだと断じて、整えた言葉を並べてゆく。

 

「お前は、やさしくて、ずるい女だ」

「……うん」

「けど、お前が見る俺がやさしいっていうなら……お前はやっぱり、ずるいよりもやさしいんだろうな」

「え……」

「お前はあの時、俺ならそう言うと思ってた、って言ったな。……あの時に頷いた俺達の答えがまるのまま一緒、なんて思ってない。近くて……いや、似ていても、たぶん重ねたってくっつきはしないんだと思う」

「……うん」

「だからって、それが一つにならないとは限らない……だよな」

「っ……うんっ」

 

 俺はこの少女からたくさんのものを貰っている。

 それはきっと、物だとか元気だとか、目に見えるものだとか見えないものだとか、そんな“並べてみて理屈を重ねる”ようなものじゃなくて。

 俺と雪ノ下みたいな、違う部分で捻くれているから出せる答えや考え、理屈や理論でもなくて。

 周りから馬鹿だのアホの子だの言われても、懸命に“それから”を願えた人だから考えられた眩しい理想で。

 

  大切に思う誰かに嘘を押し付けたくないと思った。

 

 自分の理想を押し付けて、その先で疑わないなにかと一緒に本当の自分で向き合いたい。

 それが出来ればどれだけ楽しいのか。

 そう思えるなら。それがそこにあってほしいと願えるのなら。

 形が違う意思を、言葉を通して変化させ、理解し合いながら転がして、答えを出したら壊れてしまうものではなく、答えを出した時にこそ重なり合うものを、何度だって目指したい。

 こいつにもらったものはそんな、頭でっかちが“そんなものは物理的に無理だ”と唱えることに対して、“考えてないで手を繋げばいいんだよ”と微笑むようなものなのだろう。

 言葉にするには難しくて、心から願えばきっと簡単なものなのに、常識的に考えるから手を伸ばせないもの。

 

「あの時に思ったこと、言っておくな。お前にああいうのは似合わん、ああいうのは俺に任せとけ」

「だめだよ。それじゃあヒッキーばっかり傷つくじゃん」

「……もうああいうのは他のやつにはやらねぇよ。だから、お前をずるい女として認めてはやれない」

「…………」

 

 由比ヶ浜がちょっと寂しそうに、俯く。

 そうだ。ずるいやつってのはこういう奴のことを言えばいい。

 人が苦悩して取った行動を、それは俺の役目だからと奪ってしまう奴が言われれば。

 だから、俺はお前がずるいやつだと認めない。

 やさしいからこそああして踏み出した彼女を、完全にそうだと認めてしまうわけにはいかないのだ。

 

「由比ヶ浜結衣はやさしい女だ。雪ノ下雪乃は強い女だ。そう勝手に決めつけてたんだ」

「……あたしは。ヒッキーはやさしい人だって思ってるよ? いっつもひどいことばっか言ったりやったりで、近くに居る人のことなんてちっとも考えてないけど…………うん。それでも」

「んじゃ、そんなやり方を真似たお前は、ちゃんとやさしいんだろうよ。あんな苦労して作りましたってクッキーをただのお礼で済ませるとか、10年早ぇ」

「産まれた月日は関係なくない!? ていうか……ヒッキー、その言い方ずるい……」

「ほれ、ずるいだろ? お前のやり方をずるいなんて言ったら、詐欺師なんてとっくに全員ブタ箱行きだ」

「………でも」

「俺は、さ」

 

 由比ヶ浜の言葉を遮り、話を長引かせて、安寧に身を委ねすぎる前に、言葉を繋ぐ。

 結局誰も強くなんてないのだ。踏み出した一歩の先で後悔することなんていつものことだ。誰もが今度こそはを理想に宿しては後悔する。

 じゃあどんな一歩なら許されるのかと問うてみたって、誰も自分が納得出来る解など持っていてくれない。

 それにとってもよく似た解はあっても、それじゃあきっと自分を納得させるには遠くて。

 だから……俺は。俺達は。

 

「このままがいいって言った気持ち、解るんだ」

「ヒッキー……?」

「受け入れちまえば、なにかが無くなるんじゃねぇかって。受け取ったつもりになってみたら、その大切の中のなにかが今まで通り遠ざかっちまうんじゃねぇかって。だから、……いや、それでも、俺は」

「………」

「……ハニトーと、ディスティニィーシーのこと。覚えて、るよ、な」

「ヒッキー……」

「お前とした口約束はいくつかある。望んだ通りには……理想通りにはいかないものだってあったが、それでも」

「うん……あたし、ほんとヒッキーに頼ってばっかだったよね。文化祭の準備の時も、奉仕部を守りたいって思った時も」

「あ、いや待て、言いたいことはそういうことじゃない。責めたいとか誰かの所為にしたいとかじゃねぇんだよ……。ただ、俺は……」

「………」

「………」

 

 喉が詰まる。

 整えていた言葉が出てきてくれない。

 だからこの言葉はもうこの場には相応しくないのだと計算し直して、砕いて、整えて。

 

「えっと……だな。全部、清算させてくれねぇか。“これでいいのか”って自分を疑ったままの答えで、理想に手を伸ばしたくねぇんだ」

「せい、さん……?」

「…………デート、してくれないか。きちんと決めて、その日に。先延ばしはしない。予定が入ってても行く。もう見ない振りなんて出来ないしやりたいとも思わない。だから」

「だから……?」

「……自惚れだったら笑ってくれ。───お前の気持ちを、“ただのお礼”にさせないでくれ。だから……俺と、デートしてほしい。今まで散々傷つけてきたものと、ちゃんと……向き合って、受け入れていきてぇって、思ったんだ」

「───!!」

 

 俺が言った言葉に、由比ヶ浜は大きく目を見開いた。

 次いで、なんで、とか、どうして、とか口が動くのに言葉は出ない。

 涙がこぼれ、自分でもどうして泣いてしまうんだって感じで自分の涙に戸惑って。

 拭うのに溢れ、やがて喉から嗚咽が漏れ始めると、拭う意味を忘れたかのように、ただ俺を見つめてきた。

 だから、俺は言う。貰ったのなら、美味しいと感じたのなら言う、当たり前の一言を。

 

「クッキー、美味かった。本当に頑張ったな、由比ヶ浜」

 

 それだけだ。

 それ以上は、きっとまだ許されないから。

 由比ヶ浜もそれは解っているのか、涙を流しながら何度も何度も頷いていた。

 あぁ、ていうか、なんだ、その。やっぱり涙ってのは胸にくるな。

 また泣かせてるじゃねぇかよ俺。

 なにやってんだよ。

 でも…………でも、なんだよな。

 今まで泣かせてしまった涙より、嬉しいと感じてしまうのは……悪いことじゃ、ねぇよな。

 


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