どこにでもあるようなガハマさんとヒッキーのお話   作:凍傷(ぜろくろ)

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つまり、比企谷八幡は王子様には憧れない①

 

 わしわしわしわし……

 

「んんぅ~……はーくん……はーくぅん……えへへ~……♪」

「お前……お前、ほんっと……お前……」

「はーくんさっきからそればっか。きもい」

「だからやめろ。キモいとか言うな。お前あれだぞ? ぼっちは基本、人は疑ってかかるけど、言われた罵倒は真実としてしか受け取らないんだからな? お前どんだけ俺のこと嫌いなんだって、相手がお前じゃなけりゃ本気でそう思ってひっそりと傍から消えてなくなるレベル」

「うえぇっ!? ご、ごめんねはーくん! もう言わない! 言わないから! 居なくなっちゃやだよぅ!」

「う……だから近い、あと近い───……はぁ」

 

 ところ戻ってベストプレイス。特別棟一階の保健室の横、購買の斜め後ろなんて妙に詳しく説明せんでもいいここは、テニスコートを眺めるには絶好の位置といえる。

 衝撃の昼休みも終わり、現在授業中……にも関わらず、俺と結衣は授業をサボった上でここに居た。緑の網に囲まれたテニスコートがよく見える、石造りの段差に腰掛けて見る世界は、授業中ってこともあり随分と静かだ。基本、ここに居るのは昼休みの時間なため、その静けさがひどく目立った。……が、嫌いじゃないな、こういうの。

 結衣は俺の腰に抱き付くようにして、腿をクッション代わりにするかのようにのびのびわんこ状態。そんな彼女の頭を、実に……どれくらいぶりか解らないほど久しく、わしわしと撫でている俺がいる。

 

「それにしても、どうすんだよこれ……。もう俺教室戻れねぇじゃねぇか……。クラス違うとはいえ、もう取り返しつかねぇぞ……? 今まで築き上げてきたぼっちとしてのエリート街道、消滅しちゃったよ……」

「えへへぇ、じゃああたしがずぅっと一緒に居てあげるね?」

「あ、結構です」

「即答だ!?《がーーーん!》な、なんで!? だって───、…………」

「~~~……《がりがり》」

「あ……えへへへへへぇええ~~……はーくん照れてる~……♪」

「ばっかお前っ、ててて照れてなんかねぇじょ!?」

「……噛んだ?」

「うっせばかうっせ! うっせ!」

「~~♪」

「…………くっそ……《がりがり》」

 

 調子が狂う。昔っから犬っぽいヤツだとは思っていたが、まさか呼び出して、座って話すかって提案して座った途端に抱きつかれるとは思わなかった。

 しかも匂い嗅がれて、頭ぐりぐりこすりつけられて、頭撫でてって言ってくるし。なに? 犬ヶ浜さんなのお前。

 そうして悪態をつき、頭をがりがり掻きながらも、突き放すことも引き剥がすことも出来ないヘタレでございます。

 イヤベツに腿に弾むぽゆんぽゆんした温かい弾力が蝶サイコーとか言いたいわけではないわけでして、ふえぇやばいいい匂いがするよぉおとかそんなことが言いたいわけでもなくて……!

 

「ね、はーくん。はーくんはさ……あたしと小町ちゃんが嫌な思いをするかもしれないから……あたしたちと距離を取ったんだよね?」

「は? べつにそんなんじゃねーし」

「はーくん。嘘はいらないよ?」

「ぐっ……! だったらどうだって───あ、そ、そうだ、そのだな、いい加減その“はーくん”てのやめない? いつまでもガキじゃないんだから」

「え~~~……?」

「なんでそこまで嫌そうなんだよ……」

 

 そんなに重要? はーくんそんなにいい名前?

 と思ったら、次の瞬間には案外ノリ気であだ名を考え始める。

 聞けば同じクラスに葉山隼人とかいう、苗字にも名前にも“は”がつくイケメンが居るのだそうだ。ああそりゃ、はーくん呼ばわりめっちゃ目立つわ。むしろ変えてください。

 

「じゃあ……えと……んー……ヒッキー!」

「なにお前、俺に引きこもって欲しいの? 引きこもり谷くんとかあだ名つけたいの?」

「そ、そうじゃないし!」

「“し”とかつけないの」

「うっ……でも周りの人とか使ってて」

「その“周りが使うからあたしも使う”をやめろって言ってんだろ……。そんで咎められたら周囲の所為にして心を楽にするのか? 先達者として言っておくが虚しいし情けなくなるからやめとけ」

「既に情けなさ味わったんだ!? ……でも、そっか。えへへ……はーく───ヒッキーのそういうところ、変わんないね。あたしが間違ったら違うってはっきり言ってくれて。他のみんなが言うみたいな“そういうんじゃなくってさー”っていうのとは……うん、違う……やっぱり、違うんだなぁって」

「……べつに、似たようなもんだろそんなの。ていうか、え? ヒッキー続くの? 俺ヒッキーなの?」

「だって自分の殻に引き篭もって、あたしや小町ちゃんの話、全然聞いてくれなかったし」

「《ぐさ》」

 

 ヒッキーでした。ごめんなさい。これに関してはなにも言えん。勝手に距離を取ったの、俺だし。

 

「それで、だけど……えと。似てるか似てないかって話だったよね、うん。……えと、似てないよ。ヒッキーはちゃんと言ってくれて、何が違ってどう違うのかも教えてくれる。でも……他のみんなは否定したいだけ。答えなんて持ってないし、ただ話題として否定するだけだから……」

「………」

 

 言って、しゅんと疲れたような笑みをこぼした。

 腰に抱きついたまま、犬のように俺を見上げるその顔は……不安に揺れていて。

 溜め息ひとつ、頭を撫で、髪を撫で、頬を撫でて顎を撫でると、結衣は心地良さそうに目を細め、やがて閉じた。

 

「……難しいこと考えんの苦手なくせに、なんで空気を読むことに敏感になっちまうんだよ……。いっそ馬鹿だったら楽だったろーによ」

「……それだけじゃ振り向いてくれない人が居たからだもん。ばか。ほんとヒッキーキモい」

「だからやめろ。言うならやさしい言葉にしろ。そしたら勘違いして告白して振られるから」

「振られちゃうんだ!? ……って、え? 告白? 誰が? 誰に? ………………え?」

 

 困惑した顔が俺を見上げ、途端に赤くなり、瞳が潤んだ。瞬間、俺はやっちまったと後悔する。

 

「~~~っ……いい、考えるな、忘れろっ。今お前はなにも聞かなかった。いいな?」

「……………あたしと小町ちゃん、ヒッキーのわがままの所為で随分疲れちゃったんだよね」

「ぐっ……な、なんで、今それを言うのかな……!?」

「ね、ヒッキー。ありがとね。あたし、またこうしてヒッキーと話せるだけで、すごく幸せ。嬉しい。楽しい。一緒に居られて、こんなに笑顔になれるよ?」

「う、ぐ、あ……!《カアアア……!!》しょ、そりゃ、錯覚かなんかで……」

「でもね、やっぱり傷ついたし、ヒッキーと一緒に居た所為でひどいこと言われるどころか、ヒッキーにひどいこと言われたし……」

「ぐ、ぐ、う……!《ぐさぐさぐさ……!》」

「だからね、ヒッキー。やさしい言葉のおかえし、ちょうだい? 勘違いするようなやさしい言葉言うから、おかえし、ちょうだい?」

「な、なに言って───」

 

 言葉を返す前に、結衣が俺から離れて、きちんと立って向かい合う。

 そして胸に手を当てて深呼吸をすると……染めた頬と潤んだ目のまま、まっすぐに俺を見て……言った。

 

「また、あたしの隣に居てくれて、ありがとう。あたしは……また明日も隣に居たいです。その次も、次の日も。ずっとずっと、隣を歩きたいな~……って」

 

 え? なにそれ告白? どころかプロポーズ? ずっと一緒に居たいアピールですか?

 なんて思ってしまったら、勘違いするなって意識よりも先に、黒歴史の方が面をあげた。

 

  こいつ、俺のこと好きじゃね?

 

 おいやめろと押さえつけにかかるも、こんな顔、こんな声、こんな目で言われてしまっては、自分を抑えられなかった。

 おい、勘違いすんな。さっきこいつが教室で、クラスメイトの前で大好きとか言ったのだって、どうせはーくんってことで葉山ってイケメンのことだと捉えられてるんだ。こいつはやさしいから俺にじゃれついているだけだ。そんな勘違いを間に受けて告白でもしてみろ、俺は今度こそ、子供の頃から俺の傍に居ようとしてくれたこいつを突き放すことに───! ってちょっと待て、こいつ電話の向こうではーくんじゃなく、比企谷八幡って……だー! やっぱ終わってる!

 

「ずっ……ずっと俺の傍に居て、笑っててくれっ!」

 

 気づけば告白。立ち上がり、真っ直ぐに相手を見て。

 ……頭の中真っ白だ。そのくせ、頭ん中じゃ“ああ……終わったな”……なんてひどく冷静に分析している俺が居た。

 冷静になれ。冷静になって、状況を一度整理してみろ。よかったじゃねーか。これが罰である限り、俺はここであっさり振られて、そこでようやく関係をリセットできる。

 そうすりゃ今は無理でも、いつかはやり直せるわけで───

 

「───……っ……はいっ……喜んで……!」

 

 アイエエエエエエエ!!? ガハマ!? ガハマナンデ!?

 ───組み立てていた予測が全てぶっ壊れた。予測の前提が最初っから間違っていたのだ、仕方ない。

 涙までこぼして、そんな笑顔で言われたらなんて続ければいいんだよ! むしろいいのかお前は、こんなんで! 勢いや言わされた言葉でそんな、涙まで流して───!

 こいつ、俺のこと……───~~……ほんとに、好きなんじゃねぇか……くそ。

 

「~~~……」

 

 顔がちりちりと熱い。鼓動はさっきからばくんばくんとやかましく、そのくせ頭の中だけは結構冷静。さすが俺。

 いかなる時でも冷静になれる自分を備えるのが、正しきぼっちというものだ。

 そんなぼっちが考えること。それは───

 

(───勘違いしたぼっちは無敵だ)

 

 きっかけが勘違いして告白して振られる、という自爆。

 なら、勘違いを受け取られた俺は勘違いを武器に出来るというご都合理論。

 だが俺は“そう出来る言い訳”という名の武器を捨て、自分の意思で向き合った。

 男ってのは単純だ。

 女にやさしくされれば舞い上がるし誤解もするし、それが続けばこいつ俺が好きなんじゃ? と勘違いをする。

 その勘違いが実は本当だった男こそ真に無敵であり、その舞い上がった勢いのままに女性を大事に出来る。だがだ。そんなものは勘違いが成功に繋がっただけで、きっと……結衣の言う本物じゃない。

 なにせ一歩目からが勘違いなのだ。最初から間違っていることを続けたところで、必ずどこかで綻びが出る。だから俺は───

 

「……」

「《グイッ》わわっ……ヒッキー……?」

 

 結衣の両肩を掴んで、しっかりと向き合う。

 そして名前を呼んで───

 

「ひゅ、ひゅい」

「───」

「………」

 

 噛んだ。

 うっわなにこれマジ死にたいんですけどなにやってんのちょっと馬鹿なの死ぬのむしろ殺して馬ッ鹿ほんと馬ッ鹿!

 

「ゆ、結衣」

「え? あ、噛んだんだ」

 

 名前噛んだって認識されてなかったよなにやり直してまで恥の上乗せしてんの死ねよもうほんと死ねよ死んでください殺してぇええっ!!

 

「あー……えっと、だな……」

「う、うん……?」

「今の告白、なかったことにしてくれ」

「えっ……!? ふえっ……《じわっ……》」

「いや待て泣くな! 言葉通りの意味だが、お前が思っているのとは違う……はず……」

「……? ……?《ぐすっ》」

 

 やばい。なにがやばいって、やばいからやばい。

 早く言ってやらないとこいつ、絶対に誤解して涙流しながらえへへって笑って人の話も聞かずに逃げ出す。これ絶対。ソースは過去の経験。

 覚悟を決めろ。つーか、もっとよく考えろ。俺相手にここまで近づいてくれて、ママさん公認な上に好意を抱いてくれるヤツが居るか? 居ないだろ。むしろ今後絶対現れないし、現れたとして、親に断固拒否されて別れさせられるまである。

 いや、そんな打算を捨ててもだ。俺自身、こいつをどう思っているか?

 ……あほか、そんなの、昔ママさんに書かされたアレが婚姻届だったって気づいた頃から固まってたことだろうが。それどころか、惚れたのなんてもっと前だ。気づかないフリして無関心ぶる必要も、もうないのだ。

 だったらどうするよ。ほら、もう涙がこぼれてる。さっさといけ、こののろま。

 

「なあ結衣。昔、ママさんの前で二人で書いたもの、覚えてるか?」

「え? う、うん……ぐすっ……あの、なんか緑の紙だよね……?」

「あれな、婚姻届だ」

「───………………えぇええええええっ!!?」

「それを知ってもらった上で言うぞ。結衣───いや、由比ヶ浜結衣さん。俺と一緒に、あれを“本物”にしてください」

「ぇえええっ…………ふえっ?」

 

 真っ直ぐ向き合って、心からの言葉を届ける。

 即座に視線を逸らしたい衝動に駆られ、ちりちりと顔が熱いってか痛いと感じるのだが、さすがにここで視線を外すのはヘタレすぎ───あ、ウソ、ヘタレでいいです外していいですか?

 己へのソワソワとした問答を繰り返していると、じっと見ていた筈なのに相手の反応に一瞬気づけなかった。余裕のない男はこれだから……と軽く後悔したくなったが、気づけたとして、俺に出来ることがあったかどうか。

 さて、そんな底辺男の覚悟がどうあれ、“相手が好きで恋人になる”のと“相手が好きで一生を委ねる”のとは違う。結衣が教室でしたのは恋人宣言というよりも大好き宣言だけであり、俺が頷いたところで恋人になるだけ。

 逆に、俺がしたのは好きですどころか一生傍に居てくれって言葉と、婚姻届を本物にしてくれという、婚約宣言だ。つまりプロポーズ。そんな重いものを学生の、しかも18にもなっていない状態で受け入れる人が居るだろうか。

 

「え、え………………ひ、うっ……?《ぽろぽろぽろ》」

「え……お、おい結衣?」

 

 ……目的としては泣き止ませようとしたのに、小粒どころか大粒の涙がこぼれたでござる。震え、視線は俺の目を見たまま、首を小さく左右に振るようにして少しだけ後退る幼馴染の姿がそこにあった。

 え? ……え? なに? そんなに嫌だったとか? あ、あれか。自分で言った本物って言葉を俺に使われてショックだったとか。大丈夫だ、誤解はないぞ結衣。エリートにはなれなかったがこのプロぼっち免許を持った俺にしてみれば、お前が泣いた理由なんて───ほんとにそうか?

 はっきり言うがぼっち側での俺は天下無敵、負けることなら俺が最強。だが、じゃあぼっちでは経験できない事柄ではどうだ? ……雑魚もいいところだ、集団行動とか息を潜めて迷惑にならない心配りが出来る程度。むしろそれしか出来ない。

 で、相手はぼっちか? 泣いている結衣はぼっちだったか? 違う。天下のスクールカーストの、いわゆるトップカーストにも君臨出来るやつだ。そんな彼女をぼっち側で測って結論を出していいのか? いやよくねーだろ。むしろ俺と一緒にされればクラスの女子が泣くレベル。

 じゃあこの答えはいけない。だから考えろ。ぼっちとは正反対。暗い方向ではなく明るい方向で泣く理由ってのはなんだ? ああ、あれ? 伝説の嬉し泣きってやつ? ハハ、ワロ───え?

 

(………)

 

 やべぇ……答え、出た。さすが学年3位。レベル5で電撃撃てちゃう。手違いでレベル6の扉を開けちゃうまであるくらい。やっぱいつの世も新世界の扉を開くのは正規のやり方よりも斜め上だよな。つまりいつでも斜めな俺は悪くない。

 いや、でもほんとにそれが答えでいいのか? ぼっちな俺がそっち側の答えを安易に選んで───

 

「うっ……ひっく……ひっ……ひっき……うえぇえええ……!!」

「───……」

 

 アホか。こんな純粋な涙を前に、悩んでんじゃねぇよ。勘違いだの罰ゲームだの、保身に回るのはもうやめだ。それでいいだろ?

 あーあー、残念だったなぁ未来の俺よ。どうやら“俺”は完成出来ないらしい。……俺も残念だよ、正直、何事にも動じないニヒルな自分にゃ憧れた。どんな美形や困難が来ようがそっけなく返し、解決することの出来る自分。社交性は無くてもそれ以外は完璧にこなせる自分にゃ憧れた。

 でも、所詮憧れは憧れだ、結衣の口から聞いて、俺が思い描いた本物には届かない。

 

「~……どうせ言わなきゃ届かねぇだろうから、この際だから言うがな……その。……最初の告白を無かったことにしたのはさ。脅されて言ったのがお前とのきっかけになるのが嫌だったからだよ。言ったじゃねーかお前、本物が欲しいって。なのにあんな、勘違いからこぼれたような薄っぺらい告白で始めようとすんな。……お前の夢、お嫁さんだったろーが。ちっこい頃からいっつもこっちちらちら見て。そんな大事な一歩目を勘違いで受け入れるんじゃねぇよ……」

「ひっく……えぅっ…………ひっき……っ……! ひっきぃいい……! おぼ、おぼえてて……っ……えぐっ…………ふわぁあああん……!」

「~~……《がりがりがり》……くっそ、なんでお前はそう……」

 

 なにかあればいっつも人のところ来てはーくんはーくんって。ガキの頃からこっちが何度勘違いしたと思ってんだ。

 あーそーだよ、親父さんの所為で告白するまでいかなかったけどな。あー恥ずかし。じゃあなに? 親父さん居なかったらとっくに相思相愛の時間過ごせてたの? まじかよ親父さん……本気で恨むぞ? 彼女が居たならいちいちラブレターとかで動揺する必要もなかったんだぞ俺……。

 

「あー、その、なんだ。迷惑じゃなければ、末永くよろしく頼む。むしろ迷惑なら今すぐ断ってくれ、振られるくせにうだうだ語ってたとか恥以外のなにものでもねぇだ《ギュッ!》ろっ……と……」

「~~~……!《ウルウル……!》」

「……わぁった、逃げないから、そんな潤んだ目で見上げてくるな……あと手痛い、指折れそうなくらい必死に掴まんでも逃げねぇから落ち着け……」

 

 手を掴まれた。ギウウミキミキと。痛い。あと痛い。

 しかも何故か少しずつ掴む範囲が広くなって、握られていた手から手首、腕、と捕まれ抱きしめられ、腕にぽゆんぽゆんした柔らかい感触が……! ───いやべつにやましい気持ちとかねーし? 腕が谷間さまにすっぽり納まっていて結衣の体温でとろけちゃいそうとか危ないこととか考えてねーし?

 

「………」

 

 溜め息ひとつ、ベストプレイスに存在する階段にゆっくり腰掛けると、腕に抱き付いていた結衣が、再び俺の腰に抱き付いてきた。そんな彼女の頭を撫で、綺麗な髪の毛を梳くようにやさしく触れていると、またしても犬っぽく上機嫌にとろける結衣さん。

 俺はといえば……結衣がとろけている内にママさんに連絡を入れて、18になったらいつかの約束を本物にさせてもらいますとだけ届けた。もちろん言うだけ言って通話終了。

 直後にひっきりなしにメール着信と電話が……! 電話に出るのは気恥ずかしかったからメールを見てみれば、

 

 FROM ママ 13:21

 TITLE あらあら

 やっと決心がついたのね? ママ、いっつも今日こそはって待ってたのよ?

 じゃあ早速今からでも、ママのことママって呼んでいいのよ?

 

 ……。

 無言でメール画面を閉じた。

 

「? ひっきぃ、誰から……?」

「そのだらしない顔やめなさい。めっちゃ撫でたくなるから。……お前のかーちゃんから」

「《なでなで》ママ? ……えへへぇ」

「いやべつに挨拶に行く段取りとかじゃねぇからそのだらしのない顔やめなさい。甘やかしたくなるだろーが」

「《かいぐりかいぐり》んむゅ……ひっきぃ……ひっきぃい~……♪」

 

 俺は悪くない。言いながら、とっくに撫でたり甘やかしたりしてるこの手が悪い。悪いの俺じゃねーか。いや、右手が恋人なんて迷言もあることだし、もうそろそろ別個体として考えていんじゃね? 指にだってそれぞれ名前があるんだし。そう、今結衣を撫でてるのは俺じゃなくて親指や人差し指や中指や───……まじか俺、別固体として考えたら指の野郎を砕きたくなってきた。でも痛いからやらない。

 ていうかなにこの可愛い生物。人のこと呼びながらこんなに無防備に甘えてくるって、それだけで心開けちゃうよ俺。エリートどころかプロのぼっちが浄化されていく。……あくまでこいつの前だけで。

 昔っから妙に犬っぽいところあったからな、こいつ。……撫でなくなってからはいい加減治ったと思ったのに、ちっともだ。……べ、別に安心してなんか……ないんだからねっ!?

 

「ん……ママ、なんて?」

「ん……あ、や……べつに、なんでもいーだろ……」

「だめ。だってママ、ヒッキーのことお気に入りだし。前からなんかある度にヒッキー連れてこいって。……あたし、やだよ? ヒッキーがあたしのお父さんになるの」

「ぶっは!? ばば馬っ鹿お前! なんでそんな話になるんだよ!」

「だって……ヒッキー昔っからママにはすごい心開いてる感じだったし……キモい! 思い出すだけでキモい! ヒッキーマジキモイ!」

「お前……婚約さえ覚悟してる相手にキモいはやめろよ……本気で傷つくだろが……」

「うー……!」

「《ぎゅうう……!》……わーった、解ったから……。ていうかお前何気に独占欲強いよな……今に始まったことじゃないけど」

「え? そうかな……ふつーだよふつー」

「普通ねぇ……んじゃ訊くが、俺が女子と仲良くしてたらお前、どう思う?」

「え? ヒッキーに女子の知り合い居るの?」

「《ぐさ》……いねぇよ。居るわけねぇだろなに言ってんの?《ぐすっ》」

「え? え? なんで泣いてんの!? あたし言いすぎた!? ご、ごめんねヒッキー! もうキモいって言わないから!」

 

 わー、ぼっちなことは全然気にかけられてないやー……もはや当然のこととして認識されているまである。

 そりゃ自分からそうなろうとしたんだからいいんだけど。全然いいんだけど。

 よし、いいならスルーな。真面目に考えると泣きたくなりそうだから。

 

 


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