どこにでもあるようなガハマさんとヒッキーのお話 作:凍傷(ぜろくろ)
そんなこんなで服を買いに遠出。
制服のままって大丈夫なのん? とかちょっぴりそわそわしつつ、結衣に引っ張られるままに歩いてゆく。
制服のまま買い物なんて俺したことねーよ。あるとしても食材買いにスーパーに寄るくらいだ。い、いいのか? こんな大きな場所に制服とかできて、いいのか? 解らん。そんなことに誘ってくれるやつも居ないし。
ああ、無駄にそわそわして落ち着かない。
「ぷふっ、ヒッキー、拾われて怯えてる子犬みたい……!」
「うるせ……いいからさっさと終わらせない? 俺このあとアレがアレだし」
「うん、じゃあ───」
「って、ちょっと待て。俺別に相模に服を見せる予定なんてないぞ? べつにいーだろ服は」
「だめ」
「いやだめって。べつに無理して出費する必要なんてないだろ」
「だって……あたしが見たいし」
「そうか。じゃあこれからどうする? 帰るか? それとも帰る?」
「帰る気満々だ!? あたしが見たいって言ってるのに!」
「いいだろもうそこらのユニクロ先生のやつで。相模を黙らせたいなら、もっと服以外のものを、だろ」
「うー……じゃあ、えっと……髪飾り、とか? あ、眼鏡屋さんがある! あそこ行こ!」
「……女ってなんで買い物になるとあんな元気なの……? オラにちょっとでもそれ分けてくんない……?」
そしたら元気になりすぎて燥いでキモがられて泣きながら帰ってゴロゴロするから。やだ、すごく自然に帰れるよこの作戦。でも泣くのかよ。
溜め息ひとつ、結衣に引っ張られて眼鏡コーナーへ。
「えへへぇ……《スチャッ》……どう!? 頭よさそうに見える!?」
「あー、なんかもうその言動の時点で馬鹿っぽい。眼鏡かけりゃあ知的に見えるとか、全国の目が悪い子に失礼だろ」
暁美ほむらちゃんとかマジ可哀想。おさげで眼鏡っ娘だからって真面目そうって決め付けられて、入院してたんだから勉強する時間くらいあっただろとか言われたりして。じゃあなに? お前らなら勉強したの? ……あ、俺してたわ。
「結論を言おう。馬鹿にしか見えん。むしろ馬鹿。すっごく馬鹿」
「なんかすっごいまっすぐに馬鹿って言われた!? うう……そんなヘンかなぁ……」
「……《がりがり……》いや……まあ、なんつーの? 似合ってないこともないっつーか……ほら、アレだよアレ………………こっち」
「え? こっち? ……《スチャッ》……あ、の……どう、かな……」
「…………~~……!!」
「《わしゃしゃしゃしゃ!》わぷぷぷぷっ!? えっ!? やだっ! ちょ、ヒッキー!?」
戸惑いがちに、両手で眼鏡をかけた姿に思わず見惚れた。
で、照れ隠しに頭をわしゃわしゃ。ああ、なんという子供……このぼっちのエリートを目指した俺が、こんなことで自分を見失うとは……いや似合いすぎでしょ、可愛いすぎでしょ、なんなのこの反則度。眼鏡、恐るべし」
「お、恐るべしじゃないし! うぅ~……せっかく綺麗に纏めたのに、髪ぐしゃぐしゃ……」
「へ? ………」
俺、この考えが口に出るの、なんとかしないといつかなにか大変なことをやらかしそう……。
「で、でも……自分を見失うほど、見蕩れてくれたってことで……えへへ、いいのかな」
「う、ぐ…………あ、いや、それより俺の眼鏡探しに来たんだろっ? さっさと探して帰るぞっ」
「……えへへへへ」
「なんなのお前……答えはぐらかされたのになんでそんな嬉しそうなの? はぐらかしておいてなんだけど」
「だって、ヒッキーって言い当てられた時ほど必死に話を逸らそうとするから。ね、似合ってた? 似合ってた?」
「ぐっ……うぜぇ……」
「うざっ!? うざくないし! もう! ヒッキーのばか!」
「……もう、なんで素直に“似合ってる”が言えないかな……!」とぶつぶつ言いながら、結衣は試着用の眼鏡を見ては呟き、見てはほへーと珍しがっていた。
そして超軽量の謳い文句で飾られた眼鏡を見つけると、手にとって……首を傾げた。「超軽量…………超……?」……どうやら超軽量の文字に納得がいかないらしい。
「もうとにかく適当でいーだろ。外見がそれっぽく見えりゃーいいんだろ?」
「おかしいよね。ヒッキー、そのままでも全然かっこいいのに。きっとさがみんの見る目がないんだよね」
「ばっ!? な、なにっ………………お、おう……その、あ……あんがとよ」
「え……あ、うん………………うん」
見る人が見ればただのバカップルだなと、客観的に見た自分たちを評価する。
顔を赤くしつつも眼鏡を手にとってはかけてみて、その度に結衣に見せるんだが……その表情は苦笑が滲んでばかりだ。やっぱりこんなもん似合うわけねぇって。眼鏡をかけて似合うのはイケメンリア充だけだろ。
「なぁ結衣ー、イケメンってどういう意味だか知ってるかー?」
「え? 顔がイケてる人のことでしょ?」
「違う。イケてるメンズって意味だ。別に顔がイケてなくても性格がよけりゃ良しとか、そういった意味でもあるんだよ」
「へー! そうなんだー! んー……ヒッキーは?」
「言っておくが俺は目を除けば基本ハイスペックだぞ。顔立ちも悪くないし、友達が居ないから遊びに誘えばバイトの時間以外は常にフリー。日頃から体を鍛えているからまあまあ頼りになるし、日々特殊な歩法でスタミナ増加も続けている。勉強だって出来るほうだ。実力テスト学年3位は伊達じゃない」
……ま、目立たないようにって吉良吉影やってっから、3位は本当の実力じゃねーけど。
病院のベッドで平塚先生が持ってきたテスト用紙で受けた実力テスト……あれは正直辛かった。カンニングしないためにと付きっ切りだったからね。もう生きた心地しなかったね。
それでも3位だ。やれば出来る子。つまりハイスペック。
「えっと……? つまりヒッキーは、なんかよく解んない自信で満ち溢れてるってこと……かな」
「おい、べつに解んなくはねーだろ。ようするに俺はお得物件ってことだ。奥さんになる人とか超お得。さっさとあの家出たいからそのためなら死ぬ気で働くし、本来だったら親や兄弟、友達や恋人に向ける筈だった愛情友情親愛兄弟愛、その全てを愛する人へ向けられる。親しい人なんざ居ないから浮気の心配もなければ、基本心を許した相手にしか関心向けねーから嫁さん超愛されまくりな。どうよ、最高だろ」
「うーん……でも仕事とか面倒くさくなって途中でやめたりとか───」
「あほ。俺は責任からは負わされる前に逃げるが、負ってからは確実に解決か解消を目指すわ。んでもって、愛する妻を幸せにするって決めたなら、幸せにするまで諦めたりしねーよ。俺はな、あんな親たちに養われるのはもう嫌なんだよ。だからどっかの誰かが望むみてぇな専業主夫とか冗談じゃねーし、知っての通り線引きして内側に入れたヤツ以外は心底信用しない。今んとこ内側に居るのはお前だけだし、望むなら俺が過去から暖めてた全ての感情、くれてやるっての」
「え? 全ての感情って?」
「あ? だから……その、ほら、アレだよ。ないがしろにされなけりゃ親に向けていたかった感情とか、ゴミなんて呼ばれなけりゃ愛せたんじゃねーかっていうシスコンにも近い兄妹への感情とか、なってくれたなら一緒にとことん青春したかった友情の行方とか、隣を歩いてくれるならそれだけでも幸せだっただろう恋人への思いとか、全部。……俺はぼっちとしてエリートになる寸前だったんだ。こんな半端な感情、時間と一緒に捨てちまえば、さっさとエリートぼっちになれたのに」
「それを捨てちゃえば……ヒッキーはぼっちエリートになってたの?」
「あとはお前に告白してフラれてりゃな」
「あはは、じゃあ絶対無理だね。あたし、絶対に断らなかったよ? むしろ泣いちゃうくらい嬉しいまであるし」
「……ほんと、なんで俺なんかを好きでいられたんだか」
「きっとね、ヒッキーが好きでいてくれたからだよ。そりゃ、中学の時は本当に悲しかったけど……ぷふっ! ヒッキー今の眼鏡、似合わなすぎっ!」
「お前容赦ねーな……俺も鏡で見てこりゃねーわって思ったけどよ」
これなら鼻眼鏡のほうがよっぽど似合ってるだろ。
そう思いつつ置いたのは、漫画とかの教育ママがつけているような三角眼鏡だ。なんでこんなもん置いてあるんだよ。話しながらだからつい取っちゃったじゃねーか。なんなの? 大地が俺にザーマスおばさんになれって囁いてるの? センスなさすぎでしょガイアさん。
「んじゃこれとかどーよ。……まん丸眼鏡なんてあんのな、つけといてなんだが、驚きだ」
「ヒッキー、のび太くんみたいだね」
「綾取りは別にいいとして、3秒就寝スキルは本気で欲しいな。……まあ、悪かったよ、ほんと。中学のことは忘れてくれとは言わないから、俺に出来ることなら適当に言ってくれ。出来るだけ叶える」
「えと……べつにもういいんだけどな……。ん……あ、じゃあね、えへへ」
「なんだよ微笑むなよ可愛いだろ」
「うぅ……なんかヒッキー、どんどん口が緩くなってきてない……? ちょっとおかしくなってない……?」
「べつに望まねーなら今すぐやめる。あとはしっかり封印すればいつもの俺だ。そこからはなんにも変わらん」
「望む? ……あ、さっきの感情の」
「ま、あんま難しく考える必要はねぇんじゃねーの? 俺みたいなぼっちのなにかに対する感情なんて、そう大きいもんじゃねぇだろ。いらないって思ったら拒絶すりゃ済むことだ」
「拒絶なんてしないし! …………えと、じゃあ……よろしくお願いします《ぺこり》」
なんでそこで綺麗なお辞儀? や、でも…………そか。いいのか。
…………そっか。
「…………《ぽりぽり》」
「……? ヒッキー?」
なんだろな。何気なく言っただけのつもりだったのに───……自分の愛情が認められた気がして、心底心が跳ね上がった。
こんな感情、もう沸き上がらないと思ってたのに。
……いつか。休む暇なく頑張ってる母に、頑張ってって言いたかった。
……いつか。まだ給料日におもちゃを買ってくれていた父に、もっと笑顔を向けたかった。
……いつか。自分の後ろをついてくる可愛い妹を、もっと甘やかしてやりたかった。
……いつか。友達になりたくて伸ばした手が、温かさに包まれることを望んだ。
……いつか。物語の中にある大親友って存在に憧れて、拒絶されては涙した。
……いつか。隣を歩いてくれる人に憧れても、自分と関われば不幸になることを理解して、人から離れた。
……いつか。意味もなく急に涙が溢れて、止め方が解らなくて泣き続けたところをママさんに見つかった。
……いつか。頑張れば報われるなんて言葉を鼻で笑いながら、それでも俺は、きっと───
愛して、いいのだろうか。
愛しても、許されるのだろうか。
踏み込めば拒絶されて、そこに居るだけで隠されて笑われて貶されて、離れれば指差されて笑われて、無心でいれば忘れられて。
母さんごめんなさい。あなたのお金で買った教材が破かれました。
父さんごめんなさい。あなたが買ってくれた靴が焼却炉で燃やされました。
小町、ごめん。不甲斐ない兄の所為で馬鹿にされていた時、俺はなにも出来なかった。
ママさんごめんなさい。俺はあなたの娘を、守るどころか傷つけてばかりです。
親父さんごめんなさい。俺はあなたの娘に何度も辛い思いをさせてきました。
そして…………そして。
「………」
何気なく取った、黒縁眼鏡をつけてみる。
なんとも地味な印象を抱いたけど、つけてみると妙にしっくりときた。
そんな印象を……地味って印象を自分に抱いたまま、気持ちで動く自然のままに、頬を緩ませ笑ってみた。そして、そのままで言った。
「……信じて……いいか? 俺はこの通り、自覚出来るくらいに捻くれてるけど……。…………お前を、結衣を……信じていいか……?」
たぶん、格好もつかないし綺麗でもない、ひどい顔の苦笑めいた笑みだったと思う。
言ってしまえば情けない顔、と言われても仕方のないものだろう。
それなのに……いや、それでも。結衣はふるりと体を震わせて、顔を真っ赤に、目を潤ませると……やがて、ふわりと緊張を解くように微笑んで……「……はーくん……」と言った。
次の瞬間にはトッと床を蹴って、小さな体が俺の胸に飛び込んできた。
戸惑いながらも体は自然と彼女の背へと手を伸ばし、受け止めていた。
「お、おい、危ないだろ。眼鏡落ちたら買わなきゃ───」
「───うん。信じて欲しいな……。遠慮も躊躇もいらないから……あたし、ヒッキーが信じていられるあたしで居るから。ずぅっと居るから。だから……───」
「……───あ……」
「あたしが、ヒッキーの“ひとりぼっち”をもらっちゃうね? だから……えへへぇ、もう絶対、独りじゃないよ?」
「───…………」
“ばっかお前、独りってのは俺のアイデンティティでありステータスだ”
“あげられるようなもんじゃねーよ、ぼっちなめんな”
“え? なにそれ、もらったらお前がぼっちになんの? 俺がママさんに殺されるじゃねーか、やだ怖い”
いろいろな言葉が頭の中に浮かぶのに、どれも声には出ない。
いつの間にか体は震えていて、声を発しようとする口はカチカチと歯をぶつけて音を鳴らし。
なにに恐怖をしているのかも解らないけど……腕の中のぬくもりが、まっすぐに笑顔をくれたから───
ああ……
俺は……
そっか、俺は───
俺は……ただ……
遠い遠い、ずうっと過去。
伸ばせば届くと信じた手を、振り払われた日があった。
教えられた“本当”が嘘だと知って、それでもその嘘が眩しいものだったから伸ばし続けた。
信じた“本当”があった筈だった。
眩しいそれこそが、いつだって本当であってほしいと願っていた。
それでも嘘は嘘でしかなくて、そいつは涙した。
伸ばし続け、求め続けた所為で、いつしか嘘はそいつがついたことになっていた。
馬鹿にされて嘘つき呼ばわりされて、教科書を破かれて靴を焼かれて。
それでも信じたい眩しさがあって…………そんな眩しさをずうっと眺めていたら、目は濁ってしまっていた。
気づけば信じたかったものなんて見えなくなって、眩しさもどこにもなくて。
間違えても信じて、辛くても頑張って、痛くて苦しくて、それでも望んで手を伸ばして。
無様でも泣いても傷ついても、それでも手にしたかったそれを、なんと呼べばよかったのか。
ああ……
腐った目からこぼれた涙を、“みんな”は汚いと罵った。
俯き歩く姿を見つけては蹴り、比企谷菌が伝染ったと笑った。
“みんな”は比企谷菌から逃げて、比企谷菌にバリアは効きませんと笑った。
……なんで比企谷菌だったんだろう。八幡菌なら、きっと自分が泣くだけで済んだのに。
苦しいな。ああ……苦しいな、辛いな。誰かに言ったら助けてくれるかな。
……痛かったら痛いと言っていいと、誰かが言ってくれた。
その人のことを信じたかったから、囲まれ、笑われていた時に言った。
……助けなんてなかった。あったのはさらなる笑いと逃げ道のない現状だけ。
なら、こんなのはきっと痛みなんかじゃなかったんだ。
信じたいからそう思い込んだ。こんなものは痛さじゃない。痛さじゃないから堪えられる。
誰にも頼るな。痛くないなら堪えられる。堪えられるから……涙なんて、こぼれるなよ。
辛いなぁ……
日々の仕打ちを日常と受け入れてしまえば我慢できることを、そいつは覚えた。
弱きを助ける正義のヒーローに憧れた日なんて遠い彼方。
正義で人は救えない。正義はちっぽけな弱者なんて救わない。
幼心にそんな事実を理解して、そんな時、そいつは幼馴染と妹が、自分と幼馴染な所為で、自分の妹な所為で、嫌な思いをしていることを知った。
正義で人は救えない。だったらどうすればいいのか、そいつは考えて……そして、悪を選んだ。
悪は独りでいい。痛みなんて感じないんだから、痛くないヤツだけが痛い思いをしていれば……自分以外の“正義”は笑ってくれるのだと信じた。
……苦しいなぁ……
悪は孤高でカッコイイ。
意志を曲げないし、正義と違ってうじうじ悩まず悪を貫く。
結局いつも負けるけれど、そんな悪の真っ直ぐさは嫌いじゃなかった。
悪のほうがよっぽど真っ直ぐだったから、それでもいいって思えた。思ったまま……ひとりぼっちで画面を見つめ、やられる悪に、泣いていた。
誰か……
悪はどれだけ頑張っても正義に負けた。
悪は悪だから悪いって理由だけで、やられ続けた。
そうしなきゃいけない理由も、きちんとあったのに。
それでも悪が居なきゃ正義は勝てず、悪がやられなきゃ正義は笑わない。
平和って……なんなのかな。
平和なんて、あるのかな。
そいつはそう口にして、腐った目のままなにも感じない悪の時間を過ごした。
……たすけ───
親はなにも言わなかった。気づきもしないんだ、当たり前だ。
それでも家に居れば平和で、それこそなにも言われなかったから平気だと思っていた。
ある時……日々のイジメ、嫌なことの重なり、体調の悪さ、全てが最悪な時に、それは起こった。
それでもいつものように妹と自分の弁当を作って、貼り付けた仮面のような自分のままに妹を送り出そうとした時。
“……結衣お姉ちゃんから聞いた。お兄ちゃん、学校でも結衣お姉ちゃんと口も聞いてないんだってね。なんで?”
返す言葉は決まっていた。「お前には関係ない」だ。
突き放していればそれでいいと思った。悪なんだからそうであるべきだと。
それでも、そこには守りたいものがあった筈で……いつかは報われるものだと、それでも信じていたものがあった筈なのに───
“なにそれ。関係あるから言ってるんだよ? なにしたいのか知らないけど勝手に突き放して関係ないとかって、あんまりだよ”
そんなことは解ってる。解ってるから、もうやめてくれ。独りでいいんだ。独りだから我慢出来るんだ。他人からの言葉なんて、どれだけ重ねたってもう痛くない。我慢出来るから。
だから……。
“こんなんじゃお兄ちゃんもそこらのゴミみたいなイジメっこと同じだよ……! ねぇ……!”
だから……! 身内の言葉で、俺を否定なんかしないでくれ……! それをされたら、もう───
“なんとか言ってよ! このごみいちゃん!”
───…………じゃあ、もういいや。
心が折れた。なんだこれ、もうほんとうに、何を求めていたのか解らない。
守りたかったものってなんだ? 俺は何に手を伸ばしていたんだっけ。解らない。
解らないならもう……。
思い出せないならもう……。
こんなに苦しいだけなら………………もう、独りぼっちで構わない。
独りになるのなんて簡単だ。全部切り捨てていけばいい。
もう、助けなんていらない。最後に涙をこぼして、それで終わりだ。
頭の中に幼馴染の姿が浮かんだ。悲しそうな顔で、じぃっと俺を見ていた。
勝手に勘違いして勝手に惚れて、それでも告白をしていない幼馴染。
きっともう、二度とそんな機会が訪れることなんてないんだろうって思いながら……ただ静かに、孤独の先を目指した。
それなのに。
それでも。
いつもなにかを探して、何かを求めていた。
見えないなにかをずうっと探し、触れられないそれを足掻いてもがいて探し続けて。
名前さえ知らないそれがなんなのか。
求めたそれはなんだったのか。
ガキだった自分がどれほど歩いて今の自分に到っても、結局解らなかったものが、今。
ああ、そっか。俺は───という言葉とともに、目の前に浮かんだ。
俺は───
「俺は……」
信じたかった“本当”の先……ただ、そうであってほしいと願ったそれ。
嘘じゃないと信じたかった。本当であったなら、一緒の誰かとそれを探し、きっと笑い合えていた。
求めたものを分かち合い、きっと……笑顔のままで居られたのだろう。
それでも、もうそれを“みんな”で欲しいとは思えない。思わないではなく、思えない。もう、それが当然であるという位置にまで来てしまった。
だから俺は、せめて……隣を歩く人の“本物”を叶えてあげたい。
こんな俺との“本物”を、欲しいと言ってくれた人が居る。
だから……もう、悪はやめだ。今までありがとう。変わらない自分を目指すのは、やめにするよ。
悪が自分であったなら、悪以外は救えると信じていた。痛いのは慣れているから、自分以外が救われればいいと。
けど、それだって大多数のために悪になったことなど一度もない。
俺は結局、最終的には一度も自分を疑わなかった彼女のために───……
× × ×
……さて。決意を新たに眼鏡屋を出た……のはいいんだが。
なに? なんなの? さっきからやたらと視線を感じる。そんなに似合わなかったのかこの眼鏡。
……それにしては、腕に抱き付いてるガハマさんが超上機嫌。超ハッピーにかけて、蝶・パッピーとか言いそう。言わないか。言わないな。
初恋こじらせた初々しい恋に恋して夢にまで見ているまである思春期女子高生みたいなうっとり顔をしてらっしゃるよ……なにこれ天使? ……いや俺も大概だ。受け入れてもらってから、信じてほしいなって言われた時から、もういろいろやばい。
なんかもう、あれなんだ。なんかあれ。アレだよ。なんか。その。アレなんだ。
仕草のひとつひとつに惚れちゃって、やばい。よくあるだろ、知らない一面を見るたび好きになるって。あんなのウッソでぇとか言ってた自分を殴りたいとか思った矢先に死んで行く。しっかりしろ“ウッソでぇ”! お前は俺が殺すんだ! 勝手に死ぬなんて許さんぞ! しかし無情にも死んでゆく。
いやもうほんとやばい。惚れすぎてやばい。あと気づけば頭撫でたり頬撫でたり、甘やかしまくったりしてる。認識の基本が天使でさえある。可愛い。あと可愛い。目に入れても痛くない。妹じゃなかったら結婚して幸せな家庭を築くまでもある。……妹じゃなかった! ……あれ? 俺ほんと、シスコンの才能とかあったんじゃない? 愛が溢れだして仕方ないんだが。いや、小町へのじゃなくて結衣への。
「と、ところで結衣? この眼鏡なんだが……ほんと良かったのか? 眼鏡って安くねーだろ」
「えっへへぇ、いいのいいの! 普通の眼鏡に比べたらそこまでじゃないし、これだけは絶対にあたしが買ってあげたかったんだ~!」
「しょほっ……そ、そうなのかっ……」
「うん。って、あれ? なんで今噛んだの?」
「いやべべべつに照れてねへよっ!? しょっ……そういうお前はさっきから顔が真っ赤なままだが? ───ハッ!? もしかして風邪か!? きゅきゅきゅ救急車ァァァァ! 救急車を呼べェェェェ!!」
「ふふぇえっへ!? 違う違うよっ!? 熱なんてないからっ! これはただ嬉しかっただけだからっ!」
「ほ、本当か? 平気なのか?」
「あははっ、もうヒッキー、いきなり必死すぎだし」
「いやだってお前…………お前…………───」
顔が熱いでござる。
意識してしまってはもう遅いってくらい、困ったことに大事すぎる。
なにこの娘、天使すぎでしょ。なんだ天使すぎって。可愛すぎ? ああ可愛い。それはまあ当然なんだが、なにより驚きなのが俺の中にこんな感情があったって事実で。
大丈夫か俺。これってもし自分を思い続けてくれてた人が小町だったら、超シスコンになってたんじゃないの? やだキモい。いくらなんでも妹相手にこれはないだろ。あっははー…………いや、どうなんだ? 世界のジェームズ・シスコティさん達の気持ちとしては、こんなちょっと考える程度のシスコン度では測れないのかもしれない。
材木座も言ってただろう、千葉の兄妹はそういうものだ的に。
その代表として高坂兄妹が挙げられる。お互いシスコンブラコンでありながら過去の出来事が原因で喧嘩状態になり、しかし互いにシスコンブラコンを貫き、ついにはおっとり腹パン幼馴染の正論を乗り越え、シスコンブラコンの先の愛へと───! ……あ、これダメな例だ。シスコンブラコン越えちゃったらもうシスコンティ関係ないよ。
ならば千葉は関係ないが、長谷川兄妹を挙げてみよう。
登場人物からしてやたらとそわそわするものがあるこの友達が少ないお話だが、可愛い妹が居て、黒髪ロングのS女が居て、頭が残念で胸の大きな美人が居て、女の子みたいな男の子みたいな女の子が居て、BL好きな腐ってらっしゃる女が居て───あれ、なんだろう。想像する自分の未来が怖くなった。考えるのをやめよう。
「…………《そわそわ》」
「? ヒッキー?」
落ち着かない。あぁ愛でたい、愛したい。究極的には結婚したい。行き過ぎだ落ち着け。
あぁでも戸塚って天使に会った時でも結婚したいとか思ってたよな俺。だめだ落ち着けない。結婚しようとか口に出さないだけよく我慢してるよ俺。
なんなの? 本当に全ての感情、結衣に向かっちゃってるの? あ、憎しみとかそういうのはてんでない。むしろ天使の前では全自動で浄化されるまである。
まあそれは当然だからいいんだが……あれ? 俺って今まで結衣とどうやって接してきたっけ? 呼び方は結衣でいいんだよな。それとも天使? 大天使? ……ユイエルか! ウリエル的な! それともガハマエル? ……そしたらママさんもそうなるな。いやいやこんなこと真面目に考えるな。傍に婚約者が居るんだ、常にそちらに意識を置け。
よく言うだろ、デート中とかに他の女性とかのことを考えるのはNGだって。
……まさか俺がこんなことを考える日が来るとは。
「あ~……その。アレだ。うれしいって、なにがだ?」
「あ……うん。だってほら、ヒッキー、久しぶりに本音ぶつけてくれた気がしたから」
「……信じていいかって、あれか?」
「うん。さっきのあの時ね、ヒッキーの目……あの頃のはーくんみたいだった。真っ直ぐできらきらしてて」
「……ああ、だから」
だからあの時、はーくんって言ったのか。
正直、あの頃の自分には……信じても裏切られ続けたっていうトラウマがある。
しかしだ。それも、信じる相手が結衣だけなら……きっと、今度こそ自分は、信じたかった“本当”の先───“本物”を見つけられるのだろうから。
トラウマにも、悪にも、もう“さようなら”って手を振れる。それらがあったからこその俺だ、それは否定しない。
でも、なにかを克服するにはそれを受け入れ、時には見えない位置に立つことも必要だから。もう、それらを盾に自分を確立するのはやめにする。
全部揃って俺。それでいい。まちがっていない。だから今は、頑張って歩いてきた悪とトラウマに休んでいてもらおう。
いつかそれが必要になった時は……また、よろしく。
そうして受け入れて、笑った。
「あ……」
「あん?」
そんな瞬間を丁度結衣に見られて、なんかいきなり顔をガッと掴まれた。
「な、なんだ? やっぱ眼鏡、似合わんかったか? だったら今すぐ返却して───」
「そ、そうじゃなくて! ……その眼鏡をつけた時もだったけど、ヒッキー……目が腐ってない」
「なに言ってんのお前。眼鏡くらいで人がそんな変わるわけねーだろ。変わるとしたら結衣くらいだな。ああ、あの眼鏡は実に結衣に合ってた。むしろ俺がプレゼントしたかったくらいだ」
「だ、だからいいよあんな高いのっ! それよりもほらっ! ヒッキー!」
結衣がケータイを開いて見せてくる。待機状態だとミラーになるそれで見た俺の目は、実にいつも通りだ。
「おう。いつも通りの俺だな」
「えっ!? あれっ!? ちょっとヒッキーこっち見て!」
「な、なんだよ」
「……ヒッキーうそばっか! ちゃんと腐ってないし!」
そう言ってもう一度ケータイミラーを見せてくる。もうなんなのこの娘。見せながら頬を膨らませないで? 可愛いから。
そうしてもう一度覗く目は、やはりいつも通り。
そんな俺の目を結衣も覗くわけだが、「あれぇ!?」なんて驚いている。
「なんで!? ヒッキー目が腐ってる!」
「……お前俺のことそんなに泣かせたいの? 今なら泣くぞ? お前相手なら本気で泣くぞ?」
「うわわごめんってば! だってヒッキーの目が! ……あれぇえ……!?」
ケータイミラーを出してまでのひどい悪戯に軽く胸を抉られつつ、「おっかしーなー」とか言ってる結衣の姿をちらちら見る。
おお可愛い。今日も俺の結衣、可愛い。…………そして自分の思考に驚きつつ引きつつ頭を抱えつつ、なんかもう完全に自分の中で天使になってしまった結衣の隣を、弾む胸のままに歩くのだった。
「しょっ……それでなんだけどな、結衣」
「あ、うん。なに?」
「俺、やっぱ離れたほうがよくないか? なんかさっきからいろんなやつにじろじろ見られてるだろ……俺はもう慣れてるから気にしねーけど、結衣にそういう思いをさせるのは俺の本意じゃない」
「……あれって、べつにそういう方向の視線じゃないと思うんだけどなぁ」
「? 結衣?」
「えへへぇ、なんでもないよ。ほら、お腹空いたからどっか寄ってこっ?」
「だから俺このあとバイトだっての」
「……ダメ?」
「よしバイト休むわ《キリッ》」
「うえぇっふぇっ!? ややや休むまでしなくていいよっ! ちょっと一緒にお茶出来ればいいのっ!」
「そ、そうか?」
っべー……優先順位が確実におかしくなっていることを自覚したわー……。
っべーわ、これべーわ、マジっべーわ~……。
俺ガイルSS初心者にありがちで、あとになって見てみて恥ずかしいこと~。
……結衣の語尾のほぼが“し”で終わる。
編集中、“し”が多用されている場面を見るたびに「あー恥ずかし! 恥ずかしいぃいい!!」と悶絶しております。
うん、実はSSでよく知られてるほど“し”は使ってないんですよね。
でも直しません。これはこれでいいんだと思います。