どこにでもあるようなガハマさんとヒッキーのお話   作:凍傷(ぜろくろ)

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即ち、由比ヶ浜結衣は純粋で真っ直ぐな、主大好きの犬系女子である

 

 こほんと咳払いひとつ。

 ともあれメシである。

 

「お前は弁当?」

「あ、うん。一応ヒッキーのもあるんだけど」

「……《ごくり》……それは、人類が口にしていいものか?」

「急に真顔になんないでよ! ひどすぎだし! てかあたしに作る時間がなかったの、ヒッキーが一番知ってるでしょ!?」

「あ……ぅぁ……ん、ま、まあ……そうだった……な」

「え……あ、うん…………急に照れないでよ、ばか……」

「無茶言うなよ……」

 

 ママさんが作ったらしい弁当を受け取り、そういえばママさん弁当久しぶり……と密かにわくわく。

 というのも、俺は親に弁当を作ってもらったことがない。

 なので弁当で言えばお袋の味は完全にママさん。むしろ家の食事も俺が作ってたから、俺の中の母親像はママさんのみと言えるまである。

 なもんだから純粋にわくわくしながら、冷静に“わくわくすんなよキモいな”とツッコミつつ、弁当を開ける。……と、蓋の裏にメモっぽいのがくっついているのを発見。かなりしっとりしてるけど、メモだ。

 

「?」

 

 結衣が自分の分の弁当に視線を向けている内にぺらりと見てみる。

 と。

 

  “子供は男の子と女の子、一人ずつがいいわぁ~。これでいっぱい精をつけてね~♪”

 

 …………。

 母親像が……。俺の母親像が……!

 でも弁当は素直に美味しかった。更新されかかった母親像が復活した。

 

「《カシュッ》……《ごくごく》」

「あ……あたし飲み物なかった」

「ん、飲むか?」

「いいの?」

「むしろ俺がいいのか? なんつーか、俺以外に好んでマッカン買ってるヤツを見たことがない」

 

 不思議だね。こんなに甘く、心にやさしいのに。

 

「あたしは結構慣れたけどね~♪ んくっ……んっ…………はぁ、えへへぇ、甘い~」

「その甘さがいいんだよ。世の中苦いことばっかだからな」

「でも言うほど甘すぎるってものじゃないよね」

「ほんとそれな。なんで甘い甘い言って飲もうとしないんだか」

「でもおべんとには合わなくない?」

「米にはちと合わんかもだな。パンには最高のお供なんだよ。金が無い時とか特に最強な。節約のために百なんぼの5枚入り角食パン買って、マッカンと一緒に食ったもんだ……」

「MAXコーヒーとパンが大体同じ値段なのに買うんだ……」

「本気で節約する時はパンと水だけどな」

 

 言いつつ手を合わせてごちそうさまを。

 洗って返そうと思ったら、“そう言うだろうからそのまま持ってきてね~”とママさんに言われてると言われ、あの人の先読みの強さを改めて実感。いや……なんつーか。随分と見てもらってたんだなって。やばい、ちょっと照れる。

 

「ん? なあ、お前って」

「むー……なーんかヒッキー、“お前”って言うの増えてない?」

「んぐ……ゆ、結衣」

「うん。えへへぇ」

「……結衣って、マッカン好きだったか?」

「あー……えとー……頑張った」

「頑張ったって、なにを」

「カロリーとか見て、うわーとか思ったけど……ヒッキー、美味しそうに飲んでたから。す、好きな人が飲んでる好きなものとか飲んでたら、気持ち、解るかなーって……」

「───」

 

 顔を赤くして、ほにゃりと照れ笑い。立てた膝の上で指と指をこねこねして恥ずかしそうにしている姿に、また惚れた。

 “気持ちが解るかな”。結衣はそう言った。

 それは多分……俺が結衣からも距離を取っていた頃からのことで…………う、うぁ、あ……!

 

(顔、熱ぃ……!)

 

 本当にずっと好きでいてくれた上に、捻くれ者で素直じゃない俺の気持ちを解ってくれようとしていたのだと思ったら、もう……なんかもう、こう……抱き締めて、強く抱き締めて、頭撫でたり抱きしめ直したりなんだり、とにかく無茶苦茶にしたい衝動が湧き上がる。やばい、ほんと好きすぎてやばい。

 

「……? ヒッキー?」

「~~~……」

「《ぐいがばっ!》ひゃうっ!? ひ、ひっきー?」

 

 我慢出来ませんした。てへっ☆ ……落ち着け俺、キモい。

 結衣を引っ張り、左肩に顔を埋めるように右手は後頭部に。左腕は背中に回して、湧き上がりすぎる衝動を抑えてゆく。……これでも抑えてるほうなんだよ。俺が本気出したらすごいよ? 散々愛でまくったあとに正気に戻って頭抱えてもだえ苦しむレベル。……俺が苦しむのかよ。

 結衣の腕が背中に回されて、口からなんか結衣が出したみたいな声が出た。自分から抱き締めといてなんなの俺。ひゃうとか俺が言ったってキモいだけだからね?

 

「………」

「《なでなで》………」

 

 特に交わす言葉はない。

 抱き締め、頭を撫で、この距離を幸福に感じる。

 結衣は俺の肩に顎を乗せるようにして、力を抜いていた。

 そんな、信頼しきっている脱力が、心に温かく染みこんでくる。

 ああ……俺、こいつのことが好きだ。

 俺がこんな感情を抱く日が来るなんて、思ってもみなかった。

 よしんば奇跡的に好きになってくれる誰かが居たとして、こんな感情は抱かなかったに違いない。

 自分の全てを懸けてでも幸せにしたい、大切にしたいなんて……そう思える人が存在するなんて、思わなかった。

 

(……結衣の言ってたこと、結構魅力的だったよな……)

 

 気にしたことがなかったわけがない。

 ガキの頃、それこそ惚れて惚れられたその日に告白していれば、その頃から両思いだった自分たち。

 俺がぼっちとしての精神を身につける前に、そんな関係の相手が居てくれたなら、俺は目も腐らせずに素直な自分のままで居られたのだろうか。

 まあ、そっちの道を歩いたとして、その俺がどれだけ世界の荒波に抗えたかは知らんけど。

 大体? ぼっち精神を手に入れなかった俺なんて生きていけんの? すぐに心折れていろいろ諦めちゃうんじゃない? 結衣とお前は釣り合わないとか言われたらあっさり別れるとか……あー、しそうだな。根性なさそうだ。メンタル弱そうだし。

 だめだな、ノーぼっちノーライフ。やはりまちがっていても、俺はぼっちであるべきだったのだろう。過去があるから今の俺だ。これからのことはこれからの俺が頑張りゃいいことだし? べつに気にすることでもねぇよ。

 

「結局、ぼっち最強な」

「え? いきなりどしたの?」

「なんでもない」

 

 ぼっちの経験がない自分を想像してみて、状況に流されっぱなしのもやしな自分が思い浮かんだ。

 顔立ちは整っていて目も腐ってない。が、主体性のかけらもない、空気ばかりを読もうとする風見鶏。そのくせその空気読みも上手くいかず、空回ってばかりの情けない男だ。

 俺は一人でなんでもやろうとしたから今の自分になれた。じゃあ一人でなんでもしようとしなかった自分が到る場所はなんだ? ……やべぇ想像したくない、あまりにも情けなすぎる。

 

(IFはIFだな。現在万歳)

 

 大体重要なのって生きている今であって、そりゃあ予想出来る未来のために準備をするのはいいことだけど、今を見失ってりゃ意味ねぇだろ。つまり現在万歳。

 ちなみに過去は振り返らない。トラウマしかないからな。

 んで、未来に懸ける情熱といえば……そりゃお前、アレだよ。ガラじゃねぇけどほら……け、結婚生活……とか? 金溜めまくって家買って、そこに結衣を迎え入れて……フヒッ《ビクゥッ!》うおっ!?

 

「………」

「ん……ヒッキー?」

 

 丁度フヒッと笑みがこぼれた時、特別棟入り口にあるガラス戸に映った自分が見えて、思わずびっくりしてしまった。

 いや……気持ち悪すぎでしょ、俺……。思わずキモすぎとか言わずに、気持ち悪すぎと丁寧に言ってしまった。

 やっぱ眼鏡程度じゃなにも変わらんて。きっと相模も、途中で俺のキモい笑みとか見て固まってただけなんじゃないか? さっきのあの時点で、ニヤつくようなことがあったかは忘れたけど。

 

「……あんま気にすんなよ」

「え? なにを?」

「俺のこと。教室でいろいろ訊かれてたんだろ? 噂がどうとか言ってたしな……」

「あー……うん」

「こんな目が腐ってて性根も腐ってるヤツが相手だって耳にすりゃ、そりゃ噂にもなるだろうしな」

「え?」

「悪いな、それでも俺はぼっちとして生きた日々を今さら悔やむことは───」

「ちょ、ちょっと待ってヒッキー! 待って待って!」

「あ? お、おう?」

 

 え、なに? なんなの? 俺なんかやらかした?

 結衣が人の言葉遮ってまで何かを言おうとするなんて珍しい。思わず“待て”をされた犬みたいにぴたりと停止してしまった。

 

「ねぇヒッキー? ヒッキーは噂とか聞いてる?」

「噂? ああ、影の薄いヒキタニくんが入学式に事故って筋肉さんがこむら返ったって話なら聞いた」

「なんか聞いたこともない噂が来た!?」

 

 びっくりしたらしい結衣が俺の腕から離れてまで目を見開いている。あ、離れた距離がちょっぴり寂し……いや寂しくねぇし。寂しくねぇから、自分から離れておいてしゅんとするんじゃありません。

 物欲しそうにこっちを見るのもやめなさい、あなたから離れたんでしょうが。

 いや、言っとくけどもうこっちからとかしないから。場の勢いもなしに抱き締めるとか、それこそ難度高すぎでしょ。《くいっ……きゅむ》……大体、結衣はいつも本能的に、というか感情に任せて動きすぎなんだ《なでなで……》……これを機に、少しは“一旦考えてから行動する癖”をつけたほうが───《さらりさらり……》。

 

「んんぅ……」

「《ビビクゥッ!》うおおうっ!?」

 

 え……え!? なに!? なにこれ! なんかいつの間にか結衣が俺の腕の中に……! しかもなんか頭撫でたり手櫛したりしてるよ俺!

 なにが……いったいなにが!?

 馬鹿な……まさかとは思うが、このぼっちとして鍛え上げられてきた比企谷八幡が、無意識に女性を求め、抱き締め、いとおしそうに女性の頭を撫でていた、とでも……いうのだろうか。

 言わなけりゃこんな状況になってませんねごめんなさい。

 

「………」

「…………《なでなで》」

「………」

「…………《なでなで》……、……」

「…………《すりっ》ひゃい!?」

「《びくっ!》……、…………」

「………」

「……《なでなで》」

「……《すり……すりすり》」

「…………」

「…………」

 

 無言で頭を撫でたり、急にすりすりされて変な声だしたり、その声に驚いたり。

 なんというか……もしかして、これって……ラヴコメチックな状況だったりする?

 

「ん、と……ね、ヒッキー……教室でしてた話ってね、そんな悪いことじゃないんだよ?」

「…………」

「ヒッキー、結衣はやさしいなとか思ってる? 言っとくけど嘘とかじゃないからね?」

「じゃなけりゃどんな噂だったってんだ。いい噂だけだったら、わざわざ相模が俺のところに来て鼻で笑う必要もなかっただろ」

「ヒッキー、聞いて」

「……おう」

 

 聞いてと言われれば聞く。思春期の男女ってのは自分の意見ばっかりを押し付けたがるもんだ。

 だからどちらかが相手に知ってほしい言葉が出たら、“聞いて”と言うことにしている。

 

「さがみんが来たのって昨日なんでしょ? あそこに居たみんながしてたのは今日の噂だよ。だから、ヒッキーが心配するような噂なんてなかったの」

「………」

「その噂も、ヒッキーがイメチェンしてかっこよくなったって噂だったし、嫌な噂なんて全然なかったの。動けないってメール飛ばしちゃったあたしが悪かったのかもだけど、それは信じて欲しいな……」

「結衣は信じる。が、噂は知らん。言うだけならどうとでも言えるだろ。ほれ、“結衣の前だから”。“結衣が俺にメールを飛ばしたから”。吐ける言い訳なんて、探せばいくらでもあるだろ」

「捻くれてるなぁ」

「大体、眼鏡かける程度で人の印象がそんな変わるかよ。眼鏡かけるだけでバレないご都合主義なんて現実世界にゃないんだよ。同じ髪型、同じ背丈や声なのに、魔法少女の正体がバレない原理ってほんと謎な。アレって結局ウケ狙ってるのか?」

「え? うーん……アニメのことは知んないけど……ってそうじゃなくて! とにかく! いい噂だからそんな尖んなくていいの! むしろあたし、ヒッキーがみんなに認められたみたいで嬉しかったし!」

「えー……? やだよめんどい。よしんばそんなことが本当に起こってたとしても、それで人から話しかけられるくらいなら人から逃げるよ俺……。それとな、俺の交友を増やすためにアレコレやろうとか考えてるなら、そんなものはやめろ。俺の世界は今のこの時点で完結していると言っていい。余計な視線なんて増やしたくもないし、結衣に割く時間を減らす予定もねぇよ」

「うぅ……なんか複雑……嬉しいけど素直に喜べないよそれ……」

 

 なにか企ててたのかよ。ほんとやめてよねそんなの。

 親切の押し売りで“面倒だ”を顔面に貼り付けたヤツに話振られるのって、ほんと面倒だから。

 大体なんだよ“話かけてやった”みたいなあの態度。望んでねぇっての。むしろぼっちは一人の時間LOVEだからほうっておいてほしいわ。

 

「……けどさ、えと。じゃあ、今はあたしに時間割いてくれてる……のかな」

「むしろ自分の時間と結衣との時間しかスケジュールにないまである」

「あはは、あるのかないのか解んないよ、それ」

 

 言うわりに嬉しそうに笑うのだ、なんつーか、ちょっとずるい。

 まあ、結衣との時間が無ければ今まで通りと変わらん俺なのだ、なんの問題もない。これから先、誰とどうなるかなんてものは解らないが、きっと友達も増えないし人との係わり合いもそうそうない。

 それでいいのだ。変わる必要があるのなら変わる。変わらない自分を目指したいつかは、ある程度自分を強くはしてくれたが、それだけじゃ目指せない場所があるのだ。

 だから今はこれでいい。

 大切にしたものをとことんまで大切にして、青春ってものを謳歌してみよう。

 婚約者も出来ましたし、やることも沢山だ。しかしぼっちはその沢山へ、自分が持てるすべての時間を注ぎ込めるのだ。最強じゃねぇのそれ。

 問題点があるとすれば、結衣が“ねぇちょっと聞いたー? 結衣ってばぼっちでキモい男と付き合ってるらしいよ~”とか言われることだ。ぼっちの何が悪いと言ってやりたいが、この世界ではどうしてかぼっちは劣等種として見られがちだ。気にしなければいいなんて俺の至言ではあるものの、結衣はそうはいかない。

 俺がぼっちな所為で結衣が馬鹿にされるのなら、俺もいつかは他人に時間を割くことを覚えなければいけないのだろう。

 

「………」

「《なでなでなでなで》んんーーー……!」

 

 まあ今は全力で結衣を愛でるだけだが。

 頭を撫でていると、顎をくすぐられた猫のように少し顔を持ち上げ、目を閉じうっとりとする結衣。あら可愛い。

 犬でも頭頂部をやさしく掻いたりすると、こうなる時がある。ソースはサブレ。……似たもの主従だなおい。

 サブレは車から守った時から、やたらと俺に懐いている。ひゃんひゃん鳴きながら尻尾振りまくりだし、俺に近づいてくるとまず最初に必ず腹を見せる。服従しすぎでしょ。でも結衣は威嚇する。近づくとウーって唸るし、抱き上げようとするともう暴れる暴れる。やっぱり序列とかいろいろとまちがってるんじゃないのん?

 思いつつも見つめた結衣の表情は、とろりととろけていた。可愛いというよりは、あー……その、なに? 言っちまうなら……エロい。

 そんな結衣が、俺の腕の中でもぞもぞと動いて「ひっきぃい……」と訴えかけてくる。

 

「お、おう……なんだ……?」

「ん……」

「───」

 

 腕の中で顔を真っ赤にした結衣が、俺を軽く見上げ、目を閉じる。

 途端、心の中のぼっちな僕がアイエエエエと絶叫。ガハマ!? ガハマナンデ!?

 

「お、おい……ここ、学校……」

「んっ」

「待てって、状況ってものをだな」

「んっ!」

 

 “んっ”、じゃなくて……あのな、よーく考えろ? こんな場面をもし某国語教師様に見られたら、俺がファーストブリットくらって正座で説教されて、結婚したいって泣かれるハメに……あれれー? おかしいなー。俺しか痛い目見てないぞぉー? 俺なんにも悪くないのにおっかしいなぁー。

 

「ぃやっ……ほら………な?《おろおろ……》」

「………っ」

「《くいっ》っ!?《びくぅっ!》」

 

 そわそわして周囲に人が居ないかを確認していると、シビレを切らしたのか結衣が俺の服を軽く引っ張って催促をしてくる。そして滅茶苦茶驚く俺。

 そりゃ、俺だってしたくないわけじゃなくてだな。しかしこういうのはきちんとその、なに? 公私混同……じゃないな、その、そう、学業が本分な学生といたしましては、不純ではないにしろ異性交遊の一端を校内でするわけにはいかないと思う次第でありまして。

 つまり何が言いたいかと言いますと……恥ずかしい。

 結衣ってこんな、ぐいぐい来るやつだったっけ? もっとこう、後ろをくっついてくる犬みたいなイメージで……そりゃ、人って変わるもんだし、俺も変わろうとしたから今の俺が居るわけだが……あれだな、おうあれだ。……変わった“女”って怖い。でも可愛い。

 

「………」

 

 右よし左よし───結局するのかよって言葉が胸に現れるも、仕方ないだろで片付ける。

 女からこんなアピールしてもらうなんて……恥ずかしい思いをさせてしまったに違いない。いや、そういうことよく知んねぇけど、漫画とかだとそういうことらしいから。

 だから、と。肩にそっと手を置いて、ぴくりと震える彼女にゆっくりと───近づく前に薄目の視線だけで周囲確認。

 すると少し離れた柱に隠れながらこちらを見る……一瞬だったが、間違い無く相模……を発見。

 ……わざわざ見に来てたのか───ってまさか結衣もこれに気づいて?

 

「………」

 

 しょりゃっ……そりゃ、外見がどーので俺への印象を変えようと頑張ってくりぇた結衣だし?

 出来りゅだけ願いは聞いてあぎゅたいっちゅうきゃ、デデデでモそれで人前でキシュッ……キスっていうのはレベル高いっていいましゅか難度高いって言いますか完成度高けーなおいって言いますか。完成度関係なかったよおい。てーか頭の中でも噛みまくりな、俺。

 でも、どうなんだ? 視線ばっか向けられてひそひそ噂されてる俺だぞ? そんな俺が相模の前でキスして、余計に結衣にヘンな噂が流れたりはしないのか? 進学校ってだけあって、目立つようなイジメはもちろんない。せいぜいで腫れ物には触らない、近寄らない、むしろ存在すら認識しない程度くらいのものしかないが、それだって人の意識次第でどうとでも変わる。

 俺は今さらそんなもの程度で折れたりしないし、その程度で済むならむしろ無視し続けてほしいまである。

 ……が、空気を読むことに長けている結衣に、その空気は辛い筈だ。俺は堪えられる。結衣はどうか解らない。さて、そんな状況に辿り着いたなら、起こす行動はどうなる? もちろん───

 

「…………《じとー》」

「ゥォッ……!?」

 

 気づけば、目の前で結衣が頬を膨らませたジト目で睨んでいた。

 ナンデ!? とは言わない。雰囲気的に流れを読んだのか、はたまた……いや、その。

 いえ違うんですよ? 約束させられたのに自己犠牲に走ろうとしたとかそーゆーんじゃなくてですね? や、当方もそういうやり方以外を考えてはみたのですが、所詮ぼっちに出来る最善最速解決方法なんて痛みになれたぼっちがそれらを全部掻き集めて終わらせる以外はないっつーか……。

 

「…………《じとー》」

 

 あの……。

 

「…………《じーーーとーーー……》」

 

 その……。

 

「……《ぷくー》」

 

 ……ゴメンナサイ。

 言葉に出さずに謝りつつも、そんな苦労さえ一緒に乗り越えようとしてくれる在り方に、正直感動した。相手が結衣以外だったら、それでも信じず否定に走っていただろうそれも、素直に受け取れた。

 だから、両肩に置いた手に力を軽く込めて、もはや躊躇もなく、顔を近づけた。

 すると結衣のふくれていた顔がふわっと綻び赤くなり、再び目は閉ざされた。

 ……やがて、触れる口と口。その途端に結衣が腕に力を込め、一層に俺に抱き付いてくる。口の密着部分は増えて、しかしそれもすぐに離れる。

 目を開けてみればとろりととろけた表情。あ、こらアカン。

 

「ま、待て《んちゅっ》むぶっ!?」

「ヒッキー……ひっきぃ、ひっきぃいい……んっ、んむっ……」

 

 ユイガハマ=サンが熱暴走を起こしました。システム、犬モードに移行します。いやそこは通常モードに移行しましょ? とか思っている内に降ってくるキスの雨。主人に飛びつき甘える犬のように、頬は舐めるわ唇は舐めるわ前傾になって遠慮なく近づいてくるわ、衝動を抑えるつもりもなくキスしてくるわ。

 危なかった。俺にプロぼっち経験がなかったらもう一発でオチて、襲ってるよ。勘違いどころじゃなくて、学校だってのに我慢もせずにあげなことそげなこと。

 しかしお生憎様だ。今の俺は三大欲求なんぞよりも結衣を守るために動く。

 視界の隅、赤くなってあわあわしていた相模がケータイを取り出し構えたのを見た瞬間、結衣を強引に離し───離っ……は、離れてちょっと結衣さん! さすがに写真撮られたりしたら言い逃れ出来ないから!

 

「~~っ……ふっ!」

「《ぐいっ》! や、やー! ヒッキー! ひっきぃい!!」

 

 それでも強引に離すと、つぅっ、と伸びる唾液の橋と、切なそうな、というかもう十分切ない声を出して、結衣の体が離れる。

 俺が押し退けた分だけ伸ばされた結衣の手が空回り、しかし押す肩からは手を離さず、わざと俯くように顔を下げ、眼鏡の隙間から睨むように“落ち着きなさい”と目で語る。

 すると、はっとして顔の赤を爆発させ、すとんと座って……ふしゅううう……と俯く。おお赤い赤い。

 こうなれば、ただのベストプレイスの石段に腰掛ける男女だ。

 ……あーよかったー……! ケータイのカメラの起動って無駄に時間かかるから、それがなかったらもう撮られちゃってたんじゃねぇの……!?

 

(はぁ……)

 

 さて。先日、一色からのメールについて話し合うことになったところまで、一度話を戻すが。

 言った通り、めっちゃ質問された。中々眠らせてくれないほどにされた。

 嫉妬っていうのもあったんだろうが、不安もあったのだろう。俺にしてみれば、俺なんぞが女からメールを貰えること自体が奇跡だってのに、なにをそんなに不安がるのか。

 メールから広がる愛がある。あー、あるんだろうねー、まちがっても俺にはないけどなー。

 ということを事細かに説明したんだが、潤ませた目と膨れた頬でじーっと睨む婚約者が居たわけですよ。だから折れた。ああ折れたね。いっそ最初っから折れていたまである。

 だから素直に訊くことにしたんだ。どうしたら納得するんだって。

 そしたら要求されたのがキスだったわけだ。ええはい俺もしたかったから躊躇は無しでした。だって見ている人も邪魔する人もおりませんしおいどんも男ですけぇ。誰だよ。

 で、そのキスでその……なんつーの? 嫉妬とか不安とかがなんらかの感情と一緒に爆発でもしたんかね。さっきみたく犬モードに移行して、舐めたり舌でつついたりキスしたりすりすりしたり、それこそ尻尾があったら思い切り振り続けてるくらいの愛が執行された。

 

  あまりの豹変に固まっていた俺氏、顔を蹂躙されるの巻。

 

 しかし、結衣が俺の体に跨ってきた時点で再起動。再びキスをされ、舌が触れた時点で押し退けたら……さっきみたいに「やっ、やー! やぁーーーっ! ヒッキー!」って泣きそうな顔で言われて、なんかもう押し退け切れませんでした。引き剥がすために伸ばしていた手を緩めてみれば、必死になって抱き付いてきてキスをされて、足まで絡めてきて離すものかと口内を蹂躙された。どうやら心の高揚が治まるまで抱き締めてキスしてあげないと、落ち着けないらしい。引き剥がす時もこう……なんつーの? 布団の上で子猫を持ち上げようとしたら、布団に爪立ててる所為でなかなか持ち上げられない時みたいなしぶとさもあったし。つまり中々離れない。

 あ、いや……断じて、誓って言うが、18歳未満お断りまでは行っていない。

 でもね、正直ね、あの泣いてる子供が親から無理矢理引き剥がされたみたいな、あんな顔で名前を呼ばれたらさ……逆らえねぇよ。無理だろあれ。自立型全自動最終兵器かなにかですか?

 あんなことがありゃ、すぐに眠れるわけがないでしょ。

 なのに結衣は泣きつかれた子供みたいにさっさと寝るし。なんなの? 俺の睡眠時間奪っておいてあっさり寝るなんて。文字通り奪っちゃったの? 返しなさいよ私の眠気。いやもう夜まで寝るつもりはないけどね?

 

(……結論)

 

 この子、どんだけ俺のこと好きなの。

 ここまで全力で好かれてちゃ、疑う方がアホで馬鹿で間抜けだろ。

 あぁほら、浮気でもしようものならこう、包丁とか出てくるレベル…………でもないか。

 むしろあれだな。浮気したら……いやするつもりなんててんでねぇけど、ほら、こう……涙をいっぱいこぼしながら無理矢理笑顔作って、“えへへ……だ、だめな……っ……お嫁さん、で……ひっく……ごめんね……っ……”って───ァアアアアアア罪悪感ひどい! なにこれひどい! 想像するんじゃなかった! ひどい!

 浮気をしたわけでもないのに想像だけで頭抱えて後悔するレベルじゃねぇか! 死にたい辛い懺悔したい!

 だがこのぼっち経験者は立ち向かいましょう。

 どれだけの葛藤があろうが、なによりも相手の幸福を優先させる。

 

「………」

「っ!?《びくっ》」

 

 座ったままじろりと後ろへ振り向いてみれば、丁度相模が持ったケータイのレンズ越しに目が合う。……まあただそっちを見ただけであり、目が合ったかは解らん。ただつまり、相模はカメラを起動し構えていた。

 進学校とはいえ、いや……進学校だからこそ、不純異性交遊がどーたらとか面倒なことが起こりやすい。

 人気の無いところでの男女の付き合い=いかがわしいこと、なんて誰でも考えそうなことだ。

 だから写真なんていうものは残させない。ただ相手が気に入らない、自分より先に幸せになるのが気に入らない、なんてゲスな考えを肯定してやるわけにはいかない。

 相手は一時の優越感のために誰かの青春をぶち壊す。そのあとのことなんてちっとも考えずだ。

 もちろんそれは、青春をぶち壊されたやつらが時と場所を弁えておけばよかったってだけの話だろう。

 だが果たして、弁えた場所でそういった行為をしていたとして、相手はそれを写真に撮り、曝さずにいられたか?

 ───答えは否だ。

 つまりそこに社会常識としての正義などなく、自分勝手な悪があっただけのこと。

 俺もよくリア充爆発しろなんて思っていたもんだが、途中からそれもおめでとさんに変わった。

 隣に誰かが居たからではない。本当に祝うつもりだって微塵にもありゃしない。

 だが、そいつらとて苦労してその青春を手に入れた筈なのだ。そんな苦労を、見ていなかったからといって頭から否定して、あまつさえ爆発しろなんて吐き捨てていいとは思えなくなった。それだけのことだ。

 

「………」

「~~~……ふんっ!」

 

 お前も目を覚ませ。人の足引っ張ってる暇があるなら、その止まってる足で先に進め。

 そんな思いを込めて睨んでいたら、相模は鼻を鳴らすように吐き捨て、踵を返して去って行った。

 その声に結衣も振り向いて───

 

「え……───え? うひぃえぇええっ!? さがみん!? 居たの!? えっ、えっ!? あたっ、あたしっ……!?」

「へ?」

 

 おい。……おい。───いやおい、結衣さん? 由比ヶ浜さん? アータ全部解っててやってたわけじゃ?

 ア、アー……そうだったねー、アータにそんな計算高いこととか出来るわけなかったねー。いろいろな感動を返しなさいよこのやろう。

 

「はぁ……」

 

 溜め息。のちに苦笑。とりあえずどうしてくれようこの残念感。

 ……あれだな。顔を羞恥で真っ赤にした婚約者をつつきまくることで、解消でもしようか。

 あと校内での犬化禁止。これ絶対ね。


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