どこにでもあるようなガハマさんとヒッキーのお話 作:凍傷(ぜろくろ)
さて、そんなこんなで学校も終わり───
「…………《にこー》」
「…………」
バイト、なわけだが。なに? なんでここ居んのこのワンちゃんたら。しかも俺と同じ店のエプロンつけて。
「ああ比企谷くん、紹介するね。この子、新しく働いてもらうことになった由比ヶ浜結衣さん」
アイエッ……アイエェエエエッ!!? ガハマ!? ガハマナンデ!?
いやほんとなにやってんの!? 店長もなに採用しちゃってるの!? むしろいつの間に面接とかしたの!?
「いやぁ、丁度長澤くんがやめるところにこの子が入ってくれてね。元気もいいし、急募ってことで採用しちゃったんだ」
え? なに? 長澤くんやめちゃったの? なにが気に入らなかったの? もしかしてあの時名前呼んでもらえなかったことに拗ねちゃったの? どんだけメンタル弱いの、いや嘘だけど。
「他のバイトくんたちにはもう紹介は済ませたから、比企谷くん、いろいろと教えてあげてね」
「え……あ、……っす」
思わず軽くお辞儀して受け入れてしまう。やめて、その“人付き合いが苦手なあの子にいいことしてあげたぞぉぅ”みたいな顔。
相手が結衣じゃなかったら今すぐ店辞めてるところだよ。
などと口に出せる筈もなく、店長は行ってしまった。
「……ナニヤッテンノ、オマエ」
「わーはー……すっごい棒読みだー……。や、やーほらー、あたしもそろそろお金欲しいかなーとか思ってたし、前のバイト辞めちゃったからー……ね?」
「……正直に言え。じゃないとキス禁止」
「うわはぁんやめてよぉ! だだだってひとりにすると不安だったんだもん!」
「なに言ってんのお前……他のモッテモテリア充ならいざ知らず、俺がそんな、お前以外に言い寄られるとかあるわけねぇだろ。よしんばあったとして、そいつがどんだけ可愛かろうが美人だろうが、なびく以前に信じるかよ」
「うわー……なんか恋人としては安心出来る言葉な筈なのに、いろいろ最低だー……。ヒッキー、たまには人を信じなきゃだめだよ……?」
おい、たまにでいいのかよ。
「あー……まあ話はまたあとでな。今は仕事すっぞ」
「あ、うん。お願いしますねー、せ~んぱいっ♪」
「……お前、ごほんっ。結衣、まさか一色の先輩って言葉にうずうずしたからとか、そんな理由で入ったわけじゃないよな?《じろり》」
「…………《ひょい》」
「おい、そこで目を逸らすなよ」
なんとも不安だらけな婚約者様だった。
大体なにをそんな不安に思うことがあるのか。
そりゃな、顔立ちは整ってはいる。ナルシストになりたいわけじゃないが、悪くはないとは思っている。
だが、目がすべてを駄目にしている自覚なんざ、とうの昔にしている。
それが理由で人のほぼは離れていったし、俺がぼっちであった過去こそがその証明になっている。
今さら何がどうなろうがその過去が変わるわけでもない。変わらないなら俺も変わらない。
現在の歩き方でこれからがどう変わるのかは正直わからんが、ぼっちとして生きて、そこから得た知識も経験もまちがいなく俺を作り上げたものだ。
そんな俺が結衣以外に好かれる? ないだろ。ないよな。ないわな。ほらないだろう。
まあ、そういうわけだ。こいつの心配なんて本当に空回りするためだけにある。
それがなんで解らないかね。こいつめ。
「《つんつんつん》ひゃっ、えっ? な、なにっ? やめてよヒッキー、なんでつつくのっ?」
やかましい。信じてる相手に浮気を疑われるとか、どんだけショックだと思ってんだ。
こちとらお前以外に心底信じてるヤツなんて居ないってのに。
「………」
それともあれか。まだアピールが足らんのだろうか。
これでもかなりぐいぐい行ってるつもりなんだが……鈍感系主人公相手に頑張るヒロインが神に見えるね。尊敬するわ。
つかこれ、俺の立ち位置完全に主人公の気を引こうとするヒロインじゃねーかよ。普通逆なんじゃないのん?
……いや、いやいやいや。俺がヒロインとか、カッコをつけて真ん中に笑を置くね。こんな捻くれたやつがヒロインの物語なんて、誰が見るんだよ。
そうそう、大体俺がやってることなんてヒロインとは真逆もいいとこだろ。
ほら、家族のメシ作ったり妹の弁当作ったり、洗濯掃除もして学校には真面目に行って、頭も良ければ苦手な数学にも挑んで、婚約者最優先でそいつにしか見せない表情をいっぱい持ってて、解らないことは丁寧に教えたり一緒に頑張ったりして、お願いされても嫌そうにしながらも結局やってあげたりとか、何かに誘われればドキドキして………………あれ? …………あれ?
(…………うわっ、私のヒロイン力、高すぎ?)
想像以上にヒロインしてた。やだ困る。
「ほれ、とりあえず整理からな。こっちが今日入荷した分。在庫確認もしたりするが、それは基本終了間際だ。大体はレジ打ちな」
「あれ? そうなの? あたしてっきり本の整理とか新しい本を入れるとか、あのーなんだっけ? よくあるじゃん、かわいい文字で書かれた紙。あれとか作るんだと思ってた」
「POPな。まあ時間が取れたら作る程度だ。ここはまあそこまで大きくもないからいろいろ時間を回せるけど、それでも基本はレジ打ちだ。……結衣、お前、いくら成績が悪くてもレジ打ちとかはできるよな?」
「ちょっ、ヒッキー馬鹿にしすぎだし! あたしこれでもレストランとかカフェでもバイトしてたことあるんだからっ!」
「いや……そういうのやってんならもうちょい続けろよ……バイト始められるようになってからまだそう経ってねぇだろ……ある意味この短期間で二つも経験あるとか、逆に驚きだわ」
「……だってお客さんがさ? やらしー目で見てくるし」
「やめて正解だなよくやめたやめてなかったら俺がやめさせてたところだなにやってんだお前もっと自分を大切にしろよ」
「なんかあたしより必死だ!?」
「ん、ごほっ! ……ま、まあなに? とにかく説明していくから、解らんことあったら訊いてくれ。絶対に独断で動くな。いいか、訊くんだぞ」
「ヒッキー、さすがに心配しすぎだから……」
いやべつにほら、あれだよ、確認もせずこうすればいいとか強引にやられて仕事が増えるのが面倒だとかそーゆーんじゃないぞ? いやほんと。
ともあれ仕事だ。結衣には傍についていてもらい、なにをどうすればいいのかを説明しながら行動。結衣は仕事というカテゴリならきっちりと要領よく出来るらしく、そこのところはある意味で俺よりも才能がある。これがどうして勉強になった途端にああなるのか。
まあいい。そこんところも合わせての結衣だ。過去があっての俺と同様、あれだからいい。
とはいえあんまりにも成績がよろしくないと、大学で確実に離れるしな……なんとか底上げを図ろう。
なんて企てていると、あるニタニタした二人組みの男性客の声が、耳に届いた。
「…………なぁなぁ、あの娘、見ねぇ顔じゃね?」
「あン? ……うおっ、超ストライク……! 胸でっけぇ~~……! お、俺声かけてみようかな……!」
「え、じゃあ店終わるまで待つ? 待っちゃう?」
「フッヒッヒ……! 待っちゃいますか……!」
「───《ビキッ》」
あらやだ、八幡ちょっと脳内でなにかが割れた音がしちゃった。
落ち着くためにちょっとだけ大きな声を出してみようか。まあ書店だから声はよく通るんだけど。
「結衣、今日も泊まってくか?」
「え? いいのっ?」
「ああいいぞ。昨日と同じで一緒の布団でも構わんし、なんだったら結衣が満足するまでキスしてくれてもいい」
「あ…………《ほわぁ……》……う、うん……ひっきぃ……」
やあ、ついうっかり大きな声が出ちゃった。てへっ☆
俺の言葉に柔らかく微笑む結衣の頭を撫でると、目を細めて頭を押し付けてくる。おお犬だ。
「……そりゃ、あんな可愛い子、普通ほっとかねぇよな……」
「いいなぁあの眼鏡男……俺もあんな彼女欲しいわ……」
……とぼとぼと男二人が去ってゆく。よしそれでいい。誰であろうと結衣は渡さん。代わりに素敵な国語教師を紹介しましょうか? ……いや、ないわ。あの人には幸せになってもらいたい。
「……ありがとね、ヒッキー」
「おー……? なにがだ?」
「さっきの人たち。……ほら、昨日言ったよね、女の子って視線に敏感だって。……ああいうのがあるから働きづらくってさ……だから嬉しかった。ありがとね、ヒッキー」
「……まあ、気にすんな、ってのは無理か。俺が気に入らなかっただけだから、感謝とかは別にいらんぞ」
「それでも、だよ、ヒッキー」
「…………《ぽりぽり》……おう」
感謝を受け取らないといつまでも続きそうな気がしたから、受け取ることにした。
するとにこーと笑って、すすっと傍に寄ってくるとせんぱいせんぱい言ってくる。ちょ、やめろ、集中できないでしょうが。
「……っと、客だ。ほら結衣、シャキっとしろ」
「わわ、うんっ」
しゃきっとする。こう、背筋を伸ばすみたいに。……しかし入ってきた客を見て、俺は盛大にため息。
「あ、せんぱーいっ♪」
手をふりふりしつつこちらへ来る女。
名を、一色いろはといった。
「お前なに昨日の今日でここ来てんの……? 連続で発売するもんでもあったの……? なら今日来てまとめ買いしろよ……」
「えー? だってほらぁ、よくあるじゃないですかー。昨日探しても無かったものが翌日には入荷してたーって感じのー」
「ねぇよ帰れ」
「なんでですかー! せっかくこんな可愛い後輩が買い物に来たんですから、もうちょっと持てなしてくださいよー!」
「ああじゃあ今飲み物淹れるわ。水道水でいいか?」
「それこそそこはいろはすにしましょう!?」
「やだよ。なんで俺がお前のために5円以上金出さなきゃなんねーの」
「わたし5円チョコと同等の扱いですか……」
「今ではマッ缶も500mlペットボトルで88円の時代だからな。つかお前5円チョコなんて知ってんの?」
「バレンタインに配布する義理チョコで悩んでる時に見つけました」
「お前……せめてそこはチロルだろ……」
「払う金額くらい考えてくださいよー……義理の代金だけできっと、本命があったとしてもその金額越えてますよー……?」
「まあ、そりゃそうだ」
「それだけ配っても、結局はほら、こうしてぼっちなわけですし。割りに合いませんよね、ほんと……」
「ぼっちであることを認めたか……成長したな、一色」
「はいっ、げぼっ……友達なんて高校で作ればいーんですからっ」
「きみさ、今ナチュラルに下僕とか言いかけなかった? ねぇ、言ったよね? 下僕って言おうとしたよね? ねぇ」
「やだなぁ気の所為ですよー、き・の・せ・いっ♪《パチッ♪》」
「あーはいはいあざといあざとい」
「だからこれは素だって言ってるじゃないですかー!」
来て早々に元気な一色……を前に、結衣は困惑。
そりゃそうだ、いきなりやってきて、客だと思ってたら急に俺に話しかけてくるんだ。不思議に思っても仕方ない。
「ね、ねぇ……ヒッキー……? この子……」
「んお? ああ、こいつが例のアレだ」
「え、あの先輩? 誰ですかこの人。ていうか例のアレよばわりとか普通にありえないです人のことどんな風に話したんですかありえないですごめんなさい」
「振っても構わんがせめて話を聞いてからにしろっての馬鹿」
「あ、あー! この子があのいろはちゃん!」
「? あの先輩、この人は?」
「昨日言った婚約者だ」
「え───…………へぇ~~~~っ!! あれ嘘じゃなかったんですかぁ!」
「ばっかお前なんで俺が仮にも客に対して嘘をつく必要があんだよ。責任事で嘘はつかねーよ。逆に普段ならすべての言動が嘘である可能があるまであ───」
「あ、どうもです~、一色いろはといいます~♪ 先輩には危ないところを助けていただいて~」
「いや聞けよ。つかべつにそんな出会いじゃなかったろうが」
「先輩うっさいです。今わたしこのフィアンセさんと話してるんです邪魔しないでくださいうっさいです」
「なんで今うっさい二回言ったんだよ。大事だったの? 強調するほど大事なことだったの?」
「ヒッキー? ちょっと静かにしてて」
「………」
なんて可哀想な僕。
べつにいーけどな。んじゃ、まあ仕事でもしてますか。積もる話があるかどうかは置いといて、女の話ってのは長いもんだと相場が決まってるからな。
長澤くんが居なくなった分、ちぃっとばっかり張り切ってみるかね。
……うへぇーーーぇぇえ……ガラじゃねぇ……。
……。
本屋あるあるだが、こういう店ってのは客が来ない時はとんと来ない。
お陰で結衣と一色が大盛り上がりだ。俺なんていくつかPOP作っちゃったし。
つか、店長なにやってんですかね……いいの? この場に居なくていいの? そこまで大きくないとはいえ、店がもう貸切状態の雑談室みたいになっちゃってるよ?
(お……これの新刊、今日発売だったのか。帰りに買っていこう)
軽く掃除をしてると、集めているラノベの新刊を発見。しかしもっとこう、みんなに手にとってもらいたいもんだ。
せっかく面白いんだから、多くの人に知ってもらいたい。
……勝手に専用スペースとか作ったら怒られるかしら。……デカいPOPで“今イチオシの熱いラノベ!”とか書いちゃおうかしらん?
怒られる未来しか浮かばないな、やめよう。
(お、客)
店に入って、目当てのものだけ取って、すぐ会計に来る客。
いいね、八幡そういうの嫌いじゃないよ。
「あざっしたー」
レジを打って送り出す。さて、んじゃあ次は───
……。
バイトの時間も終わり、結衣と一緒に帰り支度をすると店の外へ。
そこへ、待っていた一色が合流して歩き出す。
「本屋さんのバイトって案外楽だったねー」
「そりゃお前はず~っと一色と話してただけだからな」
「え? でもお客こなかったじゃん」
「来たよ。お前どんだけ話に夢中になってたの? 俺なんかもうめっちゃレジ打ちとか整理してたし」
「あはは、ヒッキーうそばっかり!」
「いえあのー……結衣先輩? 先輩の言うとおり、お客さん結構来てましたけど……」
「え、うそ」
「バイト始めて翌日でクビになんなきゃいいけどな」
「ヒッキーどうして教えてくれなかったの!?」
「俺はお前のかーちゃんかよ……お前のそれ、朝寝坊して勝手に親の所為にする子供じゃねーか」
「あう……だって……」
ていうかなに? いつの間に結衣先輩とか呼ばれる仲になったの? むしろなんで自然と一色と一緒に帰る流れになってるの?
物凄い順応能力だな、俺には一生かかっても会得出来ないものだろう。
頑張れば出来るのかもしれないが、そもそもその気がないから無理。ぼっち万歳。理解者なんて一人居ればそれでいい。
「ところでせんぱ~い?」
「呼んでるぞ先輩」
「え? あたし?」
「なに言ってるんですかー、先輩っていったら先輩ですよぉ」
「呼ばれてるぞ先輩」
「え、え? ヒッキーのことだよね?」
「ばっかお前、俺なんかが人に先輩とか言われるほど人望あるわけないだろうが」
「じゃあ……ぼっち先輩」
「…………なんだよ」
「うわ、そっちでは返事するんですかちょっと引きます……」
言葉通り距離を取られた。まあ無視して進んだが。
「なぁんで置いていくんですかー!」
しかし回り込まれた。
「いやいいだろもう……俺の中じゃ一色、お前って自然の王者なんだよ……そこらに置いていってもなんの心配もないレベルのな。だからもう森へ帰れ。俺達は家に帰るから」
「ひどいですよせんぱぁい、こんな可愛い子を捕まえて自然の王者だなんてー《うるりっ……》」
「やめろあざとい服掴むな」
「…………あの、結衣先輩? この人どうやってオトしたんですか? 難攻不落どころか傾きもしないなんて、ちょっと女の子として自信なくしちゃいそうなんですけど……」
「うーん……疑わずに信じること、かなぁ。ヒッキーはね、ちゃんと見てるといろいろと解るところがあるんだよ? 難しそうに見えて、結構単純なんだし」
「おい、誰が単純だ。お前にだけは言われたくねぇよ」
「話しかければちゃんと返事してくれるし。あ、ねぇヒッキー、あとで相談があるんだけど」
「内容にも寄るが……まあ、聞くだけならタダだしな。勉強終わってからな」
「ほら、面倒だ~とは思ってもなんだかんだで付き合ってくれるし。……ね、ヒッキー、キスしていい?」
「フォァッ!? いやばばばなに言ってんのお前ここここんな天下の往来でするわけねーだろばばばばっかじゃねーのばっかじゃねーの」
「こういう話にはすぐに真っ赤になるし」
「……うわー、ほんとですねー。なんだ、深読みなんかしないで、素直にそのままを見ればよかったんですねー。それこそ“単純”に」
「ぐっ……は、はんっ、そういうお前もかなり解りやすいけどな。あざとさになびかなかったら、どれだけ容姿がよかろうと惑わされたりもしねぇし」
そうだ、一度冷静になっちまえば、いつだって冷静な自分を思い出せる。
大丈夫、俺が結衣以外の相手に動揺するなんてある筈がない。
…………。逆に言えば結衣以外と交流がねぇよ俺……。
戸塚とも、結衣と一緒に昼を過ごしたり帰るようになってからは……え? 材木座? 知らない子ですね。
「あー、そういうこと言っちゃうんですか。だったら今すぐドキッとさせちゃうんですからね」
「ウワー、どきっとしちゃっター」
「まだ何もやってないんだから茶化さないでください」
「へいへい……」
「どきっと…………ヒッキー、あたしもやってみていい?」
「おいやめろ、必要ない。お前が料理を作る姿を想像しただけで、俺は常にドキドキできるから」
「なんか全然嬉しくない側のドキドキだ!? ヒッキーひどい! それ酷すぎだからぁ!」
「え……あの、せんぱい? 結衣先輩、料理とかダメなんですか……?」
地味にショックを受けている結衣をよそに、こそっと一色が訊ねてくる。
ダメ? ダメっつーか……。
「そうだな、一色。真剣にレシピ通りにクッキーを作ろうとして、何故かジョイフル本田で売られてるような木炭が完成するのをどう思う?」
「結衣先輩ごめんなさい……《ぺこり》」
「なんでか真剣に謝られてるし! ヒッキーのばか! いろはちゃんにヘンなこと教えこまないでよ!」
「なぁ結衣…………。そろそろ……そろそろさ……。味見くらい……してみるべきだと思うんだ…………」
「え? で、でもさー、えと、ほらー、作ったものは一番に食べてもらいたいなーって思うし……ね? ヒッキー」
親父や親父さん、妹とは、波風立てないように……あくまでパッと見、普通のように過ごしてきた。事故るまでの間は特にだけどな。事故ってからはそりゃあ家事はしたが、関わろうとはしなかったから相手側の気持ちなんて知らん。
だが、まあそれ故にこいつが作る料理の腕前とかは多少は知っている……ほうだとは思う。だがあれはない。どうしてクッキーのレシピで木炭が出来るんだよ。もうそれレシピっていうか錬金とか秘術の類なんじゃねーの?
「まあ、直せないわけじゃないんだけどな」
「え……ほんと!? ほんとヒッキー!」
「ああ、ほんとだ。なんならこれからうちで晩飯でも作るか? どうせ途中のスーパーで材料買ってかにゃならんし。あ、一色、卵買うから手伝ってくれねぇか、お一人様1パックまでなんだよ」
「うわぁ……先輩主夫してますね……」
「自分で出来ることは自分でって決めてるからな。だが卵の数はどうしようもない。あとその“うわぁ”は常に安値と戦っている主婦のみなさんを敵に回す発言と知れ。スーパーの中とかで迂闊に呟くとほんと針の筵になるからな。ソースは俺」
「ヒッキー自分でやっちゃったんだ!?」
「あの時はまじで生きてる心地がしなかったわ……あとタイムセールが始まった時のおばさまとかな。今すぐラグビー部でレギュラー入り果たせるほどのタックル力あるから」
何気なく近づいて巻き込まれて、床に倒れた時は本気で殺されると思った。いくらぼっちでも、存在感がなくても、倒れた人間を踏むおばさまは居ねぇだろとかタカを括った自分に腹が立つほど怖かった。
専業主夫になりたい男に届けてやりたい言葉があるが、楽なイメージだけ思い浮かべてナメてるとほんと死ぬ。アレやばい。
「ま、アレだよ。どんな仕事だろうと楽なイメージだけで近づくと後悔するってやつな。相応に面倒なことも起こるから、ほんと性質悪ぃ。一色ももし結婚とかするなら、ちゃんと身の丈に合った目標持ってる男を選べ。ほんと、これ重要だから。“夢を追ってる男ってステキ!”とか、その夢ごと自分が潰れる覚悟くらい持たないと絶対続かねぇし、なにより若い自分を無駄に殺すことになるからな」
青春大事。超大事。長年付き合って別れることになったやつが“青春を返せ”って言う理由ってそれだわ。時間を無駄にしたってやつな。
「そうですねー、でも同年代なんて今こそをその青春で埋めていってる人じゃないですかー。逆に自立出来ている人がすごいんですよ。それに《チャラララララー》わっ!?」
話している最中、一色の鞄から音楽。恐らくケータイだろう。
案の定そうだったらしく、鞄の横ポケットから随分と可愛らしいケータイを取ると、カチカチと操作したのち……たはーと溜め息。
そして苦笑混じりの顔でこちらを見ると、
「あ、あのー……卵を買うのは別に構わないんですけど、その料理……わたしも混ぜてもらっていいでしょうか……。両親が帰ってこれないらしくて……」
と、言ったのだった。
おまけに、さっきの“ドキっとさせる宣言”も狙っているのか、ちょこっとウル目で上目遣い。俺の服を小さくきゅっと摘んでの、小動物のような訴えかけがそこにはあった。
「あ? やだよ」
「ひどくないですか!?」
が、甘ぇよ。小説とかだと場面転換してキッチンに場面が移ってるような場所だったろうが、断る時は断るぞ俺は。
「ちょ、お願いしますよー。うちの近く、最近変質者が出て、しかもまだ捕まってないんです……そんなところでわたしに一人で一夜を過ごせっていうんですかー?」
「知り合ったばっかの中学生を家に連れ込むほうがリスク高ぇよ。はい論破。帰れ」
「うわぁ……無駄に説得力あるから性質悪すぎですよ先輩……あ、じゃあ結衣先輩は───」
「そういう理由なら仕方ないし、いいよ、いろはちゃん」
「ほんとですかっ、ありがとうです結衣先輩っ! どっかの顔だけの人とは大違いでポイント高いです!」
「ほーん? んじゃ結衣、今日は自分の部屋でゆっくり休んでくれな」
「え?」
「え?」
「あ? なに」
きょとんと停止した結衣を一色がきょとんと見つめ、結衣は俺を見て停止したまま。
やだ、なにこのトライアングル。まあ俺は無視して歩いてるけど。
「え、ヒッキー、“今日も泊まっていい”ってさっき……ま、満足するまで……その、アレしてもいいって……」
「しょうがねぇだろ、自分頼って家に来るやつほったらかしにして俺のところに来るのか?」
「それは、だけど……あ、だ、だったらほらっ、三人でヒッキーの部屋に」
「お前な、んじゃあ訊くが、もし自分の部屋に、彼氏……まあ俺だが、俺以外の男が一緒に泊まることになって、安心して夜明かせるか?」
「や、やだ!」
「おー、そういうことだよ。んじゃ買い物いくわ《グイッ!》ゲェッフ!?」
スーパーが見えてきたから一足お先と歩いたら、思い切り襟を引っ張られた。こういう時の女子ってなんでこんな力強いんだよ。……あ、そもそもこんなのやられたの初めてだった。
振り向けば悲しそうな、それでいて主人に構いまくってほしそうな犬っぽいガハマさん。
「げほっ……おい、もういいだろ……」
「じゃ、じゃああたしの部屋、いろはちゃんに貸すとか!」
「親父さんが絶叫するからやめろ。仕事終わらせてやっと帰ってきたら愛する娘が寝てて、額におやすみのちゅーでもかましてやるかとやってみたら知らない中学生でしたとか、もう逮捕レベルだろ」
「それはわたしが嫌ですよ先輩!」
「それか親父さんが扉開けたら一色が着替えてて通報されるとかな。自宅なのに通報されるとかさすがの俺でも同情するわ」
「う、うー、うー……! ヒッキーキモい! まじキモい! なんでさっきから否定的なことばっかなの!?」
「人を泊めるっつぅリスクってのを少しは考えろって言ってんだよ」
「あ、じゃあこうしましょう先輩。わたしが先輩の部屋を使って、先輩が結衣先輩と同じお部屋で……」
「やだよ他人に部屋を貸すとか」
「翌日、布団にいい匂いが残ってるかもですよー?」
「……あ、結構です。どうしてもっつーなら今日の買い物でファブリーズ買って、結衣が親父さんにやってるみたいに存在していた場所に振り掛けるぞマジで」
「結衣先輩ひどいです!」
「ええっ!? あたしが悪いんだ!?」
しょーもない話をしながら買い物をした。
途中、突然のタイムセールコールとともに巨漢とも取れるおばさまたちの疾駆に一色が巻き込まれ、泣いたのはまあ別の話にしといたほうがいいだろう。