どこにでもあるようなガハマさんとヒッキーのお話   作:凍傷(ぜろくろ)

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確認するまでもなく、由比ヶ浜結衣の頭は残念である

 

 

 結局何故か結衣に押し切られるかたちで、一色が我が家のキッチンへと来てしまった。

 いや……なんでお前が許しちゃってるの? 俺なんか、もし誰かの家に連れていかれでもしたら、気色悪くて“逃げ出す”しか選択肢が無くなるぞ?

 まぁ卵の礼もあるから、一色がひとつ言うことを聞くってことで納得したが。

 ……? いや、いやらしいことでも考えてんですかとか言われたが、きっぱり貴様なんぞに興味はないって言ってやったって。

 

「まったくほんとひどい先輩ですよねー。わたしの価値って卵ひとパック以下ですかー?」

「いつまで同じこと言ってんだよお前……あと無理に頬膨らませるなよ。変な声になってるしあざといっての」

「……結衣先輩───あなたが神か」

「ふえぇっ!? いきなりなにっ!?」

「どーすればあの先輩が人を好きになったりするんですか! あまつさえ婚約って! どれだけ大切に思われてんですか!」

「そだなー……俺にとって一色が卵1パックだとしたら、結衣は俺の“頑張る理由”だな」

「その喩えほんと冗談でもやめてくださいなんですか卵1パックって“そうなんですかー”って納得しかけたじゃないですかひどいです」

「………《ごそり》」

「無言でファブリーズ構えないでください! なんでほんとに買ってるんですか泣きますよ!?」

 

 会って二日の中学生を家に泊めるとか正気かよ……。

 この場合、もう“会って”っつーか“遭って”じゃねぇかよ。モンスターと遭遇したみたいな気分だよ。

 

「ていうか先輩、眼鏡取るとすごいですね……目が腐ってるっていうか。一瞬誰か解りませんでしたよ」

「お前ほんと遠慮ないな……ま、料理の油とかで汚すのは嫌なんでな。つか、眼鏡つけるかどうかでそんな人が変わってたまるかよ。もう聞き飽きたよそれ」

「……あの、結衣先輩? これ本人気づいてないんですか?」

「うん……何度も言ってるんだけどね……。あの目のことで今まで散々言われてきたから、自分はそういうものだって信じ切っちゃってるみたいで……」

「……振り向かせるの、苦労したでしょう、確実に」

「小学校の頃が初恋で、そのままず~っとかな。振り向いてくれたのが……つい最近」

「なんかもうほんと凄いですね結衣先輩。そうですよねー、それほど粘ってようやくオトせる相手ですよねー」

 

 ……なんなのキミタチ、人のことオトすだのオトさないだの。断片的にしか聞こえなかったけど、もしかして料理で俺を気絶させようとか考えてるのん?

 

「それでヒッキー、まずなに作るの?《オジャー》」

「お前はまずエプロンをつけて袖をまくろうな。手を洗うのはそれからだ」

「え? あ、やーほら、やっぱり外から戻ったら手を洗わなきゃだしー……」

「さっき洗わせただろうが。ほれ、とりあえず後ろ向け。《バサッ、シュッ、キュッ》エプロンおっけ。ほら腕出せ」

「え、う、うん……あっ、ヒッキー、自分で出来るったらっ《くるくるくる》あ、あー……うぅ」

「ほれ、袖もOKだ」

「~~…………《かぁあ……》」

「あの……結衣先輩? これって天然ですか? ただ普通に自然の流れでやってることなんですか? どんだけ結衣先輩には気を使ってるんですか先輩」

「あ? なに言ってんのお前」

「だって、手が濡れてるからってエプロンつけてあげたり、袖まくってあげたりとか……」

「?」

 

 言われて、結衣を見る。濡れた手のままポーっと赤くなっていて、視線だけは俺をずうっと追っている。

 ……自然とやってたな、俺。まああれだ、これもまたもしかしたらのお兄ちゃんスキルかなんかだろ。つか俺、妹に幻想持ちすぎな。小町もこんな兄なら迷惑だろ。

 まあ、迷惑以前にろくな会話もないけどな。俺も会話を望んでないし。話かけられれば返す程度だ。一色と同じな。

 

「べつにいつもと変わらんだろ」

「まじですか……結衣先輩愛されすぎてますね……」

「も、もうヒッキー! 恥ずかしいじゃん!」

「ならまあそう思う前に準備くらいはしような。ほれ、始めるぞ」

「……なんかヒッキー、あしらい方がママみたい……」

 

 うるせ。

 ともあれ料理。結衣に料理をやらせる=地獄の宴なわけだが、そもそも“レシピを渡してはいガンバ♪”だからいけないのだ。

 こういうタイプはまず“余計なことをさせないこと”を第一に、レシピ通りに行動する方法を逐一教えてやればいい。

 つまりは一から十を教える。一を教えて十を知るとか無理だから。ほんと無理だから。

 

「んじゃ、まずは目玉焼きからな」

「馬鹿にしすぎだから! それくらい出来るってば!」

「ほーん? ほ~~~ん? じゃ、やってみてくれ」

 

 言ってみれば、ふふーんと胸を張って卵を手にする結衣と……なぜか心配そうに俺を見る一色。

 

「あの……まさかとは思いますけど、目玉焼きすら……」

「ところで一色。最近のフライパンってこびりつき防止に油を引かなくてもいいやつって結構あるんだが、知ってるか?」

「あ、はい。これでもお菓子作りとか結構好きですし、料理も多少は…………あの、せんぱい……」

「……なんだよ」

「あそこで、フライパンを親の仇のように熱して煙を吐き出させてるの、調理工程としてはどのへんなんでしょうか……」

「木炭練成段階としてはまだまだ序盤だな……」

「あ……油入れました……さらに熱してます……」

「ああ……そだな……。出てるな……煙めっちゃ出てるな……」

「……ようやく卵が入りました……あ、蓋しましたね……」

「大方、フタをしたほうが中まで綺麗に火が通るとか、なにかで……あくまでなにかで見たか聞いたかしたんだろ」

「…………最大火力のまま……ですね……」

「だな……」

「あの……なんか得意げに胸張ってこっち見てドヤ顔なんですけど……やばいです、早くも見ていられませんわたし……。恋する乙女の調理を眺めてて、こんなにもいたたまれないものを感じるの、初めてです……」

「ほんとそれな……」

 

 それからしばらくして、調理が終わった。

 目の前のテーブルには、一つの皿が置かれている。

 皿の上には…………黒い物体。

 

「………」

「………」

「……ジョイフル本田の木炭だ……」

「《ぐさぁっ!》ふぐぅっ!?」

「いや、これはカーボンだろ」

「《ざくざくっ!》はぐぅうっ!!」

 

 一色と俺の素直な感想がゲイ・ボルク! 結衣は心にキッツいダメージを負った!

 

「解ったか、一色……。こいつに料理を任せるということがどれだけ危険か」

「あの段階でドヤ顔でしたから、もうどうやっても気の所為だとも言えませんよ……。むしろそんなことを言った人が居たら、この木炭を夕食にしてあげるべきです……」

「いろはちゃんひどい!!《がーーーん!》」

「いえ……これがひどかったら犠牲になったフラインパンさんが報われませんよ……」

「どうせ古くなったものとはいえ、見事にダメになったな……。あのな、結衣。今じゃ中火弱火が基本で、強火とかは滅多に使わないんだよ……。火力が強いとフライパンのテフロンがダメになる」

「あ、で、でもでもほらっ、あ~のあのっ、ねっ? チャーハンとかは強火がいいって聞くよっ?」

「本格的中華なチャーハン作るには、家庭用ガスコンロじゃそもそも火力が足りねぇんだよ。家庭用コンロならじっくり作るパラパラチャーハンのほうがまだオススメな。結論出たらほれ、仕切り直しだ。用意するものはフライパン、油少々、卵に少量の水、こんだけ」

「じゃあフライパン熱するね!《シュゴォーーーッ!!》」

「結衣、綺麗に出来たらご褒美あげるからまずは話を聞こうな」

「《カチッ》うん」

「物凄い速さで火を止めましたね……」

 

 基本がやんちゃな犬なら、それを犬なりの方法で誘導する。

 まあ、ひどい結果には…………ひどすぎる結果にはならない……といいな。

 

「結衣。火力は?」

「えと、中火か弱火が基本っ」

「おう。じゃあそれ以上は上げない。いいな?」

「うん」

「おし、今から作るのはなんだ?」

「え? チャーハン?」

「目玉焼きだ」

「あ、し、知ってるし!」

「どうしましょう先輩、早くも不安になってきました……」

「味見は任せた」

「わたしがですか!? い、いやで───」

「ちなみにそれが宿泊条件な。ひとつ言うことを聞いてもらうぞ」

「───…………ゆひっ……結衣、先輩……。あの、おねがっ……ひっく…………お願い、しまっ……ひっく…………どうか、どうか生きていられるっ……たべものをっ…………~~~……ふぇええええん……!」

「なんか泣かれちゃったんだけど!? え!? あたしの料理そんなにひどい!?」

 

 いいからお前は集中しとけ。それが一色の生命線になるから。

 

「んじゃ、まずは手本な。火力、中火。油、少々」

「う、うん。うん……」

「多少あったまってきたら、高い位置じゃなく低い位置で卵を割る。高いと落ちた時に崩れるし、油が跳ねる」

「ふんふん……っ」

「中火のまま少し置いて、外側が白くなってきたら水少々を入れてすかさず蓋をする。水の量は……そうだな、卵の周りに素早く一周してかける程度の量でいい。水を入れる時も低い位置でな」

「うん」

「あとは火力を少し落として、蒸すみたいにする。熱で蒸発する水が、卵の上のほうも熱してくれるから綺麗に仕上がる」

「へぇ~!」

「ま、あとはお好みだ。半熟が好きなら早目に開けちゃっていいし、黄身も硬いほうがいいなら弱火のままじっくりだ」

「そっか……うん」

「で、なにより重要なことをお前に伝授しよう」

「伝授? な、なんかかっこいいね!」

「おう。で、調理において大事なこと。1、“材料や皿は先に用意しておくこと”。スクランブルエッグとかふわとろオムレツとかほんっとこれな。“あ、皿忘れてたー、用意してー”とかやってる内にふわとろも半熟も死ぬから」

「う、うん、そだねー……《そわそわ》」

「んで2、“レシピにないものは絶対に用意しないこと”。うちにはこれがないからアレで代用~とかほんとアホの極みだから。素人の代用ほど味を破壊するものはねぇから、レシピは護れ。材料が用意出来ねぇならそもそもその段階で手を出すな。そういうことは様々な材料の味と組み合わせの変化を経験した熟練の台所の主様がやりなさい。OK?」

「う……うぅう……」

「3、“自分の中にあるこうしたほうが美味しくなるは絶対に信用しないこと”。これ好きだから入れようとか、好きな相手がこれが好きだから、入れれば絶対ポイント高いとか、人間の味覚処理能力を破壊する行為は絶対にやめろ。そこまでしたからには味見はしろ。一番に食べてほしいとかやめなさい。中毒起こしたら恋どころか人間関係終わるから。以上の三つだ」

「あぅ……《おろおろ》」

「……? なんでそこで盛大に動揺してんだよ……。って、まさか全部仕出かしたことがあるとか……言わないよな?」

「…………《ソッ》」

「だからそこで目を逸らすなよ……。見ろ、一色なんて声を殺して泣き始めたじゃねーか」

「うわはぁあぁん! なんかごめんねいろはちゃん! でもこれあたしも傷ついていいと思うなぁ!」

 

 目玉焼きひとつでここまで動揺できるほうがどうかしてんだよ……。

 ともあれ、調理開始だ。

 まずはひとつひとつ指示をしながらの調理。

 

「ほら、まずは───」

「うん、火力は~、中火……《カチチチチシュボッ》。油は~……少々」

「おう」

「えと、それで、温まったら卵をー……高い位置から低い位置に叩き付けるみたいに落とすんだっけ?」

「おいやめろ。一色が耳を塞いで蹲ったから」

「ふえ? あ、ち、違ったっけ?」

「低い位置で割って入れるんだ。……油が跳ねないためと?」

「え!? あ、んと……黄身とかが崩れないため、だっけ」

「よし」

「《なでなで》あ……えへへぇ」

 

 卵投入。少しの油の上に落としたそれが、油を広げるようにしてフライパンの上へ。

 

「あれ? なんかジューってならない……火力弱いかな《シュゴォオオーーーーッ!!》」

「結衣? 中火でな?」

「わひゃっ!? あ、そ、そだったそだったー……」

 

 ……耳を塞いでしゃがみ込んだ一色の体が震えだした。

 

「えっと、周りが少し白くなってきたら、高い位置から水をたっぷり───」

「水は低い位置で、少量を卵の周囲一周程度でいい」

「あぅ……えと、こうかな。あっとと、ふたっ、蓋っ《がぽしっ》」

「よし。あとは?」

「…………強火?《シュゴォオオーーーーッ!!》」

「強火から離れろ」

「わ、解ってるし! たしか弱火でじっくり蒸す……だったよね」

 

 おい。解ってるならなんで“たしか”とか出てくるんだよ。

 最近の若者が“たぶん確実に”とか言うのと同じだぞそれ。たぶんなのか確実なのかどっちだよ。

 

「おし。一色、お前、目玉焼きは半熟と固め、どっちが好きだ?」

「……食べられるものが大好きです……」

「……おいどうすんだよ。一色がなんか遭難者がいつか到る答えに辿り着いちゃったじゃねぇか。ミステリ小説とかだったら“この短時間でなにがあったんだ”とか真剣に悩むところだぞこれ」

「ヒッキーひどい! 今回のは上手くできたもん! むしろこんなに飲み込みがいいなんて、あたしやっぱり料理の才能あるのかも!」

「寝言は寝てから言ってください」

「いろはちゃんひどっ!? うう……でもこれも、ヒッキーに教えてもらいながらだし……」

 

 ともあれ完成。

 皿にちょこんと乗せられたそれを、一色が見下ろし……すぅう……と涙を流した。

 

「あ、あれー……? 綺麗に出来たのに、なんだろこの罪悪感……」

「食べられるものを作るって大事だろ。じゃ、次は結衣一人でやってみてくれ」

「え? それよりご褒美は?《わくわく》」

「一人で出来たらな」

「むー……ま、まあもう完璧だし! 見ててねヒッキー、こっちのより綺麗に───」

「おいやめろ、そっちより綺麗にとかは考えなくていい、作り方を完璧になぞれ。な? ほんと、まじで頼む、お願い」

「なんでそんな爆発物取り扱うみたいにおそるおそる言うの!? 言われなくてもちゃんとやるし!」

 

 そうして……料理は始まった。

 ……始まったのだった。

 

 

───……。

 

……。

 

 <エット、フライパンヲネッシテ、アブライレテー《ボチャア》

 <ショウリョウゥウウ!! ショウリョウノモジドコイッタァアア!! アトカリョク! カリョクモ!

 <エ!? ゼ、ゼンゼンショウリョウダシ!! イイカラマカセテッタラヒッキー!!

 <ユイセンパイ! ケムリ! ケムリデテマス!!

 <ウヒャハァ!? タタタタマゴ!! タマゴイレテ、エト、サマサナイト! ア、ミズ! コレデ!

 <バババカ! ソンナリョウノアブラニ、ミズナンカイレタラ《ジュバッシャア!!》グワーーーーーッ!! メガァアーー!! メガーーーッ!!

 <セ、センパーーーイ!!

 <ゴゴゴゴメンネヒッキー!! コレツカッテ! ヌレタオル!

 <ユイセンパイ! ソレゾウキンジャナイデスカ! ソレヨリヒ! ヒ、トメテクダサイ!!

 <エッ、デ、デモマダカタマッテナイカモ

 <コンダケケムリダサセテナニイッテンデスカ!? トニカクトメルカ、ヨワビニシテクダサイ!!

 <ウ、ウン《ガツッ》アッ

 <《ガシャーン》イヤーーーッ!? ワタシノメダマヤキガーーーッ!!

 <ダ、ダイジョーブ! イマヤイテルノアゲルカラ!! ネ!?

 <…ウッ…ヒック…ウアァアアン…オトーサン、オカーサァアアン…

 <ナンカホンキデナイチャッタ!? ヒ、ヒッキードウシヨ! ヒッキー! ウワーーーン!

 

……。

 

───……。

 

 ……ガハマ先生のお料理地獄。

 結果は…………言うまでもなく散々であった。

 今では眼鏡もかけて、普通に料理を食べているところだが……ああ、嫌な事件だったな。

 

「俺……目玉焼きって世界一簡単な料理だと思ってたけど……違うんだな……」

「ぐすっ……美味しいです……っ……せんぱいの料理、すごく……うえぇええん美味しいよぉお……!」

「解ったから食いながら泣くなよ……」

 

 結局料理は俺が作った。ダイニングテーブルで囲む食卓、俺の隣にはしょんぼりした結衣が居て、正面には一色。

 飯テロっていう言葉、あったよな。深夜に美味そうなメシを食う番組とかやってると食いたくなるアレ。でもなぁ……これって別の意味での飯テロだよな……。食事で敵の戦力を破壊するとかおっそろしいわ。

 

「うぅ……ごめんねいろはちゃん……」

「いえ……わたしも結衣先輩の力を、まだまだ侮っていました……」

「侮ってたほうが評価が高いってすげぇな……」

「ヒッキーうっさいし!」

 

 でも事実だ。ほんと、それを覆すくらいの頑張りをこの目で見てみたい。

 

「こんなに綺麗だし、話も面白いしいろんな話題持ってるし、なによりこう、場をつなぐみたいなのがすっごく上手くて空気が読める人なのに……まさか料理がだめだなんて……」

「馬鹿言え一色、結衣は炊事洗濯掃除、およそ女子力といわれるもの全てが戦闘力たったの5のゴミだぞ」

「い、いいもん! その分ヒッキーが上手いんだから!」

 

 エ? ……アイエッ!? ゆ、結衣? それはつまり───ああいや危ねぇ、俺じゃなかったら今頃プロポーズと勘違いして一色に盛大にからかわれているところだ。

 

「結衣先輩、それって先輩はわたしの夫アピールですか?」

「え? あ、へぁうっ!?《ボッ!》あ、これはその違くてっ! あたっ、あたしそんなつもりじゃっ……」

 

 ほれみろ、やっぱ勘違いじゃねぇか。いや解ってたよ? 解ってたし。

 

「先輩~、愛されてますね~♪ こういうのって、夫側からしたらどうなんですか~?」

「基本、結衣の言葉くらいは信じるつもりだから、そんなつもりはないとか言われれば普通に傷つくな」

「えっ……ち、ちがっ……違うよヒッキー!? あたしちゃんとヒッキーのこと好きだから! ちゃんと結婚したいって思ってるし、いっつも信じてくれてること、ほんといっつもありがとうって思ってるから!」

「……まあ、つまりこういうこったよ、一色。男側からしてみれば、きちんと言ってくれた方が嬉しいわけだ」

「めんどくさいですね《きっぱり》」

「え? なに? 女は違うの? 俺は言ってくれた方が解りやすくて嬉しいんだが……まじか」

 

 じゃあアピールしまくりって逆効果だったのか。

 まあ所詮俺のアピールだし、精一杯やっても目立たない程度だったから気にするほどでもないに違いない。……違いないよね?

 あ、そうかそうだったー、言われて解りやすかったことなんて、悪口以外に特に思い浮かばねぇやー! ……今日こそ俺、泣いていいと思うな。

 

「うーん……そんなことないと思うな。女の子も、言ってくれなきゃ解らないことっていっぱいあるし」

「えー? だって男子なんてみぃんな、可愛い子とくればニヤついて近づいてくるばっかじゃないですかー。解りやすすぎますよー、嫌な意味で。結衣先輩だってそういう経験ありますよねー?」

「え……えと、確かにそれはあったけど……《ちらり》……えへへ、今はヒッキーが追っ払ってくれるから」

「あの、砂糖吐きたくなるんで目の前でのろけとか勘弁してくれませんか」

「いや一色、お前も自分から話題振っておいて、うげぇって顔はやめときなさい。お前今、お前に憧れただろう男子には見せられない顔になってるから」

「えー? そんなことないですよぅ《きゃるーん》」

「………ウゲェ」

「ちょっ、先輩こそ本人を前にうげぇって顔しないでくださっ───今口でも言いましたよね!? どんだけ嫌がってんですかー!」

 

 ガタタッとテーブルに両手をついてまで身を乗り出し、びしーと指差してくる一色に、とりあえず水をぐびりと飲んで落ち着いたのちに言ってやる。

 

「あーすんません俺作り物とか仮面とかほんと苦手だしどれだけ隠してても解っちゃうんで無理ですごめんなさい」

「真似しないでくださいよ! そ、それにわたしはちゃぁんと素ですっ、誰に幻滅されようと、わたしはわたしなんですから、勝手に理想を押し付けて騙されるほうが悪いんですっ」

「ほーん? まあ、確かにそれはあるな。お前にニヤケて近寄るなんてどんだけ外面に騙されてんだって話な」

「うっさいです先輩。大体なんで先輩はわたしに悪態ついてばっかなんですかー。わたしこれでも、他の男子には見せない笑顔とか先輩には見せちゃったりしてるんですよー?」

 

 悪態? そりゃちょっと違うんだが。

 まあ確かに“結衣以外のその他”よりは、近い位置には立ってるんだろう。

 後輩なんてカテゴリを計算に入れなかった自分の落ち度だ。壁を作るより先に、ある程度の接近を許してしまった。

 

「もうね、その“実はわたしは”アピールが胡散臭いわ。“あなたにだけ”とかそんな特別視なんて求めてねぇから、いっそ無視してくれません? そしたらファブリーズ使わなくて済むし」

「いい加減にそれ手が届く位置から外してくださいよ!」

「え? やだよ。ある日家に帰ったら、部屋から婚約者以外の匂いがしたとか怖いじゃねぇか……ファブリーズ最強でしょ。一説じゃ除霊にも使えるらしいぞ」

「ヒッキーそれほんと!? うわやば……パパの守護霊とか成仏しちゃってないかな……!」

「………」

「………」

「え? あれ? ヒッキー? いろはちゃん? なんで無言なの?」

 

 相変わらず、婚約者はアホである。そして、あまり疑うことを知らない。大丈夫かしらこの婚約者。将来的に詐欺とかに遭いそうで、八幡今から震えが止まらない。

 そんな俺と結衣を見て後輩カテゴリの一色はどこか楽しそうに苦笑している。それは嫌な感じのものではなく、それこそ一色が言うように、他の男子には見せない顔、というものなのだろう。会って二日の中学生。の割りに、案外するりと俺と結衣の傍に歩み寄ってきた後輩カテゴリの女。

 俺と結衣に対して嫌なものを向けないその態度に、俺はそこまでの警戒は向けていないのだと思う。言ってしまえば周囲のように“釣り合わない”だの“別れろ”だのという視線を向けてこないだけでも、俺の中での一色の評価は高いのかもしれない。

 だからその、なに? 別に拒絶したりはしないし、話しかけられれば返事はする。馬鹿話にも付き合うし、愚痴を聞くくらいならするが───それだけだ。それ以上は求めないし、線の内側に入ってほしいとも思わない。

 O・ワイルド氏は男女間に友情はないと言ったが、過程をスッ飛ばさなけりゃきっちり友情はある、というのが俺の考えだ。その友情が俺の妄想でしかないという点では、そりゃもちろんいくらでも否定してくれて構わないが、生憎とぼっちの友情への理想はアホみたいに高いのだ。その上で言おう。男女で友情があってもいいと思う。本当に友達になれるのなら、だが。そもそも友達居ないから知らんけど。

 と、無言なままに思考を回転させていると、きょとんとしている結衣を余所に、一色が話しかけてくる。

 

「はー……せんぱい、てんねんってすごいんですね……」

「え? てんねん? いろはちゃん、なんのこと?」

「いや俺南アルプスの天然水よりはいろはすの方が身近で好きだぞ」

「なんでいきなりここでお水の話になるんですかもしかして一週回って不倫しようとか考えてるんですか死にたくないのでごめんなさい」

「天然繋がりで思い出しただけだっつの。大体一色、俺とお前はあだ名で呼び合うほどの仲でもねぇだろうが」

「まあそうですけどねー」

「?」

 

 言ってみればけろりと答える。結衣は話自体が解っていない。まあ、それでいい。

 ただ俺は、今の会話で思うのだ。“ああ、やっぱこいつ重くないわ”と。ぼっちの気持ちというものを、これで案外解っている。

 解ってなかったら、ここでズケズケと仲のことをどうだかと言ってくるのだ。ぼっちとしてはこれが正解。これで正解。きっと波紋の修行の先生も“よし! BOCCHI それでいいっ! それがBEST!”と言ってくれるくらいの太鼓判。

 人の関係とは重くなく、適度に尊重し合って、ここぞという時は助ける。それくらいでいいのだ。それが、ぼっちが求める“友達”の在り方だ。

 とっても我が儘で自己中心的な友達像。けれど、こちらも決して裏切ったりはしない。そんな理想を、いつだって秘めている。

 ちなみにいろはすはりんご味が好きだな。すっきりしてて実にいい。甘さがもっと欲しいところだが。結論を言えばマッカン最強。

 ほんと、いろはすマッカン味とか出してくれないかしら。無理ですか。

 

「よし、んじゃあメシも終わったことだし───」

「ヒッキー、なにして遊ぶっ?」

「先輩、部屋見せてもらっていいですかっ?」

「……勉強するからダメ」

「え~……? 遊んでからでいーじゃん! ね、ヒッキー、ヒッキ~~ぃい!」

「あーはいはい。んじゃあ今右手にティッシュを丸めたものを握った。左手は空だ。ほれ、ティッシュはどこにある?」

「え? 右だよね?」

「あー残念そこのティッシュ箱の中だよハイ終わり。じゃ勉強すっぞ」

「ヒッキー!?《がーーーん!》」

「なんだよ……べつに俺、丸めたものは何処にある? なんて訊いてねぇだろうが」

「そ、そーだけどなんかずるくない!? てか今の遊びだったの!? もっと解りやすいのにしようよ!」

「なに言ってんだよめっちゃ解りやすいだろが……あと先に結衣の話聞いたから、次一色な。部屋ならそこ出て左の突き当たりだ」

「え、いいんですかっ!?」

「ああ、これっきりにしてくれよ?」

「だいじょぶです! 任せてくださいっ!」

 

 格好よく敬礼をした一色が、るんるん気分でダイニングを出て左へ駆ける。そして突き当たりの個室をヴァーンと開ける音がすると、

 

「トイレじゃないですかー!!」

 

 あざとさを忘れたぷんぷん丸が戻ってきた。

 え? なに? おこ? おこなの?

 

「いやなに言ってんのお前。部屋見せてくださいって言うから個室見せたんじゃねぇの。誰のとは聞いてねぇけど最強のプライベートルームだろうが。ほれ、八幡嘘つかない」

「部屋っ……へ……うわぁ確かに言いましたけど……! うわぁ、うわぁあ……!」

 

 そんなところで揚げ足取る人、ほんとに居るなんてドン引きです……! と言うかのような顔で引きまくりの後輩がそこに居た。

 

「そ、そうじゃなくて先輩のお部屋をですね……!」

「これっきりにしてくれよって言って、承知したよなお前。任せてくれって言ったあの時の笑顔……ガラにもなく信じてる俺を裏切らないでくれな?《ニヤリ》」

「うわー外道ですよこの人。清々しいほどに外道です。そういう外道は眼鏡外してからやってくださいよ。目の腐り方も相まって腐れ外道って遠慮なく呼べそうですから」

「うっせほっとけ」

「あ、じゃあじゃあヒッキー、あたしは“これっきり”って言われてないからいーよね?」

「おう。んじゃあ俺が出すお題に答えるゲームをしよう。最初は簡単なやつからな。はい第一問~」

「ふふーん、遊びでならヒッキーにだって勝てるよっ!」

「いえきっと先輩のことだからものすごーっく捻くれた問題を出しますよ」

「あ、そうかも。ヒッキーずるいし」

「あのねきみたち、俺の話聞いてるの? 最初簡単なのからって言ったよね? あーまあいいや、んじゃあ第一問。俺達が日常的に食べる卵は、いわゆるなんの卵でしょう」

「そんなの鶏に決まってるじゃん! ヒッキー馬鹿にしすぎ!」

「おー正解。じゃあさくさく行こうな。第二問、ステーキは肉である。ではお刺身は?」

「魚!」

「肉だよ。第三問」

「ぇええええ!? 間違っても次に行くの早くない!?」

「さくさく行くって言っただろーが……一色も答えが出たら言っていいからな」

「なんか正解出来る気がしないんですけど……混ざらないのもつまりませんしね。受けて立ちます」

「ヒッキー!? ヒッキー! お肉って牛とか豚の分類じゃん! お刺身はお魚でしょ!?」

「お前は魚肉ソーセージをどういったものだと考えて食べてんだよ……」

「え? ぎょに…………あっ!」

 

 早くも結論を言おう。由比ヶ浜結衣は馬鹿である。

 

「一色、俺はさっき、結衣は炊事洗濯掃除が出来ないと言ったよな?」

「え? あ、はい、聞きましたけど」

「おう。ちなみに勉強も出来ん」

「あー……」

「いろちゃんなんでそこで妙に納得しちゃうの!?」

「あ、いえー…………学習能力の段階で」

「《ぐさ》…………」

 

 中学生の言葉に、なにも言い返せない婚約者が居た。

 さすがにいたたまれない……なんてことはない。だってそんなこと、料理の時点で散々味わったし。

 ほら、一色もどこか遠い目で結衣のこと見てる。

 

「ほれ、次いくぞ。次はな───」

 

……。

 

 カリカリカリ……

 

「25問目。次の式を展開せよ。(x-5)^2」

「よ、余裕だし! え、えとえと」

「一色は解るよな?」

「はい。これ、高校でもやるんですね」

「!? え!? 中学の問題!? うそ!」

「高校では基本として最初に復習する程度だな。じゃ、一色」

「はい。x^2-10x+25ですね」

「ほい正解。結衣は?」

「と、解けてる……ョ?」

「よし、じゃあ口で言ってみてくれ」

「ウッ…………えーと……え、えっくすにじょー……まいなす……あれ? ひく、だっけ? まあいいや、えと、じゅ、じゅーえっくす? たす、……二乗だからごごにじゅーごで……25!」

「よし。じゃあ次な」

「いろはちゃんっ、次、負けないからねっ!《むふーん!》」

「…………(途中からゲームじゃなくて勉強になってるって、気づいてないんですかね……)」

「26問目。係数と次数問題。ここに書いたものの係数と次数を答えよ」

 

 -5x^2y

 9yx

 2xb^3 [x]

 

「あっ、これは得意かも! えっと、1が係数-5で次数が3、2が係数9で次数が2、3が係数2b^3で次数が1!」

「おお正解」

「だよね! 正解だよね! やったよいろはちゃん! ヒッキーに勝っ……あれ? …………ヒッキー! これ遊びじゃなくて勉強じゃん!!」

「そーだなー、やっぱ勉強って行き詰ったら基本問題を解くに限るよなー」

「ヒッキー!!!」

「わーたわーた、で、なにして遊ぶん? 読書ごっこ? それとも就寝ごっこ?」

「それ本読んで寝てるだけだし! もう騙されないんだかんね!?」

「いや……正直俺も26問まで騙せるとは思わなかった」

「わたしも途中からどこまで続くのか楽しみではありました」

「いろはちゃん!?《がーーーん!》」

 

 適当に反復練習し終えたあと、結衣にバレたから勉強はお終い。

 それからは結衣のリクエストに応えるように話をしたり遊んだり。つか、結衣が自分の部屋から適当なお遊びグッズを持ってきたため、案外遊べた。

 ほら、俺そういうの持ってないし。え? なんで、って? ぼっちだからに決まってんだろ訊くなよおい……。

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