どこにでもあるようなガハマさんとヒッキーのお話 作:凍傷(ぜろくろ)
ほ、ほんとエロくなんかないんだからねっ!?
後の回で微妙な説明とかありますけど、先に書いておきましょね。
この場合自己催眠にも近いのですが、幸福だと深く信じれば幸福感を得られるっていうアレな感じ。
つまり幸福の頂に到達したというだけで、エ、エロイわけじゃ……ないのよ?
ほら、ジョジョのディアヴォロが永遠の絶頂に居たかったみたいなそんなアレ。……うん、なんか台無しだコレ。
つまりは幸せなだけなので……オッケイ!
あ、でもなんかKENZENじゃなさそうだったらツッコんでくださいましね。
……さて、ひとつ屋根の下、リビングにてゲームを広げて床に座り込んでいる人影みっつ。
ルーレットをカラカラ回してコマを進めているのは……俺だった。
「6……と。お、“学校の後輩に告白されて恋人になる”」
「ヒッキー!?」
「いやおい、これゲームだから。現実とは関係ないフィクションだから」
「そうですよー結衣先輩。……3ですね。とんとんとんっと……“目つきの悪い先輩とデートする”」
「ヒッキー!!」
「だから俺関係ないっしょ……」
「ふ、ふーん! べつにいいし! あたしだっていい目だして……あ、6! えへへぇ、いちにーさんしー……“落し物を拾って交番に届ける”? 一割もらって10万円……う、うー」
「なにお前。タダで10万もらってなんでそんな不服そうなの」
「だってあたしばっかりお金とかのことばっかだし……」
「いいじゃねぇかよ楽そうで。こっちなんてさっきから女運悪すぎで……つーかなんでこれこんなに男女に関するマスばっかなの? モテない男の血の涙で作られでもしたの? ……3、と。“後輩生徒会長に連日振り回されて幼馴染をほったらかしにする”……所持金マイナス……おいおい」
「ヒッキー!!」
「だから関係ねぇって。てかなんなんだよこのハイスペック後輩……生徒会長? 俺一応、今高校二年の枠内を進んでる筈なんだが……?」
「つまり一年なのに生徒会長なんでしょうねー、すごいですよねー。にー、さん、よん……“先輩の陰謀で生徒会長にされる”。……うわー、なんですかこれ先輩の所為で生徒会長ですよ。あ、先のコマに“原因である先輩を扱き使う名目で一緒の時間を満喫”とかありますね」
「ヒッキー!!」
「お前さっきからヒッキーしか言ってないからね? なんで微妙に内容繋がってんだよこれ……全然関係ねぇマスなのに」
人生ゲームをやってみた。一定数のコマ毎に小学1年~小学6年、中学1年~3年、高校1~3年、社会人などに分けられており、6ばっか出すととんでもない速さで老けてゆく怖いゲームだ。平塚先生とやったら吐血しそう。
しかしアレだね実にアレ。ゲームだってのに人生ってつくだけで、もう苦いことだらけでマッカン飲みたくなった。やっぱキッツイわ。人生キッツイわ。
あと結衣が感情移入しすぎてて怖い。
「このままゴールなんてやだよ……おねがいだから、お金以外のマス……───3。いち、にー……あ」
「お……? “稼いだ財産の全てを捨てて、好きな男と駆け落ち”?」
「ひっきぃっ……!《ぱああっ……!》」
「え? なんで嬉しそうなの? 最下位ほぼ確定じゃねーか」
「ヒッキー!!」
「なんで怒んだよ」
「知んない! ばか! どんかん! キモい! まじキモい! あと、あとえっと! へ、変態! キモい!」
なんでか知らんがキモい言われまくった。え、えー……? 俺なんかおかしなこと言った……?
むしろ俺、腸煮えくり返りそうなんですが……?
「せんぱ~い……今のはよくないですよぅ。女の子にはですね? 時としてお金よりも大事なものがあるものなんですよ?」
「当たり前だろ、俺だって相手が結衣なら結衣を選ぶ。けどゲーム内の主人公が好きな相手なんて知らん。むしろそいつと結衣が駆け落ちするってんなら相手を呪い殺すまである《がばしー!》うぉおあっ!?」
「ひっきー! ひっきぃ、ひっきぃいいっ!!」
「ななななんなんだよおいっ! さっきからおかし《んちゅー!》んぶむむむ!? ぷはっ! ばばばかやめろ! 一色居るんだぞ!? 犬はまずい落ち着けハウス!!《ちゅっちゅっぺろぺろはむはむ》ひゃぅうん!? やっ、ちょっ、ほんとやめっ! 耳はやめろ!」
何が琴線に触れたのか、犬モードが発動。俺の顔を胸に抱いて、振り回すように体ごと動いたのち、俺を押し倒しながら俺の口や頬や額にキスを落とし、時に舐め、耳を唇でハムハムしてきたり───らめぇ! 八幡、耳は弱いのぉ!
思わず一色に救いを求めるが、一色さん顔を真っ赤にして思考停止中。あわあわと震えたまま、多分声も聞こえてない。
あ……これあれですよね……。強引に引き剥がしたらまた“やー!”とか言うあの……。
で、その声に正しく反応して正気に戻った一色に、なんというか彼女をペットとして調教しているゲス……そう認定されたかのような目で睨まれたりして……あれ? なんか死にたくなってきた。死なないけど。
仕方ないので嫌がられるのを承知で引き剥がしにかか───ろうとしたのだが、それを察知したのか、結衣が俺の体に超密着して、手が入る隙間を殺しにかかった。
ちょ、ちょ! 近い近い近い! 呼吸が首筋にかかってくすぐったい! 柔らかい! あといい匂い!
「───」
だが心は冷静だ。うそだが。
結衣……お前は頑張って密着したつもりでも、限界というものは必ず存在する。
お前はな……胸が大きすぎたんだ。だからどれだけ埋めようとしても、潰せない隙間は確かに存在するのだ。
「《グイッ》!! やっ《ちゅっ》───ふわぁっ……!?」
引き剥がせば泣くのは予想がついた。だから不意打ちでキスをすると、その表情が悲しみから困惑、一気に幸福へととろけ、押し退けるように起き上がってみれば、へたりと腰を落とし、動かなくなる結衣。
俺はといえば、ひと仕事を終えたように額の汗、もとい顔中の汗や舐められた跡をぬぐい、深い溜め息。
「……一色」
「《びくっ!》ふわいっ!?」
「今……お前はなにも見なかった。いいな?」
「は、はい……ていうか、覚えてると毒にしかなりませんよあんなの……今どんだけ居心地悪いと思ってるんですかー……」
「それはその……すまん」
「てゆーかですよ? 私てっきり結衣先輩は奥手っていうか、あまりぐいぐい行くタイプじゃないと思ってました。信じて待っているタイプっていうんですか? ですけど……結構突撃タイプだったんですね……一言で言うと肉食系?」
言いつつ、ちらりと結衣を見る一色。……対する結衣は、唇に手を軽く当てて、潤んだ目と真っ赤な顔のままに俯き、ちらちらと恥ずかしそうに俺のことを見ていた。
「初々しいんだか肉食系なんだかどっちなんですかもう……」
「すまん解らん、俺の方こそが訊きたい」
しかしこうなってしまってはゲームどころではないので終了。既にいい時間だったので、二人に先に風呂に入ってもらい、俺はその間にママさんに相談。いろいろ茶化されたが、まあ報告とかもいろいろあったからそれはいい。
話すことも終わって家に戻れば、リビングに広がりっぱなしのゲームを片付けて……風呂上り用の飲み物を用意しておく。そうこうしている内に二人が上がってきた。嗅ぎ親しんだシャンプーの香り。こういう時はなんかちょっと気恥ずかしいのは、きっと俺だけじゃないだろう。
リビングに来た結衣と一色を迎え、ドリンクを渡す中、一色がわなわなしながら俺に言った。
「せんぱい……しってましたか……? おっぱいって、うくんですよ……? こう、めろんが……こう……《わなわな……》」
「それを俺に聞かせてどうしてほしいんだよお前は……」
「だだだって! よくあるじゃないですかー! 天は二物をうんたらーって! なんですかあれ反則ですよ! だってあれだけで二物じゃないですかー!」
逃避したくなるほどのナニカを目の当たりにしたのだろう。
目の前の自称後輩はひどく取り乱し、一方は「ヒッキーのドリンクおいしーねー」とにっこり笑顔。
だが俺はそんな後輩の両肩にポムと手を置き、言ってやるのだ。
「だが馬鹿だ」
「ア、ハイ。なんか取り乱してごめんなさいでした」
解決した。
あと肩に置いた手はさっさとどかした。だ、だって誤解されると困るし……!《ポッ》
ぼっち時のクセでアホな反応を一人で楽しんでいると、一色の着ているものが見覚えのあるものであることに気づいた。
「ところでそれ、結衣のパジャマか?」
「はい。なんていうかいい匂いがしますね。それにこのゆったり感が少し安心します。……ええ……胸部分の超ゆったり感とか、腰はぴったりなのにお尻がゆったりとか……なんですかこれスタイル良すぎですよ信じらんないですやっぱり二物が……二物がぁあ……!」
「いや、そんな個人専用ジャストフィット型高性能パジャマなんて存在しねーから。あんまそういうとこに触れてやってくれるなよ。あいつ、結構気にしてるから」
「なにがですかっ! スタイルがいいからですかっ!?」
「男にゲスい目で見られるからだ」
「あ───……そ、そう……ですね。私もそれは経験ありますから……」
「一時期、胸が大きい=エロい女って話をし出した馬鹿が居てな。当時クラスん中でその……なに? 胸が一番デカかったあいつは、エロ女とか言われてな。無駄に空気読めるから、雰囲気壊さないように馬鹿っぽく振る舞ったりして」
「……結衣先輩…………あの、それでどうなったんですか?」
「あ? んーなの一日経たずに潰したわ。結果として、そこには悪人が一人だけ。結衣は逆にクラスの人気者だ」
「へー……なんだ、先輩はちゃぁんと、馬鹿なことを言い出した犯人のこと、知ってたんですね」
「……………」
「《ぽんぽんっ》わひゃっ!? ななななにすんですか女の子の頭に気安く触るとか漫画やアニメの見すぎなんじゃないですかごめんなさい無理です!」
「あー知ってるよ。他人に頭を触られるのってほんと頭に来るよな文字通り。……ま、あれだ。人間頭に来ると、正常な判断が出来なくなるもんだ。そこを突いて、ありもしない悪の印象を植えつけて矛先を変えるのも楽なくらいな」
「なんですかぁ、それぇ……」
「なんでもねーよ。ほれ、結衣もやってるから、さっさと髪乾かしてこい」
「はーい。ていうか洗面所にドライヤーくらい置いといてくださいよー」
「うるせ、贅沢言うな」
「ほんと、結衣先輩とじゃ態度が全然違うんですからもう……」
「当たり前だ。結衣は天使だからな、存在の時点で愛を捧げるのは当然だろ」
「うわぁ……」
「おいだからその“うわぁ”はやめろ」
ファゴーとドライヤーをつけている結衣のもとへ、ぱたぱたと歩いてゆく一色を見送り、溜め息。
ま、あれだ。平和を味わっているヤツなんて、悪の姿を知る必要などないのだ。
大きな悪が居て、正義にこてんぱんにされたとしても、そんな戦いに気づかなければ……世界ってのはいつだって平和なのだから。
結果として靴が燃えたり教科書が破かれたりしたが、後悔なんてねーよ。
ガキに出来る精一杯をやった。それだけだ。本人がそれでいいって思ってるんだ。
ようするにな、一色。俺はその噂を流した敵の存在なんて、どーでもいいんだよ。一人だけ必死になって俺を罵ってたヤツが居て、その理由を辿れば簡単に解りそうなものでも、そんなものはどうでもいい。悪としての話が広まれば広まるだけ、発覚すればそいつがボコられるだけだ。だから二度と言い出せない。口に出せない。
悪は一人。つまりそいつがずっと悪ならば、自分は悪くない。黙っていれば、正義にさえなれるのだと、状況と場の空気だけで全員にその恐怖を植えつけた。
そうして多少の流れを作ってやれば……ほら、簡単だろ? 誰も傷つかないやさしい世界の完成だ。
「……《ガリッ……》」
布団でも用意するか。あぁだるい。
頭をひと掻き、とぼとぼと歩いた。
耳にはドライヤーの音が残っている。
それはクラス中が敵に回り、罵声が一気に耳に届いたいつかの残響と、なんだか似ていた。
× × ×
───翌日。
あ? 夜? べつになんもねぇよ? あるわけないでしょ。信頼ってのは積み重ねるもんだから、婚前に過ち犯して破棄みたいなアホはやらかさない。
むしろ結衣は部屋に戻したし、一色だって結衣の部屋で寝た。俺は一人静かに自室で寝たとも。寝たからもう熟睡してれば朝だ。暗いけど朝だって絶対。時計が2時15分の草木も眠るウシミツ・アワーを指しているが、朝なんだよ。そして今がこんなに暗くても、翌日って言ったら翌日だ。現に0時過ぎてるしネ? いやネじゃねぇよ。
「ん……?」
耳がなにかの音を拾う。これの所為で起きたのかと自覚しながら発生源を追うと、どうやら窓側のご様子。視線を向けてみれば、月明かりに照らされたベランダに人影が───!! ……やべぇやべぇ、なななにこれ俺じゃなかったら悲鳴あげてるレベ───いやべつにびびびびびびってねへよ? ほんと、いやまじで。
もちろんカーテンも閉めてあったからシルエットしか見えなかったわけだが、一色ではなく結衣だなってのは、まあ、すぐ解った。
そもそも一色には俺の部屋に来る理由が無いから当たり前なんだが。
しかしここでわざわざ電気をつけて、起きましたよアピールをするのもあれだ。なので月明かりのみの世界で静かに窓の傍までを歩くと、コンコンとノックを返した。
すると返ってくるノック。それを返す。返す。返す。
繰り返していると、猫みたいにカリカリと窓を掻き始めた。なんかもう俺じゃなければ可愛さのあまりもだえてたな。いや悶えてたよ俺。
降参してカーテンを少し開いてみれば、そこに少し涙目の結衣が居た。やべぇからかいすぎた。
だが俺は紳士だ。紳士は睡眠の大切さをよーく知っている。そしてぼっちならなおさら、睡眠の大切さは知ってるもんだ。
だから他の人の睡眠の邪魔など絶対にしない。故に声を出したりなどしないのだ。
「(ど・う・し・た)」
故に口パクである。なんなら窓に息かけて、そこに文字書くのでもいいが、逆になった文字を、消えるまでにこいつが読めるかどうかが不安だ。……さすがにそこまで馬鹿じゃないとか言われそうだな。
俺の思考がどうあれ、ともあれ訊いてみたわけだが───結衣は月明かりに照らされながら視線をうろちょろとさせ、胸の前で指をこねこねしながら顔を赤らめている。
……え? なに? 用がないなら寝たいんだが。
しかし俺の睡眠欲とは裏腹に、俺の眠気なんてものは……月の下の結衣を見た瞬間からとっくに飛んでいってしまっていたわけで。
あー、まあその、けど開けるのはまずいだろ? 結衣が鍵を指差して開けてアピールしてる。え? なんで今日は鍵かけてるのかって? だって一色が居るのに開けっ放しって怖いじゃない。いやべつに殺されるとかそういうんじゃなくて。それ以前に寝る前くらいは戸締りくらいしますよ? ……え? してるよね? 結衣さん? ちょっと結衣さん?
まあそれは置いておくとして、開けるにしてもだな……この窓、スーっと開くタイプじゃなくて、カラカラ鳴るタイプなんだもの。眠れる人々の邪魔をする気持ちなどぼっちにはありません。
しかしまあアレですよ。天使にウル目&上目遣いされたら抗えねぇだろ。開けたね、速攻開けたね。鍵はだけど。窓はもちろんそーっと動かしたよ。なんだよ、仕方ないだろ、相手天使だもの。
「ひっきー……」
開いてしまえば声も届く。
ぽしょりと呟かれたのに確かに届いた言葉は、俺の耳に残っていたあの残響も、心の中に浮かびあがりそうだったあの気色の悪い感情も、吹き飛ばしてくれる。
「……どした? こんな夜中に」
「あ、うん……いろはちゃんが寝るまで、長かったから……えと、それで、ね? ほら……な~んか忘れてないかなーって……」
「あん?」
忘れる? いや、べつになんも忘れてねーですよ?
「ほ、ほら、恋人同士がー……さ、眠る前に~……ね?」
「…………」
「…………ひっきぃ……」
頭に浮かぶのは“おやすみのキス”という言葉。浮かぶなよ恥ずかしい。
お前それずるいっしょ……寂しそうに寝巻きをきゅっと摘んでくるとか、ずるいっしょ。
だから……まあ、抗えるわけもないわけで。
しかしながらここだと真正面すぎて、もし一色が起き出したりでもしたらあっさり見つかるわけだ。
なので結衣を部屋に招くと静かに窓を閉めた。……鍵は閉めない。がっついてるとか思われたらキモいじゃねぇか。……自分でキモい言っちゃったよ。
だってのにこっちの慎重さなぞどこ吹く風。ワンちゃんは既に俺の布団に潜り込んでいて、すっかりご機嫌でいやがりました。ちょっと返して、それアタシのダーリンよ? 夜のお供って言ったら布団以上のものなんてないわよ! 返しなさいよ! 返して! 大体アータ「ひっきぃ……」え? なに? ……結衣が布団をめくって、空いたそこをぽむぽむと叩いた。
はいありました、ただの布団よりも眩い場所が。ダーリンごめん、うち、結衣の隣が好きだっちゃ。
「…………、」
溜め息なんぞを吐く振りをして布団へ。
寝転がればすぐさま腕に抱き付いてきて、俺もその頭を、髪を撫でた。
相変わらずもっともっとと上機嫌に頭を押し付けてくる姿に、どこまで気を許してるんだかと一色の姿を思い出す。そだなー、ほんと他人に頭触られるのって嫌な筈なのになー。
……もしかしたらぼっち特有の嫌悪感だったりするのかしらん?
「ひっきぃ……ね、ひっきぃぃ……」
「………」
「《ぽむぽむ》ん……」
一応、約束は約束なわけで。
男を追い払うためとはいえ、したからには責任はあるし……そもそもその、あれだ。俺自身、したくないわけではないわけで。
頭を撫でていた手に力をクンと込めると、瞬間、結衣の目に期待と歓喜が浮かぶ。
自然と目を閉じる仕草も、もう慣れたものだ。いや慣れるの早すぎでしょ、そりゃ回数だけならアホなくらいしてるけど。
そうは言っても距離は詰めれば無くなるもの。口と口がくっつくと、つい顔がニヤケてしまい、少し離れる。
しかしこのお犬様はそれが不服だったようで、離れた分をあっという間に詰めるとキスをして、あっさりとその先まで突撃してきた。
戸惑っている内に口内に侵入してきた舌を、やれやれとつついてやると、ソレまでもが探し続けていた半身を見つけたかのように、執拗に絡み付いてくる。
(いや、ほら、なんつーか……好きなだけ、とか言っちまったし)
抵抗はしない。どころか迎え入れ、覆いかぶさってきた体を撫で、宥めるように後頭部を撫でてやるまでする。
だがだ。断じてR18へは走らん。絶対にだ。
たとえ八幡の八幡がハイボルテージを漲らせようとも、それは絶対にしない。
大事に思えばこそだ。これ絶対。たとえ欲求不満がたたりすぎて、いつしか藤巻十三と同じ道を辿ろうとも、そこに悲しみはあっても後悔など抱いてはいけないのだ───!
……。
「んちゅ……んっ……はぷっ……はぁっ……んっ……」
……。
「ひっきぃ、ひっきぃい……! んっ……んくっ……ちゅるっ……」
……。
「ん、んーんー……んぷっ……は、はっ……はっ……」
……。
「ちゅぷっ……ちゅぅう……ちるちる……」
……。
「はっ、はっ……んー……! んー……! はぷっ……ひっ、ひっき、ひっきぃ……!」
……。
八幡、言いました。“好きなだけ”、言いました。確かに言ったアルヨ。イッタネ。イタヨー! イチャタアルヨー! ……いつまで続くのこれ!
やべぇ生殺しって言葉侮ってた! 世の男性諸君よ、堪える者よ、あなた方は偉大だ!
「ん、んっく……んっ……んー! んー!!」
唇をくっつけ、舌がより絡むようにと密着部分を深くし、結衣は自分の舌を俺の舌にぞるぞるとこすりつけてくる。その度にぞくぞくと、頭の後ろの……いや、もっと内側だろうか。説明しづらい部分に、ぴりりという奇妙ななにかが走る。
それが興奮と息遣いによって加速され、今まで決して噛み合っていなかった自分の中の何かが、少しずつ歯車を合わせ始めるのを感じる。
これは、なにかが危険だと体が訴えている。
いや、俺だってそりゃ、チッスの知識くらいはあるよ? 口をつけるのが口づけでキスで、舌を絡めるのがディープで……え? その先があったりするの?
エ、エロスはしませんよ? 大体そっちの知識とかアレがアレだしほら、ね?
なのに、結衣は逆にそれを求めるように体を密着させ、俺を押さえつけ、口と舌を合わせてくる。
二人の口周りはとっくにべたべた。しかしそれを汚いと感じることもなく、俺は受け入れ、結衣は与えもして、求めもした。
時に俺から絡ませれば、体は歓喜に震え、切ない声とともに、もう近づけないと解っているのにさらにさらにと体を押し付けてくる。
その体を抱き締め、頭を引き寄せ口を塞いでやれば、喜びを訴えるかのように一層に舌を絡ませてくる。
「───」
「───」
ぞろり、と自分の中で……恐らく結衣の中でも、何かが近づいてくるのを感じている。
それはきっと危険なもの。麻薬めいた、かなり危険な何かだ。
自分たちの中の何かを壊しかねないそれを、しかし気にしてしまった以上はもうどうしようもない。
歯車が噛み合う。
と同時に、脊髄を一つずつ確認して昇ってくるような、寒気にも似たなにかを確かに感じた。
「……ひっきぃいい……っ……!」
嗚咽混じりの声で、結衣が俺を呼ぶ。
俺も彼女の名前を呟いて、その右頬に手を滑らせ、やがて口を近づけた。
震える何かはすぐそこまで来ていて。
やがて、口が繋がり、舌が繋がり───ぞる、と舌のざらつき同士がこすれた時、それは津波となって俺達を襲った。
「───!! 、───ッ───ア……!!」
「…………!!」
体全体が硬直。息も詰まり、全身に信じられないくらいの力と……おそらく、快感、というものが走る。
体が痺れ、筋肉が限界を迎えたかのように勝手に力を抜くと、残るのは強烈な痺れと……強烈な快感と、強烈な愛しさ。
呂律の回らない口と声とで互いを呼び、上手く動かせない手足で相手を求め、ただ抱き締め、どうしてなのか涙した。
……溶けてゆく。
感じたのはそんななにか。
そんな筈はないのに、ただ、どうしても他人として感じていた壁が“溶けて”“解けた”ような、妙ななにかを感じたのだ。
それに安心して、目の見えない赤子が光を求めるように───力なく動き、吐息を伝い、キスをした。
途端、広がる安心感。
そして再びどくんと強烈な何かが走り、俺と結衣は互いの舌を噛まないようにするだけで精一杯なくらい、その強烈ななにかの津波に耐え……頭の中で───思考とかそういうのではなく、本当に頭の中に電流めいたなにかが走ったかのように体が跳ね、痺れ、力が走りすぎ、ガクガクと震え、急にその力が抜けて、けれどその入った渾身の分だけ体はがくがくと震え、口も震えているためかカチカチと歯と歯が小刻みにぶつかり、弱々しい吐息のままに涙を零す。
知らない。こんなもの、自分たちは知らない。快感と呼べるものでは、きっとない。
けれどそれは確かに嬉しいものの筈なのに、知らないからこそ体が震え、歯もかちかちと鳴るのだ。
ただし心を支配するのは恐怖などというものでは一切なく───……それは恐らく、一般的には幸福感、と呼ばれているものに違いなかった。
体に力など入らない。なのに体は、脳は、即ち比企谷八幡は心からの幸福を噛み締めており、結衣もまた俺の上で、その満たされた幸福故に涙を流していた。
ガキの頃に目を濁らせながら思ったことがある。
人なんて信じたって無駄だと。
友情だの愛情だのなんて嘘っぱちで、目に見えない何かを信じたところで、裏切られて泣くだけだと。
“本当”なんてものはない。世界にあるのは“嘘”ばかりで、人は“嘘を信じて本当のために動く人”を笑うものなのだと知った。
本物なんてあるのかと。求めたものは確かにあっても、それは俺にだけは掴めないものなんじゃないかって、いつだって疑っていた。
平等なんてものを初めて謳った人を、俺は許しもするし恨んでないともいくらだって言える。ただ、どんなことがあろうとも絶対に信頼などはしないのだろう。
今、自分の中にあるものは、とても大きな幸福と、信頼だ。
こいつは絶対に裏切らない。俺も、絶対に裏切らない。
だから、アホみたいに信じてみるのもいいじゃないかと、心と体が受け入れ切っていた。
俺と結衣の体になにが起こったのかなんて知りもしないけど、信じられるものがあるのなら、それでいい。
今後、結衣だけを信じて生きて行く、なんてことは絶対に不可能だって解ってる。
そこに一人二人を足した程度で、大事な人を守っていけるほど、世界は人にやさしくない。それも解ってる。
変わる必要があるなら、変わっていかなければいけない。
せめて、この、自然と涙を流せるほどに大切な相手を、守れるくらいに。
「……ゆい……」
「……はーくん……」
無意識にだろう、呼び方がはーくんに戻っていた。
けど、今はそれが嬉しいって思えるあたり、なんつーか……自分で思っている以上に、かなり、相当、単純なのね、俺。
「………」
「………」
どちらともなく顔を近づけ、二度、三度とキスをする。
チカチカする震えは未だに続き、けれどあの強烈ななにかはもう来ない。
それを残念に思うとか、良かったと思うかも気にすることもなく、ただただ離れたくないという気持ちを胸に、キスをした。
やがて多幸感に包まれながら、キスの最中に眠りにつく。
何時に寝たのかも解らないが、バイト用の早朝目覚ましが鳴った頃には、不思議と疲れも取れていた。