どこにでもあるようなガハマさんとヒッキーのお話   作:凍傷(ぜろくろ)

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やはり比企谷八幡は、自分を信じる者しか信じない

 で、早朝。

 リビングにて朝食用ドリンクを振る舞っていたわけだが。

 

「ひっきぃ……足いたい……」

 

 予想通り、足に来たらしい。むしろ昨日、夜になる前から少々ぎしりとしていたらしいが、寝れば治ると本気で思っていたらしい。

 結論を言えば、治るどころか足は痛かったようだ。

 

「悪いな。風呂に入る時、マッサージしろって言っておくべきだった」

「あ、ううんっ、ヒッキーはぜんぜん悪くないよっ! む、むしろ夜のは……その……うれし、かったから……」

「う、あ……お、おう……」

 

 断じて言おう。R18への扉は開けてない。キスだけだ。本当だ。

 けれどそれ以上の何かを二人で感じたのは事実だ。

 

「あの、二人だけの世界とかやめてくださいよ……ただでさえなんだか居心地悪いのに」

 

 半眼でこちらを睨んでくるのは一式だ。いや一色だ。

 どうせならってことで、まだすいよすいよと寝ていたのを結衣に言って起こしてきてもらった。

 

「大体こんな朝早くからなんなんですかー……私、夜とやらになにがあったのかよりも眠いですよぅ、せんぱーい……」

「ぼっちのための成長スキルその1だ」

「なんですか?《キリッ》」

 

 ……こいつ、やっぱぼっちの才能あるんでない? ……いや、むしろイジメを受けている自分、カッコワルイだな。

 

「逃げ足を磨く。スタミナを磨く。力をつける。特に逃げ足の速さとスタミナは大事だ」

「えー? 逃げるのって格好悪くないですかー……?」

「あ? なに言ってんのお前。めっちゃ格好いいわ。待てコラって追ってくるやつらを置いてけぼりにして走り抜ける自分を想像してみろ。相手にとっての勝利条件がお前を捕まえることなら、お前にとっての勝利条件は逃げることだろが。相手が疲れたあとに振り向いて、余裕の顔で笑ってやれ」

「やります《キリッ》」

 

 あれ? この娘ったら案外チョロい? いや純粋なだけだから。つまり俺もこいつもめっちゃピュア。

 

「よし結衣、ちょっと足見せてみろ」

「え? あ、うん…………え?」

 

 椅子に座っている結衣の前に跪いて、軽く立てた片膝に結衣の足を乗せるようにする。

 そしてアキレス腱から脹脛までを親指と人差し指で揉んでゆき、その後に爪先を伸ばして、戻して、指を上に向かせて、を軽く繰り返して、最後に足の指で拳を作るようにギュウウっと畳み、パッと開かせを繰り返してみる。それが終わったらもう片方だ。

 

「どうだ?」

「あ、うん……なんかちょっとあったかくなってきた」

「少し歩いてたらすぐに痛みにも慣れてくるから、今日はジョギングじゃなくて早歩きだ。明日平気そうならまたジョギング」

「うん」

「一色もそれでいいか?」

「え? でも私はジョギングなんですか?」

「ジョギングではあるんだけどな、やるのはスロージョギングだ」

「あ~、あれですかー……」

「あれ? いろはちゃんやったことあるの?」

「……結衣先輩と同じ道を辿って、一日で……」

「あー……そ、そっか……あたしもヒッキーが居なかったら、もうやめてたかも……あはは」

「欠点としては、前傾姿勢でやる所為で足の幅が無意識に広がりがちになるんだ。お陰で歩くよりも痛烈な体重が爪先にかかって、普段使わない部分に一気に負担がかかる。慣れればどうってことなくなるんだけどな。それこそ、走るみたいな幅で大きく足を広げて走っても、息は乱れるけど足は大して疲れない。あ、もちろんつま先でな? 地面を蹴ったら普通に疲れるから」

「うーん……同じ“走る”って方法なのに、それだけでそんなに違うなんて……なんか、不思議」

「それ言ったらお前、夜のあれなんてどう説明つけるんだ……よ…………《かぁああ……!》」

「え? あ───あー…………《かぁああああ……!!》」

 

 疑問をそのまま口にして後悔した。ああ顔熱ぃ。

 

「そ、そだね、そだねー……えへへ……で、でもあの、原因は解らなくても……ね?」

「う……まあ、アレ、だったけどよ……」

「………」

「………」

「…………《かぁあっ……》」

「…………《てれてれ……》」

「あーもう鬱陶しいです行くならいきましょうよー……」

「お、おう悪い」

「そ、そうだね、いこっか。ヒッキー、時間はだいじょぶ?」

「おう。早歩きならスロージョギングより余裕だ」

 

 話しながら準備をして、いざ外へ。

 小町はまだ寝てるだろうから鍵を閉め、いざ……まずは準備運動からか。

 

「じゃ、行きますか」

「一色、準備運動が先だ」

「えー? 大丈夫ですってー」

「お前なぁ、そんなんだから三日坊主どころか一日淑女やるんだよ」

「なんかヤですねその名前! ……はーぁ……解りましたよぅ、やりますよー……」

 

 決まってしまえばえっちらおっちら。

 足を伸ばす運動を基本に、体をほぐしていった。

 

「でもあれですよねー。一日淑女って、飽きが早い面倒くさがりなお嬢様とかが似合いそうです」

「お嬢様か……んん、だとしてもなんつーか、なんだかんだ運動神経もよさそうだし、一日ってのが逆に合わなそうだな」

「そっかなぁ……あ、じゃあ体力の無いお嬢様とかどうかなっ!」

「むしろそれって居るのか? なんつーのかな。お嬢様って親にいろいろ習わされて、体力とかもありそうじゃないか?」

「あー……そっかぁ。でもさ、案外さ、なんでも少しやっただけで完璧にこなせちゃって、体力がつく前にやめた所為で、なんでも出来るけど体力が無い所為で続かない~なんてお嬢様ってのが、もしかしたら居るかもしれないじゃん」

「そりゃ見てみたいな」

「見てみたいですね」

 

 居たとしたらどんなやつだろう。体力はないけどなんでもこなせて偉そうで成績優秀で……体育以外の成績がパーフェクト超人? 見てみたい。

 見たこともない存在に適当な言葉を投げながら、準備運動を済ませる。

 それからはよたよた歩く結衣を気遣っての早歩きが始まった。

 

「う、うー……びっこ引く歩き方ってなんかかっこわるい……」

「あ、じゃあこんなのはどうですか結衣先輩っ、腕を大きく連続で振るうことで、足へかかる体重を外へ逃がすとか!」

「漫画であるあるな理論だな」

「え? こうかな……ほっ、はっ!《ぶるんっぶるんっ》」

「……ゴメンナサイ……っ……」

「なんで泣きそうな声で謝るの!?」

「結衣。上半身を振るうのはダメだ。男どもの目が潰れることになるし、一色が泣く」

「あれ? なんかあたしが悪いみたいになってる? あたしなんかした? ねぇヒッキー。ヒッキー?」

 

 ニブツがニブツが言ってる一色の肩をポムと叩き、疑問符を浮かべる結衣とともに新聞屋を目指した。

 

……。

 

 早歩きで移動して、新聞を受け取る頃には、結衣は足にある違和感に大体慣れていた。

 平気そうかと訊ねればドヤ顔で胸を張る。

 

「ヒッキー、やっぱあたし運動の才能あるってば!」

「そーなのかー」

「なにそのすっごい棒な返事! 真面目に聞いてってばヒッキー!」

「んじゃ結衣、スクワットしてみような。いいか? こう、爪先より前に膝が出ないように腰を屈めるんだ」

「こう? んんっ……」

「ああ、手は前に突き出したほうがバランスは取れるな」

「あ、それ私も知ってますよ先輩。こうですよね」

 

 一色がスクワットをすると、結衣はそれを見てホヘーと妙に感心しているようだった。

 

「あぁ一色、見た目は合ってるけどそうじゃない。勢いじゃなくてな、全部筋肉でやるんだ」

「え?」

「全部……筋肉、ですか?」

「そ」

 

 言って、見本を見せる。

 まずは尻の筋肉に力を込めるイメージでゆっくり腰を落としてゆく。当然膝は爪先より前に出ない。

 手は胸の前で合わせてあり、それを内側に押し込むように力を込めることで、胸筋にも刺激を。

 

「こうやってケツの筋肉と腿の筋肉だけでゆっくり下に。膝とケツの高さが同じくらいになったなと思ったら、今度は尻と腿の筋肉に力を込めたまま腹筋をイメージして力を込めて起き上がる。この時も反動とか勢いを利用するのはNG。あくまで筋肉だけでだ。ほれ、これを15回。全部出来たらご褒美&運動の才能アリと認めよう」

「15回でしょ? 楽勝じゃんっ!」

「あ、あの結衣先輩? それ───」

「ほらいろはちゃんも一緒に!」

「うあぁあ……」

「ま、なんだ。お前も出来たら、何かジュースでも奢ってやるよ」

「先輩、報酬がそれって、やっすいですよ……もっと目立つ甲斐性とかないんですか?」

「じゃあ一色が成功したら昼飯も奢ってやる。結衣に」

「私全然得しないじゃないですかー!」

「うるせ、奢られて当然とかもっと高いものとか贅沢言うやつなんざ敵だ。あとなに? 甲斐性? 俺に頼りがいがあるように見えんのかお前」

「少なくとも結衣先輩にはその塊として見えてるんじゃないですか? 私としても、同じクラスの人達よりはよっぽど話しやすいですよ、先輩は」

「えー……?」

「なんで嫌そうな顔するんですかー!」

「だってお前、友達が居ないとか言いながら入り浸りそうなんだもん……」

「真正面からほんと容赦ない人ですねこの人……」

 

 ほっとけ、これでも“他人”への対応の中じゃマシな方だ。

 なんて言ってる内に、腰に衝撃。見下ろせば、情けなくも足をガクガクと震わせた結衣が、俺の腰に抱き付いて涙目になって俺を見上げていた。

 

「おい、まだ十回もいってねーでしょ……」

「た、倒れてないからノーカンだよね……!? あたし頑張るからっ、あと8回頑張るからっ……!」

「人に寄りかかって足を休めた時点で失格だっつの。それより行くぞ、新聞を待っている者たちのためにも……!」

「やぁあ~~~……! ごほーび、ごほーびいぃい……!!《ずりずりずり……!》」

「ちょっ、やめろばかっ、ジャージがずり落ちるっての……!」

 

 俺からのご褒美になにをそんなに期待したのか、抱きつかれたまま歩く俺の後ろからずりずりと引きずる音。だが既に試合終了となっているのだから知ったこっちゃない。

 俺は天使にはやさしいが、堕天使にするつもりなどないのだ。だからこうして《スッ》心を鬼にして《抱きっ》一歩一歩を歩む所存でありまして《横抱きィーーーン!!》。

 

「あのー、なにをいきなり凛々しい顔してお姫様だっことかやってんですか」

「あ? なに言ってウォアッ!!?」

「ひ、ひっきぃ……? え、えと、えと、うれしーけど、いきなりとかちょっと恥ずかしい、かな……! あ、ほんと嫌とかそんなんじゃないくてっ……そのっ……えとー……! むしろやっぱ嬉しいってゆーかっ……あぅ、あぁぅぅう……!」

「………」

 

 まじかようそだろ? いったいどうなってやがる。

 信じられるかボブ……あ? なにがって、まずは聞けよ。俺はよ、天使に対して心を鬼にして、愛しいってのに突き放したんだ。いや、突き放したつもりだったんだよ。聞けって! 違う! ノロケとかじゃねぇんだよボブ! 信じらんねぇかもしれねぇが、俺はよ、気づいたら……俺はよっ! 天使を横抱きにして立ってやがったんだ! おかしいだろおい! 違う! だからノロケじゃねぇよ! だからってマボロシ見たわけでもねぇ! 落ち着けボブ!」

 

「落ち着くのは先輩だと思いますよ……」

「《ビビクゥッ!》ひゃいっ!?」

 

 え!? 俺声に出てた!? やだ死にたい! 助けてボブ!

 

「いや……その……な? アレだよアレ……いい加減焦った時にポルナレフるのはやめようって思っただけなんだ……。外人風に説明することで心の平穏を、だな……」

「知りませんよ、誰ですかボブって」

「ほんと誰だよ……」

 

 でも歩く。

 歩いて、一色の視線を浴びすぎたので、結衣を下ろした。

 

……。

 

 新聞配達は滞りなく終了。そのまま家に帰って、散歩がてらに一色を駅まで送り、自分たちは自宅へ。

 それから昨日と同じことを済ませて、そのまま学校へ。

 

「いろはちゃん間に合ったかな」

「大丈夫だろ。まだまだ時間も早かったしな。あーあとこれ、弁当だ。昼に食え」

「ほえ? ……ふえっ!? いいの!? てゆーかどういうハゼの吹き荒し!?」

「風の吹き回しな。怖ぇよハゼ。なにやったんだよハゼさん」

「えっ!? あ、う、し、知ってるし! ただちょっと間違えただけじゃん! で!? そのカゼノフキ・マワシさんがどしたの!?」

「………」

 

 ほんとこいつ、どうやって総武に合格したんだろ……。ママさんからは、ただひたすら頑張ったとしか聞いてないが。

 そもそもそれを言い出したのはお前なんだがな。

 

「ちょっと!? なんで溜め息吐くし! ……もしかして、なんか馬鹿にしてない?」

「なんでもねーよ。弁当のことだけどな、今のお前に合った栄養っての考えて、俺が作った。ママさんには昨日、結衣と一色が風呂に入ってる内に連絡してあったからな、今日弁当無かったろ」

「あ……そういえば、おべんともらってない」

「お前、それ普通だったら弁当忘れてるからな?」

「感じ悪いなぁ、大丈夫だもん! いつもはママが教えてくれるし!」

「おい」

 

 それ、教えてもらってる時点で普通に忘れてるからね? しかも日常化してるみたいなことを胸張っていってんじゃありません。婚約者が恥ずかしくて泣いちゃうでしょ。

 

「…………でもね、ありがと。ほんと、ヒッキーにはもらってばっかだなぁ」

「お返しとかいらんからな。むしろ俺だってもらってばっかだ」

「……あたし、ヒッキーになにもあげてないじゃん」

「もらってんだよ。ぼっちには眩しすぎるもん、いっぱい。人並み以上の幸せなんてもんもらっちまったら、意地でも幸せにしたくなるだろうが」

「ふえっ……!? ……ひ、ひっきぃ……?」

「……《がりがりがり……》……あー、だから、なんだ? そのつまり……《ふいっ》……そーゆーこったよ。言わせんな恥ずかしい」

「《かぁあ……》そ、そーゆーこと、って…………《ちらちら……》その、言ってくんなきゃ……解んないし……《こねこね》」

 

 赤くなった顔で、こねこねしている指と俺とを交互に見ながら、彼女はそう言った。

 あ、きみそういうこと言っちゃう? 言っちゃうのん?

 

「だから。その。…………~~ちょっとこっち」

「《ぐいっ》わひゃうっ!?」

 

 こねこねしていた手……ではなく手首を掴んで、壁の傍に結衣の体を逃がす。道路の真ん中じゃ、何気なく外を見たお家の方々とかに見られるかもしれない。それは恥ずかしい。

 だからちょっと焦りも混ざった勢いのままに結衣を壁側に逃がしたんだが……ちと焦りすぎたらしい。結衣の背中がトンと壁に当たってしまい、こっちもそれに動揺すると同時にバランスを崩し、結衣ごと壁に激突───する寸前、咄嗟に壁に手をついて事無きを得る。

 事無き、どころか危うく結衣の顔に掌底ぶちかますところだった。伸ばした手が、結衣の顔のすぐ横にツッパリ入れる勢いで、ダンッと当たってしまったのだ。

 結果として勢いに持っていかれた体重ごと壁に預けるかたちで、右手は結衣の左耳の傍の壁につき、顔は結衣の右耳の傍という超至近距離状態。

 あっぶな……! 落ち着けよ俺、どんなに焦っても、結衣に怪我をさせるなんてことだけはあっちゃならない。

 ほら見ろ、さっきまで可愛い顔でもじもじしてた顔が、今はこんなに恐怖に…………あれれ? 染まってないよ? どころか目をすっごい潤ませた期待と不安を混ぜたみたいな顔で、「はわわわわわ壁ドンだ……!」とか言ってる。

 え? なに? カベ・ドゥーン? 魔王様がカツ丼に対して言いそうな名前ですね。

 そんな結衣が、真っ赤な顔のままにふるるっと震え、おそるおそる持ち上げた両手で、俺の制服の胸元をきゅっと握ってくる。───その時、気づいた。

 結衣の顔の横……現蜜に言えば後ろの壁だが、そこに妙な虫が。

 教えてしまえば盛大に驚いて暴れることが予想される。ここはあれだろう。静かに、ただ騒ぐなって意味で───

 

「動くなよ、結衣《ぽしょり》」

「《びくんっ!》ひゃうんっ」

 

 ぽしょりと結衣の耳元で囁くように、しかし聞き取れなかったら困るので、小声ではあるものの言葉としてハッキリ言ってやると、ぴくんと肩を震わせ、なぜか「は、はい……」と委ねきったみたいな、安心した声を出す結衣さん。え? なに? なんなのこれ。

 まあとりあえず結衣が気づかないように虫はデコピンで吹き飛ばす。やったら硬かったから、たぶん死んではいないだろう。デコピンしたこっちが痛いレベルなんだが……なにあれ。

 

(あ)

 

 で、気づく。目の前に、結衣の耳。

 

「───」

 

 そういや犬モードの時、ハムハムされた恨みがあった。

 たまには天使に下克上ってのもいいのではなかろうか。

 人がやめてって言ってんのに聞いてくれないヤツには、正当な反撃だと思うのだが。

 

「……《そろり》」

「《ぴくんっ……》ひ、ひっきぃ……? あの、息が《はむっ》ひゃぅううんっ!!?」

 

 はむりと、耳を唇で挟んでやった。

 するとよっぽどびっくりしたのか、悲鳴にも似た声を出す結衣。

 ……俺はさらにこれから、耳を銜えられたままぺろぺろと舐められたりしたな。

 すまん結衣、これも仕返ししたいだけなんだ。やられたらぞわぞわと気持ち悪いということ、思う存分味わわせてくれよう、ぞ。

 そんなわけで舐めた。甘噛みした。キスをした。息を吹きかけた。

 面白いくらいに体がびくびくと震えるものだから、教え込めばもうしないだろうと続けた。

 続けて続けて、涙を浮かべたままカベ・ドゥーンの所為で逃げられない結衣の耳を執拗にイジメ続け、やりすぎると、というか鞭ばかりがすぎるとあとが怖かったので、本気で泣きそうになるとキスをして、安心したところでまた耳を攻撃。

 そんなことを続けていたら、突如としてがくがくの結衣からの反撃のディープキスが繰り出された。

 深く深く、口全体で俺の口を完全に塞ぐみたいに密着したそれと、同じようにかたかた震えていたとは思えないほどに力強い腕で抱き締められた俺の体。

 途端、俺の口内に結衣の絶叫が響いた。といってもそれは声にならない声のようなもので、いつか幸福が爆発したあの夜の悲鳴にも似たものだった。

 現に結衣の体は突っ張り、がたがたと震え、しばらくするとそれも治まるが、結衣は涙をこぼしたままにずうっと俺にキスをしていた。

 

  ……で。

 

「ばか、きもい、ばか、ばか、ばか、きもい」

「………」

 

 結局は通学路を歩んでいるわけだが、もう凄い。なにが凄いって、結衣の語彙が。

 相当ご立腹……なんだろうが、“きもい”と“ばか”しか言ってない。

 その上、腹を立てているんだろうに俺の右腕に腕を絡め、ほぼ密着状態で登校中。なにこれ怒ってるんじゃないの? 手は恋人繋ぎでしかも超密着状態。ばかとか言いながら体を摺り寄せてくるし、さっきから頬も腕にこすり付けっぱなしだ。なんかマーキングされてる気分。

 時々ふるりと震えながらも腕から離れず、見上げる表情は切なそう。犬モードを無理矢理押さえ込んでいるような、甘えようとする自分を押さえ込んでいるような。

 ちなみに振りほどこうとすると、絶望を貼り付けたような寂しそうな顔で見上げてくるので、フリホドク、デキナイ。なんなの? キモいんじゃないの? いやキモいけどさ。道端で女子高生を壁に押し付けて耳を執拗に責める男。……ほら、キモい。やべぇほんとキモい。今さらながらダメージがデカい。

 

「…………《じっ……》」

 

 ていうかね。

 

「ばか……ばかばか、ばか……」

 

 うん。なんか、違うかも。

 

「……《じっ……》…………《すりすり……ぎゅうっ……》」

 

 ばかとかきもいとか言いながら、手はぎゅーっと恋人繋ぎのまま握ってくるし、その上の腕は結衣の腕と絡まったまま。肩付近は寄り添うように預けられた顔があって、そんな状態で歩いているわけだが、気づくと顔をじいっと見られている。

 なに? なんかへんなのついてる? 顔を手で撫でてみてもなにもない。どころか余計に結衣の機嫌が悪くなった。

 ほむ。顔になにかついているとかの話ではないと。つまり俺の目を見てなにかを訴えかけているわけだ。そしてそれを、俺自身に気づいてもらった上で言ってほしい、的な。

 大丈夫だ、俺も日々女性についてを学んでいる。知恵袋先生とかで。ケータイやスマホは悩める少年の宝具であるな。部屋でトイレでリビングで、好きな時に答えを得られる。面と向かって相談出来ないことでも、きちんと答えてくれる人が居る。……そもそも相談出来る相手がいないんだが。え? 戸塚? 天使にこんなこと訊けるかよ。

 というわけで知恵袋先生にベストアンサーがあった過去の相談話があって、それを参考にいろいろと調べたさ。

 つまりこの状況における“男性”の立場とは。

 

(嫌われているわけではないが、気づいてくれなきゃ嫌いになるかもってパターン、だと思う)

 

 では気づこう。なにかを見落としているのだきっと。

 それはなにか。……そもそも俺はどうして結衣を壁に───ア。

 

(結局俺、そういうことだよとか言って明確な答えを口にしないままだった)

 

 それなのにいきなり壁に押し付けてイジメに走ってしまった。そりゃ、印象も悪くなるし拗ねもする。ばかって言いたくもなるし……おおキモいな、こりゃ確かにキモい。

 じゃあどうするか?

 

「結衣」

「!」

 

 声をかけると、ぱあっと明るくなる表情───が、ハッとなると頬を膨らませてそっぽを向いてしまう。あら可愛い。

 そんな結衣の頬に、掴まれていない左手で頬を包み、軽くこちらを向かせるのだが、イヤイヤとばかりに首を振ってそれからも逃げる。

 

「話の続きだけど」

「!《ばっ!》」

 

 一言であっさりと向き直った。目が、目がものすごい期待を孕んでおります。

 ふええ……これ言う言葉間違えたら絶対に嫌われる流れだよぉぉ……! いやマジで。

 

「その……だな。すまん、照れ隠しにしたって回りくどいこと、しすぎた」

「……そ、そうだよ……。それに、こんな、外でだなんて」

 

 おい、それってば室内だったら……ゲッフゲフ! ……今はそれは置いておこう。

 

「でもな、俺には本当に結衣だけだから。幸せにしたいって思える相手はお前だけだから。だから……その。こんな風に思えるようになった自分を、感謝したいんだ。……だから、アレだ、ほら……その」

「…………うん」

「……いっつも、幸せだ。そんな幸せってもんをたくさんくれて、よ……その…………あ、あんがと、って……そう言いたかったんだ」

「…………」

「お前だけがもらいっぱなし、なんてことはないんだよ。むしろ俺の方がなにかしてやれないかって不安ばっかだ。昔っからお前、可愛かったからな。幼馴染ってことでいつも比較にだされて笑われてた俺だ。きざったらしいイケメン野郎がわざわざ俺に釘を刺しにきたり、勘違いした馬鹿が俺にお前を紹介しろとか言ってきたり。……もやもやするなにかなんて、振られる前に捨てちまえば楽になれるって思ったこともあったのに」

「……はーくん……」

「俺の所為で結衣が笑われるのが嫌だった。好きな人は守るものだってママさんに教えてもらった時、俺にでも出来ることだって言われた時、本当に嬉しかった。“それ”のためなら、自分は悪になれるって」

 

 好きな食べ物と嫌いな食べ物があったとする。

 俺はその食べ物が嫌いで、隣のそいつはそれが好き。

 俺は好き嫌いをするななんて大人の言葉よりも、“それ”を美味しく食べられる人が、それを美味しく食べるべきだと思う。

 だから俺は食べない。それをそいつに譲って、俺はそいつの嫌いな、俺が別に好きでもなければ嫌いでもないなにかを食べる。

 そいつは笑顔で、俺はなにも感じない。

 ただそれを糧に、次もなにも感じずに食べるのだろう。

 わざわざ嫌いなものを嫌いなやつが食べる必要はない。

 だから───痛さが苦手なやつが痛い思いをするくらいなら、痛みに慣れたヤツが悪になって、周囲が正義として笑っていればいいと。

 ……きっと、いや絶対に、ママさんは俺に、そんな守り方を望んだわけじゃなかった筈だ。

 でも、言われた時にはもう、そんな解決方法しか思い浮かばなくなっていたから。

 すぐに助けたいのなら、代わりが居なければ世界はやさしさを差し出してはくれないって知っていたから。

 

「幸せなんて、言葉だけのものだって思ってた。喜びは知ってる。痛みは……知りすぎてる。俺以外の全員は弱者のもがく姿が大好きで、そんなヤツを見下ろしては笑う存在で。……人なんて信じるだけ無駄だって知ってた。笑うやつらが、大人たちが口々に言う“みんな”はいつだって正しくて、その下でもがく“ぼっち”には絶対に手を差し伸べない」

「………」

「学ぶことが多い時は楽しかった。全部が全部“本当”に溢れてたんだ。大人も嘘はつかなかったし、周囲だって覚えたてのことをただ自慢するように喋るだけだった」

 

 でも、いつしかそこに、子供が考えた嘘が混じった。

 

「そこに嘘が混ざってから、世界なんて綺麗なものじゃないって知った。いいヤツだと思ってたやつが簡単に人を馬鹿にして笑うやつに成り下がって、それでも信じたくて、“本当”の先を求めて……」

 

 通学路でなにを語りだしているのか。

 そんな言葉を、冷静な自分が語る。

 なのにこの口は黙らない。泣く子供が延々と同じことを繰り返すみたいに、そこに嗚咽が混ざってもそれを飲み込み、話し続けた。

 どうしてだろう。

 そう考えて、ただ単純な解を答えとして出した。

 ……ガキが言葉を語る時の理由なんて、いつだって決まっている。

 ずっと昔からそんな話さえ誰にも聞いてもらえなかった孤独な腐った目のガキは、ずっと誰かに話を聞いてほしかったのだ。

 笑顔で語る自慢話も、怒った顔で口にする誰かの悪口も、聞いてくれる人は居なかった。

 ママさんの前では我慢出来る自分でいたかったなんて、くだらない理由で我慢をして、壊れ、泣いたこともあった。

 けれど、結局は全てを話さなかった。

 その時に話すべきことだけを語り、それ以外は一切。

 

「……なぁ、結衣」

「……うん。はーくん」

 

 だから言う。泣き言を並べたりした。普段からの不満も随分とぶちまけてきた。

 気づけば普段からでもなんでも言っている自分が居て、自虐ではなくべつの不満を口に出来る相手が居ることにひどく安心しながら。

 

「信じていてくれて、ありがとう」

 

 嘘つきが嫌いだったガキが居た。……居た筈だった。

 でも本当は、信じた先でその人が嘘つきになってしまうのが嫌なだけだった。

 その人にはやさしいままで居てほしかった。

 嘘つき、なんて存在じゃなく、笑って遊べる誰かで居て欲しかっただけなのに。

 嘘つきになってしまったその人はすぐに黒くなっていき、いつしか人を傷つけるばかりになってしまった。

 初めましては幸せだった。

 笑顔で居られた日々を思えば、たまらなく嬉しかった筈なのに。

 気づけば周りは黒ばかりで、独りだけ腐った色のガキは、いつだって独りで悪だった。

 

「嘘をつかないってしんどいよな。いっそ傷つけたままだったら、人との関係なんて楽なのに」

 

 正義は悪には厳しいもんだ。

 幼い頃、親父は笑いながら、俺を胡坐の上に乗せながら、特撮ヒーローを見て笑っていた。

 まだ俺の居場所が親父の膝の上だった頃の話。

 ふと気づけばその場所には妹が居て、家にも外にも俺の居場所は無くなって。

 いいお兄ちゃんでいれば、また一緒に笑ってくれるだろうかと思って頑張っても、妹が懐くたびに親父は俺を嫌っていった。

 だから妹を突き放せば妹は泣いて、親父は俺を叱り、時に殴った。

 なにが正しいかなんて、基準自体がない世界を、いつか憧れた親にこそ振るわれた。

 正義になれば嫉妬され、悪になれば殴られて。中立に立てばはっきりしないと怒られる。

 そんな嘘だらけの世界でいったいなにを信じて、なにに体重を預ければ……また、素直に笑っていられたのだろう。

 “誰になにを言われてももうそれでいい”と、腐った目で見つめた道の先にここがあった。

 歩いて歩いて、嫌われ続けて、トラウマだっていっぱい出来て。

 そうして辿り着いた先に、確かに……救いはあったのだろう。

 

「でも俺は……嘘をつくななんて言えない。自分を騙すななんて言えない。思うとおりに笑って泣いて、怒ってくれる人がいい」

「……はーく───」

「幸せにしたいんだ。幸せになってほしい。それは俺の本心で、でも……俺に出来ることなんて、絶対に“みんな”よりも少なくて……よ。だから……───だから」

 

 “みんな”に見下されても、ママさんに呆れた目で見下ろされる日が来てしまうとしても。俺はきっと同じことを願うだろう。

 

「結衣が幸せになれるなら、俺じゃなくても《がぢぃっ!》んぐっ───!?」

 

 唐突に。口に痛みと、鈍い鉄の味が広がった。

 目の前には泣いた結衣の顔。

 キスされたんだって思った直後、思い切り“ばか!”と怒られた。

 

「そんなの絶対やだ! 言ったじゃん! ヒッキーはあたしが幸せにするって! あたしだってヒッキー以外に幸せにされるなんて絶対やだ! 全部ヒッキーがいい! 楽しいことだってつまらないことだって、嬉しいことだって悲しいことだって、全部全部ヒッキーがくれるから大事に出来るんだ! 他の人からのそんなものなんて要らない! だからっ…………───だから……俺じゃなくても、なんて……言っちゃやだよ……っ……」

「………」

 

 幸せをありがとう。

 楽しいって、嬉しいな。

 それをくれたきみにありがとう。

 言いたかったことは、伝えたかったことは、きっとそれだけ。

 でも、捻くれてしまった自分にとってはそんなことを言うのでさえ困難で、気づけば涙をこぼす幼馴染がそこに居た。

 

「ゆ……い……」

「……うん」

「俺は……俺は、お前になにかを……」

「うん……いっぱいもらってるよ……?」

「……つまらないこととか、悲しいことばっかりじゃ……ないか……? 解んねぇんだ……───俺には、俺の言葉で笑ってくれた人が……喜んでくれるような人が、居なかったから……」

「居るよぉ、ここに……えへへっ……あたしが、ずっと居るよっ?」

「……信じていいかって言ったのに……俺、たぶんまだ疑ってるんだよ……。いつだってなにか行動しようとする時、“みんな”が邪魔をするんだよ……。お前の常識はおかしい、お前はそんなことも知らないのかって」

「ヒッキーが知らなかったら、あたしなんてもっと知らないもん。だいじょーぶ。馬鹿でもさ、一緒なら解んないとこ、埋めてけるよ。あたしは勉強とかできないけど、ヒッキーは出来る。ヒッキーはそういう感情的な部分に苦手なとこがあるけど、あたしはだいじょーぶ。ほら、二人ならだいじょぶだよ」

「……けどよ、お前は」

「一番最初にヒッキーの言う“みんな”に、あたしは言ったよ? 人の想い、ナメすぎだって。あたしはヒッキーが大好きだって。すっごく恥ずかしかったけどね? そんだけ好きだってこと、受け止めてほしいな」

「………」

 

 そっと、結衣の両手が伸びて、俺の両頬に触れる。

 まっすぐに向かされた視線の先には、俺を見上げる結衣。ちょっと傷ついてしまった唇が痛々しい。

 

「またひとつ、ヒッキーのこと知れたね」

「……な、なに言って」

「信じるって難しいけどさ、傷つくことばっかだけどさ。たぶんね、それはやめちゃいけないことなんだよ。どんだけ傷ついても、どんだけ泣いちゃってもさ。……人よりいっぱい信じていっぱい傷ついたヒッキーがどれだけやさしいか、あたしは知ってるから。それが間違いだなんて、絶対に言わないよ? うん、ヒッキーがんばった! すっごいすっごい頑張った! でも……けど、けどさ」

 

 ぽつり、と。涙がこぼれた。

 それは俺のものだったのか、結衣のものだったのか。そう思う前に、結衣の口が、もう一度俺の口を塞いだ。

 その時に頬も触れ合い、どちらの頬にも涙が触れてしまい、それこそどちらのものかも解らなくなってしまったのに───

 

「……自分から傷ついちゃ、やだよ……」

 

 ───……その言葉で、それが自分の涙だと解った。

 

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