どこにでもあるようなガハマさんとヒッキーのお話   作:凍傷(ぜろくろ)

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漂うどころか紅茶すらまだ登場してないよ!

プロトからのネタ=まだ一年だから氷の女王に至ってない弱いゆきのん

60回隠されるのと焼かれるの、どっちがマシなんだろ……。探せば見つかるものと、戻ってこないもの……そして金のかかるもの。うん、アレだ。

今回の内容は相当強引だから気をつけてくださいまし。
この回、すっ飛ばそうか修正しようか結構迷いましたけどこのままGOでいきますね。


なるべくして、その部屋に紅茶の香りが漂い始める①

 そんなこんなで放課後。

 平塚先生から奉仕部の部室の場所を聞き、こうして特別棟まで来ているわけだが。

 特別棟の四階、東側に位置するひっそりとした雰囲気のここに、それはあった。

 とはいっても奉仕部だとか書いてあるわけでもなく、見上げてみれば───年組が書かれてあるべきプレートにはなにも書かれておらず、教室からはなんの音もない。

 

「ほんとにここなのか?」

「うーん、平塚先生はここだって言ってたけど……」

 

 言われたからにはここなのだろう。

 居なかったら居なかったでそれでもいい。とりあえずはとノックをしてみると、中からは「どうぞ」の声。

 まあ、なんだ。一応人を迎え入れる気のあるなにかであることは確からしい。

 

「………」

「………」

 

 頷き合って、戸を開け中へ。

 入ってみれば、なんとも殺風景……とは違うか。飾る気もない空間と、奥……教室で言えば後方に押し込められた机や椅子の山。

 窓は開けられており、時折流れ込む風がカーテンをひらりと揺らしている。

 教室前方に置かれているのは机と椅子の一つずつであり、言ってしまえば教卓すらない。

 机は窓際に置かれ、ちょこんと鞄が乗せられている。

 そして、窓から少し離れた位置に置かれた椅子に───そいつは居た。

 

「───……」

 

 さあ、と吹く風に長く黒い髪が揺らされる。

 それを左手で掬い、耳の後ろに流すようにしながら、そいつは俺と結衣に視線を向けた。

 ……おっと、入っておいてなにも無しは失礼だ。俺はぼっちではあるが無礼者とは違う。

 

「失礼します」

「え? あ、失礼しまーす」

 

 言ってみれば、黒髪の女はふぅと息を吐いて目の鋭さを少し緩めた。

 ……おう、実はちょっと鋭かった。あれな、警戒する猫みたいな。

 

「由比ヶ浜結衣さんと、比企谷八幡くんね」

「えっ?」

 

 えっ、なに? なんで名前知ってんの? やだストーカー? ……いや、別に俺だったら絶対言われる言葉とか連想したわけじゃねぇよ? ぼ、ぼっちだからってなんでも自分に置き換えてみることに長けているとか、そ、そんなんじゃないんだからね?

 

「すごい、あたしたちのこと知ってるんだっ」

「全校生徒の顔と名前を知っているわけではないけれど。同じ一年の人くらいは」

 

 おいおい……同じ一年って、ひと学年何組あると思ってんの?

 国際教養科も合わせりゃ結構な数なんですけど? え? それ全部覚えてんの?

 俺なんて同じクラスでも戸塚と佐藤くんくらいしか知らないんですけど。むしろ佐藤くんもあんな性格じゃなけりゃあ名前も覚えなかったまである。

 

「───」

 

 ただまあ、なんてーの? パッと見た時から感じたものはあった。

 それは……同属共有感覚にも似たアレ。スタンド使いがスタンド使いと引かれ合うみたいなアレだ。

 人の顔と名前を覚える? この短期間で、ひと学年とはいえ自分のクラスだけでなく他のクラスまで?

 さて問題だ。新一年生が眩い青春の第一歩を踏み出したって時に、んーなことに時間を使うのはどんな人種でしょう。この中から選べ。

 

1:人間大好き友達百人計画実行者

 

2:よぅし、チェックだチェックゥとか言って女どころか男の情報も追っている早乙女的な誰か

 

3:己のためだけに全時間を自由に使える最強人種

 

 結論:3である。またの名をぼっち

 

 なるほど、他人が入ってきた時点で目を鋭くさせて警戒するわけだ。

 

「それで、どういったご用件かしら」

「あの、ここってえーと、お魚に餌をあげるところなんだよね?」

「…………少し待ってもらえるかしら。どうしてそんな話が広まっているのか、そしてあなたはそれを聞いてここになにをしに来たのか、是非とも教えてほしいのだけれど」

「あれ!? 違ったっけ!? ヒッキー違うって!」

「………《じろり》」

「おい待て、俺が言ったみたいに睨むんじゃねぇ。誤解だ。あのな、メール開いてもういっぺんよーく見てみろ。なんならそのメールをそいつに見せてくれたっていい、俺は無実だ」

「えっと《カタカタ……》あ、えっと。魚を与えるんじゃなくて、魚の釣り方を教える場所、って書いてあった」

「おうそれだ」

「……釣り部?」

「奉仕部だっつってんだろうが」

 

 思わずツッコムと、黒髪がこほんと咳払いをした。肩が微妙に震えているが、笑いでもしたのか?

 

「それで、結局どういった用件なのかしら」

「あ、はい。えっと、料理が上手くなりたいです!」

「お前はこの部活を潰す気か」

「いきなりひどくない!?」

「あ、あー、すまん、知っての通り比企谷八幡だが、こいつの調理の腕は壊滅的だ。傍について一から十まで教えて、手本も見せて、逐一こうやれと教えても目玉焼きがジョイフル本田の木炭になるレベルだ。無茶で無謀な依頼をしかけた、すまん、忘れてくれ」

「ヒッキーが社交的になるほど危機感持ってる!? え、ちょ、えー!?」

「……わざわざの忠告をありがとう。それとごめんなさい、一方的に名前を知っているというのにこちらは名乗っていなかったわね。雪ノ下雪乃よ」

 

 雪ノ下……ああ、こいつが雪ノ下雪乃か。学力テスト学年1位の。

 

「お前があの学年1位か」

「そういうあなたは“全教科で同じ点”の学年3位、比企谷くんね」

「……なんで知ってんだよ」

「平塚先生が教えてくれたわ。わざと順位をいじくって適当な場所に治まっているおかしな男子が居ると」

 

 あの先生人のプライベートとかなに勝手に話題のタネにしてんだ。

 おいおい、信頼度は割りとあったのに、今のでがくんと下がったぞ? と目を腐らせていたら、雪ノ下がぽかんとした顔でこちらを見ていた。

 

「……へえ、そう。本当にあなたなのね」

「あ? なんだそりゃ」

「カマをかけただけよ。教師が生徒の情報をべらべらと喋る筈がないでしょう? 2位の男子はそんなことはしないということは知っているし、むしろそんな面倒なことをするにしても多少は勉強が出来なければしない。かといって自分を下に見せるほど腐ってもいないでしょう。というわけで3位。そして3位には比企谷というあなたの名前。だからかまをかけたの」

 

 ……先生ごめんなさい、ぼっちともあろう者が、初対面の相手の言うことを信じちゃったよ。

 危ない危ない、いくら相手があれっぽいからって、早くもぬるま湯直行はよろしくない。

 よろしくないから仕返しでもしてやろう。

 

「……なるほど、俺も似たような理論はすぐに並べられたよ。んで、仕返しに訊くが───お前、友達居ないだろ」

「……まず、どこからどこまでが友達と呼べるのか、定義してもらっていいかしら」

 

 ほむ。それを俺に訊くか。エリートには到らなかったが、プロではあった俺に。

 

「えー? 友達ってさー、こう、喋って笑い合って一緒になんかして、それでいーんじゃない?」

「はいアウト。んーなもん知り合いでしかない」

「ええそうね、由比ヶ浜さん、それは知り合いでしかないわ」

「えぇっ!? そうなの!?」

 

 ずっぱり切って落とすと、雪ノ下まですまし顔で乗ってきた。

 そう。そんなものは友達ではない、知り合いだ。

 友という言葉をぼっちの前で軽々しく使うとは、言語道断。

 

「大体クラスメイトとかおかしいだろ。なに級友って。クラスが同じになったからって友って括られるなんて冗談じゃねーっつの」

「まったく同じ意見だわ。様々な日本語と英語があるけれど、あれほど不愉快な変換はないわね」

「え、えー……? そんなヤかなぁ」

「んじゃ何。お前クラスメイトだったら脂ギッシュで中二な男子と握手出来んの?」

「うぇえ!? やだっ! きもい!」

「はっ、ほれみろ。お前の言う級友の文字の中の“友”の大きさなんざそんなもんだ」

「由比ヶ浜さん、あなたのそれは“良いもの”にしか目を向けていない者が見る視界のものでしかないわ。もっと広い視野を持ちなさい」

 

 あとすまん材木座、お前の知らんところでお前がきもい言われた。

 

「いいか結衣。友達の定義ってのはな。べつに強い絆で結ばれてなくたっていい。隣に居て重くなくて、気安くて、そのくせここぞって時には笑顔で助けてくれるような、そんなもんなんだ」

「ええそうね。裏切られるまで裏切らない、いっそ馬鹿のように真っ直ぐに相手を信じ、それを裏切ることのない関係。そういったものの先を友と。そう呼んでいいのではないかしら」

「ほんとそれな。なんでも言い合えるとか最高」

「気負うこともなく付き合えるのは当然のことでしょう? 友達なのだから」

「多少の喧嘩なんざ仲直り出来て」

「つまらないことでも共有出来て」

『一緒に居ても重くない存在』

「…………」

「………」

「う、うわー……綺麗に声、重なったね…………え? もしかして打ち合わせとかしてたの? びっくりしたー」

 

 俺と雪ノ下は、驚愕のままに顔を見合わせた。

 雪ノ下はぼっちだ。それは間違い無い。

 が、まさか同じ友達像を抱いていたとは思わなかった。

 だが───だがだ。ということは。

 

「雪ノ下。その道は正しい。けどな、プロでやめとけ」

「───! ……もしやとは思ったけれど。あなたも同じ口?」

「お前とは方向性が違うだろうけどな」

「あら。違わないのではないかしら。私は可愛さが原因。あなたも容姿が原因だったのでしょう?」

「……いやなに言ってんのお前。確かに俺は、自分で言うのもなんだがまあ整った方だとは思うが、この目が全部を台無しにしてるっつの。道を歩けばゾンビだの化物だの。お化け屋敷なんざノーメイクでゾンビ役と間違われるっつの」

「……? い、え……なにを言っているのか解らないわ。それはどういった意味かしら」

「あ? そのまんまの───」

「あー! ちょっとたんまたんまー!」

「お……」

「……?」

 

 容姿についての話になった時、とんでもない違和感。

 しかしそこで問い詰めようとすると、結衣が割って入ってきた。

 え? なに? なんなわけ? 俺なんかやらかした? 急に話を止められると、俺がなにかやっちゃったんじゃとか思うじゃない、ぼっちの話を折るとか鬼畜の所業ですよ?

 

「雪ノ下さん! ヒッキーのことどう見える!?」

「ひっきー、というのが彼のことなら、まあ整った容姿をしているのではないかしら」

「どうヒッキー! どう!?」

「あ? なに? 打ち合わせでもしてたの?」

「なんでここまで来て信じないかなぁ!! じゃあもういいよヒッキー! 眼鏡取って!」

「……なんなんだよお前……」

「いーからっ! ……あ、雪ノ下さん。たぶんびっくりすると思うけど、そうじゃなきゃこんな性格にはなってないから……あんまおかしなこととか言わないでね」

「あの、だからなにを───ひっ!?」

 

 すっと眼鏡を取り、雪ノ下を見ると───彼女は息を飲んだ。

 そして肩を弾かせ顔を強張らせる姿は、ああなるほど、よく見た光景だ。

 え……じゃあなに? この眼鏡、まじで目の腐りを抑制する効果があったの?

 

「……どう? ヒッキー。……これで信じた?」

「……OKわかった、眼鏡すげーな。で、雪ノ下。話の続きだが───」

「ええ……そう、そうね。納得がいったわ。それと、謝らせて頂戴。よく知りもしないで、人の顔を見て悲鳴をあげるなんて、失礼にもほどがあるわ」

「もう散々されてるから気にすんな。むしろ普通の反応だ」

「それでも……ごめんなさい」

「……おう、受け取った。で、話の続きだが」

「そうね。私に友達なんて居ないわ。あなたもでしょう?」

「おう。強いて言うなら天使と知り合いの中二病が居るくらいだ」

「……そう」

 

 俺に信じてもらえてドヤ顔の結衣と、どこか自嘲気味な笑みを浮かべる雪ノ下。

 そんな二人を前に、溜め息を吐く俺。

 どくんと鼓動が高鳴る。気持ちの悪いざわつきが、心臓から這い上がってくるのを感じた。

 ……今、俺はなにをしようとしてる? ぼっちが、ぼっちに深く関わろうとしているのか?

 

  ───おい、踏み込むんじゃねぇよ。ぼっちだから親近感? 冗談じゃない、そんなのは、それこそぼっちだからこそしちゃいけない。

 

 ぼっちに馴れ合いなんて必要ない。

 ぼっちに必要なものは、それは情熱思想理念頭脳気品優雅さ勤勉さなんぞではなく、自己の世界のみだ。確かに近しい者が居ることは嬉しい。誰かに話しかけられたら無意味に鼓動が弾むなんてよくあることだ。普段はイラつく相手にフレンドリーに話しかけられて、ちょっと調子が狂うなんてプラスに考えてしまうことだってある。ま、次の瞬間には嫌なヤツは嫌なヤツって認識するんだが。

 つまりだ。こんなところでぼっちに深入りしたところで相手は迷惑だし、俺だって結衣に割く時間が減るだけだ。

 

  ……でも。

 

「……方向性だの言ったけどな。結局行き着く先は一つだと思うから言っておく。……孤独なやつに、世界は変えられねぇよ。孤独者に変えられるのは、自分の世界だけだ」

「───!!」

 

 言った。言ってしまった。途端、目の前の少女は迷子になった子供のような悲しい顔をするのだが、すぐにそれを“ぼっち”で隠した。

 

「な、なにを言っているのかしら? あなたに私の何が───」

「それを言っていいのは知ってもらう努力をしたヤツだけだ」

「っ……、……そうね、卑怯だったわ。けれど、それではなに? あなたは私のことを知る努力をしたとでも言うつもり? 断っておくけれど、私の気を引くためとか、私に取り入るつもりでそんなこ」

「結衣にしか興味がないからお前に女性としての興味なんざ微塵もねーよ自惚れんな馬鹿」

「なっ……!? みじっ……!? ばっ……!?」

 

 真正面から一刀両断。ああそうだな、その容姿だ、言った通りさぞかしおモテになられて、嫉妬もされたんだろう。

 なに? もしかして彼女持ちの男からもアピールされたりもしたのん? だが残念だ、俺には通用せん。俺が求めるものは結衣と、そこに付属されたおまけのような幸せだけだ。

 

「どーだよ、真正面から自分の常識を破壊された気分は。怖いだろ、世界を変えるってのは。お前が言ってんのはその驚愕の、人口分を倍にするくらいのもんだぞ」

「……あなたは、それをしようとしたことがあるとでもいうの?」

「おー、あるぞ。まずは自分の周りから変えようとした。変えようとして、級友サマに潰された。なんでもかんでも俺が悪いってことにされて、親呼び出されて、親なら信じてくれると思ったら親にまで裏切られたよ」

「……それは、親があなたののちのことを思ってではなくて?」

「信じてるガキの頭を掴んで無理矢理謝らせてか? 絶望に突き落とされたガキに、面倒なことはするなって言うことがのちのガキのためになるってか。……ハッ、眩しい教育すぎて泣けてくるな《ぐいっ》おっと?」

「……ヒッキー今のほんと?」

 

 ……あ。しまったつい口が滑った。こいつが居ることを忘れていたわけじゃないのに、同志ぼっちを説得するのについ力が……。

 

「…………本当だ。白状しちまえば、そこで本気で泣いて、親を信じなくなった。あいつらは俺の親じゃなくて、ただの小町の味方だ。だからあいつらにとって、俺は息子じゃなくて小町の兄でしかねーんだよ。お前の親父さんは、当然“結衣の味方”だ。俺は基本、お前のママさんとお前しか信用しちゃいないし、するつもりもない」

「……小町ちゃんも、ずっとだめなのかな」

「興味が無い」

「っ……で、でも、ずっと謝りたいって」

「へー。謝りたいねぇ。……なぁ雪ノ下。お前、世間一般じゃあ謝罪の最高峰、“土下座”ってものをどう思ってる?」

「ああ、あの最低最悪の最終兵器ね。当然、する人ほど最低だと思っているわ」

「え……ちょ、ヒッキー? まさか……小町ちゃんに土下座しろとか……言わないよね?」

「ふざけんな、してたら許すどころか一生許さねぇよ」

「ええそうね。あんなものは謝罪とは認められないわ。むしろ謝罪だと思っている人ほど疑うわね」

「え、な、なんで? だって」

 

 結衣は解らないらしい。だが、孤独な者は知っている。あんなものは残酷なものだと。

 

「なぁ結衣。たとえばクラスの人気者がぼっちをいじめて、一時的に悪者になったとする」

「ヒ、ヒッキー? いきなりなに……?」

「いいから聞け。……その人気者はさ、それはもうひどいことをぼっちにしたんだ。ぼっちのHくんは、さわやかな人気者に対して、ひっどいぼろぼろな姿だったそうだ。少ない小遣いを溜めて買った新品の上履きもぼろぼろ。親に買ってもらった服だってぼろぼろだ。水浸しだし、明らかにその人気者くんが悪いわな」

「………うん」

「さすがにシャレにならない空気がその場にはあった。いっつもHくんに“またお前が問題を起こしたのか”って目を向けていた先生も、これはさすがにって目で人気者くんを見てたな。で、そこでその人気者くんが取った行動。……なんだと思う?」

「……え、と……ど、土下座?」

「ああそうだ。そいつはクラス中の視線が集まる中で、ぼろぼろのHくんに土下座してみせたんだよ。そりゃもうクラス中が大パニックな。みんな口々にそこまですることないよとか言い出して、Hくんが呆然としている内に、次第にもういいだろとか許してやれよとか言い出す。終いにゃ呆然としていたHくんが許さないだけで悪者にされ始めて、立場はあっと言う間に逆転だ。許せ許せコールの中、怪我もないそのまんまの綺麗な土下座くんは、許してもらえない可哀想な人。またも買ったり買ってもらったりした靴や服がぼろぼろなHくんは、綺麗な土下座くんを許さない悪い人。最終的に泣いたのはどっちだと思う?」

「…………ひっきぃ……」

「そいつは許した。許して、泣いた。なに泣いてんだとか気持ち悪いとか言われながら、ぼろぼろのままで家に帰って、バレないように服も靴も捨てて、全部買い換えた。次の日に、中々許さなかったってだけでイジメに遭うって知りながらな。……ほれ、これのどこが謝罪だ? あんなもんは使う人の人種で武器や惨めな盾にしかなりゃしねぇよ。間違っても謝罪に使うもんじゃねぇ。されて喜ぶヤツはただのイカレた馬鹿だけだろうさ」

「っ……ずっと前、ごみ捨て場で……っ……ひ、ひっきぃが……泣いてたのって───《わしゃわしゃわしゃ》ひゃぷぅっ!?」

「…………見てんじゃねぇよ、ばか」

「~~~…………!!」

「《ぎゅうっ!》おわっ……!? …………おい」

 

 抱き付かれた。抱き付かれて……泣かれた。

 泣かせたかったわけじゃないんだが……え、ええと、今のHくんの話だよ? べつに俺って言ったわけじゃ───……言ったようなもんですね、はい。

 

「ま、そんなわけだよ。で、なに? 許さなかったら俺が悪人なの? 親から睨まれんの? お兄ちゃんだから許してやれとかアホなこと言われた先で許さなきゃならんの? そんな先が解りきったもんが謝罪なもんかよ。大体なに? 兄妹が仲がいいとか都市伝説だろ。フィクションでしか有り得ねぇよ」

「まったくその通りね。けれど……比企谷くん? あなた随分と惨めな青春を送ってきたのね」

「面と向かって遠慮ねぇなおい……」

「あら。惨めではないと? 取り繕った言葉を所望なら、いくらでも嘘で固めた言葉を届けるけれど」

「……いや、いらん。そんなもんはいらん。やめてくれ」

「遠慮はいらないわよ? そのための言葉ならいくらでも用意できるから」

「いらんっつーの。……で、依頼人の一人が泣いちまったわけだが」

「急に来て急に人生を語られて急に泣かれる身にもなってほしいわね」

「それについてはすまん」

「それはべつに気にしていないわ」

「おい、なら言うなよ」

「それは、と言ったのよ。来てくれたことには感謝しているわ。貴重なお話を聞けたから。……ねぇ? プロぼっちさん」

「…………そうかよ。ちっとは人生経験の教訓になったか?」

「そうね……」

 

 雪ノ下は顎に折り曲げた指を当て、思考を回転させる。

 まあ、人生経験どころじゃないだろうが、それでも経験は経験だ。雪ノ下にとって役立つかは別としても。

 

「聞かせて頂戴。……私は靴を六十回隠されたわ」

「そか。俺は焼却炉行きで燃やされたわ。回数重ねるなんて過程もなく燃やされたな」

「可愛かった所為で男子の視線を集め、女子から一方的に嫌われたし」

「無実の罪を着せられて男女問わずにぼっこぼこだったな。机はゴミ箱、下駄箱はカエルの墓場だった。学校行けば周囲が敵、家に帰れば妹の世話で、泣かせば親に殴られた」

「し、次第に誰からも距離を取られて……」

「比企谷菌とか言われてわざわざ蹴ってきて、そのくせ“比企谷菌が伝染ったー”って、他のやつに触ったり触られたりして、バリアーとかして比企谷菌にバリアはききませーんとか笑われたな。黙って堪えてたらなんとか言えよとか言われてドッカドカ蹴られてな」

「机に、落書き……」

「比企谷って苗字からヒキガエルってあだ名をつけられて、終いにゃカエル呼ばわりだ。カエルに机はいりませんって彫刻刀で掘られて、笑いながらバケツで水ぶっかけられたな。給食の牛乳ぶっかけられたこともあった。ご丁寧に新品の服の時にな。家帰って洗う時がまた惨めでな」

「………」

「……ぼっち自慢はここまでにしないか? 結衣が泣きすぎてつらい」

「……そうね、ごめんなさい」

 

 一言言って、俺達は長い長い息を吐いた。

 やがて雪ノ下は、俺達が来る前から読んでいたらしい何かしらの文庫本に目を落とし、俺は結衣を慰めにかかる。

 

「……私、自分の世界しか知らなかったのね……」

「ん? ああ、ぼっちの固有世界な。パーソナルスペースを持つことは別に悪いことじゃねぇだろ。ぼっちのそれはめっちゃくちゃ狭いもんだけどな」

 

 言いながら撫でる。めっちゃ撫でる。撫でてる間も泣きながらぐりぐり頭を胸に擦り付けてくる。可愛い。結衣可愛い。

 でも言うのは恥ずかしいから言わない。言ってほしいと言われてるけど、人の前では言えないだろ。

 

「大体、ぼっちなんてもんは自己分析と周囲の分析に長けることしかできないだろ。友達に使う時間がないから思う存分自分を高められるし、それこそひと学年中の名前と顔を一致させることも出来る。けど、それだけだ」

「……驚いたわ。あれだけの情報でそこまで解っていたの?」

「エリート目指したプロをなめんな。ガキの頃から親を頼らず、新聞配達で稼いだ俺だ。人がこぼす僅かから情報を掻き集めるのなんざわけねぇよ」

「貧乏だったのかしら」

「お前ほんと容赦ねーな。ちげーよ、言ったろ、親も敵だったんだよ。親は基本、妹にしかよくしなかった。だから俺は、自分のことは自分でやる必要があったんだ。ガキの頃から新聞配達やって稼いで、今も本屋のバイトと一緒に続けてるぞ?」

「……………」

「あん?」

 

 こくり、と息を飲む音がした。

 ぽしょりと呟く声に、聞き取れないので結衣を抱きしめたままに近づくと、その声は耳に届く。

 

「ひとつ……ひとつ、聞かせて頂戴。……そんなあなたでも、世界を変えることは───」

「言ったろーが。一人で変えられるのは自分の世界だけだ。お前がこれからどんだけ偉くなろうが、立場を利用して変えようと指示したものは、絶対にお前が想像していた世界とは違う。自分以外が介入する時点で、そんな理想には絶対に届かない。じゃあ、なんて自分でどれだけ頑張ろうが、変えられるのはせいぜいで独り。ほれ、そうなれば自分以外のなにを変えられる?」

「……変えられるわ。影響力というものがあれば───」

「その変えたい人を変えるのにどんだけ時間がかかると思ってる? えら~い人だってたった一つの発言だけで人の意識を変えられる力なんて持ってねぇぞ? 世界を変えるってのは喧嘩してるガキに仲直りしなさいって言うなんて話じゃない。核兵器で狙い合うのをやめなさいってレベルでもねぇよ。もっと単純だ。元気一杯に明日を夢見るコゾーに今すぐ死ねっていうのを常識にするってレベルだ」

「それは極論だわ。なんでも大げさに言えばいいというわけでは───」

「最初にデカいこと言って縮小させて了承させるのは、えら~い人の常套手段だろ。んじゃ妥協だ。死ねと言わなくていい。猫を可愛がるのをやめましょう」

「《ガタッ!》異議を申し立てるわ! そんな世界は滅びなさい!」

「お前どんだけ猫好きなの」

 

 鞄に猫型のアクセサリがあったから突っ込んでみたが、まさかほんとに猫好きだったとは。

 ツッコんでみればみるみる赤くなる顔に、あ、こいつ結構メンタル弱めかもと溜め息を吐いた。

 

「ほれ、で? お前が変えたい世界の先に、今のお前みたいに賛同しないやつがどんだけ居ると思ってんの」

「くっ、卑怯だわ……!」

「え? 卑怯なの? やだマジ?」

「…………あなた、結局なにが言いたいの? 私の願うことを地盤から崩しておいて、まさか暇潰しとは言わないでしょうね……?」

「あ? なにって…………忠告?」

「忠告? 私も随分と甘く見られたものね。わざわざ他人に教えられなければならないことを残すほど、習い忘れがあるわけではないわ。一度その眼鏡の奥の腐った目をなんとかしてから出直してきたらどうかしら」

「教えられることね。……きっとお前、目が腐るほどに腐った世界を見てないんだな」

「《びくっ……》な……なにを」

 

 再び溜め息。だってそうだろ、ぼっちではあるが、随分とまあ綺麗な目をしてらっしゃる。

 どこぞの部分かで相当恵まれていたんでしょーよ。何処って、知らんけど。

 

「文字で、言葉で知ることだけが世界じゃないなんて、ぼっちなら知り尽くしてるだろうが。そーだな、俺の目は腐ってる。夜にコンビニ行って、暗がりで擦れ違うだけで悲鳴あげられる程度にはな。……出直して治るくらい簡単に世界が変えられるなら、そもそも目を腐らせたりなんかしねーよ。解ってるだろ、それくらい」

「……あなたの世界はあなたで完結しているのね。私は───」

「違う、か。じゃ、手っ取り早い問答解決方法を提示する」

「……あなた、つくづく人の言葉を遮るわね。自己主張の強い男だと言われない?」

「ばっかお前、俺ほど物静かで人畜無害なやつなんて居ねぇよ。集団行動の時なんざ気配けして輪を乱さないようにしまくりだっての。……経験、あんだろ、そんなの」

「……甚だ遺憾ではあるけれど、あるわね」

 

 あるのかよ。いやあるか。そりゃあるわ。だってぼっちだもの。

 

「いいでしょう、あなたの提示する解決法とやらを聞くわ。このままじゃいつまで経っても平行線だもの」

「おー。お前の問答も俺の問答も、ここまでの長ったらしいあーだこーだも一発解決。出来るもんならやってみろな提示だ。まあまずムリだ、最初から諦めとけ」

「《ぴくり》……言ってくれるわね。自慢するわけではないけれど、学年1位は伊達ではないわよ」

「ほーん? じゃあ罰ゲームでも用意しとく? なんでも言うことを聞くとか。あ、言っとくがいかがわしいこととかは絶対に却下だ。俺は結衣にしか興味がないし誤解されるなんざ死んでもごめんだ」

「……言い寄る男は腐るほど居たけれど、ここまで拒絶する男は初めてね……《ヒククッ……!》」

 

 おい、顔がものすごーく引き攣ってますよ1位さん。

 まあいい、んじゃあ小さな世界をつつく言葉を届けよう。

 ハタと気づくと、多分虚しい、きっと一人か二人しか実行しないそれを。

 

「んじゃーいくぞー」

「ええ、かかってくるがいいわ」

 

 そんな、むんと構えんでもいいことを言うんだが。なに? 椅子に座りながら骨法の構えでもしたいのん?

 ……ふざける雰囲気じゃないか。真面目にいこう。

 どよどよと濁っているであろう目を眼鏡で隠し、息を吸ってから咳払い。そうして、言った。

 

「…………俺を、救ってみせてくれよ」

「───……」

 

 一言。それだけで、雪ノ下は喉を詰まらせたように肩を震わせ、停止した。

 


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