どこにでもあるようなガハマさんとヒッキーのお話 作:凍傷(ぜろくろ)
なのでこちら、分割したものになります。
“腐った目”と彼女は言った。“俺の世界は俺で完結している”と彼女は言った。
その言葉と認識の分だけ、彼女は自分を否定しなければならない。何故なら、彼女の言うように俺が俺で完結しているのなら、今のままの彼女の理論じゃ俺はどうやっても救えないからだ。そして、救ってくれと言っている人ひとりを救えないやつが、どうして人ごと世界を変えられるのか。
そうして、真っ直ぐに、自信に溢れていた視線に怯えが混ざり、不安が混ざり、やがて俺の目から下方へと下がって───
「逸らしたら夢が終わるが。いいのか? それで」
「……っ……なにを、あなたは……! あ、あなたが、勝手に───! 人がようやく持てた夢を! 立ち向かい方を! あなたが!」
「んじゃあ切り捨てりゃいい。見たくない世界の腐りなんて捨てて、見たいもんだけ見て救いたいもんだけ救ってろ。それが世界ってもんだろ。臭いものには蓋をして、出る杭は打つ。世界を変えるって言ったよな。人ごと変えたところで、そんなもんがいつまで続くと思ってんだ。変えた先で似たような世界が始まるだけってなんで解らない」
「わ、私は……私はっ、そんな世界だから変えたいと! そんな世界が嫌だから! 同じ思いをしたのに何故解らないの!?」
「わかんねーよ。だって俺、お前じゃないもん。同じ思いをした? ざけんな、だったらなんでお前の目は綺麗なんだ。汚いもん見て、汚さを知って、世界に絶望してもその綺麗さなら本気で尊敬するわ。あーちなみに大人はここで、“世界にはもっとひどい場所が”~とか“ひどいことが”~とか言うけどな。生憎俺の世界は俺で完結している。他のどこどこの誰だれが~なんて関係ねーよ。俺の話をしてんのになんでどこぞの誰かの話をされるんだってな」
「………」
いや、ここ笑うとこなんだが。えー……? やっぱ自虐ネタってだめなの……?
材木座あたりなら“それそれ、その通りでござるプークスクス”なんだが。
「はぁ。で、救える? 救えない?」
「………………、…………解らない」
「おん?」
「解らないわ。だって、私はまだあなたのこと、なにも知らないもの」
「……そりゃ、問題の先送りってことでいいのか?」
「いいえ。私の負けでいいわ。悔しいけれど、知る努力をしてみたところであなたが悲惨なぼっちということしか拾えなかったのだもの」
「おい、べつに悲惨はわざわざ付けなくてもいーだろ」
「自分の惨めさをわざわざ言い触らすところに悲しみを覚えた。ほら、足せば立派な悲惨だわ」
「このやろう……」
べつにいいけど、結衣が睨むからやめなさい。
なんかこの娘、今番犬モードっぽいから。俺の敵に噛み付きそうだから。
「……それで?」
「あん?」
「自分で言ったことも忘れたの? 鳥と違って三歩すら歩いていないのだから、その程度の記憶力は人並みに持っていてほしいのだけれど。まさか自虐したようにゾンビ並みの脳しかないとは言わないわよね? ゾンビ谷くん」
「確認の仕方が雑なのが悪いんだよ。罰ゲームの話に移行するならちゃんとそう言え、伝えてませんで下さん」
「……《ビキッ》」
「……《ビキビキ》」
「……では改めて訊くわ。私になにをしてほしいのかしら。なんでもいいけれど、いかがわ───」
「それは絶対にない自惚れんなアホ」
「あ、アホは余計じゃないかしら……!?」
「あー、自惚れてはいたのか。はいはいそりゃごめんなさいよっと」
「~~~~……《ぷるぷるぷる……!!》」
……なんつーかアレな。こいつ、感情的になってくるとめっちゃ弱い。
余裕な雰囲気だとなんでも出来るんだろうけど、なんつーの? メンタルがめっちゃ弱い。
挑発されるとヨロコンデーとばかりに乗ってくるタイプ。勝負事に向かんわ。現に今負けた上に、どんどんとドツボにハマってるし。
「んじゃ、オネガイな」
「え、ええ……ぐすっ……なんでも言えばいいじゃない」
「なんでちょっと泣いてんだよ」
まあ、気持ちは解るが。
「あなた、よくもそんなことが言えるわね……。人の決心を破壊した上にひどいことまで散々言って。その上命令? 人をなんだと思っているの? 子供の頃から続いたイジメでも、ここまでのものはなかったわ」
「そりゃ、なんだかんだでお前が負けを認めてなかったからだろ」
「───……え」
「んで、今ようやっと負けを認めた。だから悔しいんだろーさ。イジメに遭っても心が折れなきゃ負けてねぇって、いろんなぼっちが潜在的に思ってるもんだ。大抵のヤツは“自分が苛められてる”って認めたくないから、そんな内側には目を向けもしねぇけどな。認めたヤツは総じて強く、認めないやつはいつまで経っても弱い。心と向き合ってないんだ、当たり前だよな」
「……負け……わ、私……」
「ただ、悲惨なのがひどい心の折れ方をした時だ。もう、なんつーの? 世界から自分を消すことばっか考えるから。ソースは俺」
「……どうして」
「だって、そうすりゃ世界は変わるじゃねぇか。いじめは無くなる。俺で完結してる世界も終わる。これ以上の世界改革がどこにあるよ」
「でも、そこには自分が居ないわ《ぺしっ》いたっ……?」
アホなことを言い出した雪ノ下の額に、軽く平手。
自分がそこに居ること前提で、なんて……なにこのぼっち、温室育ちさん?
「……傷つけられたことがあるなら、きちんと覚えとけ、ばかやろ。自分が傷つくことを頷けねぇやつが、他人を巻き込んで世界を変えるなんてほざくんじゃねぇよ。他人の世界を変えるのに、自分の世界を傷つかせないなんて馬鹿な話があるかよ」
「あ…………」
言われて、気づいたのか。静かに叩かれた場所へと手を伸ばし、そこに触れると、彼女は瞳に涙を溜めてくしゃりと表情を崩しアイエエエーーーーッ!!!? ボッチ!? ボッチナンデ!?
馬鹿な……俺ともあろうプロぼっちが、相手のぼっちの量を見誤っていたとでも……!?
けど、事実は事実だ。
世界だけを変えたいなら選ぶ手段なんて必要ない。自分を犠牲にしてでも成し遂げれば、そのあとに自分なんぞ数に数える必要だってない。
ただそこに自分をどうしても入れたいというのなら。……そんなものはただの我が儘だ。耳障りのいい理屈を並べて自分を助けたいだけの自己満足だ。
「う、あ、あー……だからだな、その。つまりそういうことで……」
「……っ……っく……うぅう……!」
なんてことを馬鹿正直に伝えたら泣き出してしまった! まじかよ学年1位泣かせちまった!
つーかなにやってんの俺ほんとなにやってんの!? 付き添いで来てぼっちと出会って話が弾んだら論破して泣かしてって! それは違うよ! じゃねぇよこれが違うよ!
どうすんのこれどう落とし前つけんの!?
「……お前もこの一年、じっくりぼっちやってりゃ……頑固なエリートになってたのかもな」
「……っ……、ひぐっ……!」
「俺の考えだって余裕で返せる言葉くらい、あっさり用意出来たのかもしれんし」
「……ぐすっ……たられば、なんて……興味ないわ……。あるのは事実だけだもの……」
「……だな。悪い、無駄なこと言った」
「………」
「………」
「…………それで?」
「……はぁ。だからな、それじゃ解りにくいっての」
「あなたの理解力が足りていないだけじゃないかしら《じとり》」
「睨んでるんだろうが涙目だから迫力ないぞ」
「……あなたいつか覚えていなさい……? やられたままで黙っているほど、私は弱くはないのだから……」
「んじゃお願い言うな」
「……………」
「拗ねるなよ」
「拗ねていないわ《プイッ》」
てか、なんでしょうねこいつ。泣き出したらもんのすごい変化球とでも言えばいいのか、滅茶苦茶子供っぽくなった。
ジト目で睨んでくるし、そのくせ駄々っ子みたいな屁理屈こねるし。
「……お願いだけどな」
「……ええ」
「…………まあその、あれだ。俺がこんなことを言うのは、っつーか結衣と一色以外でこんだけ話すのも珍しいんだが、それよりも珍しいことをするぞ」
「あなたの日々の生態なんて知らないわよ」
……この女、泣いてもいちいち鋭利な女である。
なんでこうぐさぐさくるかね。泣かせたからですね、ごめんなさい。
いやー、女の涙って武器だわー。涙目で言われるとダメージでかいわー。
「いちいち突っ込むんじゃありません。……ぼっちのよしみ、一度は捨てた希望のかけら。……俺と“理想の友達”になってくれ、雪ノ下」
「………」
「だめか?」
「……あなた、それは本気で言っているの? さっきも言ったけれど、その……私の、“私たち”の理想は───」
私たちの。それはつまり、“ぼっち”のだ。
孤独な者が理想とする友達像とは、とても神秘的なものだ。
なにせ裏切らないし一緒にいてめっちゃ楽しいのにやすらぐし重くないし。
そんなものは絶対に居ないって知っていても、願わずにはいられない、永遠のぼっちの幻想。
だがだ。……そんな幻想でも、幻想を知っている同士なら……辿り着けないわけじゃないと、いつまでも希望を抱いているのも確かなのだ。
だから伸ばさずにはいられない。願わずにはいられない。
そんな誰かが居たら、俺は、私たちは、どれだけ───と。
「まあ、簡単なもんじゃないわな。けど、その理想を知ってるってだけで、誰より近いんじゃねぇの?」
「………」
「………」
「……───ょく」
「ん?」
「……知る努力、から……始めても、いい、なら…………その」
「…………おう」
「…………ええ」
俯かせていた顔を軽く持ち上げ、互いに上目遣いっぽく目を見て、肩を震わせた。
こぼれた笑いは第一歩。そんでもって、もう威嚇する必要はないぞとばかりに結衣の頭をぽんぽんと叩く。
「そ、それで比企谷くん。その……友達とは、まずなにをすればいいのかしら……」
「……そうだな。いきなり理想を求めるのはキツいだろうし……ま、安心しろ。俺はお前が裏切らん限りは裏切らん」
「あら。私から先に敗北を選ぶと本気で思っているのかしら? その安い挑発、乗ってあげるわ」
「おうそーかい。んじゃあいつまでもダチってやつだな」
「ええそうね。あなたが私に友情以上に欲情し」
「それはない《きっぱり》」
「そうだよないよ絶対ないよ! ヒ、ヒッキーはあたしんだからね!?」
「いやお前……ようやく喋った言葉がそれってどうなの」
「だってなんか真面目なお話してるし! 喋ろうとしたらヒッキーが胸に押し付けるし!」
こっちはこっちで泣きそうな顔でピャーと叫んでくる。構ってもらえなかった犬のようだ。
なのでおーよしよしと頭を撫でてると、誤魔化されないんだからねと言いつつうっとり状態。可愛い。
「あー、その。なんだ。ほんと欲情とかはないから安心しろ。で、友達がなにをするかって話だが……健闘を認め合ったやつらってのはまず握手をするらしい、ぞ? 俺もよく知らんけど」
「握手……」
「……べつに比企谷菌とか伝染るんじゃないかしら~とか言ってもいいぞ?」
「冗談でしょう? あなたにそんな菌はないわ。なんでも言い合える仲を目指すのだとしても、いじめをする下衆どもと同じレベルに降りるつもりはないわよ」
「……そか」
「……ええ」
「むー……ねぇねぇヒッキー、なんで急に友達になんて思ったの? 急にいっぱい喋り出すし。いろはちゃんの時も驚いたけど……なんか仲良くなるために何年も頑張ってたあたし、馬鹿みたいじゃん……」
「《ぐさっ》ぅぐっ……! そ、それについては……すまん、としか……。け、けどな、誓って言うが、一番大切なのは結衣だ。というか、お前とこういう仲になってなけりゃ、そもそも人と関わろうともしなかったわけでだな……」
「……あたしの所為?」
「お前の“お陰”だ」
「………《きゅん》」
「…………結衣?」
俺を見る拗ねた顔が、一瞬にして恋する乙女になった。え、なにこれすごい嫌な予感。
嫌というか、いいことではあるのに状況的にはなんというか……あれ、なにこれ。
「…………《じー……》」
「……? な、なにかしら、由比ヶ浜さん」
「……ね、ヒッキー。キスして?」
まずじーっと雪ノ下を見て、俺を見てからにっこり笑顔で爆弾投下。おいちょっと待て。待ってください。
「お前は浮気を疑うどこぞのヤンデレさんか」
「ち、違うし! なぁんかちょっと急にキスしたくなっただけだし!」
「……はぁ。べつにそんな慌てんでも、俺は結衣以外を好きにはならねぇよ」
「う、うー、だっ……だって、だって、それは解ってるよ? 解ってるんだけど、ごめんねヒッキー、あのね、迷惑っ……迷惑かけてるって、解ってるんだ……。でも、でもね? やっぱりね、不安で《ちゅっ》ふあっ……!?」
そわそわと不安を打ち明けてくれた結衣に、その途中でキスをした。
すると一時停止ののちにぽむんと真っ赤になって、「あ、え、えぅ……?」とカタカタ震え出したので、抱き締めた。抱き締めて、思う存分撫で回した。
……5秒後、俺にギウウと抱き付いた上機嫌のガハマエルが光臨した。
いや5秒って。……5秒だったんだ、仕方ないだろ。
「悪いな、雪ノ下。こいつたまにこんな風になるから気にしないでくれ」
「ええ、問題ないわ。可愛い彼女じゃない、大切にしてあげて」
「当たり前だ。一生かけて大切にする」
「今すぐ結婚して守り抜くみたいな力強さね……」
「そりゃそうだろ、婚約者だし」
「───…………家の事情かなにかかしら」
「まあ、ある意味ではそんなところだ」
ママさん絡みだから、家の事情ではあるよな、うん。
「お互い苦労するわね」
「お互い? ……お前も居るのか? 婚約者。まあ俺は結衣のこと好きだが。めっちゃ愛してるが。今すぐ結婚したいまであるが」
「すごい愛情ね……婚約者ならいないわ。ただ家が特殊という意味では、苦労はあるわ」
「特殊……金持ちとかか。金持ちって言えば、俺とぶつかっちまった高級車の持ち主、面倒事とかなかったかね」
「……ぶつかった? 高級車?」
「あん? …………ああ、実は俺な、犬助ける時に車にぶつかって、一ヶ月近く入院して───……っておい、どうした雪ノ下。顔真っ青だぞ」
「あ…………い、いえ……なんで───も………………───」
? いや、なんでも? なんでもないって? それを言うにはちと説得力が欠けすぎだ。もうね、明らかにおかしい。通行人にいきなり声かけられて“ひゃい”とか奇声をあげる俺並みにおかしい。基準が俺なのかよ。俺なんだよ。だってぼっちだから他に喩え知らないもん!
なんて脳内漫才はさておき、雪ノ下は“どうして、なんで、よりにもよって”と呟いて、かたかたと震えていた。
震える手を口に持っていき、じわりと涙まで浮かべ。……え? まじでどうした?
「お、おい、雪ノ下?」
「……比企谷……くん。友人とは……誠実である……べきよね……?」
「いやルールなんて邪魔なだけだろ。好きな感じでいいぞ?」
「───……人の悩みを一蹴するの、やめてくれないかしら」
「なんかやらかしたか? それとも……ああ、あれか。実はあの高級車にお前が乗ってたとか」
「! え……ヒッキー、それほんと?」
「っ! な、ど、どうして……」
「……そうなのか。じゃ、あれだな。面倒起こして悪かった」
言って、頭を下げる。すぐに結衣も俺の隣に並んで、頭を下げた。
「え、ま、待って頂戴! なぜあなたたちが頭を下げるの!? 頭を下げるのは───」
「いや、こっちだろ。リードやら首輪やらの管理怠ったの結衣だし、いきなり飛び出したのはサブレと俺だし、むしろお前、乗ってただけで運転してたわけじゃねぇだろ」
「そ、そうだよ! いきなりで驚いたけど、そっか、雪ノ下さんだったんだ……あ、あの! あの時は、サブレが……ううん、あたしの不注意で……ごめんなさいっ!」
「…………法律上、どうあれ加害者はこちらなのよ。あなたたちが謝ることじゃ───」
「世界。変えたかったくせに法律にはこだわるのな」
「ひぐっ!? い、え、これは、その……」
じと目で睨んでみれば、激しく動揺の雪ノ下。……ああなんつーかほんと、こいつ弱ってる時につつくとめっちゃ弱い。
「け、けれど、それでも。友達だからと許すのは間違っていると思うわ。あ、あなたがどうあれ、私の友情理想像は、もっと───」
「……そか。解った。じゃあお前が悪い。そんで、俺は許す。結衣はどーするよ」
「うんっ、あたしも許すっ!」
「……あなたたちは……」
あ、溜め息吐きおったわこんにゃろ。
「もう過ぎたことだろ? 個室なんて立派なもん用意してもらったし、独りで勉強に集中できて万々歳だったね」
「……あたしは寂しかったけど」
「どうせ同じクラスじゃないだろが」
「同じクラスでも突き放してたくせに」
「おいやめろ、それはもう言わないでくれ」
「……? ずっと恋人だったわけではないの?」
「それがさぁ聞いてよ雪ノ下さ~ん! ヒッキーったらさぁー!」
「その、もう一度確認するけれど。ヒッキーというのは比企谷くんのことでいいのかしら」
「うん。ヒッキーはヒッキーだよ?」
それもうヒッキーでしかないよね。俺の名前どこいったの……。
溜め息を吐きつつ、長い間ここに居るにも関わらず腰も落ち着けていないことを思い出して、奥から椅子を引っ張ってきて座った。もちろん結衣のも持ってきた。
ちょっと雪ノ下寄りの位置に置いて、俺は対面側の離れた位置に。
……するとわざわざ俺の隣まで持ってきて、置いて、座ると、「えへへへぇ」とにっこりスマイル。
「おい、雪ノ下と話すんじゃなかったのかよ」
言いつつガタリと椅子をずらして移動する。……と、結衣がわざわざ椅子を近づけて座り直し、再び「えへへへへぇ」と笑顔。
「……バイト終わってからじゃダメなのか?」
「えー? これくらい恋人ならふつーじゃん?」
じゃんじゃねぇよ。普通なの? 知らんけど。
ちなみにバイト云々の話は、デートとくっつくことの話だ。……や、やっぱり依存とかなんとかしたほうがいいのかしらん……。
「なんか知らんが上機嫌みたいだから話を進めるか。雪ノ下」
「なにかしら」
「……ケ、ケータイの番号、教えてくれ」
「!! …………そ、そうね。友達だものね。当然よね。ええ」
「…………《そわそわ》」
「…………《そわそわ》」
「…………むー」
ケータイを取り出し、ちらちらと互いを見るぼっちども。
いつもならケータイを投げ渡す俺も、さすがに“理想”相手にそれはしない。
何故? 何故なら、俺も材木座と同じだからだ。“友達”とは赤外線通信とやらをしてみたかった。偽りなき本音である。
「せきゅっ……せ、赤外線ってどうやってやるんだろうな。悪い、俺やったことなくて解らん」
「え、ええ、しょっ……そうね、私もやったことがないから……その」
ぽちぽちとそれらしい項目を弄くってみるも、赤外線っていう文字は見つけられてもどうすればいいかが解らない。
しかし四苦八苦してなんとか操作完了し、通信完了。
互いのアドレス帳に、互いのアドレスが載った。
『…………!!《ぱああっ……!!》』
その喜びをどう唱えよう。
自分が認めた相手としか絶対に赤外線なんぞするもんかを貫き通してきたぼっち二人が、ついにそれを手に入れた瞬間だ。
ガラにもなく何度もアドレスを確認して、名前を見て、なんだか顔が緩んでしまう。
試しにメールを送ってみれば、きちんと雪ノ下のケータイがメロディーを鳴らした。
あたふたしながらそれを確認した雪ノ下は……初めておもちゃを買ってもらった子供のようにきらきらとした瞳でそれを見下ろしていた。
「ぶー……ヒッキー、なんて送ったの?」
「まあ、なんだ。これからよろしくってな《ヴィー》っと」
ふてくされた結衣を余所に、こちらのケータイも鳴る。ちらりと見れば、雪ノ下がちらちらとこちらを見ている。
開いたメールには、簡素に“こちらもよろしくお願いするわ、比企谷くん”とあった。……が、改行マークが続いていたのでスクロールしてみると、
“あだ名や呼び方を変えたほうが、より友達らしいかしら”
と書いてあった。
さすが遠慮がない。だが、それでいい。
重くなけりゃあどこまででも迷惑をかけよう。どこまでも突っ込んでいこう。
そこらへんの線引きを感じ取れるからこそ長年もぼっちをしていられるのだ。
「…………《カチカチカチ……》【んじゃ、ユキ、とか?】」
「…………《カチカチカチ……》【随分と気安いわね。まあ構わないけれど。私はハチと呼ぼうかしら】」
「おいやめろ、なんか犬みたいだろうが」
「あら。由比ヶ浜さんを守る存在という意味では、とてもよく似合っていると思うのだけれど」
「もー! 二人とも目の前に居んのになんでメール打ってんのー!?」
「ばっかお前、初めて出来た友達とのメールだぞ。存分にやりてぇだろうが」
「当たり前じゃない由比ヶ浜さん。今まで誰一人到達出来なかった理想へ、今こそ辿り着けたというのなら、存分にそれを味わうのはもはや孤独者としての責務よ」
「常に群れはしない」
「けれど、絆は守る。それが、友達というものよ」
「なんか通じ合ってる感じでやだよぅ! ヒ、ヒッキー! あたしともメールしよ!? ねっ!?」
ぐいぐいと横から服が引っ張られる。
いや、メールしよってアータ、最近やたらとしてるじゃないですか。
「今まで友達が居なかった分、試してみたい友達の在り方とかいっぱいあるんだよな」
「ええ、解るわ。知り合い程度では到底辿り着けない高み……その頂を目指しましょう。偉人を下したいわけではないけれど、O・ワイルド氏のあの言葉だけには異を唱えたいのよ」
「やっぱな。そうだよな。ぼっちにとってあの言葉はちょっと違うよな」
「ええ、あなたもだと思っていたわ。確かに男女といえばそういうものなのかもしれないけれど、その過程にあるものさえ否定されるのは非常に癪なのよ」
「だよなぁ」
「う、うー、うー! ヒッキー、ヒッキー!」
「いや……べつに無視とかしてるわけじゃないから。あーもうほらおいでおいで《がばー!》グワーーーッ!!」
冗談で犬にするみたいに両手を広げておいでって言ったら、なんと遠慮なく抱き付いてきた。ならばこちらも是非も無い。や、仕方ないとかそういう意味じゃなくて、遠慮はせんって感じで。
抱きつかれるまま抱き締めて、愛でたり愛でたり愛でまくったり。
何度でも言えるが、本当に雪ノ下にはそういった感情はないのだ。ただただ友情を感じるのみ。大体俺は既に婚約しているつもりだし、浮気なんてするつもりも一切ない。
そんなことをどれだけ説いてみたところで、結衣の不安は無くならないらしい。
「まいった。まさか結衣がここまで嫉妬深いだなんてな……」
「……じゃああたしが他の男子と」
「おいやめろ」
「早っ!? ……ほ、ほらー! ヒッキーだって嫌なんじゃん!《にこー!》」
「由比ヶ浜さん、顔が盛大に緩んでいるわ、落ち着きなさい」
「あぅ……」
怒っているつもりだったんだろうが、もうめっちゃ顔緩みまくってる。指摘されれば自覚があったのか、ふしゅうと落ち込むガハマさん。
そんな姿にふと思いついて、かねてからやってみたかった……あー、芸? を、やってみた。
「そうよ由比ヶ浜さん。大体私が嫉妬だなんて、そんなことあるわけがないじゃない」
喉を軽く調整して、明らかに男とは思えない声を出す。久しぶりだったから不安だったが、上手くいった! 俺やった! やったよ、ぼっちとして生きてきた輝かしき日々たち!
「……ハチ? それは私の真似かしら。ひどく不愉快だから今すぐやめてもらえる?」
「すごっ! ヒッキーなに今の! 声高い! 女の子みたい! ……って、あれ? 今ハチって……え?」
うぐっ……いきなり口調を真似られた雪ノ下の反応は当然として、ゆ、結衣? そんなストレートにすごいとか言われると頬が緩むからやめて? いやもっと褒めて? 地味に頑張ったから認められるとかなり嬉しい。
……まあ、こんな感情も結衣限定だろうが。……だって、他のやつに喜ばれたってなぁ。
だから目の前で目をきらっきら輝かせている結衣から視線を外し、頬を掻きつつぽしょりと言う。いやもう、ほんとこの娘ったらまっすぐすぎるから、たまにどころか結構恥ずかしい。
「い、いや、一時期メラニー法ってやつが流行って、友達と馬鹿話とかした時に披露できればなーとか思って……頑張った結果っつーか」
「え、あ……そ、そう……友達との話のために……《テレテレ》」
「ヒッキーキモい!!」
「おい、すごいんじゃなかったのかよ」
「う、うー! だってだって!」
───スマホにはイヌリンガル、というものがあるらしい。
なんでも犬の鳴き声でその時の感情というか、言葉が解るとか。
でもせっかくの機能も、犬が鳴かなきゃ意味ないよね。大人しい犬飼ってる人には必要なさすぎ。
「………」
「ひっきぃ……」
寂しそうに呟くこのお犬様にイヌリンガルを使ったら、もう絶対に“構って!”としか出ないだろう。
しかしそれで十分なのです。何故なら彼女もまた、特別な存在だからです。そもそもほうっておかねーし。
椅子の上で胡坐を掻き、その上にとすんと結衣を乗せる。おう、これでも体は鍛えてるから、ゴツくはなくても力はある。女横抱きにして“軽いナ”とか言うリア充なんて知らんが、力を込めて持ち上げるくらいできる。
そうして「え? え?」と困惑している結衣をそのまま後ろから抱き締めると、俺自身も背もたれにぐだりと背を預け、手では結衣を抱き締めたまま頭を撫でたりする。
「………ヒ、ヒッ…………」
「…………」
「………《もぞもぞ》」
「………」
「…………」
なにか言おうとしたのだろうけど言わず、代わりにもぞもぞと座りやすい位置を確認すると、力を抜いて体を預けてくる。
左手を掴まれて結衣の腹へと持っていかれ、同じく掴まれた右手は頭の上に。
恐らくムフーとドヤ顔しているであろう結衣を思い浮かべつつ、ご所望ならば腹と頭を撫でてやった。
「とろけきっているわね……見ているこちらが赤面するわ」
「いろいろこじれてたからな。その反動だろ」
「あ、そうなんだよ雪ノ下さん! あのね、あたしうんと小さい頃からヒッキーのこと好きだったのにね!? ヒッキーも好きだったくせしてね!?」
「おいやめろ」
「ふーんだ! やめないし! それでね、ヒッキーったらね!」
「………」
それから俺への結衣の想いが赤裸々に語られた。
結衣自身は子供の頃からの不満をぶちまけているつもりなんだろうが、なんかもうノロケみたいにしか聞こえない。相手である俺でさえそうなのだ……語られている雪ノ下は返事に困る勢いで聞いているに違いない。
……ほら、顔を赤くしながら視線を彷徨わせてるし。
「あ、の……由比ヶ浜さん……? あなたがハチのことをとても好きなのはよく伝わったわ。伝わったから、別の話題を───」
「え? 別の? あ、じゃあヒッキーが」
「いえ、そうではなくて」
「え? じゃあヒッキーの」
「………」
「あ、あれ? なんか不満だったりしたかな。じゃあね、ヒッキーがね」
「……ハチ。あなた、どれだけ彼女に好かれているの……」
「言うな……確認しすぎてて恥ずかしいったらない……!《かぁああ……!!》」
なんなの? この娘ったら俺の話題しかないの?
もっと他に、女子力(笑)とかの話とかないの? なんか最近黒髪が地味だなぁとか呟いていることとか。
……いや、やめてね? 俺黒髪とか大好きだよ? お前が茶髪ウェーブになったりとか、胸元結構はだけたチャラっとした女子に変貌したら、俺泣くよ?
ただでさえ高校に入ってから、誰の影響なのか口調とか崩れてきたし。
「そ、それ! ハチっての! なんかずるい!」
「あら。ずるいとは聞き捨てならないわ、由比ヶ浜さん。なにをもってずるいなどと言うのかしら」
「だって、こいびっ……こ、婚約者のあたしだってヒッキーなのに! 苗字なのに! は、ハチって!」
「……最初に訊いておきたいのだけれど。あなた、その呼び方をした時に、ハチに嫌がられなかったの? 言ってはなんだけれど、ヒッキーというのは孤独者相手でなくとも蔑称以外のなにものでもないわよ」
「え、ぅ……だ、だってヒッキーだったし……」
「ハチ、あなた引き篭もっていたりでもしたの?」
「待て。俺は自分に引き篭もっていただけであって、たとえどんな目に遭おうが皆勤賞を逃したことはねぇ。プロぼっちの名にかけて、それだけは譲れん」
「ええ、信じるわ。私たちは“孤独”の名に偽りを貼り付けたりはしないもの」
ふっと笑んで、こくりと頷く姿が実に凛々しい。
しかしそれを見て余計に怒るガハマが一人。結衣だった。そりゃ結衣だ。ガハマだもの。
「な、なんか解んないけど、その“解り合ってる”って雰囲気がヤなの! なんで!? あたしいっぱい我慢して、いっぱい頑張ったよ!? なのになんで雪ノ下さんはヒッキーのほうから歩み寄ってもらえるの!?」
「そりゃ、お前が我慢して頑張ったからだろ」
落ち着け落ち着けーと撫でる。暴れるけど、ぎゅっと抱き締めて。昔の俺が見たらさぞかし敵意を剥き出しにすることだろう。人を信じるなよ、なんてな。
「俺の夢が叶ったのも、こうして人と話せるのも、全部お前が俺を信用してくれたからだ。てかな、お前ほんとに俺と、今の雪ノ下とやってるようなことしたいの? 俺の感情の全部をお前にって言ったけど、これな、いくら理想がつくとはいえ、どこまでいっても友達だぞ?」
「だ、だって……だって」
「そういうのをお前に向けなかった理由くらい察してくれないと、俺の顔面の熱がいつまで経っても取れないんだが……」
「ふえ? さっする? ……どゆ意味?」
「…………はぁ。由比ヶ浜さん。そこの目の腐った私の友人は、あなたとは友達でなど居たくないと言っているのよ。たとえフリだろうと、理想だろうと、あなたとは友達でいたくないと」
「ヒッキーひどい! あたしのこと嫌いなの!?」
「アホの娘かお前は!! そんな返しがくるとは思わなかったわ!」
「だって! だって友達でいたくないって! あたしって友達以下……? ひどいよひっきー……」
「………」
「…………ああ、うん……アホの娘ですまん……雪ノ下」
埒も無し。
抱き寄せた後ろ姿のうなじにキスを落とし、驚いて振り向いたところへ口にキス。
あー……恥っず……! なんで友人の前でいきなりこんなことせにゃならん……!
「由比ヶ浜さん……さすがにそれはハチ……比企谷くんに同情するわよ……? 比企谷くんが言いたいのは、友達以上……つまり、恋人でいたいから、婚約者でいたいから、フリでも友達に向ける感情なんて持っていたくないということよ」
状況を読んでか、雪ノ下が呼び方を比企谷くんに戻した。いやほんと、アホですまん。
「で、でも友達以下って」
「言ってねぇよ。だ、だから……だな。俺はお前とずっと友達なんて嫌だし、そりゃ理想の友達は理想がついてるだけあって、眩しい存在だぞ? でも友達は友達だし、友達とその、結婚、とかはねーだろ……俺はちゃんと、好きなやつと結婚したい。……そーいうこったよ、へんな受け取り方すんなよ、その度にこんな説明させる気か?」
「………………えっと」
「おう」
「…………えと《かぁぁ……》」
「おう」
「……え、……《じわ……》」
「……おう」
「《ぽろぽろぽろ》……ひっきぃ……」
「なっ……泣くな、泣かないでくれ、お前に泣かれると、その、弱い」
「……ごめんね、めんどくさいよね、あたし……でもね、すきなの、ひっきぃのこと、好きで、好きで、好きだから……」
「……俺は愛してる」
「うん……ごめんね、えへへ……ひっきぃ、ちゃんと言ってくれたのに……」
「仲睦まじいのね。見ているこちらが砂糖を吐いてしまいそう……」
「今は茶化さんでくれ」
「………」
「《ぎゅっ……》うぷっ!? お、おい、結衣っ」
話の途中で雪ノ下がツッコむや、結衣が体勢を変えて俺の顔を胸に抱いてくる。まるで、“これ、あたしのだもん!”と言わんばかりだ。
「…………ふふっ《ドヤァーーーン!!》」
で、雪ノ下は雪ノ下で、友人として最大のアシストをした! とばかりにドヤ顔である。
……あぁそうね、一度ニヒルに恋のアシストとかしてみてーよね。俺も憧れたわ。恋仲の友人なんざ居なかったけどな。どころか友達居なかったよ。
あーそこ、ドヤ顔のあとに小さく握り拳作ってガッツポーズとかやめなさい。自分の成功した現場を客観的に見てるみたいでなんか恥かしい。
ぼっち故、独りでニヤケたりしてる時の俺ってあんななんだろうなぁとか思っちゃう! やめて!