どこにでもあるようなガハマさんとヒッキーのお話   作:凍傷(ぜろくろ)

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騒がしく、彼と彼女の世界はあたたかくなってゆく②

 ───チャイムが鳴り、マンションの自室の扉が開く音が聞こえると、覚悟していたくせに、嫌な気分が喉元まで登ってくる。

 

「お、おじゃまします……」

「おじゃっ、お邪魔するっす!」

 

 緊張していると、耳が拾っただけでもわかるくらいの硬い声。

 妹と、恐らくは川崎の弟のもの。

 やがてふたりが結衣に連れられて部屋まで入ってくると、忘れるよう努めていた“比企谷家”の匂いがこの部屋に入ってきたみたいで、少しだけ頭痛がした。

 ……が、それも興味から消してゆく。

 

「………」

 

 きょろきょろとなにかを探しているらしい妹の瞳は、ひどく怯えた様相だ。

 が、それも今は興味から外す。自分が勝手に決めた条件が果たされるならそれでいい。

 果たされたとして、こいつの中に嘘があるのならそれでいい。

 俺はただそれを見極めて、受け入れるか否かを決めるだけだ。

 …………ていうかおい。ちょっと? なんでそんなキョロキョロしてんの。え? もしかしてアレ? 俺、認識されてない?

 

(えっと……お兄ちゃんはどこに───あ、うわー……なにあの人、格好良い……)

 

 とかなんとか思ってたら見られた。めっちゃ見られた。見られてる。

 ……おい。なんでちょっと顔赤いんだよ。

 

(あっちのお団子頭の人、綺麗だな……なのに童顔で可愛いって……居るもんなんだな、ほんとに綺麗な女の人って)

 

 そしてそこのえーと……なんかレベルEのラファティくんに似てるからラファティくん。人の大事な人のこと、赤らんだ顔して見てんやおへん。捻り潰しますえ?

 

「小町ちゃんいらっしゃいっ、好きなとこ座ってねっ」

「あなたがハチの妹さん……初めまして、雪ノ下雪乃です」

「あ、えと、どうも、です。比企谷小町っていいます……」

「僕は戸塚彩加。よろしくね、えーと……小町ちゃん、でいいかな」

「あ、はい、構いません。よろしくです」

「はっぽォーーん! そして我こそが剣豪将軍材木座義輝であーーーるゥ!!」

「……どもです」

「あれ? 我だけ反応薄くない?」

「いきなり暑苦しいまでに叫ばれればそうなる決まってるじゃないですかー。……あ、わたしは一色いろは。ここに居る人たちとは1コ下なんだ。よろしくね、小町ちゃん」

「……。はい、よろしくです」

「うわ……観察されちゃいましたよ。兄妹揃ってどこまで人を見る目持ってんですかー、もう」

 

 案内も済んで、各々が適当な位置に座ったり戻ったりすると、自己紹介が始まって、それも終わる。

 そうなるといよいよ妹のそわそわも最大値となり、ソファに座ったそいつが膝の上で拳をぎゅっと握った時、第一声はなにで来るかと身構えた。

 

「あの。それで……お兄ちゃんはどこに───」

 

 ───やっぱり認識されてねぇよおい!

 

「え? ヒッキーならそこに居るじゃん」

「え? そこって───」

 

 そこにと言われてるのに探されてる俺。

 ねぇちょっと? これ間接的に喧嘩売られてる? 交渉不成立どころか下剋上叩きつけられてる?

 ……と、やさぐれた存在ならば瞬時に思うのだろうが、俺の中の棘は隆起もしていない。むしろまあこんなもんだろうってあっさり受け入れた。

 

「大志───!? あんたなんでこんなところにっ!」

「姉ちゃんこそっ! こんなところでなにやってんだよ!」

 

 と、そんな時に川……川咲? さんが口論を始めそうになったので、それ以上いけない、と声をかけるよりもまず“こんなところ”扱いにツッコむことにした。

 

「おい、人の部屋をこんなところ扱いするんじゃねぇよ」

「えぇっ!? その声っ……お兄ちゃん!?」

 

 そして予想通り、外見では兄として認められていなかったらしい俺。

 なにも驚きのあまり、ソファから立ち上がってまで叫ぶことないじゃない。

 

「……俺が俺じゃなかったら誰だってんだよ」

「え、あ、だ、だって……《かぁあああ……!!》」

「ほれ、いーから座れ。……話、あるんだろ?」

「…………う、うん」

 

 結論。前までの俺、どれほど存在の薄い格好だったの。

 つか、なにこの子。なんで人のこと見て顔朱くしてんの? おこ? おこなの?

 そんな阿呆な考えを余所に話は始まり……大した混乱もなく、落着となる。

 決めてたことだからな、こんなもんだろ。

 

「えと……まずは、ごめんなさいお兄ちゃんっ!! あの時、不良みたいだとかごみぃちゃんだとか言って!」

「おし許す。一色~、菓子出来てるなら持ってきてくれー」

「軽っ!? お兄ちゃん、かっる!?」

「べつにずっと決めてたことだしなー、お前が謝ってきたら許すって。それがなんでこんな長引くかね……なに? お前の両親、謝罪の仕方も教えてくれんかったの?」

「え? ほら、小町基本いい娘だったから、“悪いことをしたらごめんなさいでしょ?”とかそんなんなかったかなー……」

「ほーん? まあいいけど。……あー、その、なんだ。……こっちも、今まで悪かったな。あっさりしたもんだが、いろいろ考えた結果だ。兄妹ってのはこんなもんで、千葉の兄妹ならなおさららしいからな」

「……千葉の兄妹……《しゅん》」

 

 言ってみると、“俺と小町”だからではなく、兄妹だから許された、というものだと受け取られたらしく、しょんぼりする。

 べつにそんな、俺とお前の間に、気にするほどのなにかがあるわけでもないだろうに。

 

「ああそれからな。べつに言われたから許したわけじゃねぇから気にすんな。そういう謝罪や受け入れなんてのは俺が気持ち悪いし受け入れない」

「うわー、この兄相変わらず勝手だー。……ほんと、相変わらず……おにいちゃんは……《じわ……》」

「…………」

 

 涙を滲ませる妹を前に、座らずに立たせていた足を動かして歩み寄り、随分ぶりに妹の頭へと手を伸ばした。

 

「……ほれ」

「《なでなでわしわし》んっ…………~~……ごめんねお兄ちゃん、ごめんね……ごめんなさい……っ! 小町も……お父さんとお母さんも……《ぽろぽろ》」

「……。おう。ちなみにここで両親の話題はNGな。あと、手先が器用なら川、川ー……川なんとかさんの方を手伝ってやってくれ」

「お兄ちゃん……さすがに泣きついてる妹にそれは、小町的にポイント低い……」

「なんだよそのポイント。知らんけど、生憎と俺は結衣専用だ。頭を撫でるくらいならいいが、胸は貸してやらん」

「……結衣お姉ちゃんばっかずるい」

「お前もごみぃちゃん扱いがなけりゃあな」

 

 あの頃の俺が本末転倒な阿呆をやっていた自覚はあるにしても、ゴミ呼ばわりが無ければまだ興味の範疇にあったままだったんじゃないかしら。

 自分側だと思っていた存在からの罵倒ほど、心を傷つけるものなんてないんだから。

 ただ、まあ。両親に恵まれたこいつにしてみれば、親と敵対、なんて考え自体がおかしいし、俺がどんだけ内側に溜めていようが、こいつにしてみればなにも話てくれずに辛さを抱え込んだ馬鹿な男にしか見えなかったんだろうし。

 ……だからってゴミ呼ばわりしていいかって言やぁ断じて否。

 失言であったことなんて冷静になればわかるだろうし、わかるからこそ今のこいつもしょんぼりしているんだろう。

 

「……。それは小町的に大絶賛大後悔中だから言わないだげて」

 

 ほれやっぱり。つかそれ、自分で言っちゃう?

 

「ところでそのー……えっとさーお兄ちゃん。ちょっとだけ、ちょっとだけ気になったんだけど……うん。どうしたんだろうなーって。その格好」

「? ああこれか。結衣の好みに全部合わせたらこうなった」

「化けましたよねー先輩。最初から眼鏡だけでも素質はあるかもーとか思ってましたけど。あ、これお菓子です。先輩にはマッカン」

「っと、悪い。まあ、結衣以外にどう言われようとどうでもいいけどな」

「グループの間でくらいは素直に喜びましょうよ~、せんぱぁ~いぃ」

「あーはいはい甘えた声絞り出すなよ相っ変わらずあざといなお前。そういうことは気になる男子にやりやがれ。居るだろどっかに」

「はーあー……ほんと、もっと早くに先輩と出会えてたらですよねー……。結衣先輩、綺麗なのに可愛いし、お馬鹿だけど気を使えるし、体も綺麗で心も綺麗で、お、おおおお風呂ではメロンがスイカに進化しつつありますし……!《ガタガタガタ……!》」

「人の妹の前でやめろ、阿呆」

「恋すると胸が大きくなるってほんとですかっ!? 答えてくださいせんぱいっ!」

「いや知らんから」

「だとしたら、結衣先輩のあの大きさも納得ですよねー……。子供の頃からだったんですよね? そりゃ大きく成長しますよねー……」

「だからやめろ、妹の前でそういう話、すんじゃねーって……」

 

 話は本当に、実にあっさりと解決した。

 小町自身も相当に驚いたようで、しかし許されたのならとじりじりと俺のパーソナルスペースを確認しつつ、近づき、やがて甘えるようになってきた。

 ……まあ、それが過ぎると結衣に引き剥がされていたが。

 

「だからお姉ちゃんばっかずるいですってば! いーじゃないですか小町がもんもんとしてる時に存分に甘えたんでしょお姉ちゃんは!」

「ずっ!? ずずずるくないよ!? あたしだって今すんごい我慢してるし!」

「大体なんですかあの格好! 兄を勝手にあんなに改造して! あ、危うく小町の初恋の相手が……っ……そのっ……! こ、心が弱ってなきゃ、小町ともあろう者があんな風になるわけないのです! だからお姉ちゃんはしばらく遠慮して、お兄ちゃんの相手は小町がですね!」

「!? だ、だめだよそんな兄妹でなんて!」

「いーえ兄妹だからこそ───…………え?」

「え? …………───あっ! え、えと、えとー、今のは、ね?」

「…………あの。結衣お姉様? …………えっと、それはそのー……つまり? 兄とはそういう関係……まで?《かぁあ……カアアア……ぐぼんっ!!》」

「うひゃあっ!? 小町ちゃん顔赤っ!」

「兄が……兄がそんな……! やっぱりあの日の不自然な旅行の時ですか……おかしいと思ったんですよ急に旅行なんて……それが、こんなことに繋がってるなんて……!」

「ヒ、ヒッキー! 小町ちゃんがなんかおかしいよ!」

「こっちはこっちで川なんとかさんの問題点とかいろいろあるんだけどな……あぁまあなに? 解決したからいいけど。んで、どした小町。なにか悩み事か?」

「お兄ちゃん! ……お姉ちゃんと“そういう関係”になったっていうのは、本当?」

「……お前…………妹相手になに言ってんの……」

「あ、あたしじゃないよ!? なんか会話の流れで気づかれたってゆーか!」

「……はぁ……。妹に自分の経験話をするとか、どんだけレベル高いんだよ俺……」

 

 弟と口論を始めた川、川……カワウソ? ともかく川なんとかさんを宥めようと話し合った結果、二年になったら深夜のバイトも始めたいって話に発展。

 姉が弟の大志とやらとギャーギャー喧嘩するハメになり、ようするに金がありゃいいんだろ、静かにしてくれってことで…………結局勧誘するハメに。陽乃さんに連絡して、スマホ渡してちょっと会話してあっさり採用だった。

 どうやら川なんとかさんもぼっちとしてのレベルは高かったらしく、ほぼ毎日でもここには来れるということで条件もクリア。グループにまた一人、仲間が加わった。

 仲間に加わったなら距離を置く必要もなしと、川なんとかさん改め、川崎をきちんと認識して、受け入れていった。

 積もる話もそりゃあある。

 けど、それをしながらだろうとやらなきゃいけないことはあるわけで、早速グループで行動開始。

 なによりもまず文化祭成功を目指し、川崎の衣装制作を手伝ったり、全員集まっての勉強会も進めたり。

 

「うわー……なにこれ……お兄ちゃんたち、最近じゃいっつもこんなのやってるんだ……」

「お、俺、邪魔じゃないっすか?」

「来場者方面からも意見が欲しい。正直一色の意見だけじゃ偏っちまうから」

「うーわ先輩ひどいです、人に訊くだけ訊いておいて、用が済めばポイですか」

「つーかな、むしろお前がいいのかよ。中学三年の時点でもう就職先が決まるとか」

「はぁ……まあ、いいんじゃないですか? これといった明確な目標があるわけでもありませんしね。むしろあの“雪ノ下”にスカウトされるとかレベル高いってやつですよ? ……その分勉強が大変ですけど。あのー、せんぱーいー、ここ教えてくださいー」

「お前マジで考える努力とかしようね? 開いたばっかの教本でなんで俺に質問飛ばしてくんの」

「いいじゃないですかー、二人でやれば効率もあがりますし。ほらほら、たまにしてくれるみたいに妹扱いみたいなのでもいいですからー」

「《ムッ》……ね、ねぇお兄ちゃん、小町もちょっと、宿題でわからないことが───」

「───」

「───」

 

 そして何故か睨み合う一色と小町───なんてことはなく、小町がズズイと前に出た途端に一色は引き下がり、逆にトンと小町を俺のほうへと押した。

 

「おい、一色っ?」

「兄妹なんですからそんなギクシャクとかやめてくださいよ。二人はさっさときちんと深く、謝り合って許し合ってをしちゃってください。はるさん先輩も言ってたじゃないですかー、マスターマインドの中で、妙な引っ掛かりは足を引っ張ることにしかならないって」

「……え? なに? こいつらも入れんの? 勝手にいろいろやると、そのはるさん先輩にこそ怒られるぞお前……」

「ひうっ!? あ、あー……そそそそこまで考えてませんでした……! いえでも同じ部屋に居てギクシャクとかほんと気になっちゃいますんで、入れるにせよなんにせよ、仲直りはきちんとお願いします」

「………」

「……お兄ちゃん」

 

 ……まあ、そうだな。

 溜め息ひとつ、皆が集まる部屋から小町だけを連れ出して、そこで……まあその、久しぶりに、随分とまあ好き勝手に話し合った。

 あの時の俺がどうだとか、それでもゴミは言い過ぎだバーローとか。

 そうして不満だのなんだのをぶちまけた先で、アホみたいに笑えてる今があるなら…………まあ、なんだ。仲直りっていうもん、出来たんじゃねぇのかね。良く知らんけど。

 

 そうやって、少しずつ関係を強化しつつ、日々は過ぎる。

 一応陽乃さんに訊いてみると、二人の参加は当然のごとく却下。

 今そういう、どうしても誰かが気にかけてしまう年下を加えると、ただの仲良し集団でしかなくなってしまうとのこと。まあ、わかる。

 特に仲直りしたばかりっていうのは、努めようにも気にかかってしまうもんだろう。

 なによりこちらに来過ぎて、小町の両親がこちらに突撃してきたりでもしたら目も当てられない。なので却下。

 結衣は残念そうにしていたものの、仕方ないよねと言ってくれ、このままのメンバーで続行。

 騒がしいまま、忙しいままに日々は過ぎ───……そして、文化祭がやってくる。

 

 

   ×  ×  ×

 

 

 案ずるより産むが易しってあるよな。

 準備は大変だけどやっちまえばどうってことなかったよ! 的な、な。

 今現在がそれなんだろうよ。文実も、文化祭が始まっちまえばやることなんざ早々ない。

 そもそもトラブルが起きてもすぐ対処できるようにって各学年、各クラスに混乱対処マニュアルを配ったからな。なにが起こってもよっぽどのことじゃない限り、文実の手ぇ煩わせるんじゃねぇよって意味で。

 だっておかしいでしょ、あんだけ頑張ってあれこれ対処しといて、始まってからも面倒ごとはこっちに押し付けて“みんな”は楽しむとか。

 これアレな。人って文字は人と人とが支え合ってるってアレな。

 ……これ、来年の文化祭スローガンとかに提案してみようかしら。

 

  人。よく見たら片方楽してる文化祭。

 

 最高じゃないの。実行委員と準備する人、どっちが楽しいかっつったら準備だろうよ。なのに準備のあとも楽しむより処理を回されるとか、これほんと支え合ってんの?

 ぶちぶちとこぼしても、既に文化祭の真っ最中。

 ご来場いただき鬱陶しいんでお帰りください、とか放送で言えたら最高です。言わんけど。

 などと心の中で騒がしさをぶち壊しにする冴えたやり方とか無駄に考えていると、俺の声をかけてくる者ひとり。……妹であった。

 

「あー、ちょっとそこの暇そうな格好いいお兄ちゃーん! 文化祭案内してくれませんかー?」

「おい、はっきりお兄ちゃんとか言っといて暇そうとか言うんじゃねぇよ。忙しいっつの、めっちゃ忙しいから」

 

 仲直りをしてからというもの、小町からの接触は増えた。増えたというか、十倍以上になった。そもそもがゼロに近かったんだから、まあ当然かもだが。

 

「忙しいって、立ってるだけじゃないの?」

「お前は何を言っとるんだ……」

 

 外からの来場者を歓迎って意味ではまあ、なんつーの? それを迎えることに楽しみがあるんだろうが、んーなもん実行委員にしてみりゃそれほどでもない。

 子供が来ればトラブルは起きるし、迷子が出れば走らにゃならん。

 あとアレな。店に連れてこられると絶対泣く子供。なんなのアレ。同じノリで文化祭で泣かれるとほんと辛いんですけど。

 

「いいから好きなとこ回ってこい。つか、ラファ……大志は? 一緒じゃねぇの?」

「あー、大志くんだったら姉ちゃんのクラスが気になるからーとか言って分かれたけど」

「ほーん……なんだあいつ、お前に気があんのかと思ってたのに」

「いやいやそりゃないよお兄ちゃん。大志くん、結衣お姉ちゃんにドッキンコしちゃったみたいだし」

「よしあの害虫潰そう」

「うーわー躊躇なく害虫言っちゃったよこの兄。お兄ちゃんさ、どんだけ結衣お姉ちゃんのこと好きなの」

「世界でなによりも。あいつにフラれたら世界なんてどうでもいいまである」

「一途すぎてたまにキモいよお兄ちゃん」

「うーるーせぇ、っての。人が人を好きになるのは当然のことで、俺は結衣が好きで大事で愛してるんだよ。胸張って言えるわ」

「むう……やっぱりお姉ちゃんばっかずるいなー……でもここまで言ってもらえたら彼女としては嬉しいんだろうね」

「最近自分が怖いんだよ……気づけば結衣に感謝ばっかりしてるし、好きだのありがとうだの嬉しいだの、ことある毎に言ってるし……」

「うわー……あ、でもお兄ちゃん? それはいいことだから絶対にやめちゃだめだからね?」

「そうか……? 何度も言われると鬱陶しくないか……?」

「お姉ちゃんからしてみれば、全然そんなことないと思うな。小町もきっと嬉しいし」

「そんなもんなのか……」

 

 俺じゃ鬱陶しいとか先に思ってだめだろうな……。

 あ、でも結衣に言われると弱いかもしれ…………ん、……って。

 ああもう、ほんと気づけば結衣のことばっかりじゃねぇかよ……もうやだ、人を好きになるって怖い。そして恥ずかしい。

 

「んで、なにか見たいものとかないのか?」

「あ、お兄ちゃんの教室行ってみたいかも」

「そか。けどあれだよな。文化祭っていうけど、どこらへんに文化があるのか地味に謎だよな」

「それ言っちゃったらどこの文化祭も盛り上がらないってば……」

 

 それもそうだった。

 ともあれ、そうして久方ぶりに兄妹でのひと時を過ごした。

 途中で用事を頼まれたりもしたが、そこはグループ仲間がサポートしてくれたりして。

 まさかそういうことをしてくれるとは思っていなかったから、ぽかんと呆然、そののちに感謝が溢れてきた。

 ……弱くなったな、と感じる自分とは逆に、そんな自分も悪くないと思える自分も居た。そんなもんでいいのかもしれないって……思い始めてきている。

 うん。いいな、こういうの。中学までじゃ考えられなかった世界だ。

 このままこの気持ちに埋没してしまっていいのだろうかと考えて、それもいいと考えてしまう自分も居て、力を抜きたくなる。

 親との和解とかは考えない。両親の娘の、都合のいい兄のままでいようって、本当にそれでいいって思っている。

 どうでもいいのだ、本当に、あの親については。

 だから今は、手を伸ばせばちゃんと掴めるこの世界を……俺は。

 

「なぁ、小町」

「んー? なに? お兄ちゃん」

「……兄ちゃんな、恋をしたんだ」

「へ? どしたのお兄ちゃん、今さら」

「ガキの頃から大事で、相手はそうじゃねぇんだろうなって思いながら……それでも」

「お、お兄ちゃん? えと」

「好きになってよかったって、そう思えるんだ」

「…………うん」

 

 小さな頃から、ろくな会話が出来なかった。

 だから兄妹らしい話を、って思ったって、ろくな話も浮かばない。

 出してみた言葉もきっと受け取りづらかっただろうに、小町はすぐに解ってくれて、頷いてくれた。

 

「よかった」

「小町?」

「お兄ちゃん、幸せそうだから」

「……おう」

 

 兄妹なのになにも知らなかった。

 偉そうに知ったかぶり出来る部分もなくて、それでも……兄妹なのだから。

 

「お兄ちゃん。小町はなにも出来なかったけど……もっともっと、幸せになってね。で、結衣お姉ちゃんのことも幸せにしてね」

「おう。兄ちゃんに任せとけ」

「うんっ、任せたっ」

 

 手を繋ぎ、八重歯を見せながらニパッと笑った。

 ……こんな笑顔が可愛いことさえ知らなかったんだな、なんてアホなことを考えながら歩く。

 

「はぁ……でも、結衣お姉ちゃんがお兄ちゃんのことを好きじゃなかったら、今頃どうなってたんだろ……考えると怖いかも」

「結衣に感謝だな。いや、感謝ならいつでもしてるが。むしろ愛しているまである」

「妹の前で堂々とノロケるとかやめてよ……まあ、なんにせよだよお兄ちゃん」

「ん……おう、そだな」

 

 兄妹なのに、これからよろしく、なんて言って。

 やがて、まあ、ようやく。

 俺達は、素直に笑い合えたのだった。

 

「んじゃとりあえず結衣に会いに行くか」

「いやいやなんでそーなるの。小町お兄ちゃんの教室の出し物見たいんだってば」

「そうか。俺は結衣が見たい」

「あの……お兄ちゃんほんと大丈夫? 小町、小町が知ってるお兄ちゃんと今のお兄ちゃんのギャップに、ちょっとくらくらしてるんだけど」

「俺も自覚はしてるんだけどな……心を許すってやばいな、ほんと。犬が自分の腹を見せてもいいって行為の意味が解るっつーか」

「いやお兄ちゃんそれ服従してるからね!? お兄ちゃんほんと大丈夫!?」

「大丈夫だ。そういう意味で言うなら、俺達はたぶん、お互いに服従してるっぽい」

 

 ほれ、と促すと離れたところに結衣。

 手を振って、それから全力で走ってきて飛びついてきた。

 

「うわー……見るの、初めてってわけでもないのに……未だに慣れない、このお兄ちゃんの綺麗な目……」

 

 飛びつき、抱き着いてきた瞬間にキスをしてすぐに離す。

 さすがにこんなイベントの最中に堂々とラブラブチュッチュしてたら捕まる。それはよろしくない。

 なので、衝突や事故を装ってキスしたりハグしたり……なんかもうそれを受け入れている俺がもうダメだ。

 でもそうまで出来るほど好きすぎてやばい。心許しすぎてやばい。信じすぎてやばい。

 ママさんがいつか言ってくれた、結衣は本当に俺の味方だって、あの言葉が心の奥に染み込みすぎてて、なんかもう大事。大好き。愛してる。

 

「身近な人がバカップルになるって、すっごく微妙な心境……でも……はぁ。なんでかなぁ、仕方ないとかじゃなくて、応援したくなるのは」

 

 なにやらぶつぶつ言っている小町をよそに、見つめあって名前を呼び合って幸せオーラ放ちまくりの俺達。

 早速他の実行委員に、というか丁度やってきたユキにツッコまれ、シャキっとする。

 

「心配になって様子を見にきてみれば、あなたたちはまったく……」

「……面目ない」

「……あ、で、でも手、繋ぐくらいは~……」

「由比ヶ浜さん?《にこり》」

「う、うー、でも、でも、ゆきのん、ゆきの~ん……」

「あ、なんかもう力関係がよーく解りました。とりあえず頑張ってください、雪乃さん」

「むしろここはあなたが頑張りなさい、比企谷……は、ややこしいわね。小町、さん?」

「小町がですか……いえ、確かに今までの距離をなんとかするには……」

「結衣……」

「ヒッキー……」

「って無理ですって隙あらばいちゃいちゃしてますよこの二人! どうしろっていうんですか!」

「そこからまずは考えなさい。踏み出したかったのなら、まず踏み出す努力から」

「踏み出す努力……勇気……そう、ですよね。お兄ちゃんは倍以上努力も辛さもやってきたし味わってきたんですから。これくらい、小町が───」

「んっ……」

「ちゅっ……」

「無理ですだめです人前でちゅーしちゃってますよ助けてください雪乃さん!」

「はぁ……あぁ、もう……!」

 

 世界はしゃーない。そう思っていた景色に色がついてくると、自分の周りもやがて変わっていった。

 一人ずつそれぞれの色を持つ人が手を伸ばし、伸ばした数だけ別の色が生まれて、灰色の世界を変えてゆく。

 たぶん、俺は変わらない。

 変わらないまま変えられてゆき、きっと、そんな自分に胸を張れるいつかに辿り着ける。

 それが幸福であるかなんて解りもしないのに……今は、どうしてかそんな漠然としたなにかを楽しみにしている自分が居る。

 少しは自分で動けと笑われそうだけど……動いた結果で傷ついてきたのだから、今はまだ、動く世界の中でゆっくりと休ませてほしい。

 そうして、変えられた世界の中で、いつか望んだあたたかい世界が微笑んでくれたら。

 その時は、また……傷つくことも怖がらず、傍に居る誰かに手を伸ばし、その眩しさを知っていこう。

 ひとりぼっちばかりが集まった、狭くても綺麗な色の、賑やかな世界で。

 


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