どこにでもあるようなガハマさんとヒッキーのお話   作:凍傷(ぜろくろ)

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強気の愛を②

 あの日からしばらく。

 恋人が出来た───そう優美子に告げたら、とても驚いていた。

 誰!? 誰だし! って物凄い勢いであたしの肩を掴んでゆすってくる。遠慮がない。喋れない。

 なんとか解放されてから、しばらくはヒッキーの提案で関係を隠していたことを暴露。

 その間にしっかりとヒッキーの改造は済ませたから、平気で紹介できる。

 あたしが元から平気でも、ヒッキーが受け入れてくれなかったから、それまでは大変だった。あたしなんて早く言いたくてうずうずしてたのに。あ、や、自慢したかったんじゃないんだ。これはほんと。ただ、堂々と一緒に居られないのが……うん、悔しかったんだ。

 カーストってやっぱり嫌い。つまりあたしも“みんな”は嫌いなのかもしれない。

 

「ヒキガヤ? 誰それ」

「あー、それってヒキタニくんだべ? ほら、あそこの」

「───《ギロリ》」

「……《びくっ》」

 

 とべっちが促した先を優美子が睨んで、その先に居るヒッキーが肩を震わせた。

 そこに居るのはヒッキーだけど、以前までとはちょっと違う。

 髪型もかっこよく決まってるし雰囲気とかも随分と落ち着いた感じになってる。キョロキョロしなくなったし、なにより……伊達眼鏡をつけさせてみたら、なんと腐ってた目が綺麗に見えるようになった。

 それに気づいた時は、ヒッキーと一緒になって眼鏡の神秘すごいすごいと言いまくったものだ。

 

「あんれー? ヒキタニくんってあんな顔だったっけ?」

「とべっち、ヒキタニ、じゃなくてヒキガヤくんだよ」

「あ、悪ぃ悪ぃ……で、比企谷くんってあんな顔? 格好? だったっけー? なんか印象が全然違うっつーかぁ~……なんかまじ別人じゃね? っべーわー」

「それな」

「確かに」

 

 そんな彼を、優美子は見る。……見る。見…………なんかすっごい見てる!?

 

「結衣ー、アレと付き合ってるわけ?」

「え、う、うん」

「結衣ってさー、基本、男とか避けてたっしょ? 声かけられてもひらりひらりってーかさ」

「うん。なんか……下心ばっか見えるってかさ。うん」

「まあそれはいいし。で、あいつと出会った切っ掛けは? 好きになるほどの、っつか、きちんと話し合えるほどの仲になるのになにかあったんしょ? 言ってみろし。それとも言えない?」

「……ううん。入学式の日に(サブレが)車に轢かれそうになったところをね、命懸けで助けてもらったんだ(サブレを)。代わりにヒッキー、足骨折しちゃってさ。だから一ヶ月くらい学校来れなくて」

「まじ? 確かにそんだけ居なかった気がするけど……勇気あんじゃん、あいつ」

「うわっ! なにそれまじすげーじゃん! っべーわぁ! 比企谷くんまじっべーわぁ! まじリスペクトだわぁ~!」

「戸部うっさい」

「アッハイ」

「ふーん……? そんでそれからずっと付き合ってたん?」

「あ、ううん。付き合ったのはちょっと前。あ、あたしから告白して、OKもらった……えへへ」

「ちょ、うーわっ、結衣から告白されるとか幸せ者すぎるっしょ!」

「あ、とべっち、ごめんだけど、苗字で呼んで?」

「んおー! おっけおっけ! やっぱ彼氏にだけ呼んでもらいたいもんでしょー! いやー、比企谷くんべーわー!」

 

 ヒッキーを連れ回して気づいたことがある。

 ヒッキーは嫌なことは嫌っていうし、好きなものは好きってハッキリ言う。

 解らない男子とは違って、本当に気持ちがいい。一緒に居て重くないし、なにより楽しい。たまに自虐ネタが出てくるけど、それをきちんと聞いて受け止めると、彼は安心したように笑ってくれる。

 あと、これが重要で……傍に居ると顔が緩んで、気がつくと微笑んでる自分が居る。

 そんなあたしを見て、ヒッキーも笑って、その顔がすっごく綺麗で、たまに可愛くて、なんかもう……白状しちゃうと、あたしはとっくにヒッキーのことが大好きだった。

 

「んー……でもさ、ユイ。ヒキタニくん……あ、比企谷くんてさ、もっとこう……目がさ、特徴的じゃなかった? 誘い受けっていうかさ、ぐ腐腐っぽい目っていうか」

「それってどんな目!? ぐふふ!?」

「なにそれ、腐ってるってこと? あーしはあんま見てなかったし知らんけど」

「あー……うん、ヒッキーの目はちょっと特徴的かな。今は伊達眼鏡で誤魔化してるけど」

「あ、やっぱりそうなんだ。でも、髪さっぱりして目の腐りをなんとかしたら、あんなに化けるもんなんだね……びっくりした。そしてますます総受けっぽい顔つきに……ぐ腐腐腐腐……! そしていつの日かめくるめくはやはちの世界へ───キ、キマシッ《ぶしぃっ!!》」

「海老名、だからおまえは擬態しろし、鼻血拭けし」

「あ、あはは……」

 

 ほんと、何語なんだろ。しろしとか拭けしって、どこの言葉なんだろ。

 当然の疑問を抱いていると、隼人く───葉山くんが話しかけてきた。

 

「ゆぃ───じゃなかった、由比ヶ浜は、ヒキタ……ひ、比企谷とはうまくいってるのか?」

「あ、うん……えへへ……すっごく大事にしてもらってる……かなぁ……《ほにゃあ……》」

『───……』

 

 ……? あれ? なんかみんなが静かになっちゃった。どうしたんだろ。

 姫菜が優美子にぽしょぽしょ小声で話しかけてる……あれ? なんか変なこと言っちゃったかな。

 

(ちょ……優美子っ、ユイの今の顔見た!? もうなんていうか幸せ絶頂って感じのあの緩んだ顔! まさか既にヒキタニくんと大人の階段昇ってシンデレラに……!)

(ウソ……あーしだって隼人と全然なのに……《チラ、チラチラ》)

「? どうした? 優美子」

「あ、ううん……なんでもないし……」

 

 優美子は葉山くんのことが好きだ。それは、近くで見てて痛いほど解る。

 でも、葉山くんはそれを受け入れない。好きじゃないならいっそ、突き放したほうがいいこともあると思う。でも、それをしない。

 ヒッキーと付き合うようになってから気づけることが結構増えた。

 それは、なんてのかな……人の持つ空気、かな。彼が敏感すぎる所為か、あたしもそれに習って人をよく見るようになった。今までは空気ばかりを読んでいたけど、それ以上に人間観察もするようになった。

 ……今まではヒッキー観察ばっかだったけどね。たはは……。

 ちなみにヒッキーはそんなあたしの視線にも気づいていたみたい。ずっと見られてて、いつ因縁つけられるかドキドキしてたって。そのくせ名前も知らなかったっていうんだから、そっちの方が悲しかった。

 

「でも……さ。結衣がちゃんとあいつの……えと、ヒキタニ? ヒキガヤ? ヒッキー? ……んー……ヒキオね。うんヒキオ。ヒキオのこと好きで、ヒキオも結衣のことちゃんと好きなら。あーしが言うことなんて特にないっつーか」

「優美子……」

「それに最近の結衣、言いたいこときちんと言うようになってきたし。そのへんいっつも気になってたから、まあ、いーんじゃないの?」

 

 優美子は、口は悪いけど優しい。

 時々男の子みたいな口調にもなることがあるけど、みんなのこと結構見てる。

 女王だーとか言われてるし、ジロって見られるとかなりどきっとする。それでも根っこはやさしい。

 まあ言いたいことを言えるようになってきたのは、雪ノ下さん……えと、ゆきのんのお陰なんだけど。もちろんヒッキーも言いたいことは言ってくれるし、あたしにも言いたいことがあったら言ってくれって言ってくれた。それが嬉しくて、もっと仲良くなりたいとか、手を繋いでみたいとか言ったらすごく慌てて、赤くなってそっぽ向いて。ああ、思い出しただけでも顔が緩む。

 ああ……あたし、ヒッキーのこと好きだなぁ……。

 

「《ほにゃあ~……》」

「ォァッ……!? ……っべーわぁ……ゆい───がはま、緩んだ顔とかまじっべーわぁ……。え? なに? 可愛すぎじゃね?」

「戸部、見んなし。こーいうのは好きな男にしか見られたくねぇもんだし」

「えちょ、そりゃないっしょ優美子~、いきなり目の前でされたら見るなもなにも……ないわぁ、それないわぁ」

「あ?《ギロッ》」

「……すんません。───……殺されっかと思ったわぁ……」

「それな」

「確かに」

「てぇか大岡に大和も~! さっきからそればっかで俺一人で喋ってんじゃんかさぁ~!」

 

 うん。二人ってあんま喋んないよね。いっつもとべっちが盛り上げて、二人が“それな”とか言って同意する。

 たぶん、それはあたしと似たような感じのもの。

 あたしはそんな風見鶏をやめたいなって思ってるけど、空気を読むことばっかりが得意になっちゃった今じゃ、それをやめるのは難しい。とってもだ。

 

「んで? 結衣はどーしたいん? ヒキオのこと、こっちに巻き込むん?」

「えと、それはしたくないかな。みんな急に人が増えても困るだろうし、ヒッキーも……そういうの、望んでないんだ、きっと。一人の方が気が楽って気持ち、ちょっと解るし」

「ふーん? んで? どーしたいん?」

「うん。だからね? あたしがヒッキーのとこまで行こうって。待ってても仕方ない人なら、迎えに行ってあげなきゃ」

「……え? 結衣、グループ抜けんの?」

 

 ……わ。優美子泣きそう。え? なんで? こんな顔初めてみた。

 空気読んで合わせようとして、そんなことないよって言いそうになる。けど、それじゃだめなんだ。

 

「優美子。ヒッキーってさ、小学校から中学校まで、いろんな人にひどいことされてきたんだって。その所為でさ、人を信じられなくなって。告白した時、なんの罰ゲームだって言われて驚いちゃった」

「は? イジメ? なにそれ、あーしそういうのマジむかつくんだけど」

「うん……あたしも嫌かな。えっとね、自分が原因のもあったそうなんだ。でもさ、それを笑ってみんなに言い触らして、それ聞いて自分も混ざってひどいことするのは、ヒッキーとは関係ないことだよね。気づいたら学年全員がヒッキーはそうなって当然、みたいな空気になってたって。集団の怖さとか知ってたら、そんな迂闊に抵抗するとか、出来ないよね。だからさ、ヒッキーはそれを日常として受け入れたんだって」

「……なにそれ、苛められることを日常にしたってこと?」

「うん。そうしてなんも反応しなければ、相手も飽きてなにもしなくなるだろって。実際飽きられて、それ以上ひどいことになることはなかったそうだけど、人は信じられなくなってたって」

「……それで、ゆい、がはまはどうやって比企谷を信用させたんだ?」

「真っ直ぐに告白……かなぁ。雪ノ下さんに助けてもらった部分が多いけど───って優美子!? ちょっ」

 

 葉山くんと話してる間に、キッと怒ったような顔をした優美子が、ずかずかとヒッキーの席に向かっていった。

 そしてバンッて机に手をつくと、「ちょっとヒキオ!」って。

 ヒッキー、「ひゃいっ!?」って本気でびっくりしてた。うん、あれはあたしもああなる。ちらりとみんなを見てみれば、みんな“ごしゅーしょーさま”って顔で頷いてた。

 

「おまえ、うちのグループに入れ」

「え、あ、いや───…………断る。行く理由が」

「あ? 理由? あーしが入れっつってんだけど?」

「ひ、ひえっ……でしゅかりゃ、アレがアレなわけでしゅて……!」

 

 ああ……ヒッキーが蛇に睨まれたカエル……あっとと、ヒッキー、カエル呼ばわりは嫌いだったんだよね。あと虫嫌い。

 でも優美子、その誘い方はあたしでもどーかと思うなぁ。

 

「いーから入れし。イジメとかそんなくだんないものから守ってやるから」

「……由比ヶ浜からなに聞いたのかは知らないけどな。同情とかそういうので誘ってるんだったら、そんなものはいらない。迷惑だ」

「……あんた、人がせっかく」

「人が嫌がってることをすることは“せっかく”とは言わねぇよ。……いーから、俺に構わずに由比ヶ浜を守ってやっててくれ。底辺の俺と付き合ってるなんて知れたら、あいつが馬鹿にされる」

「───…………、……へえ。……へええ? なんだ、ちゃんと男してんじゃん。ヒキオ、気に入ったからやっぱ入れし」

「いや入らねーから。あとそれ何語? 入れしって初めて聞いたわ」

 

 うわっ、言っちゃった! 今までみんな、気にはなっても決して口にはしなかったのに!

 

「あ? 日本語に決まってんでしょ」

「まじか……お前のグループに入ったら語尾に“し”をつけなきゃいけないルールとかか? 由比ヶ浜もしょっちゅう使ってるし」

「お? 入る気んなった?」

「おいやめろ、今の語尾は断じて違う。つかほんとにそんなルールなのかよ」

「……ふーん? なんだ、やっぱちゃんと喋れんじゃん。なに? 話すの苦手なふりでもしてたん?」

「……話すのは苦手だよ。頭ん中に定型文があって、それを引き出してるだけだ。用意してある言葉ならいくらでも喋れるだろ。……ああ、そうだな。そっちの……葉山で例えるなら、“なるほど、すごいな、悪いのはきみじゃない”って感じの定型文な」

 

 ……あー、うん。葉山くん、そういうところあるかも。

 納得して、褒めて、慰める。うわ、ほんと葉山くんだ。三つの言葉で葉山くんが完成した。

 なんて思ってたら一番に姫菜が「ぶふはっ!」って吹き出して、次にとべっちが笑い出す。

 

「あははははは! う、うん! 確かにイメージぴったりかも……! ぶっ、ぷくふっ……! ぷふふはははは……あははははは!!」

「お、おいおい姫菜……?」

「ご、ごめっ……隼人くっ……! ぶっは! た、耐えられないっしょ……ぷはははははは!!」

「戸部……」

「……ぷふっ……そ、それな」

「確かに……ぷふっ」

「………」

 

 葉山くんが、どうするんだよこの状況、って感じでヒッキーを見る。

 と、ヒッキーは“ほれ”って感じでなにかを促した。

 空気が伝わる。

 それは、状況に乗ってやればいい、みたいなもの。

 葉山くんもそれを察したのか、優美子が葉山くんを馬鹿にされたと思って怒りそうになったところで、被せるようにして言った。

 

「なるほど、俺ってそんな感じなのか。すごいな、比企谷は人のことをよく見てる。ああ、みんな笑ってるけど気にするな、悪いのはきみじゃない」

『───ぶふぅっ!!』

 

 葉山くんがそんなノリに付き合うとは思ってなかったんだろう。教室に残って聞き耳を立ててたいろんな人が笑い出して、一気に空気が賑やかなものに変わった。

 優美子がぼーぜんとした顔で葉山くんを見て、葉山くんは苦笑して肩を竦めてみせる。

 そこには、グループの中にあったちょっとした緊張した空気はなかった。

 あ、そっか。苦笑なのに、葉山くん、ちょっと楽しそうだ。今まで、どうしても壁みたいなのがあったのに、今はそれが……あ、またちょっと離れた。

 どうしてまた壁を作るのかな、なんて思ってたら、葉山くんはヒッキーの前まで歩いていって、真っ直ぐに言った。

 

「俺からも頼むよ。よかったら友達にならないか?」

 

 そして、そんなことを言う。

 ……ああ、これ、だめだ。ヒッキーは絶対に断る。

 だめだよ葉山くん。それ、勧誘とかそういうのじゃないよ。

 

「……葉山。それは勧誘とかそういうのじゃない。一種の脅迫だ。ぼっちを誘う時は、相手が一人の時を狙うべきだ。ましてや相手はカースト最底辺で、お前は最上位。そんなお前から誘われて断ったら、俺のこのクラスでの立場はどうなる?」

「? いや……断らなきゃいいんじゃないか?」

「ほーん? じゃあお前は最初から答えが一つしかないって解っていながら誘ったのか。だから脅迫だって言ってんだよ。悪いな、俺はそっちに混ざるつもりはねぇよ」

「あ? 隼人やあーしが誘ってんのに断るっての?」

「ひやっ……だ、だからでしゅね? 俺なんかが混ざったりしたら、そっちの評判とかがでしゅね?」

「……ヒッキー。さっきから他人のことばっかり。自分がやっかまれるとか、そーゆーの考えてないの?」

「? 今さらんなことで傷つくほどやわな生き方してねぇよ。てかやめてくれ、お前には嘘とかつきたくないから、質問されるとベラベラ───!? い、いや、なんでもない、今のはほらアレだから」

 

 慌てた感じで誤魔化すヒッキーだけど、もう無理だ。みんな聞いちゃった。

 やっぱりこの人は優しい人で、自分が傷つくよりも他人のことを思いやれる人だった。

 それが解ったのか、優美子なんてヒッキーの頭を撫でて───なんで!?

 

「ちょ、おまっ……なななにすんだっ! 結衣にも触らせてないのに! ───あ」

「ふえっ!? ちょ、ひ、ヒッキー!?」

 

 みるみる内に赤くなるヒッキーが机に突っ伏して「……死にたい……」って呟いた。

 そんなヒッキーを見て、余計にうずうずした感じでヒッキーの頭を撫でる優美子───ってだからなんで!?

 てか結衣って言った! ヒッキーあたしのこと結衣って!

 え、え? これってつまり、ヒッキーってば心の中じゃいっつも名前を呼び捨てにしてたってことだよね? それとも呼ぼうと頑張ってくれてたとか……。

 うわ、わわわ……どうしよ、どうしよ……なにこれ、すっごい嬉しい……!

 他の誰に言われてもこんなんならないのに……すごい、恋ってすごい。

 ……すごいから、やんわりとヒッキーを撫でる優美子の手を掴んで、メキメキと引き剥がした。

 そうしてから代わりに撫でる。

 ……ごわごわしてると思ったらさらさらだ。触り心地が良い。どきどきしてた心がとくんとくんってしてきて、すごくやさしい気持ちになる。

 あ、あ……えと、なんだろ。膝枕とかしてあげたいかも。

 

「いや……もういいだろ……俺もう十分恥かいたろ……。男が恋人に触らせたこともないのにとか、キモいとか思ってんだろ……もうほっといてくれ……」

「あ? あぁまあ正直ちょいキモいし」

「《ざくっ》げっふ……!」

「けどそれで相手が喜ぶかどうかっしょ。結衣、顔真っ赤にしてとろけてっし、いんじゃね? ……てか結衣、握力すごいわ……手の痕消えない……」

「ねぇ、ねぇヒッキー? もっかい言って? 結衣って、もっかい言って?」

「やめろぉおお……! 逃げ道塞いでおねだりとかやめろぉおお……!」

「言ってやれし」

「だから何語だよそれ……。……う、その……ゆ、結衣?」

 

 優美子に返して、溜め息を吐いたあと……言ってくれた。窺うような、ソッと確認するような言い方。

 でも、そんな恥ずかしそうな言い方が、胸にきゅんってくる。

 

「う、うんっ、うんヒッキー! なにっ!? なにっ!?」

「い、や……言えっていうから……その、そろそろ頭撫でんの、やめない? そ、それにほら、俺アレだし。部活あるし」

「あ、そっか。ごめんね優美子、あたしとヒッキー、これから部活あるんだ。優美子にちゃんと話してから行こうって決めてたから」

「部活? 何部」

 

 う。そりゃ訊いてくるよね。

 えと、えとー……一応ちゃんとした部活だし、おかしなことはない……はず。

 

「えっとね、ほーしぶっていうんだけど」

「胞子部? っべー、キノコでも育ててんの?」

「戸部、るっさい《ギヌロォッ!》」

「ヒイッ!? ……───ちびるかと思ったわぁ……!」

「それな……」

「確かに……」

 

 しばらく静かにしてたとべっちが口を開いた途端、優美子に睨まれた。

 しゃ、喋らせてあげてもよかったんじゃないかなぁ、優美子……。

 

「奉仕部って……雪乃ちゃ───あ、えと。雪ノ下さんが居る、あそこか」

「葉山くん知ってるの?」

「あ、うん、まあ」

 

 姫菜の言葉に、葉山くんは……えと、歯切れ、だっけ? うん。歯切れの悪い言い方で応える。

 ……? 雪ノ下さ……ん、んんっ。ゆきのんとなにかあったのかな。

 ……うん、我ながらいいあだ名。ヒッキーの時みたいに、これでゆきのんと打ち解けられたらいいな。

 あたしも奉仕部だし、これからゆきのんとも友達になれたらいいなぁ。

 

「………」

 

 ゆきのんを見てると、団地に住んでた頃を思い出す。

 猫を飼っていた。

 正式に家で飼ってたわけじゃなくて、隠れて。

 猫は……居なくなっちゃうからちょっと苦手。嫌いなんじゃない。

 雪ノ下さんを見てるとどうしてか猫を思い出しちゃって。

 でも……変かなぁ。ゆきのんは居なくならないから、なんて考えちゃうのは、おかしいかなぁ。

 もちろんゆきのんは猫じゃないし、喧嘩とかしちゃったら居なくなることだってあるかもしれない。

 それでも……ヒッキーと同じで真っ直ぐに気持ちをぶつけてくれるゆきのんが、あたしは結構……好きなんだと思う。

 

「ほら行コ? ヒッキー」

「お、おう……つかお前、いつ部活入ったの? 俺聞いてないんだけど」

「え? あ……やー、ほら、あたし暇じゃん?」

「いや知らんし」

「暇なの! だから入ることにしたの。それに、ヒッキーと一緒に居られるし」

「お、おう…………おう」

 

 照れてる。こういう素直な反応が大好きだ。

 あたしは、ここに通うようになってからどころか、それ以前にも学校ではなかなか出来なかった本当の笑顔を浮かべながら、ヒッキーの手を引いて走った。

 家でくだらないバラエティ番組を見て笑うことは、そりゃある。

 でも、学校では……無理だ。空気読んでばっかで、読むことに忙しくて、とても本気で笑えなかった。

 じゃあ今は? …………うん、幸せだ。

 

「やっはろー! ゆきのん!」

「……おす」

「遅かったわね遅刻谷くん。なにをしていたのかしら」

「野暮用に捕まってた。遅くなったのはすまん。てかなに? ここ集合時間とか決まってんの?」

「別に決まっていないけれど。それより由比ヶ浜さんはどうしてここに? あなたの依頼なら終わったと思っていたのだけれど」

「え? もしかして歓迎されてない……? ゆ、ゆきのん、あたしもさ、ほら、奉仕部員だし、そりゃ来るよ?」

「……? いえ、部員ではないでしょう?」

「あれぇ!? 違うの!?」

「えぇっ!? 違うのかよ!」

 

 ……し、幸せ、だよ? うん。

 だってここからだもんね。頑張ろう。ガンガンいこうぜだ。

 

「入部届けも受け取ってなければ、顧問である平塚先生からなにも聞いていないもの」

「書くよぉ! 入部届けくらい書くからぁ! 仲間に入れてよぉ!」

 

 鞄からルーズリーフを取り出して、入部届けを書いてゆく。

 えーっとえーっと……めんどいからひらがなでいいや。

 

「……由比ヶ浜さん。専用の用紙というものがあるのだけれど」

「それ先に言おう!? はんこまで押しちゃったよ!?」

「……まあ、平塚先生ならそれでも通るでしょうけれど」

「うー! だったらこれでいーんじゃん! ヒッキー、ゆきのんがいじめる!」

「おーそうかー。おいでおいでー」

「ふえ? う、うん……?」

 

 ヒッキーに言ってみたら、ヒッキーは椅子に座って小説を読んでて、来い来いと手招きをしてた。

 よく解らないまま近寄ってみたら、少し屈むように手の動きで促されて、屈んでみたら……頭を撫でられた。

 

「ふわっ!? ……え? あ、え……えひゅぇ……?」

 

 撫でられてる。え、え……なにこれ、どうして? なんで?

 あれ? もしかして慰めてくれてる……のかな。すごく心地良いし。

 

「ひ……比企谷くん? あなたはいったいなにをしているのかしら?」

「あ? なにって…………───OH」

 

 ピタリと、頭を撫でる手が止まった。そこからは言い訳ラッシュ。

 108のお兄ちゃんスキルが~とかいろいろ言葉を並べるんだけど、ゆきのんはひどくゆっくりとした動作でケータイの番号をプッシュする。

 1、1、0。

 

『《ブッ》もしもし? こちら』

「うぉおおおおおおい!! なに本当にポリス呼ぼうとしてんだぁああっ!!」

 

 それをヒッキーに止められた。

 

「なにとはどういうことかしら。いくら相手が恋人だからといって、いきなり頭を撫でるようではいつか他人が毒牙にかかってしまうかもしれないじゃない」

「心を許したヤツ以外に誰がするかっ!! …………あ」

 

 ……そして、また自爆。

 なんか……なんかヒッキーって、結構かわいい、かも。

 今もまた「……死にたい……」って頭抱え始めたし。

 

「そう。つまりあなたは勝手に心を許したらいきなり人の頭を撫で回す変態紳士ということなのね?」

「ふん。ぼっちなめんな。少なくともそんなことを言ってばっかのヤツに誰が心を許すか。俺の周囲には小町と結衣だけ居ればいいんだよ」

「……《スチャッ》」

「おいやめろ、ほんとやめろ。なんでそこでケータイ構えるんだよ」

「あなた今、結衣と。由比ヶ浜さんの名前を呼んだの? まさかとは思うけれど、勝手に心を許したら許可も得ずに人の名前を……!」

「お前の中の俺ってどんだけ自分勝手なんだよ。いや自分勝手だけどよ。それでもぼっち道には背かない程度に人の道歩いてるっての。それに好きでもなければ友達でもない相手の名前を呼ぶとか気持ち悪いだろ」

「……人の名前を気持ち悪いから呼ばないとは、聞いていて腹が立つものね」

「じゃあ俺の名前、呼んでみろよ」

「嫌よ。気持ち悪いもの」

「おい」

 

 ヒッキーとゆきのんは相変わらずだ。本当に遠慮無しに、言いたいことを言い合ってる。

 なのに全然喧嘩みたいにはならなくて、たぶんそれは……ゆきのんじゃなく、ヒッキーがゆきのんの言葉を受け止めてるからだ。

 言葉通りだとするなら、罵声なんて日常的なもの。悪口なんてむしろ子守唄レベル、なんて言えるくらいに慣れてしまっているから。

 でも……あたしだって解る。罵声に慣れても、苦しくない人なんて絶対に居ない。

 でもなぁ、うーん……困ったなぁ。

 たぶんこれ、ゆきのん自身は気づいてないんだよね。

 ゆきのん、ヒッキーとこうして口論みたいなことしてる時、ヒッキーの視線が自分から外れると、嬉しそうな顔してる。

 楽しそうっていうよりは……あ、うん。楽しそうではあるんだけど、あたしたちが言うような楽しそうじゃなくて……子供……ってのかなぁ、うん。

 親に構ってもらってる子供みたいに、無邪気な顔で笑うんだ。もしくはいたずらが成功した子供みたいに。

 なんでも言い合える関係って、ちょっと羨ましいけど……たぶん、ヒッキーじゃないと成立しないんだろうな。

 

「…………」

 

 羨ましいとか思ったら、体は動いてた。

 椅子を持ってきて、カショリとヒッキーの隣に置いて、ちょこんと座る。

 

「うおっ……え? なに? つか近くない? ねぇ近いよね?」

「えへへぇ」

「………」

「《なでなで》ふあっ………………~~…………」

 

 自分でやってて恥ずかしくて、つい笑ってしまったら、頭を撫でられた。

 ヒッキーに撫でられると安心する。心が落ち着く。

 座るまではドキドキだったのが、またとくんとくんってなって、傍にずっと居たくなる。

 おかしいかな。つい最近までろくに話せなかったのに、そんな相手にこんなにドキドキするなんて。

 

「……はぁ。由比ヶ浜さん、不愉快だったらすぐに手を払っていいのよ?」

「え? ううん? べつに不愉快とかそんなことないよ? むしろちょっと気持ちいいし。安心するかも」

「……べつに入部することを拒むわけではないけれど、毎日それを見せられるのかもと思うとうんざりするわ」

「ゆきのんひどい!? そ、そんな毎日とかっ…………その、しないと思うけど」

「そこは断言してほしいわね……。───比企谷くん」

「お、おう?」

「あなたに恋人が出来た、という事実は、私もこの目で見たことだし納得はしましょう。けれど、ここは恋人がいちゃつく場所ではないの。仮にも部活という学校行事に参加している以上、そういった規律は守ってほしいわね」

「───……あー、だな。悪い、これは俺の落ち度だ」

「あら。あなたに落ち度以外あるなんて初耳ね。それはなんという名の度かしら。……落ちた後なら……潰れる? 潰れ度?」

「おい。納得するとっかかりから人のこと否定してんじゃねぇよ」

 

 ほら、また。ゆきのん楽しそう。

 でも、逆にちょっと安心。こうしてヒッキーの隣から見てみると、ちょっと解ることがある。

 あれは恋とかじゃなくて、安心が欲しい……ちょっと前までのあたしみたい。

 空気を読むとかじゃなくて、読み方も知らないで……ただ自分の我が儘を受け入れてもらいたかった頃の。

 

「…………」

「つか、な。結衣……がはま。ほんと近い、近い……」

「結衣でいい」

「いや、今のは」

「結衣」

「…………結衣《かぁあああっ……》」

 

 ヒッキーは、嫌なことは嫌って言う。好きなものは、趣味が悪くても好きだって言い張れる人だ。

 人にどう思われようと自分を貫こうとする。キモいところももちろんあって、うわーってなることだってあるけど……困ったことに、そこに隠されたやさしさや彼らしさに、いつの間にか惚れこんでしまっていた。

 おかしいよね、まだ恋人になってそう経ってないのに。

 でも、見てた時間だけだったら一年以上だ。うん、あたし頑張った。

 世の中って解らないなぁ……ちょっと前まで人は苦手だーとか思ってたのに。あ、うん、今でもちょっと……ううん、ヒッキーと一緒に居るようになってから、逆にもっと嫌いになったかもだけど、とにかくそんなこと思ってたのに。そんなあたしが、人を好きになった。ヒッキー限定で。

 いっぱいの友達が出来るのは、確かに安心につながるんだけど……今感じてるような安心は、たぶん他にはそうそうないんだ。温かくて安心出来て、くすぐったくて……嬉しい。

 ゆきのんともそんな関係になれたら、きっとこのほーしぶはとても素敵な場所になるんだ。

 あわややや、えと。べつにあたしが安心するためにそんな場所が欲しいんじゃなくてっ!

 

(……)

 

 ゆきのんとヒッキーって、今まで会ってきた人と違うから。

 たぶん、ヒッキーもゆきのんも、そんなことを感じてると思う。

 あたしに対しては、たぶん他の人への感情とそう変わらないものを感じてるんじゃないかな。ほら、あたし空気を読むくらいしか取り柄ないし。

 でも出来れば、そんな二人と一緒に居られる自分でありたいから、頑張って空気を読みたいと思う。たまには読まずに。

 えーと、つまり……アレだね。うん。アレ。

 嘘とか飾った言葉を使わないゆきのんが、あたしは好きだ。憧れる。それと同時に、幼い部分も残ってて可愛いって思う。友達になりたいし、ゆきのんとだったら……今までの、どこか乾いてた友達って言葉よりも、ちょっぴり先の関係になれる気がする。

 嘘とか……ぎ、ぎまん? が嫌いで、捻くれてるけどやさしいヒッキーが、あたしは好きだ。傍に居たいし居てほしい。敵を遠ざけるためにつけてる“無愛想”の下にあるやさしさがたまらなく愛しい。ちょっと付き合っただけでこんなに好きになれるんだから、きっとこの先は幸せばっかりだ。

 そんな三人が居る場所がここで、きっと……幸せのありか。

 なんか、大事にしたいって思う。

 新しいものとか、買ったばっかのノートとかすっごく大事にしちゃう感覚とは違う、心がじんわりする……“大事にしたい”。

 まだまだ芽生えたばっかの気持ちだけど……いつかは、ここを守るためならーとかもっともっと頑張れたりするのかな。出来たらいいな。

 

「あ、ところでさ! 部活終わったらみんなでカラオケとかいかないっ!?」

「いかねーから」

「いかないわよ」

「……あ、あはは………………即答だぁ」

 

 でっ……出来る、よね……? 出来るといいなぁ。


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