どこにでもあるようなガハマさんとヒッキーのお話   作:凍傷(ぜろくろ)

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再会は友達とともに

 勇気が出せなかった。

 たった一歩を進めば終わるだけのものだったはずなのに、その一歩が踏み出せないで、気づけば随分と時間が経っちゃって。

 その過程で長い間見つめていた所為か、わかったことはいくつか。

 

 1、その人はいっつも一人で居ること。

 

 2、べつにいじめがあるとかじゃなく、自分から一人で居ること。

 

 3、話しかけられた場合も、自分からすぐに会話を終わらせちゃうこと。

 

 きっと、あたしがお礼を言ったところで、ああそう、とかそんな言葉で終わるんだろうね。

 それはちょっと寂しい。

 そりゃ、最初こそはそれでいいとは思ったんだ。

 お礼を言って、菓子折りを渡して、ごめんなさいを言って、それで、終わり。

 男の子だし、それがきっかけで妙な接点が出来てもな、なんて思いは……正直に言えばあったんだ。

 でも……すぐにそんな考えは消えて、学校でその人を探す日々は、いつの間にかあたしの楽しみになっていた。

 

(今日も机に突っ伏してる……)

 

 ある日は机に突っ伏して、イヤホンを付けて音を遮断。

 ある日は居なくて、探しても見つからない時が大体。

 探すあまりにお昼を食べ損ねたこともあった。

 どうやってるのか知んないけど、見つけるのが凄く難しいのだ、えと、ひ、ひー……比企谷くんは。

 思い返せば、結局そうして何日も何ヶ月も先延ばして、気づけば退院しちゃってたんだよね。

 病室に行ってお菓子渡して、ありがとうとごめんなさい。

 それを伝えればきっと終わってた筈の、こんなよくわからない関係。

 罪悪感と、はっきりしない小さな気持ちだけが、心の中で燻っていた。

 で、学校に通えるようになった現在も、結局渡せてないし謝れてもいない。

 仕方ないからもう家に突撃するしかないかな、なんて、病室を訪ねるよりも恐怖と緊張でどっくんどっくん鳴る胸を押さえながら、あたしは……比企谷家の前に来た。

 住所は知ってたんだ。いろいろあったから。

 

「………」

 

 放課後に、同じクラスなわけでもない人の家に来る。

 リュックに入れていた菓子折りを手に、そわそわして。

 制服で、って……やめておけばよかったかな。

 これだと同じ学校だってのがわかっちゃって、そんな噂が広がって、リードをちゃんと握ってなかったから事故った人がー、とか…………ううん、だとしても、それは本当のことだし受け止めなきゃだ。

 

「……ん、覚悟決まった」

「なにがです?」

「うひゃああっ!?」

 

 むんっ、てお菓子を持ってない手をぎゅって握って気合いを入れてたら、後ろから声。

 振り向くと、かわいい女の子が居た。

 

「ひやっ、あ、ああああのあのあの、ああああたし、べちゅ、べつにあやしいものじゃにゃくてっ……!」

「いや、現在進行形でめっちゃくちゃ怪しいです。とりあえず落ち着きましょうね」

「あ、ぅ、ぅうぅぅううん……!」

 

 びっくりした……!

 にっこり笑って言ってくれる女の子……その落ち着いた様子に、あたしも少しほっとした。

 これで急に怒鳴られたり、とかだったら泣いてたかもしれない。

 ……はぁ、ちゃんとしなきゃだ。がんばれ、結衣。高校ではちゃんとやるって、そう思ったから頑張ったんだから。

 

「え、えっと、ひきゅっ……比企谷さんのお宅で、いい……ですよね?」

「? えと、はい、たしかにここは比企谷で、小町も比企谷ですけど」

「わわわっ……あの、えと、これっ……つつつつまらなっ……ありっ……ごごごごめんなさいぃいっ!?」

「うえぇえっ!? あの、本気で落ち着いてくれません!? なに言ってるのかちょっと小町にはわからなすぎます!」

 

 勇気を出したその日。

 出会った関係者さん……たぶん妹さんを、とっても混乱させてしまいました。泣いていいかなぁ、あたし……。

 

   ×   ×   ×

 

 ところどころでつっかえまくって、どもりまくって、泣きそうになりながら説明を終了する。

 なんか余計なことまで話しちゃった気がするけど、気にする余裕がなかった。

 

「なるほどー……あなたが件のワンちゃんの飼い主さん……」

「は、はいっ、由比ヶ浜結衣っていいましゅ!」

「あの、緊張してるのは小町、よ~くわかったので、やっぱりとにかく落ち着いてくださいね。あと敬語とか大丈夫なので」

「~~……ごめんね、小町ちゃん……!」

 

 顔から火が出そうって、こんな時に使うんだろうね……もうほんと、恥ずかしすぎて涙出そうだ……ていうかちょっとだけ滲んでる。

 

「で、その由比ヶ浜結衣さん……えと、結衣さんでいいですか?」

「あ、うん」

「はい、じゃあ結衣さんで。その結衣さんは、この数ヶ月間に渡り、兄に謝罪したくて、時には遠くから、時には擦れ違いを装って兄を観察して、話すためのきっかけを作ろうと必死だったというのに、宅の兄がどうしようもないほどに人との関係を嫌い、誰がどうしてるわけでもないのに拒絶の意を体から滲み出して牽制し続けていたと」

「なんでそこまでわかるの!? あたしそんなこと言ってないのに!」

「はあ……まあ、うちの兄ですからねー……学校でやってそうなことくらい想像がつくといいますか。それであのー……兄、どうですか? 妹の小町が言うのもなんですけど、悪い物件じゃないと思うんですけど」

「? 物件? えと、あたしべつに、家は探してないんだけど……」

「───稀にも見ないピュアな人だ……! いえいえいえいえなんでもありませんっ! あ、ところでなんですけどね結衣さんっ、この菓子折り、やっぱり小町的には感謝の気持ちを込めて、結衣さんが直接、兄に渡すべきなんじゃないかなーと思うんですよ!」

「えっ……あ、うん……やっぱそうかな……」

「大丈夫ですよ、小町もきちんとサポートしますからっ! まずは話すところから始めてみましょう!」

「話すって……ありがとうとごめんなさいを言うだけなんだけど……」

「あー……兄ならそれ以上を言うと警戒しかしそうにありませんね」

「そうなんだ!? ……え!? たった二言だよ!?」

「まあ、兄ですし」

 

 うわぁあ……会話とか終わらせるの上手いな~とか思ってたけど、そうなんだ……。

 あたしなんて話とか振られても、曖昧に返事して、結局はそうだよねー、とかしか言えないのに。

 あと……男子に話振られて、一緒にどこそこに行かない? とか言われた時も……断りづらいし、断ったらどうなるんだろうって考えるとキッパリ断るのも怖くて。

 ……だめだなぁ、あたし。もっとハッキリ言えるようにならないと。

 

「うーん……罪悪感だけじゃなさそうなんだけどな~……。ぜ~ったい、小町的にポイント高そうななにかが燻ってそうっていうか……うーん」

「小町ちゃん?」

「あ、いえいえなんでもないです。じゃあそうですね、連絡先の交換とか、いいですか?」

「え? うん、いいけど……」

 

 聞いてどうするんだろう、とは思ったけど、こういうのは誠意だと思うから、足踏みしてないで踏み込んでいこう。勇気勇気っ……!

 ……こうして、あたしの一歩目は始まった。

 小町ちゃんからは定期的とは違うけど、しょっちゅうメールが着て、結局のところそんなふうに気軽にメール出来る友達も居なかったあたしとしては、そんな小町ちゃんの存在がありがたかった。

 あたしの方が年上なのに、小町ちゃんが聞き上手だからなのか、気づいたら相談とかしちゃってて、アドバイスもらったりして。

 しっかりしなきゃって思ってたくせに、あたしってほんと…………はぁ。

 

……。

 

 また一ヶ月経った。

 その間、クラスでグループに誘われたりもしたけど、小町ちゃんの助言でパス。

 “人の悪口で繋がりを保つグループに居て、いいことなんてひとっつもありませんっ!”て断言された。

 あたしだけだったらなあなあのままグループに入って、したくもない誰かの悪口への相槌を身に着けちゃってたかもしれない。

 本心でもないのに、気づけばキモいとか言っちゃってたりとか。

 そんなのは嫌だって思うから、ちゃんと断った。

 その所為であたしがちょっと悪口とか言われちゃったけど、本心じゃないことを言うのがクセになっちゃうよりは全然いい。

 上手く人と付き合えないし、自分の意見も言えないあたしだけど、そういうところでくらいは誠実でいたいから。

 

「あ、結衣さーん!」

「あっ、小町ちゃんっ」

 

 小町ちゃんとは図書館で落ち合って話し合ったりしてる。

 小町ちゃんいわく、勉強は合格したあとなどが一番危険なので、予習復習はしておきましょう、だそうで。うん、それわかるかも。

 あたしもあのまま、グループとかに入って、そっちに付きっきりだったら、ここに入学するためにせっかく頑張ったいろんなもの、なくしてたかもしれない。

 

「まあ、小町が教えてほしいっていう打算的な部分もありますが」

「ううん、あたしも復習できるから」

「はぁ~……ほんっといい人ですよねー、結衣さん。言いたいことを言わせてもらえるなら、人としてっていうか……女として」

「?」

 

 いい女ってことかな。よくわかんないや。

 いい女なら、きっともう比企谷くんにはお礼も謝罪も出来てただろうし、兄に謝罪も済んでないのにその妹と笑顔でお話とかしてないと思うな。

 

「まあともかくですよ。こっちでも少しずつ兄の性格を宥めてますんで」

「うん。せめて話せるように、だよね」

 

 まず話が出来なきゃどうしようもない。

 初めて小町ちゃんと会った時みたいに、あんなに慌てたらありがとうごめんなさいどころじゃないから。

 

「………」

「結衣さん?」

「……小町ちゃん。なんかちょっと……違くない? とか思ったんだけど」

「気の所為ですって! 結衣さんはお礼と謝罪を届けたくて、小町はそのサポートをしたい。ほらほら、な~んも間違ってませんよ?」

「で、でもさ、あんまり時間かけちゃってたら二年生になっちゃうし……そしたらさすがに、こんな時期になってなに今さら来てんの? とか言われたりしちゃうんじゃないかな……!」

「ああ、それなら心配いりません。結衣さんに声かけられたら、兄ならまず冷静に言葉を返す余裕とかなくなりますから。なので結衣さん、きちんと兄と話せる状況を作りましょう。最近じゃようやく小町とも話せるようになってきたわけですし」

「……一ヶ月って案外早いよね」

「ですねー」

 

 もたもたしてたら、この一ヶ月も無駄に過ぎていくだけだ。

 頑張らないと。うん。

 

……。

 

 そんなわけで、比企谷くんを見守る日々が続いた。

 家ではあんなことしてたよー、とかこんなことしてたよー、とか小町ちゃんが教えてくれる。

 これってストーカーじゃないかな、って訊いてみたら、小町ちゃんは断じて違いますってキッパリ。

 「少なくとも小町は許可してますし、兄に訊いてみたら“知りたけりゃ勝手に知ればいいんじゃねーの?”と許可が出ましたから!」……そ、そなんだ。意外だなぁ。

 「……まあ、そんな奴が居るならな、なんて自虐がおまけされましたけど《ぽしょり》」え? 小町ちゃん今なんて? 小町ちゃん!? ねぇ!?

 うー……えっと、うん。とにかく。

 彼を見守る中で、少しずつ彼を知った。

 やさしいところ、不思議なところ、笑うとちょっと……素直に言うなら気持ち悪いところとか、犬も猫も好きなところとか。

 彼自身は自分以外にやさしいのに、周囲は彼にやさしくないところ……とかも。

 なんで、どうして、って思うところも結構あって、その大半は……彼の小学から中学の頃に問題があったって、小町ちゃんが教えてくれた。

 一人で居ようとする理由も、そこから想像がついて、悔しくて少し泣いちゃったのは内緒だ。

 

「───……」

 

 時々、楽しそうに笑う集団を、なにか手の届かないものを眺めるみたいな目で見ていた。

 そんな彼に気づいちゃった時、心の奥底になにかが響いた。

 でも……なにを言えばいいのかわからなくて。

 なにを届ければいいのかもわからなくて。

 ありがとうやごめんなさいを言いたかっただけなはずなのに、もうそれだけじゃ足りなくなっている自分に気づいてしまった。

 

   ×   ×   ×

 

 FROM 由比ヶ浜結衣 20:18

 TITLE えっと

 ねぇ小町ちゃん、ちょっと相談したいんだけど、いいかな

 

 FROM 小町 20:31

 TITLE はいはい~♪

 すいません、ちょっと兄に捕まってました。もっちろんオッケーです!

 あ、どうします? 電話にします?

 

 FROM 由比ヶ浜結衣 20:33

 TITLE ごめんね、このままで

 電話だとママにいろいろ言われそうだから。えっとさ、比企谷くんのことなんだけどね?

 えっと、どう言えばいいのかな

 

 FROM 小町 20:34

 TITLE ?

 まさかうちの兄が結衣さんになにかしましたか?

 だとしたら今すぐ踏み潰してきますが

 

 FROM 由比ヶ浜結衣 20:36

 TITLE ややや!

 そういうのじゃないから大丈夫! 待って! 踏み潰すってなに!?

 あの、ね? ちょっと相談に乗ってもらいたくて

 

 FROM 小町 20:36

 TITLE ええ

 それは聞きました、どうぞどうぞ

 

 FROM 由比ヶ浜結衣 20:45

 TITLE ごめんね

 相談っていうのはさ、比企谷くんのことで。

 

 FROM 小町 20:45

 TITLE あの、それも聞きました

 よーく悩んでるのはわかりますけど、もうどどんと言っちゃってください。

 39分の時点でこんな文章即座に返してやるって思い付いちゃったじゃないですか

 

 FROM 由比ヶ浜結衣 20:48

 TITLE ごめんなさい

 言うね、もう。言っちゃう。

 えっとね、小町ちゃんのお兄ちゃんのことなんだけどね。

 あの、ありがとうとごめんなさいじゃ、足りなくなっちゃって

 

 FROM 小町 20:49

 TITLE あの

 ごめんなさい仰る意味がわからないのですが……おんどりゃあでも付け加えますか?

 

 FROM 由比ヶ浜結衣 20:52

 TITLE そういうのじゃなくてね!?Σ(゚д゚lll)

 言おうと思ってた言葉じゃ足りないっていうか、もっと伝えたい言葉とか、言いたいこととか増えちゃったっていうか

 あの、小町ちゃん? 今のおんどりゃあって、もしかしてちょっと怒ってるから書いちゃった、とかだったりするのかな

 

 FROM 小町 20:54

 TITLE (# ゚益゚)イイエェ?

 それはないので早くなにを言いたいのか教えてください

 

 FROM 由比ヶ浜結衣 20:55

 TITLE (´;ω;`)

 ごめんね

 

 FROM 小町 20:56

 TITLE Σ(゚д゚lll)

 冗談ですごめんなさい!

 

……。

 

 あれから何度かメールでやりとりをして、自分自身でも少しずつ、文字を打ちながら気持ちの整理をしていった。

 もやもやしたものがなんなのか、一文字一文字を自分自身で探るようにして確かめてゆく。

 サブレを助けた所為で独りぼっちになったのかと思えば、小町ちゃんは違うっていう。

 自分からそうあろうとしているだけだって言われれば、彼の行動を見てきたあたしは“ああそっか”って頷くしかなくて。

 そんな彼を見て、思うことを続けて、気づけば彼のことばっかりを考えている自分に気づいて、やがて溜め息を吐く。

 

「……えっと」

 

 FROM 由比ヶ浜結衣 17:22

 TITLE あのさ、小町ちゃん

 特定の人を見てることが多くなって、その人のことを考えることが多くなって、廊下でたまたま擦れ違っただけでぎゅうって締め付けられるような感覚って、なにかわかる?

 

 FROM 小町 17:24

 TITLE あの

 うちの兄がなにか逆鱗に触れるようなことをしたのなら、兄に代わって小町が誠心誠意謝りますので、許してあげてください

 

 FROM 由比ヶ浜結衣 17:25

 TITLE なんでそうなるの!?Σ(゚д゚lll)

 自分でもよくわかんないけどそういう方向のじゃないってことだけは断言したいなぁあたし!

 

 FROM 小町 17:27

 TITLE 冗談です( ̄▽ ̄)

 焦らないでじっくり知っていきましょう。

 そういうのって無理矢理名前をつけて「コレダー」って決めつけても、勘違いだった~なんてよくありそうですし

 

 FROM 由比ヶ浜結衣 17:29

 TITLE そっか

 わかった。もう少し考えてみるよ。

 前までは苦しいばっかりだったけど、最近だとなんかあったかいんだ。

 悪いことじゃないよね? これって。

 

 FROM 小町 17:33

 TITLE もちろんです

 やさしい気持ちになれたり、ちょっとウキウキしちゃったりするなら、それはまちがいなくいい感情ですよ。

 あと結衣さん、いい加減そのフルネームをなんとかしましょう。

 

 FROM 由比ヶ浜結衣 17:34

 TITLE え?

 ヘンかな

 

 FROM 小町 17:37

 TITLE はい

 うちの兄も小町が指摘するまで比企谷八幡のままでしたし。

 もうちょっとフレンドリーな感じでいきましょう。

 

 FROM あなたの友達 17:41

 TITLE こんな感じ?

 どうかな

 

 FROM 小町 17:43

 TITLE あの

 その返し方、勘違いしたうちの兄レベルで怖いしキモいのでやめましょうね

 

 FROM 達結衣 17:46

 TITLE 小町ちゃんひどい!?

 これでも考えたのに!

 

 FROM 小町 17:48

 TITLE はいはい

 残ってます、急いで消したんでしょうけど“達”が残ってますよー。

 

「~~……《かぁあ……》」

 

 なんかあたし、小町ちゃんには勝てないような気がしてきた……。

 

   ×   ×   ×

 

 なんやかんやあって、小町ちゃんとばっかり仲良くなる日々が続いた。

 こうして図書館で勉強するのも慣れたなーって思う。

 今のところ、総武を合格した時よりも学力には自信が持ててる。

 小町ちゃんも成績を伸ばしていて、この間なんか高得点のテストを突き出して胸を張ってた。かわいい。

 

「いやー……でも参りましたよ」

「? どしたの?」

「いえ、うちの兄がですね? お母さんにテストの点数を自慢する小町を怪しむようになりまして。いつ勉強なんてしてんの、とか言い出しまして」

「え? 家でもしてるんだよね?」

「…………《ソッ》」

「小町ちゃん!? なんで目、逸らすの!?」

 

 えぇええ!? じゃあ家でもっとちゃんとやってれば、もっと高得点とか取れたんじゃないの!?

 小町ちゃんそれもったいないよ!

 とは言うけど、家じゃ監視&一緒に勉強してくれる人も居ないから、だらけちゃうんだって。うー……わかるけどさ。

 

「で、ですね? 出掛けようとする度に何処行くんだーとか訊いてくるようになりまして。あ、これは前からなんですけど、最近は特に」

「あー……お兄ちゃんとしては心配だよね。あたしだって小町ちゃんくらい可愛い妹が居たら、悪い男子に捕まったりしてないかなーとか心配になっちゃうもん」

「……結衣さんにそういうこと言われると、さすがに照れますね……。兄には似たようなこと、言われたりはするんですけど」

「うん……それで、えっと、比企谷くんにはなんて言って出てきてるの?」

「え? いい加減しつこいので、図書館で勉強してるだけだからって正直に」

「そっか。うん。嘘ついたってしょうがないもんね。じゃあ、比企谷くんを安心させるためにも、ちゃんと勉強しなきゃだ」

「おー!」

 

 声を潜めながら、おー、と言って拳を突き上げる。

 ……と、にこにこ笑う小町ちゃんが急に「おぉっほぉお!?」なんて声を出した。

 わー小町ちゃん!? しー! しーーーっ!! ~~……うあああ他のみんなの目が怖いぃい……!

 

「ど、どしたの小町ちゃん……! 図書館ではお静かにだよ……!?」

「い、いえちょっとあの……! お、お兄ちゃん、なんで……!」

「え?」

 

 …………エ?

 お兄ちゃん? …………エ?

 耳に届いた、届いてほしくなかった言葉を整理しながら、反射的にくるりと後ろを振り返る。

 ……と、あの日の彼。

 あたしと同じく学校帰りのそのままなのか、制服のままであたしの後ろ……より結構離れた場所に立っていた。

 目が特徴的な彼を、まさか見間違えるはずもなく、むしろ小町ちゃんもお兄ちゃんって言ってるから正真正銘比企谷八幡くんなわけで。

 

(───)

 

 あ、あれ? どうすればいいんだっけ。

 なにをするんだっけ。

 おれっ、お礼っ!? そう、お礼っ! と、ごめんなさいを───うひゃあお菓子忘れた!

 ここここういう場合はどうしたらっ……!

 えと、ええとぉお……!!

 

「ちょっとお兄ちゃん……! なんで図書館来てんの……!《ぽしょぉ……!》」

「いや、そりゃ来るだろ。来るよな? あの勉強嫌いの妹が急に図書館通いとか誰だって疑うだろーが。てっきりお兄ちゃんはその、悪い虫っつーか害虫でもひっついてんじゃねぇかとこうして密かにだな……。そしたらお前、その、なんだってこんな……え? つーかなんなのこの集まり。接点が見えないんですけど……? あ、いや、害虫居ないならむしろ俺は今すぐ帰る当然帰る帰りまくる帰るしかないまである《ぼそぼそ》」

「じゃあもう帰っていいから……! 男の子なんて居ないでしょー……!?《ぽしょぽしょ》」

「いや、そうなんだが……誰? こいつ《ぼそり》」

「こいつとか言わないの……! この人居なきゃ小町、あんな点数取れなかったんだから……! いーい……!? この人は恩人なの、お・ん・じ・んっ……! 失礼な態度とか取ったら小町、もうお兄ちゃんと口きかないどころか、適度に口利いて、溜め息吐いたり舌打ちしたりするから……!《ぽしょお……!》」

「無視されるよりきっついなおい……やめて? お兄ちゃん割とマジで泣いちゃうから……! てか、お、おうその、恩人、なのか…………そうか。あ、あー……その。…………ども」

「ふえっ、あ、え、と…………ど、どうも……」

「………」

「………」

 

 無理! 急に後ろにとかレベル高すぎだよ!

 ここここんなのどうしろっていうの!? むむむ無理だー! もう帰りたい!

 会話ってどうやるんだっけ!? あたし親しい友達なんて小町ちゃんだけだから、わかんないよぅ!

 

「ちょ、ちょっとちょっと? おい、ねぇ? 小町ちゃん……!? 恩人だからって、俺に女子相手にどう接しろっての……!? 言っとくけどお前、アレだよ……? 俺が本気で誰かと接点持とうとしたら、2秒でキモい言われる自信があるぞ……!?《ぼそぼそ》」

「お兄ちゃん……それはそれで小町、妹として恥ずかしいから自慢しないで」

「お、おう……なんかすまん───ん? ってちょっと待て? もしかしてこの人がちょくちょく言ってた話し相手ってやつか? 相談に乗ったり乗ってもらったりしてるとかなんとか」

「おっそい……! お兄ちゃん気づくのおっそい……! そんなんだから咄嗟の時に後手に回ってばっかなんでしょーが……!」

「いやそれ今関係ねぇだろ……何を為すにもお兄ちゃんが後手に回る理由に、班決めの時にいっつも最後まで残るからとか、二人1ペア組んでとか言われると最後まで余るからとか、班内で意見交換は大事ですとか先生が言ってるのに器用に俺の意見だけはシカトされるからとか、そういうのは全然関係してないんだからね?」

「お兄ちゃん例え長すぎだから。理屈ぶる人は嫌われるって何度も言ってるでしょー?」

「んじゃ今の心境を簡潔に纏めてみろ。言っておくが俺は現代国語に自信の重きを置く兄だ。小町の言葉が俺の胸を震わせるような言葉だったら───」

「お兄ちゃんキモい」

「簡潔すぎだろおい……」

 

 胸に届きすぎたらしい。

 比企谷くん、涙目だった。

 

「はぁ……もうちょいお互いが緊張しないようにってしたかったのに……。じゃ、ほら、お兄ちゃん、こっち座ってこっち」

「へ? あ、お、おう……?」

「結衣さんもほら、たぶん今日は菓子折り持ってないでしょーけど」

「え? う、うん……」

 

 てきぱき。そんな言葉が似合うくらい、小町ちゃんはさあさとあたしと比企谷くんを促して座らせる。

 っていってもあたしはずっと座りっぱなしだったし、比企谷くんは正面ってわけじゃない。これはちょっと安心した。いきなり正面とか座られたら緊張する。

 それから小町ちゃんは戸惑うあたしの代わりに出会いの経緯を話し始めて、それじゃあダメだからってあたしから言わせてもらって、会話は始まった。

 

「犬……って、あぁ、だからか。つまり小町の勉強見てたのも───」

「友達だからだよ?」

「えっ……いや、小町? それは───」

「お兄ちゃん。なんでも自分の物差しで測って、自分の意見ばっかり押し付けるのはやめようね? 少なくとも小町と結衣さんはちゃんと話し合って、“ワンちゃんを助けたのは兄ですから”って納得し合ってから友達になったの。そこにお兄ちゃんがどうしたから~とか、そーゆーのはぶっちゃけちゃえば関係ないの」

「あの、小町ちゃん? さっきからお兄ちゃんに言葉が刺さって痛いから、もうちょっと言葉選んで?」

「お兄ちゃんも選んでくれたら小町もそうするよ? 今、お兄ちゃん、結衣さんになんて言おうとしたの? どーせ自分はぼっちだから~とか、過去の経験から生まれた屁理屈を並べようとしただけでしょ?」

「いや“だけ”っておまっ……!」

「お兄ちゃん」

「お、おう」

「この人、小町の恩人でお友達」

「……おう」

「で、お兄ちゃんは結衣さんの恩人で、ワンちゃんの命の恩人」

「うん。そう」

「……だから、そう思うからこうして───」

 

 ずきんって胸が痛む。

 感謝は、そりゃあある。

 罪悪感も。

 でもそれだけじゃないって言いたいのに、比企谷くんはあたしが口を開くのを恐れるみたいに口早に喋る。

 それが、お前は喋るなって言われてるみたいで、悲しい。

 

「お兄ちゃん。小町は言いましたね? お兄ちゃんキモいって」

「改めてとかやめて? お兄ちゃん泣いちゃう」

「妹の小町でさえそう思うのに、ここに居る結衣さんは、お兄ちゃんにありがとうって言うのと、ごめんなさいを言うために、何ヶ月もずーっと見てました。……言いたいこと、わかる?」

「……キモさなんて熟知してるってことか?」

「ちっがうってばばかっ! んっとにこのばか兄はー!」

「妹が決定的な言葉も出さないくせに、兄を馬鹿馬鹿罵倒しまくってくる……泣きたい」

「あのね、熟知とまではいかなくても、今までの“みんな”と違って“なかったこと”にせずに向き合おうとしてくれてるの! 言わないまま、知らんぷりするのなんて簡単なんだよ!? あいつキモいからパス、どうせ相手も忘れてるっしょ、なんて言って感謝も投げ捨てる人なんてどんだけ居るか、お兄ちゃんが知らないわけがないでしょーが!」

「………」

「……ごめん」

 

 声を荒げる小町ちゃんに、比企谷くんがジェスチャーで声量を下げろって伝える。

 すぐに俯いて声を小さくする小町ちゃんは、ばつが悪そうだった。

 

「つまり……あれか? 突っ返すポーズは取らずに、きちんと向き合えって……そう言いてぇの?」

「……そ。お兄ちゃんがさ、小学中学って、嫌な思いしてきたの、小町だって知ってる。でもさ、これから知り合う人は、そんなの知らないんだよ? なのに最初から“どうせ”って考えで突き放したりするの、あんまりだと思う」

「小町ちゃん……」

「……小町が───……いや、これ言うのはお門違いってやつか。すまん、忘れてくれ。……で……えぇっと? ど、どなたでしたっけ?」

「あ、はい、えっと。ゆ、由比ヶ浜結衣っていいましゅ」

 

 ……。噛んだ死にたい……!

 

「お、おお……知っての通り、ってのもありぇ……げふん。あれだが、ひきゅ……比企谷はちゅ……八幡でしゅ……です」

「………」

「………」

「……あれ? これ、小町も自己紹介して噛む流れ?」

『しなくていいから……!!』

 

 声が重なった。

 お互い、顔真っ赤だ。

 

「あ、あーその、すまん。とりあえず、そだな。たしかに……あんたには関係ないんだし、トラウマだのはこの際そこらに捨てて、話させてもらう。……今聞いてもらってわかる、とおり、その……会話には、あれだ、あー……あんま、慣れてない」

「う、うぅぅうん……あた、あたしも……なんだ。友達って呼べるような人……小町ちゃんしか居なくて……」

「……まじかよ。そんだけ可愛くてぼっちとか、世の中わからねぇな……。あれじゃねぇの? 顔が整ってて性格良けりゃあ友達も恋人も出来るもんじゃねぇの?」

「……それ、女子だと逆かもしれない……かな。あ、や、あたしがそうだって言いたいんじゃなくてさ。……女の子だって綺麗なとこばっかじゃないし、嫉妬だってするし喧嘩もするから。あたしは……自分の意見とか言えなくて、周りに合わせてばっかだったから、本当に仲のいいコも居なくて、一緒に居るつもりだった人がさ、“ふいっ”て……どっか行っちゃえばさ、すぐに孤立しちゃうんだ。そして気づくの。友達なんて居なかった、って」

「…………」

「……それでも……」

「……ああ。それでも」

「うん……それでも……」

 

 それでも。こっちは、友達のつもりだったんだ。

 楽しかったし、楽しんでくれてるって思ってた。

 でも違くて、勝手に燥いでたのはこっちだけで。

 本当に、人って難しい。

 もっと単純だったらよかったのにって、やっぱり何度でも思っちゃう。

 

「………」

「………」

 

 きっと、こんな始まり方でいいんだ、って……お互いが思った。

 小さく息を漏らして、やがてぼっち自慢を開始した。

 こっちはこうだった、こっちはそういう場合はこうだった。

 傍から聞けばすっごくどうでもいいことだったんだろうけど……それでいいんだ。

 そんな、どうでもいいことにこそ……あたしたちは。

 理解して、頷いてくれる誰かがずっとずうっと欲しかったんだから。

 

「…………~♪」

 

 次第に、小さくだけど笑みが浮かび始めた頃。

 そんな不幸自慢をするようなあたしたちを、小町ちゃんは頬杖つきながら、楽しそうに見つめていた。

 

 

───……。

 

 

……。

 

 今までで一番喋ったんじゃないかなってくらい喋ると、気づけばもう外は暗くて。

 あたしたち以外に客も居ないから、慌てて立ち上がって、いつの間にかくうくうと眠っていた小町ちゃんを起こ───……す前に。

 

『あのっ……ぁ……さ、先にっ……! ……あー……』

 

 声がつくづく重なった。

 照れ隠しに頬を掻く彼と、頭のお団子をくしくしいじるあたし。

 深呼吸してから、また声を重ねて気まずくならないようにって、要件の大元をポケットから取り出す───と、彼も同じことをしていて、気まずくなるどころかポカンと呆けたあとに、小さく笑った。

 

「えと、やっぱり……せ、赤外線とか……だよね?」

「お、おお、だな。やっぱりどうせなら、だよな」

 

 そうして、そわそわしながら赤外線通信で連絡先を交換。

 アドレス帳に追加された名前に頬を緩ませると、彼も同じく頬を緩ませていた。

 

「……比企谷くん」

「おわっ……わ、悪い、小町にも言われてんだけどな。なにか見ながら笑う俺は、ニタニタしてて気持ち悪いって」

「あ、うん……たまにやってた、あのニタっていう笑い方は……気持ち悪かったかな」

「ぐぅっ……そ、そか。正直に言ってくれてあんがとな……気をつける……」

「でもさ。たぶん……ほら。孤独な俺、格好いい! とか思わなきゃ、大丈夫だと思うんだ」

「……それ指摘されるのが、たぶん今日で一番キツかったわ……! そっか……格好いいって思ってやってたのが逆効果だった、って“ぼっちあるある”か……!」

「あはは……でも、わかってても格好良くとか、考えちゃうよね。女の子の場合は可愛くとか、やっぱり格好良くっていうのもあるけど《ヴィー!》わあっ!? ……あ、ママからだ……ご、ごめんね、ママ心配してるみたいだから……!」

「お、おう、気にすんな。んじゃあ、その……」

「う、うん……えっと……っ……~~……まっ───!」

 

 勇気、勇気だ。

 難しくなんかない、そうしたいって思ったものを、するだけでいいんだから。

 

「まっ……また、明日……っ……」

 

 そう言って、右手をぱたぱたって振る。

 比企谷くんは小さく声を漏らしたあと、息を飲んで……ニタっとしたものじゃなく、綺麗な笑顔でまた明日って返してくれた。

 や、うん。“ンま……ままぁままままた明日、な……!?”って、実際は結構声とかは引きつってたけど。

 でも……笑顔は本物だったから、あたしも笑って、歩き出した。

 

(進めた……のかな)

 

 一歩を踏み出す勇気が出せた。

 出せなかったなにかを、やりたかったなにかをようやく叶えることが出来たからか、胸がとっても熱くて、誰かに“あたしにも出来たよ!”って大きな声で伝えたい気分だった。

 でも、まだそんな誰かは居ないから、せめて……笑顔で迎えてくれるママに、“今日いいことがあった”って曖昧な言葉で、喜びを伝えようって思う。

 明日も頑張ろう。

 まだまだ燻りから火が灯ったばっかりのなにかを、ゆっくりと大きくしていくために。

 

 知らず、足は駆け足になっていた。

 顔はさっきから緩みっぱなしで。

 擦れ違う人が振り返る気配を感じると、ちょっと恥ずかしいのに緩みは止まらなくて。

 私はやがて、もういいやって笑顔を振りまくみたいに駆けだした。

 ハッと気づいたことを思わず口にしながら。

 

「あっ!? 結局あたし、お菓子も渡せてないしありがとうもごめんなさいも言えてないよ!?」

 

 早速用事が出来て、メールを飛ばしたあたしの顔は、きっとこの暗がりでもわかるくらいに真っ赤だった。


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