どこにでもあるようなガハマさんとヒッキーのお話 作:凍傷(ぜろくろ)
悪夢だ。
いや、一言で終わらせるのはさすがに俺もどうかと思うが……悪夢。
ガハマさん、家事やってくれるってよ。
え? 足が震えてる? いやこれアレだから。ハピファミダンスだからべつに震えてるとかそんなんじゃなからね?
……ああうん。結局ハピファミってなんだったんだろうなぁ。
Q:ハピファミってなに?
A:知らん。
ともあれ家事開始。
不安と不安と不安をごちゃ混ぜにしながら、今まで研究のためとはいえ好き勝手やってきたツケを払うかのごとく大学へ向かう俺を、由比ヶ浜は笑顔で見送ってくれた。
ああもちろん部屋からは出ずにだ。誰が来ようと扉は開けないルールだ。だって、ここに住んでるって知られたら、知りたがり屋のお方達がうるさいし。
“タイムトラベラー、未来に来た途端に同棲か!?”とか書かれてもさ、うざいだろ、実際。
そんなわけで、たまに由比ヶ浜の様子を見に来る雪ノ下以外、ここに出入りする人といえばママさんくらいで、俺の平穏はまだ保たれていた。のだが。
大学での用事を済ませ、戻ってきてみれば……部屋の中が見知らぬ場所だった。
えー……なぁにこれぇー。え、えー……? あの、え? どうすりゃ数時間でここまで……?
「由比ヶ浜」
「は、はいっ」
「まずは基本を覚えろ。それと、“こうすれば絶対によくなる”は素人の迷信だ。それは熟練の主婦様方がそれまでの経験を活かして、ようやく成功するかしないかのギリギリのラインで生み出される偶然だ。素人は冒険しない。そんなことはオラリオの冒険者だって知っとるわ」
「おらりお……誰?」
オラリオは人物じゃありません。
ほれ、いーから最初から。
つか、まず片付けから。
「うぅう……ヒッキー、あたしより片付け上手……」
「あのなぁ、どんだけ俺が一人暮らししてきてると思ってんの。お前のための研究を続けてきたとはいえ、小町たちに無駄な心配させないために、身の回りのことはきちんとしてたっつーの」
「…………そ、そか。うん、そっか」
だから、なんでそこで───ああうん、そりゃいきなり“お前のために”とか言われりゃ照れるか。
「まあ、だからだな、あー……基本。基本から、な。ちゃんと教えるから覚えてけ」
「うんっ、一歩一歩だねっ」
言いつつ、なんで人の服を軽く摘んでくるかね。
やめなさい、えへー、って笑いながら見上げてくるんじゃありません。
あのね、それ俺じゃなかったら完璧に惚れてるからね? なんだってこんな無防備なのこの娘ったら。
頬をコリコリ掻きつつ、作業に戻る。
あちこちを片付け、段々と見慣れた部屋に戻っていくカオスを見届けながら、ふと……小さな透明テーブルの上に広げられたまま置かれている雑誌に気づく。
はて? なんだこの雑誌……って、あー……いつか一色が“缶詰状態じゃ息が詰まりますよ”って、無理矢理渡してきた雑誌じゃないか。
菓子類の美味しい店だの、今時のなんちゃら~だのがいろいろ載っている、らしいもの。
いや、よく知らんのよ。たまたま来た小町がちょいと読んでいったくらいで、あとは放置されてたし。
それを恐らく、今あちらで片づけをしているミス・ガハマが読んで、開きっぱなしで忘れたと……ふむ? どんな記事を───
これで完璧! 家デートの匠!
………………お、おう。
え? うん? 同棲中のあなたは、家事を完璧にこなして、帰ってくる彼を温かく迎えてあげよう?
帰る場所があると、彼はあなたへ深く心を許すようになり、たとえ外に出てたくさんのお金を浪費しなくても───
「………」
この部屋が随分なカオスだった光景を思い出す。
……勘違いでもなければ、きっと必死だったんだろう。
家デート云々を見ないようにしたとしても、自分に出来ることを探すため。
きっかけなんてどうでもいい。なにか、自分に出来ることをと。
過去でも未来でも、自分にできることなんて変わらないと、悲しげに言っていたこいつだ。
思い返せばひどいもんだ。
わけもわからず時間転移をして、戻ろうとしたってタイムマシンを作った事実がそれを許さず、“俺”が“俺”の前に現れていきなり“これこれこういうわけだからタイムマシンを作れ!”なんて言ったところで、当時の捻くれMAXコーヒーな俺が素直にそれを受け入れるわけがない。
なんてこった、自分の性格で様々が破綻するとか真性のアホか俺。
ともかく、そんな様々な理由の先で、こいつは……知っているのに知らない千葉で暮らすことになったわけで。
「……ん、ぁー……」
少し、緊張。
なにをするのか、はもう心に決めた。
勘違いでもいいから、こいつの心を軽くするのは前提条件。
んで、勘違いじゃなかったらハッピーエンドに絶対する。
勘違いでもハッピーエンドまで持っていく。OKまるで問題ない。
「由比ヶ浜」
「んぁー? なに? どうし───ふやっは!? やばぁああばばばばななななんでその雑誌!? ちちち違うよ!? 家デートとかそういうのをしたいとか、そういうのじゃ───」
「勘違いじゃなかったら嬉しいってことで。もしお前に少しでもその気があるなら、俺の恋人になってくれ」
「な、く───て? ……え? あの───あ、聞こえてた! 聞こえてたからやっぱ無しとか無し! え、でも、あの……ゆきのんは?」
「へ?」
「え?」
「?」
「?」
疑問符が跳んだ。そして飛んだ。飛翔した。やがて大空を自由に羽撃き、宇宙まで飛び、ブラックホールに飲まれて消滅した。
「由比ヶ浜、あのな。実はここ何年かで世界じゃいろいろあって、なんか近い内に少子化対策として、一夫多妻とかが認められるって話が出てるんだけどな」
「えぇっ!? そうなの!? へー……! ……あ、でさ? いっぷたさいってなんだっけ? 才能が一杯あるってことだっけ? いっぷ? どんな才能?」
一人の夫が多才って意味じゃねぇよ。どんな夫だよそいつ。
「一人の夫と書いて“一夫”。多くの妻と書いて多妻。つまり、一人の男が何人も妻を娶っていいって法律が通されるかもって話だ」
「へー…………」
あ、こいつわかってねぇ。
へー、とか言いながら首傾げまくってるし。
なのに「あれ?」から始まって、唸り始め、やがて「えぇえええっ!?」と絶叫。
「それって男の人とかいっぱいモテるってことじゃん!」
「そうじゃねぇよ馬鹿」
「ひどい!?」
モテる法律とかどんなだよ。俺こそ知りたいわそんなの。
「とにかくだな。そういう話が動いちゃいるけど、好き好んで俺のところに来るヤツなんて居ないだろ」
「え……そ、そんなことないんじゃないかな。ほら、えとー……」
言いつつ、とてとてと歩いてきて、きゅっと再び服を摘んでくる。
耳まで赤い俯き顔が、やがて持ち上げられると……そこには目を潤ませた、期待を孕んだ顔があった。
「……いい、んだよね? じゃあ、その。遠慮とか、する必要……ないんだよね?」
「あの。俺が頼んでるんですけど? はい、俺の恋人になってください」
「なんか義務的だ!? も、もっとロマンチックな告白とかないの!? なんか冷静でやだよぅ!」
「研究研究研究で女ッけの一つもなかった俺に、どんなロマンチック求めてんのお前。大学通いのいい歳した、そろそろ卒業とはいえ、斜に構えた若造の告白なんざこんなもんだろが」
「うぅう……青春……」
「ぐっ……!」
青春。空白の青春。
それに、男からの告白というものが含まれているのなら、それを叶えてやるのが“絶対にこいつを救う”と研究に没頭した俺の務めであり、目標なわけで。
ならば義務的ではなく、流れからでもなく……
「……あのな」
「うぅ……?」
「改めて、ってのはだな、その……めっちゃくちゃ恥ずかしいんだからな?」
「え……?」
「由比ヶ浜結衣さん」
「ふえっ、はっ、ひゃいっ!」
「~……」
なんかもうじれったくて、きつく抱き締めて“いいから俺のものになってくれ”なんて言いそうになってしまう。
大事に思ってなけりゃ、こっちだって自分の青春潰してタイムマシンを作ろうなんて思わないんだっつの! そこらへん空気読んでくれます!?
「もう、何処にも行かないで俺の傍に居てくれ。……もう、お前を失いたくないんだよ」
「…………ぁ……」
目の前で人が消える、という光景を、何度も見た。
雪ノ下が記憶喪失になるくらいのショックと光景を、何度もだ。
もちろん頭部へのダメージもそれを手伝ったんだろうが、それも合わせてだ。
雪ノ下の頭部に、爆発で吹き飛んだ破片が衝突、血が吹き出る、なんて光景だって何度見ただろう。
それを見た由比ヶ浜が、普段じゃ出さないような絶望を込めたような悲鳴を上げ、消えていくのを何度見ただろう。
もう、嫌なんだ。だから───俺はいつか振り返った。
自分の人生ぶっ潰してまでする意味があるのか? と。
心配する小町の声を置いて、楽しめる筈だった青春を捨てる価値は、そこにあるのかと。
そこまで一生懸命になれる理由、ってのを探してみれば……なんのことはない。
俺はただ、いつかの花火の日から見ないフリをしたままだった気持ちに、真っ直ぐに向き合う覚悟を決めただけだ。
それが俺が無くしてから気づいたもので、もし助けられるのなら、“今度は俺から行くんだ”と決めていた決意。
「………」
「………」
だから───
「………」
「……! ……!」
あの。なんで潤んだ目をさらに潤ませて、はやく、はやくとばかりに何かを待ってるんでしょう。
え? 今のじゃ足りんかった? え? 告白のつもりだったんですが?
えー……青春の告白ってなに? なにが相応しい───あ。
ふと、オラリオにお住まいの平行世界の比企谷くんを思い出す。
次いで、オラリオといえば……と連鎖して思い出し、夢の中のベルくんがヘスティア様にした告白を思い出すに到り、あー……高校生で告白って言えば、そりゃなぁ、と妙に納得したのだった。
つまりはこう……「ふえっ!? ひゃあっ!?」由比ヶ浜の傍に寄り、耳の傍まで口を近づけて“愛してるぜヘスティアァァ……!”と言えと。いやヘスティア言ったらたぶんこの娘ったら泣くわ。
つまりは。
「……好きだ。愛してる。俺の隣に居てくれ───」
してほしいこと、そうしていてほしいことを口にして、あとは、あとは───おお。
神ヘスティアに曰く、こういう時には名前で呼ぶことと、敬称などはいらない……だっけ?
「───結衣」
「───、……」
そんな思考に行き着いて、口にしたら、由比ヶ浜がへなりと膝から崩れ、ぺたんとカーペットの上に座り込んでしまった。
慌てて屈み、目線を合わせて様子を見ると……赤い。赤いな、これ。すごい赤い。なんか単純な感想しか出せないくらい赤い。
「…………で」
「へ、や……? ひ、ひっき……?」
「あのー……遠慮する必要なんてないんだよねと言ってくれた由比ヶ浜さん? 俺、まだ返事をもらえていないのですが。あー、もしかして俺、フラれちゃ《がばーっ!》おぉわぁあああっ!?」
フラれちゃったのかなー、なんて言葉が最後まで口にされることはなかった。
急に抱きつかれ、屈んでいたこともありあっさりとバランスを崩した俺は、由比ヶ浜に押し倒されるかたちになり───目にいっぱいの涙を浮かべた笑顔の女の子に、そのまま告白をされ返されまくるという、逃げ場のない恥ずかしい状況を味わわされることとなり……なんというか、早速尻に敷かれる未来を垣間見た気がした。
……あ、ちなみにその日、ファーストキスを奪われました。
……。
……あ? そのあと? いや、そのあともなにも、特になんもないぞ?
ほれ、あのー……ただやっぱり缶詰状態なのは辛いって話になって、変装してデートしようってことになったくらいで。
でさ、ほれ、丁度その日に丁度いい場所があってな。
まずは洋服店に行ってこいつのための服を用意して(運転は雪ノ下、服選びは小町に手伝ってもらった)、今はとある場所の前まで来ている。
デートなのになんで雪ノ下も小町も居るんだって話なら聞かん。俺が逃げないように、というここまでの監視らしいから。
ここからは本人同士でたっぷりデートを楽しんできてくれ、だとさ。
そんな、「じゃあ帰りにどっか寄っていきましょうか雪乃さん!」とか言っていた小町を見送り……いや見送りさせなさいよ。なんで戻ってきてるのちょっと。
「結衣さん結衣さんっ!」
「うんっ、なになに小町ちゃんっ!」
「あれやりましょうあれ! えっとですね、合図したらこうやって、元気に……!」
「え? う、うん」
なにをするつもりなのか、二人がこそこそと話し合い、楽しげに笑った。
次の瞬間には結衣が小町の背後に並ぶようなかたちで、二人一斉に叫ぶ。
「東!」
「京!」
「「わんにゃんショォオオーーーーッ!!」」
……そう。今日は東京わんにゃんショーに来ております。
ここなら何年かそこらじゃ変わらないだろうということで、思い出めぐりでもある。
「いや……なにそれ」
「っへへー、なんかしなくちゃいけないような気がして。まーまー気にしないのお兄ちゃん。それよか小町も雪乃さんも用事あるから行くけど、大丈夫?」
「おー、行け行け」
「うん。じゃあ結衣さん、お兄ちゃんのことお願いします」
「え? 俺なの? 普通逆じゃね?」
男の言葉など右から左。
こういうところはほんと溜まらんよなぁ……。
しみじみ思う俺でした。