どこにでもあるようなガハマさんとヒッキーのお話   作:凍傷(ぜろくろ)

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穏やかな“ぬるま湯”
壊れない“全部”のカタチ①


 ぱぁん、と。凄い音が響いた。

 痺れる感触と、次いでやってくる激痛。

 訳も解らず相手を見る。

 目に涙をいっぱい溜めて、初めて“俺を敵として睨む姿”に恐怖した。

 

「……! ───、───!?」

 

 叫ぶように放たれた言葉が胸に突き刺さる。

 大切な存在な筈だった。

 雪ノ下と由比ヶ浜と、奉仕部で過ごす日々は、無理矢理入れられたとしても……気づけば気を許せる程度には大事な場所で……そこに居るふたりは、いつの間にかかけがえのないもの、になってしまっていた。

 どうして叩かれたんだっけと考えて、……考えて。言葉を発することを忘れている内に、黒髪の彼女は泣きながらその場から走り去っていった。

 

……。

 

 最低なことをした自覚は、じわじわと心を蝕んでゆく。

 自覚があるのにも関わらず他人から同じことを言われるほどうざいことはないだろう。

 だってのに、俺の妹は遠慮しない。

 

「……お兄ちゃん。小町は今本気で怒ってます。ねぇ、ほんとさ、なんなのあれ。自分のためにあそこまでやってくれた人に対する言葉なの? あれが?」

「いや、小町……あれは」

「そだねー、お兄ちゃんはさ、小学とか中学で辛い目見てきたんだよねー。で、なに? それ理由にして人を傷つけていいの? ほんっっとね、今回ばっかりは小町、ふざけんなだからね?」

「俺も、このままでいいとは思───」

「じゃあなんでごろごろしてんの? やれることいっぱいあるよね? 先延ばしにして時間で解決とか怒るよ? もう怒ってるけど」

「い、いや、気持ちの整理くらいだな……」

「あのね、お兄ちゃん。今回ばっかりは自分を下げて解決なんて、絶対不可能だからね? 絶縁されたってどうせこんなもんだって思うんだろうから、中途半端な関係で居続けながら怒り続けるよ?」

「………」

「本気で泣いてたんだよ? お兄ちゃんがあんなこと言ったから、本気で悩んで、相手がお兄ちゃんだからそうしたんだよ? なのになんでそのお兄ちゃんがあんなことしたの?」

「……俺なんかじゃなく───」

「それ本人の前で言ったらまた叩かれるよ? むしろ今小町が叩きたいくらい」

「……事実だろーがよ」

「……お兄ちゃんさぁ。あの人が誰のことが好きだから今まで頑張ってきたと思ってんの? ……相手がお兄ちゃんだからでしょ? その本人にそんなこと言われて、傷つかないとでも思ってんの? 違うでしょ? 前提からして間違ってるでしょ? あの人が好きなのはお兄ちゃんで、お兄ちゃんだから頑張ってきたんでしょ? それなのに俺じゃなくて他の? 人を好きになるって気持ち馬鹿にしすぎでしょ」

 

 でしょがゲシュタル……ああいや、茶化していい状況じゃねぇよな。

 俺だって解ってる。俺のはただの逃げだ。理解出来てるなら行動しなきゃ意味がないのに、それができないでいる。

 

「お兄ちゃんさ、誰かに告白したことあったよね? 胸糞とか悪くなっちゃうお返事とかもらったり、言い触らされたりもしたよね? そんなことがあったのにどうしてああいうことできちゃうの?」

「だから……俺にそこまで思われる価値は」

「そんなお兄ちゃんを好きでいてくれる人だから今日行動に出たんでしょ!?」

「ぐっ……」

「今お兄ちゃんが考えてること、小町にもな~んとなく解るよ? 勝手に応援しといて状況が変われば怒るなよ、とかでしょ? うん、そだよね、調子いいよね~。じゃあさ、いったい誰が今のお兄ちゃんを叱れるのさ。誰がそれは違うって言ってあげられるのさ」

「……大きなお世話だ」

「……そ。そういう答え出しちゃうんだね、お兄ちゃんは。解った、小町もうなにも言いません。……ただね、今回は本当に、いつもとは違うよ? 一人でも理解者が居るなんて思わないほうがいいからね。戸塚さんだって本気で怒ってたから」

「───……」

 

 戸塚も、か。そりゃそうだ、今回ばかりは本当にひどいことをした。

 自覚もあるし後悔もある。同情されることは絶対にないだろう。

 

  “カーストなんてものがあるから”。

 

 そんな言い訳なんて今さらだが、だからこそ今回のことに関して、カーストを盾に喚くやつらにはなにかを言われる筋合いはなかった。

 

 

───……。

 

……。

 

 黒髪の少女は言った。

 比企谷くん、と。戸惑いながら俺も返して、会話はつっかえながらも、けれど普通に進んでいった。

 やがて弾み、いつもの感じが戻ってきた時……彼女は深呼吸して、俺に告白をした。

 

  “あなたが好きです”

 

 嬉しかった。

 手を伸ばしかけた───いや、実際伸ばしていた。

 なのに、そんな光景を遠くで見ていたやつが居た。いつか廊下で、目の前の彼女のことを狙っているとか友人らしき男と話していた男だった。

 その目が言っている。“なんでテメェみたいな底辺が。彼女はその程度の女だったってことか?”と。

 自分が馬鹿にされるのはいい。慣れている。

 が、彼女が馬鹿にされるのは我慢ならなかった。だから俺は、てっとり早い方法を取った。

 告白を断り、自分を悪にする方法……いつも通りだった筈だった。

 だが、俺は“先の彼女”を心配するあまり、“今の状況”を置いてしまった。

 それが、すべてのまちがい。

 突き放すために言った暴言。いつもなら多少の怒りを見せながらも、許すそれを耳にして、彼女が取った行動は───平手だった。

 涙を浮かべ、当然の怒りと、見損なったという悲しみを浮かべたまま、言った。

 

「っ……ヒッキーにとって! あたしってなんなの!?」

 

 ……彼女───由比ヶ浜結衣は、その日……染めていた髪を戻し、服装も正して学校に来ていた。

 様々な男子が立ち止まり、女子でさえ“あんな子、いたっけ”と驚くほど、その在り方は目立っていた。

 何故って、その在り方がひどく自然で、彼女らしいと思ってしまったから。

 ……そもそも由比ヶ浜は空気を読んでの行動が多いやつだった。

 髪を染めたのも口調がああなったのも服装が変わったのも、全部周りに合わせていたからだろう。

 それをやめて“普通”に戻った彼女は、とても眩しかった。……眩し、すぎたのだ。

 

「ヒッキ……あ、ええっと。……比企谷くん。どう? これでもう、ビッチなんて呼ばせないんだからっ」

 

 ……その眩しさのすべてが、俺のためだった。

 俺が言ったことを、彼女は気にしていたのだ。

 そんな彼女に誘われるままに移動して、やってきたのはベストプレイス。

 そこで俺は真っ直ぐに告白され───……“あの男”が見ていることに気づき、最低最悪の振られ劇を、開始した。

 由比ヶ浜が最底辺の男とのことでよくない噂をされる……そんな嫌なものからは遠ざけたかった。

 

「……」

 

 だから、よせばいいのに実行に移した。

 結果は……頬を叩かれ、涙する由比ヶ浜に怒鳴られ、固まるしかなかった。

 なにかを言わなければいけない。それは確実。言わなきゃ全てが壊れる。そんな確信があった。

 言わなきゃいけないことってなんだ? ヘラヘラ笑って取り繕えばいいのか? それとも自分にとっての由比ヶ浜の価値を語ればいいのか?

 解らない。いっぺんに物事が起きすぎた。なにを先に考えて、なにを後に考えればいい。

 俺は、俺は───

 

「───っ」

 

 …………考えているうちに、それは終わってしまった。

 由比ヶ浜は泣きながら走り去り、俺はただ呆然としたまま、その後姿を見送った。

 あの男と擦れ違い、男は振り向きながら由比ヶ浜を見送ると……俺を見て、ざまぁないとニタついたのだった。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 …………。

 

「ど、どうであろうか!」

「とりあえず死のうか《にこり》」

「ぶひぃっ!?」

 

 とある日、とある放課後。

 奉仕部にやってきた材木座によって手渡された小説に目を通し、はぁあと溜め息。

 物語の冒頭だけを見て、続きが見たくなるかどうかの感想が欲しかったらしいが───

 

「これは……随分と苛立ちを覚えるくせに、妙に比企谷くんのクズっぷりを拾ったお話ね」

「うわー、最低ですね先輩。最低すぎるくらい最低です。なのに妙に先輩っぽいところが無駄に先輩の最低っぽさを引き出してます」

「本人を前に最低最低言うんじゃねぇよ……これ俺じゃねぇからな?」

 

 いつもの奉仕部メンバーに一色を加えた四人で読む小説は、なんとも……発言に困るものだった。

 いつも通り中二ファンタジーを書いていればいいものを、時代はラブコメである! などと言い出して……この始末。

 

「で、この男って結局どうなんの」

「はっぽぉーん……小説の中のヒキタニくんは女性全員から罵倒され───」

「いや違うから。この名前のないモブだよ。つか、なんで名前ヒキタニにしたんだよ……誰に読ませたくて書いたんだよこれ」

「お、お、おー……そ、そのモブに関しては、傷心のヒロインを慰めようとして見事に玉砕、名前はそのー……せめて爆発させようと思ったが無理だった名残である!」

「おい」

 

 随分とぶっちゃけられた。

 だが言おう。俺のどこに爆発しなけりゃならん要素があるのか。

 

「そっか……そうだよね。髪戻して、服装もちゃんとしたら、もうヒッキーはビッチとか言わなくて……勉強も頑張れば、アホとか馬鹿とか言わなくて……」

 

 とか思ってたら、短いからという理由で雪ノ下の隣で原稿用紙を覗いていた由比ヶ浜が、ふんふんと頷いているのが見えた。

 え? 共感しちゃうんだ。つか、そんなことを言ってからこっちをちらりと見るとかやめて?

 

「それで結局、この話ってどうなるんですかー?」

「はぽっ!? ……ふ、ふふふ、知りたいならば聞かせてやろう。ヒキタニくんは唯一絶対の味方である妹君にまで睨まれるようになり、親愛なる戸塚氏にも一歩引かれるようになり、“自称ぼっち”であったことに気づきつつ、行動に出るのだ」

「自称ぼっちとかやめろ。最近ぼっちの意味が曖昧になってきてんだから。一色も、どうなるとか言ってこいつを調子づかせんじゃねぇよ……」

「えー? いいじゃないですかー。実際、ちょこっとだけ気になりますし」

「……は、はははっはははちまん? 八幡!? 気になるって! 女子が我輩の小説、気になるって! ちゃうん!? これっ……フラグとちゃうん!?」

「落ち着け材木座。一人称忘れてるぞ」

 

 あと、話かけてきたのは一色なんだから、俺だけ見て熱心にその後を語るのはやめろ。

 

「財津くん……だったかしら。ヒキタニくんが嫌われる流れは予想がつくからいいわ。知りたいのはこの由比ヶ浜さんとヒキタニくんのその後よ」

「そうですよ。正直先輩が小町ちゃんにどれだけ拒絶されようと関係ないですし」

「いや、だからこれ俺じゃないからね? ヒキタニくんだから」

 

 なにか言ってやって由比ヶ浜! この人達俺の言うこと全然聞いてくれない!

 つか、なんでそんな熱心に読んでんの!? ねぇ!

 

「そ、その後……であるか。うむ。ヒロインは走り去りはしたのだが、翌日にはヒキタニくんの傍に居た」

「すげぇご都合主義だな」

「そうではない。ヒロインはモブと擦れ違うことで、なぜヒキタニくんがその時にそうしたのか、理由が解ってしまったのだ。しかし悲しければ逃げ出さずにはおれんだろう。だから翌日に勇気を出して、理解も深めず逃げ出すのはやめたのだ。……という強き心のヒロインを目指してみたのだが」

「それって走り去って無視されるほうが、ヒキタニくんにとっちゃ楽だったんじゃねぇか……?」

「……悲しみを飲み込んでまで話をしようとする由比ヶ浜さんに対し、このヒキタニくんのクズっぷりはどうかしら……」

「先輩最低ですね……」

「だから俺はヒキタニくんじゃねぇし、最低言われる筋合いもねぇよ……」

 

 …………。いや、あるか。

 小説を読んでいて、抉られた部分がある。

 “ヒッキーにとって、あたしってなんなの!?”

 ……友達、ではない。ただの部活仲間だと言ってしまえばそこまで。

 だが、大切な存在だ。それは共感できるし頷ける。

 短くはあるが、いろいろと考えさせられる話だ。

 

「ちなみにこのヒキタニくん、ヒロインの気持ちを知っていながらその場凌ぎでのらりくらりと言い訳をし、先延ばしにさせ、そのくせどんどんと他の女性と仲良くなっていくという実にゲスい男でな」

「最低ねヒキタニくん《じろり》」

「清々しいほどのクズっぷりですね、先輩《じとー》」

「いや、だから……」

 

 やめて。自覚出来てる分だけ心にキッツイ。

 そうだ、あそこまでアプローチされてりゃ馬鹿でも気づく。

 が、それこそヒキタニくんのように思うのだ。カーストランクなんてものがなけりゃ、と。

 物語の中の小町が言っている言葉もよく解る。こうして客観的に見てしまえば、つくづく最低野郎だ。

 俺は過去に辛い思いをした。それは事実だ。が、由比ヶ浜の想いを無視していい理由にはならない。

 由比ヶ浜は真っ直ぐだ。ずかずかと入り込んでくるくせに、相手が引いている一本の線には敏感で、それ以上はなかなか踏み込まない。

 それはとてもありがたい空気の読み方だった。

 

「財津くん、続きを」

「はぽっ!? お、おおお……! 雪ノ下嬢が我に続きを促して……!?」

「御託と能書きは結構。早く」

「ひぃっ!? はははははいぃいっ! すぐに語るでありますっ!?」

「………」

 

 遮ったりはしない。俺も気になっていた。

 “ヒキタニくん”はどんな決断をするのか。

 

「正直清々しいほどのクズっぷりなので、書いていてイラッ☆とくることもかなりあったわけであるが、幸運なことにヒロインがやさしすぎたために事態は急速に解決へと向かうのだ」

「でしょうね。このヒキタニくんが自分から行動を起こす姿など想像ができないもの《ちらり》」

「結衣先輩、さすがですよねー《ちらり》」

 

 だから言葉のあとに俺を見るのやめろ。

 

「ヒロインは“話さなければ解らない”ということをよく知っていた。話しても解らんことは当然あるが、ヒキタニくんをきちんと理解しようと努力していたのだ。それをヒキタニくんはうだうだぐちぐちねちねちと」

「頼む材木座、今ばっかりは俺じゃなくて雪ノ下と一色を見て話してくれ。理由の無い痛みが俺を突き刺しすぎる」

「まあようするに主人公がヒロインに救われる話であるな。もちろんハッピーエンドだ! 捻くれて、深く話し合うことを拒絶していたヒキタニくんが、ついに自分の胸の内をヒロインに打ち明け、ヒロインがそれをやさしく包み込み、受け止めることで解決!」

「え? なんだそれ。ヒキタニくん結局どうなったの? ヒロインに許されて終わっただけ? え? 人間関係とかは?」

「ヒロインを幸せにすれば許すという条件で頑張ることを始めた。最初は許されるためだったが次第にヒロインの愛情に心を溶かされ、ヒロインをどんどんと好きになっていく様を描いた心温まる物語だ」

「なんかそれ逆にヒキタニくんがヒロインやってない? ねぇ、俺の感性がおかしいの? ねぇ」

「ああ……まあ、そうね……」

「あー……なんか解りますねー、それ」

「マジかよ」

 

 解るの? 解っちゃうの? 八幡わかんない。

 

「でもこの“俺なんかじゃなくて”ってほんとそうですよねー。あなたが好きってはっきり言ってるのに、どうしてそこで他人とくっつけようとするんでしょうね」

「自分にそんな価値はないと言っているくせに、夢が専業主夫とはどういう思考回路をしているのかしらね」

「おいやめろ。ヒキタニくんの地の文に専業主夫の文字なんて出てきてねぇだろ」

 

 まあ、そうなんだが。

 しかしこの流れはよろしくない。ここは一度、全員がクールダウンする必要がある。

 話題の中心はヒキタニくんと俺だ。ここは俺が一度退散して───

 

「……喉乾いたからマッカン買ってく───」

「その必要はないぞ八幡よ。……所望の品は、《ッカァーーンッ!》……ここにある」

「財津くん、机も一応備品なのだから、缶を叩きつけたりしないでちょうだい《にこり》」

「ひゃはぁあいっ!? すすすみませんっしたぁーーーっ!!」

 

 格好つけて、右手で眼鏡をクイッと、左手でカァーンとマッカンを机に置いた材木座が、雪ノ下の目が笑ってない笑顔で悲鳴をあげた。怖いよ。

 

「座りなさい比企谷くん。ヒキタニくんはきちんと話し合いには応じたそうよ? あなたは逃げるのかしら」

「……喉乾いただけだっつの」

 

 仕方なく座り、材木座が用意しておいたというマッカンを手に取った。……生ぬるい。

 しかしそれを開けて飲むと、話を聞く姿勢を取った。

 話し合いが目的なら、きちんと聞いた上で自分の答えを伝えればいい。

 いろいろと考えさせられる内容だった。恐らく、自分が同じ状況に立ったら同じことをしていた。

 が、その結果は客観的にみれば“確かにこうなる未来”だ。これは絶対にしちゃならない。

 自覚はあったんだ。由比ヶ浜が俺を見る目は、仲間だとか知り合いだとかの目では断じてないって。

 それをヒキタニくんのように先延ばしにしてのらりくらりと。

 

「……材木座。ヒキタニくんは……あー、ほら、この黒髪ガハマさんに、なんて返事をしたんだ?」

「ほむ? おお、それはだな。ビッチが清楚な振りをしてもビッチはビッチだと」

「───」

 

 ぞわりと心が灼熱に襲われた。

 ああ、これだめだ。自分が許せない。言ったのはヒキタニくんであって俺じゃない。

 だが、ビッチだアホだと言ったのは俺だ。

 そんな場面で、そんな状況で、その全てが“俺のため”なのに、そう返したのだ。

 周囲に許されるわけがない。当然だ。自分を下げて解決? 下がりようがないのにか。物語の小町の言うとおりだ。味方は一人として居ない。

 第一印象で勝手に決め、言い放ち、売り言葉に買い言葉を始めたいつか。

 反撃として“死ねば!?”、と言われたことを思えば、当時は当然だと思ってはいたが、言い出したのは俺で、そもそも由比ヶ浜の俺の呼び方は蔑称ではなかったのだ。

 知り合ってみれば解ることなど沢山あるだろう。知り合おうともしないで解った気になって、勝手に蔑称を口にしたのは俺が先だ。

 そして俺は、まだそれを……謝れてもいなければ、口にしてしまうこともあったのだ。

 

「先輩ちょっと最低すぎてさすがにどん引きです……なんですかビッチって」

「知りもしないで見た目で判断する存在は嫌いなんじゃなかったかしら、外道谷くん。一緒に居て事実を知っている身としては、思い出してみれば随分とひどかったわね、あの頃のあなたは」

「平然と毒舌吐きまくってるお前にだけは言われたくねぇよ」

「《ぐさっ》うっ……」

「え? ……え!? ちょ、雪ノ下先輩!? この人ほんとに言ったんですか!? 結衣先輩に!? ……ちょっと冗談どころじゃなく本気でありえないですなに考えてんですかどう見たって一途過ぎて憧れるくらいじゃないですかほんとありえないですごめんなさい」

「人を叱るついでに振るんじゃねぇよ……」

 

 逃げ道塞がれて自分のことに関して言われ続けるこっちの身に……なりませんね、はい。どう考えてもこれはヒキタニくんと俺が悪い。

 ……実際俺はどうなんだ? 嬉しくはある。由比ヶ浜みたいな可愛いやつに想われて、一途に思われ続けて嬉しくない馬鹿は居ないだろう。

 俺だって“こんな自分”じゃなけりゃ、カーストなんてものがなけりゃ、とっくに告白して付き合っていただろう。

 ……けど、じゃあなんだ? 俺はずっとそうやって人の気持ちを避けていくくせに、専業主夫なんて夢を見続けるのか?

 社会人になって出会いがあろうと、そこにカーストランクがないとでも思ってるのか? そんなわけがない。むしろより一層にある筈だ。

 高校生なんてまだまだガキだ。そんなガキが想像するよりもよっぽどドス黒い上下関係がある筈だ。

 そんな世界で人と出会って専業主夫? おいおいおい比企谷八幡、現実を見ろよ。苦い経験をしてきたからって現実を見たつもりになって、精神は成熟しているつもりにもなって、だから自分なら出来るだなんて本気で思ってるのか?

 

「…………」

 

 ……平塚先生はいつか言った。“今だよ”と。

 物語の小町は言った。“なんでごろごろしてんの? やれることいっぱいあるよね?”と。

 俺に出来ること、やれること、今すぐにでも出来ることってのはなんだ?

 シラを切ってのらりくらりと誤魔化すことか? 違う、そんな誤魔化しや欺瞞はいらない。

 付き合ってられんとさっさとここから逃げ出すことか? 違う、それこそ先延ばしにしかならない。

 気持ちの整理をしたいって言って時間を稼ぐ? 違う。

 別の話題に───違う。

 違う、違う。

 俺はどうしたかったんだ。知りたかった? 知って安心したかっただけか?

 ああ確かにそうだ、解らないことは怖い。知らないまま人に触れるのはとんでもなく怖いことだ。

 じゃあ、それから俺はどうした? 知ろうとしたのか? 努力をしたのか? そいつだけが見せるそいつだけを解った振りして、いつかのように勘違いしていただけなんじゃないのか?

 思い出せよ。由比ヶ浜と“初めて”接触した時、俺はなにを思ってあんな早くに家を出た。どうして学校に行くことにあんなに希望を持っていた。

 俺はどうしたい。

 ヒキタニくんのように泣かせたいのか? ───違う。

 泣かせた先で、他の誰かが由比ヶ浜を幸せにすりゃ満足かよ。───違う!

 あいつは誰を好きで、誰を思って今までアプローチしてきた。奉仕部か? 雪ノ下か? それだけか? ───……違うっ!

 結局お前はっ…………俺は、どうなんだ。

 由比ヶ浜の体裁とか交友関係とか全部見えなくした上で、俺自身の気持ちは。

 俺じゃなくて他のやつが、なんて考えるな。俺が考えた俺の結論を俺が出せ。

 願った筈だ。高校ではちゃんと、と。祈った筈だ。一人くらい友達が出来ますようにと。

 そこに、女子との青春を願わなかったのか? 本当にそうか? 想われて、思うことは一切ないのか? 思い出せよ。今だろ? 今だろうが。

 俺は。俺の気持ちは。俺の、俺のっ、俺の───!!

 

 

 

    ……ヒッキー……

 

 

 

「───…………」

 

 悩み、考え抜いた思考の先に、由比ヶ浜の笑顔があった。

 振り向いて、笑顔で俺を呼んだ姿が心に浮かんだ。

 一瞬で顔が熱くなって、思わず俯いた俺は、そうして───……自覚してしまったのだ。

 

「───あ……」

 

 ……意識して、集中して、こんな状態だからこそ思い浮かんだことを───いつか絶対にやろうとしていたことを思い出す。

 俺は女性の気持ちが解らない。

 だったら、いつか本気で恋ってもんを自覚した時、“どうしてそんなやつが好きなのか”を考えてみようと思っていた。

 ラノベにしたって漫画にしたってアニメにしたって、物語のヒロインは随分と惚れやすい。どうしてそんな冴えないやつを好きになるんだか、と呆れたことだって何度もある。

 だからこそ、その気持ちを知りたかった。

 ああ、自覚したんだ。これは恋だ。訳もなく、ただ由比ヶ浜の笑顔が見たい。話をしたい。傍に居たい。胸が苦しくて、離れている距離がもどかしい。

 そんな状態の自分だから考えられることを、考えてみたのだ。

 

「ひ、比企谷くん? 顔が信じられないくらい赤いけれど……だ、大丈夫、かしら?」

「先輩? 目が潤んでますよ? まさか風邪ですか?」

 

 ごくりと喉を鳴らす。鳴らして、とある一つの疑問を考えた。

 Q:その人が好きな理由はなんですか?

 A:…………理由なんてなかった。“その人だから”好きになった。

 

「───……!!」

 

 かちりと、自分の中の歯車が合わさった。腕時計の歯車くらいに小さなそれは、けれど俺の中にある最大の疑問を、固まりすぎて動かなかった歯車を軋ませてくれた。

 やがて動き出す。

 ずうっと凍らせておいた、傷つかないために眠らせておいた、自分の中の時計が。

 動いたら、もうだめだった。動かない理由がない。やろうとしない理由がない。

 簡単だったんだ。どうして俺なんかを、じゃない。俺だから好きになってくれた。それでよかったんだ。

 そして今はそんな単純な答えが嬉しくてたまらない。

 単純だから理解できた。胸に届いた。俺にも解った。

 

  ───好きだ。

 

 難しく考えることなんてなかった。もっと馬鹿でよかったんだ。

 最底辺な俺でも好きになってくれた。そんな俺でもいいからアプローチしてくれた。

 じゃあどうすりゃいい。……努力すりゃいいじゃねぇか。

 変わっていきゃいい。“俺なんか”を変えていけばいい。

 好きなら出来る。努力せずに諦めるな。

 “諦めること”に胸を張れるなら───“いつかフられるかもしれない自分”を諦めろ。生憎だがそこには“辿り着けない”って……諦めろ。

 不安要素を諦めて、希望をひたすら求めていけばいい。

 だから……今なんだよ、比企谷八幡。

 

「~~~っ……!」

 

 ああ、でも、これすげぇ。ほんとすげぇ。

 由比ヶ浜、尊敬する。好きな人の傍に居るって、すげぇ恥ずかしい。嬉しいのに恥ずかしい。そわそわする。

 あ、あー、あー……! そういうこと。そういうことなのか。由比ヶ浜が俺と居る時……厳密にいえば状況の所為で二人きりになった時、顔が赤くなってたのはこういう理由で……!

 ……そんな光景を思い出すたび、胸が弾んだ。嬉しい。やばい、なんだこれ嬉しい。

 え? 恋ってこういうもんなの? 相手が自分を思ってくれたってだけで、こんな嬉しいもんなの?

 

「………」

 

 由比ヶ浜を見る。堂々と見りゃいいのに、どうしてかおそるおそる。チラッ? って感じで。

 ……由比ヶ浜は、まだうんうん唸りながら小説を睨んでいた。睨んで、頭のお団子をくしくしといじくっている。

 

「あのー……先輩? ちょっとやばいくらい顔真っ赤ですよ? ほんと大丈夫ですか?」

「……大丈夫じゃない」

「え?」

 

 一色の声がどこか遠くに聞こえた。

 なんだろう。なんでもいいから接点が欲しくなる。声をかけるのでもいい、返事がもらえたらきっと嬉しい。

 笑いかけてくれるだけで、きっと一日舞い上がれる。

 ああ……そうだ。人に惹かれるって、こんな感じだった。純粋に、その人のことが知りたいって。

 でも、経験したのは拒絶と嘲笑。勘違いをした結果はあんな未来だった。

 じゃあ今は?

 

「…………」

 

 ……。

 

「…………~」

 

 ……。

 

「~~~~っ……ゆ、由比ヶ浜っ!」

「《びくぅっ!》ひゃあっ!? え、あ、え!? なに!? なにヒッキー!」

「え? あ、いや……」

 

 ただとにかく、声をかけなければって意識が走った。走って……走った先で、“え? これからどうすんの?”に変わった。

 とにかくなにかを話さなければって、取り繕った言葉をとりあえず出しておこうとするのだが、そうする自分に由比ヶ浜の姿が重なって、顔を両手で覆って悶絶した。

 

「ひ、ヒッキー? え? なに? なんなの?」

 

 人を呼んでおいていきなり顔を覆って悶絶する男。……不気味だ。

 いや、けどな、つまりは由比ヶ浜もこうやって声をかけてはみたけど話題が見つからなくてってのを経験してたってことで……!

 ぐっは! ぐっはぁ! どんだけ好かれてたんだ俺! やばいこれ死ぬ恥ずか死ぬ!

 

「ざ、材木座……俺」

「八幡よ……貴様の苦悩、同じぼっちである我には解った」

「材木座……! すまん……俺、どうしたらいい……? こんな時、どんな顔すりゃいいのか───」

「はっぽぉーーん! ……爆発すればいいと思うよ?《にこり》」

「はっはっはこの野郎」

 

 ああでも、これでいい。相手の気持ちが少しでも解ったなら、もう勘違いなんてする必要もない。

 あとは…………あとは。

 

「………《じー……》」

「……ヒッキー?」

 

 つい見てしまう、この乙女チックな自分に慣れなければ。

 い、いや、もちろん? 好きって自覚したなら告白したい思いますヨ?

 

(なんの問題もありません。告白経験ならベテランのプロボッチャーである八幡さんが、今さら告白程度で怖気づくわけがないじゃないですか)

 

 ただほら、こう、なんてーの? ば、場所とか……選びたいし。《ポッ》

 ……キモいな。落ち着け俺。

 ああ、けど、どうすりゃいいのか。どっかに呼び出す? メールでとか。

 メ、メール。メールね。

 スマホを取り出して、由比ヶ浜のアドレスを確認。

 ……おい、ニヤケんなよ、顔。好きな相手が登録されていることに、今さらながらニヤケんなよ。

 ともかく部活が終わったら残ってもらって、それで…………それで。

 スマホをいじってメールを飛ばして、そのままの調子でスマホをいじり続ける。由比ヶ浜のケータイが鳴っても、動揺せずに。

 俺とメールは無関係ですよアピールである。

 由比ヶ浜がメールを確認、驚くのが視界の隅に移るが、由比ヶ浜は声に出したりはしなかった。

 

「結衣先輩、誰からだったんですか?」

「え? あ、やー……ママ、かな」

「母親相手に“かな”、というのはどういう意味なのかしら」

「ちょ、ちょっと驚きの内容だったから、うんっ」

 

 手をぱたぱたと動かして誤魔化す姿が可愛い。

 そしてそれをちらちら見る俺、キモい。やだ助けて、顔が勝手にニヤケる。

 

「…………《ちらっ》」

「…………《ちらっ……ハッ!? かああっ……!》」

「…………《かぁあ……!》」

 

 ちらりと見たら目が合って、真っ赤になって俯かれた。

 その気持ちがなんとなく解ってしまって、俺も。

 い、いや、メールはよ、ほら。部活終わったら時間くれってだけだったんだけど、意識しちまうとダメね、これ。

 由比ヶ浜もきっとそんな感じなんだろう。ここで俺が特に恥ずかしがる素振りも見せなければ、あいつもあんな反応をすることもなかったに違いない。

 

「あ、それでですけどね、せんぱ~い」

「あ? あー……ああ、そういやそもそも、お前も用があってここに居たんだよな」

「そうですよー。なのにええっと、財津先輩? が小説の感想がどうたら~って。まあ、結構参考になりそうではありますけど」

「……八幡? これはつまり、我の小説が面白いということでいいのだろうか。えっ……ええのん!? これっ……書ききってもええのん!?」

「あー……いいんじゃねぇの? つかお前さ、雪ノ下の所為で一色に財津先輩って認識されてるけど、それでいいのか?」

「えっ? 違うんですかっ?」

「………」

「雪ノ下先輩?」

「…………《フイッ》」

 

 おい、そこで目を逸らすなよ。

 

「我は気にせぬ。己を定めるものなど我さえ居ればどうとでもなろう」

「あ、そうですか。じゃあ先輩、話の続きですけどー」

「え? 我の話これで終わりなの?」

「おう、なんだ?」

「八幡!? はっ……はちまーーーん!」

「材木座うるさい」

「中二うっさい」

「アッハイ」

 

 ほぼ同じタイミングで俺と由比ヶ浜に言われ、しゅんとする材木座を余所に、一色は鞄からごそごそと紙を取り出し、それを俺達に見せてきた。

 

「この学校って祭り事だと結構盛り上がるじゃないですか。進学校ってもっと頭の硬い場所かなーとか思ってたりもしましたけど、文化祭とか体育祭を考えると、もっとイベントみたいなのを増やした方がいいんじゃないかと思いまして」

 

 紙に書かれた内容をざっと説明するならこうだ。

 生徒の夢を歌にしてみないか、みたいな感じ。

 

「これ、選ばれたやつ悶絶死しないか?」

「名前はもちろん出しませんよ? 選ばれた人だけがガッツポーズ出来るような、そんなイベントです。歌は生徒の投票で最優秀を決めて、選ばれた歌は実際に作ってみたりとか」

「ゴラムゴラムゥ! それならば我もひと肌脱がねばなるまいぃっ!!」

「あぁ、あんまり個人があっさり特定されそうな歌はやめておいたほうがいいですよ? 下手にネタにもならずにバレたら、全校生徒からイタイ目で見られますから」

「ぶひっ……!?」

 

 ……以降、彼は発言を控えた。

 なんだこれ、もし自分の歌が選ばれて、全校生徒に歌ってもらえたら最高に嬉しいんだろうが、バレたりでもしたら悶絶必至じゃないか?

 

「でもこれ結構楽しいかも。ねぇねぇゆきのん、一緒に歌、作ってみようよっ」

「一色さん、それは自由参加、というかたちでいいのかしら」

「もちろんですよ。そうじゃなきゃ妙な反感食いそうですし」

「歌ねぇ……ちなみに生徒会長様は参加出来るのか?」

「え? なんですかいきなり。もしかして先輩、わたしの歌が聞きたいんですか?」

「いや全然。歌集めるだけで楽そうだなーって思っただけだ」

「なに言ってんですかー、集まった歌と投票を照合させて順位を出す仕事だってあるんですから、そこは……先輩? お願いしますねっ♪」

「いやなんでだよ。自分でやれ自分で。あとあざとい。語尾に音符とかついてそうであざとい」

「なんでですかー!」

「いろはちゃん、これって歌のジャンルとかは自由なのかな」

「あ……そうですねー。最初はジャンル毎に順位を決めようと思ったんですけど、それだと収拾つかなくなりそうだったので……」

「あー、そだよねー……。あとなんか揉め事とか起きそう」

 

 ああそうな、歌ってそこんとこ結構シビアだもんな。

 たとえば俺か材木座が必死こいて歌を作ったとしよう。それはとても素晴らしい歌で、皆が気に入ったと仮説を立てたとする。

 で、作者が俺か材木座って知れたら、皆の反応はどうだろう。

 ……揃って“なんだアニソンかよ”とか言い出すんじゃねぇの? 差別だろこれ、ほんと差別。

 大体、いい歌にアニソンもJPOPも関係あるかよ。いい歌はいい歌だ。

 耳に届いて心に届いて、じぃんと来て感動して、それ以外になにがあるってんだ。

 故に言おう。ジャンルなどいらない。いい歌はいい歌として聞いてりゃいいのだ。

 

「ジャンルは要らねぇだろ。いい歌をいい歌として選んでやりゃ、文句なんてねぇよ」

「あら。あなたにしては珍しくいいことを言ったわね。どういう風の吹き回しかしら、吹き谷くん」

「たまにゃぁいいだろ、べつに。いいもんはいいもんだって理解する耳と頭がありゃ、全部多数決で決まるんだろうからな。匿名参加ってのはいいと思うぞ、一色」

「当たり前じゃないですかー。あ、というわけで相談というのはこれからなんですけど」

「あ? ……なに? これ自体が、じゃねぇの?」

「なに言ってんですかせんぱ~い、これくらいならわたしだけでも案出して採用、で終わりますって。相談っていうのは、一つ歌を作ってサンプルとして提示して欲しいんですよ。ほら、一番最初に出すのが自分だ、とか思うと、こういうのって恥ずかしいじゃないですかー」

「……なんか地味に解るなそれ。あれな、たまたま早く終わったからってプリント提出したら、“なに張り切ってんのあいつキモい”とか言われるアレな」

「いえそんな妙に生々しい先輩の話が聞きたかったわけじゃなくてですね」

「いやおまっ……ばばばっかお前これアレだから。俺の友達の友達のH.Hくんの話だから」

「せんぱい、友達いないじゃないですか」

「……お前もう帰れよ」

「まあまあいいじゃないですかー! それよりほら、先輩っ、歌、歌ってみてくださいよっ」

 

 なんで俺の周りってこう、強い女ばっかなんだろな。

 もっと物静かで清楚でやさしい女の子と仲良くしたい。などと思いつつ、ちらりと由比ヶ浜を見る。

 ……周囲に影響されずにいたら、由比ヶ浜結衣という女の子は、いったいどんな子だったのだろう。

 今想像した通りなのか、それとも───

 

「あー……歌、歌ねぇ……夢を歌にするって、恥ずかしいだろ……」

「そうね。比企谷くんの場合は特にでしょう? なにせ専業主夫を歌にするのだから」

「ヒッキーキモい……」

「《ぐさっ!》っ……!!」

 

 カッ……カハァーーーッ!!

 キモっ……きも、きも……っ……カハァッ……!!

 マジか……なんだこのダメージ……今までの比じゃないんですが……!?

 あ、だめ……これ心折れそう……。え? もしかして由比ヶ浜も、俺にアホとか馬鹿の子とか言われて、こんな……?

 

「あ、あれ? ヒッキー?」

「…………《ずぅうううん……》」

「ひ、比企谷くん? あの……ご、ごめんなさい、失言だったわ。仮にも夢というものを恥ずかしいと決め付けるのは、ひどすぎたわね……」

「そ、そうですね。いっつも胸張って専業主夫になるって言ってるんですから、恥ずかしさなんてありませんもんねっ」

「…………《ずぅううん……》」

「え!? あれ!? せんぱい!? せんぱーーーい!?」

 

 専業主夫……妻に働かせて、家で……?

 実際に強く想像してみたらヘコんだ。自分が楽をしたいからとか働きたくないからとか、そんな自分で果たして由比ヶ浜は好きで居続けてくれるだろうか。

 最初はよくても、次第に周囲に“結衣っちの旦那、専業主夫なんだ~!”とか、“働きたくないでござるとか、ほんとに言ってる人居るんだ~!”とか、“でゅぷふふふふww いくら早く結婚出来ても相手があれではww その点相手をじっくり選んでる我ら、勝ち組確定ww コポォ”とか笑われて……。

 

「───」

 

 変わろう。なんかもう、無理だ。自分が好かれ続ける未来が想像出来ないわ。

 好かれ続けないなら諦める? 違う、そうじゃねぇだろ。“まだ”好いてくれているなら、変わらなきゃいけないのは今からだ。

 その前に謝りたい。心から謝りたい。キモい言われただけで、悪口や陰口に慣れている俺でさえこれなんだ。

 じゃあ俺にビッチ呼ばわりされた由比ヶ浜は、いったいどれほど───

 

「歌……歌な。おう、もうどうでもいい歌だからお前に託すわ」

「え? 先輩?」

 

 とりあえずアレだ。以前行った“ざらす”にておぼろげに歌ったアレを、お題『専業主夫』として作った替え歌を贈ろう。

 深呼吸して、はい。

 

「……歌うぞ?」

「あ、ちょっと待ってください、一応録音しますから」

「……お前俺を殺したいの?」

「どんな黒歴史歌うつもりなの!?」

「どんなって…………聞いてりゃ解る。んじゃ行くぞー」

「何故かしら……聞きたいような、そうでないような……」

「とりあえず参考にはなるんじゃないですか? 先輩次第ですけど」

「けぷこんけぷこんっ、ならば我が手拍子をしてやろう! 八幡、ペースはいかほどか?」

「あー……一秒に一回くらい?」

「うむ! では───《ッパンッ、パンッ、パンッ、パンッ》」

「外出たくな~い、ずっと~専業主夫~♪ 愛する妻に養われて~♪ 社蓄になんてなりたくな~い♪  働きたくなっ・いっ♪」

 

 …………。

 

「せんぱい……どん引きです……」

「さすがのクズっぷりね、比企谷くん。さっき落ち込んだばかりだというのに、真正面から叩き潰されたいのかしら」

「ま、待てっ、もうどうでもいい夢だって───」

「ヒッキーさいてー……」

「《ゾブシャア!》げっふ!」

 

 もうだめ、俺泣きそう。

 

「八幡よ……お主、ざらすに恨みでもあるのか……?」

「今出来たかもしれん……もういいからほっといてくれ……」

 

 いや、由比ヶ浜に言われる分は、自業自得だって受け止めなきゃダメか。

 ああでもだめだ、やさしさが、甘さが欲しい。

 材木座が用意したマッカンはもう飲み干してしまった……新しく買ってこよう。

 

「……マッカン買ってくる……」

「あ、先輩、わたしレモンティーがいいです」

「野菜生活をお願い」

「コッペパンを要求する!」

「自販機にコッペパンはねぇよ……由比ヶ浜は?」

「え? いいの? …………あ、じゃあ一人じゃ大変だろうしあたしも行くね」

「え、あ、いや」

「行くから」

「っ……お、おう……」

 

 立ち上がり、途端に乾く喉をごくりと鳴らして歩いた。

 部室から出れば、しんと静まった廊下が待っている。

 一緒に出てきた由比ヶ浜は「寒いねー」と言いながら、手を擦り合わせて苦笑をこぼしていた。

 

「~~~……《ふいっ》」

「あ……」

 

 俺はといえば、今までどういった感覚でこいつを見ていたのかを忘れてしまったかのように、顔を見るのも緊張してしまう始末。

 つい目を逸らすようにして歩いてしまい、聞こえた由比ヶ浜の声に胸がしくんと痛んだ。

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