どこにでもあるようなガハマさんとヒッキーのお話   作:凍傷(ぜろくろ)

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猫を拾った日①

 飼い猫。

 それは四六時中家でごろごろしているだけで家族に愛でられ、にゃーにゃー鳴けば構ってもらえ、あまつさえ食事まで用意される最高の動物である。

 “動物になるならなにになりたい?”といきなり訊かれ、咄嗟に出るのは猫だという独自のアンケート結果が俺の中にはある。訊ける相手が小町しかいねぇけど。

 だが言おう。今の時代、なるなら熊だ。ちやほやされるのが目的なら猫でもいい。確かにいい。

 しかし絶対的武力と意外なほどの俊敏性、額以外は分厚い毛皮に覆われた素敵防御力を揃えた生きるチートを選ばずしてなにを選ぶ。

 ……あ、でも俺べつに魚とか仕留めた獲物、生で食いたくないや。

 結論を言おう。私は猫になりたい。

 

『…………』

 

 なんて思っていた時期が、俺にもありました。

 

『………』

 

 猫である。

 

『んにゃーーーん』

 

 ……声までしっかり猫である。

 おいおいどうなってんの? 部室で寝て起きたら猫とかどういうこと? ガイアが俺に輝けどころか堕落しろって囁いてるのん? ありがとうガイア。環境利用闘法とか俺めっちゃ好きだよ。

 

『………』

 

 見下ろしていた肉球から目を逸らす。

 ちっこいな。子猫だ。

 

『………』

 

 どうしたもんか。まだ雪ノ下は来てなかったから、俺が平塚先生のところまで鍵を受け取りに行って、こうして真面目にも一人部室で待っていたわけだが……まさか猫とは。

 あ、これ夢? 夢だよね? 借りるぜっ……とか言って武装明晰夢(ルシッド・ガジェット)が使えたりするアレだよね?

 

『にゃー!(借りるぜっ!)』

 

 …………なにも出なかった。むしろ二本足で立ち、前足を前に突き出す子猫が誕生しただけである。

 

『………』

 

 案外二足直立って出来るもんなのな。猫ってすげぇ。

 でも相変わらずの猫背だ。直立って言葉、ちょっと取り消す。

 え? もしかして俺、猫背がたたって猫になったりしたクチ? きょーび蟹の食いすぎでカニランテ様が誕生する世の中だからな……俺が猫背で猫になっても不思議じゃ……いや不思議だろ。これ不思議以外のなにものでもねぇよ。なにこれ。

 

『……にゃー(ふう)』

 

 そこで比企谷八幡は考える。

 多くの場合、……いや、この多くの場合は一般論ではなく、様々なラノベや漫画、ゲームやドラマの多くの場合を前提にして語るが、多くの場合突然猫になった場合、女子とのキャッキャウフフが待っていてウッヒャッホーイなイベントが大体だ。

 だが待つのだ人よ。それでいいのか?

 困っているところを知り合いの、ちょっと気になるあの子に助けられてとか、そんな安易な選択肢を選んでいいのか?

 よくない。断言しよう。それはとてもよろしくない。

 そりゃな、俺だってKENZENな男子高校生ですよ。

 そんな世界に憧れたりしないでもない。

 頼まれて結局行くことになった四人デートもどきの途中、ちょっと怖いと思っていた女王のピンクをうっかり見てしまった時のトキメキを、今は猫として下から堂々と見られますよとかそんなことに微塵の興味もないわけじゃない。

 だがそれは結局一時のものだ。

 今しか出来ないものではない。いっそ捕まる覚悟でやれば、人の状態であろうと出来ることであると断言するまである。

 ならば今しか出来ないこととはなんだ?

 女子に猫として愛でられること? ───否。

 抱き上げられて胸の感触を堪能すること? ───否。

 

『………』

 

 奉仕部の引き戸が開けられる。

 事前にノックの音があって、知らず、俺の耳がピンッと跳ねた。

 ちらりと見ると、そこには雪ノ下。次いで、元気な元気なガハマさん。

 

「比企谷くん? 居るのかし───ら」

 

 ぼとりと、雪ノ下が持っていた荷物が床に落ちた。

 何故って、長机の上に、後ろ足で立って考え事をしている猫が居たからである。

 

「え? どしたのゆきのん」

 

 その後ろに居た由比ヶ浜は、それを見ていない。俺がすぐにすちゃりと座ったからである。

 

「い、今……そこの猫が……い、いえ、それ以前に猫が居ることがおかしいのだけれど……ね、猫……子猫…………し、仕方ないわね、ひひひ比企谷くんが連れてきたのかしら。ここは猫喫茶……けふんっ、猫の預かり所ではないのだけれど……」

「あぅ……猫……」

 

 雪ノ下が驚愕を顔に貼り付けたまま、しかしそれをどんどんととろけさせ、最後には赤くなって俯いた。

 由比ヶ浜は……いつか言った通り、苦手そうな顔で俺を見ている。

 

『………』

「………」

『…………』

「…………」

 

 つか見てる。雪ノ下、めっちゃ見てる。瞬きとかしてないよ。おい大丈夫? 目、乾かない?

 

「えと、ゆきのん。鞄あるみたいだし、やっぱりヒッキー来てるみたい。……ゆきのん?」

「!? え、ええ……そう、そうね。だとしたらやはりこの猫は比企谷くんが。……それともなにかしらの依頼があって、猫を預かってもらいたいとか…………そ、そう、依頼ならば仕方ないわね。ここは猫を預かれるペットショップでも動物病院でもないのだけれど、依頼ならば。ま、まったく勝手に依頼など受けたりして、本当に仕方がないわね比企谷くんは」

 

 おい。そんな、笑みを殺そうと必死に耐える新世界の神になりたかった男みたいな顔やめて? いやそこまでひどくねぇけど迫りつつあるからやめて? 素直でいいよ? 笑えばいいと思うよ? いやマジで。

 で、そんな“俺が悪い&依頼だから”の免罪符を得たユキノシタ=サンは物凄い速さで俺へと近づき、手を伸ばしてくる。

 だが俺が欲するのはそれではない。この比企谷八幡には夢がある! いや夢は今関係ないけど。

 はっきり言おう。猫として愛でられる趣味は俺にはない。

 なのでその手をスッと躱して、俺の鞄をじーっと見つめていた由比ヶ浜へと駆け、飛びつく。

 

「え? ひゃあっ!?」

「由比ヶ浜さんっ!?」

 

 そして腕を駆け上り肩を蹴り、その頭の頂きへと…………着地する。

 ───我、その頂きにて二足で立ち、前足を広げ優雅なポーズを───あ、無理、髪めっちゃさらさら、滑る。

 むしろ結局滑って、ぺほりと由比ヶ浜の頭に腹から倒れる結果になった。

 

「~~~……!! やぁあああっ! ゆ、ゆきのん! ゆきのん!! 取って! 取ってぇええっ!!」

「お、落ち着いて由比ヶ浜さん! 写真を撮るのが先よ!《わたわた……!》」

「ゆきのん!?《がーーーん!》」

 

 一昔前にたれパンダというものがあった。

 それを由比ヶ浜の上で、四肢を伸ばして実行している感じ。つまりその、なに? 猫帽子的な。

 いや、べつにこんなことしたかったわけじゃないんだが。

 つか由比ヶ浜、その背中に虫がひっついたみたいな女子の反応やめて。地味にきつい。

 けどそうか……由比ヶ浜は猫が苦手なままか。嫌いではないんだろうが、一種の拒絶反応ってやつだろう。情が移れば悲しいだけだ、と。経験で知っているんだ。

 ……あ、いや、うん。

 べつに由比ヶ浜を怯えさせるのが目的ではなかったので、すぐに降りました。写真は、しっかり撮られたが。

 

「………」

「………」

『………』

 

 そして、沈黙の時間が続いた。

 雪ノ下と由比ヶ浜は“とりあえず比企谷くんが来るまで待ちましょう”ってことになり、定位置に座ると普段通りの行動を……取れなかった。

 俺は長机の由比ヶ浜の傍に座っていて、由比ヶ浜はそれが気になってしょうがないらしく、雪ノ下は猫が気になって仕方がないらしい。

 なんで由比ヶ浜の近くなのかってのはアレだ。危害を加えるわけでもないんだから、べつに怖がる必要ないんじゃねぇのってアレ。

 どうせ夢なんだし、居なくなるわけじゃねぇんだし。

 

「う、うー……ゆきのーん……」

「ね、猫ちゃ……猫、さん? こっちにいらっしゃい。そのお姉ちゃんは猫がちょっと苦手で……」

『にゃー(フン断る)』

 

 雪ノ下がほっこりした顔でちょいちょいと手招きをするも、すげなく断る。猫語なんて通用しないだろうが、断る。

 むしろじーっと由比ヶ浜を見上げ、おろおろしている姿を堪能……ごほん、見つめる。

 やがて無駄だと悟ったのかケータイをいじりだすと、完全にそっちに集中し始める。

 よし、目的達成。

 あとは盛大に……《ちらり》

 

「…………~……~……《そわそわ》」

 

 うわー見てる。雪ノ下、めっちゃ見てきてる。

 そんな中で脳内でユニコーンガンダムの例のBGMを鳴らすと、盛り上がりの一歩手前でゆっくりと後ろ足のみで立ち上がり、脳内BGMが賑やかになったところでドヤ顔で雪ノ下を見つめる。

 

「!? !?」

 

 案の定驚きまくりである。

 ……そう。人よ……愛でられるだけの環境になんの意味がある。

 猫の状態でのみできる最大限を活かし、真面目なあの子を全力でからか───もとい、楽しませる……それこそが不思議を受け入れた先のお楽しみってやつだろう。

 男だの下半身事情だの、そんな欲望なんて捨ててくれていい。

 何故楽しまない。普段はぼっちを満喫しているのなら、別の何かになった時にこそ封じてきたものを解放しろ。

 別のなにかになるっていうのはつまり、そういうことなのだから───!!

 

「ゆひっ……由比ヶ浜さん……っ……!? 由比ガ浜さんっ!!!」

「うひゃわぁっ!? え!? なに!? どしたのゆきのん!!」

「ね、猫っ! 猫がっ!」

「猫!? ね…………えと。どしたの? さっきとなんも変わんないけど……」

「あ、え……?」

 

 雪ノ下が騒ぎ出した刹那にすちゃりと座る。

 ふう……中々にスリリングである。

 普段は絶対にしないことをする……なんて素晴らしい響きだろう。

 

「なんかゆきのん途中、呼び方ヘンじゃなかった?」

「え? そ、そうだったかしら……」

 

 ……うーん、机の上だと由比ヶ浜に気づかれる可能性があるか。ならばこう、床に下りて……由比ヶ浜の椅子の後ろに、と。

 

「え、えぅう……? ゆ、ゆきのーん……!」

「大丈夫よ、由比ヶ浜さん。べつに危害を加えるわけではないのだから。あ、ただ急に椅子を引いて猫に怪我をさせたりすることだけはやめて頂戴。いいわね由比ヶ浜さん。……いいわね?」

「念の押し方が怖いよ!? う、うー……」

 

 掴んで遠ざけるでもなく、由比ヶ浜は観念してケータイに集中し始めた。よし。

 そして相変わらずこっちをガン見している雪ノ下。よし。

 ゆっくりと後ろ足で立ち上がる。雪ノ下はやはり驚いてはいたが、既に慣れようとしている。それはいけない、是非とももっと驚いてもらわなければ。

 なのでおもむろに“YATTA!”を踊り始めた。

 

『(G!!)《ババッ!》』

「!?」

『(R!!)《バッ!》』

「!? !?」

『(ダブルE!)《バッバッ!》───(N!)《バッ!》───(Leaves!!)《ビシィーーン!!》』

「……!? ……!!?《おろおろわたわた……!》」

 

 信じられないほどの動揺っぷりである。てか猫の体柔らかいな。結構曲がるもんだ。

 RとかL、苦労すると思ったのに。ああ、Nはハナから諦めてた。

 で、雪ノ下。ケータイで写メでも撮ろうとしたのだろうが、構えた瞬間に踊りをやめたらこの世の終わりみたいな顔された。

 おい。……おい、いくらなんでも落ち込みすぎだろ。

 

『………』

「………」

『……《スクッ》』

「!?《シュバッ!》」

『……《……ストッ》』

「…………《しゅんっ》」

 

 立ち上がると咄嗟にケータイを構え、座ると落ち込む。

 それを何度か繰り返してるとさすがに由比ヶ浜も気になったのか、「どしたのゆきのん、今日へんだよ?」とツッコミが入る。……由比ヶ浜、その言い回しだとちょっとどころか結構傷つくからやめたげて。

 

「い、いえ……その。猫が立ち上がって踊り始めたものだから、写真を撮ろうと思ったのだけれど……」

「踊ったんだ!? え!? でもさっきから全然動かないよこの猫!」

「そ、それがその……携帯電話を構えるとどうしてか止まってしまって……」

「そうなんだ……うう、ちょっと興味あるかも。ゆきのん、あたしも見てていい?」

「ええ、というかそこに私の許可は必要ないと……あの、由比ヶ浜さん? なぜ隣に椅子を持ってきてまで座るのかしら。ち、近い……」

 

 ガタガタと椅子を動かして座り、えへへぇと微笑む由比ヶ浜。対して、雪ノ下は質問に“ええ”と言ってしまった手前、動くことも出来ずに視線をうろちょろさせていた。今日もゆるゆりしてらっしゃる。

 

『………』

「………」

「………」

『………………』

「…………」

「…………」

『………』

「……動かないね」

「そ、そうね……あの、けど信じてほしいのだけれど、本当に───」

「あ、ううんっ!? ゆきのんを疑ってるわけじゃなくてっ!」

 

 雪ノ下の少し弱ったような言葉に、由比ヶ浜が上半身ごと隣を向いた瞬間、シュバッと立ち上がって腰の横に左前足、右前足は天にかかげ、サタデーナイトフィーバー!

 

「ぶふぅっ!?」

「ゆきのん!?」

 

 そしてすぐに座る。

 妙にツボに入ったのか、驚きよりも笑いに支配された雪ノ下が俯いて肩を震わせる光景に、ひと仕事を追えた達成感を得た。

 しかし、これでルールは察しただろう。雪ノ下はふぅふぅと息を整えて、じっとりとした目で俺を見た。

 が、何故か由比ヶ浜の耳に口を寄せて、ぽしょぽしょと何かを伝える。え? なに? 小さすぎてこの動物の耳をもってしても聞こえない。

 

「え!? ほんと!? でも……」

「お願い、でないと私が、猫を見ているといきなり笑い出す人として認識されてしまうわ」

「えっ!? あ、やー……それはべつに間違ってないんじゃ」

「由比ヶ浜さん!?《がーーん!》」

 

 話は終わったのか、由比ヶ浜が椅子の向きを逆に変えて、とすんと座る。ようするに俺に背を向けて、それでも雪ノ下の隣には居る。

 これはあれか? あなたが見ていると踊ってくれないからと話した結果か? だがべつにそれは小声で話す必要性を感じない。

 じゃあなんだ? なん……なんでもいいか。違う自分になったのなら、わざわざ疑いからかかる必要もないし、そもそもどうせ夢だし。

 見れば由比ヶ浜はカチカチとケータイをいじっている。背中を見ているだけでも解りやすい動作だ。両手で持ちながらとか可愛い。とか思ってないんだからねっ!? ……おう、どうやら手鏡で覗き見るという方向でもないらしい。

 ならば存分に……踊ってやるとしよう。

 

『《バッ!》───《すとん》』

「!?《ビクッ》」

 

 立って座ってのフェイントをかけてみても由比ヶ浜に反応無し。

 立った瞬間に振り向くってわけでもないようだ。

 え? どうでもいいんじゃなかったのかって? 自分の意識を騙せないようじゃ、相手の探る視線まで回避できないのだ。エリートぼっちは妥協しない。

 なので踊る。もう踊る。立ち上がり、その場で愉快に激しく、しかし視線は由比ヶ浜に向けて。

 一歩でも振り向く動作をしたなら、その時点で───!

 

……。

 

 そうして、インド人類は繁栄しましたは終了した。

 雪ノ下は何故かぽろぽろと涙を流しながらぱちぱちと拍手をしていて、なんか申し訳ない気持ちが溢れてくる。え? なんなの? なんで感動して拍手までしてるの?

 

「すごい! すごいねゆきのん! なんかすっごい動いてた!」

『!?』

 

 踊りも終わったので、ふうふうと息を弾ませながら座っていたところに、由比ヶ浜の興奮した声。

 踊ってた……!? 馬鹿な、やつはずっと後ろを向いていた筈……! まさかこの夢の中の由比ヶ浜の背中には、目でもついていると……!? いや、ねーだろ。

 きっとこう言えば見られたものだと油断して踊り出すと…………アレ? なんか……アレ?

 由比ヶ浜が持ってるケータイの画面部分が、やけに世界を映しているような……。ハッ!?

 

『───(お、覚えがあるッッ!! 初めてケータイを手にした時、オプションパーツ的なものをニヤニヤと見ていたら店員にうわあ……って引かれたあの日……!)』

 

 そう、ケータイ用の画面保護シールの中にあった筈だ。

 保護シールにもなって、“鏡にもなる”シールがっ……!!

 ば、馬鹿な……! この俺が、由比ヶ浜に出し抜かれた……だと……!?

 

「えへへぇ、見てないって思った?」

 

 おい、苦手意識はどうした。ってツッコミたくなる笑顔で、由比ヶ浜がケータイを見せながら近づいてくる。

 べ、べつに悔しくなんかないんだからねっ!? だがまあ見られてしまったなら仕方ない。

 なんかもうこんだけ踊っても目覚めない世界なら、目覚めるきっかけとかあるんだろうし。

 だから俺は鞄までを歩いて、鞄からミニメモ用のちっこいメモペンを出すと、指と指の間に器用に挟んでメモに文字を連ねる。平べったくていいよね、これ。

 

『にゃー(ほれ)』

「え? てゆーか……え?! ゆきのん! この猫、文字書いっ……え?」

 

 驚きながら、由比ヶ浜がメモの文字を見る。

 

  “いなくならない猫ですよー”

 

 そこにはそう書いてある。

 次いで、“雪ノ下には内緒にしてくれ”と書き足す。

 

「…………ヒッキー?」

『ゴニャウ(おう)』

 

 頷いてみせたら驚かれた。けど、叫んだりはしないところはさすが。

 むしろそわそわしだして、頬も赤く染めて……おい、なんで赤くなる必要……あ、あー……そういや頭の上とか乗ったもんな。セクハラだ。

 

「? 由比ヶ浜さん?」

「あ、ううんっ!? なんでもないっ! あははっ、不思議な猫だなーって!」

「え、ええ……ええ、本当に。こんな子猫を残して、比企谷くんはいったいどこへ行ったのかしら……まったく」

 

 椅子に座ったまま、ハァ……と溜め息を吐く姿は、生憎と由比ヶ浜の身体に隠れて見えない。

 つか、やっぱ子猫の視界だと人が間近に来るってのは迫力がある。

 

「……ね、ねぇヒッキー……なんで子猫になんかなっちゃったの……!? 犬のほうがいいのに……!」

『にゃ? にゃー(あ? 猫背の所為とかじゃね?)』

 

 言っても通じないので、またサラサラと文字を書く。

 “よく解ってないが、夢だろこれ。人が猫になるとかねぇよ”

 

「あ……そっか、そうだよね。なんだ、あたし夢見てるんだ。あはは、そうだよね。じゃなきゃ、猫になったからってヒッキーがあたしの頭の上に……ゴニョゴニョ」

『にゃー【頭に乗ったりして悪かった。理解ある猫なら、慣れるかもって思ったんだ】』

「あ……そか。そうだったんだ。……ありがと、ヒッキー」

 

 慣れると結構書けるもんだ。

 さて、では再び雪ノ下をからか───もとい、楽しませるとしよう。

 などと思っていたら、校内放送が響き、平塚先生から雪ノ下召喚の報せが届いた。

 

「あ……ゆきのん呼ばれてるね」

「呼ばれる覚えは特にないのだけれど……というか、用があるのならさっき鍵を取りに寄った時に、一緒に言ってもらいたかったわ……《ちらちらちらちら》」

「あ、あはは……だいじょぶだよゆきのん、猫ならあたしがここで、ちゃんと見てるから」

「! い、いえ、べつに猫を見ていたわけではなくて」

 

 わー、あの雪ノ下さんが嘘ついたー。とは言わない。

 隠したいことの一つや二つ、誰にでもあるしな。

 そんなわけで滅茶苦茶名残を惜しむように振り返りまくりつつ……雪ノ下は部室をあとにした。

 

「………」

『………』

「……行っちゃったね」

『ごにゃ《コクリ》』

「あはは、なんか猫が頷くってヘンな感じ。あー、でも話すのに書かなきゃいけないのは大変だよね」

『ニャオアオーゥ……【まあ待て、俺に秘策がある】』

「ひ……なに?」

『…………《カキカキ》【ひさく】』

「あ……ちゃ、ちゃんと読めてたし!」

 

 アホの子だ。けど、秘策はある。

 由比ヶ浜に頷いて見せると、再びバッグを漁ってスマホを取り出す。

 そしてネコリンガルのアプリを起動させると、由比ヶ浜に渡す。さながら、モンハンのアイルーのように。

 

「え? ……ネコリンガル? あ、そっか!」

『ニャー【夢なんだから、こういうところもどうせ都合よくいくだろ】』

「あはは、そうだよね。夢だもんね」

 

 さて、書いた文字と言った言葉は合っているかどうか確認だ。

 まずはさらさら~と書いて……よし。

 

『【これから“やっはろー”って猫語で言ってみる】』

「え? ───うん! 言って言って!」

 

 あれ? なんでそんな嬉しそうなの? 猫語なら恥ずかしくないし、だから言うだけだよ?

 

『にゃー!(やっはろー!)』

「《ぴろんっ♪》───わはっ♪ うん! ちゃんとやっはろーって出たよヒッキー! えへっ、えへへへぇ♪」

 

 うわー、嬉しそう。

 だがやはり夢であることが証明された。やっはろーなんて言葉、ネコリンガルなぞに登録されているわけがない。

 鳴き声の音調で言葉を選んでいるだけだろうし、こんな馬鹿っぽい言葉があるわけがない。

 

『……というわけで、話し易くなったな』

「うん、画面に出るまでちょっと時間かかるけど、書くよりよっぽど早いよね。それで、なんでこんなことになったの? あ、夢だからか」

『だろーな』

「だよねー。ゆきのんもなんかおかしなくらいにおかしかったし」

『ああ……いや、あれは素───ああ、いや……』

 

 夢だもんな、あんなこともあるよな。

 

「……ね、ヒッキー」

『あん?《ひょいっ》おぉわっ!? ちょ、なにすんだっ』

「夢なんだからいーじゃん。ほら、別の自分別の自分」

『む……まあ、べつにその……な』

 

 床に座ってしまった由比ヶ浜の膝に、ちょこんと乗せられてしまった。

 しかもその上から背中を撫でられる。ちょっと圧迫する感覚……つまりここに伏せろと言いたいのだろう。

 ……ま、まあいいけどね? 夢だし。せっかくだからこのやわらかさ───もとい、いやもといじゃなくて、なにも考えてナイヨ? 八幡ウソツカナイ。

 

『……それでどーよ』

「え? なにが?」

『猫だよ猫。苦手っつーか……触れたくないとか思わねーの?』

「うーん……平気かな。だってヒッキーだもん」

『そりゃ俺が取るに足らない存在だって言いたいんですか……』

「そ、そうじゃなくて! もう、なんでそういう考え方しか出来ないかなぁ……」

 

 言いつつ背中を撫でてくれる。

 その手付きは……妙に手馴れていた。サブレが居るから? ……たぶん、違う。

 

「……あたしさ、ほら……前に猫の話、したじゃん? 団地に住んでた頃、隠れて飼ってた~って」

『おう』

「かわいかったんだぁ……すっごくね、小さくてさ、頭撫でると顔こすり付けてさ。指掴まれてペロペロ舐められてさ、少しするとやさしく噛んできてさ」

『……おう』

「でもね……居なくなっちゃうんだ。やっぱり…………うん。居なくなちゃうんだよ。きっとやさしさが足りなかったからだって、また飼うんだよ? でも……居なくなるんだ。悲しくってさぁ……辛くってさぁ……」

『……まあ。猫は死ぬところを飼い主には見せない、とか言うしな……』

「うん……。でもね……? あたしは……ちゃんと見送りたかったなって。見届けたかったなって……そう思うんだよ。だって……そんなの悲しいよ。本当に、そんな姿を見せたくなかったからなら……諦められるかもしれない。でもさ、歩いた先で事故に遭ってた、とかだったら……走れば間に合ったかもしれない。助けられたかもしれない。また……頭をこすりつけてきてさ、にーにー鳴いてくれたかもしれない。……考え始めると辛いんだ……。ひどいよ……残された方のことも……っ……考えてよ……!」

『《ぽたっ》うおっ……、……』

 

 涙が落ちてくる。

 見上げる先には少女の泣き顔。生憎この身体じゃ108のお兄ちゃんスキル、頭撫でも慰めも出来やしない。

 出来やしないんだが……まあ、その……───別の自分で、夢なんだしな。

 

『……キモかったら。押し退けてくれていいからな』

「え……? ヒッキ《ぱくりっ》きゃうんっ!?」

 

 由比ヶ浜の手を両前足で掴み、引っ張って……その指を口に銜えた。

 嫌がる様子は……ない。ただ驚いているって顔だった。

 

「ひ、ひっき……!? ───……ヒッキー……」

『……その、悪いな。お前が飼ってた猫の再現なんてのは無理だろうが……。うちも、まあその、カマクラとか居るから……よ。無愛想なやつだけど、やっぱ憎めないんだよ。……あいつがいつか、同じようにするっていうなら……俺も、やっぱ悲しいって思う』

 

 指をぺろぺろと舐める。は、恥ずかしくないっ! これは猫の行為だっ! 人として女性の指をぺろぺろとかそーゆーんじゃないんだからねっ!?

 

「ヒッキーは……やっぱりやさしいね」

『ばっかお前、俺は超やさしいっての。相手選ぶけどな』

「えへへ……じゃああたし、選ばれたんだ」

『ぐっ……───そりゃ、まあ、……そういうことなんじゃねぇの?』

「別の自分になってないよ、ヒッキー」

『お前無茶言うね。なりたくてもなりきれないから漫画とかの裏切り者の友人って敵になりきれないんだぞ? まあ俺にはそもそも敵しか居ないが……あ、自分で言ってて悲しくなってきた……』

「そんなことないよ。少なくともあたしとゆきのんは味方だし」

『ほーん……? 俺、その味方とやらにいっつも罵倒されたりキモい言われたりしてるんですが?』

「あぅ……それは、えとー…………でもキモいし」

『おい』

 

 いや、そりゃな、俺だっていい男を目指して、“綺麗なウィンクの仕方”とか調べたことあるよ?

 鏡の前で片目を指で押さえて、もう片方をパッチリと開く練習とか。したね。超したね。

 で、丁度それを小町に見られて、“うわ……お兄ちゃんキモ……”ってすんごい冷静な声調で言われてその日はずっと部屋ン中に閉じ篭ったくらいだよ。

 ……つまり俺のウィンク、キモい。

 

『はぁ……どっかに俺のキモさも受け入れてくれる人、居ないもんかな……無理だろうなぁ、誰が専業主夫希望の男なんか受け入れるんだか』

「あれ? 結構諦めてる感じ?」

『……どうせ夢だから言っちまうけどな。自分に対するフィルターみたいなもんなんだよ。専業主夫希望なんて言ってる男を好きになるやつなんざ居るわけがないだろ? いくら俺にやさしくしようと、夢が専業主夫だなんて言えば絶対に引く。だがだ。“それでも”って言ってくれるヤツが居るなら、そいつは本当に俺のことを好きでいてくれるわけだ。そんなヤツが居るなら、俺ゃもう心から好きになれるね。シスコン卒業して、小町に向けてた愛情とか全部ひっくるめてその人に捧げるまである』

「……ほんとに?」

『あ? おーほんとほんと。そもそも、俺自身誰かと付き合えるとか……自分が好かれてる自信なんてさっぱりだ。数年後にはぼっちの社蓄になってんだろうさ。……そう考えると親父とかって不思議だ……どうやって結婚したんだか。出会いが良かった? 社蓄同士気が合った? ……解らん《ひょいっ》おおぅっ?』

 

 急に両手で掴まれ、由比ヶ浜の目線の高さまでひょいと持ち上げられる。

 ……知り合いの女子に持ち上げられる男子の図。なんか死にたい。

 

「……えっとね。えとー……うん。あたしもさ、夢だから言っちゃうね?」

『? お、おう?』

「あたしね、ヒッキーのこと……好きだよ?」

『───…………』

「一時の勘違いとかそういうのじゃなくてさ。……男の子としての比企谷八幡くんが、あたしは好きです」

『…………』

「あはは……えっと。ヒッキーのことだから、薄々は感じてくれてた……よね?」

『…………おう』

「うん、そっか。やっぱり。だってヒッキー、そういう空気になるとすぐに言葉とか遮ってきたし」

『……まあな』

「…………」

『………』

「ね、ヒッキー。どうせ夢で……覚めちゃうなら……さ。その……返事とか、欲しい……かも」

『………』

「………」

 

 返事……返事。

 気づかなかったわけじゃない。ただ目を逸らしていた。誤魔化していた。

 至高のぼっちは間違わない。勘違いなんかしない。好意に思えるそれはただの相手の自己満足からくる親切心モドキだと、ずっと言い聞かせてきた。

 でも……言ってくれたのが由比ヶ浜か雪ノ下なら。俺はきっと……疑いもせず受け入れられるから。……それは違うとは言えなかった。

 

『その前にいいか? ……いつからだ?』

「え? いつからって?」

『いやその……お、俺を、ほらその、なに? す、す……』

「……えへへぇ、サブレを助けてもらった時から、かな」

『───』

 

 奉仕部に入ってからどころじゃなかった。

 既に一年以上経っている。

 つまり、あれか? 俺がぼっちで居た時も、ぼっちで居た時も、ぼっちで居た時も…………おい。ぼっちな時しかねぇよ。

 

「あ、えと、あはは……助けてもらった時は、ちょっと言いすぎかも。気になったきっかけはその時だけど、いつから好きになったかは……たぶんあたしにも解んないんだ。人を好きになるのって、そういうもんなのかも」

『……俺じゃなくても、もっと他に』

「居ないよ。じゃなきゃ、一年も見てないよ」

『…………』

 

 今、これが夢であることを心から畜生めと叫びたい。

 真っ直ぐな告白だ。

 それこそ、俺がガキな頃から胸に抱いていた、嘘も飾りも混ぜない、純粋な……告白。

 正直、嬉しくてたまらない。すぐに俺も、とか返事をしたいのに、心が邪魔をする。

 どうせ勘違いだ、こう言っててもすぐに掌を返す、だの。

 じゃあどうすれば素直になれるのかと考えた。

 ……どうせ夢だから。

 そんな免罪符はあっても、それを理由にしたら、いくら夢の中だろうと由比ヶ浜の気持ちに失礼だと思った。

 俺だって何度も告白して玉砕しているから解る。人を想って告白するのは、並大抵のことじゃない。ましてや由比ヶ浜のは一年以上も温めてきた想いだ。

 俺みたいに、声をかけられて勘違いをしたような、軽い告白なんかじゃない。

 だから嬉しいんだ。だからこんなにも胸に染み入る。

 

「ねぇ、ヒッキー……」

『……おう』

「もしさ、この夢が覚めてさ。それでもこの夢の記憶を覚えてくれてたらさ。……あたしの、居なくならない猫に……なってくれる?」

 

 ……それは。

 今の俺が猫だから言った言葉ではなく───つまり、俺が居なくなれば悲しい、辛いって意味で……。

 

『…………勇気が無くて悪い。……俺で、いいのか? 葉山とかイケメンどもだったら、ここで自信持って返事出来るんだろうけど』

「隼人くんは関係ないよ。あたしが好きなのは、その……ヒ、ヒッキーだし」

『……そか』

「うん、そうだ。……じゃあさ、ヒッキー。ヒッキーが目覚めて、もし記憶がそのままだったら、返事……聞かせて? ヒッキーはあたしにしてほしいこととか、ある?」

『…………その、よ』

「うん」

『……葉山たちに名前で呼ばせるの、やめさせてほしい』

「え?」

『…………~~《カァア……!》』

「え、あ……え? ひっきぃ……?」

『……約束だ。目が覚めても両想いだったら、俺はお前に告白する。だからお前はそうしてくれ。……なんか、嫌なんだよ。葉山どころか戸部までとか』

「……! ……う、うん。……うん! じゃあさ、ヒッキー……!」

『人のこと本気にさせたんだから、責任取れよ……。言っとくが、俺がシスコンやめたら相当面倒だからな。───結衣』

 

 言って、駆けた。恥ずかしすぎて、雪ノ下が戻るのを待ってなどいられなかった。

 鞄もスマホも置いたまま、猫の姿で……俺は由比ヶ浜の前から去ったのだ。

 ……で、だけど。この猫化、寝れば治るのかね。ここから家まで子猫モードで帰るとか、軽く地獄なんだが……?

 それでも帰った。なんとか帰って……部屋のいたるところに“猫”と書いた紙をテープで貼り付けた。なんかもう猫とかそういう次元を超えた器用さだ。

 まあ、テープで何本か毛が抜けたりしたけど。……ハゲないよな?

 鞄もスマホもガッコに置きっぱなし。部屋も紙だらけ。

 さあ、これで寝て目覚めて、全部が夢だったらそれでいい。夢じゃなくてもそれでいい。

 重要なのは俺が覚えていられるか。それだけだ。

 

『ニャー(んじゃ……正夢に期待して)』

 

 おやすみなさい。

 

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