どこにでもあるようなガハマさんとヒッキーのお話   作:凍傷(ぜろくろ)

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壊れない“全部”のカタチ②

「………」

「………」

 

 自販機まで無言。

 なにか話題を、と思えば思うほど上手くいかず、もやもやしたものが胸に溜まっていくのが解る。

 さっきまでドキドキしてたってのに、なんなんだこれ。せっかく二人きりなのに、不快にさせちまうじゃねぇか。

 

「……あ、あー……なぁ、由比ヶ浜」

「え……う、うん、なに? ヒッキー」

「…………」

「…………?」

 

 話題───思い浮かばねぇ!

 なにかないか、なにか。あ、あー……あー…………あー……!!

 ……思い浮かばねぇよ。

 どうする、自虐ネタでも……ああだめだ、由比ヶ浜にそっち系の話はNGだ。つまり修学旅行を思い出させるようなネタもダメ。

 なにか楽しい───俺に楽しい話なんて捻り出せねぇよ。

 ……だめだ、人ってそう簡単に変われねぇ───って、諦めるのはいつもの俺だ。諦めるならダメな自分を諦めるって決めただろうが。

 つまり……つまり。

 

「……今度、ハニトー食いに行くか」

「……! ……ヒッキー……う、うんっ、いつがいいかなっ」

「お、おう。俺はいつでも暇してるから、お前が決め───ああいや、次の休みとか、どうだ?」

 

 もっと自分で決めて、OKなら行ける自分でいこう。なんでもそっちで決めてくれ、はだめだ。晩御飯なにがいい? と訊いてきた小町になんでもいいって言って嫌がられるのを思い出せ。

 

「あ……次の休みは予定があるんだ……」

「そ、そか。んじゃあ……」

「~~……あ、待って、待ってヒッキー! えっと……」

 

 いつがいいか、を頑張って考えていると、由比ヶ浜はケータイを取り出して高速で指を動かす。

 

「《カタタタタタタ……パタン》……はふ」

 

 メールでも送ったのか、はぁあと息を吐いて、にこっと笑って俺を見た。

 

「……う、うん。今度の休みでいいよ、ヒッキー」

「……いいのかよ。予定入ってたんじゃ」

「えへへ、キャンセルしちゃった。あ、でもだいじょぶだからっ、そこまで大切な用事じゃなかったしっ」

「…………」

 

 ……俺を優先してくれた、ってことで……いいんだよな。

 な、なんだこれ、申し訳ないって思ってるのに、それよりも“嬉しい”が勝ちすぎてる。

 

「…………なぁ、由比ヶ浜」

「? なに?」

「少しのんびりして話がしたい。……いいか?」

「え、と……いいけど」

「そっか」

「うん……」

 

 きょとんとしている。まあ、俺も普段こんなこと言わないから、しゃあない。

 むしろ今勇気を振り絞りすぎて心臓バクバクだ。話題なんてないくせに。

 

「………」

「………」

「………ヒッキー?」

「っ《びくっ》」

 

 あ、ああ。話題、話題ね。あー…………だからねぇって。

 ……そこんところも正直に言ってしまったほうが、いっそ楽なんだろうか。

 話題もないのにのんびりとか言ったのか、とか落胆されないか?

 嫌われたくないって思ってるのは確かだ。なにか面白いことを言って、ポイント稼ぎたいとか柄にもなく思っていることも確か。

 ……しかし、二度と同じ徹は踏むまい。俺が面白さを狙ったって、他人のツボを刺激することなんてきっとない。

 だから……無難でいいんだろう。そこんところを、今からじっくり知っていこう。

 

「わ、悪い。あぁ、えっとだな。……すまん」

「……ヒッキー? 今日おかしいよ? どうしたの?」

「……話題がない。そのくせ、話したくてさっきからそわそわしてる」

「《どきっ》……は、話したくて……って?」

「そのまんまの意味だよ……。話題はないのに話したい、とか……な。え、と……あ───話題じゃねぇけど……その、悪かった。材木座の小説読んで、いろいろ思うところがあった。自分ってもんを振り返ってみて、ひでぇことばっか言ってたって自覚した。……ほんと、すまん」

「え、あっ……いいよっ、そんなのっ! それ言ったらあたしだってキモいとか死ねばとか言っちゃったし……! や、やー……なにやってんだろね、あたし……あはは。サブレの恩人に、死ねばとか……」

「いや、それは俺がお前をビッチとか言ったからだろ……すま───……いや。…………本当に、悪かった」

 

 体ごと由比ヶ浜に向き直り、頭を下げる。

 そうしなければいけないって思うくらい、今では悪かったって思ってる。

 不思議と、土下座なんかをするよりも勇気が必要で、侮蔑の目で睨まれる時よりも恐怖した。

 嫌われたくない。それでも、謝らなければ解決しない。許されたって、きっとそれは小骨のように喉に刺さったまま、ずっと気持ち悪さを残すのだろう。

 

「……。う───……えっと。……すぅ……はぁ…………───はい。あたしは、ヒッキ……比企谷くんの謝罪を受け取って、許します」

「───! ……由比ヶ浜……」

「……あたしもさ、あの小説読んで、いろいろ思うところ、あったんだー……。どうすればヒッキーにちゃんと見てもらえるかなって。ビッチって印象、消せるかなって。あたしさ、えへへ……こんなんだからさ。周りに合わせて口調も格好も変えてさ。……中二が書いたあれ、結構辛かったなぁって……」

「…………」

「ヒッキーはさ、あたしがいきなりヒッキー、って言ったから怒ったんだよね?」

「……蔑称かと思った。引き篭もりだの引き篭もり谷だのって言われ続けてたからな」

「うん……ごめん。そうだよね、ヒッキーにとってはあれが初対面みたいなもんだったし。あたしが勝手にいろいろ考えて、想像して、親しくもないのにあだ名みたいに言っちゃったから……」

「いや、お前は悪くねぇだろ。俺が勝手に敵だって認識したから悪かったんだ」

「え、と……うん。ちょっと引っかかるところはあったかなーって、今なら思うよ? ほら、あたしがビッチって言われるなら、影響を与えた優美子が言われないのはどうしてかなー、とかさ。サキサキもさ、夜のバイトとかやってたから、ヒッキーそう言っちゃわないかって、大志くんの相談の時、どきどきしてたし」

 

 脳内にピンクと黒のレースが浮かんだ。死にたい。

 けど、たしかにその通りだ。つくづく、あの頃の自分が嫌になる。

 だから、誤った解をやり直したいと思った。誤解だろうと解は出ている───それは自分の言葉だが、それを撤回してでも変えたいと思った。

 

「由比ヶ浜……ちゃんと、話をしたい。たぶんそれは、全部ぶちまけて“俺が”楽になりたいってエゴなんだと思う。……ひでぇよな、自分は自分勝手に動くくせに、他人のエゴは否定してばっかだ。そのくせ、後になって悔やんで、こうしてぶちぶちと文句を垂れてる」

「……ヒッキー。それはさ、しょうがないことなんだよ。だって、まちがえない、なんて無理だもん。ヒッキーはいろいろ知ってるから、ついあたしも頼っちゃうところもあるけどさ。……やっぱり……さ。言ってくれなきゃ解んないよ。解んないから…………話してほしいな。いっぱい話そ? それでさ、それで《チャララララー》あ……」

 

 ……まるで、いつかの焼き増し。

 言葉の途中で由比ヶ浜のケータイが音楽を奏で、あの夏祭りの帰り道のように言葉を遮る。

 途端、由比ヶ浜が悲しそうな顔で俺を見つめてきて───俺は。

 

「……出るな」

「───!」

「聞かせてくれ。……ちゃんと、聞きたい……って、思う……」

 

 出なくていいのか、と遮ったあの日。過去があるから俺であると胸を張って言える俺は、あの日を今は後悔している。

 あの日、もし全てを聞いていたら、今立っている現在はきっと違っていた。

 とはいえ、あの頃の俺になにが出来たかといえば……きっとろくでもないことだろう。屁理屈をこねて由比ヶ浜を泣かせていたかもしれない。……ヒキタニくんのように、だ。

 

「……《パカンッ、カチッ……》」

 

 由比ヶ浜がケータイを開き、操作して、それをポケットに仕舞った。電源を切ったのだろう。

 

「……うん。あたしも、いっぱい話したい。言いたいこととか、いっぱいあるんだ。だからさ……ヒッキーのこともさ、教えてほしい」

「おう。……つっても、ぼっちな俺が語れる自分なんて、僅かなことだろうけどな」

「それでもいいよ。……それでも、知りたいから」

「……───おし。んじゃあ、っと。ほれ」

 

 自販機でマッカンを買って、一本投げ渡す。

 わたわたと危なげに受け取った由比ヶ浜は、缶の熱さに驚きながら、けれどどこか楽しげにいきなりは反則とか言っている。

 奢りだし金は受け取らんとキッパリ言うと、今度は仕方ないなぁって顔。

 壁に背を預けて息を吐くと、由比ヶ浜も隣へ来て、同じように息を吐いた。

 

「どんな話、しよっか」

「そうだな……こういう時にどんな話すればいいのかも知らないのってまずいか?」

「ううん? なんかヒッキーらしいかも」

「……。おお。……俺らしいって、なんだろな」

「あ、真似すんなし」

「…………ふっ……くくっ」

「あははっ」

 

 くすくすと笑う。笑って、力を抜いた。

 

「そうだねー、ヒッキーらしさは……捻くれてるとことか、素直じゃないとことか、なんでも悪い方向から考えることとか……」

 

 つらつらと例を挙げられてゆく。そのどれもが、好きな人から語られるってだけでゾスゾスザクザシュと胸を抉ってゆく。あ、これ辛い。泣きそ。

 

(…………人間関係、か)

 

 今でこそ思う。

 一ヶ月入院くらいで諦めなけりゃよかったと。

 遅れての登校だろうと、希望を以って挑めばよかった。もっと強くあれたら、友達の一人や二人、明るい自分の一人や二人、できたかもしれんのに。

 希望を以って家を出た筈だったのに。

 

「……でもね。なんだかんだでやさしいところ」

「───……」

 

 けれど。

 そんな捻くれた馬鹿を、一ヶ月遅れでいろいろなものを諦めた馬鹿を、見ていてくれた人が居た。

 最初は罪悪感だったのだろう。それでもきっかけはそこにあって……自惚れじゃなければ……ずっと、見ていてくれた。

 どうすればいいんだろうな。返してやりたいことが多すぎる。ありがとうを言いたい。嬉しかったを言いたい。また明日と言って手を振って、翌日にはまた笑顔で会いたい。

 そんな、友達なら平気で出来ることが、俺には出来ない。

 あの日夢見て、朝早くに出かけた未来は、きっと今のままの自分では、これからもずっと手に入らないものだ。

 でも。じゃあ。今手を伸ばせば、届くだろうか。きっかけだった彼女となら、見ていたい、見ていてほしい彼女となら、そんな未来に手が届くのだろうか。

 伸ばした結果拒絶されたら? 俺が今まで散々とぼかしていた所為で、なにを今さらと言われてしまったら?

 後悔は先に立たない。とはいえ、なにもしなければこんな大事な想いもいつかは消えてしまうのだろう。

 イジメを無視し、相手が飽きるまで平然と過ごしていたあの頃のように、興味というものがそうであるように、いつかは恋心というものも───。

 

(それは───)

 

 それは、嫌だった。好きでいたい。好きでいてもらいたい。

 でも、あんな空虚な思いをするのはもうごめんなんだ。

 今はなんとも思っていない。でも、少なくとも告白する勇気を振り絞ることができるくらい、好ましいと思えた相手が居たんだ。

 そんな思いを言い触らされて、笑われて、どれほど自分の勘違いを恨んだ。

 どれほど自分の心に戒めた。

 だから、だから俺は───!

 

(それでも、俺は……)

 

 ……自分が泣くよりも、こいつが泣く姿を、見たくないから。そう、思えてしまったから。

 ああくそ、お前の所為だぞヒキタニくん。お前が、文字の世界の中とはいえ由比ヶ浜を泣かせるから。現実でなんて、もう二度とごめんだ。

 職場見学のあの涙を思い出せ、あんな顔で泣かせるな。

 傷つけないなんてことは出来ないと平塚先生は言った。

 けど、無意味に傷つけることを避けることは出来るのだ。俺は、それをしようともしなかった。

 今が全てじゃない。これから先、それこそ俺なんかよりも“いい人”は現れるだろう。でも俺は……今しか出来ないことを、精一杯してやりたい。関係が上手くいかなくてもいい、なんて言わない。もちろん上手くいって、俺が幸せに出来たらって今では思える。

 じゃあ今しか出来ないことってなんだ。考えろ。“そういう風にできている世界”に帳尻合わせを期待するのは、とっくの昔に諦めただろう。こんな世界に期待はしない。底辺は底辺でしかないと理解して目を濁らせ腐らせたいつかを思えば、俺はきっと世界ってものに“お前はその程度だ”って認識されちまってるんだろう。

 だったら“その程度”を“今しか出来ないこと”で破壊して笑ってやればいい。

 苦しんだからって本物ってわけじゃない。悲しんだ先に手に入るものは、きっと切ないものばかりだ。ちっぽけなゴミを握らされて“残り物には福がある”と笑われ、誰が喜べる。

 残りモノができるまで我慢をするな。そんな自分はもう捨ててしまえばいい。苦しんだからって本物じゃない、ってあの時に反論したなら、それを証明すればいいだろう。

 

  言ったから解るのは傲慢

 

 自分が言った言葉が喉を塞ぐ。

 言ってしまっていいのか、と疑問が沸くが、じゃあどうやって理解する。

 俺達は何度もまちがっている。そもそも、話し合えばあっさり解決することがどれほどあったか解らないくらいだ。

 伝えることを諦め、“解ってもらえない”ことを信じ、相手の理解力に任せ、ほらみろやっぱりと見下した。

 そんな自分がなにを傲慢だと語るのか。

 言いづらいことを言うのは辛い。自分の中の言葉を伝えるのは難しいことだ。

 それでも、計算、手段、策謀、それらの先に何を見て、俺はこいつに惹かれたのか。それを考えれば、言葉に出すことが怖くても、拒絶されることに怯えても、今まで歩み寄ってくれた分を踏み出す勇気くらい……出せなけりゃあ男じゃないだろ。

 

「……あの日、な」

「ヒッキー?」

「あの日……な。言いたいことなんて、なんにも残ってなかったんだ」

「あの日って……?」

「“本物が欲しい”」

「あ……」

 

 それで解ったんだろう。由比ヶ浜は口に含んだ甘さをこくりと喉を鳴らして飲み込んだ。

 

「あの言葉の意味は、俺にも解らない。ただな……ずっと昔、ガキだった頃から……それだけが欲しくて、それ以外はいらないって思えるくらい、それを望んでた筈なんだ」

「うん……」

「計算だの手段だの策謀だの、難しいことなんて考えなくてもさ、ちいっと手を伸ばせば繋がれたなにかが……欲しかった筈なんだけどな」

「友達、とか?」

「たぶんな、そんな簡単なもんじゃねぇんだ。解り合いたいとか仲良くしたいとか、話し合いたいとか一緒に居たいとか……そういうことじゃないんだ。自分が解ってもらえないなんてこと、ずっとガキの頃に気づいちまってる。だから、欲しかったもののかたちさえ知らないんだろうな」

「ヒッキー……」

「……解りたかったんだ。解らないのは怖いことだから。けど……な。自分を解ってもらえないって解ってるのに、それを他人に願うなんてそれこそひどい願いだろ。そのくせ、“解ろうとしない相手が悪い”って自分のエゴばかりを人に押し付けて、他人のエゴは否定する。矛盾だらけだ」

「………」

 

 由比ヶ浜は黙って耳を傾けてくれている。時々マッカンを手に擦り合わせるようにして、白い息を吐く。

 

「本物が欲しいって言った時……俺はさ、そんなことを考えた。お前が話し合えばって言ってくれた時、もし許されるならって」

「……! ヒッキー……」

「気持ち悪いって思ったよ。そんなことを、理解されないって解ってるくせにそれを願ってる自分が気持ち悪くて仕方がなかった」

「そんなっ……そんなことないよっ! そんなこと……!」

「でも……な。もし……もしお互いがそう思えるなら」

「ヒッキー……?」

「解り合いたいって……知っていたいって、お互いが思えるなら。絶対に無理だって笑われても、それが、手が届かない場所にある夢物語でしかなかったとしても……俺は」

「……あ……」

「酸っぱくてもいい。苦くても、不味くても、毒でしかなくても……手を伸ばせば届く、そんな果実があるなら……」

「……うん───」

 

 願ったものはあった。欲しかったものはあった。

 ガキの頃に諦めた、きっと信じ続けていたかった宝物。

 多くのガキは小さい頃に嘘を知って、それを笑い飛ばせるようになる。

 が、一部のガキは嘘を嘘と受け取らず、その先の“本当”を欲する。

 その先で強く傷ついて、いつしか欺瞞を嫌い、もう傷つきたくないからと“無難な真実”を作り、そこに身体を預ける。

 でも……たとえそうしてしまったガキが居たとしても。

 もう傷つきたくないからと世界の帳尻から目を背けたガキが居たとしても。

 そいつにだって、嘘の先にある“本当”の、さらにその先のものに手を伸ばす権利くらい……あった筈なのだ。

 諦めてしまえば楽だからと。泣かずに済むのが一番楽だからと、世界を濁らせ腐らせたのは誰でもない自分自身だ。

 自分の行動を自分で決めるのは怖い。責任すべてが自分に圧し掛かるからだ。

 けど、そんな恐怖の先に進みたいなら。責任の全てを背負う覚悟があるのなら、手を伸ばす権利くらい……自分で認めてしまえばいい。

 誰も許しはしないなら、自分で自分を許してしまえ。それは全部、お前の責任だから。

 

「俺は……」

 

 俺は……

 

『本物が欲しい』

 

 由比ヶ浜と、俺の声が重なった。

 由比ヶ浜は俺をじいっと見つめ、「そっか、そうだったんだ」と笑う。

 

「ね、ヒッキー。やっぱり話さないとだめだよ。解らないことばっかりだ。そりゃさ、話しても解らないこと……いっぱい、いっぱいあるよ? でもさ、そうすることで……一緒に考えることが出来るからさ」

「由比ヶ浜……けど俺は、」

「ヒッキーはさ、もう踏み出してるんだよ。“お互いが”って思えてるならさ、あとは打ち明けて、一緒に考えればいいんだ。だってさ、ひとりぼっちで考えても、それはずうっと“お互い”にはなれないんだから」

「───!!」

「一緒に考えようよ。……一緒に、考えたいな。あたしは嬉しいよ? ヒッキーのこと、やっと少し解ったかもって思えたから。あ、でもこう言うとヒッキー、“全部解ろうとか解ってもらおうなんて傲慢だ”とか言いそうかも」

「……、あ……」

「えへへー、図星? ───でもさ、ほら。ちゃんと、ちょっとだけど解ったよ?」

 

 言葉を先回りされて言われてしまうと、組み立てていた言葉が頭の中からなくなってしまう。

 用意しておいた言葉を出せずに戸惑っていると、由比ヶ浜は笑みを浮かべたままに“はぁ”と息を吐いてマッカンを飲んだ。

 彼女がその甘さに「うひゃあ」と頬を緩める姿に釣られ、自身の頬も緩んだことに気づき、驚いた。

 それは……俺が踏み出せた証、なんだろうか。

 

「なぁ由比ヶ浜」

「うん」

「水族園で話した依頼、覚えてるよな」

「……うん」

「俺の方で、答えはもう出てる。最初は罪悪感の方が大きかったんだけどな、もう固まった。その上で聞かせてくれ。……三人で、いいのか?」

「ヒッキー……」

「人と人との繋がりの脆さなんて、濁った目で見てりゃ嫌でも気づかされる。腐った目なら余計にだ。それが、誰かが誰かと手を繋いだだけで壊れるもんなら、そもそも葉山も海老名さんも奉仕部に声をかけたりしなかった……今ではそう思う。なまじ絆が強いから、その真剣さが解って崩れるものだってあるって知った」

「………」

「お前は全部が欲しいんだよな。俺も、雪ノ下も。言っちまえば、奉仕部もそうだし、小町や平塚先生も、一色もだろう」

 

 材木座は知らんが。関わったって意味でなら、戸塚も川……川崎、もだろう。

 

「お前は答えだけをしっかり見つめて、そこに向かう努力だけを絶対に怠らない。それはすげぇなって思う」

 

 そう、一人でなにかを続けることはすごいことだ。頼るものもなく、確実といえる答えもない世界で、誰も助言をくれない場所でもがかなければいけない。

 失敗すれば笑われる、なんてものではなく、全て壊れるかもしれない場所でだ。

 ただ……それでも。それでも答えだけをまちがわずにずっと見つめていられるのなら。届きたいと、手を伸ばしたいと、辛くても悲しくても、そう……伸ばした先にあるものが酸っぱいものでも辛いものでも不味いと解りきっているものなんだとしても。

 それが、どうしようもないくらいに自分が欲しい“本物”だというのなら。

 

「お前が好きだ、由比ヶ浜」

「───! …………ヒッキー……で、でもさ、それは……」

 

 あの日、由比ヶ浜は“全部”を願った。全部が欲しいと願った。

 俺も、雪ノ下も欲しいと。奉仕部がそこにあってほしいと。

 俺達が望む本物はきっとバラバラだ。どれだけなぞろうとしても、それは同じ模様にはならないのだ。

 まちがった答えを選べば壊れてしまう。壊れてしまうのは怖いから、だから全部を求める。

 けどだ。じゃあ、どっちか一方を選んだらすべてが壊れるなんて、いったい誰が決めたんだ?

 

「……そうだな。普通に考えりゃ、“今の関係”は軋むんだろうさ。……けどな? 由比ヶ浜。そんなちっぽけな答えを覆すことなんて、誰にでも出来ることなんだよ。だから、お前が全部持ってけ。俺も、雪ノ下も。俺達がどんだけまちがっても、お前だけは答えを見失わず、“真っ直ぐに全部を”見つめててくれ」

「え、え……?」

「“全部”が欲しいんだろ?」

「うん……」

「んじゃ、次は雪ノ下だろ?」

「うん……───え?」

「手に入れちまえ、全部。で、決めたらもう動くぞ。雪ノ下の依頼を解決して、ずっと笑ってりゃいい」

「……できる、かな」

「やってみりゃいい。つか、やらなきゃ解らん。解らんが、やる。やれなきゃ“全部”が全部じゃなくなるだけだ。そんなもんは答えじゃない」

「ヒッキー……」

「平塚先生の受け売りだけどな。……今のお前にとっては、今この時間がすべてって思えてるんだろうな。俺もそうだったし、今でもその気持ちはあまり変わってねぇんだ。本当に可愛くないなって言われた」

「うん、ちょっとずるいかも」

「だな」

 

 らしくもなく“たはっ”と笑い、それでも続ける。

 ああ、なんかいろいろすっきりした。そうだよな、先生。今だ。今この時間が全てじゃないとしても、今頑張らないと手に入れられないものは今頑張らなければ届かない。

 

「でもな、世界が、時間がなんとかしてくれる帳尻合わせなんざ待ってたって、お前が望む全部は手に入らねぇよ。雪ノ下の問題は、そんなに簡単なもんじゃない」

「うん……」

「“考えてもがき苦しみ、あがいて悩め。───そうでなくては、本物じゃない”。……お前はもうそれをして、雪ノ下と俺に伝えてくれただろ。だから、俺は……それが本物だって信じる」

「ヒッキー………………───ヒッキーは、さ。それで……いいの?」

「あぁ、まぁ、その……いいんじゃねぇの? あ、いや、いい、です? いいの、では? ……悪かったな、いいんだよこのやろう」

「な、なんでいきなりキレ気味なの!?」

「うるせ。素直に応援とか誰だよ俺。それでも顔が勝手にニヤケやがるんだからしゃあねぇだろが」

「…………《じー》」

「や、ちょ、見るな、おいっ」

 

 じいっと見てくる由比ヶ浜の視線から逃げるようにそっぽ向く。

 が、感じる視線はちっとも俺から外れない。

 

「……あたし、さ」

「? ……おう」

「欲しいものがあったんだ。ううん、ある。とっても大切でさ、そりゃ、それだけが大切ってわけじゃないけど……たぶんね、それも全部ひっくるめて、とっても大事なもの」

「……おう」

「でもね、現実味もなくて、正解なんて出せなくて、形もないからこれだって説明も出来なくてさ。たまにね、思うんだ。ゆきのんだったらあたしの“かたちにできないもの”を、ちゃんと説明できたりするのかなぁって」

「そりゃ、無理だろ」

「そっかな」

「おう、そうだ。自分の中にある何かを他人の口から説明させても、絶対に同じものにはならねぇよ。限りなく近いなにかにはなっても、どうしても輪郭がぼやける。だってそうだろ? 当の本人にだってかたちの解らないものを、他人にかたちにしてみろって言ったって出来るわけがない。どれを選んでもまちがってるかもしれないって思っちまう」

「……! ~~……う、うん。そう、そうなの。まちがった答えを選んじゃったら、取り返しがつかなくなっちゃうんじゃないかって……」

「でも、もう答えは出したんだろ?」

「うん。そう。出したんだ。どんだけ考えても、悩んでも、どうしてもそれになっちゃうし、それになるまでどんだけ条件を変えても、結局はそれが欲しいって思ったから───あたしは……」

『全部が欲しい』

「……うん。えへへ」

 

 由比ヶ浜と、もう一度声が重なる。

 くすぐったそうに笑う彼女だが、もう冷めてしまったマッカンをちゅ、とすすると、少し寂しそうに笑う。

 

「でもね、きっと“望まれてる答え”とは違うんだ」

「ほーん」

「……ほーんって…………あは、あははっ……もう、ヒッキーは……」

「いいだろ、べつに。誰が望んだ答えかは知らんが、それこそそんな見えないなにかの望みなんて、纏めて“全部”にしちまえばいいだろ。……その場所が居心地良い陽だまりみてぇな場所なら、素直じゃない猫だろうとイタチだろうと逃げたりゃしねぇだろ。魔王はどうか知らんが」

「? 魔王?」

「なんでもねーよ。それよりどうやって雪ノ下を口説くかだな。“雪ノ下”って家よりも由比ヶ浜を優先させるほどにゆるゆりして堕とすとか」

「ゆるゆり? なにそれ……ってかヒッキー!? 口説くってどーゆーこと!? あ、あたしのこと好きって言ったばっかなくせに!」

「そういう意味じゃねぇよ。口説くのは俺じゃなくてお前だ」

「? …………ふえっ!? あ、や、やー……あ、あぅ、えっと…………う、うん。だよねー……知らんぷりは、ずるいもんね。あは、あはは……えと………………うん。───あ、あたしも……ヒッキーのこと、好き、だよ?」

「───…………」

「……《かああっ……》」

「い、や…………その。お……お前が、雪ノ下を、って……意味だったん、だが……」

「!?《ボッ!!》」

 

 あら沸騰。可愛い。とか思ってたら缶を持った手で肩をパンチされる。

 

「先に言ってよ! バカッ! ~~……んっとにもう……!」

 

 そんなやり取りが、いつかの仲直りの日を思い出させた。

 それは由比ヶ浜もだったのだろう。顔を見合わせて、少しだけニヤッとした。

 

「…………あの首輪、まだ使ってるか?」

「…………うん、ありがとね、ヒッキー」

「………」

「………」

 

 お互い、顔を見合わせてくつくつと笑った。

 大声で、ではなく……なんというか、長い付き合いだから出来るみたいな、相手のしょうがない部分を理解出来ている……そんな笑い方だった。

 

「……うん。やっぱり、あたしヒッキーが好きだ」

「……おう。いろいろ悪かった。俺もお前が好きだ」

「でもね、ゆきのんも好き」

「そか。俺は雪ノ下とは友達になりたいな。既に二回断られてるが」

「……えへへ、全部欲しいなら、だよね?」

「まああれだな。雪ノ下母も雪ノ下に“自由に生きなさい”みたいなこと言ってたし、あいつが難しく考えすぎなだけだとは思うんだけどな。それを言質として扱うか、言葉通りに受け取らないかで雪ノ下の依頼の難度は格段に上下するな」

「うーん……ゆきのん、せーこーほー? しか選ばなさそう……」

「手に入れたカードを使うことはしっかりとした正攻法だ。そこんとこをきちんと説明してやれ。俺が言うと反発しそうだし」

「……そっかな。ヒッキーの言葉なら頷きそうだけど」

「マジか。じゃあ友達になってくれって───」

『ごめんなさいそれは無理』

「おい、まだ全部言ってねぇだ───…………おい」

「あ。あー……」

 

 なんですか今の声。

 じろりと睨むと、由比ヶ浜はうろちょろと視線を彷徨わせた。

 彷徨わせて彷徨わせて……行きついた先に、少し息を弾ませた雪ノ下。

 その手には……

 

「お前、電源切ったと思わせといて、通話しっぱなしでポケットに突っ込んでたのか」

「大事な話をするなら、って思って……ごめん」

「……はぁ。まあ、いいけどよ。同じ説明する手間が省けたし。……けどな、まあほれ、あれだ。お前が俺にどんだけ謝っても、俺とお前の告白劇はしっかり聞かれてるってこと、忘れるなよ」

「ふえ? ………………ひぃやあぁああああああああっ!!?」

 

 おい。こいつ忘れてたぞ途中から。

 涙を滲ませながら俺にマッカンを放り、雪ノ下の腕に抱き付く由比ヶ浜に、思わず溜め息。

 

「ゆ、ゆきのん忘れて! ゆきのん!」

「べつにそうしてほしいのならそれで構わないけれど。一色さんと財津くんのことは知らないわ」

「あうっ!? い、いろはちゃんは!?」

「せ~~んぱ~~い……いいんですかー、それで。先輩の本物って、そんな簡単に託せるものだったんですかー?」

「いろはちゃん!?」

 

 由比ヶ浜が雪ノ下に抱き付いているさなか、一色はなぜかぷくっと頬を膨らませながら上目遣いで文句を飛ばしてきていた。なんなのお前。フグの真似? ……言ったら怒られるな、これ。

 

「いいんだよ。俺も、今が居心地良いって気持ちに嘘はねぇし。それに、全部って言ったら全部だろ。答えを持ってるやつが居るなら、ブレないように俺達がしっかりしてりゃいい。俺が俺でいて、お前らがお前らならそうそう変わらんだろ。なぁ雪ノ下。“自分のことは自分で”。当たり前のことだろ?」

「……はぁ。ここであの時の仕返し? 意地が悪いわね、あなたも」

「お互い様だ。……だからその、よ。言葉遊びも出来るわけだし、そろそろ友達───」

「ごめんなさい、それは無理」

「だぁ! いい加減に諦めろよお前も……! 関係が曖昧すぎるだろうが……!」

「ふふふっ……ええ、無理ね。全部整理が出来たら、その時にでももう一度言ってちょうだい。いつになるかは、解らないけれど」

「はぁ……ですねー。でも、全部ってことは捨てるものがあっちゃいけないわけですし……ねー? せ~んぱいっ♪」

「なんだそりゃ……つか近い近い、なんなのお前、寒いんだったら由比ヶ浜みたいに雪ノ下に抱き付いてろよ」

「いいじゃないですか。あ、ところで先輩? 猫は解りました。魔王もまあ、なんとなく。イタチって……もしかして?」

「………嫌なら嫌でべつにいーぞ」

「仕方ないですねー、先輩がそこまで、どうしてもって言うなら───一色いろはっ、結衣先輩の“全部”に入っちゃいますっ♪」

 

 敬礼と同時にウィンク。おおあざといあざとい。

 あと宣言するなら由比ヶ浜に向けてしろ。俺にされたって知らん。

 

「で、具体的にはなにをどうしたら本物に辿り着けるんですかねっ」

「ん? おー、そだなー。………………雪ノ下の成長と自立を願う?」

「なに言ってんですか先輩、雪ノ下先輩にこれ以上どんな成長を望むって───…………あ」

「……一色さん? 今あなた、人のどこを見て、なぜ“あ”なんて言ったのかしら《ニコォオオ……!》」

「ひぃっ!? いやばばばべべべちゅ、べつになんでも、ないれひゅっ!」

 

 お、や、ちょっ、こらっ、人を盾にすんなっ、壁はいつだって俺の味方なんだから、わざわざ俺と壁の間に挟まってまで押すなっ!

 壁はすごいんだぞ、なんかもう壁さんって呼びたくなるくらいぼっちの味方なんだ。俺のテニスの相手もしてくれるし、疲れたら背もたれになってくれるし、苛立ちを受け止めてくれる相手にもなってくれる。

 ……あれ? なんかすごい虚しい。

 

「……比企谷くん」

「おう」

「あなたはもう、決めたのね?」

「ああ。お前ももう、決めちまえ。難しいことだろうとなんだろうと、雪ノ下さんがなんて言おうと、決めるのは、決めていいのは自分だって思い込んじまえ。自信が持てねぇなら俺の所為にしたってべつにいいだろ。そうやって、まずは歩いてみりゃいい。……俺もたぶん、こじらせていたなにかを憧れに引っ張ってもらった部分もあるからな」

 

 勝手に憧れて勝手に失望したいつかを思い出す。

 ……やっぱり、知らず変わってるもんなんだ。俺も、お前も。

 けど、しゃーないだろ。延々とぼっちを名乗るには、俺達の周りには“いい人”が多すぎた。

 

「憧れ……そう。そうね。……比企谷くん、由比ヶ浜さん」

「お」

「うんっゆきのんっ!」

「いえ……まだなにも言っていないのだけれど……」

「いや……俺も“おう”の“お”しか言えてないんだが……」

 

 どんだけ期待してたのお前。散歩待ってた犬みたいに、リード手に取った途端にひゃんひゃん言うんじゃありません。あ、それ預かってた頃のサブレだわ。

 

「………」

 

 早いもんだなって思った。同時に、短いとも思うのに……大切なものは増えていた。

 自分の世界なんて、自分と小町だけだと思っていたいつかが懐かしい。

 それでも変わるきっかけを求めてこの高校を目指して……一年で期待しない自分を作り上げて、二年でこいつらに会って……こんな感情を抱けるまでの付き合いになって。

 関係なんて薄っぺらいほうが楽だってスタンスは今もきっと変わらない。

 ただ、こんな奇妙な人間関係でも、大切に思えるくらいには自分は変わったのだ。

 もうまちがえない、今度からは必ずなんて言葉は意地でも吐かない。まちがえても必ずじゃなくても進めた先にこんな関係があったなら、俺はいつかの自分のように、ここまで歩いた過去を肯定したい。

 

「とりあえず、まずは雪ノ下さんを味方につけるか」

「姉さんを? 無理じゃないかしら」

「基本あの人はなにもしないくせに、人の壁になることは“あんたいつから居たの”ってくらいいつの間にか居て、的確にしてくるから、この話を知らないにしても話は通しておいたほうがいいだろ」

「……はぁ。面倒な姉でごめんなさい」

「でもヒッキー、味方になんて出来るのかな」

「正直に全部ぶちまければいいだろ。それ以外なんにも出来ん。考える基本なんか早々変わらないだろうしな」

「変わんないって?」

「俺達がどれだけ、なにをしたって、雪ノ下さんにとっては茶番劇にしか見えないってことだ。ガキが青臭い青春やってるなーって、その程度だろ」

「うわー……はるさん先輩ってそんなにすごい人だったんですか……」

「すごいっつか……強烈?」

「よく解らないけどすごい合ってる気がします……」

 

 あの人は揺れないしブレない。

 俺達が何を言ったところで自分を変えないし、説得は出来ないだろう。

 ただ、説得は出来なくても敵にさえしなければいい。俺達が変わらず“面白い存在”であるなら、あの人は潰しにはこないだろう。

 

  雪乃ちゃんはまた選ばれないんだね

 

 ……あの言葉がどう転ぶかは気にしない。

 俺はもう選んだ。選んだなら……ブレるのは違うだろ。

 

「ん……そろそろ完全下校時刻だな。んじゃ、積もる話はまた今度だな。いい加減寒くて風邪引くわ」

「そうね。今日はここまでに───」

「ゆきのん! 遊び行っていいっ!?」

「い、いえ、由比ヶ浜さ───」

「あ、じゃあ今日はゆきのんがあたしの家に来るとか!」

「……話を聞きなさい」

「あのー……もしかして先輩も行くんですか?」

「行くわけねぇだろ……家帰って小町と話して風呂入って寝るわ」

「でた、シスコン」

「うっせ。着ていく服とか考えねぇとだろうが……」

「あぅ…………そ、そっか……えへへ、そっかー……」

「……もはや隠しもしないのね」

「あ? なにを」

 

 ……? なんかいきなり隠すがどうとか言われたから訊ね返してみると、深く深く溜め息を吐かれた。

 え? ……もしかして声に出てた?

 

「なんだか私、比企谷くんに大事な話をすることが怖くなってきたわ」

「わたしもです……結衣先輩、ほんとに先輩でいいんですか? な、なんでしたらそのー……」

「うん。あたしさ、なにがダメとかアレがいいとかじゃなくてさ、ヒッキーだから好きなんだ。だから……だめ。ヒッキーじゃなきゃやだ」

「…………。先輩の幸せもの。エセぼっち。すけこまし」

「いつ誰が誰をコマシたんだよ……」

「こほん。では私も。……ばか、ボケナス、八幡」

「だから八幡は悪口じゃ───……なにお前、それ気に入ったの?」

 

 訊いてみれば、雪ノ下は楽しそうにくすくすと笑った。

 ……ほれ、笑える今なんて、案外転がってるもんだ。

 だから、まあ。今しかない、今しかできない、今しか起こらないなにかを掻き集めて、青春ってものを楽しもう。

 今は───

 

「あ、先輩のことよりもほら、あれですよ。歌、考えてください」

「いやいいだろそれもうさっきので。俺もうその夢捨てるから、永遠の匿名ソングとして一色が発表してくれ」

「いやですよあんな歌ー!」

「おい、あんな歌呼ばわりだけはやめろ。あんなんでも一応考えて作ったんだぞ、3分くらい」

「3分ぽっちなんだ!? さ……あれ? ねぇゆきのん? 歌考えるのに、3分って長いの?」

「圧倒的に短いわね。作詞作曲家の人に謝りなさいと言えるほどに」

「お前3分ナメんなよ。3分ありゃアニメだってドラマだってピンチから逆転出来るだろうが。考える時間として十分すぎるじゃねぇか。チキンラーメン鍋で煮てみようと思って、つい3分やったら鍋の場合は1分でよかったことに後になって気づいたとか絶対俺だけじゃねぇだろ」

「なんか関係ない喩え出てきた!? てかヒッキー! ちゃんとご飯食べないとダメ!」

「いや、ただの小話であって、べつに本当に食べてるわけじゃねーっての……なにその心配の仕方。お前は俺のかーちゃんかよ」

「かっ!? な、なに言ってんのヒッキー! か、かーさんだなんて……」

「あー、居ますよねー、奥さんのことかーさんとか言う夫」

「落ち着きなさい由比ヶ浜さん。彼はかーちゃんと言ったのよ」

「あのー、そろそろ我も会話に混ざっていいかなー……」

「いや、もういいだろ……収拾つかなくなるからもう帰らない……?」

「……言う割りに、ヒッキー楽しそうじゃん」

「お……───、……ま、そうだな」

「あれ? 八幡? ちょ……八幡!? はちまーーーん!?」

 

 今は……ああ。今は、それでいい。

 今は今しか出来ないことを、片っ端から、だ。そんで全部やって、今出来ることが終わったら、こうして揃って息を吐こう。

 それからでいいだろ、他のなにかを探すのは。

 そういうもんで、いいんだと思う。


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