どこにでもあるようなガハマさんとヒッキーのお話   作:凍傷(ぜろくろ)

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ぬるま湯に到るまで②

 

 さて。一色、結衣、グラ……雪ノ下とコスプレを披露したところで、フフンと鼻を鳴らした海老名さんがビシッと構えを取って次を発表。……次? 次って誰?

 

「はい、では妙にウケも取れたことで、今回の破壊力筆頭! トドメにこれを用意したのにはワケがあるっ! 線の細さと髪の色を利用しての愛あるメイク&コォス!! 秋津洲ちゃんの登場だー!」

 

 え? 秋津洲? ……頭の中で秋津洲の声を響かせてみても、知っている女性と一致しない。

 その間にもどうしてか期待は高まるわけだが……引き戸は開かなかった。

 

「あれ? …………あ、ちょっとごめんね?」

 

 海老名さん、シビレを切らして引き戸の先へ。

 そこで待っているらしい人とわあわあ騒ぎ、ついには腕を引っ張ってやってきた。

 

「…………ほらっ、いいからくるっ! コスに身を包みながら見られたくないなんて、愛を持つ者としては捨ておけないのっ!」

「やぁっ、やめて海老名さんっ! おかしいよこんなのっ! やだっ! 八幡にこんなの見られたくないっ!」

「ぐ腐ぁっ!?《ぶしっ!》~~……くぅう、なんて破壊力なのこの可愛さ……! これはもうヒキタニくんの前に差し出して、女性コスのとつはちを……! さ、さぁあ! 勇気を出して出てみよう!」

「《ぐいっ!》わああっ!」

「───……」

 

 ……。引っ張られて、全身が見えたその人。

 視界に入った天使は天使だった。意味解らんが、天使だったのだ。

 

「……あ、は、はち……~~~《かぁあああっ!!》み、見ないで! 見ないでぇええっ!」

 

 言葉は羽黒なのに、なにこれ、まじ秋津洲。

 え? え? なにこれどうなってんの? ハマりすぎてて怖いんですけど。 

 

「わ……わああ……! さいちゃん綺麗……!」

「───はぽっ!? お、お……おおお……! そうであった、あれは戸塚氏……! そ、そうだ、うろたえるんじゃあない我……! 我は剣豪将軍……! あのような、ただ衣装に着られただけの素人に惑わされるなど、いくら相手が戸塚氏とはいえ……! ああっ、ああでもっ……! 心が、心が敗北を……!」

 

 まあ、解るぞ材木座。ありゃ反則だ。なにあれまじエンジェル。

 でもやめたげて? そりゃ戸塚と女子なんだから別々に着替えて待機してたのは解るけど、みんなが見惚れる中で雪ノ下が肩を落としてずぅううん……って落ち込んでるから。

 

『あの……海老名さん? 私、これ……着替えたいのだけれど』

「あ、じゃあこの衣装でお願いしたいんだけど、いい?」

『? あの赤いのと白いのが混ざっ』

「気にしちゃだめ」

『いえ、けれど』

「気にしちゃだめ」

『あ』

「気にしちゃだめ」

『え、ええ……解ったわ』

 

 戸惑う鉄仮面に、真顔の海老名さん。シュールである。

 ていうかそれ以前になんでそんな衣装用意したんだよ。なに? 実は平塚先生にも話を通して会ったとか? あったか。こんな堂々と部室を私物化して使えるくらいだし、イベントのために使いたいとか言ったんだろ。

 で、しなくてもいい説明を雪ノ下がした所為で、平塚先生が“グラーフといえば!”とかノリノリで。

 ……なんで先生がグラーフの衣装を持ってたかとかそんなの知らん。きっと知り合いにそういう人が居たのよきっと。

 まあそんなこんなでしばらくして萩風になってきた雪ノ下が戻ってくると、場は安定の盛り上がりを迎えた。

 え? 俺? ……抱き付いてきている結衣をずーっと抱き締めたままだが?

 いいじゃねぇかよ、ほらあれ、あれだし。俺抱き付かれた被害者だし? さういふ正当な条件といふものがあるのなら、よいのではないでしゃうか。よーし落ち着け俺、クールだ、クールになるんだ。

 

「あー……ところで、よ。仮装したのは、まあいい。大変目の保養……もとい、《ぎううう》いたいいたい、やめろこら脇腹抓るな」

「知んないっ! ヒッキーの浮気者っ!」

「ちょっと待て、なんでそこで浮気者なんて言葉が出るんだよ。いつもと違う婚約者を見て癒されるのが浮気っ……あ」

「…………ヒッキー?」

「ひやっ……こほん、いや、なんでもねぇし」

「え、と……ヒッキー、抓っちゃってごめんね……? もっかい、もっかい言ってくれるかな」

「いや俺なんも言ってねぇから言ってくれもなにも」

「ヒッキー……だめ?」

「だっ……だからお前は……あのな、俺がお前に“だめ?”とか言われりゃなんでも言うこと聞くと思ったら大間違いでだな……。俺だっていつもこう、婚約者に甘いわけじゃなくてだな……!」

「《なでなでさらさら》……う、うん……あの、あのあのひっきぃ……?《かぁあ……!》」

 

 それにしても抱き心地最高。撫でる髪もさらさらで、手櫛とかしてもなんか俺の手の方が浄化される勢いっつーの?

 天使だな、もう天使だ。

 

「めちゃくちゃ甘やかしてますね……」

「あれで甘くないつもりなんでしょうね、あのゾンビにしてみれば」

 

 おいちょっと? せめて谷はつけましょう? ストレートにゾンビ言わないでくれる?

 いや、そりゃあちょいと頭撫でたり髪を手櫛で梳かしたりしましたけど? こんなの普通ですよ? 普通。甘くない甘くない。ほらアレだし、小町にもしてたし。千葉の兄妹がやるんだったらこんなの普通で平凡で通常な愛情表現だろ。

 まあ、ともかくだ。俺だって夢を持った婚約者だ。相手を甘やかすだけの男になるつもりなど毛頭ないわけだ。

 だからつまりその……なに?

 

「……《ぽしょり》その、あ、あー、うん。可愛いと、思う、ぞ。いつもと違う格好も、悪くない、と思う」

「あ……ひっきぃい……!《ぱあああっ》」

「で、でも、だな、やっぱりお前にはさ、コスプレとかより、自分で選んだ服の方が似合ってるっつーか……なんか、目を惹くっつーか……」

「《とくんっ……》あ……え、うそ、ほんと……?」

「へ? あ、お、おう……そう、だが」

 

 嘘はないよな。おお、似合ってるし。

 なんでか嬉しいって感じるし、目も惹き付けられる。

 それを褒めると結衣は赤くなって、軽く握った手を頬に当てて、ほにゃあと頬を緩めた。

 

「あ、あのね、あたしね? いっつも、ヒッキーに似合ってるって言ってほしくて……だから、どんな服ならヒッキー、喜んでくれるかなって……見蕩れてくれたら嬉しいなぁって……」

「………」

 

 ……とくんと。胸が高鳴った。

 なんだろうな、この感覚。初めてじゃないけど、ひたすらに大事にしたいって気持ちが沸きだしてくる感覚。

 

「結衣……」

「ヒッキー……」

「いっつも、気が利かなくて悪い……。少し付き合いが慣れたくらいで、気づけば“言わなくてもいい”みたいな気持ちになっちまってたみたいだ……その……その、な。今までのデートの時も、違う服、違う髪型をしてくるたびに、あ、あの、な、にぁっ……似合って、る……って、思ってた……! ほんと、すまん……ちゃんと言えてりゃよかったな……。そんなの、俺に度胸があれば言えてたのにな……」

「ううん、いいんだよヒッキー……。そりゃ、言ってほしい時に言ってもらえないのは寂しいなって思うけど───」

「───!」

 

 寂しい、と。胸に届いた少女の本音に、胸が痛んだ。

 ああやっぱりだ、俺は知らずに彼女を傷つけていた。

 そうしないようにって、こんな俺を好きで居てくれた人のために、頑張っていたつもりなのに、気づけば結衣のやさしさや尽くそうとしてくれる心に寄りかかりすぎていた。

 そんなのはダメだ。ちっとも支え合えていないし、理解するってことを結衣に押し付けすぎている。

 

「でもね? ヒッキーが───《ぎゅぅっ……》わひゃっ……ヒ、ヒッキー?」

「……~~……」

 

 自分のいたらなさを改めて認識し、受け取ると、不思議と一番最初に沸いたのは“好き”。

 迷惑ばかりかけてごめんとかそういうものではなく、自分が愛されているという事実がなによりも速く胸の奥に届いたからか、我慢出来ずに抱き締めていた。

 どこかで聞いた気がする。

 女性は、顔立ちがいいだけの人よりも、気持ちを打ち明け、届け続けてくれる人の方が好きで居続けられるって。

 俺はどうだろうかと考えて、即座に鼻で笑えてしまうような自身の捻くれ具合に呆れが走った。

 こんなんじゃだめになる。

 今が全てじゃない。だが今できることをと選んで進んだこの道だ。その出来ることを、自分の捻くれと計算式だけで解決するのはもうやめた筈だ。

 躊躇は要らない。望んでいることを、望まれていることを、他人には出来なくてもせめて結衣にだけは届けられるように。

 今までの俺なら、絶対に結衣の言葉に自分の中の計算を優先させた言葉を返していただろう。

 けど、俺はもうこいつが選んだ本物を信じたから、そんな“正しいだけ”の頭でっかちなものなんて必要じゃない。

 いつかのあの日まで“そんなものは要らない”とつっぱねてきたものを、今は必死に掻き集めよう。それらは全部、結衣が俺達を思って差し出してきてくれたものだから。

 

「……あの。なんかあの二人、すっかり二人の世界作っちゃってるんですけど」

「いつものことよ。それより一色さん、着替えたのはいいけれど、これでどうハロウィンの良さを伝えるというのかしら」

「え? えーと……お菓子をねだるって年齢じゃないですよね、わたしたち……」

「うーん、もうただのコスプレパーティでいいんじゃないかなぁ。ほら、ユイもノリノリみたいだし」

「ノリノリどころかあのー……人目を憚らずキスしちゃってるんですけど……」

「その……婚約者であるのなら、それくらい当然なのかもしれないけれど……はぁ。時間と場所を弁えてほしいものね……」

「ぷふっ! くっふふふふ……! 言われちゃってるよ、ユイ……! 金剛なのに、金剛なのに……!」

「くっ……! 知り合いがリア充にクラスチェンジした件について……! おのれ八幡っ……羨ましくなんかっ……羨ましくなんかないんだからねっ!?《ポッ》」

「わああ……よかったね、八幡。本当に、よかったねっ」

「……素直に祝える知人が居ると、我ってほんとちっぽけね……。というかそのー……と、戸塚氏? しゃ、しゃしっ、写真一枚、いいであろうかっ!?」

「やめて!? 絶対やだからね!? ぼぼ僕だって怒るんだよっ!?」

「あふんっ《ポッ》」

 

 いろいろと聞こえてはいるものの、ツッコむとこっちが恥ずかしい集中攻撃を受けるのでツッコまない。

 ていうかコスプレした婚約者にキスって、めちゃくちゃ恥ずかしいです。しかも人前で。特に材木座の前で。戸塚の前だとなんでかそわそわする。悪いことしてるわけじゃないのに。なんでだろうね?

 

「その……よ。これからは……ちゃんと言えるように、努力するから。いや、絶対に言うから。いちいち言葉に詰まって面倒なやつかもしれねぇけど……その、待っててくれるか……?」

「えへへ、うん。大丈夫だよ、ヒッキー。ヒッキーがちゃんと受け止めてくれるなら、あたしのこと考えて、あたしの言葉をちゃんと受け取って、話し合ってくれるなら、喧嘩したって仲直り出来るし、楽しいことは一緒に分け合っていけるよ」

「ぁ……ぅ……~~……ほんと、なんでお前は……!」

「? ヒッキー?」

 

 結衣にしてみれば当然のことを言っただけなのだろう。

 でも、それは俺にとっては当然じゃなくて、歩いて来た道を振り返ればずうっと欲しくて仕方がなかった言葉だった筈で。

 こんなやつが子供頃から、ずっと傍に居てくれたなら、と思わずにはいられない。

 ……だってのに、居たとして、泣かせてばかりだったんじゃないかって自分の最低さを再認識する材料になっちまう。つくづく、俺ってやつは。

 しかし、もはや哀しむまい、だ。

 計算し尽くして残ったものが人の……俺の気持ちだと言うのなら。

 俺はもう散々自分の未来を想像して、どうすればいいのかを計算して、そこに結衣を当て嵌め、不幸にしないための努力も加え、ひたすらに考えつくした。

 つくづく自分の斜に構えた思考が邪魔をしたが、もうそんなものは置き去りにしてもいいのだ。持っていきはしない。けれど否定だけは絶対にしてやらずに。

 過去に散々なことがあった。嫌なことも、悲しいことも、辛いことも散々。

 黒歴史を挙げればきりがない。けど、けどだ。

 

(………)

 

 ふと、ある言葉が頭の中に浮かんできた。

 

  かつてキラキラ輝いていたものが

  今や永遠に失くなってしまったとしても

  たとえそれが還らなくても

  あの草原の輝きや草花の栄光が還らなくても嘆くのはよそう

  残されたものの中に力を見出すのだ

 

 世界の汚さを知ったいつかを思えば、それまでの日々はきっと煌いていた。

 もはや永久に戻ってはこない、未知であったが故に輝いて見えた世界は帰ってこない。

 でも……もう、それを悲しむ必要なんてないのだ。

 今には今の輝きがあることを教えてくれた人が居る。

 世界は腐っていると認識しても、そこに残されて生きている俺達の中に───あの日までは確かに輝いていたと思える思い出の中に、これからを信じていける力は……まだまだある筈なのだから。

 

(ワーズワースか……)

 

 小さく感謝を。

 心から感謝するには気恥ずかしくて、そんなんだから結衣にも素直になれないんだろうがと苦笑する。

 だから、まあ。とあるドラマでとある先生が道を示してくれたように、俺も一人の先生が示してくれた“大切なもの”を、何度でも計算し尽くしていこうと誓った。

 今さらか、なんて過去の自分が鼻で笑う姿が脳裏に浮かぶ。

 けど───そうだな。

 

  ……それが何だというのだ。

  かつてあんなにも煌いていたものが、今や私の目の前から永久に消え去ったからといって。

  草原の輝きと、花々の誇らしさ───そんな日々は還ってきはしない。

  だが、私たちはもう悲しむまい。

  残されたものの中にこそ。

  幼い日の思い出の中にこそ。

  見い出すのだ。

  ───力を。

 

 計算が苦手なガキが居た。

 自分を識ることばかりに夢中で、得意なことは人間観察。

 人の行動は理解出来るのに、人の感情は解らないまま、大切な人ばかりを傷つけてきた孤独なガキ。

 計算し尽くせと言われて、してみるのだけれど上手くはいかず、結局必要な言葉を伝えられないまま、本物が欲しいとだけしか伝えられず、泣いた子供。

 そんな言葉を拾ってくれる人なんて普通は居ない。

 居るとするならそれはよほどの馬鹿か───……そんなガキとの短い付き合いを大切に思っていてくれた、不思議な連中で。

 だからこそ、その孤独なガキは。

 

(そうだな……なにかに抗うことを諦めてりゃ、そりゃあそんなところに“力”なんて見い出せないよな)

 

 なにがなんでも諦める方向を選んだ。

 そのくせ、自分の意見は通したくて、それは違うという言葉に自分の頭の中を基準にした考えばかりを押し付けていた。

 とんだ勘違い野郎だ。自分の言葉に責任さえ持てていなかった。

 大志に諦めることの素晴らしさを説いたことを思えば、顔を覆って溜め息くらい吐きたくなる。

 それでも……間に合わせることは出来たのだろう。

 なにを諦めても、こんな絆を諦めなかったからこそ……今を見い出せたのだと。

 それが遅かったのか早かったのか、まだまだガキな自分が答えを出すには早い気がした。

 だから、これからもっと知っていこう。

 傍に居てくれる“本物”を何度も何度も計算して、残った自分をぶつけ合い、解り合い続けて、大切に育んでいこう。

 そこに、ガキの頃に憧れた嘘の先の本当の先のなにか。

 ……本物があると思うから。

 

「これじゃキリがないし、そろそろ纏めよっか。えーと……じゃあハロウィンはただの仮装イベントってことでいいのかな?」

「一部の頭でっかちな人達から反感食いますよ!」

「では参加は自由というかたちにしましょう。より愛くるしい姿になれた人が最優秀ということで───」

「美的センスはそれぞれだろ。どうやって優劣決めるんだよ」

「あなたの歌の時のように、また投票で決めればいいのではないかしら」

「……相当ダメージでけぇぞ? お前、選ばれた時に晒し者になる覚悟は出来てるか? 俺の時はまだ顔出しとか名前バレはしない方向だったからいいが、仮装を評価するってことは人前に出るってことだぞ?」

「一色さん、この企画は無しにしましょう」

「雪ノ下先輩!?」

「ゆきのん!?」

「お前優勝する気満々だったのかよ……」

「そうね。比企谷くんに出来て私に出来ないわけが……と思ったのだけれど、考えてもみれば目立つことで私にいいことがある、ということには絶対にならないと判断したわ」

「あー……ゆきのんならなんか呼び出されて告白とかされそうだよねー」

「あら。それは由比ヶ浜さんの方が多いのではないかしら。私と違って話しかけやすいでしょうし」

「え? なんで? ……えと、ほら。あたし、ヒッキーのお嫁さんだよ? ないってばないないっ、あはは」

『………』

「? え? え? こ、婚約者に告白する人なんて、居ないよね?《なでなでなでなで》ひゃっ!? わっ!? ちょ、なんで撫でるの!? やめてよゆきのん! いろはちゃんも! ヒ、ヒッキーとめっ……ってなんでヒッキーまで!?」

 

 賑やかな日々は続いてゆく。

 これからまだまだくだらないことに苦笑し、くだらない出来事で慌て、つまらないことで喧嘩することもあるのだろう。

 そんなことが起こっても───今度は“全員”で計算しよう。

 本物は俺一人のものじゃないのだから、それを俺だけで計算するのは不可能だ。

 そしてそれは、俺だけじゃどう足掻いたって計算し尽くせないものだから。

 知る努力を続けよう。

 傍に居る努力をしていこう。

 心を打ち明けることを続けていこう。

 んで……おう。愛し続けていこう。何度も何度も、感謝を贈れる自分のままで。

 出会ってくれてありがとう。好きになってくれてありがとう。

 いつか、ちゃんと口で届けられるようになるから、それまでは待っていてくれ。

 いやその、近日中には必ず。

 ……締まらねぇな、ほんと。

 

  仕方なく苦笑をこぼすと、なにかいいことあった? と問われた。

 

 ありすぎて困るまであると返すと、今度は嬉しいような困ったような、むず痒い顔。

 どうしたんだ、と訊こうとする俺に、彼女は両手を伸ばし、そっと俺の頬を包む。

 そして俺の目を真っ直ぐにじーっと見つめると、言うのだ。

 「勘違いだったら恥ずかしいけど……た、試しだかんね?」と。

 なんのこっちゃと首を傾げるのが合図になったかのように、結衣は背伸びをして俺へとキスをした。

 驚きに固まるも、視界と思考、届く香りまでもが彼女で満たされると、自然と目を閉じその感覚に身を委ねた。

 しばらくして彼女は離れ、赤い顔のままに俺の目を覗き込む。

 出てきた言葉は「……わああ……!」なんていう嬉しそうな声。

 

「? 由比ヶ浜さ───」

「どうしたんですか結衣せんぱ───」

「えっと、由比ヶ浜さん? 八幡がどうかしたの───か、な……」

「……ぬおっ!? 貴様何奴!? いつの間に我が相棒と入れ替わった!」

「? おい、お前らなんの話して───」

「え、ちょ、なんですかこれどうなってんですかどんな魔法使ったらこうなるんですか幸せならそれでいいんですかよく解らないですごめんなさい!」

「ちょっと待てなんで今俺振られた!?」

「あ、あなた……本当に比企谷くん……!? まさか、こんな……!」

「わああ……! すごい! どうしてなのかわからないけど、八幡すごく格好いいよっ!」

「お、おう戸塚、そう言ってくれるのはありがたいが、なんでいきなり?」

 

 いやあのちょっと待ちなさい? なにそっちだけで解り合ってるの?

 俺なにひとつ解らないんですけど? 俺当事者ですよね? なんなのこの疎外感。

 結衣に訊いてみたくても、なんでかぎゅーって抱き付いてきてて、話すどころじゃないし。

 

「ね、ねぇねぇ、ヒッキーっ、今さ、今……どんな感じっ?」

「すまん、理解したいんだが質問の意図が全く読めん」

「えとさ、えっと……ほら、こう……しあわせー、とか、うれしいー、とか」

「そうだな。とりあえず困惑してる」

「そ、そうじゃなくってさ、ほら、えーと……うー…………あ、じゃあ困惑する前とかっ」

「………」

「……ヒッキー。教えて?」

「~~……」

 

 早くも言った言葉を後悔しそうになったが、もはや悲しむまいだ。

 

「……その。ありがとう、と……幸せだ、って……あと、その。これからもよろしく、とか……あと、は……~~」

「ヒッキー」

「………」

 

 呼ばれて、くしゃりと頭と髪を撫でる。

 大丈夫だ、ちゃんと伝えるから。いっそ恋愛馬鹿になっちまえばいい。

 今まで見ないフリをしてきた世界を見るために自分を変えたいなら、きっと馬鹿になるのが一番早い。

 ただ馬鹿なだけの馬鹿になるんじゃない。

 自分のために動こうと、結果的に人の幸せを願えるような馬鹿に……俺は。

 

「その……な。“これから”が……楽しみだって思えたんだ。こんな世界なら自分も腐らずに居られるんじゃないかって。始まる前から諦める必要なんかないんじゃないかって。だから───」

 

 だから、幸せだと。お前らと会えて良かったと。

 そう伝えると、結衣はぐっと息を飲んで……そのあと、ぽろりと涙をこぼして、俺の胸に顔を埋めた。

 どうしたんだ、なんて訊こうとするより早く、どうしたらいいのか解らず、雪ノ下や一色に助けを求めて視線を投げてしまう。

 けど、どうしたことか雪ノ下も一色も顔を背け、小さく肩を震わせていた。

 おい、なにもこんな時に笑うことねぇだろう、と思ったんだが……そんな考えは、真っ直ぐに俺を見つめ、涙を浮かべている戸塚の顔を見て吹き飛んだ。

 そんな戸塚が言ってくれる。本当によかったねと。

 

「………」

 

 ……そうだな。

 俺なんかにはもったいないくらいの温かい世界だ。

 でも、もうそれをもったいない、なんて言っちゃいけないことくらい、頭でっかちな俺にだって解る。

 かけがえのないものは持たないようにしようとした自分は、そんな俺を見て“どうしてお前は俺なのに”と声を漏らす。

 その問いに、俺はどう答えるべきかを考えて……考え尽くす前に、あっさりと出てしまった答えを、今は差し出した。

 幸せでいいって思えた。

 幸せを受け入れていいんだって思えた。

 俺も、幸せになっていいんだって……ようやく解った。

 だから……今は。

 

(歩んだ青春がどんだけまちがっていようが、選んだ道が正しいって信じてる)

 

 そんな答えで納得してもらって、その上で歩いていく。

 さて、やることは山積みだ。

 今まで散々とのびのびしてきたんだ。そろそろ本気、出してみよう。

 

「結衣」

「ぐすっ……ぅ、ぅん……ひっきぃ……」

「好きだ。ずっと傍に居てほしい」

「───…………~~~……ふ、ぅぅ……ぃぅ……っ……ぁぁぁぁあん……!! ぅぁああああん……!!」

「───へ? あ、いやちょっ……なななんでだよっ! 泣くところかここっ!」

 

 本気を出した一歩目で婚約者を泣かせてしまった。

 え、えー……まじか、どうすりゃいいの、これ。

 物語の中だと嬉し涙とかよくあるけど、なんつーか……えーと。無粋だけど思うくらいなら許してくれ。

 金剛泣かせちゃったよ俺。

 いやいや真面目で行け、俺。でも思っちゃったことは確かなわけでして。

 なんでこんな、これからのことを決める告白の場で相手が金剛なのか。

 

「……一色。ハロウィンやめにしない……?」

「えぇっ!? なななんでですかー!」

「海老名さん……材木座……解ってくれるよな……?」

「あーうん、これはいくらなんでも。外側から見ると、もうほんと金剛泣かせた不倫男って感じだしね」

「八幡よ……とりあえず今お主が金剛は俺の嫁とか言ったら刺す自信があるぞ、我」

「とりあえずでそこまで行くのかよ」

 

 まあ、いろいろな意見はあれど、とりあえずどんな格好をしようが結衣は結衣だ。

 だだ大丈夫、相手は金剛じゃないよ?

 ほら、もうなんていうかさ、ウィッグ取ってさ、元の髪にしちゃえば問題ないだろ。

 はい、パチンパチンと…………あれ? 無理にウィッグつけてたのか、なんか髪がハネて……やだ、比叡だこれ。

 しかもそもそもの性格までもが案外比叡っぽくて……やだやめて、シリアス空間が逃げてゆく。

 はぁ、ほんと……締まらん。

 

   ×   ×   ×

 

 ふーん。で?

 なんて言葉に、意識が今に戻ってくる。

 

「ふーんもなにも。その帰り道、着替えたあとにきちんと告白し直したぞ?」

「なんかいろいろ台無しだったんだね」

「いいんだよ。それからはきちんと“伝え合うこと”を行動の基準に埋め込むことに成功したんだから」

 

 喫茶店の暇な時間。

 ピークも過ぎ、結衣も奉仕部という名の休憩室に引っ込み、売り上げなどの計算をしている中で、俺と絆はカウンターを挟んで話し合っていた。

 

「それから卒業まで、卒業しても今みたいにラブラブなの?」

「おう。言っておくが結衣への愛情を語らせて俺の右に出る奴は居ないぞ」

「あーうん、おじいちゃん泣かされてたもんね。ほんとパパ、どんだけママのこと好きなの」

「子供だったお前が恥ずかしいからやめてーって言う程度ならまだ序の口だ」

「それ、娘に言っちゃうのってどうなの……? まあパパのそういう堂々としたところ嫌いじゃないけどたまに恥ずかしいからやめてくださいごめんなさい」

「だから一色の真似はやめろっつーのに……」

「わたしにはママが三人居るからいいのです。髪の毛は雪乃ママ、顔立ちとかはママで、性格とかはまあその、いろはママって感じで。でもあの“わたし可愛いっ☆”アピールだけは真似できません恥ずかしいです」

「冷静に考えられる頭持ってるくせに、アレを真似ようだなんて出来るわけないだろうが。あれはちょっとばかし一歩先ゆく頭の持ち主じゃなきゃムリだ。自分の可愛さに絶対の自信を持ってるって意味でな」

「うーん……わたし、可愛い?」

「あー、世界で二、三番目に可愛いよ」

「うわー、一番が訊かなくても解るってのがもう……。まあ二か三のどっちかなら、そのどっちかが美鳩ってことくらいはわかりますけど。今頃なにやってるでしょうねあの双子の妹は。……あのですね? パパ。普通さ、男親って娘が産まれたら鬼可愛がりするもんじゃないですかねー。そこのところ、どうなのかしら、比企谷くん」

「お前も比企谷だろーが。髪撫でる仕草から完璧トレースして言うんじゃねぇよ。生憎俺は相手が娘だろうとまずは警戒する。愛情はたっぷり注ぐが、注いだ分だけ娘が父親を好きになるなんてまやかしだ。ソースは俺の親父」

 

 あと小町な。

 普通に親父、家じゃ立場なかったし。

 

「むー……わたしはこんなにもパパが好きなのに」

「将来パパと結婚するなんて言う娘なんてのは、ちっとすりゃすぐに赤い顔してクソガキャ連れて好いた惚れたほざくもんなんだよ。その場限りの限定的な愛情なら、そんなものはいらん」

「……ママ、よくこれを落とせましたね現実を前にしても信じられませんごめんなさい」

「おいやめろ。実の父親にこれとか言うんじゃありません」

「だからわたしの名前にはパパの名前が混ざっていないのかしら」

「雪ノ下口調でパパ言うのもやめろ。……子供に俺の名前なんて混ぜたらいいイジメの的だろうが。誰がそんな重荷になるかっての。お前は結衣の名前から取って、手を取り合って結ばれた衣、って意味で絆なんだ。これ以上の名前があるもんかよ」

「むー……八と結で“やゆい”とかでもよかったのに」

「どっちにしろ無理があんだろ」

「うー……でも、でもー……は、はち……えっと、やわた、とも読めるから、えーとえーと……“八衣”で“やころ”とか……いっそパパだけからとって……あ。八だからアハトで、アハト衣……なんかあざといみたいになった!?」

「お前、頭悪くないのにたまに天然で馬鹿だよな」

「誰が馬鹿だ!?」

 

 そうその反応、まるっきり結衣だ。

 

「あーほれ、客来たぞ。笑顔で迎えてやれー」

「ううー、もう! パパもちゃんと考えてよー!? じゃないと今夜お風呂に突撃しちゃうから!」

「お前どんだけ俺のこと好きなの……16にもなってやめなさい、恥ずかしい」

「親子だからだいじょぶ! あ、いらっしゃいませー! 喫茶ぬるま湯へよーこそー! もははははは! 我こそがこの喫茶店の看板娘ぇ! 比企谷絆であぁるぅうう!!」

 

 とりあえず材木座は殴ろうと思った。

 ま、でも……いいんじゃないのかね、幸せが続いているなら。

 まったく、あの頃に比べりゃ世界が眩しいったらない。

 濁った世界も腐った世界ももう早々見ることはないんだろう。

 未来に期待を持ったあの日から今まで、もう自分の目指す先は希望だらけだ。

 だから、諦めることなんてなにもない。

 そんなものでいいのだろう。

 

「パパー! ブルマいっちょー!」

「その略し方やめなさい! ブルーマウンテンでしょブルーマウンテン!」

「えー!? だってお客様が是非その呼び方でってー!」

「てめぇどこのどいつだっててめぇか材木座ぁあああああっ!!」

「ちょ、ちょっとした幸せ者へのやっかみであろう!? ちょっとくらいいいではないかーーーっ!!」

 

 こんな賑やかさが続いてくれるのなら。


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