どこにでもあるようなガハマさんとヒッキーのお話 作:凍傷(ぜろくろ)
オリキャラとして八幡と結衣の娘が登場します。
それに合わせ、いきなり出てこられちゃ心の準備が……ということもあると思うので、先に3章である“少年だった僕らが描く、17歳の俺達へ”内の“そこにある青春のかたち”を読むことをオススメします。
◆比企谷絆───ひきがやきずな
ヒッキーと結衣の娘。
双子の妹が居て、美鳩(みはと)という。現在コーヒーを学びにはるのんと外国に行っているため、ここには居ない。
髪を染めるとパパにビッチって言われるんだよと結衣に言われて育ったため、髪を染めるという行為に恐怖を覚えている。
大体の動物は好き。でも犬と猫は次元が違うレベルで好き。
16になっても一緒に風呂に入れるほどのファザコン。
頭は悪くないのに天然馬鹿。
◆特徴
髪型:ゆきのん
顔やスタイル:ガハマさん
口調:いろはす+小町チック。
趣味:物真似、カラオケ、アニメ、漫画、ゲーム、裁縫、料理、人間観察、テニス
好きなタイプ:養ってあげたくなるような人、むしろパパ。
夢:過去にタイムスリップ出来るならパパと出会ってプロポーズして添い遂げる勇気まである。
夕方の喫茶店というのは案外静かなものだ。
学生時代にバイトしていた喫茶店も、心地良い音楽とコーヒーの香りだけで、随分と心が落ち着いたものである。
時折来る、店に入るとギャン泣きする子供には勘弁してくれお客様と思ったものだが。
ああいう時は一旦外に出るなりして泣き止ましてから戻ってくるものじゃないの? とか思っていたいつかを、まあ俺が体験する時が来るとは思ってもみなかった。
いや、案外すぐ泣き止んだんだけど。どこまで俺のこと好きなの、こいつ。
と、過去を思いつつ、陽も傾いた時間。
自分たちの店である喫茶店でのんびりとミルをゴリゴリ回していると、
「もー、いーくつねーるーとー♪ や~ぁっはーろーおー♪」
娘である絆がニコニコ笑顔で掃除を始めた。
モップ掛けである。
「お正月には~やっはろぉー♪ こーまを回してやっはろぉー♪ は~~~や~くぅ言~い~た~い~やぁ~~~っはぁ~ろ~お~~っ♪」
歌で解る通り、とも言えないが、本日12月31日。
どうせ夜は蕎麦屋などに客は取られるだろうからとすぐに閉めようと思っていたのだが、予約があったので開けないわけにはいかなかった。
それで今。予約の客も捌け、あとは来るかも解らない客を待つか、さっさと片付けてしまうかなんだが。
ていうかなんなのそのやっはろー地獄。なんでそんなにやっはろーしたいの。
「パパ! わたしすごいこと思いつきました!」
そして唐突にこちらを見ると、ほわーと明るい笑顔でなにかしらを思いつく。まあ、いつものことである。
「この歌を歌わせれば、いっつも“眠りなさい”とか“眠ろうかしら”とか言ってる雪乃ママに“寝ると”と言わせることが出来ます!」
「……“寝る”はべつに“眠る”の荒っぽい使い方とかそういう意味じゃねぇよ」
「解ってるよもうパパってば。屁理屈ばっかり。わたしはただ、雪乃ママに寝ると言わせたいだけで」
「だったら煮っ転がしの話でもしてやれ。何故か“ねっころがし”と似ているとか言い出すから」
「まじですか! やってきます! パパ提督、一等兵の無事を願ってください!」
「おう、冷蔵庫のプリンは拾ってやる」
「そこは骨を拾ってくださいよ! でもでもいぇっさー! いってまいります!」
一色式ウィンク付き敬礼をしたのち、絆が奥へと走っていった。
……しばらくして、走ったことを怒られた絆が戻ってきた。
「フフフ……ねっころがし、いただきました!《ニヤリ》」
「お前、めげねぇなぁ……」
「それにしても暇ね、比企谷くん。誰も居ないのならいっそ、わたしを可愛がってくれないかしら」
「唐突に雪ノ下の真似はやめろ、妙に似てるくせに視覚的な違和感がすごくて怖い」
「視覚的? んー……まだ完璧じゃないってこと?」
「完璧にせんでいい。じゃなくて」
「? ……あ、やんっ、パパどこ見てるのっ?」
「おかしな声出すな殺されるだろうが主に社会的に」
「親子だからだいじょぶ!」
「……風呂に突撃してくるくせに、服越しに見られるのは嫌とか、女って解らん……」
「え? ほら。そこは乙女なハート的な。女の子は複雑なのです。ていうかパパもさ、そろそろママと一緒にお風呂入るのよそうよ……」
もじもじしながら言われる。
ああ、まあ、あんまり親がそういう感じなのは、子供にとっては嬉しく───
「なんなら代わりにわたしが!《くわっ!》」
「マジな顔してやめなさいほんと」
娘相手に欲情なぞしないし、そもそも結衣以外相手にトキメいたりとかしない。
いえ? 確かに? こいつには一度キュンとさせられたことはあったが、あれはほらアレだよアレ。子供を愛でる親的な。
絆自身も冗談だったのか、たははと笑ってモップ掛けに戻る。
結衣と雪ノ下と一色が考案した喫茶店の制服を揺らしながら、にっこり笑顔で。
うん、ロングスカートはやはり安心する。装飾もうるさくない造りだし、喫茶店はやはり清潔感あってこそだと思うのだ。そして静か。いいことだ。
「あ、そういえばパパー」
「ん? どしたー?」
「最近やたらと葉山さんの視線が気になるんだけどー……わたし、もしかしてなにかやらかしたかな」
「……学生時代が懐かしいだけだろ。まあ、解る。お前、結衣と雪ノ下と一色と小町を混ぜたような感じだし」
「ふふーん、劣化版はるのんとはわたしのことっ《キリッ》」
「自分を劣化版とか言うなっつの」
「はーい。あ。あとなんか“隼人くんと呼んでみてくれないか”とか言われたから、嫌です怖いですキモいです読み方変えてハサンとか呼びたくなるほどサッバーハですあとキモいですごめんなさいって言っておいた」
「葉山……」
「あの、なんてーんでしょうね。たまに見せる貼り付けたみたいな笑顔がほんとサッバーハじゃないですかー。そう思いません? せんぱい」
「だから一色の真似はやめろ、ていうか今ミル回してるから抱きつくな。あとなんでお前fateネタ知ってるの」
「マスターフェンサー的なジェネラルさんが」
「普通に剣豪将軍って言えよ……」
まあそんなとこだろうとは思ったが。
「……はぁ。で? 葉山は?」
「“雪乃ちゃんの仕草でいろはの言葉と結衣のキモいか……ほんと、まいったなぁ”って言ったから、ママを名前で呼んでいいのはパパだけですなんですか馴れ馴れしい上にキモいですごめんなさい、って言ったら落ち込んでた。あ、もちろんパパの知人をヘコませるのは絆的にポイント低いので、ちゃんとケアもバッチリです《ムンッ》。……きちんとその後、一回だけですからねって言って名前呼びしたよ?」
「お前なぁ、そういう“一回だけだから”が相手を調子に乗らすんだぞ?」
「だいじょーぶだよぉパパ。えへへぇ、心配してくれるのは嬉しいけど。ほんとだいじょぶ、呼んだっていってもほら、こう……“っべー! 隼人くん、マジっべーわー!”って感じだから。言ったら笑い出したよ? お腹抱えて苦しがるくらい」
「お前さ、どんだけ知り合い多いの……」
「全部パパの知り合いだけどね。あ、ほらほらお客きたよお客さん! 追い返していい!?」
「いやなんでだよ。暖かく迎えてやれよ」
「えー? だって先輩との語らいの時間がなくなっちゃうじゃないですかー」
「だからやめろというのに……ほれ、笑顔笑顔」
「……《ニタリ》」
「そこで俺の真似までするなよ……」
にこっと笑って戻ってゆく絆を見送る。
で、またやらかすわけだ、あの娘は。
「ぶるぁあああぉおぅうっ!! よぉくぞ来た勇者よぉぅ! ここが魔王城としてなんかご近所さんでも有名っぽーいぃ、喫茶ぬるま湯であぁるぅ! ここに来たのは貴様がえーとえーと……何人目だっけパパー!」
「解らないなら言うなよ……」
「まあいいや、ご注文は?」
「うん、スマイルひとつ」
「そう。出口はそこよ、回れ右して帰りなさい《にこり》」
「は、はは……相変わらず俺には手厳しいなぁ、絆ちゃん」
ちらりと見れば、入ってきたのは葉山だった。応戦するのはもちろん、雪ノ下の真似をした絆だ。
「葉山、娘をからかうのはやめろ。つかなにしに来たんだよ」
「陽乃さんから頼まれて、差し入れだよ。ついでにコーヒーでも、ってね」
「そか。生憎スマイルってコーヒーはないな」
「そーですそんなのありません。あ、ちなみに右以外は許しませんよ? 回れ左して帰ったら塩撒きますからね! れっぷーけーん!」
「落ち着け。あとSUMOUネタはやめろ。ほら、こっちこいこっち」
「はっぽぉん……呼ばれてくるこの絆と思うたか!《くわっ》……《とてとて》」
「来てるじゃねぇかよおい」
「絆はパパの言うことならなんでも聞く良い子さんですから。そしたらパパも躾の行き届いた娘さんで羨ましいわぁ、とか言われるのですよ。パパ、褒められる。絆、嬉しい。あ、今の絆的に鼻が高い」
「そこはポイントにしとけ。ほれ、いーから雪ノ下呼んでこい。雪ノ下さん絡みはあいつの仕事だ」
「いぇっさー!《とたたたた……!》」
一色式敬礼ウィンクをしてから元気に走ってゆく絆を見送り、俺は俺でコーヒーを用意。
仕込んでおいたダッチコーヒーがいい具合だからそれを注いで葉山に出す。
「ダッチか。……いい香りだ」
「バイト時代の店長が好きだった。一度味わったら“負けた”って思ったな」
「専用器具とか無いと出来ないんじゃなかったか?」
「店を開店した時にな、独立記念にってその店長に一個譲ってもらったんだ。数少ない俺の宝だよ」
人に認められて、信頼があったから貰えた、本当に数少ない宝だ。
貰って、戸惑ってる時に肩を叩かれ、“頑張ってな、お前なら出来るから”って言われた時、自然と泣いちまったからな。
不思議と思い出しても恥ずかしいとは思わない。
あれは自分が認められて、応援される価値があるのだと理解できた瞬間だ。それを恥だって受け取ったら、店長にもあの涙にも失礼だ。
「ふぅ……美味かった。ありがとうな」
「おう。で? 最近うちの娘のことをジロジロと見ているそうだが」
「昔が懐かしくなった。これだけで解ってもらえると思う」
「……ま、そうだろうな。あいつほんと、雪ノ下と一色の血も引いてるんじゃないかってくらい似てるとこあるし。いろんなやつの真似をするから、あの頃が懐かしくなる」
「あの頃に大切にしてたものが、全部そこにある、みたいな錯覚を感じるんだ。まるで宝箱だよ、彼女は」
そこは宝石箱にしとけ、とは言わない。宝石箱ってガラじゃないもんなぁあいつ。
「……海老名さんのは真似しなくてよかったって心から思うがな」
「……同感だ」
二人、視線を交わして笑った。
そうしてから、今度は普通にブラックとMAXを小さなカップに用意して、MAXを葉山に。
「俺は君が嫌いだ」
「こっちの台詞だ、馬鹿野郎」
俺が嫌いだを謳い、葉山がこっちの台詞だを謳う。
やがてカップを軽くぶつけてから、熱さも気にせず一気に煽る。
「うげ、苦ぇ……」
「うぐっ……甘い……!」
それぞれ本音を口にしてから軽く拳をぶつけ合わせた。
───“嫌い”を飲み込む。
言葉遊びみたいなもんだが、こいつとの付き合いも随分長い。
“雪ノ下”の世話になるってことで、ほぼ強制っぽくこいつが仲介みたいなものになったんだが……ああいや、雪ノ下家とのって意味じゃなくて、雪ノ下さんとの、って意味な。
その時にもこれをやった。
というより、一年に一回は必ずやる。
俺達は友達にはならない。ただ、いつまでも自分たちらしくあるために、こんな儀式めいたものを続けていた。
馴れ合うつもりもなく、けれど突き放すわけでもない。
嫌いと言い合えるくせにニヤッと笑い合える程度の仲。それが、俺達だった。
「あの娘は人の真似が上手いな」
「人間観察が得意だからな。俺が遊びで雪ノ下の真似をしたら、えらく気に入ったみたいだ」
「それでか。似すぎて結構ドキドキさせられるよ」
「惚れるなとは言わないが、お前が義理の息子とか勘弁してくれよ?」
「冗談でもやめてくれ。というか、もしそうなったとして、君は賛成なのか?」
「あいつが幸せになれるなら構わねぇよ。あいつの人生だ、放任はしないが、あくまで幸せを願うだけで、俺からなにかをってのはないな」
「……シスコンだったキミからは考えられない意見だな」
「俺は親父がアレだったからな。娘にべったりの父親ってのがどれだけ鬱陶しいのか理解してるんだよ。おまけに俺は自分自身がキモいってことも、もう散々周囲から言われて理解してる。だから、そんな俺を真っ直ぐに好きになってくれた結衣を愛し続けるし、傍に居てくれるやつらには信頼を以って応える。それ以外はわりとどうでもいい」
人間ってざっくり言っちまえばそんなもんだろ。そんなもんだよな?
口には出さないが、構われたかった時期に構われないガキの心情ってのも解るつもりだし。今の俺の立ち位置からすると、結衣がそれだ。
俺が子供に付きっ切りになれば結衣はぽつんと一人になる。俺の親は小町を愛したが、俺はどうだって思い返せばそれほどでもない。
だから、というだけじゃないが、俺は結衣に構い続ける。
夫婦の営み? 健在です。
時間をかけて愛し合うのが好きな結衣と、ゆっくりと溶け合う時間は俺にとっての最高の癒しと言える。
人と愛し合う時はね、誰にも邪魔されず自由で……なんというか救われてなくちゃだめなんだ。
二人で静かで豊かで……。
「どうでもいい、か。まったく。学生のうちに婚約しておいて、どっちがリア充なんだか」
「そりゃお前だろ。確かに俺は、今でこそこうして満たされてるけどな。学生時代が充実してたかっつったらそれは違うって答えるぞ」
「贅沢だな」
「そんな台詞は付き合ってるだけで“あんな底辺が”だの“趣味が悪いな”とか言われた俺と結衣の身になってみてから言え」
「……。そうだな、すまない」
「まあ、気にせず付き合ったがな。結衣が覚悟を以って“気にしない”って言ったなら、信じられなけりゃ隣に立つ資格すらないだろ」
「婚約までしておいて裏切られたら、どうするつもりだった?」
「二度と誰も信じねぇよ。誰もだ。家族だって信じねぇ。家族になりましょうって約束をしたヤツに裏切られるなら、そんな世界は信じる価値もねぇだろ」
まあ世の中には婚約しておいて何股もした女が居るそうだが。
やだ、女って怖い。
「そうか。……きみは本当に極端だな。信じたら裏切られたくないから、全力で信じる方向に走る。嘘でもいい、裏切られてもいいとは思わないのか?」
「“嘘でもいい”か。結衣に一度言われたことがあるよ。“正しすぎる世界よりも、優しい嘘が欲しい時がある”って。学生の頃……あー、奉仕部でいた頃のことな。いろんな依頼があって、俺達奉仕部の関係も随分と揺れに揺れただろ」
「……すまない」
「謝罪とかはもういい。というか、むしろ話の腰折りにしかならないからもう謝るな」
「そ、そんな理由でか……」
「あの頃な、俺は本物ってものを求めてたんだ。それこそ、まちがわないようにって計算をして、計算し続けて、答えを探した。そうして出した答えを提示すれば、それは絶対に間違いじゃないに違いない、なんて思ったこともあった。実際、まちがいだったことは滅多になかったからな」
「……だが、それはちょっと違うだろう」
「ああそうだ。“正解”だけで固めた世界なんてつまらないもんだよ。安定と安寧はあっても、そこにはなんの刺激もない。そんな世界が嫌だから、つまらないから人は解っててもまちがいを選ぶんだろうなって思った。……ほれ、おかわり」
「悪い」
話の途中でコーヒーを淹れる。
もちろん話に付き合わせている礼だ。
「結衣はさ、嘘でもいいから俺達三人が一緒の世界を望んでた。結果として今はあるが、当時は怖くて仕方がなかったらしい」
「それは、解るよ。俺もそうだった」
「……実際は、意味として大分違うんだけどな」
「意味?」
「……いや、なんでもねぇよ」
言葉を濁して苦笑する。
と、そこに丁度絆が戻ってきて、俺の腕に抱き付いてきた。
そして極上のスマイルで俺を見上げ、言うのだ。
「パッパぁ~ん♪ わたしぃ、ヴィトンのバッグよりもパパの愛情が欲しいぃ~ん♪」
……猫なで声で相当あざとさが漂っている筈なのに、真面目にやってる所為でわざとらしさがてんでないから困る。
「そういう口調でパパって呼ぶんじゃありません」
「一度腕に抱き付いてパパにおねだりとかやってみたかったんですよ。バッグなんて飾りです。偉い人にはそれが解らんのですよ。ものを入れられて軽くて持ち運びに苦労しないなにかであれば、あんな高いだけのものよりもパパの愛情を選ぶのです。この絆一等兵は」
「絆ちゃんはブランドものとかは嫌いかい?」
「一瞬の贅沢よりも長い平穏です。この比企谷絆が妻になったならば、見栄っ張りな贅沢こそさせませんけど、ささやかだけど精一杯の愛情で日々を過ごしてもらう努力をする所存! 尽くしてみせます旦那さま! でも家でじっとしてる趣味はないので働きまくって、家に帰ったら旦那さまが料理を作って待っててくれるーとか、そんなの憧れちゃいます。どこかに専業主夫志望で絆にやさしいポイント高い人とか居ませんかね……」
「………」
「………」
俺と葉山、顔を見合わせて……笑った。
「え? え? な、なんで笑うの!? 人の夢を笑うなんてひどいです!」
「ご、ごめんね絆ちゃんっ……ぷふっ、けど───」
「笑った時点で重罪です重いですひどいですあんまりです非道です外道です! むしろ軽蔑します! ていうか軽蔑するし悲しみます! そして軽蔑します! 軽蔑です!」
「……比企谷。なんか物凄い勢いで俺だけ軽蔑されてるんだが……」
「ネタだから気にするな。ほれ、機嫌直せって」
「いやです。一等兵はご立腹です。この怒りはしばらく燃え盛り、天まで煙を届けて雨が降って地が固まるまで治まることを知ら《ぎゅうっ》ふあぁっ……!?」
そっぽ向きつつぶちぶちこぼす娘を正面から抱き締めてやると、怒気混じりの声がぽしゅーと抜ける。
で、背中と頭を撫でると残った怒気も抜けて、俺の背に腕を回し、ぎうーと抱き付く娘の完成。
その状態のまま俺を見上げる顔は、すっかり上機嫌で目がきらきら輝いていた。
「えへへー♪《にこー》」
にこーと笑う顔は学生時代の結衣のまんま。
いやまあ、お義母さんと同じく、結衣もてんで歳とったって外見してないんだけどな……。
どうなってんの、由比ヶ浜家の女性の外見年齢って。
ああ娘が可愛い。なのにそっぽ向いてぶちぶちこぼすところなんて、なんで俺に似たのか。
「治まることを知らない怒りはどうした?」
「わたしは過去の自分を否定しないとともに、今の自分を優先するのです。機嫌がいいのに怒るとか阿呆です。───なので比企谷くん。より深い触れ合いを所望するわ。頭を撫でなさい」
「───!《きゅん》」
「おい葉山。落ち着け。今のお前、形容しがたい表情になってるから」
「あ、ああ…………はぁ。きみ……いや、お前が羨ましいよ、比企谷。俺は結局選べなかったからこんな自分に辿り着いた。選ばないことを選んだ先がこれなら、俺はもっと踏み込むべきだったんだろうな」
「べつに。その時にこの道を後悔しないって決めたんなら、その時のお前がまちがってた、なんて誰も言わねーよ。その時になにも言わなかった周囲だって、それで納得したってことなんだから。あとになってからそのことで糾弾する方がまちがってるしアホらしい。後悔先立たず? 歩いた先でちっとも振り返らないし悔やまない世界ほど胡散臭い道なんてねぇだろ。すべてが最善だって胸を張れる選択なんざねーよ。大体、」
「それでも」
「………」
「……それでも。俺はその時の精一杯の最善を選びたいって思ってた。選ばないことが最善だって思ってたんだ」
「…………はぁ。そーだな。けど、それはお前にとっての最善であって、周囲の……特に三浦にとっての最善じゃあなかっただろ。恋する高校生乙女の青春を台無しにしやがって……とはキッパリ言えないな。俺もきっかけが無けりゃ、高い確率でまた泣かせてた」
「数えられるほど泣かせてるのか。言えた義理じゃないが、ひどいやつだな」
「お前、やいばのブーメラン投げるの好きだな。いいんだよ、気づけてからはむしろ俺があいつにべったりだったんだから」
「そうだな。いつも顔真っ赤にして“見すぎだ”って困っていたよ」
「お、おう」
思い出すほど恥ずかしい。恥とは言わないが、くすぐったいというか。
あれだよほら、幸せだったんだよ。あいつのお陰でいい青春時代を歩けた。
「パパはほんと、ママのことが好きだね」
「おう、当たり前だ。気づけば目で追ってるし、客がじろじろ見てたらその目を体術奥義サミングで潰したくなるほどだ」
「客相手に物騒だな……ていうかなんで俺を見ながら言うんだ」
「パパ、同感です。一等兵といたしましてもあまりジロジロ見られるのは本意ではありませぬ」
「はは……似た者親子だな」
「自慢の娘だな。たまに天然で馬鹿だが、だからこそだ」
「むうっ……馬鹿っていうほうが馬鹿だもん。こう見えてこの一等兵は国際教養科筆頭で生徒会長さんで学校のアイドルさんで」
「全部蹴っただろうが」
「うん。だってめんどいもん」
一色と同じように生徒会長に推薦されたが蹴った。国際教養科に入れる実力もあるのに蹴った。アイドル的存在になれるかもって感じでも蹴った。
どうしてだと訊いたら、“わたしの青春は喫茶店とパパとママたちの傍で完結してるんだよ!”なんてイイ笑顔で言いやがったのだ。
あ? 友達? 普通に居るぞ? ちょくちょくコーヒー飲みに来てる。
家に友達が来るだなんて、ぼっちだった俺とは大違いね。
「こういうところはつくづく比企谷の娘だって感じるな」
「馬鹿いえ、結衣だって興味があること以外は相当ドライだったぞ」
「パパに夢中の時のママってすごいもんね~っ♪ 周りの音とかぜ~んぶ聞こえないし……って、ありゃ? 雪乃ママ遅いね。ちゃんと呼んだんだけど」
「ん……なにやってた? 一色の手伝いか?」
「うん。パンさんパンを作ろうって躍起になってたよ?」
「あー……」
「はは……それは……うん」
それ絶対に呼ばれたことに気づいてねぇよ。
雪ノ下こそ、パンさんとか猫のことになると周囲が見えなくなるし。
「というか、パンも焼いてるのか」
「どうせならって一色がな。んで、絆にねだられた材木座がとあるアニメの円盤持ってきて、こいつがティッピーパンにやられた」
「名づけて“積雪象る半球の猫パン”! 略して“かまくら”」
「……比企谷が飼っていたっていう猫か」
「まあ今も居ますけど。何代目か。小町お姉ちゃんが頑なに“かまくらはカーくんだけだから”ってつけさせてくれなかったから、名前は違うけど」
「へえ……名前は?」
「カクタス・マルゲリタ・クジャッハスタ・ランバート」
「カマクラじゃないか!」
「おおっ、一発で解るとは! もちろん小町お姉ちゃんにも却下されたから、普通の名前になったんですよ」
「……まあ、長いしね。それで? 名前は?」
「ヒキタニくん」
「え?」
「ヒキタニくん」
「………」
葉山が額に手を当てて“あちゃー”って感じで天を仰いだ。
まあ、解る。
俺も材木座の小説の所為でヒキタニくん嫌いになってたからやめてほしかったんだが、悲しいことにヒキタニくんなんだよ、うちの猫。ちなみに“くん”まで入って正式名称な。くん呼びするならヒキタニくんくんだ。
「とりあえずだ。この件に関して、あのテニスの時から俺をヒキタニ呼ばわりした戸部とお前は絶対に許さないリストに名前入りしている」
「そっ、その時点で訂正とかしてくれたらよかっただろうっ!?」
「黙れ笑顔がステキな色男。人の名前をよく知りもしないで、明らかにうろ覚えですって戸部の呼び方を素直に受け取りやがって。どうせリア充軍団と俺なんぞが交わることなんざそうそう無いんだ、むしろ当時の俺からしてみればあの一瞬だけであってほしかったくらいだよ。それがなんだ、平穏に暮らそうとしてみれば雪ノ下の幼馴染で結衣と同じグループで、しかも俺と同じクラスとくる。奉仕部の扉叩いた回数ってお前以上は居なかったんじゃねーの?」
「ぐっ……え、抉ってくるな……! いや、あの頃は本当にすまなかったと思ってる」
「そうです反省してください。わたしがヒキタニくんの名前の真実を知った時、どれだけザイモクザン先生が苦しんだと思ってるんですか」
「ザイ……?」
「材木座のペンネーム。ザイモクザン・テルヨシで小説書いてんだよ。で、絆は比企谷から取ってヒキタニってつけたんだが、俺にも結衣にも嫌がられるからって情報収集に出たのな。で、学生時代に材木座が書いた小説があって───」
「ママから内容を聞いた時、かつてない怒りがこの一等兵を燃え上がらせたのです。もうアレです。一等兵容赦せんって感じです。なのでいろいろ危ないモノを混ぜたMAXコーヒーをサービスですと言って出して、悶絶してもらいました」
「……ええと。ざ、ザイモクザキくんは、なんて?」
「小説の主人公の名前がヒキタニくんでな。結衣が髪の毛を黒に戻して告白するって話だったんだが、返事が告白の返事どころか……《ぽしょり》───で、《ぽしょぽしょ》……ってな」
「ああ……それは、また……。納得した。ひどく」
「すごかったぞ、その時の材木座。ハイポーションをストローで飲んだ某・馬ヅラのお方みたいに“ンブゥウフェエェッ!?”って吐き出して、咳き込んで、悶絶して、少しして痙攣してこぽこぽと謎の汁を吐き出しながら気絶したからな」
「それ普通に病院直行レベルだろう……」
「いや、そのあとすぐに起き上がったから問題ない。コーヒーなのに炭酸が混じってたりジョロキアエキス配合だったりタバスコ入りだったり、まあいろいろ刺激的に危なかっただけだから。ああ、あと糖分的にも」
「セットとしていろはママが焼いてくれたバスターワッフルも付けました。最強《むんっ》」
「いや、最強じゃなくて」
何故かコロンビアポージングを取る絆に、葉山が素直にツッコんだ。
「バスターワッフルっていうのは? 名前からして強力そうだけど」
「練乳蜂蜜ワッフルだ。青春って意味で輝いた季節に登場した極甘のワッフルな。一色が甘さの限界に挑戦してみたいってんで提案してみたら、強烈すぎた。あれは俺でもキツい」
「MAXコーヒー好きの比企谷でもか……!?」
「ていうかだな。MAXコーヒーってそんな騒ぐほど甘いか? 飲みやすくていい味って程度だろ」
「まったくだよねパパ。あの味が解らないなんて……葉山くん? あなたそれでも男なのかしら」
「! い、いや。俺も男だ。男……男だ! 比企谷! そのバスターワッフルとMAXコーヒーをセットで頼む!」
「おう。8分で食えたら賞金な。挑戦したのはお前が二人目だ」
「挑戦イベントがあるくらい強烈なのか!?」
「ちなみに注文してからやっぱりやめる宣言したら永遠のヘタレ野郎として写真と名前がお店に飾られます」
「な、なんて地味な嫌がらせだ……!」
「んじゃ注文飛ばすな。《カチッ》一色~、バスターセットいっちょー」
内線スイッチを切り替えて一色に連絡。
俺は俺でMAXコーヒーをバスターモードに変えるべく、テキパキと行動。
コーヒーの味を守りつつ、香り豊かに甘さ最強。
しばらくすると内線連絡が来たので絆が奥へ引っ込み、出来立てバスターを持って登場……って甘っ! 香りだけでもう甘い!
「~~っ……すごい香りだな……!」
「にひひ~っ♪ これに塩をちび~っとだけかけて、バスターMAXコーヒーを横に置いたらハイ完成! 準備が出来たら言ってくださいね、時間計りますから」
「…………《ゴ、ゴクッ》」
湯気とともに溢れ出る甘すぎる香りに、なんか葉山がくらくらしてる。
しかし食べねばお店きってのヘタレ。しかも初の挑戦者はリタイアしたとはいえ食べたのでヘタレではなかった。
つまり今断れば初のヘタレ。ぬるま湯界の筆頭ヘタレ男として、店を畳むまで一生十字架を背負って生きていくのだ。
「……よし。いただきます!」
「すたーとぉっ!《ピロリンッ♪》」
絆がスマフォのタイマー機能をONに。
葉山が早速バスターワッフルをザクッと噛むが
「ぐぉおおおっひゅあああああああああっ!?」
叫んだ。
叫んで、悶絶。
あーほら、なんかあるだろ、甘いのとか酸っぱいのとかさ、食べると口の横の方がじゅわーってするの。
バスターはね、あれが超強烈に襲い掛かってくるんだ。
それこそ自分でも出すつもりはなかった悲鳴をあげるくらいに。
「ひぎゅっ! ぐおっ! あぐああああああっ!!」
総武高校の人気ナンバーワンが悶絶している。
なんだか、過去の自分が時代を超えてほっこりしたような気分だった。
そんな葉山がたまらず、本能的に飲み物を求めてバスターMAXをゴクリ。
「ほぎゅぁあああああああああっ!!」
そして悶絶。
愚かな……セットとつくからには、相乗効果でより一層甘く感じられるように工夫が凝らしてあるのだ。
甘さに関して、我ら喫茶ぬるま湯は最強。
「おっひゅ! おっひゅうっ! おっ……おぉおおーーーーーーっ!!」
もうなんというかただの悲鳴である。
しかし男の意地なのか、ざくざくもぐもぐと食べ、“うぃんにょぉおおおお……!!”と男が出すようなものじゃない悲鳴を上げていた。うん、声ひっくり返ってる。
「《ざくざくもぐもぐっ》えふっ! えふっふ! ひぐっ……んぐっ……!」
なんかもう泣きながら食べてる。
見る人が見れば、まるで餓死寸前の人がたった一つのワッフルに救われた、みたいな感動の場面に見えるのに、甘さが強烈すぎて泣いてるだけってのがな……。
「残り一分でーす」
「!?」
必死なのだ。必死なのだが、体が既に甘さを拒絶している。
ざくざくと音は鳴るけど少量ずつしか喉を通らない。
気づけば時間は経っていて、葉山の手にはまだ半分のワッフル。
その時間の無さとワッフルの残量を見て、葉山の手が止まった。
フルフルと震える手とワッフル。
見下ろす葉山と半開きの口。
しかし覚悟を決めたのかクワッと目を見開き、そのワッフルを強引に口に突っ込み、MAXで流し込みにかかった!
「───ヴ《ごぽり》」
『!?』
そして停止。のちにガタガタと震え始め───
「おわわ絆! トイレ! トイレ連れてけ!」
「パパ以外と一緒にトイレとかありえないよ!?」
「こんな時になにおっしゃってるのこの娘ったら! そういう意味じゃねぇよ! つかどういう意味だよそれ! ああもうとにかく葉山! こっちに───」
「…………《チッチッチ》」
天を仰ぎつつ固まっていた葉山が、俺に手を伸ばしたのち、人差し指だけを伸ばした状態でチッチッチと左右に振るう。
いや、格好つけたいんだろうが相当にアレだぞ葉山。
KOF97で“なめるなよオロチ”とか言っておきながら結局暴走した八神さん家の庵さん級にアレだから。
「あ、時間切れです」
「───」
絆のスマフォが、葉山の現在を表現するかのように“チーン”と鳴った。
途端、葉山がカウンターにごどしゃあと崩れ落ちる。
葉山はモノ言わぬ敗北者になった───
俺と絆が無意識のうちにとっていたのは“敬礼”の姿であった───
涙は流さなかったが、無言の男の詩があった───
奇妙な友情があった───
あ、うん。べつに友情はなかったわ。
ていうかこいつほんとになに届けに来たんだ? 結局雪ノ下来ないし。