どこにでもあるようなガハマさんとヒッキーのお話   作:凍傷(ぜろくろ)

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チョコの日の喫茶店

 バレンタイン。

 訓練されたぼっちだろうとどうしてもそわそわしてしまう、人間の本能を悉くざくざくとつついてくる厄介な日である。

 期待などとうにやめた筈なのに、その日だけは下駄箱に心惹かれ、机の中に興味津々、などという恥ずかしい思いをした人も数多いことかと思う。

 しかし、本日においてそんな話はどうでもいい。

 何故なら今日は日曜であり、学校は休みなのだ。

 

「イ~~~~ッヒッヒッヒッヒッヒ!! イィ~~~~ッヒッヒッヒッヒッヒッヒ!!」

 

 さて。学生諸君は大きく二つ分けられ、歓喜と落胆を得ることだろう。

 イケメンリア充は落胆し、非モテの者どもは“いや行けばもらえたけど? べつにこだわってなんかないし?”と見得を張ったことだろう。

 話を視界の先に移そうか。

 学生であり、女子側である我が娘は、鍋でチョコを溶かして魔法使いのオババ的な声を張り上げているわけだが……ねぇ? ちょっと? それなんてグルグル? やめて? お前に生徒会長を任せようって願ったやつらが泣いて悲しむから。

 

「ああ、このチョコを砕いて湯煎する瞬間、大好きです。溶けるがいいのです市販品よ。食べられるべくして作られておきながら、アレンジされるために買われて溶かされるがいいのです」

 

 とあるバレンタインの……まあ日付変わってるからまさにバレンタイン当日なんだが、その前日の夜中から、まあその、なんだ。笑い声で大体察しがつくが、喫茶ぬるま湯の中でもある意味特殊な聖域、“一色の城”である菓子工房にて黒魔術もとい、チョコを作っている娘ひとり。

 市販のチョコを切って湯煎して固めるだけ、という半端はしないのは毎年のことだが、なんだって今年は魔女の釜的なやり方で作ってんの。

 そのボウルの上でくねくね動かしてる手はなんなの。玉縄なの? 魔女ってなんで釜の上で手をウネウネ動かすんだろうな。玉縄なの?

 

「ふうっ……愛情注入完了っ……!」

 

 愛情だった。やだ怖い。

 え? 玉縄っていっつもコミュニティーセンターで愛情振りまいてたの?

 ゲームとかなら“暗黒の釜”って技名で召喚されそうなのに。

 

「さってとー、あとはトッピングとアレンジだけど……味付け、なにがいいかな。パパはもちろん甘いもの好きだから、甘さ強化は当然としてー……」

 

 ……まあ、なんだ。キッチンでぱたぱた動き回る絆を、そっと廊下側から見守ってるわけだが……毎年あいつのチョコは美味い。年を追うごとに上達していて、市販品に味を追加しただけだっつーのによくやるもんだって感心してるほどだ。

 

「で、チロルの型に流し込んでー……あとは固まるまで待って、包装すれば完成、と。友チョコ式本格的チロルチョコのでっきあがりー!《どーーーん!》……まだ固まってもいないけど」

 

 友チョコに無駄に手間を加えた馬鹿娘がおった。

 たまになにか真剣に取り組んでるなって感心してると、ほぼおかしな方向にアレだから困る。

 

「さってさて~♪ いろはママ直伝のお菓子作りの腕前はまだまだこんなものではござんせん」

 

 友チョコ用だったらしい溶解チョコは横に置かれ、ボウルにある溶解チョコへと向き直った絆は、なにを思ったのか冷蔵庫からズチャリと漬物を取り出し───おい待て! なんでそこで漬物!? やめて!? パパ漬物チョコを食べる趣味とか───

 

「…………《コリコリ》」

 

 お前が食うのかよ。

 

「はああ……! おばあちゃんが漬けた漬物、最高です……! 夜中につまみ食い、しかも漬物という、およそバレンタインというイベントに胸をトキメかせる乙女が喰らうものではないものを敢えて喰らうこの喜び……! おっと、食べるのは一つまでですよ絆。食べ過ぎてはバレてしまいます」

 

 言いつつ漬物が入ったタッパーを閉じて、冷蔵庫に仕舞う絆。

 そのついでにいくつかの材料を手に取ると冷蔵庫を閉じて、作業に戻る。

 喫茶店ってこともあり、かつ菓子までもしっかり作る場所であるからして、そういう材料は大変豊富だ。

 が、一色の城である菓子工房の冷蔵庫はヤツの宝物殿であり、勝手に材料を使うと激怒する。なので材料は自分で持ち込む必要があり、一色も材料の数は把握済みだから、それさえ使わなければ文句はない。あ、いや、それさえじゃなかった。一色の工房に立つ限り、失敗は許さない。のだそうだ。

 やるからには成功せよ、それが菓子への礼儀である。

 ……漬物はたぶん、絆が持ち込んだんだろうな。匂いが移るかもだから、寝る前に戻しとけよー。

 

「よいしょ、っと……ここでアイスを混ぜ溶かして……」

 

 ……。まあ、あんま見てるのもあれだし、行くか。

 俺もちと仕込みをしたかったんだが、こりゃ邪魔出来んわ。

 

 

───……。

 

 

……。

 

 朝が来た。

 

「絆ー? 一番さんおねがーいっ」

「はいはいはーーいっ! っとぉ! いらっしゃいませイカ野郎! ご注文は!? はい、はい、バレンタインデー限定生チョコケーキですね? ヘボイモ恐れいります!」

「絆さん、お会計をお願い」

「はいはいはいっ! 限定ケーキとLowで───はい、はいっ、一万円入ります! ざまぁありません! おかえりはあちらです! おとといきてくださ《ずっぱぁんっ!!》いったぁあーーーーーっ!?」

「バラティエ接待はやめろっつっとるだろうが……」

「そのハリセン痛いからやめてよパパぁ! だだ大丈夫だってば! 相手はザイモクザン先生とリア王さんだから!」

 

 言われて見てみれば、一番テーブルには材木座。

 会計を済ませたのは葉山だった。

 

「ほむんほむほむ……! 実際にバラティエスタイルで接待されるとああいう感じであるか……! 参考になったぞ八幡よ! お主の娘に感謝する!」

「……相変わらず俺にはキツいね、絆ちゃん……」

「お前ら来てたのか……言ってくれりゃ少しくらいサービスしたのに」

「君が俺にか?」

「おう。LowなのをMAXにしたりとかな」

「バスターはもうやめてくれ。あれはもう無理だ」

「いけそうだと思ったらまたやってみりゃいいだろ。と、冗談は置いておくとして、葉山。夜は暇か?」

「夜? ……すまない、仕事がある」

「そか。夜だけ限定で酒入りコーヒー出すんだが、そうか」

「アルコールが入るのか」

「うちの女性陣には好評だったな。自分で混ぜてみてなんだが、俺もかなり気に入った。今日はそこにチョコも混ぜた特製を出そうとしてたんだが」

「……美味しいのか?」

「自分でも驚いた。商品化も考えてる」

「……MAXか?」

「限定ってわけじゃねーよ。そっちも調節して、味が引き立つ割合ってのを決めてある」

 

 結構苦労した。なにせ味見しないことには味が解らない。

 適当に作ったものを出して、客に離れられるのだけは避けなければならんから。

 

「まあ、また今度来い。気分が乗ったら作ってやる」

「酒が入ってるなら車で来れないじゃないか」

「送迎でも頼むか? “雪ノ下”の方で運転代行してるところがあるが」

「やめておくよ。酒が入っているところを他人に任せるのは怖い」

「まあ、解る」

 

 軽く笑い合って、見送った。

 日曜ということもあり、今日は朝から中々混んでいる。

 平日の朝なんかは出勤前の客がぽつぽつ来るくらいなんだが、どうやら今日はのんびり一人の時間を過ごしたいお父さんやお母さん、はたまた子供に縛られずに二人の時間を過ごしたいお父さんお母さんが多いらしい。

 その間子供はどうしているのかって? ……家に友達でも連れて遊んでるんじゃねぇの? そんな時代に友達居なかった俺じゃあ完全理解には至らねぇけど。

 

『《ザッ》せんぱーい、限定ケーキあがりましたよー』

 

 過去を懐かしんでいると、一色の菓子工房から内線が届く。

 ストック用の限定ケーキが焼きあがったらしい。

 すぐに「あいよー」と内線を返し、動き回っている結衣に声をかけると、結衣はにっこり笑って「は~いっ」と返してきた。

 こういう時は誰に頼むのでもいい。いっそ俺の手が空いてるなら俺が行くのでもいいのだが、客が女性従業員に絡んでいる時がある場合、率先してその名を呼んで用事を作ってやることが重要だ。

 今回の場合、結衣が客にしつこく言い寄られていたから丁度よかった。

 つか腹立つ視線で結衣を見てんじゃねぇ、締め出すぞこの野郎。

 

「あ……もう行っちゃうの? あの、前から俺、キミのこと“いいな”って」

「旦那持ちですっ《べー!》」

「へ? ……えぇっ!?」

 

 おー、客が驚いてる驚いてる。

 だよなー、おかしいよな由比ヶ浜家の女性。

 どんだけ、いつまで若いのって感じ。いや、俺もまだまだ若いけど。

 ……お、よっぽど驚いたのか帰るみたいだな、おー帰れ、もう来んな。口には出さんけど。

 

「絆ー、3番が会計ー」

「はいさー! お待たせしましたお客様っ!」

「あ……き、きみも可愛いね。バイト? あの、これから俺と」

「お嫁さんになるって言った相手が居るんで無理ですむしろそんな目的でしたら出直さなくていいので二度とこないでくださいごめんなさい」

「…………愛は死んだ……」

 

 きちんと払って、項垂れた男性は去っていった。

 ……ちなみにパパのお嫁さんになるー、と確かに宣言されたが、受け入れてはいないので誤解なきよう。

 考えている内に3番の片づけを雪ノ下が終えて、絆はそのままてこてこと俺のところへやってくる。

 

「ん、どした?」

「パパまずいです、テンションで無理矢理耐えてきましたけど眠気がピークです。パパに愛とか囁かれたら目が覚めると思うんですけどどうでしょう」

「いやどうでしょうじゃねぇよ。眠いなら今なら平気だから、仮眠室で寝て来い。なんなら部屋でもいいから」

「いや~、眠いな~、今すぐ倒れるように眠っちゃいそうだな~、パパが愛を囁いてくれたら平気なんだけどな~」

「遠回しに小町っぽいねだり方するのやめなさい。……わーったよ、愛を囁けばいいんだな?」

「おおっ、さっすがパパ! 今の絆的にポイントマックスだよ!」

「へいへい、じゃあ約束な?」

「お任せですっ!《びしぃんっ!》」

「んじゃ……」

「……! ……!《どきどきわくわく……!》」

 

 目をらんらんに輝かせて一色式敬礼ウィンクをする我が娘の耳へ、ついっと顔を近づけて囁く。

 その言葉が彼女の願いを叶えますようにと……ぽしょりと囁くのだ。

 

「愛」

「そのままの意味じゃないよ!?《がーーーん!》」

 

 愛を囁いた。

 なのでほれ行けやれ行けと背中を押して、ぎゃーぎゃー不満を隠さずぶちまけまくる娘を客が待つ戦場へと送り出したのだった。

 

「絆さんもまだまだね。あの男が素直に愛の言葉を並べるわけがないでしょう」

「うぅう……絆としたことが……! パパの素直な返事に、つい期待をせずにはいられませんでした……! もしやバレンタインの空気が奇跡をくれたのでは、なんて素直に喜んでしまいました……! そ、そうですよね、パパがそんな、愛なんて囁くわけが───」

「あ、ヒッキー、ケーキ運び終わったよ。いつ注文来てもだいじょぶ」

「おう、悪いな。……その、いつもいつも助かる。ありがとな、結衣。愛してる」

「あ……ヒッキー……───うん。あたしもだ。大好き。愛してる」

「結衣……」

「ヒッキー……」

「めっちゃ囁いてますが!?《がーーーん!》ゆゆゆ雪乃ママ話が違いますなんですかあれずるいです絆も囁かれたいです!」

「はぁ……仕方ないわね。普段は聞き分けがいいのに、比企谷くんのことになると、なぜこうも……」

「それはもちろんパパが好きだからです。パパのレアな笑顔とか見れたら、絆はそのー……眠気とか吹き飛んじゃいますし、頑張れるのですよ。こういうのってポイント高いと思いません?」

「そうね。そこで素直に口に出してしまわなければ」

「うう……ですけど正直に真っ直ぐにがわたしのモットーといいますか、貫きたい信条ですから。あ、それで雪乃ママ? 仕方ないわね、と言ってくれたということは、」

「……愛《ぽしょり》」

「ですからそれを囁かれたいわけではなくてですね!? う、うわーんママー! パパと雪乃ママがいじわるするよぅ!」

 

 ちらりと見れば、ノリに乗ってみたらしき雪ノ下がこちらに背中を向けて俯くようにしてくすくす笑ってる。

 その姿はまるで、小町が俺にバカ、ボケナス、八幡と言った時の様子のようで、なんというか……懐かしくて、俺も笑った。

 

「あ、ヒッキー。これ10番さんの注文。MAXチョココーヒー二つ」

「おう」

「あと8番さんがチャレンジじゃなくて、普通に二人でチョコバスター食べたいんだって。いい?」

「そだな、いいだろ。《ブツッ》一色~、チョコバスターノーチャレンジでひとつー」

『《ザッ》りょーかいですっ☆』

 

 言ってみれば通じるんだから、これで案外一色もノリがいい。

 まあ、それくらい出来なきゃ、あざとく男を手玉に取るとか出来るわけがないか。

 

「バスターMAXはつけるか?」

「あ、コーヒーはホットダッチがいいって」

「ま、だろうな」

「だねー」

 

 笑い合って準備をする。

 バスターが出来る時間も把握しているし、それに合わせるように水出しであるダッチコーヒーを密封したままゆっくりじっくりと湯煎にかけて、温まったら容器に移す。

 すると濃厚なコーヒーの香りが広がり、結衣が「わあ……」と声をもらした。

 

「なんかあたし、すっかりコーヒーと紅茶の匂いで落ち着けるようになっちゃった」

「親友と旦那が紅茶とコーヒー好きだからな。おまけにお菓子は後輩だ」

「恵まれてるよね、ほんと」

 

 結衣がえへへと笑い、ダッチが完成する頃には一色から内線が届き、絆が受け取りに行って、戻ってくれば完成。

 二つに切り分けたチョコバスターの甘い香りと、ホットダッチの香りが混ざり合い、なんとも不思議な空気をトレーの上で作り上げていた。

 ……運んでしばらく、客席から唸るような悲鳴が響いたが、ツッコまないのがやさしさだろう。

 

……。

 

 昼になると客層も変わってくる。

 落ち着きたい男女からやかましげなカップル……と、言ってしまうのはアレだが、まあ事実はそう変わらない。

 もっとこう、誰にも邪魔されず自由で、なんというか救われたい気持ちを抱いてここに辿り着く客はいないものか。独りじゃなくてもいいから、静かに豊かに味わいたいと願う輩は。

 そんなことを注文を捌きつつ眺めていると、店内からやかましさが過ぎ去ったあたりにサラリーマン風の男性が来店。

 朝に散々騒いだからか、珍しく丁寧に案内する絆によって、当店で一番落ち着ける席へと着席した。

 

「…………ほほう」

 

 彼は一度ぐるっと店内を見渡したあと、荷物などを置き、早速届けられたお冷で喉を潤すと、差し出されたメニューを開いて思案していた。

 顎に手を当てて、なんの気なしになんだろう、視線を動かして……壁にでかでかと張られたPOPを見て視線を動かすことを停止させる。

 興味深そうに眺めたあと、チリン、とベルを鳴らして、向かった結衣にPOPの内容……バレンタインイベントケーキについてを訊ねた。

 説明を受けても眉間に皺を寄せ、腕を組んで考え込んでいる。

 どうやら食というものになみなみならぬこだわりがあるらしい。

 そんな彼が再び視線を彷徨わせ、バレンタイン限定チョコバスターに視線を留めるまで、時間はそう必要じゃなかった。

 

 

───……。

 

 

 夜。

 店仕舞いをして息を吐くと、俺達もようやく晩飯だ。

 しかし毎年バレンタインの夜は、飯を食うというよりもチョコを食うだ。

 朝から夜までぶっ通しで甘いもん提供してるのに、視覚も嗅覚も甘いものなんてもう嫌だって言ってるのに、貰えれば嬉しいのだから拒めない。

 男ってのは単純なのだ。

 いいじゃないの、嬉しいなら。

 

「やー、けどお昼のお客さんすごかったよねー」

 

 片づけとテーブルの拭き掃除が終わったらしい結衣が、隣に立って息を吐く。

 「いや、あれは俺も驚いたわ」と返せば、もう苦笑しか浮かばない。

 とりあえずアレな。期間限定バレンタインイベントにて、初代バスターチャンピオンが決定した。

 一見普通のサラリーマン風の男性だが、食べ始めたらすげぇのなんの。

 一口目、ザクッて頬張った時は普通。なんつーか“お? なんだ、普通においしいじゃないか”って顔で、少しして“……ぅぅうぉぉぉぉお……っ……!!”って感じで悶絶してたな。あれは面白かった。

 しかしその後がまた楽しそうに、本当に食を楽しんでるって感じで食べるもんだから、いっそ嬉しかったわ。まあ、“え? 甘さを感じる器官とかどうなってんの?”って思わずにはいられない食べっぷりだったが。

 やたら美味そうに食うもんだから、提供したこっちが逆に腹減ってきたわ。

 もちろん時間内に完食。

 写真付きで初代王者として潰れるまで飾らせてくださいって言ったら、さすがに恥ずかしがってた。

 名前はたしか、井之頭五「パパー! 準備できたよー!」……っと、ん……まあいいか。

 

「んじゃ、行くか」

「うん」

 

 いつも通り手を取り、繋ぎ合って奉仕部へ。

 辿り着くといつものメンバー。いつもの定位置に座ると、それぞれもいつもの位置へ。

 

「えー、ではっ、今年もバレンタインを乗り越えられたことを祝う宴と称し! ……先輩、ほら先輩」

「いやだから、なんでお前毎年俺に言わせんの。結衣でいいだろこういうのは」

「しょーがないじゃないですかー、結衣先輩が先輩にやってほしいって言うんですから」

 

 結衣? 結衣さんー? これあなたのための全部なんですよ? あなたがやらないでどーすんの。とは言わない。

 仕方なく、俺が……まあその、毎年みんなのために作るチョココーヒーを行き渡らせ、手に取ったあたりで音頭を取る。乾杯、と……おつかれ&ごくろーさん。

 

「これ先輩が作ったアレですよね? 毎年のことながら、いい香りです……じゃ、いただきまーす……《しゅるっ……》……~~……ふぅわぁあああ……!! ななななんですかこれすごく美味しいし飲みやすいし……! え!? ちょ、先輩!? これどうやって作ったんですかレシピ教えてください! 去年と明らかに違うじゃないですか!」

「いきなり声かけるなよ……ノリでフラレるかと身構えちまったじゃねぇかよ……」

「そんなことはどーでもいいんですっ! それよりもこれですよこれっ! どーやって作ったんですか!? 比率は!? 配合の仕方はっ!? なに入れたんですか教えてくださいっ!」

「お、おお……? 気に入ってもらえたようでなによりだ。だからまず落ち着け」

「先輩のほうこそ、喋りながら結衣先輩にあーんするのやめてくださいよ……」

「だめだ。これは俺だけの役得だ」

「そう。では……由比ヶ浜さん、私からも受け取ってもらえるかしら」

「おいやめろ、人の数少ない楽しみを奪うんじゃねぇよ」

「あら。私はただ、日頃の感謝を込めて、親友へチョコレートをあげているだけよ?」

「あ、じゃあわたしも結衣先輩にはお世話になってますし……はい、あーんっ♪」

「え? え? ゆきのん? いろはちゃん?」

 

 結衣と“いつも通り”をやっていると、雪ノ下と一色に邪魔された。

 結衣は二人同時にあーんをされてわたわたしていて、俺はといえば……すかさず滑り込んできた娘に膝に乗られ、もうなにがなにやら。

 

「さあパパ! 今日のために愛情10割・根性10割を混ぜて作った奇跡の混成チョコレートです! たべっ……くぁあひゅひゅ……うう、眠くない眠くない……き、絆はですね、パパのことを思えばいつだって覚醒出来る生命体であるからしまして………………くー《どごぉっ!》いたぁいっ!?」

 

 喋り途中で眠った娘が、長机に頭をぶつけて覚醒した。

 拍子に、綺麗に梱包されて中身の見えないチョコらしい箱が揺れるが、ヘコんだりしないようにしっかり庇っているのは……達人の為せる業なのか? 今きみ寝てたよね?

 

「だだだだいじょぶです寝てません絆は強い子ですから頭痛が痛くても立派なバリスタになるんですもう戦闘街とかで古龍種相手に大奮闘ですよ泣いていいですかごめんなさいぃ……!」

「強いのか弱いのかどっちだよ……ほれ」

「《きゅむ》……! …………《ホワー……》」

 

 ぶつけた個所を両手で押さえている娘を抱き締めてやれば、結衣のようにぎゅーっと抱き着いて胸にすりすりしてくる絆。

 次いで、ぶつけたところを撫でてやっているとなんだか動かなくなり、気づけば寝ていた。

 ……弱いなおい。

 

「とりあえずこいつ寝かせてくるわ……」

「あ、その前にヒッキー?」

「? どした?《ぷちぷちぷち》お、おい?」

 

 なんでかベストのボタンを外された。

 で、特に説明もなくいってらっしゃい言われたんだが……寝室のベッドに絆を寝かせた時に気づいた。こいつ、俺のベストを握ったまま寝てる。器用だ。

 なのでするりとベストを脱ぐと、ベストを抱き締めるようにして丸くなる絆。

 ……すまない相棒。今日はこいつの安眠のため、しわくちゃになってくれ。

 ベストにお別れを告げて布団をかぶせてやると、部屋を出て奉仕部へ。

 ……戻ってみると、みんな酔っていた。

 

「あ~~~っ……先輩じゃないですか~~~っ、もー、どこいってたんですか~~……」

「今お前がどこに向かってるんだよ……つーか、お前らアレ美味しいからってがばがば飲んだんじゃ───」

「う、う、うんっ……ひっく……なんかね、ぽかぽかしてね、ひっく……あったかくてね、おいしくてね、ひっく……ひっきぃ、ひっきぃ~~……」

「おう、とりあえずなに言いたのかまるで解らんから落ち着こうな?」

 

 おいしさの秘密は少量の酒だったんだが。

 酒といってもキツいものではなく、あー、なんだ。あるだろほら、飲みやすいタイプの。日本酒とかじゃなくてさ。言ってしまえば後味の邪魔にならない程度の混成酒を軽く混ぜただけなんだが……まさかここまで酔うとは。

 

「……《ちらり》」

「………《ぽーーー…………》」

 

 ちらりと、一言も喋らず、飲んで姿勢を戻したままっぽいかたちで固まっている雪ノ下を見る。

 なんかとろんとした顔で動きもみせず、ぽーっと……コーヒーからのぼる湯気を見守っている。

 

「先輩せんぱーーい! いろはちゃん解っちゃいましたよ! これのおいしさの秘密は~……お酒です! もー、先輩はいろはちゃんを酔わせて、なにをしようっていうんですかー……」

「なにもしねぇからなにもするな、せめて落ち着け」

「ひっきー……」

「……おう、どした?」

「…………」

「………」

「………」

「………」

 

 え? なんなの? 見つめられたまま動かないんですが?

 

「……ひっきーは、がんばった。うん、がんばった。出会ってからも、たぶん、出会う前からも」

「お……、………………。……おう」

「あたしはいっつも感謝してます。ありがと、ヒッキー。いつも朝から大変だよね。休憩もあんまなくて、どたばたしてばっかだよね。夜もなんだかんだで疲れちゃって、それでもいっつもこうして話し合いとかに付き合ってくれて、あたしは……ほんと、あたし……毎日、幸せです」

「……おう」

「あたしをお嫁さんにしてくれて、ありがとう、ヒッキー」

「おう」

 

 ありがとうを真正面から伝えることは、難しいことだと知っている。

 それは自分が尖った存在であればあるほど、感謝した回数が少なければ少ないほど、難しくなっていくものだ。

 謝ることはあっても感謝は少ない、なんて、きっとたくさんの人間が経験していることだと思う。

 けど……こうして伝えられて。

 自分がやってきたことにありがとうと言われて、俺は───

 

「………」

 

 言葉を返し、態度で返し、愛情で返した。

 いつも通りと言えばいつも通り。

 ただ、いつもよりも抱き締める腕に力とやさしさが籠っていた。

 

「いつもありがとう。本当に、支えられてるって実感する。独りだったらとっくに投げ出して、潰してたかもしれない」

「……ううん。それでもさ、きっとヒッキーは、なにかのためにって……しょうがねぇなーって感じで続けてたんだと思う。それがさ、あたしのためじゃなくて……自分のためだっていいんだ。ヒッキーがちゃんと幸せだったら、それでいいって……」

「思ったら怒るぞ?」

「……ん。あたし、もう欲張りだから。幸せはあたしがあげたいって思ってる。幸せにしてくれるのはヒッキーがいい」

「……おう」

 

 それで、そんな幸せを“全部”で囲む。

 俺達が願った先ってのは、そういうものだ。

 だから俺達は、互いを幸せにし続ける。諦めなければ、ずっと幸せだからだ。

 

「お~~っほほ~っ! そんなことではロザリオは渡せなくってよぉっ!? おーっほほぉほー! おー! ほぉー……」

「落ち着け一色、お前はなんの幻を見て何処に居るんだ」

「喫茶店……コーヒーの香り……。なぜかしら……青い山が見えるわ……。小説、小説を書かないと……」

「おーい雪ノ下ー? お前も帰ってこーい?」

 

 溜め息ひとつ、結衣と顔を見合わせて笑った。

 なにも言わずに立ち上がり、テキパキと水を用意したり飲ませたりするのは、もはや手慣れたものだ。

 

「お前は大丈夫か?」

「うん。ちょっとぽーってするけど、ヒッキーに抱き締められたら酔いも吹き飛んじゃった」

「そ、そか」

「ドキドキってすごいね。あたし、これが無くなる日なんて想像できないや。……大好きだよ、ヒッキー。……これからも、よろしくお願いします」

「ああ。こちらこそだ。末永くよろしく頼む。……で、だな。そろそろその……な?」

「うん。みんなにはみんな用だもんね。それじゃあヒッキー、はい。はっぴーバレンタインッ♪」

「お、おう……やっぱ、なんか照れるな……よし。んじゃ、俺からもだ。……ハッピーバレンタイン」

「……うん」

 

 お互い、自分たちが作ったチョコを交換する。

 毎年のことだ。みんなが寝静まってから交換して、存分ににやにやする。

 子供がもう16歳だってのに存分にラブラブだ。

 

「えと、それじゃ、毎年みたく……」

「おう。チョコは一人で食べて、感想は言わない。その代わり、その感謝を態度で、だな」

「うんっ、それじゃあ……おやすみなさい、あなた」

「ああ。おつかれ。雪ノ下たちはこっちでなんとかしとくから。……今日もありがとうな、おまえ」

 

 チュッ、とキスをして、笑って別れる。

 どうせ寝室は同じなのに、毎年これだ。

 まあ、別れるっていっても結衣が雪ノ下と一色に声をかけて、連れていくのもなんだかんだで毎年なわけだが。

 なんとかしとくって言ったのに、まったく───……っと、絆のチョコも食べないとだな……毎年この時期はニキビとかが心配だ。

 

「どれどれ? 今年の絆のチョコはどんな形に───」

 

 毎年手の込んでいる造形を思い返せば嫌でも期待は高まる。

 しゅるりとリボンを解いて、紙を丁寧に剥がし、箱を……開ける。と。

 

「………」

『…………《むーーーーん》』

 

 なんか……目が合った。

 いや、生き物じゃない。生き物じゃないんだが。

 

『…………《むーーーーん》』

 

 いっそ生物でも信じられるなにかがあった。

 えーと……一言で言うなら、“外道:スライム”?

 なんでだろう、ぶきっちょ女子がなけなしの女子力で料理を作ったらこうなりました♪ みたいなこの残念感。

 あいつ、眠たさと戦いながらどんな作り方したんだよ……。

 

「大丈夫だよな? どこぞのムドオンカレーみたいに殺人的な味ってことはないよな……?」

 

 端っこにあった欠片をカリッと噛んでみる。

 …………バニラの香り。混ぜ溶かしたっていうアイスの風味がした。

 

「おお……見た目はアレだけど結構美味いぞこれ……見た目はアレだけど」

 

 次に大本命、愛する妻からのチョコを箱から丁寧に出し、何個かあったそれを口に含んでみた。

 甘い……けど、絶妙な甘さだ。

 なんつーか、俺の好きな糖分量のギリギリを的確に守ってて、そのくせやさしいっつーか……なにこれ心が満たされる。

 

「ん、……うん……いいな、これ……んく……うん……、……───うおっ……!?」

 

 で、気づけば食いきっていた。

 ……これから寝るってのに、大丈夫か俺。

 

「やべ、顔がニヤケる……どうすんだよこれ」

 

 このまま寝室に行ったら、絶対にこっぱずかしい空間が出来るぞ。

 ああいや、ニヤケくらいこの外道:スライムと見つめ合ってりゃ治るだろうが……まあ、いいか。とりあえず今日はもう甘さはいい。適量を押さえてくれたみたいで、今ほんとこの状態が心地良い感じだ。

 うし、絆には悪いが、この外道:スライムは明日にでも……と片づけ始めると、ペラリと床に落ちる紙。

 ハテ、と拾い上げてみると、

 

  『パパのために頑張って作りました。残さず食べてくれたら嬉しいです』

 

 …………。

 

「……神様……」

 

 涙を滲ませ、小さく呟いた“父”に……逃げ道などなかったのだ。

 娘よ……あまりお父さんに、甘いものとか奨めすぎちゃやーよ……? 食うけど。

 

 

 

 

 

 ……翌日。

 

 喫茶ぬるま湯は開店はしたが、メニューにコーヒーは無く、紅茶と菓子しか出されなかったという。

 

 店長がおらず、ここぞとばかりにナンパ男が立ち上がったが、全員撃沈したそうな。


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