どこにでもあるようなガハマさんとヒッキーのお話 作:凍傷(ぜろくろ)
───母の日。
5月の第二日曜にやってくる、母に感謝を届ける日である。
カーネーションをあげるのが一般的といわれている。
ここで一般的といったのは、多くの母親が花なんぞ贈られても喜ばないからだ。俺の親なんか特にそれな。
話は変わるが母の日の前には子供の日があることは知っていることだろう。
その子供の日の謳い文句だが、“こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝すること”というものである。
……母親感謝されまくりでしょ。
ちょっとでいいから俺にそのやさしさを分けてくれよ。
───……。
……。
カランカラーン……
「らっしゃっせーい! 喫茶ぬるま湯へようこそ! こちらでお召し上がりですか!? それとも天に召されますか!?」
「……ええと、こちらで食べる……かな」
「ではお席に案内します! こちらへどうぞ! こちらメニューになります! お決まりになりましたらお呼びください!」
「え? あ、じゃあ」
「とんずらーーーっ!!《ゴシャーーーッ!!》」
「えっ!? ちょっ! 絆ちゃん!?」
ある日曜の朝の頃。
スーツ姿の葉山が店にやってきて、絆に案内されて席についた───ら、絆が全速力でこちらに逃走してきた。
「ふっ……ふふふっ……! や、やってやりましたよパパ……! 絆はやり遂げたんです……! お決まりになりましたらと言っておいて、じゃあとすぐに注文しようとする人から全力で逃走……! そしてぽつんと残される、疑問符を浮かべたままにおろおろする客……!《ずぱぁん!!》はぶぅぃ!?」
「いーから注文とってこい馬鹿者」
「うう……パパー、ハリセンはやめてったら……。だって本日一番最初に注文を取る相手があのうさん臭いスマイルスーツマンだなんて……!」
「……じゃあ美鳩に行ってもらうか」
ちらりと視線を動かすと、びくりと肩を弾かせる美鳩。
外国での勉強も終え、現在は普通にここ、喫茶ぬるま湯で働いている。
高校はそのまま三年からの総武高校への転校ってことになった。二年でコーヒーの技術を認めさせるとか、我が家の娘、末恐ろしい。
「……パパに期待されたなら、男が苦手だとか言っている場合じゃない……! 期待に応えるその心意気、美鳩的にとてもジャスティス……!」
「おう、じゃあ頼むな」
「……! パパに頼まれた……! これはもう添い寝が許されるレベルのジャスティス?」
「どんな正義なんだよそれは。いーから行ってこい」
「…………う、うん。美鳩、行く。大丈夫、だだ大丈夫……! 美鳩は男などには怯えない……! たとえなにかを仕掛けてこようとも、我が手の内に御身と力と栄えあり……!」
「待てコラ、なんでコーヒー持ってく必要がある」
「お、襲われた時用にズビリッパコーヒーを……!」
「必要ないからさっさと行く!」
「あぅう……」
さっきまでのジャスティスはどこへやら。
美鳩はとぼとぼと葉山が案内された、この店で一番カウンターとは遠い席へと歩み寄っていった。いや遠いよ。どうせ今ガランとしてんだから、せめてもうちょいこっち側に案内してやれよ……。
美鳩も美鳩で、注文を聞きに行った割には「ご、ごっ……」と言葉に詰まり、もごもごとしていた。
あ? しゃーないだろ、客居ないから声が届くんだよ。生憎まだBGMとか流してねぇし。いやわざとじゃねぇよ? ほんとだよ?
「ご、ごっ……ご……!」
「ご注文は、だね? ええとね」
「……ゴクツブシ《ぽしょり》」
「なにが!? え、ちょ……美鳩ちゃん!? 今なにを思ってそんなことを!? ていうか、いい加減俺には慣れてほしいかなー……なんて」
「それは断じて断ることがジャスティス。美鳩の男性への想いの全てはパパにこそ向けられる。慣れる慣れないの問題ではなく、それが美鳩にとっての遥かに
「……そ、そう、なんだ……《がぁああああん…………!》」
あ。珍しく葉山のやつ、相当ショック受けてる。
まあ貴く尊い、なんて、貴重さと尊敬まで喩えに出された上で“あなたに慣れたくありません”って言われたら、俺だってヘコむわ。相手がまったくの他人ならまだしも、知ってる相手でしかも娘なら、俺なら泣いて引きこもるどころか一晩中結衣を抱き締めて部屋から出てこないまである。……あれ? それ天国じゃね?
「…………まあ」
なんにせよ、と。
一言呟いて、本日お招きしてあるお義母さんの到着を、今か今かと待っていた。
なにせ本日は母の日。
毎年、母の日父の日敬老の日は欠かさない。
お義父さんにもお義母さんにも感謝し、俺と結衣も娘たちに感謝されたりして、まあその、結構大事な日なのだ、比企谷家にとっては。
……あ、実両親たちはその限りではないので。いい加減仕事から離れたらどうだと思わんでもないが、それでも二人が好きでやってるなら止めない。
「ええと、それじゃあミルクティーとイチゴショートのセットを……」
「…………《カリカリ……》」
「……その。美鳩ちゃん? 注文を取る時は笑顔でいたほうがいいかなー……って」
「…………《……にこり》」
「そこでどうして比企谷の方を向いて笑顔になるのかな……」
「……くるっぽー」
「三歩も歩いてない内から忘れたっていうのは、鳩だからって言葉遊びには適さないかな……。いやこの場合は俺がって意味だけど。男性への想いの全ては比企谷に、だったね。そのうちの少しでも俺に向けてくれたらなぁって───」
「…………《とことことこ》……誰?」
「美鳩ちゃん!?」
三歩歩かれて記憶から抹消された。
ちなみに我らがぬるま湯は、注文はあくまで手書きで受ける。レストランみたいに機械でピッピッなんてものは無い。だってその方が喫茶店っぽいから。いやむしろあの店員さんがきちんと自分の願いを書いてくれる瞬間が、なんというかいいと思うのだ。
「……ごちゅっ……けふん。ご注文の確認をいたします。ミルクティーとイチゴショートのセットでよろしかったでしょうか」
「え、う、うん。合ってるよ、お願いね、美鳩ちゃん」
「……ご一緒に新発売のバスターワッフルはいかが……?」
「いや、ハンバーガーショップじゃないんだから。そのセットだけでいいよ」
美鳩がてこてこと戻ってくる。
届けられた注文は、当然のごとくミルクティーとショートケーキセット。
すかさず絆が目を輝かせ、雪ノ下に習った紅茶の淹れ方を実践。
「ククク、この神崎風塵流をも唸らせる大神さん仕込みの紅茶で、目にもの見せてくれるわグオッフォフォ……!!」
いいから黙って紅茶に集中しろサンシャイン。
こんだけ綺麗でいて可愛いのに、どうして中身がこうなってしまったのか。いや、元気で大変よろしいのだが。
ともあれ、茶葉を躍らせている内に美鳩が一色工房までケーキを取りに歩き、用意が出来る頃にはケーキも用意されて、準備万端。
「………」
「………」
「……ここは絆が行くべき。美鳩は注文を取ってきた。それは順番的にも正しく美しいジャスティス」
「いやいや、なにせ絆は注文の際に逃げ出した大罪人。今更どのツラ下げてお客様の前に立てましょう。なので美鳩が行ってください。そうするべきです」
「率先して行ってくれたら、俺的にと~ってもポイントが高いんだけどなー」
「離してください絆。これは美鳩が届けます。それは前提や前言さえ超越すべき美鳩的ジャスティス」
「いやいやぁ、美鳩こそそこらでゆ~っくりとしていていいってばぁ。これはわたしがきちんと届けて、パパからのポイントはわたしがきっちりいただくから」
「………」
「………」
「…………《ゴゴゴゴゴゴゴゴ》」
「…………《ドドドドドドドド》」
『ジャンケンッ!!』
なにやらジョジョっぽい雰囲気でジャンケンを始めた二人を置いて、めずらしくも俺がセットを届けることになった。
もうあいつら自由すぎ。人のこと言えねぇけど。
「ほれ。紅茶とケーキ」
「ああ、すまない。…………相変わらずだな、ここは」
「そんなにころころ空気が変わってたまるかっつの。んで? 今日はどうした?」
「用事があったとかじゃないんだ。ただ普通に食事に来た。これからちょっと面倒な仕事があってね」
「お前でも面倒とか思うんだな」
「そう思うのか? 学生の時分でも、君関連のことは正直面倒に思ったことくらいあったぞ」
「あー同感だよ。お前が絡むとろくなことが起こらなかった」
「……どこまでいってもブーメランだな。嫌な意味で鏡を見ているみたいだよ。いいところばっかりを取られた兄弟の話を思い出す」
「母が違って父が同じっていう嫌なパターンもあるけどな。片や病院の院長の息子で、片やタクシーの運ちゃんの息子。親がろくでなしの酒飲みの所為で苦労するって話だったか」
まあ、どうでもいい。喩えに挙げたところで、到れた現在に不満なんてないし、俺の奥さん超可愛い。当然娘もだ。
「まあ、ゆっくりしてけ。どうせこの時間は客はあまり多くないからな」
「その分、絆ちゃんも美鳩ちゃんも甘え放題っぽいけどな。……ところで、今日は雪ノ下さんと由比ヶ浜さんはどうした?」
「今日は母の日だからな。結衣は一色工房でお義母さん用に菓子作りをやってる。雪ノ下はその監視っつーか……まあ、あれだよあれ」
「そうなのか。その……平気か? 彼女の場合、お前のため以外の料理って───」
「言うな。……っつーか、それほど心配してねぇよ。基礎は出来てるんだから、チョコレートと同じくらい───」
……これが。
一色から内線が届き、工房が粉まみれになる数秒前の会話であった。
───……。
……。
で。
「ほら、そんな落ち込むなって」
「落ち込んでるわけじゃ……ないけどさ。うー、今年こそはって思ってたのに」
「お菓子自体は上手く出来てただろ。お義母さんだって喜んでたし」
「いろはちゃんにいっぱい怒られた……」
「そりゃ、掃除が大変だったからな」
「ヒッキーもごめんね……。結局どたばたしちゃって……」
「気にすんな……はちょっと違うな。おう、気にしてくれ。俺も気にする。だから、今度は失敗しねぇように頑張りゃいいんじゃねぇの? 今度は俺も一緒に作るし」
「あ……うんっ! 一緒がいいっ!」
「お、おう」
一色の菓子工房の掃除がようやく終わった。
現在は夜ってこともあり、店も閉店。掃除を全てやると申し出た結衣とともに、俺も掃除を終えたところである。
罰にならないからと遠慮した結衣だったが、そんなことはしらん。いや俺べつに? 手伝いとかじゃなくて? 急に掃除したくなっただけだし? ……ええいめんどいな俺。ああそうだよ手伝ったんだよ悪いかよ。
「お義母さん、来るたびに元気だよな」
「うん。息子も欲しかったからとか言ってたから、ヒッキーに祝われるのが嬉しいんだよ、きっと」
「そーゆーもんか……?」
「えへへぇ、そーゆーもんそーゆーもん」
まあ、納得しろというのなら納得しよう。
無意味に頷いて、面倒なくらい浮かんでくるぼっち特有の余計な“考えすぎ”をごくりと飲み込んで、単純な答えを受け入れた。
「しかし、今年は娘たちが大人しかったな。てっきりお前のことを盛大に祝うかと思ってたんだが」
「う、うーん……下手に祝おうとするより、二人きりにしてくれるほうがあたしが嬉しいって、解ってくれたんじゃないかな……とか、えとー……ね?」
「…………はっ!? あ、えぁ……それってつまりー……ぐぁあ……!《かぁああ……!》」
気を利かされたってわけで。
ああもう、母の日のプレゼントがこういう方向ってのはどうなんだよ……。いや嬉しいけど。めちゃくちゃ嬉しいけど。
家族と一緒に住んでると、なかなか気兼ねなくいちゃいちゃ、なんてできないわけだ。周囲にしてみれば歳を考えろとか野暮なことを言うヤツだって居るだろう。
それを無視してイチャつけば、結局は周囲を気まずい雰囲気で包んでしまうわけで。
だからつまりその。家に居るというのに、娘たちが特攻を仕掛けてこないってだけで、俺達の関係としては大変うれしいわけで。
「………」
「………」
お互い、未だに赤面しながら、ちょんと軽いキスをする。
まったく、いつまで恋人気分だよ、なんて言われたって、きっといつまでもと答えるのだろう。
慣れすぎるのはもったいない。こんな関係だからこそいいのだと、やがて触れる程度のキスを濃厚なものへと変え、静かに愛を伝え合った。
───……。
……。
「……完全に出るタイミングを逃したなぁ……」
「……《んくんく……》……余ったケーキ、おいしい……この味、とてもジャスティス」
「な~にやってんだろうねー、わたしたち。ある程度くっついていちゃいちゃしたら、プレゼント渡そうと思ってたのに」
「作業台の後ろから、出るに出られない……とりあえず今は見守る。……夫婦の仲がいい、それはとても良いこと。なにものにも代えがたいジャスティス」
「そりゃそうだけどさ。……あ、ケーキわたしにもちょーだい?《べしっ!》痛っ!?」
「
「人のものは散々食べといて、いざ自分のが取られると怒る外国人かあんたは……!」
「ひそひそ声も案外疲れる。囁かれるのはパパの愛の言葉だけにしてもらいたい……きっとそれは、心がとろけるほどに甘いジャスティス《ぽぽぽ……》」
「はぁ……いーなーママ。わたしもあんな風にされたい……」
「ポップコーンに手を伸ばして叩かれる?」
「ちーがーいーまーすー。……まあそれに関しては、今検索したところでトーキョーグールの“僕のだゾ”くらいしか出てこないんですよねー。ちょっと悲しいです。まあ実際の内容なんててんで覚えてないんですけどね。パパかザイモクザン先生が持ってた映像記録であったんだっけ?」
「平塚先生の」
「……先生にどんな意図があってあれを映像に残していたのかがまるで解りませんよね……」
「……《こくり》然り」
「まあでもそれはいいから、ケーキちょうだいってば《べしっ!》痛っ!?」
「
「それはもういいったら! もう散々食べたでしょー!?」
……。
作業台側から聞こえる声に、さすがに呆れる。
聞こえてないとでも思っとるんだろうか、あの二人は。っつーかアホ毛を隠せ、アホ毛を。頭隠してアホ毛隠さずなんて悲しすぎんだろ、比企谷家。
「………」
「…………まあ、だな」
家族の仲がいいことは、それだけで素晴らしいことだ。
そう苦笑を漏らして、見つめ合い、頷いてから───……二人にはあえて声をかけずにたっぷりといちゃついた。
恥ずかしかったが、母の日のプレゼントなら仕方ないもんな、存分に二人きりもどきを堪能しよう。
まあでも、やっぱり恥ずかしいから今度からはちゃんと遠慮してくれな……いやマジで。