どこにでもあるようなガハマさんとヒッキーのお話 作:凍傷(ぜろくろ)
頬にとはいえ、娘にキス。
結衣以外に自分からとかものすごーくアレだし、むしろ娘二人もそこまでは望んでなかったとか自意識過剰あるあるな自体が起こったりするんじゃないかしら?
『……、……! ~~……!!《たっ、ととっ……》』
……などと思ってたんだが。
二人は俺が腕を離すと、真っ赤な顔で目をとんでもなく潤ませ、ふらふらと後退り、キスされた頬に手を当て、震えていた。
……あれ? あれちょっと待て? 俺、もしかしてやらかした?
やがて二人はカウンターにとすんと背をぶつけると、そんままぺたんと腰を抜かしたように座り込んでしまい、真っ赤な顔のまま俯き、胸にぎゅうっと握った手を当てるようにして沈黙してしまう。
「……なぁ比企谷」
「《びくぅっ!》おわあぁあっ!? えっ……ひらっ、平塚先生!?」
一気に静寂に包まれた店の中で、急に声を掛けられて体が跳ねるほど驚いた。
振り向いた先でコメカミに右人差し指を当てて、俯き渋い顔をしている先生は、「あー」とか「うー」とか言ってから、やがて言う。
「メルトでも歌ったほうがいいか?」
「いきなりなに言ってんですかあんたは」
「いや、私なりに気を使ったつもりだったんだが……ふむ。まあその、なんだ、比企谷」
「はい? なんすか?」
「とりあえずあれだ。恋に落ちる音というのを、私は聞いた覚えがないが、目に見ることは出来たと言っておく」
「?《くいくい》っと、なん───」
「…………《じとー……》」
「……結衣? ど、どしたー? なんでそんな、ふくれっ面で……」
「知んない。ふんだっ、ヒッキーのばかっ」
なんというか。なんかやな感じ、と言われたメイド喫茶前を思い出した。
え? ……え? もしかして頬にだろうとキスしたこと、怒ってるのか? はたまた愛してるを結衣以外に言ったことが……ああ、なんかどっちもっぽい。
相手が娘だからーとか、そういう問題ではないのだ。むしろ自分に置き換えてみて、もし子供が息子であり、結衣がその息子に愛してるといいながらキスなんぞしたらぐあぁあああああ!!
~~……はぁ、はぁ……! ああ、無理、これ無理だ。
なのですぐに結衣を抱き締めて、心からの謝罪を送った。後ろから抱きしめて、耳元で後悔の全てを吐き出すように。
すると結衣はふるりと震えて、抱き締めた俺の腕に手を添えると、少し拗ねながらも「うん……」と頷いてくれた。
いやほんと、きちんと後先考えてから行動しないとだよな……。ただでさえ、俺は誤解されやすいっつーか、そういう状況を作りやすいって小町にも雪ノ下さんにも海老名さんにも雪ノ下にも一色にも……言われすぎでしょ俺……。
「あの……ね。ヒッキー。これから絶対大変だよ? 今までじゃれつきとか、ヒッキーみたくシスコンがこじれたみたいなファザコンだったかもなのに、たぶん、これもう……」
「へ?」
シスコン? ファザコン?
それと今の状況となにの関係が───
「……ファザコン……そう、ですね……そう、ですか……。美鳩は全然、焦がれはしても本気ではなかったと……?」
「パパが……パパが愛してるって……。告白して、キスして……あぅ《かぁ……》あぅ《かぁあ》あぅぅううぅ~~~……!!《かぁああ……!!》」
「………」
───あった。
二人の呟きが耳に届いた時、心の中のヒッキーくんが“やっちまったぁーーーい!”と元気に叫んでいた。やだ死にたい。
「ワア、僕チョット用事思イ出シチャッタ。アレガアレデアレダカラ僕行クネ《がしぃ!》ですよねー!」
クールに去ろうとしたら、襟首を掴む者。
その者、名を平塚静といったそうじゃあ……。
「比企谷。娘の恋を見届けるのも親の務めだ。さぁて比企谷~? 君は私にいつか言ってくれたな。娘が産まれたとしたら、娘が好きになった相手が居たとして、娘が幸せになれるなら祝福すると」
「なんでそんなことばっかり覚えてんですかあんたは!」
「君の確かな覚悟だったからだ。でなければ即刻忘れてやるさ、あんな言葉。……というわけで、君には約束を守る義務がある。結婚なぞ出来ずとも、幸せにしてやることは出来るだろう。君の周囲に集まる人たちのように」
「な、なに言ってんすか……俺はそんな」
「まあ、受け止めてやればいい。いずれ離れていくものもあるだろうさ。それまでは父としても男としても、幸福というものを届けてやればいい。ああいや、男としてとはいったが、さすがに犯罪はまずいぞ?」
「俺の恩師が最低だ!?」
「ひ、平塚先生っ! お店でそういうの、困りますっ!」
「ん、ああ、はは、そうだったな。いや~、あんまりにも人前でいちゃつくもんだからついこう黒いものが……」
「あたしの恩師が最低だ!?」
「なに。べつに間違ったことを伝えたつもりはないよ。誰かを幸せに出来るということは、それだけで本当に素晴らしいことだ。それがいつか自然と離れてゆくまで、一番近くで見守ってやればいい。君は“父親”で、恋焦がれた“男”なのだから」
「平塚先生……」
「私も結婚はとうに諦めた。今さら隣に誰かを置いても調子が狂う。それならいっそ、趣味や食べ物の好みが合う誰かと、賑やかさの中に埋没していくくらいが丁度いい。……今さらだがな、私は今こそ、青春ってものを楽しめそうな気がしている。恋、なんてものが全てでなくていいんだ。こういった今を見届けるのもまた、眩しいものだよ」
言って、平塚先生は金を払い、笑いながら出て行った。
レジをした結衣もぽかんとしている。
でも……やがては“たはっ”と笑って、言うのだ。
「なんか、お母さんがもう一人増えたみたい」
と。
まあ、解る。あの人は怒るだろうけど、見守られてるって感じはするから。
……うん、解りはするんだが、現状とそれはまた別なわけで。
「パパ……」
「パパ……」
「お、おう。いやまあその、なんだ。さっきのはだな、あー、その。子供の日の贈り物ってやつであって、落胆させるだろうが、言葉だって小町が過去に言えって言ったものであってだな」
「……べつに。きっかけがそれならそれで構わない。気づけた事実こそが絶対不変のジャスティス」
「そうだよパパ。たまたま初恋の相手がパパだったってだけで、これからどうなるのかなんて解らないんだから。……解るつもりはさらさらありませんが《ぽしょり》」
「ちょっと待て今最後なんて言った!? 本気で聞こえなかったけど聞いておかなきゃマズイ気がする!」
「パパ、パパ。美鳩は一層、この店とその周辺のために尽力します。その働きが認められるものであったなら、是非とも褒めてください」
「パパ、パパ。絆は一層に、この店とその周辺のために尽力します。その努力が認められるものであったなら、是非とも褒めてください」
「だ、だからステレオはやめっ……《きゅむ》腕に抱き着くのもやめてくれません!? お、俺の腕は主に結衣を《ぎゅー!》……あの、結衣サン? だからって胸に抱き着けとは一言も……」
「ん!」
「いや、ん、って」
「ん!!」
「………」
求められるまま、右と左の頬にキスをして、最後に唇に。
それを見た娘二人が『あー!』と騒ぎ出して、場の状況は一層に混沌へGO。いやGOじゃねぇよ。
落ち着け、落ち着くんだ。過去、散々なぼっちを経験した八幡さんはこの程度では動揺しない。
そう、素数を数えろ。目を閉じて、俯い───た途端、口と左右の頬に、奥さんと娘二人にキスされました。
ちょ、なにこの状況!
助けて! 誰か助けて! この際お客様でもいいです助けて! 腕も体もぎゅうって抱き締められてるから上手く力が籠められない!
いや「熱いねー!」じゃねぇよお客様! 結衣はまだしも他二人が娘だって解ってて言ってる!? 大体「なんか今さらあの二人がマスター以外にとか想像つかねぇよな……」「だよなぁ……普段からラブラブだったもんなぁ」オイィィィィ!! そこは想像しよう!? 要想像だよ!?
状況が熱いどころか家族関係が別の意味で炎上するだろ!
「肉体関係がなけりゃいいんじゃなかったっけ?」
「恋愛までなら問題ないんじゃね?」
「あー、でもキスってどうなん?」
「大体の子供って、赤子の時に親にファーストチッスなんて奪われてるもんだろ」
『あ~確かに』
客全員納得しちゃったよ!
おいちょっと!? どうすんのこれ!
「おーいマスター! 俺ァこの店、雰囲気ごと好きだからよ! ヤボは言わねぇぜぇ! 末永くなんというかそのー……もげろ!」
「俺だってここのケーキの大ファンだっての! カカァが土産買ってこいって毎回言うくらいにな!」
「んふふー、私は紅茶が好きかなー。ちょっぴりクールな店員さんが淹れてくれる紅茶が大好きだよー?」
「おっ、ねーちゃん解ってるねぇ!」
「俺ァ未だに攻略出来ねぇバスターが最大の壁でなぁ……。ここで完食出来ねぇものがあるなんて許せねぇって何度も挑戦してるんだが……どうもなぁ。だからよ、初代攻略者であるゴロちゃんって人にゃあ尊敬の念を抱いてんのよ」
「フ、フヒッ……わわ、私はザザザ、ザイモクザン先生の本の巻末の紹介で……こ、ここを知った友人と……!」
「いつの間にかここもこんなに常連さんが増えちゃって。お兄ちゃんにも理解者が増えて……なんか感慨深いのに、ちょっぴり寂しいよ、お兄ちゃん」
「あ、あたしはその……最近やっと、MAXの味が解ってきたっていうか……まあ、そんなとこ」
「あらー、孫が二人ともパパに恋しちゃったんじゃ、曾孫は見れないわね~……。ここはヒッキーくんと結衣にまた頑張ってもらわないとかしらー……」
ん? あれ? ちょっと待て? 今客に紛れてよく知る誰かとか全く知らん誰かとか紛れてませんでした? ちょっと? ねぇ?
ていうか居たなら声かけてくださいお義母さん!! 一緒に来てたなら声をかけなさい小町!! 他の誰もに気づかなくてもそれは解るぞ!?
あ、誰かさんのお姉さんはスルーの方向で。
え? 川なんとかさん? MAXの味について語り合えそうじゃない? あいつにはホテルでマッカン用意してもらったこともあったし、それを思えば多少は。
ああいやそれよりも誰かこの混沌とした状況を───なんて、誰かに救いを求めた途端、
ッカァーーーン!!
……と。
硬いスチールカップがカウンターに叩きつけられる音で、全員が沈黙。
「……お客様。店内ではお静かに」
音の発生源を辿れば、にこりと微笑む氷結の女王。
そんな彼女がちらりとこちらを見ると、結衣も絆も美鳩もババッと離れてくれた。
「もー、せんぱぁ~いぃ、さっきからうるさいですよー? 工房まで聞こえてきて、せっかく新作に取り掛かってたのにイメージが消えちゃったじゃないですかー」
「い、いや……騒いでたのは俺じゃないっつーか……」
「注意しなきゃ一緒ですー。反省してください、まったく。先輩がそんなだから、わたしも雪ノ下先輩もこっちに来たんじゃないですかー」
「そ……けふんっ。……そだな。悪い」
頬を膨らませてぷりぷり怒る姿に、思わず謝る。
その姿を見て思うことといえば───平塚先生といいお義母さんといい、この世界の女性は外見年齢が若すぎると思う、ということばかり。
やっぱ野菜の星の人なのかしら。
「あ、雪乃ちゃーんっ♪ ひゃっは───」
「当店では馴れ馴れしい客、騒々しい客はお断りしております。回れ右してお帰りくださいませ」
「雪乃ちゃんひどーい! せっかく会いに来たのにー! ……あっ、美鳩ちゃんもひゃっはろー♪ このこのー、思い切ったことしたねー♪」
「……《チャッ》」
「だからコーヒー構えるのやめてったら! この服ほんとお気に入りなんだから!」
「陽乃様、陽乃様。あなたはお気に入りのものに試練を与えるのが大好き」
「えっ……えと、それは」
「比企谷家家訓その1。俺はいいけどお前はダメを許すな。……はるのん、試練、受けていかれる?」
「ちょ、やめて!? 値段がどうとかオーダーメイドがどうとかじゃなくて、これ本当に気に入ってるの!」
「陽乃様、陽乃様。それは美鳩が向こうでプレゼントした服ですね?」
「うぅう……」
「……ありがとう、はるのん。その、ものを大切にする心は、美鳩的には胸に染みるジャスティス」
「み、美鳩ちゃ───」
「だからいい加減に気に入ったものをつつき回して傷つける癖をなんとかする。さもなくば美鳩に頼りきりだったあちらの生活でのワンシーンを写真に収めたものを、雪乃ママに送る」
「やめてお願いそれだけはやめて解ったつつかないからお願いやめて!」
「……姉さん。それは考えうる最高の情けない姿を想像させるに十分な反応よ」
「………」
「あぅう……」
「……そ、そう。それ以上、ということ……なのね……」
向こうでなにがあったんだ、この人に。
「お蔭で美鳩の家事レベルはとても素晴らしいものに仕上がった。もはや姉の明るさに暗く縮こまる理由もなくなったと思いたい。……だからパパ、その、褒めてください。美鳩は頑張りました」
「いい加減、青い子の真似はやめなさいね……いや、可愛いけどさあっちもこっちも」
言いつつも撫でる。髪を、頭を。
くすぐったそうに細められる目が、見ていてなんつーか、見ているこっちがくすぐったい。
「…………!《ふすーーーん!》」
で。なんでこの双子(姉)は腰に手を当てて鼻からフスーと息を吐き出し待っているんでしょうかね。
え? 流れで絆も撫でるの? いやべつに撫でるくらいいいんだが。
「ん。よし。偉いぞ美鳩。向こうで随分頑張ったな」
「《なでなで》……~……」
普段は表情が硬い美鳩の顔が、ふんわりとやさしげに笑んでゆく。
さらにさらにと撫でていると、やがて眼を閉じ、されるがまま、委ねるように俺の手に自分の手を添え、力を抜いてくる。
で。
その横からはグイズイと体を割り込ませんとする双子(姉)が。
「お前はもう少し、妹の手前、我慢をする偉い姉を振る舞えんのか……」
「ふふふ、甘いですよパパ。絆は常に自分に正直にをモットーに生きる修羅。そして“お姉ちゃんなんだから”を理由になにかしらのチャンスを奪われることを、この比企谷絆は何より嫌う! なのでパパ、絆も褒めてください。そりゃあ美鳩ほど貢献できたことがないかもですが、継ぎたい気持ちは一緒です」
「そこでもうちょい謙虚ならなぁ……」
「それを先輩が言いますかー? 黙っていて評価してくれる人が居るならそれでいいんですけどねー。困ったことに褒めてほしい人は奥さんに夢中で、学生の頃より視野が狭くなっちゃってるじゃないですかー」
トチュリと一色の言葉が胸に刺さる。
う、うんまあ、自覚はある……な、うん。
あるので、絆の頭も撫でた。言葉でも褒めた。
そして最後に、さっきから獲物へ飛びつかんとする猫のようにもじもじしていた結衣を抱き締めて、目一杯甘やかした。
するとまた客から野次が飛ぶ。
うっさい、ほっときなさいよ、いいでしょ愛しの妻なんだから。
「ほら。やっぱり最後は結衣先輩じゃないですかー」
「結衣で、恋人で、好きな人で、愛を誓った人で、誓いなんざなくてもこうしていたい人で、奥さんなんだから当たり前だろが」
そして、子供の日の謳い文句に倣い、母に感謝することを実行。
子供の日には遅れたものの、プレゼントを贈るというのなら、その母にも、だ。
だから顔が灼熱して今すぐに走り出したいような言葉も真っ直ぐに伝え───あ、だめ、恥ずかしい、恥ずか死ぬ、これ死ぬめっちゃ死《ぎゅううすりすり……!》生き返るわ。マジ生き返るわー。っべー、結衣の抱擁、っべー。
「はぁ……。あなたね、そういうのは客の目の届かないところでやりなさい。というか、仕事の最中にしていいことではないでしょう」
そんな、既に浄化済みの腐っていた目がさらに癒されるような状況を、雪ノ下が溜め息とともにぴしゃりと叱る。
そんなこと言われてもな。一応仕事中だし───ってその仕事中に抱き合ってちゃそりゃいかんか。これは俺が悪い。
「ほれ、お前らももう仕事に戻れ。真面目に働くお前らで居てくれたほうが、八幡的にポイント高いぞー」
「姉様、姉様。ポイントが溜まったらきっと、もう一度告白とキスを……」
「美鳩、美鳩。ポイントが最大になったなら、次はディープなキスを……」
「もう真似はいいから真面目にやれ」
二人の背中をトンと押してやると、二人はこちらへ向き直って、同時に綺麗な礼をして顔を赤らめながら仕事に戻った。
ふう、なにはともあれ一応は仕事中なんだ。こんなことが茶飯事だろうと、やることはちゃんと───
「ほらほら結衣ー? 今からでももう一人……ね?」
「も、もうママ!? やめてったら!」
「お義母さんやめてください!?」
「だってー、ママ、曾孫も楽しみだったんだもの~!」
───義理の母親がいろいろアレだった!
いや、そうは言うけど基本、俺は娘たちには恋愛自由で行ってもらおうと……!
そりゃ結婚ともなれば目を濁らせる覚悟もあったが、好きになった相手が俺って……!
「ちなみに美鳩は、妹か弟が出来て、父様がデレデレになったなら、その末っ子に心から嫉妬する覚悟」
「ちなみに絆は、その末っ子の目の前で父様に甘えまくり、逆にお母さんっ子にすることで、パパから離す所存」
いや所存じゃねぇよ。
言いながら結衣に抱き着いてる時点で、マザコンでもあるお前らじゃ無理だ。
え? 俺? …………俺も嫉妬しそうで嫌だな。結衣に構ってもらえない所為で、逆にこいつら甘やかしそう。
「はぁ」
気持ちを溜め息とともに切り替える。
接客しつつも、耳をこちらに傾けまくっていた娘たちが持ってきた注文通りにコーヒーを用意して、ケーキが頼まれれば「はいはーい、ただいまー」とウィンクをする一色を見送り、軽食を頼まれてキッチンへ引っ込む結衣と雪ノ下を見送って。
帰る客に冷やかされながらレジを打ち、そんなことを繰り返しては一日が過ぎてゆく。
なんともはや、賑やかなことだ。
……。
そんなわけで、夜……なんだが。
「………」
寝室に来たら、ベッドが双子で埋まってた。
しかも寝てる。熟睡である。
俺より先に来たらしい結衣は、やってきた俺を見るなり苦笑い。うん、俺もきっと同じ顔だろう。
「たぶん、ベッドでヒッキーを待つつもりが、寝ちゃったんだね……」
二人に布団をかけ直してやりながら、苦笑をやさしい笑みに変えて言う。
俺も、まあ。随分と幸せそうに眠る二人を見下ろして、軽く頭を掻いてから意識を切り替えた。
「明日休みだし、久しぶりにのんびりと、奉仕部で酒でも飲むか?」
「あ、うん。いいかも。今日、平塚先生が土産だって、持ってきてくれたお酒があるから」
「タイミングよすぎでしょ、あの人……」
二人笑って、部屋を出た。
しっかし、このくらいの年頃の娘っていうのは、親の匂いとかついているものは嫌うもんなんじゃないのかね。
あーっと、ほら、なんつったか。遺伝子レベルの問題が出てくるから反抗期は起こる~とか聞いた覚えがあるんだが。
それが悪い方向に働くと、一緒に服とか洗わないでーとかが出てくると……まあ、娘たちが子供の頃、必死こいて調べた記憶がある。だって嫌われたら死ねそうだし。
実際、絆には一時期嫌われていたが、そこは結衣が上手くやってくれた。ありがたい。本当に。
「っと、雪ノ下? 一色?」
「あら」
「先輩? まだ起きてたんですか?」
「ゆきのんにいろはちゃんこそ。どしたの?」
奉仕部に来てみれば、明かりもつけずに蝋燭……なんかオサレな、ええっと、キャ、キャンドル? って言い現わしたほうがよさげなものに火を灯し、それを長机の真ん中に置いて椅子に座る二人が。
どうした、と訊いてみれば、なんとなく眠気が出てこなかったから話し合おうってことになったとか。
「あなたたちこそどうしたの? その、いつもなら───」
「そうですよ、眠気なんてなくても寝室にこもって、いちゃいちゃしてたら寝てましたってくらいが自然な二人なのに」
「ちょ、いろはちゃん!? なんで知ってるの!?」
「あ……やっぱりそうなんですか」
「結衣……そこは素直に返さなくていいから……」
「へっ!? あ…………あうぅう……!!《かぁあ……!》」
まあ、そういったゴニョゴニョはさておき、恥ずかしさからかぱたぱたと小走りした結衣が、キッチンの奥から酒とグラスと氷、水などが乗ったトレーを持ってくる。しっかり人数分。
「あれ? お酒ですか? 珍しいですね」
「うん。平塚先生がお土産だ~って」
「眠れない夜には丁度いいわね。……比企谷くん、コーヒーを用意しなさい」
「お前ほんと相変わらずな……こういう酒には合わないから、これはこれで楽しもう。たまにゃあいいだろ、ほれ、注いでやるから」
「え? あ、あああの、えっと……ええ、……ありがとう」
開封一杯目を、氷を入れたグラスを持つ雪ノ下のものへと軽く注ぐ。 ストレートで飲むか薄めるかは各自の判断でだ。
全員に行き渡ったところで、軽く構えたグラスをキャンドルの上でチンと合わせ、乾杯……いや、一気飲みは無理だな。
「ん……はぁ……。透き通るような、軽い味ね……。これなら落ち着いて酔えそう」
「まあ、平塚先生だからなぁ。俺達が学生の頃は、ビール片手に“どぅぁっは! ビールが美味ぁーい!”とか言ってそうだったけど、落ち着いてきてからはこういうの飲んでたっぽいし」
「……いやに似ているのがまた現実味があって嫌ね……」
「あはは、言ってそう言ってそうっ」
「わたしも結構お世話になりましたけど、いい先生ですよねー。ほんと、なんで結婚出来なかったんでしょう」
「趣味とか好きなものとかいろいろなものが数あれど、結局はあれだろ」
「ええそうね」
「まあ、だねー」
男より男らしすぎた。
あと頼もしすぎた。
よっぽどの男じゃないとあの人と釣り合わねぇよ。男としての自信だとか粉微塵ってくらい砕かれても一緒に居たいって恋心が無けりゃ、あの人の隣には立てやしない。
そんな事実をなんとなーく察したのか、一色も引きつった笑みで笑う。
出てくる会話は学生時代のことや、社会人になってからのことなど。
今現在を他人事のように語るには、ここに居る四人は近くに居すぎていて、新鮮味のようなものはなかった。
そうなれば、自然と話題は過去へと飛ぶわけだ。
「あー、そういや平塚先生で思い出した。学校の職員室にあったカレンダーが、誰かが家から持ってきた貰い物だったらしいんだけどな。そこにあった“ボイラーメンテナンス”の字をちらっと見て、“ボイラーメン……どんなものだか知っているか?”って真顔で訊かれたことがあって。直後に気づいたみたいで理不尽なボディブローをくらいそうになったな……流石に避けた」
「恥ずかしくなると攻撃に出る典型ですねー。男の人ってぇ、女の子のそういうところも可愛いとか思っちゃうものなんですか?」
「殴られそうになって“かわいいっ♪”とか思えるほど強くねぇよ……。あの人の拳、マジ内側に響くからな……」
「今じゃちょっと手をあげただけでも問題になるらしいね。厳しくできないから生徒も調子に乗って参ってるって言ってたよ?」
「その点で言えば、よくもまあ平塚先生もゾンビを生者まで戻せたものね……。素晴らしい偉業だわ」
「眩しいものを見るような目で人を見るんじゃねぇよ……生きてるからね? 平塚先生に出会うまでもなく生者だから」
グラスを合わせてからは、いつもの定位置に座る俺達は、こうしているといつの間にかいつかのような調子で話し始めてしまう。
懐かしいことだし眩しいことだとは思うが、あの頃に戻りたいからこうしているわけでは断じてない。
現在は楽しい。かつては想像すら出来なかった大切なものに溢れている。
そんな大切なものの中の二つが、本日少々暴走いたしたわけだが……まあ、男親としての意見で言えば、大変嬉しゅうございます。
は、初恋……パパだって! やったね八幡!
ガラにもなく心の中が燥ぎまくっている。
心が叫びたがっているんだどころじゃない、現在進行形でヒィイヤッホォオオゥイと叫びまくっている。
娘二人が俺に懐いてくれていたのは大変嬉しかった。ファザコン万歳でしょ。
しかしそれが恋ではないことくらい、結衣のあの真っ直ぐさを知っている俺からしたら解りそうなもので。
なのに本日、二人の目がとうとうかつての結衣……まあ、言ってしまえば“いつかの由比ヶ浜”のあの目と重なった。
だから理解した。ああ、これは恋なのだと。
娘を溺愛する父親といたしましてはそれこそイィイイヤァッホォオオゥィって叫びたい状況。ヴィクトリークッキーをヴィッキーとか名づけたい心境だ。喉が掠れるほど叫びたい。
だがここで問題。
このままじゃ娘たち、本気で結婚出来ないのでは?
「………」
まあ、相手とは絶対に結婚は出来ないのだって心から理解すれば、いずれは離れる恋もあるってやつだろう。
……うん。たぶん。
問題なのは結衣の……由比ヶ浜の血を受け継いだ人間ということで。
きっと真っ直ぐに恋を続けるんじゃなかろうかと。
親友のために一歩を引きそうな場面はあるのかもしれない。
しかしながら、あの二人にはそうして引くための親友が……まあその、なぁ?
「……見守っていけばいいか」
「? ……あ……うん、そうだよ、ヒッキー」
特に何も言わなくても察してくれたのか、俺の呟きに結衣が微笑んでくれる。
雪ノ下の隣って位置から椅子をずりずり動かして、俺の隣に来るや……机の下で手をぎゅっと握って、いつかのようにえへへぇと笑うのだ。
……。
この笑顔に何回救われてきたのだろう。
ふいにそう思うと、たまらなくなって抱き締めた。
驚きはしたものの、嫌がるでもなく背に腕を回してくれる在り方に感謝。
雪ノ下や一色は溜め息を吐いたり、「またですかー……」なんて言ったりするが、そこに嫌悪の色はない。
これからのことは解らない。そりゃ当然だ。未来視なんて出来ねぇし。
当たり前のことで不安になっても、じゃあなんでも知ってる方がいいのかと訊かれれば、それもまた違うわけで。
老後とかはそれでもいいのかもしれんけど、知った世界に全部を委ねるのはつまらんだろう。
だから今は、先の解らんこれからに多少の期待を乗っけて、大事な人が望んだ全部が零れ落ちないよう、頑張るだけなのだろう。
「えっと。結衣先輩としましては、いつまで~も自分に甘える先輩ってどんな感じなんですか?」
「え? うーん……あたしは嬉しいよ? ほら、子供のお世話とかばっかりしてるとさ、“あー……自分はもう女の子とかじゃなくて、親でしかないんだなー”なんて思っちゃう時がくるんだけどさ。でもヒッキーがこうして抱き締めたりキスしてくれたりすると、“それだけじゃなくてもいいんだな”って思えるし。親になったからって恋しちゃいけないなんてこと、ないんだよね。ただあたしの場合、その相手はずっとずうっとヒッキーがいいなってだけで」
「うわーはー……どうしましょう雪ノ下先輩、ものすごーく惚気られました。見てくださいあの幸せいっぱいの顔……」
「幸せならいいでしょう、それで。これで不幸そうに笑われていたら、それこそ怒るでしょうけれど」
「あ……ですねー」
「ゆきのん? いろはちゃん?」
「なんでもないわ。それより由比ヶ浜さん、グラスが空いているわ。もっと飲みなさい」
「そうですよー、ほらほら先輩もっ」
「え、わ、わっ、ゆきのんっ、ちょっと多すぎだってばっ」
「たまにはいいでしょう? 私も、今日は飲みたい気分だから」
「当然わたしもです。幸せな二人に乾杯、というやつですね」
「う、うー……えと、じゃあ……ヒッキー? 多いから、手伝ってくれる……?」
「……お、おう」
結衣がグラスを手に、上目遣いで俺を見る。
顔に、酔いとは別の熱がこもるのを感じつつ、ツ……と酒を口に招く結衣の唇に視線が釘付けになり、やがてその口が俺へと向けられ……
「……こうなることは解っていたのに、何故注ぎすぎてしまったのかしら……」
「雪ノ下先輩、たまに素でポカしますから、わたしとしましては今さらですけどね」
「そ……そう……なのね……《がぁあああん……》」
結衣に口づけをして、その唇を舌で割り、唇を密着させて酒をすする。
こぼさないように、けれど味わうように。
やがて冷たさが口の中でほどけ、暖かくなったところで嚥下すると、互いの唾液が混ざったそれが、ぴりぴりと頭を痺れさせるようななにかを俺達にもたらす。
「うわーはー、目に毒ですねー……」
「ええ、目に毒ね……。けれど、まあ、それもいいのかもしれないわね……」
「……ですねー……。なんか今、小町ちゃんでも呼んで、一緒に先輩のことつつきたい気分です」
「ふふっ……物凄い勢いでつついてくれるでしょうね……」
バクバクと早鐘を打つ心臓が血の循環を速めているのか、酔いが回るのがとても速い。
ボウっとしてくる意識の中、それでも目の前の人をひたすらに愛しく思い、想い、焦がれ、感謝を伝える。
学生の頃は自分の人生プランをどれだけ語ろうが、そんな妄想が現実になるだなんて信じちゃいなかった。
中学で散々痛い思いもイタイ行動も取ってきた自分だ、周囲にどう言おうがそれがカタチになるなんて信じられるわけがない。
だからといって必死こいて働く自分も想像出来ないわけだ。
なにがきっかけで自分が変わるかも解らない。気づけば変えられているのが自分ってもんだろう。
どんなきっかけがあったにせよ、きっかけがあるのならそれは周囲の影響がほとんどだ。
だから偉い人は言う。自分で変わるなんて無理だ。人を変えるのは周囲なのだと。
実際俺は変わったのだろう。変わりすぎて、過去を振り返れば恥ずかしすぎて叫ぶまである。
けど、まあ。
中二病も高二病もきちんと受け止め、やがて発症した大二病は大事な人のためにひたすら頑張る、なんていう、言ってしまえば確かに病気と言えるものだったのだ。
あー、その。恋の病? ぐっは死にたい……!
でも……
まあ、うん。でも、なんだよな。
そんな経験があって、人を大事にしたいって思って、優先順位がガラリと変わって。
信じてもいいんだと。
こいつになら裏切られてもいいんだと信じるようになって、傍から見れば無様ってくらいに頑張った先に、こうした今があって。
「………」
思い出すのは“ヒッキーは頑張った”と言ってくれた、いつかの日。
今さら思い出して、泣きそうになるくらい嬉しくて。
だから、無くなった酒をグラスから含もうとして伸びたその手を掴んで、なにもない口にキスをした。
酒が多いからなんて理由ではなく、愛しいから。
ぴくんと体が跳ねたものの、その手が俺の手を握り返し、もう片方の手が俺の背をやさしく叩いてくる。
大丈夫、解ってるよ
そう言ってくれている気がして、心が安らいだ。
「……一色さん」
「なんですかー……?」
「……三女か長男が産まれたら、私たちが育てましょうか」
「……賛成です。でもなんででしょうねー……男の子が産まれるって、想像がつかないです……」
「ふふっ……ええそうね。産まれたら比企谷くんが嫉妬に狂いそう」
聞こえた声にツッコミたくなった……が、愛しさに負けた。
で、思うのだ。
何年経っても夫婦の在り方としてこんな関係でいたいと。
年老いても互いを大切に思える、そんな関係で。
『………』
ちゅる、とお互いの舌と口を舐めて、橋が出来ないようにしてから離れ、微笑み合う。
ああ、もう、相当酔っぱらってるなぁと感じながら、頭をぼ~っとさせながら、椅子をくっつけ隣同士、寄り添うようにして、軽い頭重を堪能した。
いろいろ思うことはあるが、まあまずあれだ。
いつか娘二人が別の誰かに恋をしたら、連れて来たそいつらに“君は娘が初恋だったのかい? そうだよなァ。だが娘の初めての相手は貴様ではないッ! この八幡だッ! ───ッ”と自慢してやろう。
うん大人げねぇ。
「………」
あとは、まぁ。
余計なことは考えず、目の前にある静かな関係を……ゆっくりと味わおう。
“なにかを選べばなにかが無くなる”と……そう怯えていたいつかでは考えられないくらい穏やかな、今のこの関係を。