どこにでもあるようなガハマさんとヒッキーのお話 作:凍傷(ぜろくろ)
そうしてとっぷりと深夜を迎えてみれば、とある一室に男がみっしり。布団を並べて、適当に寝転がり、暗がりで天井を見ながら語っていた。
別に順番っつーか……誰々が隣~ってことをどうこう言うつもりはないんだが……そりゃ、戸塚が隣ならなぁとか思ったが……隣がお義父さんって。緊張しちゃうじゃねぇかよ。どうしてくれんのこれ。
「あははっ、なんかこういうの、久しぶりだよね」
「なーっ♪ なんっつーかぁ、あの夏の日とか思い出しちゃう系っつーかぁっ! あ、そういやハヤトくん? 結局Yって誰だったん? 優美子?」
「はは……もう、忘れたよ。いいんだ、それで」
「うむ……皆、恋に恋して青春を歩んでおるのだなぁ……。いや、我、そういうの全然来なかったけど」
「というか君。戸塚さん、といったか? 何故ひとりこっちに? 女性なのだから、娘たちと同じ部屋に行くべきではないかね?」
「え? あ、あの、僕は……」
「あー……お義父さん。戸塚はですね、その……」
「んあぁガハパパさん? 戸塚っちゃんてば男よ? こ~んな可愛いけど、ほんと男」
「!?」
「あ、固まった……まあ気持ちは解りますよ、お義父さん」
「お察しいたします、由比ヶ浜様」
「都築さんも、いつもお疲れさまです」
「いえいえ、これが仕事ですから。充実した日々を送らせていただいておりますよ」
『シヴイ……!』
都築さんマジ紳士。
「うう、なんか緊張するっす……! こ、ここに居ていいんすかね……! 流されるまま寝ちゃってるっすけど……!」
「いいっしょいいっしょ~♪ あ、けど、こうなるとあっちの方とか気にならね? 今頃あっちではレベルの高い女性たちがいろいろな話に花を咲かせて~……♪」
「戸部」
「ア、ウン……なんでもないわぁヒキタニくん……。いんやぁ、だけどこれでハヤトくんも優美子とってことっしょ? こーなると俺もそろそろーとか思うわけよー。ていうかズバリ訊いてみたいんだけどさぁハヤトくん。……ぶっちゃけ、子供どーすんの?」
「戸部」
「ア、ウン……やっぱなんでもないわぁハヤトくん……」
そんなやりとりに、お義父さんが笑い、そこからなんとなくの世話話が始まった。
仕事があーだとか、あいつがどうとか。
暗すぎる話なんてなく、話す度に話題が広がって、材木座はふむふむ言いながらそれをメモに取っていた。些細なことでもネタのとっかかりにはなるから、他人の人生談は大切なんだそうだ。
人生経験っつーか、前に“目を持つ者の喫茶店”とかいうタイトルで小説書いてたけどな。モデルは思いっきりこの喫茶店。普段は能力を隠しているマスターが、眼鏡を取って目を変異させることで───とか、なんかそんなの。
……べつに俺、そういう能力ないからね? 目を濁らせるくらいなら出来るけど。
「しかし、向こうですか。奥様がどういった話をしているのか、という点では……気になりはします」
「おー! そーっしょそーっしょー! ほらほらぁ俺だけじゃないってさぁヒキタニくぅん!」
「いーから寝ろって……。お前らが寝ないなら俺も寝ないから」
「比企谷、さすがにそれは過保護すぎないか?」
「べつにここに居る連中がとかそういうことだけじゃねぇよ。いつもなら隣に結衣が居るからいいんだよ。けど今日はそうじゃねぇだろ。もし強盗なんぞが来たとき、自分が寝てたらとか考えると絶望するわ」
「“常にもしもを”か。……よっぽど大事に思っていなきゃ出来ないことだな」
「お兄さんさすがっす!」
「誰がお兄さんだラファティくん」
「だから大志っすよ!」
「……その。きみたち? 八幡くんはいつもこうなのかね?」
『いつもというか常にです』
「そ、そうか」
うっせ、ほっとけ。大事なんだからしゃーないでしょうが。お義父さんもそんな当然の質問、こいつらにしないでください。
「……本当に、大事にされているんだな。すまなかった、八幡くん。私も少々大人げなかったのかもしれん」
「いや、あんないい娘さんを俺なんかの嫁に出すっていうんだから、お義父さんの不満も頷けますよ。俺だって、もし絆や美鳩が目が腐ってて捻くれまくりで、自分のことを好きな相手を泣かせるようなヤツだったら───」
「……だが。泣くにしても、結衣は幸せそうだ」
「お義父さん……」
ふぅ、と息を吐いて、お義父さんは天井から視線を俺に移し、初めて穏やかな顔を“俺に”向けてくれた。
「休みの日にでも、酒でも飲むか。いい店を知っているんだ」
「……いいんですか? 俺で」
「良いも悪いもない。私の問題だったんだ。結衣が選び、そして幸せだと笑える場所がある。……一にも二にも、私はそれこそを喜ばなければいけなかったのだろうに……」
そう言って、お義父さんは少し恥ずかしそうにして咳ばらいをした。
「え、え? なんか……シリアス? シリアス?」
「戸部、ちょっと黙れ」
「あ……わり、ハヤトくん……」
戸部がこの空気に耐え切れずに声を出すが、すぐに葉山が静まらせる。
いや、俺もべつに二人の世界みたいなのを作りかったわけじゃないから、喋っててくれてもいいんだが。
「結衣が選んだ相手が、君でよかった。今さらなのだろうが───これからも、娘を頼む」
「あ…………~───」
不覚にも、なんて思わない。
ぐっと来て、視界が滲んだ。
きっと、ずうっと……この人には認められないのだろうな、なんて思っていたから。
それもしょうがないって思っていた。
愛娘をいきなり、目が腐ってて猫背で普段からだるそうに喋る捻くれ野郎に奪われるっていうんだ、俺だったら絶対に殴ってでも追い返す。
それでもこの人はそれをせず、結衣の手前、ママさんの手前、頷きたくもない首を頑張って縦に振ってくれたんだ。
「俺も…………俺も。結衣の父親が、あなたでよかった」
「…………ふっ……ふふふっ……恥ずかしいもんだなぁ、誰かを認めるというのは。だが、あえて言わせてもらおうか、八幡くん。“当然”だろう? 私とあいつが育てたんだ、良い娘に育たない理由がない」
「あー……でもファブリーズ」
「それは忘れなさい」
「…………」
「…………」
「…………ふっ」
「くっ……くふふははっ……」
「ふふふははははっ……はっはっはっはっは!」
笑い合う。
今まで目が合えば逸らしていた分を取り戻すように。
笑って笑って……そして、ようやく力を抜いた。
近づけば思わず身構えてしまう相手を前に、警戒を解くように。
そして思うのだ。
なんてくだらない回り道をしていたんだろうなぁと。
……そうだな、結衣。やっぱり、話してみなきゃ解んねぇよな。そんなこと、もっと早く思い出して、ぶつかってみればよかったのに。
「こういうのも青春というのかな」
「青春は年齢じゃないそうですよ。夢に年齢制限なんてないって、どこぞの歌でもありましたし」
「そうか、青春か。……そうだな。なにも愛だ恋だばかりが青春なわけじゃあない。……まあ、私が青春の中で出会えた奥さんは超可愛いから、それを否定するつもりもないが」
「どうすればあんな人とくっつけるのかが謎ですよ」
「はっはっは、それをキミが言うのか」
「……なるほど」
つまり、奥さんがいい人すぎた。これに限る。
「お互い、妻を大事にしよう。まあ私は娘も大事だが」
「それ言ったら俺だって同じですよ」
「なら私は孫もだ」
「なら俺は義理の親もです」
「………」
「………」
なにを言うでもなく。手を伸ばして、ごつんと拳同士をぶつけた。
何も言わずに見守ってくれている男たちの前で、けれど恥ずかしいなんて気持ちは浮かばずに。
「……羨ましいな、相手の親とそんな関係に、なんて。俺は……きっと、そうはならないんだろうな」
「葉山様。決断が遅れ、待たせてしまったとしても……娘が決めて、愛し続けた者と結ばれるというのなら、親というのは嬉しいものですよ。“その手を取りたい”と思ったのであれば。迷いなど捨てて、その相手を愛し続ければよいのです。……あなた様はもう、“選んだ”のですから」
「都築さん……」
「結局我は声優さんとは結婚出来なんだのう……ていうか女の影すら見えんとか。いやべつに? 我一人でもいいし? たまに打ち合わせの時に“あんなヤツがあんな美人と……!”とか言われるほど我イケメンだし?」
「んやー……それ、ただの戸塚っちゃんの容姿の問題ってだけだべ……」
「ぶひっ!? …………いいもん。我、忙しくて使い道のない金で、お手伝いさんでも雇って眺める暮らしするから」
「まああれだ。朝刊のトップにだけはなるなよ」
「ゴラムラゴム! ……やめて八幡縁起でもない……!」
「けどすごいっすよね将軍さん! 俺アニメとか毎日見てたっす!」
「……やだこの後輩素直……! ふふんっ! 見よ八幡! こんな近くにも我のファンが!」
「あ、いや、ファンっていうか、妹が見てたのを一緒にってだけで」
「……そこはわざわざ訂正するでないよこのラファティめが……」
「えっ!? これ俺が悪いんすか!?」
いや、そっちこそそこでマジ声になって返すなよ。いろいろと心配になっちゃうだろうが。
「くぁ……はふ…………ぁ……ごめん、僕、もう眠くて……」
「《きゅんっ》……戸塚氏のあくび……何故こうも色っぽいのか……」
「危ないこと言ってないで寝ろ。戸塚も、明日普通に仕事なんだろ? 悪かったな、お泊りに付き合わせて」
「あ、ううん、それはいいんだよ八幡。僕も久しぶりにこういうことしたかったし。“そうしよう”って思わなきゃ出来ないことなら、実行しなきゃもったいないよ」
「……我、ほんと戸塚氏が担当でよかった……! 戸塚氏じゃなきゃやだと駄々をこね続けている甲斐があるというものよ……!」
「あ、なんか今までの不思議が解消されたわ」
ずっと同じ担当ってのも珍しいなって思ってた。
よかったなーマジで。そういう我が儘を叶えてくれる編集社で。
いや、案外戸塚が上にお願いしたから通ったのかもしれんけど。なにせ戸塚だし。
「けどさー、こうして集まれんのも何回くらいかねーとか思っちゃわね? たまたま集まったから会えたけど、こんなん偶然でもなきゃ滅多に叶うもんじゃねぇっしょ」
「……そうだな。俺も、これからはもっと頑張らないとだ。今まで散々待たせたんだ、優美子には幸せになってもらいたい」
「何回、とかじゃなくて、べつに、客としてくる分にはうちはいつでも来いだが」
「そりゃー俺とかたまたまこっちに仕事で来てるからいいけどさー、向こうに戻ったら早々来れねぇべ?」
「休みにでも飲みに来りゃいいんじゃねぇの? 休日は家でだらだらが趣味です、ってんなら止めねぇけど」
「んー……ま、それも……アリ? ようやくこっちも進展しそうだし」
「戸部くんは、まだ海老名さんを?」
「未練っちゃ未練だよなー。ん、でもやっぱ好きだから、こーゆーのってしゃーないっしょ。海老名さん、やっぱ結婚する気とかなかったらしいけど、猛アタック続けてたらようやく……ほら、そのー……ねぇ? ちょっとばかし進展したっつーか……うーわっ! こういうのマジ恥ずかしー! べっ……っべー! っべーわー!」
「そうなのか……おめでとう、戸部」
「おーう! サンキュなハヤトくん! そーゆーハヤトくんもおめっとぉう!」
「ああ。ありがとう」
……今さら、確かにこういうのが青春の代名詞だよな、なんて思っている自分が居て、驚いた。
そんな自分に苦笑しながら、どうしても……思ってしまうことがある。
こんな会話をしている今が、もしあの林間学校のコテージの中だったら、と。
そんな頃から恋をして、付き合って、同じ頃に子供が出来ていたら、なんて。
もちろん年齢ってもので視野を狭めるのは俺だって好みじゃない。
ただ、もしそれがもっと早かったなら、幸せもそれだけ長かったんじゃないかと……思ってしまうのだ。
本当に、世界ってやつはまちがいだらけでやさしくない。
だからやさしい人には今でも弱いし、けれどそのやさしいだけじゃない相手が好きすぎて、参りすぎている。
世界を変えることなんて無理だって解ってるから、世界のことはしゃーないって諦める。
ただ、手を伸ばせば変えられるものは…………まあその、なんだ。変えたほうがいいのなら、現状維持ばかりで腐ってしまわない程度には変えていこう。
「青春でございますなぁ……」
「はっはっは、青春ですなぁ。私も、なんだか家内に会いたくなってきました。まあ今行けば追い出されるのは解り切っていますが」
「由比ヶ浜様も、もっと素直になられたらいい」
「ですな。久しぶりに、強く人恋しい気分です」
「ふふっ……どういった出会いだったのか、お訊ねしても?」
「ははっ……ええ、あれはまだ私が“俺”だった頃の───」
静かな夜。
しかし暗い部屋の中は意外と賑やかで、寝るという選択肢を捨てているような気がする。
知られざるお義父さんとママさんの出会いやらなにやらを聞いて、見ていて危なっかしかったからとお義父さんがいろいろと世話を焼くところから始まったらしい二人の恋は、なんというか……あれだな。やさしい世界だった。
トラブルらしいトラブルもなく、世話を焼き、感謝され、話すようになり、笑顔が増えて……そういった感じの、本当に少年が憧れるような青春ラブコメそのものだった。
俺達みたいな、心の弱さを胸に泣いたりだとか、勝手な行動で泣かせてしまったり、なんてことはない……“だからこそ”信頼できる間柄を築き、やがて結衣が産まれた。
羨ましいなと思ったのは本音。
でも、俺の青春だって捨てたもんじゃないさと思ったのも本音。
捨てていいようなものだったなら、きっとここでこんな話を聞くこともなかったんだろうから。
「…………ん《ゴソ……》」
「比企谷? どうした?」
「喉乾いた。お前も来るか?」
「いや、俺はそうでもないな、やめておくよ」
「そーかい」
掛け布団をどかして立ち上がり、部屋を出る。
さすがに5月ともなると……いや、夜だとまだ少しだけ寒いか? ……布団に入ってた所為か。まあいい、とにかく水だ。
そんなわけで明かりもつけず、用意もせず、すっかり暗い夜の我が家を歩く。
「そういや、自分で作るようになってからマッカン自体を飲んでないな……」
たまに恋しくなる。今度出掛けた時にでも買って飲むか。
呟きながら静かな廊下を歩いて、奉仕部に到着。
暗がりの中、長机の上のクッションで丸まる猫のヒキタニくんをひと撫でしたのち、そのまま歩いてキッチン横の冷蔵庫をワヂャッと開けると、水を…………
「………」
水を…………
「………」
……まじかよ。マッカンがある。
え? あれ? どーしてー!
心の中が疑問符でいっぱいだ。
しかし幻ではなく、手を伸ばしてみれば触れられる。
マジかよ信じられねぇ……こんなところにマッカンがあるだなんて……きっとボスからだ。いやそうじゃねぇよ。驚きすぎて心がちょっとドッピオだった。
「…………《きょろきょろ》」
の、飲んでいいの? いいよね?
“我が家にマッカン=俺のもの”でいいんだよね?
……とか思って取ってみれば、マッカンに紙が貼られてた。
冷蔵庫から漏れる光に当てて見てみれば、文字も書かれている。
「……ママからヒッキーくんへ? やべぇママさんグッジョブすぎ……!」
俺がマッカン好きと知っていて、わざわざ……!
喫茶店で働いていると知っていながら、あえてこの黄色のニクイヤツを買ってきてくれるなんて……!
「は、はああ……!」
キンッキンに冷えてやがる……! あ、ありがてぇ……! などとカイジやってないで。
とりあえずマッカン片手に冷蔵庫を閉めて、コワチャッと開封。
プルタブの音とか缶詰の音って独特でなんか好きだ。
「黄色の響きにいざなわれ、比企谷絆───推参!《クワッ!》」
「黄色の香りに誘われて、比企谷美鳩───参上?《クワ……?》」
で、開けたらなんかどっからともなく娘が現れた。
「……なにやってんのお前ら」
「えっ……え、や、やー、なにってほら、あれだよパパ。…………おばあちゃんがマッカンをお土産に持ってきたのを目撃。久しぶりに飲みたかったので、パパが行動を起こすのを今か今かと待っていたのです!《どーーーん!》」
「マッカンは確認した……。でもパパのものという事実も確認……! 一本しかない……! こうなったら、パパが開けるのを待って、横から奪うしかない……!」
「封印の解き方が解らないから主人公側が解封するまで待って、解封されれば横から奪おうとする悪役かおのれらは」
「ま、まあともかくあれだよパパ。───この娘の命が惜しければ、そのマッカン……渡してもらおうか!」
「《がばしっ》あーれー、ぱぱ、たすけてー」
「……。ちなみに渡したらどうなる?」
「ふふっ、知れたこと……! ……美鳩と一緒に飲むのです!《どーーーん!》」
この人質のVIP待遇っぷりときたら。
「さ、さあすぐにそのマッカンをこちらへ……!」
「待て。その美鳩……まごうことなき美鳩であろうな?」
「ちっ、疑り深いやつめ。そら」
「《もにゅり》!!《かぁっ!》」
「《ドズゥ!》うぴゃあうっ!?」
訊ねてみれば、何故か暗がりの中で美鳩の胸を揉む絆。
振り向きざまの脇腹への地獄突きが深く刺さり、次の瞬間には腕を取られ、「がああああ!」……アームロックが決まっていた。
「痛っイイ! お……折れるう~~~っ……!」
「じゃあな」
「あわわ待って待ってくださいパパ待ってぇ! でででではこうしま───がああああ! ちょ、離して! ごめん謝るから! 美鳩やめて! 美鳩!」
「次やったらグーで殴る……!」
「そこまでなの!? う、うー……と、とにかく。まずはパパはそのマッカンを長机へ置いてください! で、手で触れないでください! この絆も触れませんから!」
「……。……《ことん》」
「へっへっへ……さ、最初からそうすりゃあいいんだよ……!」
「存分に楽しんでるなおい」
「人質ごっことか脅迫ごっこなんて初めてかもしれないんだよパパ! この絆の心も躍動するというものです! ひゃっほーい!!」
宅の娘が今日も元気である。元気だけど、脇腹押さえながら、さっきまでロックされていた腕をぐるぐる回してる。うん、見てて気の毒とか思っちゃいけない。
あと静かにしなさい、もう夜なんだから。
「では約束です。絆はマッカンに手を触れません。パパもです。だが───《ニヤリ》」
「……美鳩はその条件の範疇にない。なのでこのマッカンを手にするのは───!」
「……《カコッ》」
「あ」
「あ」
手で触れない。
うん。だから、缶のクチのところを歯で噛んで持ち上げた。
「
「ままままま待ってくださいパパ! 慈悲を! 三分の一分けてください!」
「
「パパまでそれするの!?」
「で、でも美鳩はそれを手で触れていい……! 口で噛むパパには負けな《なでなで》……ぁ……きゃぅ……」
「ああっ!? 美鳩がなでなででオチた!? が、頑張って美鳩! それを乗り越えなきゃマッカンは手に入らないんだよ!? というわけで撫でるのはマッカンに触れない絆にして、さぁ美鳩はマッカンを!《どーーーん!》」
とんでもなく欲望に忠実な娘であった。
……。
仕方もなしにマッカンを分けると、二人はキャッホゥとばかりにそれらを飲み、「今日はいい夢見る!」といった感じの言葉を残して部屋に戻った。
……見れそうじゃなくて見るってところがまたなんとも。なんでこう無駄に男らしい部分を残して育ってしまったのか。
いや、それでも可愛いんだけどさ。
さすがにマッカン三分の一じゃ足りなかったので、再び冷蔵庫を開けて水を取り出していると、人の気配。見れば、通路側から歩いてくる結衣。
俺を発見するなり「あっ」と頬を緩ませ、にこりと笑み、笑顔のままにこちらへたととっと小走りしてくるやだ可愛い。
「えへへぇ~♪」
水を注ぎ、椅子に座った俺の横へと椅子を持ってきてとすんと座る。
暗がりでもしっかりと相手を見分けるところがさすがというか。まあ、そりゃ解るか。こっちも電気消して寝転がってたお蔭で、暗がりでもまったく苦じゃなかったわけだし。
「こっちは今まで話とかしてたけど、そっちはどうだ?」
「うん。こっちもそんな感じかな。絆と美鳩が幸せそうな顔で戻ってきたから、ヒッキー来てるのかなって、出てきちゃった」
「そ、そか」
「うん」
にこー、と笑ってくれる。それだけで視覚的に幸せっつーか……顔が緩む。
いやもうほんとアレな。俺に真っ直ぐ警戒のない笑顔くれる人なんて、ほんと珍しい。いや違う違う、珍しいとか希少性の話をしたいんじゃなくて、なんというかそのー…………いいやもう、可愛いはジャスティス。俺の奥さん超可愛い。
「………」
そろりと手を伸ばし、その手を握る。
あ、と。暗くても解るくらい赤い顔で俺を見つめる目を見つめ返して、ぽしょり。
男が群れるあそこへ連れていくわけにはいかない。
女が溢れるそちらへ連れられるわけにもいかない。
じゃあ? ……別室でしょう。
そもそも現在使っているのは前まで小町用に使っていた一室と、来客用の大きな部屋だ。
ならば俺達は何処へ行くべきか?
別室は別室でも、自分たちの寝室へ。
「あはは……な、なんかね、もう……ヒッキーと一緒じゃないと、安心して眠れる気がしないんだ……」
「んぐっ……う、その……俺も、だ。お前のことが気になって気になって……。離れた場所で眠ってる間に強盗とかが急に来たらどうしようとか、傍に居られないもどかしさばっかが……その……あー……なんだ、つ、つまり…………」
「うん……ヒッキー」
「……一緒に居てくれ。いつでも隣に居てほしい」
「…………うん。あたしも……隣に居てくれるのは、いつだってヒッキーがいい」
「結衣……」
「ヒッキー……」
手を繋ぎ、絡め、腕を抱くようにして寄り添い。
見上げ、見下ろし、微笑み合って……やがて歩く。
恋人同士になった頃からずうっと続く、こんなやりとり。
飽きることなく隣で笑い、尽きることなく想いを届ける。
自分が幸せであることを素直に頷けるって、すごいことだよな。
けど、すごいってのが身近にあることが、今では普通だった。
願った全部はここにあって、回り道をしてしまったものもあっても……そこにはきちんと笑顔が生まれた。
綺麗だと思っていたものに何かが混ざることで、それがどうなっていくのかは混ぜてみなければ解らない。
これから関わることになる人、一緒に働くことになる人、家族になった人たちのことを考えれば、心から落ち着く日々なんてものはもう来ないのかもしれなくても───……少なくとも、隣に居てくれる彼女が笑ってくれている内は、俺も顔を緩まさずにはいられないのだろうから。
「えと、んとー……ね、ねぇヒッキー?」
「ん……どした?」
ふと、大事な人が声をかけてくる。
見上げられ、見下ろした先には真っ赤で目が潤んだ愛しい人。
どした、と訊いてみると、視線を彷徨わせ、えと、その、とこぼし、こくんと息を飲むようにすると、やがて言った。
「あのっ、あのさっ……! も、もう一人……ががが頑張って……みる?」
「───」
…………。
「………」
………ハッ!?
いやいやいかんいかん、ちょっと意識飛んでた。……飛んでた割に、なんでこの腕は結衣を抱き締めてらっしゃるのでしょうか。グッジョブ。いや落ち着け。
「いや、えっと、だな……《かぁあ……!》」
「う、ううぅぅううん……《かぁあ……!》」
「………」
「………」
見つめ合い、くすりと笑って、額同士をくっつけた。
「……作ろう、って頑張るんじゃなくて……」
「……ん、だね。自然にそうなったら、って……それでいいよね」
その方がきっと、なんつーかその。結晶って感じはするだろうから。
「あ……でもそうなったらまた子守とか……」
「ぁぅぅ……! えと、えとね? ヒッキー……さっき向こうで、ママとゆきのんのママが張り切っちゃって……。も、もう一人産むことになっても、むしろどんとこいだ、って……。それどころかゆきのんもいろはちゃんも子育てしたいって言いだして……」
「う、ぐぉぉ……そ、そそっ……そっか……。そりゃあ、その……心強いっつーか……」
「あと絆と美鳩も妹が欲しいって……」
「娘限定なのか……」
「や、やー……それは、えっと、あのね? 息子が産まれたとしたら、女泣かせになりそうだからーって……ゆきのんとかいろはちゃんとか小町ちゃんとかサキとか、優美子まで言い出しちゃって……」
ほぼ全員じゃないですかやだー……。
「まあでも、俺も娘の方がいいかな、とは思う。正直、息子を甘やかす自分が想像出来ねぇよ」
「? なんで?」
「いやっ……だっておまっ…………~~…………わるかったなくそっ……独占欲強いんだよ俺は……!」
息子だろうがなんだろうが、男にお前を取られるなんて嫌だ、なんて思うあたり、本当にもういつまで俺はこいつにやられっぱなしなのか。
~~……いい、もういい。このもやもやは全部、首を傾げた最愛の人にぶつけよう。
「……お義父さんもお義母さんも、果てはママのんや都築さんまで居るんだから、声は抑えてな」
「え? …………ふええっ!? えっ……ぁっ……きょ、今日……する、の?」
「───」
する。と言いたいところだが、そういった行為をもし第三者に聞かれたらと思うと、理不尽ながらも殺意が沸くな。
「ヒ、ヒッキーがしたいなら……あたし、頑張って声……抑える……よ?」
軽く、ふるるっ……と震えながら、真っ赤な顔も軽く俯かせ、潤んだ瞳を泳がせては、胸の前で合わせた指同士をこねこね。やだ可愛い。可愛いしかねぇのかよ。可愛いんだからしょうがねぇだろ。可愛いんだよ。
っつーか抑えるって言っても、いっつも枕に顔埋めて必死になって震えて……あ、いや、げふんげふんっ!
「………」
「ヒッキー……?」
おそるおそる、声を投げてきた。
どうするかを完全に俺に委ねている割に、とっくにきゅむと胸に抱き着き、顎を持ち上げて俺を見上げる結衣。
さらり、と髪を撫でると気持ちよさそうに目を細めるもんだから、ついキスをしてしまった。
至近距離。
瞳に映る自分さえ覗けるような距離の中、彼女の目が喜びに揺れるのが解った気がした。
そうなると次は早く、ちゅむ、と唇を奪い返され、奪い返し、二度、三度。
離し、もう一度見つめ合ってからは、迷いはしなかった。
寄り添い歩き、寝室へ入り、安心する距離、いつもの距離で横になり、抱き合い、キスをした。
さすがにやっぱり最後まではしなかった。誰かに声とか聴かれたら、ひどく後悔するからという理由で。
その代わり、飽きることなくキスをした。
翌日、朝食を全員で囲む席でも、結衣の顔が緩んだまま治らないくらい熱くしつこく。
「比企谷くん……あなたまさか……」
「い、いやちょっと待て、さすがに知り合いがこんなに居る屋根の下でやらかすほど馬鹿じゃねぇぞ俺は」
「じゃああの結衣先輩はどう説明するんですかー……」
「抱き合っていちゃいちゃしてただけだっつの……ていうか本人にいちゃいちゃとか言わせるなよ……」
「そんなのお兄ちゃんが勝手に言い出したんでしょーが。まあ確かにお兄ちゃんにそんな度胸があるとは思えないし、なによりそういうのは独占しようとするだろうから、小町はお兄ちゃんの言葉を信じるよ」
「小町……!」
「あ、でもあそこまで緩むほどのキスとかなにやってんのとは言いたいかな……。うん。ていうか言う。なにやってんのお兄ちゃん」
「……すんません」
今日も奥さんが幸せそうでなによりです。
まあでも、幸せを目指すための“全部”なんだから……その中の誰かが幸せで、自分もそれを素直に喜べるなら、笑っていいんだよな。
昔の俺が今の俺を見たらなんて言うかね。
今までも何度か思ってきたことを、また頭の中に浮かばせてみた。
答えらしい答えは沸いてこない。
そりゃそうだ、もう願ってることがあるんだから、そんな想像の中の過去の自分でさえ、いつか結衣と出会い、恋に落ちると信じている。
だから、“なんて言おうが結衣と一緒に幸せになりやがれ”が素直な気持ちなのだ。
「あ、それじゃあみんな、おべんと作ったから持ってって」
『───…………』
「なんでみんなして涙目で俯くの!?」
「い、いや……これはだな、その……いいか、由比ヶ……いや、結衣。わわわ私はべつに、君の腕を疑っているわけではなくてだな……!」
「静ちゃ……あ。ここはあえて静お姉ちゃんで。それじゃあ静お姉ちゃ~ん? 毒っ……じゃなくて味見してもらっていいかなー♪」
「陽乃、お前というやつはこんな時ばかり……!」
「なにお通夜ムードみたいにしてんの? っつーかここの軽食、結衣も作ってんしょ? なら貰ってくわ。あんがと、結衣」
「優美子……! う、うんっ! ぜったい美味しいから任せてっ!」
「んまあ、これで作ってもらったもんに文句言ったらバチがあたるべ。ありがたくもらってくわー」
「あら。結衣、ママたちにもくれるの?」
「うん、せっかくだし。あとで感想聞かせてね?」
「へー、人数分作ったんだ。朝から頑張ったね、結衣」
「姫菜も良かったら持ってってね。てゆーか持ってってくれないといろいろ余っちゃって大変かも……」
「大丈夫大丈夫、ちゃんと貰ってくから。ありがとね、ユイ」
「そしてしっかり存在する美鳩の分……グラッツェ、ママ」
「あ、でもママ? この分だとパパが別の男の人に嫉妬とかしちゃうかもだよ? どうすr───」
「え、えと……で、ね? これがヒッキーの……。い、いっぱい、いっぱい頑張って作ったから……えと……」
「お、おう…………おう。ありがとう、な。結衣」
『……既に、パパ用デラックス弁当が用意されていた……!!』
顔を赤くして、恋し愛する乙女の照れ顔とともにお弁当を頂いた。
家で食べるのにお弁当。でも、こんな機会がなけりゃ今じゃ食べられもしないのだ。ここで捻くれた言葉を返すのは違う。絶対に間違っている。だから素直に感謝を口にして…………《ニヤ》うおぉっ!? 顔が、顔が勝手にニヤケる! ちょ、やめろお前ら見るな! 人のニヤケ顔とか見るんじゃねぇ!
「え……これあたしと大志もいいの? なんか悪いね」
「あ、ううんっ? むしろえっと、愛情が溢れすぎて作りすぎちゃったっていうかー……《こねこね》」
川なんとかさんの感謝に、結衣は目を逸らしながら指をこねこね。
溢れすぎたって……えぇと。まさかとは思うが。
「あのー……結衣さん? このお弁当ってもしかして全部、お兄ちゃんのために作り出したのがそもそもで、作りすぎちゃった……とか?」
「ちょ、小町ちゃっ……! あ、ぁ……ぁぅぅうう~~……《ふしゅうう……!》」
想像通りだったらしい。
そうなると、途端に全員の弁当を自分が食いたくなるが、さすがにそれは狭量が過ぎるし、なによりもう人の手に渡ってしまった。それを返せとは言えないだろう。
「うん、愛だね。えと、これ私も貰っちゃっていいのかな」
「あ、はい、城廻先輩も、嫌じゃなかったら……」
「嫌だなんて言わないよー。むしろありがとー」
めぐりんパワーでほんわか癒される……が、やっぱり散ってしまった愛情が気になる。お、落ち着け俺。それはさすがに細かい上にキモいだろ。
「……パパがもやもやしてる」
「だいじょーぶだよパパ! 分けられてしまった愛情は回収すれば問題なし!」
「いやお前、回収ってどうやって」
「うっふっふ……言葉を添えるだけでいいんだよパパ。あー、こほんっ! ママのお手製お弁当を手にした男性の皆さま! そのお弁当に混ざりし愛情はパパへのママの愛情! 食べてもママの愛情が受け取れるわけじゃなくて、むしろなんというかそのー……バレンタインでモッテモテな男子のチョコのおこぼれをもらったあの瞬間の、愛しさと切なさ心細さと……」
「ちょ、きーちゃんストップ! 戸部先輩が胸を押さえて蹲っちゃったから!」
「お、俺は……こっ……比企谷さんにもらったことあるし……いや、思いっきり義理って言われたけど……ももも貰ったことあるから……! でも、お兄さんのついでってキッパリ言われて……あ、あぁああ……!」
「こっちではトラウマが発動してる……! 絆、もうやめてあげるべき……! でもそのパパ優先の行動、実にジャスティス」
「イッツジャスティス!」
たしーん、なんてハイタッチしてる娘二人をよそに、お義父さんはママさんと、都築さんはなにかを懐かしむようにお弁当を見て微笑んでいた。
「あ、隼人。食べたらあーしにも感想聞かせて。絶対結衣より美味しく作ってみせるから」
「え? あ、ああ……」
「ミス・グラスフル、それは考え方の根本がちょっと違う」
「YES・Graceful! それ違うそう違う実に違う! ママの料理はパパを喜ばせるために作られたパパのための料理! それを越えたいのであれば、ライバル視するのはお門違い!」
「人の名前の“優美”だけ拾うなし……べつにいーっしょ、先に“お嫁さん”ってやつになった友人を目標にするくらい。んで、負けっぱなしは趣味じゃないから追い抜く。そんくらい早く大股開きで走らなきゃ足んないっしょ、こんな“幸せ”までは」
「ミ、ミスグラスフル……!」
「だからそれやめろ。優美子だから。優美じゃなくて」
言ったところで聞かなかった。娘の中で、三浦の名称がグラスフルで固定された瞬間である。
「え、っと……そんなわけだから……さ。その。奉仕部、まだやってんしょ? 久しぶりに依頼、したいんだけど」
「おお依頼ですか! 大丈夫! こう見えても絆は! 紅茶淹れの達人! お菓子作りも結構いけます! いけますとも!」
「任せとけ……! 何を隠そう、美鳩はコーヒー淹れの達人……! 軽食もけっこういける……!」
「あ、いや、あーしは雪ノ下さんに───」
「円の動き」
「円の動き」
「え、ちょ、なんでこの双子、人の周りぐるぐるしてんの!? 結衣、ちょ、ヒキオ! 見てないでなんとかしろし!」
あ、ヒキオに戻った。
つーか気にすんな三浦、構ってやればやめるから。
「三浦さん。その二人は私や一色さん、由比ヶ浜さんの弟子のようなものよ。最初から学ぶなら、二人からの方が丁度いいと思うのだけれど」
「……いや。なんか年下に学ぶとか恰好悪いじゃん」
「ならばママ! ママこそ最強!」
「パパより二ヶ月おねーさんは伊達じゃない……!」
「や、それは目標に教わるって感じでちょっとアレだし───」
「円の動き」
「円の動き」
「ちょっ、だからなんで人の周りをっ……!」
そんな娘の動きを、都築さんに言ってカメラに収めているママのん、ぬかりなし。
……都築さん、いつもお疲れさまです。
「でも、由比ヶ浜さんが八幡のために作ったんならきっと美味しいんだろうね。ありがとう由比ヶ浜さん」
「うん、さいちゃんも、よかったら感想聞かせてね」
「……え? これ……我ももらっていい流れ? じゃあ遠慮なく…………って八幡? おかしいよ八幡。なんか箱がひとつ足りないんですけど」
「ああほれ、お前の分はこっち。いつもお疲れさまって戸塚が作ったものだ」
「ぶひっ!? お……おぉおお……! いつの間に……!」
「うん。体調管理も編集さんの仕事のうちだから。貰った食材で悪いんだけど……」
「いい! すごくいい! 我大歓喜! ワハハハハ見よぉ八幡んん!! 我はブルーアイズを引いたぞぉ!」
「弁当だからなそれ。まあそれほどレアだって言いたい気持ちはよく解る」
が、我が手の内に御身と力と栄えあれ。
俺には結衣の弁当があります。なんかやたらと大きいけど、あります。大きくて重ねてありますけど、あります。
と。
ニヤケる俺に、結衣が背伸びをして口を寄せる。
なんだ? と耳を傾けると、あとで一緒に食べようねと。
「………」
に、二人前であったか……!
そ、そうか、ならこの大きさも納得……!
で、この流れってあれですよね、全部“あーん”で食べるアレで……! ああほら見透かしてるのか、ママさんとかニコニコ笑顔でこっち見てるし、お義父さんはそわそわしながらママさん見てるし。……あ。アレなんとなく解った。自分もママさんと、とか考えてるアレだ。和む。
やはり勝手に緩む顔をなんとか押さえ、朝食を終え、それぞれが喫茶店を出ていく様を見送った。
仕事に行く者、家に帰る者、学校へ向かう者、様々だ。
そんなみんなをぬるま湯一同で見送るように、声を出す。
いってらっしゃい。
他人に向けて言うことなんて滅多にないものを口にすると、なんだかくすぐったい。
やがて娘たちも高校へと向かい、四人での営業が始まる。
「じゃあ、今日もやっちゃいますかっ」
「ええ。比企谷くん、ヘマをしないよう気をつけなさい」
「なんでピンポイントで俺なの……むしろお前だろ、妙なところでポカやらかすの」
「も、もー、みんなでがんばろーでいいじゃんっ、ヘマなんてしないぞー、って! ほらほらっ!」
「いえ結衣先輩が言わないでください」
「由比ヶ浜さん、あなたが一番危なっかしいわ」
「結衣、お前が一番落ち着こうな?」
「みんながひどい!?」
今日も元気にやっていこう。
人を迎えることなんかなかったくせに、今ではすっかり慣れてしまった言葉を口に。
「あぁほれ、来たぞ。んじゃ、今日もよろしくお願いします」
『よろしくお願いします』
結衣が元気に、雪ノ下が丁寧に、一色が“しまーす♪”と伸ばし、そうして向き直った先に、扉を開ける客。
並び、声を揃え、一言を届ける。
『いらっしゃいませ』
言葉の裏では「ようこそ奉仕部へ」、なんて。
懐かしい言葉が浮かんでいる。
依頼を聞くこともないくせに、それでも思い浮かぶのは、ここに居る三人のお蔭と言うべきか原因と言うべきか。
さあ、今日も平和な一日を───
「いらっしゃいませ。こちら、メニューに───」
「……あ、あのっ、俺っ、ずっとあなたのことが───」
「人の妻に手ェ出すとはいい度胸だ表出ろコノヤロォーーーッ!!」
「比企谷くん落ち着きなさい!」
「最初の客でいきなりそれはまずいですってーーーっ!!」
「《からんから~ん♪》パパごめんっ! 忘れ物───わっほい乱闘だーーーっ!!」
「《かららんっ♪》乱闘……! つまりママ狙い……! この店でママを狙うとはいい度胸……!
「ひっ……ヒィイイイイッ!!《ダッ》」
「あっ! 逃げましたっ───ってそれでいいんでした!」
「わはははは逃がすかぁーーーっ!!《ズザザァッ!》」
「って! きーちゃん! 回り込まなくていいから!!」
「円の動き」
「円の動き」
「ひぃいっ!? ななななになになになになにィイイッ!?」
「回らなくていいからっ! ちょ、先輩、早くなんとか───」
「結衣……!《ひしっ》」
「ヒッキー……!《ひしっ》」
「あぁあああもうこっちはこっちで抱き合ってますしぃいいっ!! 雪ノ下先輩、どうするんですかこれ!」
「……紅茶でも淹れましょう」
「……ですね。ナンパじゃなくてお客さんが来るまでのんびりしますかー……」
「秘技……! “
「秘技……! “
「ヒィイなんか踊り出したぁああっ! たすけてぇえええっ!! ナンパしてごめんなさぁああいいぃっ!!」
……今日も、喫茶ぬるま湯は平和です。