どこにでもあるようなガハマさんとヒッキーのお話 作:凍傷(ぜろくろ)
誕生日。
人によっては諸手を挙げて喜び騒ぎ、また別の人によるところでは手を挙げるどころか集まりもせず、虚しい思いをする一年に一度の記念日である。
歳を重ねるだけだからと機嫌を悪くする者もいるが、だからといって祝われて嬉しくないわけではないと思う。
え? 俺? ばっかお前、俺はほらその、あれだよ。
……俺のこととかどうでもいいんだよ。俺はほら、アレだから。おう、アレだ。……そもそも祝われる側じゃねぇんだよ、察しろ。大体、6月の現在に8月のことを考えたってしゃーないだろ。
だからつまりそのー……なに? とりあえずアレな。
アレだよアレ。
……アレってなんだよ。
× × ×
6月18日…………結衣の誕生日。
当然ぬるま湯は閉店休業。
土日ってものは飲食店にとって稼ぎ時とはいうが……知らん、結衣最優先だ。
「………」
寝室のベッドにて覚醒。現在、早朝もいいところ。
日付が変わる前から結衣を抱き、そのまま寝たもんだから、腕の中に結衣が納まっている。
さらりと髪を撫でると、「んんぅ……」と小さく声を漏らして震える。やだ可愛い。
「………」
ちなみに。“抱きしめたまま寝る”、というのはつまりそういう意味でございまして。
腕の中の結衣は着衣をなにも身に着けておらず、肌に手を滑らせれば、さらりとした感触が掌に伝わってくる。
朝から元気な八幡の八幡は、例に漏れずと言っていいのか納まったままであり、身じろぎすれば脳が痺れる甘い刺激を俺に与えた。
……えーと。
男でゴメンナサイ。
<ン、ンン…? ア、ヒッキ…ンヤッ!? ア、アゥッ、ヤッ、ヤゥウーーーッ!!
……。
……えー、はい。
朝っぱらからいたしてしまい、二人で風呂に入り、出てきてからはのんびりと準備。さすがに今日は体力作りのジョギングはやめておくことにした。
休みに定められた日はそれぞれ、従業員には“のんびり起床”が定められている。……まあその、結衣の誕生日は特に。ええとほら、日付が変わった途端、俺が一番に祝って、今日みたいなことになるから。なので、結構やかましくしても問題なかったりする。
……それ以前にだ。建てる際に、はるね───げふんっ、雪ノ下さんが妙な気を利かせたために、寝室は防音仕様だったりするわけだが。
なにを思ってそうしたのかは、たぶん訊かないほうが身のためなのだろう。うん、八幡、口にチャックする。……きょうび、お口にチャックとか聞かねぇな。
「………」
「………」
で、奉仕部とは別の休憩室。詳しく言えば絆と美鳩が成長してきてから改良を加えたこの部屋は、奉仕部が思った以上に休憩室とは呼べなかったため、ならばと使っていなかった部屋をくつろぎ空間に仕上げた場所だったりする。まったりするのは主に俺と結衣だけだが。
大きなソファがあるのはこの部屋だけであり、そのソファにあぐらを掻いて座り、結衣にはその上にちょこんと座ってもらって、それを後ろから抱きしめている俺。
実に、今日という日には見慣れた光景であったりする。
くるりと振り向けばキスをして、もぞもぞと動けば甘やかし、服を引っ張られればじゃれ合い、何を言い合うでもなく溶け合うように、ただひたすらに互いが互いに甘えまくっていた。これもよく見る光景である。
普段からでも二人きりの時は甘えられるし甘えることもあるが、誕生日は特に遠慮が無い。
それもみんなが起きてくるまでだから、今の時間は余計にべったりだ。
「ヒッキー、ひっきぃ……えへへ、ひっき~……えへへぇ……♪」
ぽふ、と俺の胸にかかる重みが嬉しい。
しかしまだ髪を乾かしていないので、じゃれつきながらもタオルで拭っている途中だったりする。
やさしく拭っていると、「んんぅ……」と目を細めて頭を押し付けてくる。やめなさい猫じゃないんだから。……なんて思いつつ、別のところじゃ嬉しがっている自分が居るんだから、自分の心ってつくづく自分でもコントロールしきれない。
これを“男ってやつは”とかで片づけるのも簡単なんだが……ああほらその、なに? 結衣のことに関しては男ってカテゴリで片づけたくないっつーか。
……こんな顔見せてくれるの、俺にだけなんだよ。“男”で分けるの、嫌だろ。
だからこれでいい。“俺ってやつは”。
結衣に対してだけこんなに弱いんだから、俺、でいいのだ。うん、いいな。
「ほれ、動くなって」
「えへへぇ~……♪」
にこーと笑い、動きは止めるけど微妙に動く。
言う通りにするけど、もっと構って欲しいらしい。構ってるから髪の毛を拭いているのですが?
「髪の毛、伸びたよなー」
「ん……短い方が好き?」
「結衣が好き」
「ぁぅ……」
恥ずかしいことにも多少慣れた。多少。
結衣が喜んでくれるなら、って意味での我慢に近いが、おそらく俺の顔は赤いだろう。ちくしょういいんだよ、もう俺はこいつをとことん幸せにするために動くって決めてるんだから。
ガキの頃は自分の羞恥が勝って出来なかったことがたくさんあった。
あの時ああしていればを思い出せばキリがない。
それでも誕生日の時だけは、そんな自分を無理矢理殺して全力で祝ったし甘えさせたのだ。
笑顔が見たいって思ったら、結構頑張れるものである。これはおそらく男なら共通。好きな女性の笑顔がみたい。なら頑張れる。これである。……真面目に思い返すと恥ずかしいから口には出さない。絶対にだ。
甘い言葉で女を口説き落とすキザな男とかってどんな神経してんだろうね。八幡ちょっと解らない。いや全然解らない。
まあそれはそれとして。
「《ファゴォー……》ん~……♪」
ソファに座らせた結衣の髪を、ドライヤーで乾かしてゆく。
初めてお願いされた時はとても困惑したものだ。
小町に“おにーちゃんおねがーい”、なんて言われるのとはレベルが違った。
なにせ大切な彼女の髪である。そりゃもう気を使ったし調べ事が捗りまくりだ。
若かったなぁ……あの頃。
そんな坊や八幡くんも、今ではこんなに器用にこなせるようになりました。
熱風で乾かして~……冷風にしてキューティクルを~……髪の温度が気温に馴染んだら~……ほい、くしくしくし~……っと。
「……ん、よし」
綺麗なお団子が完成した。誕生日の時だけの限定である。
髪の毛の手入れが終わるとすぐにその姿をソファ越しに抱き締めて、振り向かせながらキスをした。
……ああ、俺も大概ね。誕生日の日はこいつを甘やかしていいんだって自然に想えてるから、“不必要に”はなくても傍に居たくなってしまう。
「………」
「《さら……》ヒッキー……えへへ、くすぐったいぃ……♪」
髪を撫でながら、“近くっていいな”……って。
誰かの傍に───油断出来る人の傍に居られるのっていいなって。そう思う。
信頼ぜずに距離ばかりを取って、ぼっちを気取っていた日々が、時々ひどく……懐かしい。
戻りたいかって言われたら、記憶を今のそのままに、戻りたいとは思う。
戻って、好き同士で最初から始めて、泣かせたり素直になれなかった場面の思い出の悉くを、笑顔で上書きしてやりたい。
そんなことが出来たらな、なんて……きっと別の涙がこぼれてしまう機会に怯える余地を全く考えることもなく、傍に居たい人を抱き締めて、笑った。
腐った目を気にしなくなったのはいつだっただろう。
いつしか鏡の中の自分を見て溜め息を吐くこともなくなった。
笑顔の副交感神経だけは今も毎日。鏡の前でにっこり笑って、笑顔分を補給。
振り返ってみて、そんな過程に感謝したくなる時って、他の誰かにはあるのだろうか。
俺は……───俺は。
(………)
彼女が大泣きした、家族を失ったいつかを思い出した。
足元を元気に駆けていた、あの賑やかさはもう二度と戻らない。
もう悲しむまい、とは言えないけれど───ありがとうはいつも胸に。
そだな。過程にもそりゃあ感謝する。
けど、中でも、出会えた人や動物たちに感謝することの方が多い。
それらの全てを過程として受け取るなら、そりゃあ全部に感謝だが……小学中学には素直に感謝出来ないのは勘弁な。
ぼっちじゃなければ総武を目指すこともなかったんだろうけど、それでも素直には感謝出来ない。人間ですもの。いや、こここそは“俺だから”か。ぼっちだったのは俺だけだし。
「……人に信頼されるって、嬉しいことだよな」
「え? ど───…………ううん、なんでもない。……そだね。嬉しいし、すごいことだ」
急な俺の言葉に、結衣は問いを投げようとして、やめた。
代わりにそれがどういった意味なのかを考えた上で、返してくれる。
当たり前のことだが、傍に居るようになってから今日までで、随分とお互いを知ることが出来た。
“言わないでも解ること”が増えるたび、普通ならきっと言葉は減ってゆく。
けれど俺達は、あえて口にすることで得るものがあることも知った。
信頼関係としてはとても高い位置にあるのだとしても、結局は話せるなら話したほうがいいのだ。
その人との会話が、嫌いじゃない限りは。
(……考え事って、一度始まると長いよな)
心の中で呟いて、思考を現在に持ってくる。
こういうのは切り替えが大事だ。よし、くだらない質問でもして切り替えよう。
「たまに思うことがあるんだが」
「? うん」
「朝、起きてからの行動に正解とかないよな? あー……起きてからの行動ってのはアレな、顔を洗うとか歯を磨くとか」
「すっごくどうでもよさそうなこと考えてたんだね……あたし、かなりドキドキしてたのに」
「ば、ばっかお前、こういう時は───」
「えへへ、うん、ごめん、ちょっと意地悪した。……そだねー、正解とかはないと思うよ? 起きたらすぐにうがいくらいはしたいかなーって思うし、歯を磨きたいなって思う時もあるし。その、ト、トイレ……は、すぐだけど。うがいも歯磨きもしないでご飯はしたくないかな」
「同棲時代にゃいろいろあったな……」
「一日目からそれでぶつかったもんね」
言いながら、結衣がぽすぽすとソファの隣を叩く。
誘われるままに回り込んで座ると、遠慮することもなく抱き着いてくる結衣を、俺もぎゅうっと迎え入れた。
すっぽりと腕の中に納まる存在に心が安らぐ。そうすることが自分にとっての当然だと言わんばかりだ。なんつーか、むしろこう、腕の中に収めておきたいといいますか。
しばらく抱き合ったあとは見つめ合い、頬を擦り合わせ、互いの肩に顎を乗せるように密着して抱き合い、距離を埋める。
背中を撫で、強く抱き締め、抱き締められ、心が温かくなるのを感じると、少し離れ、見つめ合い、キスをする。
いつまで恋人みたいなことをなんて言われようが、こういう行動に正解なんてないのだ。お互いが好きなままで、こうしたいからする。究極的に、落着なんてものはそこに置いておく。
「ん、ぷあっ……」
お互いの口の周りを舐め、唾液の橋が出来ないように吸い、離れると、とろんとした幸福笑顔。
頬を撫でると目を閉じて身を預けてきて、よりいとおしくなってキスをする。
頬を撫でる手に結衣の手が添えられ、少しずつ腕を上ってくると、やがて胸に手を添えられ、つ……と静かに体重をかけられて、ソファに沈む。
天井を正面に捉えた景色をすぐに結衣が埋めて、飽きることなくキスをする。
体は密着したままで、ちゅ、ちゅ、とついばむようなキス。
それを、頭と背中に手を回すことで迎え入れて、結衣も自分も満足するまで、何度も何度もキスを堪能した。
……ちなみに。
休憩室には鍵もかけられるため、現在はきっちりとかけてあったりする。
このまま溶け合うことも当然出来るが、そういうのは我慢して夜に、が誕生日の決め事で秘め事だ。
なのでいつも、繋がりたくても我慢して……まあその、夜は遠慮することなく。
その衝動を、欲求を、自分達で勝手に盛り上げてしまった興奮も愛情も、全てを我慢するためにぎゅうううううっと抱き締め合い、飲み込む。
「うぅうう……ひっきぃ、ひっきぃいい……!」
切なそうな声を聞くとヤバくなるが、そこは心を鬼にして。
いやね? 結衣さん? 俺だって相当我慢してるのよ?
いちゃいちゃするだけなら耐えられる。
でも今日とか俺の誕生日とか、それどころか明日の父の日だって、俺達はこうしてくっつくわけだ。
他に俺達を祝いたい人が居ないなら、日がな一日繋がっていられもするだろう。
しかしぬるま湯の連中はもちろん、結衣にも俺にも祝おうと立ち寄ってくれる人が居る。
なので誕生日は耐えるしかない。
“あのー、雪ノ下先輩? 休憩室の鍵、かかってます”“そう。近寄らないほうがいいわね”“ですねー”とか気を使わせるのもあれだろう。
むしろここじゃ音が漏れるから、たとえば早朝からタイキックが遊びにきていたとしたら?
“ゆ、由比ヶ浜先輩って可愛い声出すんすね!”とかヤツに言われたら、俺はヤツを殺……記憶が無くなるまで殴りつける自信がある。
だから、声が聞こえる場所では絶対にNO。こいつのそういう声を聞くのは自分だけでいい。独占欲すごいですね。それほどでもある。
……ただ、こう。
スイッチが切り替わっちゃったあとだと、正直辛いです。
「~~……」
「~~……ひっきぃ……、ひっきぃいい……うぅうぅ~……ひっきぃ~……!!」
夢中になってキスをしすぎた。
お互いが欲しくて仕方がなくなって、しかしそれを二人で我慢。
せめてとぎゅうううっと抱き締めるのに、抱き締めるから余計に我慢が出来なくなってくる。
そんな時は自分の中の狼さんを、相手にやさしくすることで宥めて、ひっこんでもらう。
もしくはくだらないことを想像して落ち着く、とか。
その中でも自分がとった行動は、俺に覆いかぶさるように密着し、ぎゅーって抱き締めてくる結衣の背中を、やさしくぽんぽんと叩くことだった。
「………」
「………」
きゅう、と声が漏れる。
もう一度やさしく叩き、やさしく撫でて、頭も撫でる。
三大欲求ってすごいね、とくだらないことを考えて自分の欲望を押さえつけ、結衣にはあくまでやさしく。
しばらくすると結衣が俺の頬を舐めてきて、くすぐったさに笑いながら、そのまま撫でた。
「~~……ひっきぃ」
「……おう」
「…………よ……夜……だかんね?」
「……おう。むしろその……俺がお願いする」
「うん……えへへぇ…………ひっきー……♪」
ほにゃりと、本当に嬉しそうな顔をする。
しかしうずいた体というのはなかなかどうして、そう簡単に切り替わってくれるものでもなく。
自然に落ち着いてくれるまで、そうしてずーっと抱き合っていた。
……今キスするとやばいので、キスは無しで。
……。
早朝のまったり抱擁時間が過ぎると、お次は朝食。
まったり室を出ると奉仕部のキッチンへ向かい、二人並んで朝食の準備。
メニューを決め合って、和やかに食材を切って、サラダを作ったりスープを作ったり。
「ヒッキー」
「ん、おう」
味見は自分ではなくお互いに。
混ぜて作ったドレッシングがいい味出したら食べさせ合って、にこーと笑ってまた準備。
この光景を見た様々な人は言う。“いつまで新婚ですか”と。
ちなみにこんなものは同棲時代からやっていたため、俺と結衣の中の認識ではそのままの状態だ。新婚すら生ぬるい。
「んまいな」
「やたっ、えへへぇ~♪」
ただ本日は、あんなことがあったためか、お互いの距離がめっちゃ近い。くっついてる。ほぼくっついてる。密着してる。やりづらいのに。でも嫌じゃない。けっして嫌じゃないぞ。
「ひっきー」
「お……おう」
果物をサラダに混ぜるのはぬるま湯の朝食ではよくあることで、そのフルーツを棒状に切って、端っこを銜えてポッキーゲームのようにする。キッチンでなにしとんのじゃとツッコむ人も今は居ない。
なので思う存分いちゃいちゃして、フルーツの味とキスの味を堪能した。
え? 途中で折る気? なにそれ八幡知らない。折れてもそのままキスするまである。
そうこうして用意しつつもいちゃいちゃしていると、我慢できなくなってお互いを抱き締めての接吻乱舞。
フルーツの甘さが残る口内を互いの舌が撫でてゆき、足りない、足りないとばかりに唇を密着させては、可能な限り舌の密着部分を増やし、なぞり合った。
フルーツの甘さが消えると、名残惜しくもお互いに離れて、赤くなった顔のままにお互いを見つめる。
ちらり、と皿に盛られたサラダ……その彩の一部であるフルーツに目が行ってしまうのは、どうしようもないことでございます。
「……ひっきぃ?」
「あー…………だめ」
それを口に含めばもう一度、と思わずにはいられないのは俺も同じ。
しかしここは耐えよう。キリがない。いや、したいけど。めっちゃしたいけど。
上目遣いで服をきゅーっと抓んで引っ張る結衣を、そのまま抱き締めてキッチンへと向かせる。
二人羽織の要領で準備を進めていくと、結衣は嬉しそうに微笑んだ。
「パンはいろはちゃんとゆきのんがやってくれてるよね」
「まあ、誕生日は毎度そうだしな」
例外を抜かせば、と付け足して、料理を進める。
まあ、難しいことはしない。簡単で、美味しい。そんなシンプルなものでいいのだ。
料理は愛情なんて言葉があるが、あれは“愛情を込めれば料理がおいしくなるよ!”ではなく、愛情があれば手抜きもしないし研究もするだろって話だ。
つまり料理は愛で美味くなるのではなく、努力で美味くなるのだ。そらそうだ。
しかしながら言わせてもらうなら、その努力の源が愛から来ているなら、確かに料理は愛情なわけだ。
順番さえ間違えなければ、いい具合にそれぞれの言葉が支え合ってるんじゃないですかね。
愛情! 努力! 美味しい! ……なんか麗しいじゃないの。よく知らんけども。最後の語呂が良かったらジャンプ三大原則っぽくなるじゃない。
愛情! 努力! 勝利! ……愛情込めて努力して、俺を昏倒させる同棲時代の結衣の姿が真っ先に思い浮かんだ。ある意味KOで勝利じゃねぇかよ。
「ユ、ユイダイスキ」
「え……も、もう、どしたのヒッキー……《てれてれ……》」
(………)
「《ぎゅー》ひゃぅ……」
照れてぽしょぽしょ喋る姿が可愛かったので、そのまま抱き締めた。
二人羽織のような格好のまま顎に手を回して、そっと向きを変えさせると、その口にキスを。
だだ大丈夫、本番はしないよ? 八幡うそつかない。割とつくけど結衣相手にはマジです。いやほんと。
ああ、でも毎年朝はくっつき放題だからこう、脳がとろけるというか。いっそ今日はずうっと二人きりでもいいかなーとかそんなことを思ってしまう。
けれどそれは他の皆さまが許さないので却下。あいつら祝うの大好きだから。まあ? べつに? 俺もそのー……ほら。結衣限定だったら? 間違い無く? 頷ける? わけだが?
鬱陶しいな俺の考え方。
……結衣だけとかいっても、雪ノ下のも一色のも、娘たちのもきっちり祝っている俺なわけだが。
……。
料理が出来れば、あとは長机に並べるのみ。
いつ見ても教室で食べているような感覚だ。学校の部室に立派なキッチンなんざあるわけないが。料理研究部とかは別な?
「えへー……♪ “朝に一緒に料理とか、夫婦みたいだよねー?”」
「また懐かしいことを……“んじゃあ俺と小町とか超夫婦な。勘を取り戻すために超料理したからな”」
「“……妹じゃなかったら、小町ちゃんのがよかった?”」
「“あほ。妹じゃなかったら小町が俺の傍になんぞ居るわけねーだろが。言っとくがお前アレだぞ、小町は天使だから、野郎どもに囲まれて動けなくなるまであるから、俺のところになんぞ来ねぇよ”」
「“そっかな。あたしはそのー……行くよ? うん、超行くし”」
「………《かぁあ……!》」
「………あははっ、ヒッキー、あの時と同じ反応だっ」
結衣がおかしそうに笑う。相変わらず可愛い。
あの頃と違うのは、同棲じゃなくて結婚後ってことと、笑顔に別の……あの頃とは違った幸せが混ざっているような気がするところ、だろうか。
今と同じことを言われて、真っ赤になってしまったあの頃のことは今でも思い出せる。随分とまあ懐かしい。
そんな、真っ赤な俺の左隣にそっと寄り添って見上げてくる結衣。
見上げられ見下ろし、「ね、ヒッキー……」と見蕩れるほどの柔らかい笑みで促されると、服をちょんと抓んだ手に自分の左手を重ねて、右手は結衣の左頬をやさしく撫で……そして。
合図を口にするでもなく顔を近づけ、静かにキスをした。
情熱的なものではなく、挨拶のような気軽さでもない。
ただ、今もあなたを愛していますと伝えるように、お互いが“興奮”ではなく“幸福”を分け与えるように。
「………」
「………」
ちゅる、と唇が離れると、暖かな溜め息と一緒にお互いを抱き締める。きつくではなくやさしく。
背中を撫でられるとくすぐったい。お返しとばかりに撫でると、楽しそうに肩を震わせ、ぎゅーっと抱き締めてくる。
こんないちゃいちゃを学生時代から続けていて、よくもまあ飽きないものだといつか小町に言われたことがある。
飽きる、とはひどいもんだ。それ言ったら、小町との兄妹生活だって飽きたことはなかったぞと言ってやったら笑われたな。笑われた上で、“ありがとね、お兄ちゃん”とか言われた。
高校3年の誕生日に婚約してからは、それはもういちゃついたもんだ。なにせ親公認だったし。……実際はその前から十分いちゃついていたが。しゃーないでしょ、自分のことをあんなに真っ直ぐ好きでいてくれる女子を前に、なにをどう自重しろっての。
しかし相変わらず自分からは進めない自分だったため、結衣には本当に苦労をかけた。
その分同棲生活ではもうめっちゃ頑張った。……つもりである。常に思っていた、こんな俺じゃあいつかは捨てられるんじゃ、なんて思いを“好かれる努力”をして吹っ切っていった。
だってね、もうね、この娘ったら本当に尽くしてくれるんですもの。それこそおはようからおやすみまで。応えたくなるじゃないの、男としても人としても恋人としても婚約者としても。
だから頑張ったね。頑張るとか嫌いだったくせに頑張った。超頑張った。高二病は終わりだと自分に言い聞かせて、素直になる努力から始めたよ。投げ出さなかったあの頃の俺、まじグッジョブ。
「………」
まあそのー……おかげで、こんだけ結衣ラブになっちゃったわけですが……それこそしゃーないでしょ。愛してもらおうとすればするほど愛してくれるし、喜びを返してみれば“じゃああたしも”とばかりに喜びをくれる。
途中から悟ったのだよ、この八幡は。ああ無理、こいつにゃ勝てん、と。
悟ってからは早かった。こいつのために、なにかをしてやりたくて仕方が無くなった。本当の意味で必死になった。
くだらない捻くれのために泣かせてしまった分以上を、とにかく喜びや幸福で返してやりたかった。
で、現在はといえば……未だに負けっぱなしである。
尽くしても尽くしても返し切れている気が全然しない。どころか愛されまくってて愛しまくり返して、もう好きすぎてやばいまである。
「……~……結衣ー……」
「《ぎゅー……!》んん……うん、ひっきー……」
相手に尽くします合戦で負けていて、男として悔しいとかは全然ない。
男がどうとか女がどうとかそういうことではなく、ひたすらに幸せだからだ。
その延長でこんなにも毎日、相手のことが好きでいられている今に感謝だ。
「………」
「………」
少し離れて、額同士をくっつけて、深呼吸。
ああ好きだ───じゃなくて。いや好きだけど。
咄嗟に出てくるのが好きだってくらい好きで好きで。
もし結衣が俺の心の中を覗けたらどうなるんだか。
逆を考えると想いの大きさに幸せ失神とかしちゃうんじゃないかしら、とか思ったりもするが、思っているよりも想われてなかったらどうしよう、なんて……まあ、冗談だ。困ったことにそっちに関して全然心配していない。
むしろこれまで心配していたのは、知り合いの結婚式だとかそういった方面での集まりで、結衣を狙った害虫が現れやしないかだの、そっち方面ばかりだった。
ちなみに実際そういった催しに結衣が呼ばれた時のお言葉。
お酒は飲まなくて良くて、送迎に夫をつけていいなら行きたいっ! あ、二次会とか参加できないけど……いい?
かつて、言い寄ってきた男子に対してのスルースキルが素晴らしかった結衣さんですが、その受け流しはそれはもう素晴らしいものでした。
……実際には言い寄ってきた男は居たらしい。新郎の兄だったらしいが、愛も変わらずのスルースキルでばっさり。
夫が居ることも伝えたのに“オレトシンジツノアイヲー!”とか仰っていたそうで。……のちに、はるねぇ……もとい雪ノ下さんが調べたらしいけど、その兄、結衣の中学時代の同級生だったとか。その頃から結衣を見ていて、再会できたのは運命だーとばかりに言い寄ってみれば夫が居たと。
あ、ちなみに結衣が知り合いだったのは新婦のほうな。って、誰に言ってんだか。
えとー……お酒とか、怖いじゃん? あたしはさ、ほら……ぜんごふかく? になるのはさ、その……好きな人の前だけでいたいし……さ。……ね?
そんなこと、指こねこねしながら上目遣いで言われてみなさいよ、抱き締めたくなるでしょうが。また尽くし大会で負けたーとか、競ってるわけでもないのに思っちゃうでしょうが。
だから、いいのだ。“好き”に優劣なんぞつけず、ありのまま愛していこうって本気で思った。負けるのは俺の役目で、俺は負けっぱなしでいい。負けに関して俺の右に出る者なし我こそ最敗。
それにしても思い出すだけでも好きが溢れるこの奥さんたらどうしてくれましょう。好きです大好きです。俺の奥さん超可愛い。
「ん……」
「あ……えへへ……ん……♪」
俺から求めれば、ほにゃりと緩む表情が好きだ。
頭を撫でられると、髪が乱れると言いながらも抱き着いてくる姿が好きだ。
俺って人間の傍にこれだけ居て、呆れる部分から溜め息を吐くような情けない部分まで全部知って、それでもなお好きと言って傍に居てくれる彼女を……愛している。
ああ、だめだな、ほんとだめだ。
誰かの傍に居ることにここまで幸福を感じるなんて。
「結衣……」
「ひっきぃ……」
キスをする。
抱き締め合う。
髪を撫で、頬を撫で、背を撫で、またキスをして、俯いて額をくっつけて小さく笑ってまた抱き合って。
やがて───
「いい加減にしてください! いつまでやってんですかー!」
顔を真っ赤にした一色に、怒られた。
「ふえぇっ!? い、いろはちゃんっ!?」
「いろはちゃん!? じゃないですよ! すぐに終わるかと思えばもー30分もらぶらぶちゅっちゅって! そういうのは夜の内に終わらせといてくださいって毎年言ってるじゃないですかー!」
すぐ後ろに顔を赤くして俯いている雪ノ下も居ることから、よっぽど待っていたんだろう。
ああその……なに? 毎年すんません。
しかし後悔はない。今までの人生に、これから起こる事柄に、俺は後悔はないのだ。
後悔は無くても、迷惑は考えような。うん。
× × ×
朝食は静かに始まった。まあ、始まりは。
ペラリと本日の予定を書いた紙を見せたあたりから、あっさりと静けさは吹き飛んだ。
「というわけで本日のプランを俺なりに纏めてみたんだが」
「うっわなんですかこれ休憩時間一分たりともないじゃないですかアホなんですかハチ兄さん」
「おいちょっと? この義妹ったら一息で辛辣すぎるよ? 誰に似たのちょっと」
やめてと言っても凝りもせずハチ兄呼ばわりの一色。
悔しいので義妹と呼んでみてもこたえた様相一切なし。
俺にイモウト呼ばわりとか、小町でもたまに嫌がったくらいなのに。
「すごいよパパ! まるで剛田猛男のデートプランだね!」
「砂川くんが居ないだけでここまで遠慮のないものになるなんて……さすがパパ、愛がすごい。その家族愛、とてもジャスティス」
「いやいや、きーちゃんみーちゃん? これ物理的に不可能だからね? こんなん実際にやったら結衣先輩、疲れ果てて倒れちゃうから」
「え? 大丈夫だよいろはちゃん。あたしこう見えても意外と体力あるし。今でもヒッキーと体力作り、続けてるからねー♪」
にこーと笑ってガッツポーズのようなものを取る。
対する一色は、別の運動もお盛んのようですけどねーと小さくぽしょった。
「へゃぅっ!? いいいいろはちゃん!? 聞いてたの!?」
「ちょっ、リアルな反応とかやめてくださいよほんとにしてたんですかなに考えてんです馬鹿兄貴!」
「いや馬鹿兄貴ってお前……! あ、あー……結衣? あのな? あの部屋防音だから……な?」
「えっ、あ、あぅうぅ……!!《ぷしゅう……!》」
「……お願いだから、食事中にそういう生々しい話はやめてちょうだい……」
しゃく、とサラダを食べた雪ノ下は真っ赤なままである。
そこのトマトとか色が似てていいんじゃないでしょうか。よかったら俺のも……ああいやいや、結衣が用意してくれたものはなんであれ食べる。これは義務ではありません…………“誇り”なのデス……。
でもトマトが苦手って時点で、モッツァレラチーズとトマトのサラダは食べられないのが残念だ。トニオの料理に憧れない人間なんて居ないんじゃあないかな。
「ともかくだ。誕生日を祝うって話だが」
「随分ぶっちゃけましたねハチ兄さん……結衣先輩が隣に居るのにそれって、会議した意味あったんですか?」
「おう。本人に一緒に計画立てて遊んでみたいって言われた。俺にはそれを全力で叶える意志がある。義務で動くんじゃあない、俺がそうしてやりたいと心から願い、行動する。これは俺の意志だ。幸せにしたいと心から願ったのならな、一色…………」
「過程や!」
「方法など……!」
『どうでもよいのだァーーーーッ!!《バァーーーーン!!》』
親娘揃ってアホである。だがそれがいい。しょうがないでしょ、ヘンに気取ったり悟ったりしてるより、今を全力で楽しまなきゃ損だって気づいちゃったんだから。
基準にあるのは“結衣が好き”。行動理念は“結衣を幸せに”。
そんなことを基準にずーっと大切なものを育んでくりゃあ、捻くれ者でもこうなるわ。
「というわけで今年度の結衣の誕生祭におけるスペシャルゲスト、比企谷結衣だ。彼女に訊けばやりたいことしたいこと、理解し放題。そしてなにを頼まれてもやり遂げる覚悟が俺にはとっくに出来ている」
「ハチ兄さんちょっと本気でキモいです」
「おい、ちょっとなのか本気なのかどっちかにしろよ」
「キモいです」
「選択肢増やすなよ……」
「気持ち悪いわね」
「正しく言われた方が傷つくからやめろ」
いいじゃないの、実際どんなことだってしてやりたいんだから。
誕生日なんてお前アレだよ? 年に一回しかないんだよ? 心から祝ってやりたいじゃないの。学生時代とかカラオケ行って騒ぐくらいしかしてやれなかったんだから。
おまけにその、なんだ。俺が素直になり切れてなかった所為で、純粋に楽しんでもらえてたかも怪しい。
だからこうして大人の心を得たからには、全力で祝って全力で楽しんでもらうんじゃないの。
「というわけでだ。結衣、朝食終わったらどうしたい?」
「出掛けよう! 天気もいいし、まずは外! それでさヒッキー、ヒッキーのプラン、行きたいとことか片っ端から行こう!」
「よし外だな、任せとけ」
「うーわー……毎年ながら、あの出無精だった先輩があっさりと……」
「本当に、人とは変わるものね。変わらないことがどうのと口走っていた頃が懐かしいわね、虚言谷くん?」
「あれは忘れろ……高二病も中二病も、思い出せば黒歴史にしかならねぇんだから……っつーか、あれ? 今日城廻先輩は?」
「あー……結衣先輩に話しちゃったんならもう関係ないですね。はるさん先輩と誕生日のための準備をするとかで、早くに出かけましたよ」
さくり、と出来立てパンを齧って、「おいしい、さすがわたしです」とか言ってる一色。
「《グググ……》おそらく……ですが……パパ。絆はこう思うのです。………………人として産まれて、パンの味を知り。“嫌いではない子供”っていうのは……絶対に出来立てのクロワッサンに憧れるもんなんじゃあないかなぁ~……ってさァ~~~っ……」
「いきなり物々しくおそらくですがとか言っておいて、なんでパンの話なんだよ。解るけど。出来立てクロワッサンに憧れる気持ち、解るけど」
「あっ、それあたしもだったなー。子供の頃とか通学路の途中にパン屋さんとかあると、友達と一緒に足止めたよねーっ」
「車で通学していたわね」
「わたしのところじゃパン屋さんはありませんでしたねー……」
「あぅ……ヒ、ヒッキー? ヒッキーは? あるよね?」
ちょっと? やめて? そこで捨てられた子犬みたいな目で俺を見るとか。
これ、俺が“ある”って言わないと問答無用で空気が悪くなるパターンじゃねぇかよ。
言っとくけどお前アレだよ? 俺こう見えても結衣には嘘はつかないって決めてるのよ? あるとかそんな嘘、言えるわけないじゃないの。
「あったとして、買って食って~とか、そういうのはなかったな。ああけど、ガッコの給食でクロワッサンを初めて食った時は素直に美味いって感じたな」
「だよねだよねっ!」
「けど料理として出て来たものは“そういうものだ”って印象が強いもんだろ? 俺にしてみりゃ給食で出て来たものはその時点で出来立てだったわけだよ。だから焼きたてのパンとか、そういうのを食べてみたい、とかはなかったな」
「あ、それはありますよね。逆にバターとかた~っぷり塗って焼いた食パンとかに一度はハマったり~とか」
「はい挙手! 焼いてから塗るか、塗ってから焼くかでも分かれますよねアレ! 絆的には塗って焼いてさらに塗るという荒業を推したい!」
「絆はいつか太るタイプ……ちなみに美鳩は焼いてから塗る派。焼けたパンの熱でとろけたバター、静かに染み込むそれをカシュリと食べるのがとても好き。ジャスティスうっとり……!」
正義のうっとりらしい。
まあうっとりは置いておくとしてだ。
「結衣自身、どこか行ってみたい場所とかあるか? ランドにシー、パセラにショッピング。時間の許す限り、どこでもいいぞ」
「ううん、大げさなのとかはいいんだ。とりあえず外に出てさ、みんなで一緒にいろんなところ行ってさ? 最後にここにただいまーって戻ってこれたら、それだけでいいんだ」
「お、おう」
少し安堵。
よかった、予定は崩れない。
あとは結衣が食べたり飲んだりでぐったり状態にならないように調整していけばいい。
……まずどこに向かうかさえ知らないけどね。俺ほんと、こういう時の情報って小町が居ないとなんもないね。
そうして、安堵と微妙な情けなさを振り返りつつ、静かに始まったくせに、始まったあとはやかましかった朝食の時間は過ぎていった。