どこにでもあるようなガハマさんとヒッキーのお話   作:凍傷(ぜろくろ)

48 / 214
慣れ親しんだ笑顔が集まる日③

  で、食っては飲んで。

 

 普段ならこういう集まりに来たところで、断固として飲まない結衣だけど、気心知れた人達の前だ、楽しみながらちびちびと飲んだ。

 え? 俺? 俺は飲みませんよ? 俺にはしっかりと結衣を連れ帰る義務と宿命、役目や願望希望や欲望その他いろいろ、様々な理由があります故。なのに俺が車に乗れない、見守れない、前後不覚とかハッハッハご冗談。

 たとえ酒が好きでもそこに結衣が居るなら絶対に飲まん。

 居なかったとしても、酔いつぶれた俺を誰かが家まで運ぶなんて状況ならば絶対に手は借りん。

 キモくて結構! 義務だどーだと言ったが、こいつを守り幸せにするのは俺の生涯の目標であり譲れない覚悟と誓いだ。

 なので意識が無くなるような行動や、それに繋がることなど、たとえ親しい者の前だろうとあってはならない。

 これは自慢でも誇りでもありません…………誓いなのデス。

 タイキックに「お兄さんは相変わらず飲まないっすね」と言われつつ、軽いツマミだけを食べる。うっせ、ほっとけ。それよか小町を止めろ、物凄い勢いで飲んでるから。

 

  騒ぐ中、見知った連中が到着する。

 

 最初に入ってきたのは材木座であり、次いで戸塚。

 葉山と三浦、戸部と海老名さんが入ってきて、「とりあえずやっぱビールっしょー!」と注文する戸部をよそに、挨拶をしながら着席。

 

「葉山、都築さんは?」

「お前はいっつもそれだな……気持ちは解るが、今回も仕事だよ」

「いや、なんか休んでほしいだろ、あの人には」

「……言った通り、気持ちは解るよ」

 

 今日もママのんに振り回されているのだろうか。

 最近じゃ雪ノ下さんの運転手はしてないみたいだし。

 

「まーまー今日くらい仕事の話はなしなしー♪ ほんじゃあヒキタニくん! 音頭の方、バッチリ決めちゃって!」

「また俺なのな……あ、あー……ん。よしっ! 結衣、今年も全力で祝わせてくれ! 誕生日っ! おめでとぉおおおおおおっ!!」

『おめでとぉおおおおおおっ!!』

「ひゃっ……あ……あははっ、もう、みんな大声出し過ぎ……」

 

 叫び、乾杯。

 ママさんとお義父さんも呼びたかったんだが、お義父さんは見事に抜けられない仕事、ママさんはそんなお義父さんを待っててあげたいからと断られた。

 麗しい愛である。今ならそんな在り方が、ひどく眩しい。

 俺も普通に会社務めとかだったら、結衣をそうして待たせてたのかなって。

 喫茶店を選んだのはほぼ俺の我が儘だ。

 それでもついてきてくれた彼女には、本当に感謝している。

 当然、そんな夢に付き合ってくれた彼女たちにもだ。

 

「んあ……ふぁれ……? ひゃあっ!? な、なんかいっぱいいる……?」

「あ、めぐり起きたー? ほれほれ、みんな集まったからもっと飲む飲む~♪」

「え、や、ちょっ……は、はるさん、わらひ、もうそんな、飲めな……ひゃぶぷぷぷ?!」

 

 真っ赤な顔して潤んだ目の、やたらと色っぽいめぐりん先輩が、起きた途端に早速雪ノ下さんに捕まって酒を飲まされてる。……ああはなるまい。全力で抗おう。

 

「あ、そういえばここ、カラオケも出来るから、誰か歌わない?」

「おっ! 俺そういうの待ってた系よー!? っしゃあそんじゃあ俺、一番手ー! 行かせてもらっちゃっていい!? いいかなー!?」

『………』

「ちょ、そこで無言とか一番キツいべ……」

 

 けれども一番手、戸部。

 昔流行った歌から今よく聴く歌まで、幅広く歌ってみせ、次いで一色、小町と続いて、元気に騒いでいる。

 さすがに俺達はもう散々と歌ったため、歌うにしても一曲程度だ。

 

「でもママ、ほんとにケーキはよかったの?」

「いいのいいの、ケーキっていってもほら、ぬるま湯でほぼ毎日見てるし……」

「美鳩的に、ティラミスには幸福が詰まっていると思う」

「いきなり関係ないにもほどがあるね、みーちゃん」

「……ママのお祝いだとしても、食べたかった……!」

「お前ほんと、一色のケーキ好きな」

「中でもティラミスを全力で推したいお年頃。チョコレートロマンスを添えるあなたはきっとパプワくんが大好き。そこはかとなくジャスティス」

「お前はどういった状況でそういうネタを拾ってくるんだろうな……友人に過去の漫画好きでも居るのか?」

「シンディが日本好きで、外国語版の漫画を結構持ってた。ジャパニーズオネエを謳ってただけはある。大変興味深かった」

「何者だよシンディ……」

 

 現在、材木座が元気にはっぽんはっぽん歌っている。うん、暑苦しいんだけど無駄に上手いのがまたなんとも。戸塚は相変わらずエンジェルボイスだし……男として普通に疑問なんだが、どっから出してるのあの綺麗な歌声。

 そこに葉山も加わり、三浦が歌い、選曲も明るい傾向が目立ったものに。

 時に辛いものでロシアンルーレットなどをして遊びつつ、見事に悶絶しつつも騒がしく賑やかに。ていうか痛っ! なにこれ痛い! 辛いどころじゃないんですが!? どこぞの至高を求めるお方なら女将を呼べとか言えるレベルで痛い! ……なのにしっかり味があって美味い。

 不覚にもその絶妙な匙加減に、八幡心惹かれちゃった。

 辛いのにしっかり美味しいのって、なんか嬉しいよね。注文してよかったって思う。でも次は普通に美味さだけ味わいたい。

 最近の辛さっていうのは赤いだけが判断基準じゃないからな……まいったね、どうも。いや、わさびとかもまた別だけどさ。

 

……。

 

 夢中で騒げば、終わるのも早い。

 それを証明してくれたみたいに時間は過ぎて、解散の時間となる。

 この歳でもうプレゼントとかいいから、と結衣が言ったために、贈り物もない。

 なんか締まらないから、という理由で、それぞれが注文したデザートの一部を分けて作ったカオスデザートがプレゼントになったわけだが、意外に美味しかったらしい。一色が参考にするとか言ってた。怖いよ。また喫茶店に奇妙なチャレンジメニューが増えるかもだ。

 そうしてそれぞれが思い思いに別れを告げて去ってゆく。

 この瞬間の結衣はいつもどこか寂しそうで、けれど俺の腕をぎゅーって抱き締めて見上げてくると、見下ろしている俺と視線を交わし、にこーと幸せそうに笑うのだ。

 過ぎ去ったあの頃は戻らないとか、よく聞く。

 とはいえ、変わらないままじゃどうあっても手に入らないものがあるから、結局は進むのだ。そういうことを言わせたら右に出なさそうな我らが恩師は、今現在へべれけに酔っぱらっている。

 雪ノ下さんが都築さんを召喚しようとしたが、今は別の仕事で出られないらしく、別の運転手が来た。

 さすがに疲れたそれぞれがそうして車に乗る中、結衣は俺をちらりと見て首を横に振るう。

 まあ、俺達も車で来たんだから当然。

 じゃあ帰るかー……ってことになったんだが、雪ノ下と一色は他の人達と話があるからと、雪ノ下さんが召喚した送迎車に乗った。

 当然、こちらには俺と結衣、絆と美鳩のみに。

 

「……いくか?」

「……うん」

 

 小さく訊ねると、少しの酔いも手伝ってか、赤い顔でほにゃりと笑う。

 車に乗り込んで、いざ帰路へ。

 のんびり安全運転で夜道を進むと、ほどなくして娘たちはぐったり就寝。落ち着けとツッコミたくなるほど騒いでたし、疲れたんだろう。

 

「ねぇ……ヒッキー……」

「んー? どしたー?」

「毎年さー……ありがとねー……。この歳になってーとか、いつまでも祝われてーとか、ほんとはね、ちょっと恥ずかしいかなーとか……思ってたんだー……」

「おう。まあ、そうな」

「でもさ……けどさ……それだけじゃないんだよね……きっと。こういうことでもなきゃ、みんな集まれなくて……来られない人だって当然居てさ……。久しぶりに会っても久しぶりって言うよりは、また会えたねって言葉よりも“ただいま”みたいなこと、言いたくて……」

「………」

 

 青春の残照、とでも言えばいいのか。

 過去を振り返ってみてとか、昔はよかったと懐古する人はそりゃあ居る。

 古い友人に会って、昔の自分を思い出して、こんな筈じゃなかったと泣く人だって居るだろう。

 あの頃は確かに良くもあり悪くもあり。後悔したことなんざ山ほどなわけだが、戻ったところで果たして何が出来るというのか。

 後悔のタネをなんとかしてハッピーエンドに向かおうとしたところで、そうしたことで起こる様々な出来事にまた頭を悩ませ、まちがい、また後悔するに違いない。だって俺だもの。

 むしろ今幸せだし。戻りたい理由はあっても、じゃあ戻りますかとはならんのだ。

 

「お前が願ったのが全部だからな。そりゃ、繋がりは大事にしないとだろ」

「ん……ほんと、ありがとね…………」

「……眠いか?」

「んん……だいじょぶ。それより今日は、なんかね、もっとヒッキーといっぱい、話とかしたい」

「そか。じゃあ無駄にならなくて済むかも」

「? ヒッキー? 無駄って?」

「……いや。それよりさっきの飲み屋の───」

「ああ、あれ! おかしかったよねー! あれってさぁ───」

 

 暗い夜道を車で走り、いつかのように楽しむ。

 車を手に入れたばかりの頃はドライブとかもよくしたもんだ。

 子供が産まれてからはそんな機会も無くなった。

 隣に結衣を乗せて、ただ景色を楽しむだけの時間が、俺も嫌いじゃなかった。

 格好つけたような車ではなかったが、それでも結衣は楽しそうだったし、俺も楽しかった。

 今が楽しくないと言うんじゃない。ただ、昔はよかったと言うのでもなく、懐かしいとは思うのだ。

 懐古の全てを“大人の逃げ”だと言われたらたまらない。思い出を懐かしむことくらいは許してほしい。

 

「ね」

「ん」

「あたしさ」

「うん」

「…………えへへ」

「……っはは、どうしたんだよ」

 

 まるで初恋が実った恋人同士が照れ合うみたいに笑い、答えのない沈黙を楽しむ。

 言ってくる言葉自体は、きっと俺も贈りたい言葉。

 でも、言われたい言葉でもあったから、待った。

 毎日好きを伝えよう。

 作ってくれた料理に、美味しいを素直に伝えよう。

 隣に居てくれる喜びをありがとうで伝えよう。

 捻くれていた自分を毎日なんとか真っ直ぐに伸ばそうとして、失敗して、それでも少しずつ変わっていった自分が、今では結衣を幸せにしている。

 変わってよかったのだと確信が持てた頃なんて、とっくに自分が結衣に夢中で、よくもまぁこれで変わらない自分を目指せたもんだと笑った。

 急に笑った俺を、きょとんとした顔で見て、けれど一緒に笑ってくれたこの人が大好きだ。

 会えてよかったと心から思える。

 だからきっと、言われる言葉は───

 

「……ヒッキーに会えて、ほんとによかった」

 

 ───俺が伝えたい言葉と、まったく一緒なわけだ。

 それがたとえ、毎年いつかは伝えている言葉だって構わないんだ。

 何度だって伝えて、何度だって心に刻みたい。

 心が温かくなる時間を胸に抱きながら、まだかまだかと車を走らせ───ついに赤信号に捕まるや、俺と結衣は可笑しく笑いながら……キスをした。

 おう、安全運転は基本だからな。ありがとう赤信号。

 

   ×   ×   ×

 

 そうしてぬるま湯に戻ると娘二人を起こし、ゾンビのようにのろのろと自室へ戻ってゆく二人を見送って、「じゃあ、あたしたちも戻ろっか」という結衣を……引き留めた。

 

「? ヒッキー?」

 

 そのまま喫茶店内を手を繋ぎながら歩き、カウンター側に座らせると、軽くベストだけを着付け、カウンターを挟んだ結衣の前に立つ。

 

「あ……」

 

 結衣も、なんとなく察してくれたようだった。

 そうだ。

 こんだけ長い間一緒に暮らして一緒に仕事をしたのに、俺は結衣を“きちんと客として”迎えたことがなかった。

 結衣の幸せに、と頑張った結果、もてなしたかった人を一度も、心からもてなさなかったとか、少々呆れるもんだが……。

 

「では、大切なお客様。本日は真心を込めて接待させていただきます。生憎と本日は貸し切り、店員はわたくしのみとなっておりますが」

「……うん」

「本日はお客様の誕生日ということで、ささやかではありますが……たまにはこんな誕生日プレゼントでもと」

「うんっ……ありがと、ヒッキー……!」

 

 コーヒーの知識を頑張って学んだ。結衣のために。

 店を開くために海外にも行って自分を鍛えた。結衣のために。

 それを今、ようやく結衣に向けてあげられる。

 娘たちももう高三だ。

 これまで育ててきて、ようやく息が吐けるところだと勝手に思っておく。

 ずっと前からいつかはと思っていたことを、ようやく叶えられた。

 ハニトーはバレバレだったって聞いたから、苦労しつつもバースデーケーキを用意した。料理だって作ろう。

 飲み屋でせこせこ結衣が注文したものを抓んでいたのもこのための布石……! あ、これ言わないほうが格好よかったやつだわ。

 

  結衣は幸せそうに笑いながら、カフェオレを頼んだ。

 

 二度目の俺との接点といえばカフェオレだった。

 俺が適当に買った“男のカフェオレ”を戸惑いながら受け取ってたっけ。

 一度目は言うまでもなく、サブレを庇った時の出会い。

 そんな日々を懐かしみながら、ゆっくりとカフェオレを作った。

 

「そういえばヒッキー、カフェラテとカフェオレの違いってなんなの?」

「そうだなぁ……カフェオレはこうして普通に作るコーヒーに、牛乳を混ぜたもの。まあミルク入りコーヒーってやつだな」

「カフェラテは?」

「カフェラテはエスプレッソを素に作るミルク入りコーヒー。エスプレッソと普通との違いは前に話したよな?」

「うん。フィルターで作るのと、マシンで作るのだよね? あ、じゃあ豆自体も違うんだ?」

「そゆこと。奥さんがきちんと覚えてて、俺も嬉しいよ」

「……うん。あたしも嬉しい。……一緒に、頑張って勉強したよねー……」

「……ああ」

 

 カウンターに腕を乗せ、その上に右頬を寝かせるようにして、懐かしむように過去を話す結衣は楽しそうだ。

 俺も自然に微笑みながら、出来上がったカフェオレを出す。

 結衣の好みを俺なりに理解した上で仕上げた、“男のカフェオレ”ならぬ“結衣へのカフェオレ”だ。

 そして、冷蔵庫から小さなバースデーケーキを取り出し、結衣の前へ。

 パセラに通って勉強したくせに、出来上がってみればハニトーではなくきちんとケーキ。意地ってやつだよ、ほっとけ。

 それほど大きくないそれを、結衣の前へとコトリと置く。

 

「あ…………ヒッキー……」

 

 菓子職人のように綺麗には出来なかった。ひょいと見ればいかにも素人が作りましたって感じのケーキ。

 それでも、結衣にはそれが嬉しかったらしい。俺の顔を見て、綺麗な笑顔とありがとうをくれる。滲んだ涙は喜びからなのだろう。そんな瞳を真っ直ぐに見ながら、照れくささをなんとか押し込めて、腹に力を込めて……伝えたい言葉を伝える。

 

「……いつも支えられてるって実感してる。傍に居てくれてありがとう。笑顔をありがとう。幸せをありがとう。……俺と、一緒になってくれて、本当に本当にありがとう。……結衣が好きだ。変わることなくどころか、好きってかたちがどれだけ変わっても、変わりまくっても、好きなままだ。…………誕生日、おめでとう。いつもありがとう。これからもずっと傍に居てほしい。……それから……」

「ぐすっ……うんっ……」

「……愛してる。こんなにも幸せな気持ちで感謝できる未来を、ありがとう。好きになってくれて……ありがとう」

 

 涙を拭い、鼻をすする結衣に、感謝と……心の中でずっとずっと渦巻き続けている言葉を伝える。

 自分の立ち位置や相手の“居場所”を気にするあまり、突き放してばかりだった自分が本当に恨めしい。

 もっと早くに手を繋げていられたならと何度思っただろう。

 本当に、中二病も高二病もろくなものじゃあない。

 

「もう……ばかぁっ……! 泣かさないでよぉ……! せっかくヒッキーが淹れてくれたのに……味がわかんないよぉ……!」

「い、いや……泣かすつもりは……! えぇとその……なんだ、……すまん、お前に泣かれると弱い……!」

 

 でも嬉し涙なら、泣き止んでくれなんて言える筈もなく。

 カウンターを回り込んで結衣の傍まで行くと、その背から腕を回し、涙するその姿を抱き締めた。

 

「ひっきぃ……ひっきぃい……!」

「その、ああ、ええっと……わるい、とかは言いたくないし、ごめんなも違うし……ありがとう、じゃまた泣かせるかもだし……ええいもう、思う存分泣いてくれ、結衣。その頃には、あっついカフェオレもいい温度になってるだろうから……な」

 

 いわゆるあすなろ抱きのまま、結衣が泣き止むまでを待つ。

 やさしい気持ちと愛しい気持ちとが沸き、あふれ出て仕方ない。

 どうすれば治まってくれるのかも解らず、だからこそひたすらに気持ちを込めて、包み込むように。

 

「………」

 

 誰かを支えるだとか、誰かのためにだとかは煩わしいって思っていた。

 人は恩を忘れるし、覚えていたとして、果たして人を選ばず恩を返せる人がどれほど居るのか。俺に対して、まず“返そう”と思える人がどれだけ居るのか。

 恩返しが欲しくて行動したわけでもない筈なのに、無意識に何かを欲してしまうのが人間ってものだと思う。

 でも……形を欲するでもなく、感謝を届けるだけでも顔を緩ませて笑ってくれる人を知って。

 そんな人と一緒に歩いて、賑やかな世界を知って。

 未来のために離れなくちゃいけなくて、いっそ一緒に行けたらと自分こそが一番悩んで。

 声が聴きたくて、一日に何回電話して、何回雪ノ下さんに笑われたか。

 でも……声が聴けたことももちろんだけど、それ以上に迷惑っぽくもなく、おざなりってわけでもなく、電話する度に喜んでくれる声が嬉しかった。

 支えられてるんだなって、強く自覚した。その前からそんな自覚はあったけど、あの外国暮らしが一番の決定打だった。

 

(俺…………頑張れたよな)

 

 過ぎてしまえばただの思い出だ。

 あれだけ苦しかった日々も笑い話になる。

 人の生き様なんて“そんなもの”。

 いつかは埋もれる青春の1ページでしかない。

 

  それでも。

 

 “そんなもの”を積み重ねた先に、幸せってものがあったから。

 だからこうして、俺は───……俺達は。

 

「………」

 

 ふっ、と笑いがこぼれた。

 目を閉じると小さな頃の自分。

 随分と綺麗な目で、知るもの全てを信じていた、ガキだった自分。

 嘘を知って傷ついて、嘘をついて涙して。

 嘘に慣れて、嘘を嫌って、嘘じゃないなにかが欲しくなって。

 見えないなにかに名前をつけて、それを必死に追いかけては、違うものばかりを手にするのに……その手に入れた何かが、また別の何かを育んでいって今がある。

 

  子供の自分に、“嘘を知るのは怖くないか”と訊ねてみた。

 

 “純粋なままでいればよかった”。

 嘘を嘘とは受け取らず、愚直なまでに信じ続けていれば、自分は───

 けど、目を閉じた先の子供は笑い、“知らなきゃ俺になれないから”と言った。

 知った先で出会えたものを捨てて笑えるほど、今立っているここにある幸福は安くないのだと。

 だから、怖くても知るのだと。

 

「………」

 

 今、腕の中にある大切なものと別れろと言われたら、俺は泣くだろう。

 つまり、当て嵌める答えなんてそれだけで十分なのだ。

 惚れた弱みとかいうんじゃない。

 いろいろあったけど、ここにある全てが、俺達が頑張った結果だからだ。

 その全てを捨ててまで純粋でいたいのかと言われたら、俺は絶対に首を横に振るう。

 幸福はここにある。

 これ以上を望むのは贅沢だ、なんてありふれた言葉はいらない。

 幸福の材料は揃ってるんだ、ほっといたって“これ以上”は訪れるし、なにより俺がもっと幸せにしたいから。

 

  答えなんて解り切ってるじゃん

 

 子供の俺が笑って消えた。

 自然と俺も笑ってる。

 ありがとうが溢れて、愛しさが溢れて、抱き締める腕に力がこもっても、壊さないようにやさしく抱いて。

 少しして、泣き止んだ結衣が涙を拭ってえへへと笑った。

 落ち着いてからカフェオレを飲むと、ほにゃりと表情を緩ませる。

 ……俺を抱き着かせたままで。

 しかしヤボを言うつもりもないので、小さく笑いながら、結衣の行動を見守った。

 ケーキを食べて目を輝かせたり、肩越しに俺に「美味しいよ? ほら」とフォークに刺したケーキを差し出してきたり。

 それを食べて、恥ずかしさに赤面しながらも離れようとはしないで、今日もまたいちゃいちゃ。

 大切なお客様、ということで、我が儘も受け止めて、バリスタとしての話し相手もきっちり務めて、恋人としてじゃれあって、夫婦としてキスをして。

 「えと……ヒッキー? 朝の約束、覚えてるよね?」と言われ、もちろんだと返す。

 けど、それにはまだ早いからと、もう一度腹に力を込めて離れると、“頑張ってきた自分”として立って、大切なお客様を迎えた。

 部活仲間としても、恋人としても、夫婦としてもいろんなことをしてきた。

 だから、今は頑張ってこられた自分として。

 腕を離して距離を取る俺に、寂しそうな顔を向けた結衣も、それは解っているのか、ムンッと無駄に構えて気合いを入れた。

 

「その……ええっと、だな……あの、あれだ……いやあれじゃねぇよ……あ、あー……」

「うん」

「~……お前が居たから頑張れた。離れても好きでいてくれて、そ、の……ああえっと……! ほ、本当に……───ありがとう」

 

 改まって言うのは恥ずかしい。

 しかし目は逸らしたくなかったから、盛大に真っ赤なままであろう自分で、しっかりと感謝を伝えた。

 結衣は、その“頑張った結果”を最後まで飲み切ると、目を閉じて息を吐いて……「あたしもだ」と呟いた。

 

「あたしも、ヒッキーだったから頑張れた。最初っからさ、簡単で甘いだけの恋なんかじゃ、どこかで綻びとか出来てたんじゃないかなって。あ、もちろんそこからでも頑張るし、絶対にヒッキーを幸せにしてやるって張り切ると思うけどっ」

「……おう」

「漫画みたいに頑張れば頑張るだけ報われる、みたいに簡単じゃなかったから、成長出来たんだって思うんだ。奉仕部に行ってさ、クッキー作って、もしあの時に簡単にクッキーが作れちゃうくらい、簡単にお礼を言えちゃうくらいに難しくなかったら、本当にお礼だけで終わってたんじゃないかって……たまに思う」

「結衣……」

「一年間見てた。いっつも一人だなーとか、なんとか声かけられないかなーとか、いろんなこと考えて、出来なくて。……でもさ、きっとあれはあれでよかったのかなって思うんだ」

「………」

「ゆきのんに言われなきゃ、人に合わせてばっかだった自分を見つめ直せなかった。いつかヒッキーが言ってくれたかもだけど、言われる前に何かを無くしちゃってたかもしれない。優美子に指摘されてさ、ヒッキーがなにか言おうとしてくれて、言ってくれて。でも……そうなったらたぶん、今みたいに優美子と友達のまま、とか出来てなかったかもしれなくて」

「………ああ」

「すれ違いばっかしてさ、怒ったり泣いたりしてさ。でも、当たり前なんだよね。お互いのこと、全然知らないんだから。そうやってヒッキーのこと知って、それでも好きなままで。だからあたしは───」

 

 そうだ。好きで居てくれたから、だからこそ俺は。

 ……ふと、言おうとした言葉を、結衣の指がそっと塞ぐ。

 わかってるから、と言われたような気がして、言葉は出なかった。

 

「引っ張ってくれてありがとう、ヒッキー。あたしだけじゃ、きっと一歩を踏み出せなかったから。自分で行くって決めて、頑張って、でも……ひとつだけを選ぶことなんかできなくて」

 

 笑顔のままに言う。そんなのは俺も同じだと、言葉にせずに返した。

 

「たまにね、思うんだ。マラソン大会の時、もし怪我をしたヒッキーを治療したのがあたしで、その時にしっかり相談し合えてたら~とか。チョコの時も、陽乃さんが来なくて、違和感なんか忘れて話し合えてたらとかさ」

 

 自分たちのことをひっかき回されて、まちがって、抗って。

 じゃあもし、引っ掻き回す存在がそこに現れず、俺達が俺達の意見だけでしっかりと向き合っていたらどうなっていたのか。

 ……こうした結果に辿り着いた今、その答えは曖昧すぎて、見えやしない。

 でも───隣に居るのはきっと、目の前の彼女なのだろうと……そう思うのだ。

 言葉通りに自分から来て、ぶちぶち文句をたれる俺を引っ張って。

 雪ノ下もそうして引っ張られ、笑顔のままに歩いていく。

 まちがっていたっていいのだと。

 まちがっていても、そこに幸せは一切ないかと言われたら、そんなことは絶対にないのだと頷けるから。

 

「だから、ずっと不安だったことを今聞かせてください」

「っ、結衣?」

「……あたし、奉仕部に居てもよかったのかな。そこに居て、誰かの役に立てたのかな」

 

 我慢はしなかった。出来なかった。

 言われた瞬間には体は動いて、乱暴に結衣を抱き締めると、振り絞るように「当たり前だ」を届けた。

 

「はっきり言うけどな。お前って緩衝材が無けりゃ、俺はとっくにあんな部はやめてたんだ。顔を合わせれば罵倒を口にして、行こうとしなければ腹を殴る先生が居る。そこに居たって面倒しか転がってこないし、俺が“変わらない自分”を保つ限り、雪ノ下の口撃だって終わらない。お互いが譲りたくないものを譲らないままで居続けて、妥協もしないで、あの部は……いや。俺がきっと耐えられなかった」

「……でも」

「“でも”はないんだよ。解る。お前がそこに関わらないってことは、そもそも俺と雪ノ下の接点もない。サブレを助けなかったから車に撥ねられもしないし、雪ノ下が俺に“俺のことなんて知らなかった”なんて言うこともなかった。罪悪感もないんだ、言葉を交わす理由にもならない」

「ヒッキー……」

「話し合いもしない、相談もしない。解り合うことだってない。そもそも解ろうとする理由がない。それがどういう結果を生み出すかは、修学旅行で思い知っただろ。……お前がちゃんと、俺のところへも雪ノ下のところへも、自分から来てくれたから保っていられた関係なんだよ」

「………」

「あと、それにその、だな。あー……お前に居てもらわなきゃ、俺が困る。自分勝手で悪いが、今さらお前以外とか想像もつかないし長続き以前に派手にフラレて枕を濡らすまである」

「……あはは、それはないんじゃないかなぁ。きっと、ヒッキーのことをちゃんと知ったら、いろんな人が好きになってくれるよ?」

「~~……ああもう解んねぇやつだな! 俺はそれが! お前じゃなきゃ嫌だって言ってんだよ!」

「ぇ……あ、ひゃう……!?」

「いいからっ! ……~……これからも、俺の傍に居てくれ……! 居ても良かったか、なんて言わないでくれよ……!」

「…………」

 

 抱き締める腕に力がこもると、結衣も静かに腕を回してきて、ぎゅう、と抱き締め返してきた。

 呆然としていた顔が笑顔に緩むと、遠慮もなしに全力で抱き締められた。ちょっと苦しいが、変わらずここに居てくれるという実感が強く強く体に走り、俺もまた抱き締め返す。

 そうしてキスをして、唇を密着させ、舌を舐め合い、感情が走るままに近づき合って、やがて───

 

「え、と……ひ、ひっきぃ…………やくそく」

「……おう」

 

 ぽしょりと呟かされた言葉に顔を赤くして、一度離れる。

 そうしてからはテキパキと皿やカップを片づけて、もうしてほしいことはないのかと訊くと、真っ赤な照れた顔のまま、「これからいっぱいしてもらうから」と返された。

 ……顔面がボルケイノ。やめてください顔が焼けてしまう。

 しかしそういうことならと、結衣を先に風呂へ「酔っちゃってるから……支えてほしい、な。……ダメ?」……“これからいっぱいしてもらう”は、既に始まっているようだった。

 

   ×   ×   ×

 

 翌日の今日。

 本日もぬるま湯は平和である。

 

「いらっしゃいませ。お二人様ですか?」

「え? あ、ああ、うん。二人……だけど」

「それではお席へ案内しますね。どうぞこちらへ」

「え? え? え?」

 

 夜から朝にかけて、結衣が眠りにつくまで気持ちを届け、寝てからもまあいつも通りというか。幸せそうに眠りこける結衣を撫でながら、俺も眠った。

 あまり眠れる時間はなかったが、起きてみればスッキリ爽快。根性論ってすげぇと思うの俺。漫画小説ゲームの主人公とかってマジそれな。根性があれば何度でも立ち上がるし。

 まあ勇者の根性云々は捨てておくとして。

 昨日と同じ朝を迎えて、顔を真っ赤にした結衣と風呂に入り、シャッキリしてから開店を迎えたぬるま湯は、変わることなくいつも通り。

 違うことといえば、娘たちが葉山をからかうことが無くなったくらいだろうか。

 戸惑う葉山がかなり挙動不審である。

 お客様の中にポリスな方はいらっしゃいますかとか言って、もし居たらいろいろ質問とかされそうなくらい驚いてる。

 

「ではこちらのお席へどうぞ。こちらメニューです。ご注文がお決まりになりましたらお呼びください」

「え、あ、はい……………………あれ?」

「? どしたん隼人」

「あ、いや……えぇえ……!?」

 

 落ち着くべき場所に落ち着いたのなら、つつく理由もないのだと、娘二人はテキパキと仕事をこなしている。

 そもそもが葉山が結衣を名前で呼び捨てしたのが原因で、さらにここに入り浸っているというのだから警戒もあったのだろう。

 実際、三浦とくっついてみればすっかりと落ち着き、バラティエ接待をすることもスタイリッシュ接客をすることもなくなった。

 まあ、たまに毒は吐くが。

 

「やあキミ可愛いね。バイトの子? 空いてる日教えてよ、俺と遊ぼう?」

「死んでください太子」

「死!? え……死!?」

「ああいけません急にギャグマンガ日和の真似をしたくなりましたただの真似なのでべつにあなたに言ったわけではありませんよええそうですとも絆がお客様にそんな暴言を言うわけがありません死ね」

「おい!? 今“ありませんしね”の“しね”の部分に危険な発音混ぜなかったか!?」

「気の所為ですキモいです近寄らないでください口臭いですキモいです」

「くっ……口のことは言うなぁぁあっ!」

 

 ナンパされてもこんなもの。

 あとキザっぽいお客様は口臭を気にしてらっしゃるようだった。

 

「この比企谷絆は従業員である前に一人の人間! 気づいたことは教えてやるのが流儀である! なので口臭いです。自分で自分を格好いいと思ってるならお口のエチケットくらいしてください。口は臭いし服からはタバコ臭。ハッキリ言葉にして届けます。───臭い!!」

「姉様姉様、夜にはきっとお酒臭さも追加されます」

「まずは胃腸の改善、禁煙、歯垢除去などからオススメします。そんな状態でサワヤカ男のようにナンパなど1年くらい早い!」

「1年くらい!?」

「まあ実際どれくらいの期間で匂いが消えるか知らないので。ナンパをして女性に来てほしいのなら、自分が出来る努力を怠らないことです。そしてそもそも好きな人が居るので全力でお断りです」

「右に同じくお断り。希望を持たせないその在り方、実にジャスティス」

「な、なんだよ……俺はこれでももう頑張って───」

「精進が足りん! 出直せい!!」

 

 一蹴であった。

 男はしょんぼりして帰り、絆はヌワッハッハッハッハとどこぞの柳生十兵衛のように笑っていた。

 ……だから。どっからそういうネタ持ってくるのお前。サムスピとか今の若者なんて知らないだろ……。

 

「もう、絆? 美鳩? あんまり敵を作るようなこと、言っちゃだめだよー?」

「じゃあママは心に決めてる人が居るのにナンパとかされたい?」

「え? えと……《ちらり》」

「ママアウト! はいアウト! そこでパパを見ちゃうんじゃあ全然ダメ!」

「Si、ここでパパの一言。ナンパ男がママに近寄ったら?」

「とりあえずハンマーな」

『怖いよ!?』

 

 奥さんと娘二人に驚かれた。引きはしないらしい。

 

「はぁ……これでお客様がまた一人減ったわね……」

「ナンパしか目的じゃないなら来なくていーだろ。それともなに。お前されたい?」

「冗談でしょう? 寄ってきた時点で触れることなく打ち負かしてあげるわ」

「おい。つい今しがた、何に対して溜め息吐いたのか思い出してみろ」

 

 そんな些細に笑う。

 まあその、アレな。喫茶店は食事や飲み物を楽しむところなので、ナンパはやめましょうね?

 

「あ、ヒッキー! モカマロンとカフェラテセット一つね!」

「おうっ、《ブツッ》一色、モカマロン一丁」

『らじゃーですっ★ あとハチ兄さん? 昨日のケーキ、どうでした? 結衣先輩を喜ばせられました?』

「あー……いや、べつに言わんでいいだろ」

『気になるじゃないですかー。というわけでほら、教えてくださいってば』

「いや、だから……アレがアレでだな。つまりほら、そう───」

「パパー! ブルマいっちょー!」

「ブルマっ───」

『ブルマ!? えぇえっ!? ケーキからブルマプレイに発展ですか!? どういう過程があればそんな結果になるんですかキモいマジキモいです先輩さすがにドン引きですよごめんなさい』

「ちょっと待て全力で誤解だあとプレイとか言うななんで真っ先にそういう方向に向かうんだ!」

「パ、パパッ、パパぁあ……! ハァハァ言うお客様が、みみみ美鳩に、まままっままんっ……まんごーぷりんを何度も、何度も復唱させて……!《かぁああ……!》」

「てめぇお客様! 人の娘になにやらせてんだ表出ろこの野郎!」

「ちなみにブルマはパパの知り合いイケメン野郎の注文だよ? マンゴープリンは三浦さん」

「葉山お前なにやってんの!? 三浦! お前も!」

「ちょ、ちょっと待て! 俺は普通にブルーマウンテンをお願いって言っただけで!」

「あ、あーしだってその子がぼそぼそ言うから、ちゃんと言いなって言ってただけで!」

「ギルティ」

『《ぐわしメキメキ》はぎゃあぁああああああっ!!』

 

 双子の娘をアイアンクローでシメた。

 それを見て溜め息を吐く雪ノ下と、苦笑しながら止めに入る結衣。

 音声が繋がった先の一色は、ブルマと俺の変態性についてを説き、それに全力で誤解だと返す俺と、慌てる葉山と三浦。

 なんとも賑やかなぬるま湯だと苦笑しつつ、今日も、大切な人の隣で実感するのだ。

 支えられてる、感謝してばっかりだと。

 返せているのかは解らない。笑顔で居てくれる限り、まあ落ち込んだとしても、その努力をやめるつもりなんてさらさらない。

 

「うう……あ。そうだパパ! なんかさっきね!? ママがカフェオレ頼まれてたのに、カフェラテに強引に変えてたよ!? これはギルティだよね!」

「うひゃあっ!? 絆っ、それ言っちゃダメって───!」

「いやそりゃ変えるだろ変えるよな変えて当たり前だな常識でさえあるまである」

「えぇ!? アイアンクローは!? ……ずるい! ママずるい!」

「ママすごくずるい……! ずるい……!」

「えへへー……ずるくていーの。これはね? ママだけの特権なんだから」

『アイアンクローが!?』

「カフェオレがだよっ!! もうっ!」

 

 だからまた確認をして確信を手にして、小さく呟くのだ。

 今日もぬるま湯は平和で、幸福の中にある、と。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。