どこにでもあるようなガハマさんとヒッキーのお話   作:凍傷(ぜろくろ)

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父さん元気でいとおしい

 父の日。

 それは家庭内ポジションが名前に出る日の中で、随分とまあ軽視されたり無視されたりする日であり、母は祝われても父は祝われない、なんてよくある話の代表とも言える日である。

 家族のためと汗水吹き飛ばしながら働いても、結局人は目に見える行動こそを喜ぶのだ。父がどこでどう働いていようと、見えなければありがたみなど感じないに違いない。

 うちの親父とか特にアレな。小町からのプレゼントは喜ぶくせに、俺からなにかがあっても喜びやしない。

 ちなみに俺が気まぐれを働かせてプレゼントを用意、それを小町が発見して乗っかった父の日でさえ、感謝されたのは小町だけだった日があった。

 ……以降、プレゼントなぞしてないが。

 ほれ、誰がきっかけでとか気づかなければ、人間なんてこんなもんだろ。

 などと思っていたんだが。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 コチャッ……

 

「コーヒーを……お持ちしました……」

「ありがとう」

「………」

「………」

「………」

「あの……絆ちゃん?」

「むう。ザイモクザン先生ならここで、ズズ……と飲んで“オー、ブルーマウンテン”とオリバってくれるのに……!」

「ごめん……なんの話かわからない」

 

 結衣の誕生日も過ぎた今日。

 ブルマとマンゴープリンでいろいろあった店の中も、現物を出してしまえば落ち着いたもの。

 三浦も紅茶とマンゴープリンをつつきつつ、美味しさのためか笑顔だ。

 

「しっかし、父の日って相変わらず暇だよな。やっぱり他の日より軽視されてるんじゃねぇの? パパ悲しい」

「不思議だよね。あ、でも……あたしもあんまり、パパのこと祝ったことなかったなぁ……」

「うちは小町が祝えばそれでハッピーだったな」

「そして我が家は絆と美鳩! 我らはパパを全力で祝うものとする!」

「Si……! 毎年、ママの誕生日と父の日には全力で挑む我ら……! とても家族愛に溢れたジャスティスファミリー……!」

 

 父の日は他の日よりも静かなもんだ。

 ちゃんと父の日としてコーヒーが安かったり、社畜な日々を送るあなたへ安らぎをとばかりに、MAXが通常の値段と同じで提供されるっていうのに。

 あ、もちろんコーヒー苦手なパパな人用に、紅茶等もいいお値段。

 ケーキだって割引されてるのに……やっぱり来る人は少ない。

 常連さん達は普通に来てくれるのだが。

 

「比企谷くーん、豆、運び終わったよー? ……~……は~~っ……、コーヒー豆って結構重いんだねー……。私、もっと軽いかと思ってたよー」

 

 倉庫の方から“たはー……”と息を吐きながらやってくるのはめぐり先輩。

 注文しておいた豆が来るから整理を、って段階で“先輩にまっかせなさ~いっ”なんて腕まくりをするもんだから、任せてみたんだが……なんかもう虫の息っぽい。

 ほんわかめぐりんオーラは自分には効かないようだ。癒しが足りない。

 

「城廻先輩、とりあえず水をどうぞ」

「あっ、ありがとうね、雪ノ下さん」

 

 水をくぴくぴ飲む姿からは、なんというか年上としての威厳もなにも見えはしないし感じもしない。

 実に和む。いや和んでちゃだめだろ。

 

「うんっ、じゃあ次、なにをしよっか」

「あー……それじゃあ接客等をお願いします。結衣、説明いいか?」

「うん、任せて。それじゃあめぐり先輩」

「うん、よろしくね、ガハマちゃん。まだまだ慣れなくて」

「慣れる慣れないの判断は大体一ヶ月っていいますし、全然おっけーです。じゃあ───」

 

 めぐり先輩への説明は結衣に任せて、カウンターに戻る───と、丁度そこへお客さん。

 

「《からんから~ん♪》おーう、今日父の日だってな! 大将、MAXセットチャレンジ一丁ね! っへへー、今日こそクリアしてやるぜぇえ~~……!」

 

 頼み慣れてる人なんかは、入ってくるなり俺に注文を投げる。

 すぐに絆と美鳩が動くが、「よぅっ、絆ちゃん美鳩ちゃんっ、今日もかわいいねぇ!」なんて気さくに言うだけで、座る席も適当。

 

「まるで居酒屋気分ね」

「あの人、自由だからなぁ」

「以前からの知り合いだったりするのかしら」

「……あの人、雪ノ下建設の関係者だぞ」

「───」

 

 あ、微妙そうな顔した。

 まあなんにせよだ。今日はきっとそこまで忙しくもないだろう。

 こんな日はのんびりと過ごすのも、心のゆとりには必要なことなんじゃないかね。

 

   ×   ×   ×

 

-_-/由比ヶ浜結衣

 

 日付が変わった瞬間、あたしの誕生日から父の日に変わる。

 昔は全然気にならなかったその日が、絆と美鳩が産まれてヒッキーがパパになってからは、驚くくらいガラリって変わった。

 相変わらずパパへのお祝いって気持ちは湧かないけど、あたしにとってはいつの間にかとても大事な瞬間になっていた。

 今年は特にありがとうだ。

 だって、すっごく祝ってくれて、嬉しい気持ちのすぐあとに、そんなありがとうをいっぱい返せるんだ。

 ほんとなら“子供が父親に”、とかそういう日なんだろうけど、ヒッキーに対してありがとうがいっぱいな気持ちのあとに、パパにありがとう、なんてちょっと違う。

 それが変わったのはやっぱり、ヒッキーが絆と美鳩を抱きかかえて「これで俺もパパか」って言った瞬間から。

 そんなことがあってから、自分の誕生日と同じ月に父の日があることが、密かな嬉しさだったりする。

 ……ゆきのんが言うには、密かな、どころかちっとも隠せてないらしい。そ、そんなことないと思うけどなぁ。

 

「………ヒッキー……」

 

 日付が変わった瞬間、愛されてたあたしは愛し返して、驚いてるヒッキーと一緒になってベッドの上で……その、えと。

 ちょっと……うん、ちょっとだけ寝るのが遅くなっちゃったけど、眠気も残ってないし、むしろスッキリ。

 一緒のベッドで眠るヒッキーの顔は綺麗なもの。

 えと、“無垢”っていうのかな。目を開けてたって格好いいけどさ。

 目から“腐った”って言葉が抜けただけで、ヒッキーはすっごく格好良く見える。

 でも、だからって好きになるのとは違って、あたしはヒッキーだからもっともっと好きになる。

 目が腐ってても腐ってなくても、ヒッキーはヒッキーだから。

 

「…………ぁぅ」

 

 それはそれとして。

 目が覚めてから、その。お腹のあそこに違和感。

 深く愛し合ったあとは大体繋がったままだから、もちろん今日もだった。

 体勢を変えようかなって動くと、ヒッキーのカタチが解って、恥ずかしくて…………嬉しくて。

 えと。

 それ以上に、ちょっと…………うん。ヒッキーの顔見てたら、スイッチ入っちゃって……。

 ……ご、ごめんねヒッキー。好きすぎて、ごめん。

 でも……ヒッキーだって悪いんだからね? 昨日、あんな嬉しいことばっかしてくるから、好きすぎて……もう……!

 

<ン、ンン…? ア、ユイ…ンクッ!? エッ、ア、オイチョッ、ウァアアアァァーーーッ……!!

 

 

……。

 

 ……え、えと。

 久しぶりに朝からあたしからしちゃって…………こうして一緒にお風呂に入ってスッキリして、こうして仕事をして。

 やっぱり思うんだ。こういうの、いいなーって。

 

「あっと」

 

 軽食の注文が入った。

 今日は“父の日”。

 今日だけは、軽食にもとっても力を入れる。

 その場をめぐり先輩に任せるとキッチンに向かって、軽く腕まくり。

 

(えとー……食べる人はヒッキー、ヒッキー……!)

 

 ヒッキーに食べてもらうつもりで頑張って作る。愛情は乗せないけど。

 ……うん、やっぱだめだ、友達に食べてもらう感覚で作ろう。愛情は家族と親友にだけ与えたい。

 

「………」

 

 ふと思い立って、別の器を用意。

 本当に、気まぐれだったんだと思う。

 軽食を作り終わって、それをヒッキーに届けて。

 キッチンに戻ると、その器に……キャットフードを盛りつけた。

 

「………」

 

 ペット用の固形食糧が、ざらららららって器に落ちる音に胸が痛む。

 思い出の中のあたしが、それをあたしがあげちゃっていいの? って訊ねてきてるみたいで、怖い。

 ただエサをやるだけだ。普通のことの筈なのに、器を持つ手は震えて、匂いを嗅ぎつけたのか音を聞いたのか、猫のヒキタニくんがにゃあと鳴いて、長机の上のクッションからひょいと降りて、寄ってくる。

 猫は、苦手だった。今ではそうでもない。

 犬が大好きだった。今ではそうでもない。

 あたしはきっとサブレが好きだったんだ。犬ならなんでもよかったわけじゃない。

 すり、と足に頭をこすられる感触。

 思った以上に体が跳ねて、心臓がどくんどくんってうるさい。

 

(こんなの、簡単だ。器を持って、屈んで、置いて、離せばいいんだ)

 

 そう思う。

 思うのに、上手くいってくれない。

 

(……やだな)

 

 この子は悪くない。

 誰が悪いとかじゃない。吹っ切れなきゃいけないわけじゃない。

 ただの心の問題。

 

「…………、んっ」

 

 息を飲んで、お腹に力を込めて、屈んで、器を離す。

 すぐに猫が器に顔を突っ込むようにして、豆みたいなキャットフードをカリコリ噛んでく。

 

「……はっ……」

 

 たったそれだけなのに、体から力が抜けて、その場にぺたんって座りこんでしまった。

 手は震えて、咄嗟になにをしようとしたのか、自分の行動を振り返って……悲しさが溢れてくる。

 撫でようとして、失敗したんだ。

 

「………」

 

 大事なものを失うのは怖い。……とっても、怖い。

 大事なコだったっていうのもそうだし、ヒッキーとゆきのんとの出会いを作ってくれたコでもあった。

 ばかだなぁ、って思う。

 情けないなぁ、て思う。

 でも、いつまでも引きずって、なんて言われるのは違うって言える。

 あたしだって悲しいことばっかり思い出してるわけじゃない。楽しいからこそ悲しいんだ。

 覚えていられるなら悲しくていいって思ってた。

 でも……悲しさだって喜びだって、時間が経てば消えちゃって。

 写真を見なきゃ、サブレがあの時どんな顔だったか、なんてことさえ思い出せない時があって。

 忘れちゃったら楽なのかな。

 忘れちゃって、他のコを飼って、笑っちゃえば、あたしは───

 

「っ!《ぱぁんっ!》」

 

 頬を叩いて一喝。

 だめだっ! うんっ、だめっ! 今日はヒッキーの日っ……じゃなかった、父の日っ!

 暗い考えなんていらないいらないっ!

 そうだ、暗い考えとして思い出したいわけじゃない。

 少しずつ慣れていこう。一歩一歩。うん。

 

「………」

 

 ごくりと息を一飲み、ヒキタニくんにちょんと触ってみた。

 にゃあ、って鳴かれてびっくりした。

 

「………」

 

 動物を抱きかかえて無邪気に笑う、なんてことはまだまだ無理そう。

 でも……そだね、一歩一歩だ。

 

……。

 

 喫茶店に戻ると、いつの間にか随分と賑わってた。

 あたしがもたもたしてる間にいっぱい客が来たみたい。

 それを見て、葉山くんと優美子が立ち上がって、レジの前に。

 

「混んできたみたいだし、そろそろ帰るよ」

「帰れ!《どーーーん!》」

「はは……絆ちゃん、コーヒー一杯で居座っちゃって悪かったから、そんなに怒らないでくれないか───って、なんだいこれ」

「コーヒー一杯につき一枚引いてもらうくじ引きである! ちなみに引けるのは男性のみ! さぁ引けやれ引けさぁさぁさぁ!《ドシュドシュ!》」

「わ、わかった! 引くから! 引くから箱を突き出しまくらないでくれ! 引けないだろこれじゃあ!」

 

 箱……へー、あんなの作ったんだ。

 いつの間に、って思ったけど、たぶん絆と美鳩がだよね。

 とか思ってたら、くじ引きBOXを手にする絆を発見した美鳩が、仕事もそこそこにすすす……って絆の隣に戻ってくる。

 

「ちなみに一等とかそういうのはあるのかい?《ゴソゴソ》」

「Si、提供ははるのん。雪ノ下建設の野郎どもが疲れて訪れるだろうから、それで労ってくれーって」

「はるさんが? へぇ……! なんか私もやってみたくなっちゃった……え? コーヒー一杯頼めばやっていいの?」

「城廻先輩、仕事中です」

「あぅ……そ、そうだよね……うん」

 

 しょんぼりするめぐり先輩をよそに、葉山くんがくじをひく。

 結構大き目な箱に何枚も入ってるみたいで、かき混ぜるようにしてからピッと取った一枚を、絆に見せた。

 

「はい、これでいいかな」

「押忍、端っこを破いて中身の確認をどうぞ。書いてあるものがそのまま景品!」

「《ぺりっ……》えぇ、と……」

「隼人、なに出た?」

 

 気になるのか、優美子も横からくじを覗き見る。

 う、うー……うん、あたしも……ちょっと気になるかな。

 ……めぐり先輩がもうすっごく見てる。めぐり先輩、陽乃さんのこと好きだよねー。

 

「あ……カフェオレ無料券だね」

「!?《びくっ》っ……あ……」

 

 カフェオレって聞いて、昨日の今日だったから肩がびくんって跳ねた。

 べつに普通のことなのに、今日だけはカフェオレはやだなって。

 

「───! ぴんぽんぱんぽーん! おめでとうございます! 引き直しチャンスです! さあ引き直してくださいさぁさぁさぁ!!」

「えぇ!? いや絆ちゃん!? これほら、カフェオレ無料券って……俺これでいい───」

「黙れ小僧!!」

「小僧!?」

 

 困惑する葉山くんをよそに、ヒッキーが無言で近づいてきてカフェオレ券をスポッて回収。

 あたしの手にきゅっと握らせると、そっぽを向いて仕事に戻ってった。

 

「………」

 

 ~~……ちょっと暗かった心がもうぽっかぽか。

 あたし、単純だなぁ。

 

「えぇと、じゃあ《ゴソゴソ……コサッ》これ、かな。で、中身は……MAXバスターチャレンジ無料券!?」

「おめでとうございます! その券を手に入れたあなた様には、次回来店の際には問答無用でMAXコーヒーとバスターワッフルが提供されます! 絶対にだ! 逃れることは出来ん! 顔は覚えたぞコノヤロー!!」

「い、いやっ……全力で遠慮したいんだけど!?」

「ノー! 返品は効きません! だめネ! 絶対ダメ!! フフフハハハハハハ!!」

「……激写《ぱしゃり》」

「この状況で写真を撮るとかやめてくれ美鳩ちゃん! 不安になるじゃないか!」

「いーじゃん、無料ってんならもらっとけば?」

「優美子はあれの恐ろしさを知らないからそんなことが言えるんだ!」

「え……なに? ちょっと結衣、これそんなにヤバいの?」

「えとー……ん」

 

 ちょい、とさっきの雪ノ下建設の人をこっそり指差してみる。

 ざくり、とバスターワッフルを齧って、「おごぁああああああ!!」って悶絶してるところだった。

 

「………甘いのが苦手な人なん?」

「あの人、相当の甘党だよ?」

「……マジ?」

「うん。葉山くんも半分くらいしか食べられないで脱落してるんだ」

「うわっ……あ、結衣? さっきのカフェオ」

「ヤ」

「ヤ、って……いやカフェオレだけど交換───」

「やだ」

 

 カフェオレは渡さない。これは意地だ。

 無料券を守るようにして言うと、優美子は“たはっ”て感じで笑って、頷いてくれた。

 

「わかった、おし、ほら隼人、べつにいーじゃん? それで。二人で分けて食べよ? 次回はタダってことなんだから」

「グフフフフフその軽口が次回のいつまで保つことか……! 楽しみにしておるぞお客様どもめが……! またの来店を心より、もうほんと心よりお待ちしておるぞ……! グフフヘヘハハハハハハカカカカカッカッカッカッカ……!!《ぺしっ》はたっ」

「こーら。……ったく、なんでそこで、“悪役老人が笑う声を忠実に真似ました”みたいな笑いを絞り出すんだよ」

「もてなしたいのか怪しまれたいのかどっちかにしろし……」

 

 あ、でも解るかも。

 なんでか悪役っぽい人ってあんな笑い方するよね。

 

「はぁ……まあ、二人でならいけるかもしれないしな……わかった、これはもらって帰るよ」

「その覚悟に敬礼!《ビシィ!》」

「敬礼……!《ビシィ!》」

「従業員に覚悟を認められるようなもん売んなし……」

 

 あ、あはは……それは、まあ確かにそうかも。

 苦笑いしてた葉山くんが優美子を連れて出ていくと、あたしたちは思い思いに動き出す。

 さてと、洗い物とかパパッと───

 

「《からんからんっ》すまないっ、手帳を忘れ───」

「確保ぉおおおおっ!!《ギャオッ!》」

「いらっしゃいませお客様ご注文はバスターですねそうですね美鳩は今こそあなたを歓迎するジャステイス!《シュバタタタタッ!》」

「え───うわっ、うわぁああああっ!?」

 

 空気が一瞬緩んだ途端、葉山くんが忘れ物を取りに戻ってきた。けど、忠告した通りに“次に来店したら”って条件のもと、絆と美鳩がいきなり走る。

 驚いた葉山くんは思わず逃げ出しちゃったみたいで、バタムと扉が閉ざされると……訪れる静けさ。

 ヒッキーが「あー……はぁ」って溜め息を吐いて、葉山くんと優美子が座ってた席にあった手帳を手に取ると、店の外に出てって葉山くんに渡してた。

 ガラス越しに見る葉山くんは、やっぱり本当に驚いたのか、胸に手を当てて呼吸を整えてるみたいだった。

 少ししてヒッキーが戻ってくると、二人はべしりとおでこを叩かれてた。

 

「知り合いとはいえお客さん驚かせてどーすんだ、ばかもの」

「ククク、平和に埋もれた世界にこの絆一等兵が刺激を……!」

「忘れ物だろうと次回は次回……バスター恋しさに戻ってきたかもしれない。なのに驚かすようなことをした……反省《ぺしり》はぅっ」

「反省する点が明らかにまちがっとるわ」

 

 軽いチョップが美鳩のおでこに当たった。

 うーん、これで来づらくなったりしなきゃいいんだけどなぁ二人とも。

 

……。

 

 そんな感じで……じゃないね。葉山くんと優美子の例はあくまで特殊で、それでも今日もぬるま湯は平和だ。

 みんながみんな楽しみながら仕事して、お客さんとの会話も楽しんで。

 くじでいいのが出れば、お客さんも喜んで。

 

「おっ、ティラミス無料券!? やった大好物! え、え!? これ今すぐもらえんですか!?」

「いえ、基本次のご来店時の注文から有効です」

「そっかぁ……持ち帰りしたかったのになぁ。あ、じゃあ出てすぐ入ったら───」

「クフフ甘いわ。来店したなら喰らわせるのみぞ。この比企谷絆、無料で持ち帰りなど許しはせぬ。ましてやいろはママ特製ティラミス! それを鮮度抜群の内に食わぬなど!」

「あ、いや、実は娘が入院していてね」

「いろはママぁあっ! お持ち帰りでティラミスいっちょぉおおおっ!!」

「えぇええっ!?」

 

 ……うん。でもちょっと落ち着こうね絆。

 お持ち帰りOKなのにノリでお客さん混乱させたから……ああほら、後ろからヒッキーが「《ぐわしっ》はぴょっ!? あ、あっ……ままま待ってくださいパパ今のはちょっとしたジョーク! ジョークってやつで《メキメキ》ギャーーーーッ!!」……うん。アイアンクローした。

 

「うぐっ、うぐぐぅう……! 馬鹿な……! ハリセンが無くなれば、やさしくこう、ツンッてやって“悪戯はだめだゾッ★”ってパパがやってくれると信じてたのに、むしろハリセンの方がやさしかったなんて……!」

「はぁ……ハリセン隠したの、やっぱりお前か」

「フフフ、隠したなどとなにを甘いことを……! この比企谷絆! 自身を攻撃するための武器なぞ分解し、折り紙の要領で兜にしてくれたわ!《ぺちーん!》はぷぅっ!?」

「神棚にデカい兜飾ったのはおのれかぁーーーーっ!!」

「イエス・アヴドゥル!《ぺちぺちぺちぺち!》いたたたたた!!」

 

 胸を張った途端にまたおでこを叩かれてた。

 絆はほんと元気だなぁ。

 あたしも学生の頃とか、みんなからはこんな感じに映ってたのかな。

 ……や、やー、あたしあそこまで無茶はしなかったよ……ね?

 ところで“いえすあぶどぅる?”ってなに? ヒッキーに訊いてみたら、イエス・アイアムのことだって。

 

「はぁ……比企谷くん、5番さんがお帰りよ」

「っと、絆の額をぺちぺちしてる場合じゃないな」

「そ、そんなひどい……! 絆をこんな体にしておいて……!」

「おう、元気で健康に育ってくれたな。この調子ですくすく育てよ」

「むふーん! りょーかいであります! えーとほいほいほい~っと。はいっ! 720円になります! 1020円のお預かり! 300円のお返しです! ありがとうございましたー! ……パパ! ここで“またお越しくださいね”って言うのと“雷おこしください!”っていうの、どっちがいい!?」

「考えるまでもねーだろ……」

「わっはははそだね! じゃあ───雷おこしください!」

「よーしわかったお前は考えような?」

 

 ほんと、このコは元気だ。

 それにポンポンと言葉を返せるヒッキーもヒッキーだけどさ。

 

「冗談はさておき! さあくじを引くがよい! なにかが無料になるかもしれん! 引けー! 早く引くんだー! どうなってもしらんぞー!!」

「いいからお前は少し落ち着け」

「らじゃっ!」

 

 やがてくじを引く、少し太ったおじさん。

 どこか楽し気にぺりぺりってくじを開くと、そこには───

 

「おおっ!? これはまたなんと不運な……お客様が手に入れたのは命令券です!」

「ムホッ? 命令券……?」

「……こほん、そこは美鳩が説明する。命令券とは、命令できる券。命令できる。でも相手がそれを聞く理由にはならない。それだけ」

「つまりハズレくじだね。というわけでまたのご来店をお待ちしておりまー───」

「ちょっと待ってくれんかね。……これは、命令ができるのかね? 従業員になら、誰でも?」

「はあ、できますけど。残念でしたね」

「残念なものかね! では早速使わせてもらおう!」

「あ、使います? ではどうぞー」

 

 ……え? え? 命令って……え?

 なんかぞわぞわって嫌な予感がして、ヒッキーを見る。

 や、見ようとしたんだけど、ヒッキーは素早くあたしの前に来てくれて、じろじろあたしを見るおじさんの視線からあたしを守ってくれた。

 

「その……ぶふぅ、そこの女の子と握手させてくれんかね」

「───!」

 

 ぞわってきた。

 やだ。

 ヒッキー以外の人に触られるとか、必要じゃないこと以外でなんて───!

 

「はい、ではご来店ありがとうございましたー」

「ございました……」

「ございました、っと」

「ええ、ありがとうございました。……」

 

 寒気が入って体が強張ると、そんなあたしの前にゆきのんも立ってくれる。

 二人はあたしを見て、安心していいよって顔で笑ってくれた。

 や、ち、違うんだよ? あたしだってほら、ヒッキー以外に触られるのはって恐怖みたいのが無ければ、体が強張ったりなんて……。

 

「…………ぶひ? ───な、なにを言っておるのだね? まだ握手は───」

「あの。それ命令券ですよ? さっきの話、聞いてました? 命令できるだけです。叶えるかは言われた人次第なんです。つまり、どこまでいってもはずれくじですってば。大声で命令してみても、わたしたちはな~んにも聞かなかったという、一種のスカっとしてください券みたいなもんです」

「………」

「黙って帰れば男としての狙いはバレず、命令すればなにが狙いかを暴露することにもなる……人の欲望は恐ろしい。ノンジャスティス」

「まったまたぁ~~~っ、とってつけたような言い訳を。はずれくじとか言って、ほんとはこんなもの一枚しかないんでござろう? ほれっ、見せてみたまえ!」

「あっ!」

 

 にんまりしたおじさんが、絆の手からくじ箱をひょいって取って、中身を取り出してべりべりっていっぱい破る。

 でも出てくるのは命令券ばっかり。

 そりゃそうだよね、はずれなんだから。

 

「……OH」

「……お客様。とりあえずコーヒー5杯分、飲んでいきます?」

「ぶひっ!? …………あの、俺、ザイモクザンの執筆仲間で───」

「……ざいもくざん? って誰?」

「あ、そっか、めぐり先輩は知らないんだっけ。中二のことです」

「……中二?」

「あ、えと」

 

 どう説明したらいいのか。

 考えているうちにヒッキーは電話をして、

 

「《たしたしたし……prrrr》あ、戸塚? 今うちに材木座の仲間ってやつが───」

「戸塚さん!? ヒィイあの人に恥を知られるとか勘弁でござるーーーっ!!」

 

 相手の弱点を的確に狙った行動をとってた。

 その中で聞いた話じゃ、中二が書いた喫茶店の小説の元になったここを知ってみたくて来たら、父の日フェアで心わくわくだったんだって。

 で、命令券なんてものが出たから期待しちゃったとか。

 

「いえあの……ほんとごめんなさい……。調子に乗ってました……。命令とかちょっと憧れだったンス……。もうしませんから……」

「相手がママじゃなきゃ、パパもこんなに反応しなかったのに……」

「へ? ママ? …………え? きっ……既婚者の、方? っていうかこんなに大きなお子さんが!? ウソォオ!?」

「あの……ごめんなさい。あたし、ヒッキー以外の男の人とかちょっと……」

「しかも丁寧にごめんなさいされた………………いや、逆に良かった! 一途な女なんて居ないとか決めつけていたが、そこまで潔癖なら……!」

「No……潔癖っていうか、パパが好きすぎるだけ」

「そだねー、ママは潔癖って言うにはちょっと違う気がするなぁ。ちなみに暇さえあればパパとらぶらぶちゅっちゅする仲だから、他の人が入り込む余地一切無し! 失せるがいい!」

「《びくんっ》おふっ……親を守ろうとする娘からの罵倒…………イイ……!」

「…………美鳩、やばいですどうしましょう、この人Mです」

「…………絆、やばいですどうしましょう、ザイモクザン先生でもここまでひどくない……」

 

 どうしたらいいのかなーって対処に困ってると、ヒッキーが間に入ってくれて、さいちゃんからの軽い伝言っていうのを挨拶みたいな軽口で伝えた。

 それはたったひとつの言葉。

 

  ……作品、もう出来たのかな?

 

「ぶひぃいいいいいいいいいっ!!!」

 

 それだけで、うっとりしてたお客さんが叫び、震え出した。

 そこからは早かった。

 お客さんはすぐに千切っちゃった5枚のくじ分の代金、コーヒー5杯分を払うとばたばたと走って、出て行った。

 あたしは溜め息を吐くヒッキーにぎゅーってされて、背中を撫でられて、頭も撫でられて、髪をさらさら手櫛で梳かされて、またぎゅーってされて…………ひ、ひっきー? みんな見てるよ? お客様も……ほら、えと………………えへー……♪

 

「あーあ、せっかくエスプレッソ無料券があったのに、拾いもしないでいっちゃうなんてもったいのない。パパ、これどうしよ」

「またくじ箱に入れときゃいいだろ。一応軽くシェイクして」

「Si……既に解り切った品を引くか、未知に挑むかはお客様次第」

「おおなるほど。さすがパパ! ちなみにこの絆ならばあえて別のを引く! 解り切った結末など、恋路に苦労を重ねた女の子が報われる瞬間のみで良し!」

 

 んー……あたしも別のを引くかな。

 解り切っていればいいのって、身近なものだけで十分だし。

 ほら、えっと……ねぇ? あたしがヒッキーのことをこんなに大好きだーって気持ちとか。

 

「おお……美鳩、ママがまたくねくねしてる……」

「きっとまたパパのこと考えてる……。ママがああなる原因、パパだけ……ジャスティス……とてもジャスティス」

 

 娘の声が聞こえると、ちょっとは冷静に、っていうか恥ずかしくて止まる。

 でも目ではヒッキーを追っちゃって、目が合うと胸がとくんって鳴って、なんか……なんかもう……うー、ヒッキー、ヒッキー……。

 いやいやだめだめ、今日は父の日なんだから、ヒッキーを助けるんだっ。

 あたしがもらってばっかじゃダメ。うん、いっぱいいっぱい返すんだ、昨日のありがとうも嬉しいも幸せも。

 だからすれ違うたびにキスしたり、抱き着いたり、ありがとうって届けたり幸せを届けたり。

 そーゆーのを積み重ねて、精一杯の恩返しを───!

 

……。

 

 どしゃあ……。

 

「パパが真っ赤になって倒れたーーーーっ!!」

「パパーーーッ!?」

 

 そして、やりすぎちゃったことを自覚した。

 

「ヒ、ヒッキー!? ヒッキー!」

「い、いやっ……大丈夫だから……! ただちょっと幸せすぎて突っ伏して……あぁ、その……」

「ようするにニヤケて仕方ない顔を隠して、存分にニヤケたのね」

「人がぼかしてることをハッキリ言うのやめません?」

 

 ゆきのんに言葉を返す今も、顔は真っ赤っかだ。

 なのに、ごめんって言おうとすると口を塞がれた。……口で。

 

「嬉しくて仕方ないからニヤケてんだよ。それを、くれたお前が否定しないでくれ。いいか? 俺はな、その、まじで嬉しいんだからな? そりゃめっちゃ恥ずかしいが、こんな恥ずかしさも嬉しさの中のひとつでしかねぇよ」

「《ちゅむっ》はぷっ……ふわぁ……~……ひっきぃ……!」

 

 頭が痺れるくらいのやさしいキスをされた。

 頭がとろけていく。

 このまま力を抜いて、ヒッキーに体を預けたいなって……そんな欲求が湧いてくる。

 でも今は仕事中だから我慢我慢。うん。その……また、夜にね?

 ぽしょりって届けると、抱き締められたあとに、ちゅって頬にキスされた。

 っ、ず、ずるいっ、なんか今のずるい! なんでか知らないけどきゅんってした!

 

「あ、あのー……すんません、会計お願いしたいんすけどー……」

「───」

 

 きゅんって何かが、じぃい~~~ん……って体を痺れさせてる途中、お客様がお帰りになる。

 ずるいけど絆を促して、あたしはヒッキーの腕を掴んで、その腕にぐりぐり~って顔をこすり付けていた。

 ごめんなさい今はちょっと無理、離れたくない。

 

「フッフフ、ママに会計をお願いしたいのなら、まずはこの比企谷四天王がひとり、絆を倒してゆくがよいわ」

「倒すって……あ、くじ引いていっすか?」

「あ、どーぞどーぞ」

「どうぞって言いながら、なんだってくじ箱を持ち上げるんだよ……」

「なんかポーズ取ってたほうがありがたく思えるかもしれないんだよパパ! というわけで、きっと見覚えがあるポーズ!《ビッシィ!》」

 

 絆が、箱を左腕で肩に抱えて、右手を頭の上から回すようにして支えに使う。

 そうして箱の口をお客さんに向けて構えて、くじを引いてもらう。

 

「あー……ジョジョ第四部のEDの、家を抱えてる東方仗助?」

「フフフまだまだ甘いねパパ……! ───宝貝(パオペエ)! 『ビーナス・愛の泉のあふるる壺』!!」

「引きたくなくなるからやめろ!」

「ヒッキー……お客さん、お腹抱えて笑ってる」

「うおっ……すいません、なんか」

 

 言いながら、頭を下げるためにするってあたしの腕を解く。

 突然無くなる温かさに寂しさを抱くのは、こういう時はダメ。お客さんは大切にしなきゃだ。

 

「いやいや、相変わらず可愛い娘さんじゃないですか。あ、じゃあ引かせてもらって構わないかな?」

「おお、どーぞどーぞ!」

 

 箱を抱えるのをやめて、普通に引いてもらう絆は笑顔だ。

 からかうことでヒッキーが構ってくれるのが、たまらなく嬉しいみたい。

 わかるなぁ、そういうの。

 あたしもヒッキーが構ってくれるならーとか、結構……や、やー……やらないよ? うん。

 ほら、今だって改めて腕を組むのが恥ずかしいからなのか、ヒッキー向こう行っちゃったし。

 

「……おっ、なんか一等っていうのが」

「一等!? おぉおお! おめでとうございますお客様! あなたが一等! 一等だあなたは! 一等のあなたには雪ノ下建設より、家族で行ける温泉宿泊券をプレゼント!」

「えっ……ほ、本当に!?」

「もちろんですとも! あ、ちなみに換金しようとしたら問答無用で捕まるのでお気をつけください」

「怖っ!? えっ……捕まる!? なんか危ない券とかだったりするんですか!?」

「No……お客様は解ってない。美鳩たちは温泉に行ってほしいだけ。それをお金に変えるなんて……許されることじゃない」

「押忍、つまりはそういうことであーる! 換金所には既にお話が通ってるし、友人にお金で譲ろうとしても、使えるのは“当選者のみ”です。“当たった”という幸運を……どうか売ることなどせぬよう」

「も、もちろん」

 

 そうして宿泊券を貰ったお客さんは帰ってった。

 ……結構むちゃくちゃなことしてるのに、ほんとよく無事だよねーこのお店。

 ほんとにまずいことになったら大変なんだけど、それでもたま~に思っちゃうことは事実なわけで。

 でも……うん、コーヒーも紅茶もケーキも美味しいもんね、ここ。

 

「でも一番の目玉商品が持ってかれちゃった……どうしましょうママ」

「これは困った……どうしよう、ママ」

「んー……商品ってさ、何等まであるの?」

「5等まで。はるのんが用意してくれたのがそこまでで、あとは商品無料で繋いでる感じ」

「そっかー……えっと。とりあえず命令券はややこしいからやめたほうがいいと思うな、あたし」

「さっきみたいなことが起きないとも限らないしね……ハズレだ~って言ったのに、よりにもよってママに手を出そうとするとは」

 

 だねー、って返しながら、庇ってくれたヒッキーとゆきのんを見る。

 ゆきのんは注文された紅茶を淹れて、ヒッキーはちらちらあたしのこと見てる。

 ……気にかけててくれてるんだなーって思うとくすぐったくて。

 あたしはてこてことヒッキーの隣まで歩くと、伸ばされた腕の中にぽすんって納まった。

 はぁああ~~~……って、なんだかえっと、例えるのが難しい幸福の中で力が抜けてくけど、それじゃダメ。

 今日はヒッキーを甘やかす日なんだから、ぐっと我慢して逆にヒッキーの頭を胸に抱いた。

 わたわた驚いてるけど知らない。逃げようとするけどダメ。

 くせのある髪をさらさら撫でると、それがヒッキーの髪なんだって自覚していく度に、胸がどきどきしていく。

 自分にヒッキーの匂いをつけると安心するっておかしいかな。

 ……今は、おかしくてもおかしくなくてもまずは仕事か。

 頑張ろう、うん。

 

 

───……。

 

 

……。

 

 仕事は滞りなく進んだ。

 

「ママー! クラブサンドみっつー!」

「はーい!」

 

 軽食を頼まれればせっせと。

 お皿も洗ってカップも洗って、ケーキ運んで、注文が途絶えたらヒッキーを抱き締める。

 

 「ぉわわわわ!? なんだどした!? なんだって今日はこんなに抱き締めてくるんだ!?」

 

 ヒッキーはこんなこと言って驚いてたけど、知んない。

 父の日なら、あたしはきっとパパを祝うべきなんだろうけど知んない。

 パパにはママが居るから、あたしはヒッキーだ。

 

「………」

「………」

 

 次第にくっついてもなにも言わなくなって。

 ヒッキーから寄り添ったりしてくれるようになって。

 そして、気づけば誰よりも近くに居た。

 

「……ヒッキー」

「……結衣」

 

 仕事が終われば誰に遠慮することもなく。

 あ、めぐり先輩が「ハワワワワ!?」って驚いてたけど、それでも。

 服を掴んで、引き寄せて。

 手を繋いで、引き寄せて。

 腕を組んで、引き寄せて。

 胸に抱き着いて、もっと、もっと───

 傍に居たくて、お互いが距離を潰し合って、じゃれ合って、キスをして、くすぐったくて、嬉しくて。

 一番近くを求め合って、お互いがこれ以上は無理だって気づくと、そのままじゃれ合った。

 

「……ふだっ……けほんっ、普段から、あの二人ってああなの……?」

「いえいえいえ、甘いです。言っちゃなんですけど、あれでもまだ甘いほうですよ、めぐり先輩」

「今日はじっくりくっついていくパターンね……。今はまだいいけれど、今回のくっつき方はこれからがむずがゆいというか、ショックというか」

「ママは普段がああだから、甘え始めるとすごいですよー……?」

「特に禁パパ状態が続くともうすごい」

「そうなんだ…………あれでまだ緩い方って…………す、すごいんだなぁ」

 

 今日くらいはずうっとあたしが包み込もう。

 そう思って、いつか彼が苦手と言った“やさしさ”で包んで、甘やかしまくった。

 あたしも嬉しいしヒッキーも嬉しいし、上手いこと気を抜くことが出来たと思う。

 それでも足りないから、仕事が終わってからも抱き締めたり頭を撫でたり、キスしたりして……えと、えとー……その。

 み、みんなが寝静まってからも、二人で抱き合って、繋がった。

 してもらうことよりもお返し出来ることの方が少ない気がして、やっぱりもらってばっかだなぁって思うのに、ヒッキーはいっつも「俺の方がもらいっぱなしだ」って言う。

 

「……いつもありがとう、ヒッキー」

「……いつもありがとう、結衣」

 

 いつも傍に居てくれることを、二人してありがとう。

 キスを交わして、くすぐったかったから笑って、今日もまたお互いの体力が続く限り、愛し合った。

 あ、や、えと。愛し合ったっていうか、今日はあたしが……って、うん。

 ……頑張った。うん。

 ヒッキーは顔真っ赤っかで、あたしもきっと真っ赤っか。

 でも……やっぱり幸せで、嬉しかったから。

 やがて自然と夢の中に旅立つその瞬間まで、今日もあたしたちはお互いを好きなまま、無防備にも身を委ねながら眠った。

 

  その日見た夢は、いつもとなんも変わらない普通の夢。

 

 でもそれだけでとても幸せだって実感できるような夢だったから、あたしは夢の中でも手に握りっぱなしだったカフェオレ無料券をヒッキーに差し出して、彼が作ってくれる彼の頑張りの証を口にして、穏やかに笑った。

 あたしが笑えば彼も笑ってくれて。

 それがたまらなく嬉しくて、近づいて、抱き締めて、抱き締められて。

 

  やがて朝を迎えて、幸せを噛みしめると、また繋がったままのおはようを届けた。

 

 ……えと。

 お、お風呂に入るところまでいつもと一緒。

 そこからはちゃんとシャキっとして、今日も頑張ろう、って張り切った。

 今日も平和なまま、あたしたちらしい一日を作っていけたらなって思───

 

「《からんから~ん♪》……や、やあ」

「確保ぉおおおおおっ!!」

「いらっしゃいませお客様ようこそバスターようこそMAXどうぞこちらへさぁさぁあさあぁあ……!!」

「うわっ!? うわぁああああっ!!」

 

 ……穏やかな、っていうのは無理かもって思った。

 まあでも、お互い笑顔だし、いいのかな。

 

「………ふふっ」

「……あははっ」

 

 視線を合わせれば可笑しくなって笑う。

 そんな一日を大事にしていこう。

 じゃあ、えっと。

 

「いやいやいやいやいやどうしてロープなんかちょっと絆ちゃんべつに逃げないから椅子に縛り付けるのはいや待ってくれ優美子は関係なうわわわわわぁああああっ!!」

「はぁ……んっ! もーーーっ!! 二人ともっ!? 落ち着きなさぁああああいっ!!」

『《びびくぅっ!》りょ、了解でありますママ!!』

 

 今日も、喫茶ぬるま湯は平和です。


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