どこにでもあるようなガハマさんとヒッキーのお話   作:凍傷(ぜろくろ)

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こちら、pixivにてガハマさんの誕生日に投稿しようとして、寸前で寝落ちして誕生日にあげられなかったお話です。


母の日で父の日なある日

 夏到来前の、じっとりとした梅雨。

 うんざりするほどの湿度を叩き出すこの季節を好む人などそうそう居ない。

 しかしながら、そんな日々の中にあって、今日という日を楽しみにする者も居る。

 期待に胸を膨らませ……いや、張るんじゃなくて膨らませなさいよ、そりゃ物理的には無理だろうけど、ブリッジしそうになるくらい胸張らんでもいいから。

 思わず心の中でツッコみを入れた相手は、そんな心境を察してくれたりでもしたのか、胸を張るのをやめて互いに頷き、思い思いのポーズをキメた。

 

「東!!」

「京……!!」

『わんにゃんショォオオオーッ!!』

 

 はい、毎年お疲れさん。今年もやっかましいわ。

 というわけで本日は6月16日、東京わんにゃんショーである。

 今年もぬるま湯一行で訪れたそこで、俺達は思い思いに行動を開始した。

 俺の隣には当然ながらの結衣。

 既に腕を抱き締め寄り添い、恋人繋ぎまで完璧にこなしている状態だ。

 

「ふははははは! わたしはこの時を待っていたー! 一年……一年である! なんというあっという間感! もっとのんびり生きていたい!」

「Si、まったくの同意。静かに穏やかに過ごしたいと思う心、実にジャスティス」

 

 だったら少しは静かにしなさいね。俺たち以外の客が何事かってこっち見てるでしょーが。

 てか、早速雪ノ下が居なくなってるんだが、もうほんとどうすんのこれ。

 

「雪ノ下先輩って、普段は冷静なのに猫が絡むと凄いですよね……。一緒の仕事、一緒に暮らす中で、時間が経てば反動とかで猫から離れたりするんじゃないかなーとか思ってたんですけどねー」

「俺もそう思ってた時期があったよ」

 

 悪化しただけだったけどな。どんだけ猫好きなの。

 代わりに、こっちの犬好きは……随分とまあ、犬から離れるようになったが。

 好きなままではあるが、サブレのこともあってってやつだ。

 雪ノ下だってカマクラがああなった時は……いや、わざわざ言うことじゃないか。

 

「パーパらっパッパッパらっ・パーパーパーパッパッパらっ♪」

「パーパらっ・パッパッパらっ・パーパーパー・パッパッパらっ♪」

「おはよー! さー、みなさん準備はいいですかー!?」

「はーい……!」

「いきますかー! 元気ー!」

「幻鬼ー……!」

「勇気ー!」

「幽鬼ー……!」

『ポンポポンポポンキッキー!!』

 

 しんみりしている中でも娘たちが元気すぎる。

 エグザイルローリングを二人でしつつ、なんでかポンキッキーズやってる。

 あとパーパラッパッパッパラって時、やたらと俺を見る。ラの部分だけ力を抜いて。パパって言いたいんだろうか。やめて? やっぱり周りの人達がじろじろ見てくるから。

 あと美鳩。お前、元気と勇気を別の意味で言ってなかったか?

 

「いきましょうパパ! わんにゃんは当然ながら、ペィングィン様やオウムインコが待っています!」

「今から胸のときめきが止まらない……! 気が高まる……! 溢れる……! ジャ、ジャスティス、とてもジャスティス……!」

 

 おい落ち着けブロリー、それ以上気を高めるんじゃない。

 つーか雪ノ下どうすんの。猫ブース目指したんだろうけど、あいつ方向音痴だぞ? 未だに。

 ジョイフル本田とか行くと、買い物メモを持っているにも拘らず毎度迷子になるレベル。いや、あれはジョイフルが品物の配置を変えまくるのが悪いのか。

 

「ゆきのんだったら平気だよ。小町ちゃんもめぐり先輩も一緒に行ってくれたし」

「小町は流されると一緒に騒ぐタイプだし、城廻先輩はアレだろ、その……ほれ」

「あー……あはは……」

 

 肝心なところで天然さんをやらかす。

 今回は時間が取れたこともあって、めぐり先輩もはる姉ぇ……もとい、雪ノ下さんも来ている。

 雪ノ下さんは主に、ママのんに美鳩の燥いでいる写真を撮ってきなさいと命じられたらしいが、全力無視で雪ノ下のところへ駆けだした。

 猫に夢中で周囲に目もくれない雪ノ下を激写する気満々である。ほんと、どうしてあの二人って過去はあんなにツンツンしてたんだろうな。

 

「じゃあ、時間も限られてますし回っていきましょうよ。入口前で立ってたってあの二人は落ち着きませんし」

「おう、そだな」

「うん。じゃあいろはちゃん、一緒に───」

「え? やですよ、わたしに胸やけしろって言う気ですか。いつまで経っても恋人気分のお二人の傍じゃ、落ち着いて動物鑑賞なんて出来ないじゃないですかー」

「そんなこと言わないよ!? ていうかさ、動物見に来たんだから、一緒に居ても普通に見れるんじゃ……」

「二人がどんないちゃいちゃっぷりをするのかが気になって集中できませんからキッパリイヤですごめんなさい」

「いちゃいちゃとかしないからぁっ! べ、べつに普通にしてるだけだよ? ね? ね、ヒッキー?」

 

 俺達夫婦のいちゃいちゃレベルが、世間一般では普通とは言わない件について。

 俺達の普通がイチャイチャレベルで、俺達のイチャイチャがもはや愛のひと時レベルらしい。とは雪ノ下談。なので申し訳ないが、首を振った。横に。「なんでー!?」と驚かれていたが、お前も一度雪ノ下さんにホームビデオと称した俺達の様子を客観的に見てみりゃいい。恥ずかしいわ。でも大好き愛してる。

 そんなわけで一色は……何故か俺を見て、にひひーといった感じで笑うと、さっさと行ってしまった。

 いやおい、初々しいカップルに気を利かせるレベルとかそういうの、今さらすぎて困るんだが?

 そんなんやらんでも普通にイチャ……こほん。

 最初は絆と美鳩も連れていくつもりだったんだろうな。声かけてたし。

 しかしあっさり『お断りする!』宣言である。

 

「いいのか? たまには雪ノ下さんとか城廻先輩と見て回るのもいいだろ」

「むっふふーん♪ べつにそれが今でなくちゃいけない理由にはならないんだよパパ! あとで時間を取ればよろしい!」

「Si、まずはパパとママと歩くこと。それが我らのジャスティス」

 

 次は甘兎(あまうさ)ローリング(高い位置で片手の掌を合わせ、スキップ調でくるくる回る)をやって上機嫌な二人。

 さあ動けやれ動けとこちらを急かしては、動かないとくるくる回っている。どっちが犬なんだかってくらい元気だ。

 

「絆、美鳩? べつに二人で楽しんできてもいいんだよ?」

「フン断る」

「即答だ!?」

「もうママ!? どれだけ叫べばこの思いは届くのだろうだよ! この比企谷絆は! パパとママと美鳩と! 見て回りたいのです!」

「ん、それは決して譲れぬジャスティス。というわけでママ。……いこ?」

 

 きっぱりと断言、しっかりと譲る気もない二人は、結衣を促してはうろうろと蠢いている。

 少しほったらかしてたら、ターバン巻いてるインド人がやるイメージのアレ(両手を頭の横で外側に曲げて、頭だけを左右に動かすアレ)をやり出し、その場でくるくる踊り出した。ええい鬱陶し……くはないが、落ち着きがない。

 

「ん、わかった。じゃあヒッキー、今年も───」

「おう。のんびり見て回ろう。ああしろこうしろとは言わんから、……自分のペースでな」

「……ん」

 

 少し寂し気に俺を見上げ、腕に抱き着いたままの結衣は笑った。

 ……で、歩きだせばそそくさと娘二人が俺の逆隣を狙って早歩きで来て、二人でべしべしと戦い始めた。

 俺の腕に手を伸ばしては、それを姉妹にべしりと叩き落とされるという謎の戦闘方式である。

 

「中々の腕捌きだが美鳩……! これはいったいなんの真似だ……!?」

「かつての姉、絆よ……。パパの隣は美鳩の理想郷とも呼べる特別な場所……! 大切に想う気持ちじゃあ、誰にも負けられん……!」

「ぬっ……!? 貴様ァア!!」

「気安く近づくな姉ェエエ!!」

「ぬぉおおァァ!? なんだその裂帛(れっぱく)の気合いはァァァ!!」

「今日から美鳩は乙女前の人生を歩むと決めた……! 絆は姉らしく妹に譲れ……!!」

「双子に姉も妹もあるかー!! そこはわたしんだー!!」

「だめ……! させない……! ここは美鳩の……!!」

 

 隣がべしべしやかましい。

 あとなんなのさっきの寸劇。瀬戸の花嫁?

 

「二人とも、ほんと元気だね……」

「特に何も考えずに……でもないか。家族思いなだけだろ。……その、俺も、お前もだけど」

「ヒッキー……~……んっ」

 

 頷いて、ぎうー、と腕に一層抱き着いてくる。

 俺はといえば、空いている手でそんな妻の頭をやさしく撫でながら、今年もまた……犬スペースへと足を運ぶのだった。

 

「おっと待っただよパパ! まずはペンギン!」

「お犬様、またはお猫様はメインディッシュ……!」

 

 ……運ばせなさいよ娘ども。

 

……。

 

 で、ペンギン。

 

「ねぇパパ? コウテイペンギンってエロいの?」

「なんてこと父親に訊いとんのだ」

Nn(んん)……ザイモクザン先生が、なんかそんなこと言ってた。最近、ペンギンを純粋な目で見れなくなってしまった、って」

 

 なにやってんのアイツ……ほんとなにやってんの。

 

「それはそれとして……わっほーい! わぁっほーい! ペィングィン様じゃー! なんという美しいフォルム! これで元気に動き回ってくれたなら、この絆も究極なまでに心惹かれるというのに!」

「Si。でもあの魚を丸飲みする瞬間は、いつも下腹部あたりが“ひゅい”って感じで怖くなる……」

「うん。あれは怖いねー。わたしでも怖いさー。怖すぎる絆さー」

「ところで絆。メインディッシュってさっき言ったけど……ディッシュは皿」

「うぬ、そだね」

「膝の骨のアレも皿、とかいうけど、ディッシュ?」

「……今この時、ジャンピングディッシュパッドという名が誕生した……!」

「絆、それだと露出骨折状態」

「おおう!? これはしまった!」

「ところで河童の頭のアレも……」

「おおディッシュ……!」

「ペンギン見てやれよ……」

 

 なんでペンギンブースに来て皿の話に夢中になってんの。

 結衣なんて……あ、人の腕に顔を埋めて、震えるくらい笑ってる。

 ……まあその。なら、いいのか?

 

……。

 

 しばらくペンギンの姿を堪能したのち、オウム・インコブースに来た……のだが。

 流石に二年連続はなかったらしく、パーマン大好きなアイツは居なかった。

 

「馬鹿な……」

「馬鹿な……!」

 

 ショックを受ける娘たちと、それに追い打ちをかけるように置いてある『おかしな言葉を覚えさせないでください』の立て札。

 これにはさすがに心当たりがありすぎて、つい目を逸らしてしまう。ていうかもう次行かない? 父さん恥ずかしくて、いやそれよりも申し訳なくて、ここに居辛い。

 

「おかしなことなど何もない! ヤツはあの時ようやく、パーマンが好きなこととカエルの共鳴を知り、ニワトリに進化したというのに!」

「大人はいつもそう……! 自分に都合が悪くなれば、こうして触れ合える機会ごと潰してゆく……!」

「おーい、次行くぞー」

『ラーサー!』

 

 言いたいことを言えたならそれでいいらしい。

 促せばあっさりついてくる二人。……結衣はアレな。腕に抱き着いたままだから、自然と一緒に。

 

「ところでパパ、今年は猫ブースには───」

「別に写真とか撮ったりしないならいいんじゃねぇの? つか、お前らが撮らんでも雪ノ下さんが撮りまくってるだろ。それか、撮られまいと必死で冷静なフリをしてるとか」

「くっ……気になる!」

「雪乃ママがどうなってるのか、とても気になり心配する心……ジャスティス」

「そうこれはジャスティス! さあ行こう美鳩! 正義は我らにあり!」

「……結衣?」

「ん、先に行こっか。ゆきのんの邪魔しないなら、あたしだって止めないよ?」

「そか。そりゃそうだ」

「ふふり。たっぷり猫の香りをつけて、ヒキタニくんに嫉妬させる……!」

「むふん。美鳩、お主も悪よのぅぉ~……!」

「お前らなぁ……。なんで純粋に可愛がる方向で行かないんだよ……」

「楽しみとはいろんな方向から味わうべきものだからだよパパ!」

「Ja……! それは絶対に譲れない、人としてのジャスティス……!」

 

 だからJaはドイツ語だと言っとろーが。

 

「じゃ、約束。ゆきのんは毎年楽しみにしてるから、邪魔とかしないこと。いい?」

「我が母のお望みとあらば!」

「Wenn es meines Muttis Wille……!」

「……? う、うぃー?」

 

 だからやめなさい。

 普通に使ってもわからん人の方が多いから。

 

……。

 

 そんなわけで猫ブース。

 色とりどり、大小さまざまな猫が存在するそこに……

 

「───」

 

 幸福にどっぷりと浸かりきった、かつての奉仕部部長が居た。

 ふれあいコーナーにて、猫を侍らせ、猫に乗っかられ、猫にじゃれつかれ、猫に指を舐められ、直後にかぷりと甘噛みされて……ああっ、至福だ! 今まさに至福の時を迎えている! 表情は変わらないのに、なんかわかる! わかるのがなんかツライ!

 ……そして、そこから離れた位置にて、からかうでもなく抱腹絶倒、笑いすぎて悶絶する雪ノ下さんと、それを介抱するめぐり先輩を発見。

 一色は───……あ。雪ノ下から少しだけ離れたところで他人のフリしてやがる。

 いやまあ……うん、無難、だよな。俺だってそうするわ。一緒に居ても止められるわけでもないし、邪魔出来るほど無粋なわけでもない。かといって“もしかして一緒に居るあの人も……”とか思われるのもなんか嫌なわけで。

 

「くっ……はるのんをとってもつつきたい……! つつきたいけど、楽しみは人それぞれだってママに言われたから……!」

「ん……きっとほうっておくのがはるのんにとっての幸福。ここはスルーして、美鳩たちも存分に楽しむべき」

「でもでも雪乃ママもつつきたい……!」

「美鳩的にはむしろそれを我慢するのが大変……!」

 

 だから落ち着こうなお前らは。見てみなさいあなたの母を。俺の隣でこんなにも冷静に───

 

「……どうしよ、ヒッキー……。自分で言ったのに、今すっごくゆきのんをなんとかしたい……」

 

 おい。見てみなさいとか言いそうになっちゃったじゃないの。口が滑らなくてよかったわ。

 

「あー……ほっといてやれ、幸福で周りが見えてないくらいな方が、人ってやつは幸せなんだよ……」

「う、うー、うー……~……うん……」

 

 幸福な時は周りが見えないものである。そして、見られていたことにあとになって気づいて赤っ恥をかくのだ。人生ってなんかそうやって出来てるの。ぼっちにとっては特に。

 だからとりあえずは、そっとしておくのが吉。

 今は猫たちと触れ合い、モフり、癒されよう。既に切り替えたらしい、娘たちのように。

 

「ほわぁあ~……! なんという毛並み、なんという触り心地……! 猫さん猫さん、シャンプーはいったいどこのものを……? もしやハーバルエッセンスなのでは? 猫シャンプーじゃないけど、この毛の芯まで潤っちゃうような滑らかな触り心地……! シャンプーされてイエ~スとか猫語で鳴いたりしてませんか?」

Vieni qui(おいで),Vieni qui……Nn……やっぱりロシアンブルーは懐かない……。既に誰かの色に染められてしまっている……」

「おお、いいよねロシアンブルー。一途な者達の集いとばかりのぬるま湯には、きっとお似合いのお猫様……!」

「パパ、ママ、もし次があっ───」

『却下』

 

 同時であった。

 や、ないから。可愛いとは思うけど、もし結衣に懐いたらどうすんの。

 

「パ、パパ? ママ?」

「だめ。もしヒッキーに懐いたりして、独占しようとしたら……その、ヤだから。だめ」

「まあほら、その……あれだ。サブレの時もいろいろあったんだよ。だからな、どっちかに懐いてどっちかを独占しようとする系の動物は、だめだ」

「むー……」

「……、ママ。ママはまだ……犬は、怖い?」

「ちょ、美鳩!? それはっ───」

「絆。そろそろ、踏み込んで訊いてみるべき。我らが愛するママは、そんなに弱くない。むしろ、母は強し」

「美鳩……」

「……ママ。聞かせてほしい。美鳩は……家族でここに来てるのに、そんな時に悲しそうな顔をするママが……悲しい」

「………」

「ママには笑っててほしい。パパの隣で見せてくれるあの笑顔が、美鳩は大好き。でも、たまに見ることがある、寂しそうな顔は嫌い」

 

 随分とまあストレートに。

 ……けど、それは俺も同じだ。

 こいつが……結衣がサブレと遊んでいた時の笑顔をもう一度見せてくれるなら、既にヒキタニくんが居ようが新たに犬を飼うことさえ頷ける。金はかかるが、第一に金の心配とかないわ。

 

「あたしは……」

 

 結衣の手が伸び、猫を撫でる。

 撫でて、撫でて……しかし次第に猫が嫌がって、するりと手から離れてゆく。

 

「怖いのは犬じゃないよ。……触れられて、思い出を作れる相手なら、きっと誰だって同じなんだ。大切なものを失くすのが、とっても……とっても怖いだけだから」

 

 その気軽に言える“だけだから”が重いから、踏み込めない。

 のだが───

 

「……犬ブース、いこっか」

 

 結衣が眉を八の字にして、顔だけは笑って、俺の腕を引っ張って……歩き出した。

 その引っ張る腕が、心細いくらいに力が入っていなかったから……俺は俺の腕を引っ張る結衣の手に手を添えて、「安心しろ」を届ける。

 結衣は振り向かないで……一度だけ頷いて、鼻をすすった。

 大事にすればするほど、別れの時は辛いもんだ。そんなことはわかってる。わかってるから、俺達は───

 

……。

 

 そして、犬ブース。

 目的地へ着いても結衣は止まらず、そのまま歩いた。

 歩いて歩いて……辿り着いたのは、ミニチュアダックスのコーナ-。

 

「おい……結衣?」

「っ……」

 

 右腕を俺の腕に絡めたまま、ぎゅっと、ぎゅうっと抱き締めたまま、左手を伸ばす。

 その先に居るのは、サブレと毛並みやらなにやら、よく似たミニチュアダックスだった。

 撫でてもらえると思ったのか、結衣を見上げて尻尾を振るい、俺には目も向けないミニチュアダックス。

 

「…………、は、ぁ……」

 

 深呼吸。

 焦っているという自覚もあったのだろう、結衣は自分に落ち着くようにと呟いてそして───

 

「うひゃあっ!?」

 

 伸ばしていた手を舐められて、深呼吸中にびっくりしていた。

 だが……それだけだった。

 そう、それだけだったんだ。

 

「……、~……───ん。ばいばい」

 

 結衣はそう言って、寂しげな顔でミニチュアダックスにぱたぱたと手を振った。

 

「え? え? ま……ママ?」

「ママ……?」

 

 驚いたかと思えば、急にやさしい顔に寂しさを混ぜたような顔で笑う結衣に、娘二人は戸惑う。

 俺は……なんとなくわかってしまった。

 きっとどこかで認めたくなかっただけなのだ。サブレはもう居ないのだと。

 街中で、散歩中の似た犬を見かけては、ああ……なんて思い返す日々は少なくなかった。

 それだけでもよかったんだ。似た犬が居れば、まだ思い出せるから。懐かしめるから。

 でも……触れようとして、違うということを強く認識させられれば、嫌でもわかってしまうこともあるんだ。

 ……結衣を相手にすれば、なかなか尻尾なんて振らなかったサブレ。

 撫でていても、すぐに避けようとするサブレ。

 俺が近くに居れば、結衣のことは無視してでも俺に懐いたサブレ。

 その全てがほぼ真逆だったのだ。

 だからわかる。冷静に、なれた。

 冷静になって、自分を振り返って、そして……もう、どうやっても戻らない日々を思い、受け入れ……

 

「~……ぁ、ふ……ぅ……あぁああ~……!!」

 

 懐かしむことも出来る。夢にだって出てきてくれた。

 でも……もう、触れることも、同じ反応を見ることもないのだ。

 だから泣いた。受け取って、受け入れて、悲しかったから、泣いた。

 瞬間、誰にも見せるものかと彼女を胸に抱いた。いつかのように泣く彼女の声が、周囲の賑やかさに紛れるように。

 娘たちはしゅんとしてしまい、何度か結衣の背に手を伸ばしかけ……止め、頭を下げて、歩いていった。

 

「………」

 

 親になるってのはほんと、難しいもんだ。

 こんな時、なんて言ってやればいいのかもわからない。

 娘に声をかけてやればいいのか、妻に声をかけてやればいいのか。

 だからせめて、胸の中で泣く妻の声が消えるようにと、強く強く抱き締めていた。

 

……。

 

 頑張って普通の顔をしているつもりの、ほっくほく顔の雪ノ下と、お腹を抱えたままにエフッエフッと苦しんでいる雪ノ下さんが、めぐり先輩が運転する車に乗り込んで去っていった。……てか小町何処行った? 途中から姿が見えなかったが。めぐり先輩に訊いてみてもあからさまに慌てた風で、でも教えてくれんかったし。……なんかあるんかね。ほれ、明後日のための根回し的ななにかとか。

 まあいい、ともかく……って、そういや一色も居ないな───と思ったらいつの間にか乗り込んでいたらしく、走り去る車の後部座席で手を振っていた。逃げやがったあんにゃろ。いやまあ気まずい空気があるのはわかるんだが。

 で、俺達比企谷家族はといえば……帰るわけでもなく、泣きはらした結衣の提案で、ペットショップへ。

 そこでわんにゃんショーと同じく真っ直ぐにミニチュアダックスの子犬が居るところまで来ると、結衣が俺に向き直って真剣な顔をして言ったのだ。

 

「……ヒッキー! ……お願いがあります! 一生のお願い───」

「わかった」

「早いよっ!? え、あ……い、いいの?」

「普段わがままらしい我が儘を言ってくれない妻が、他でもない夫に甘えてきたんだ。応えなくてなにが男だ」

 

 あ、抱き着いてくるとかそういう方向の甘えや我が儘は別な。

 俺もしてるし。などと思っていると、ソソッと絆が俺へと歩み寄り、

 

「パパぁン、絆、パパの愛が欲しいぃ~ん♪」

「毎度甘えてるやつは知らん」

「パパひどい!?」

 

 猫撫で声の言葉を発してきたので一蹴。

 

「No……わかりきった結末だった」

「うう、ちくしょう……」

 

 しかし、気まずかった空気をなんとかしようとしてくれたってのもわかってたから、そのまま絆の頭を撫でた。

 ほんと、家族に恵まれてるよ、俺も結衣も。

 

(……さて)

 

 それにしても、ようやく、って言ったらアレなんだが……ようやく。

 結衣はここからもう一度、犬に手を伸ばしてみようと考えられたらしい。

 嫁さんの新たな出発だ。手伝わないわけないでしょ。

 娘二人にしっかり確認を取り、とっくに帰っただろう雪ノ下たちにも連絡を入れて───あっさりと、だが元気に了承を貰えたからこそ、結衣はありがとうと元気に返し、俺はといえば───店員さんを呼び止めて、この子が欲しいんですけど、と───ちょっと待てメスだよな? 雄だと俺の嫉妬がひどいことになるんだが。

 などとくだらないことを考えつつ店員相手に説明をすると、俺は頬が緩むのを抑えるのに必死になりつつ、購入手続きを。

 やだやめて、落ちついて俺の表情筋……! 嫁が喜ぶことが何より大好きとか、周囲にバレると恥ずかしい。え? 周知? ほっときなさい。

 

「あ……申し訳ありません、この子、もう買い手が───」

「ならば相手の二倍出そう!」

「えぇっ!?」

「おいこら待て待て暴走娘」

「買い手の名前をぎぶみー……! 直接交渉して黙らせる……!」

「やめろっつーの」

「い、いえあの……! そ、そんな、急にいろいろ言われましても……!」

 

 ああほら泣きそうだからやめたげなさい、思いっきりバイトちゃんって感じじゃないの。

 

「うぬぬぬぬいい流れになってきてたのに、我ら比企谷の宿願の邪魔をするとはいい度胸! どうせこの裏っ返しになってる札あたりに予約者の名前が書いてあったりとかするのさ! 何者ぞ! 我らの行く手を阻む者は、さあ何者ぞ!」

 

 

 

   ご購入・ご予約のお客様:鶴見留美様

 

 

 

「………………OH」

 

 絆の、呆然としたような声が店内に響いた。

 お相手は、たまに喫茶店に来る、かつてとある林間学校がきっかけで知り合った女の子であった。

 

「ヌッハッハッハッハ! るみちぃとは腕が鳴るわ! さぁ行こうパパ! わたしたちのラスボスが決まった!」

「るみるみ姉さんなら相手にとって不足なし……! 美鳩のズビリッパコーヒーが火を噴く……Nn……? コーヒーだから火は無理……? じゃあ……? ───! 香りと湯気を噴く……!」

「客足が遠退くわ! 店潰す気か!」

「んうぅ……じゃあ……小町姉さんを呼んで、交渉してもらう……?」

「小町か……あ、あー……いや、俺が交渉してみるわ。っつか、あいつもなんだってこのタイミングで……?」

 

 結衣がサブレのことで犬と距離を取っていたのは留美も知っていた筈だ。

 なのに何故? 自分で飼いたくなった? ぶっちゃけると25万あたりもするのが普通で、軽い気持ちでは結構キツいと思うのだが……───あ。

 

「あー……その、店員さん?」

「え? は、はいっ」

「あ、あー……えっと……なんだ、その……」

 

 どう説明したもんか。いや、どう訊いたもんか。

 訊きたいことはひとつなんだ。留美と一緒に、雪ノ下建設の長女は来なかったかーって、それだけ。

 今となっては家族になった俺達であり、義妹にはやさしい雪ノ下さん。

 大方今回のことも実は陰でこっそり俺達の話を聞いたり様子を見たりしていて、購入を留美に任せたー……とか、そんなのでは? と考えてみたんだが。

 にしたって25万をPONと出せるのはどうなんだろう。あの人ならやりそうだけど。

 え? 俺? 出すぞ? 結衣関連だもの。

 ていうか結衣? どもってるのは別に照れてるとか気恥ずかしいとか、相手が女だからとかじゃないから、腕をぎゅーって抱き締めつつ、頬を膨らませて俺を見上げるの、やめない? かわいいでしょーがこんちくしょう。

 もうこれアレだろ。俺と結衣に“懐き度”とかがあるなら、俺も結衣もお互いにロシアンブルー並みに懐いてるし好きだろこれ……。

 

「……いや、ちょっと……すんませんね」

 

 店員にちょっと待ってくれのポーズを取って、ポケットからスマホを取り出す。

 妻に頬を膨らまされたら負ける。ほぼ負ける。ていうか負ける。勝ち目がない。問答無用で俺の意志が降参する。でも別にやましいこととか考えてるわけじゃないから勘弁してほしい。いや、今現在心が弱ってて、自覚出来ないくらい構って欲しい状態なのはよくわかってるんだ。サブレの夢で泣いた時の結衣がそうだったから。

 ていうか、そもそもだ。俺は接客は慣れたが、こちらが客として話しかけるのはまだまだ苦手なんだよ。だから出来ればいろいろと察してくれるとありがたいんだが……まあ、しゃーない。こういう時は、しゃーない。甘やかそう。存分に。

 あぁほら、あるだろ? 心細い時には構ってほしくなることとか。一人暮らしの病気状態とかマジそれな。しかし中々そうも言っていられないのが現実ってやつで。世界が俺だらけになれば、俺の行動からなにを考えているのかくらい、わかりそうなものなのにな。なにせ世界中が俺だから、あ、あいつ今ヘンテコなこと考えてるわーとか。

 と、無駄なこと考えてないで留美に電話をかけてみる。

 番号が変わってなけりゃ、出てくるはずだが……と、スマホでかけてみればワンコールで出た。速いよ。速い速い。

 

『……なに? 八幡』

「いや、ちょっと○○○のペットショップのことで訊きたいことがだな」

『───、切る』

「ちょ、待て待てっ、そういう反応が出るってことはなにか考えがあってのことだったんだろ?」

『別に。ただ相談されただけ』

「誰に? じゃなくて、あー……一色か? いや、途中から居なくなってた小町か」

『………』

「沈黙は肯定ってアレで受け取っていいか?」

『……別に。こっちから言う事なんて何もない。言わなきゃ言ってないのと一緒だし』

 

 相変わらず捻くれてらっしゃる。

 誰に似たんだか。

 とりあえず内緒の話がしたいから、結衣にも娘たちにも離れてもらって───あ、無理。宅のお嫁さんが抱き着いて離れない。

 人に甘えたくなる時ってあるよな。俺もある。もちろんある。

 ただそういう場合って、相手の方がてんで受け入れてくれなくて、心があっさり拗ねる方向に曲がってしまうため、甘えが成功する確率なんて微々たるものだ。

 しかしこのぼっち経験者八幡さんは違います。

 そういうところを拾えてこそ、かつてのリア充たちとは違うと頷ける。経験者は語るというやつだ。

 ……というわけで内緒の話なんて無理です無茶です許してくださいごめんなさい。

 苦笑をひとつ、せめて店員からは離れた位置で、一度スマホを持ったままに“ぎうー”と結衣を抱き締め撫でまわしたのち、留美に言う。

 

「父の日と結衣の誕生日。……ってことで、理由の関連性とかは片付くか?」

『……降参。コマさんにはお世話になってたから、ちょっとお願い聞いたってだけだから。詳しいことはこっちも知らない』

「そか。……で、このミニチュアダックスのことなんだが」

『明日引き取って、18日にぬるま湯に連れていく予定だったから、店員に言えば大丈夫だと思う。なんなら電話変わって。直接言うから』

「お前、こういう時は度胸あるよな……」

『……? 形式で固まった商談なんて、コミュなんて必要ないただの“お話”でしょ? こんなの、友達一人作るより簡単だから』

「………」

 

 順調に拗らせているらしい。わかるけど。

 苦笑が普通に笑いへと形を変える中、スマホを店員さんにホイと渡す。

 可愛らしく首を傾げたバイトちゃんはそれを受け取って、留美にいろいろ言われたのか、店長さんを呼んで電話を変わって、とテキパキ。

 さすがに声だけでは……と言う店長さんだったが、留美が店へ電話をし直したことで解決。

 てかほんと出来る女って感じで、普段ぬるま湯でマッカンを飲んでは愚痴ってばかりのあいつの行動とは思えない。

 

「……留美ちゃん、ゆきのんみたいだね」

 

 さすがに店が客の電話一本でテキパキと動き回るのを見て、結衣も少しは落ち着いたらしい。

 ぽかんとした顔でそう呟くと、少し恥ずかしくなったのか、腕から離れ───ようとするのを俺が止めて、その頭を胸へと抱いた。

 他の理由で恥ずかしくなってとか、そういうのいいから。甘えられる時に甘えとけ、このばか。そういう意味も込めて、抱き締めた。口には出さんけど。

 

「くっ……外でのるみちぃがここまで出来るおなごだったとは……!」

「ぬるま湯での、かつて“結婚したい”と呟いて飲んだくれていた平塚先生にも負けない、マッカンと愚痴を愛する女性というイメージが崩壊していく……!」

 

 やめなさい。ちょっとシャレにならないから、忘れてやんなさい。主に平塚先生のために。

 まあでも、出来る女だから愚痴が増えるってのもわかるのだ。仕事はテキパキ。でもプライベートでくらい砕けて愚痴ったっていいでしょ。だって人生だもの、どっかで息を吐かないと疲れちまう。

 で。だから。順番待ちしたって抱き締めないから、結衣の後ろに並ぶのはやめなさい二人とも。

 

……。

 

 そうして。

 結局はこちらがきっちり金を払い、結衣の心が変わってしまわない内に、ミニチュアダックスを購入。

 こういう場合、金のことを頭に入れてはいけない。せっかく迎えた新しい家族にケチをつけることになるし、いちいちそのことが頭にチラつくと、その度に自分の思考が鬱陶しくなるからである。

 

「………」

「………」

 

 車で自宅へ向かう中、結衣はずーっと移動用のケージに入ったまだまだ小さなミニチュアダックスを見下ろしていた。

 助手席で、膝の上に乗っけたケージの中が気になって仕方がないようだ。

 それも仕方ないことなんだろう、今までの反動だと思えば。

 

「ママママ、名前! なにはともあれ名前!」

「Si、とってもステキな名前を……! それをしてこそ我らが家族……!」

 

 じぃっと、不安と期待を混ぜたような顔で、ミニチュアダックスを見下ろしていた結衣が、娘たちの声に「あ……そっか」と顔を上げる。

 名前……名前か。まあ、店のメンバー全員に訊いたらややこしいことになるだろうし、ここは結衣にズバっと決めてもらったほうがいいかもしれない。

 

「じゃあ……んと。クッキー?」

「おいやめろ」

 

 変形とかしそうだから。あと声が形態によって変わったりしそうだから。

 小さくても頭脳は大人で、出歩く先々で殺事件が起こったり、目に絶対順守のギアス能力とか負荷してそうだから。

 

「……思い出に関連したのがよかったのに」

 

 いやうん、俺だってわかってはいるんだぞ? でもね? 世の中ってなかなかそう上手くはいかなくてね?

 ……印象って大事だわー、マジ大事だわー。

 

「思い出……むふん。ではこの絆から提案をば! ───“ゾンビ”!」

「絆、あとでアイアンクローな」

「ごめんなさい!?」

「絆はちょっと安直すぎる。ここはこの美鳩がとても心に染みる名前を。……“マックス”」

「バスターセットの前に散っていった客がドン引きしそうだから却下」

「じゃあ、じゃあ……えっと、総武高校……奉仕部~……ヒッキー、ゆきのん……あ、ヒッキーが助けてくれた時のことも……病院とか、菓子折り持ってったこととか……」

「いや、べつに思い出にちなんだもんじゃなくていいぞ? 確かに一層大事に出来るかもだけど、それって苦い思い出も漏れなくついてくるパターンだろ」

「あうっ……。じゃあ……」

「提案であります!」

「はい絆」

「そろそろママが“ヒッキー呼び”を卒業、このワン子に継承させて、パパのことを名前呼びに───」

「ダメ」

 

 即答であった。

 

「おおう……ママのパパ愛には勝てなかった……!」

「ならば次はこの真打、美鳩がいざ出陣……!」

「ぬう、ならばその次はこの真打、絆が……!」

「お前ら昨日の時代劇、見てただろ」

「うん面白かった!」

「Si、悪代官にはいつの世も下衆であってほしい。それは時代の流れにも負けない、明確な善悪のバランス。Nn……とてもジャスティス」

 

 まあ、そうな。でも名前とは関係ないから、時代劇に傾倒した名前つけだけはやめような?

 

「というわけで美鳩は“越後屋”を提案する……!」

「美鳩。アイアンクロー」

「!? ば、ばかな……何故……!?」

「はいはいはーい! では挽回するために絆、いっきまーす! ……んふふー♪ パパ、わかってるよー? ただの越後屋じゃあ芸がないよね? 越後屋は企み恨まれてこそ! そこでこれ! “おのれ越後屋”!」

「……絆。時間延長な」

「あれぇ!?」

 

 やめろ。マジやめろ。

 犬の名前呼ぶたびに、“おのれ越後屋……!”って越後屋を恨むことになるでしょうが。

 

「お前なぁ、日常の中でペットを呼ぶ際に越後屋を恨む馬鹿が何処に居るんだよ」

「世界は広いんだよパパ! きっとどこかに居るよ! 勇者が!」

「いやそれ間違い無く蛮勇として家族から馬鹿にされる方向だからね? 最初のインパクトだけで、冷静になってから周囲の目が気になって後悔するパターンだから」

「ぬぐっ……名づけとはかくも難しいものか……!」

 

 ヒキタニくんの時点で学んでくれ頼むから。

 あと、そこで「いい名前をつけてくれてありがとう……」とか感謝しないの。こっぱずかしいでしょ、ちょっと。

 

「ヒッキーヒッキー、ポテト、っていうのはどうかな」

「消える飛行機雲を僕たちで見送りそうな名前だな……」

 

 や、アレ飼い犬じゃなかったらしいから、ある意味ではセーフなんだが。

 ……ぴこ、とか鳴きださないよな?

 蹴られても無傷で戻ってくるとかないよな?

 てかなんで食べ物関連? じゃがいもじゃだめなのかしらん? ……そりゃだめか。だめだわ。

 

「ポテトか。まあ店の中でポテト呼びするようなものも他にないし……」

「押忍! では正式名称ポテトで決定! なにせママがつけた! さすがのパパといえど文句などありますまい!」

「Da、きっととても良い犬になる……! というわけで早速あだ名、もしくは家族間での呼び名を決める……!」

「Daってロシア語だっけ? んまあいいや! この絆がきーちゃん!」

「この美鳩がみーちゃんと来れば……!」

 

 ? 順当に行けばポーちゃん? ぐはっ、もしそうなっても俺は普通にポテトと───

 

歩泰斗様(ぽたいとさま)……! この名を授けよう……!』

「おいちょっと待て馬鹿娘ども」

 

 なにそれ。……え? いやおいちょっとなにそれ、八幡マジでわかんない。

 

「いやいやパパ? ポテトってさ、こう……POTATOって書くじゃん?」

「Si、TAでテって読むのは日本人としてはどうにも微妙。だからまずはポタト」

「でもでもポタトって呼ぶのはママがつけた名前に失礼でしょ?」

「だからTAとTEの間をとってポテイト。うまるちゃんもポテトのことはこう呼んでるし」

「しかし、だからといってポタトっぽさを捨てるのもアレだから、さらに間を取ってポタイト」

「こうなれば、伝説の武人として名高い武泰斗様(むたいとさま)の名に近いこともあって、きっと強きお犬様として生きるであろうことを期待して、歩泰斗様(ぽたいとさま)

「然り! 武泰斗様の名にちなむなら、様をつけないなんて無礼の極み! ならばこそ呼びましょう! 歩泰斗様(ぽたいとさま)!」

「素晴らしい……! なんというジャスティス……! 美鳩は今、感動に打ち震えている……!」

「さっすがママだね! 絆たちをここまで感動させるなんて!」

 

 娘たちが後部座席でキャッホウと元気に騒ぐ中、前の俺と結衣は早速そのー……あれだ。頭痛が痛いっつーか。まあ、苦笑が漏れまくりだ。

 

「…………ヒッキー」

「……だいじょぶだ。俺はちゃんとポテトって呼ぶから」

「うん……」

 

 俺達がこんな会話をしている中、ケージの中のミニチュ……ポテトは、首を傾げつつ、ひゃんひゃん元気に鳴いていた。

 ……おう。これからよろしくな。いろいろ苦労があるだろうが、いずれ慣れるから。

 

……。

 

 やがてぬるま湯に着くと、車から降りてぬるま湯の中へ。……これ、言葉にすると風呂に入るみたいだよな。

 ともあれ、早速ケージから解放されたポテトが、不安そうに……でもなく、元気にズシャアと走って止まった。

 尻尾が千切れんばかりに振られている。どうやら新しい景色に興奮するタイプのお犬様らしい。……さすが狩猟犬。いや、それさすがなの?

 

「ようこそ喫茶ぬるま湯へ! 新たなる家族歩泰斗様(ぽたいとさま)!」

「……ちなみにだが絆、美鳩。そのあだ名は───」

「当然、フルネーム歩泰斗様(ぽたいとさま)! さん付けをしたいなら歩泰斗様(ぽたいとさま)さん!」

「Si,ヒキタニくんと同じ。とっても親近感が沸くと思う……! 家族を想う心、尊いほどジャスティス……!」

「まあ、名前云々は横に置いておくとして。まずはきちんとトイレの場所とか覚えさせないとな」

「サートンリーサー! この絆にお任せあれ!」

「No,ここは美鳩が動く……!」

「いや、もういっそ二人でやってくれよ……。結衣はどうする?」

「心配だから見てるね。絆、美鳩? ちっちゃい頃の動物は、なんでも繊細だから、あまり大声とか出しちゃだめ。まずはそこからね?」

「なんと!? お、おっとと……らじゃ、いえすマム……!」

Va bene(ん、わかった).」

「元気だからって急に動いて驚かしたり、追いかけ回したりもだめ。ストレスはあまり与えないの」

「ふんふん……?」

Wow(わあ)……いつになくママが饒舌……」

「それから───」

 

 それから、結衣は語り続けた。

 ヒキタニくんの時よりも、長く。いやまあヒキタニくんの時は雪ノ下の方がすごかったんだが。

 あいつに猫の説明させたらダメね。しっかり聞くなら半日くらい潰れるのを覚悟しなきゃならなくなる。

 

……。

 

 梅雨だというのに、不思議と晴れの日が続く今日この頃。

 まだ散歩は早いので、二階の居住スペースを歩かせる時間が続く。

 最初こそ絆と美鳩が我こそはと構っていたんだが、あっさりと結衣にダメ出しをされ───

 

「パパー! モカマロンケーキいっちょー!」

「おー」

「雪乃ママ、ダージリンが二つとアッサムひとつ、ディンブラでアイスひとつ」

「ええ」

 

 ───……6月17日、早朝開店、珍しく忙しい現在、結衣だけ二階にて、ポテトの躾中だったりする。

 今のところ結衣にはとても従順であり、かなり懐いているポテト。

 絆と美鳩が近づくとジリリと後ろに下がるあたり、初っ端から騒いだのかよろしくなかったらしい。

 あ? 俺? 俺はほれ、人畜無害だし? 近寄ったら首傾げられるぞ? むしろ顔を覚えられてないまである。……だめじゃねぇかそれ。

 

「くぅっ……犬がっ……! 歩泰斗様(ぽたいとさま)が気になるっ……! パパー、隙を見て二階に行ってみていーい?」

「だめ。おらー、集中しろ集中ー」

「パパだって隣にママが居ないだけで、調子狂ってるくせにー!」

「いやなに言ってんのお前。俺がそんなミスするわけがないでしょ。言っとくけどパパはあれだぞ? こう見えてかつては一人でなんでもこなしたぼっちの鑑ってやつなんだぞ? 見える範囲に居ないからって焦ったりとかねーよ。っと、結衣、トレーひとつ───」

「ぶふしゅっ! ~……!!」

「パパ……」

「パパ……」

「いや違っ……! い、今のはついクセってやつでだなっ! つか雪ノ下!? 屈みこんで肩揺らすほどウケることでもないだろおい!」

 

 いやほんと違うんだぞ?

 今のはほら、健やかなる時も病める時も傍に居なきゃっていう誓いの延長だし? ヴェヴェヴェべつに俺がどうこうってことじゃ……!

 いや正直になります、隣がぽっかりと刳り抜かれた気分なほど、心細いです。半身を失った気分ってこんなんなん? ってくらいには動揺してます。

 だが、耐えねばなるまい。なにせ、結衣が……ようやく結衣が、犬のことで前を向き始めたのだから───!!

 

「……うしっ、気合い入れ直して頑張ってくか」

「おおっ? パパが折れない! でもなんかいい!」

「Si……凛々しいパパ、素敵……!」

「比企谷くんはああなった時が一番危ういから、二人とも、よく見ておいてあげてちょうだい」

「らじゃっ!」

Ho capito(了解です)

「気合い入れ直してって言ってんでしょーが……」

 

 人の気合いがてんで信頼されていない件について。

 しかしまあ不安に思うのもわからんでもない。

 俺がそれだけ、隣に結衣が居る生活に慣れ過ぎているってことだろう。それはそれだけ、他のやつらにしてみれば“俺が結衣に頼っている部分”をよく見ているということだ。

 なるほど、それならこの心配も納得だ。結衣を信頼して、結衣に頼っている部分は間違いようもなくあるし、自覚もあるのだから。

 ならばこその気合いの入れ直しだったんだが……まあいい、口で言うより行動でだ。

 結衣が傍に居なくても、出来るパパなのだということを存分に見直させてやろうじゃないの。

 

……。

 

 結果。一時間もしない内から雪ノ下に「いい加減にしなさい」と怒られたでござる。

 い、いや、こんな筈は……! 大丈夫だぞ? いやほんと出来るから! たまたまた失敗が重なっただけだから!

 

……。

 

 それから十分しない内に怒られた。馬鹿な……!

 いやいや落ち着け雪ノ下、これはほらアレだから。世の中にそのー……必要悪? ってのがあるみたいに、必要失敗的な……あ、だめっすか。そりゃそうだった。

 

「比企谷くん……」

「比企谷くん……」

「あの……はい、すんません」

 

 ガッコに行った娘二人に代わり、店に立つめぐり先輩と雪ノ下が深く溜め息。

 俺の集中力なんて、ルシフェルに「ああ、やっぱり今回もダメだったよ」ってあっさり言われるくらい、長続きしなかった。

 あの……俺、これ相当まずくないですか? 結衣がなにかしらの用事で遠くに行くとかになったら、俺、耐えられるのかしら。

 ……まあマテ、今はそんなことより現在をどうするかだ。

 

「うーん……比企谷くん。いっそさ、ガハマちゃんが居なくても平気、とかじゃなくて、ガハマちゃんにあとでいい報告が出来るように頑張ってみるとかどうかな」

「へ? ……結衣に、いい報告をするため、ですか?」

「そう。居なくても大丈夫、ってやせ我慢するんじゃなくて───」

「や。やせ我慢とかそんなんじゃ全然ないっすけど」

『どの口が言うの』

「……ごめんなさい」

 

 雪ノ下とめぐり先輩が真顔でキッパリ言うもんだから、素直にごめんなさいが出た。怖い。マジ怖い。

 まあそりゃそうだ、この短時間だけでも注文間違えるわ、皿落っことしそうになって慌ててキャッチした拍子にシンクに頭を強打して、雪ノ下の腹筋が崩壊しそうになったりとかいろいろあった。

 でも八幡ハッキリ言いたい。笑っといて説教はひどいと思う。

 

「……そっすね。結衣にいいとこ見せるつもりで───」

 

 お前が居なくても平気だったぜ、なんて言うわけじゃなく、あいつが犬のことで前を向くための時間を作るために。

 ……頑張んなきゃ、だもんな。よし。

 

「うっす。目、覚めました。ありがとうございます、城廻先輩」

「え? あ、ううん? これ相談してきたの、雪ノ下さんだから、お礼言うならこっちじゃないよ?」

「うぐっ……その。なんか、すまん」

「どうということはないわ。あなたに迷惑をかけられることなんて、今に始まったことではないもの。主に、あなたが勝手に突っ走ったこととかではね。わかるまで何度でも言うけれど、一人で解決出来そうにないと挑戦してから決めるより、もっと早くに相談しなさい。この店はあなたたち夫婦だけで支えているわけではないのだから」

「……おう」

 

 まったくだ。

 こういう時にこそ頼りにしないでどーすんだか。

 

「すまん。じゃあその、早速だが頼らせてくれ」

「ええ。可能な限りのフォローをさせてもらうわ」

「おう。じゃあ俺、ここ抜けて上行って、結衣の手伝いを───」

「比企谷くん? ふざけているなら引っぱたくわよ」

 

 頼りすぎたらマジトーンで怒られた。

 ごめん。マジでごめん。

 

……。

 

 そんなことを繰り返し、なんとか娘たちが帰ってくる時間までを繋いでは、なんだかんだと仕事も終了。

 今日に限ってなんだかやたらと忙しかった。なにこれ、新手のイジメ?

 まあ、そういう日ってあるよな、人が少ない時ほど忙しいって。

 

「やー、今日のパパがもう、なんというか……もう……!」

「Si……! とってもとっても、言葉に表せないほど……!」

 

 そして、そんな時に限ってやらかすことの多かった俺は、娘たちの目からすると大変珍しかったらしく、随分とつつかれた。

 やめろって言ったって聞きやしない。俺はきちんとやっているつもりでも、やっぱりつい“ぽっかりと誰も居ない隣”を見てしまい、その度に恥ずかしい思いをした。

 

「はぁ……俺って……」

 

 看板の電気を消しつつ、溜め息。

 クローズドの文字が、俺の心を何処か寂しくさせる。

 こんな有様では結衣に良い報告など出来る筈もなく、さらに自分の情けなさを噛みしめる結果となった。

 

「つか、昼から居座ってますけど、どしたんです雪ノ下さん」

「弟くん? 仕事終わったんだから、ほら。さんはい」

「……はる姉ぇ」

「ん、よろしい。いやさー? そもそも犬のことは、明日みんなで一斉に~ってことで内緒にしてたのに、まさか当日買いに行っちゃうなんて。しかも同じペットショップ。小町ちゃんから計画が台無しですよーって連絡来た時は、まさかーって思ったわよ」

 

 カウンターまで戻り、昼から居座りずーっとニヤニヤしていた雪ノ下さんに声をかけ、片付けを開始。

 すべては結衣の行動力を甘く見た、皆様の失敗から始まったらしい今回のこと。

 あいつはなー……ほんと、目標を定めると真っ直ぐだから。いや、まあ、そこがいいんですけど? あいつの性格を知っちゃうと、ああいう真っ直ぐさこそが眩しくなる。

 それは、自分にはないものに憧れるあの心境によく似ている。

 

「実はね? もやもや悩み続けてるくらいなら、いっそ無理矢理飼っちゃえば嫌でも前向きになるんじゃないかーって、はるさんが計画したのが今回のことなの」

「相手の迷惑になるかもなので、次は強硬手段系は勘弁してくださいね。……でも、誕生日プレゼントに子犬って、発想ぶっ飛んでませんかね」

「先輩~? 留美ちゃん説き伏せてお金出したの、誰でしたっけー?」

「ぐっ……! 一色……」

 

 途中から聞いていたのか、一色工房から来たらしい一色が、くすくす笑いながら言う。

 ああそうだよ、誕生日に子犬プレゼントしたの、ある意味俺だよ。しかも別の人から購入を奪う形で。

 しょうがないじゃない、一生のお願いって言われちゃったんだから。

 

「つかお前、留美とそんな仲良かったか?」

「面識の始まりとしては、いつかの合同企画の時ですよね。先輩がなんかやたらと気にかけてましたし、その後にたまたま知り合うきっかけとかありまして。今じゃ、小町ちゃんと京ちゃんと一緒にたまに集まって話をするくらいには仲いいですよ?」

「京ちゃん? ……あー、京華か」

 

 川崎さん家のけーかちゃん。

 信じられんくらいの美人さんになってて、八幡びっくり。

 いやまあ川崎がここに手伝いに来てくれてた時にもたまには会ってたが、女ってすごいのよ? 一年くらい合わなかっただけで、印象とかガラリと変わるから。なんなら半年会わないだけでも変わりすぎるまである。

 で、そんな子が一色や小町や、同じく呆れるほどの美人に育った留美と一緒になって話しているわけだ。

 ……それだけでかなり危険な気がする。年齢から考えると、今が丁度かつての平塚先生くらいの歳か?

 周囲がほっとかないんじゃないだろうか。

 

「あ。パパが娘につく悪い虫に心配する顔してる」

「どんな顔なのちょっと。ねぇ、それどんな顔? パパにちょっと教えて?」

「Nn……心配と怒りが混ざったような……複雑な顔?」

 

 余計にどんな顔かわからなくなった。

 ようするにキモそう。

 

「じゃ、仕事も終わったしガハマちゃ───ん、こほん。妹も一人で上に居るわけだし、そろそろ明日の計画とか始めちゃおっか」

「つか、もう犬と結衣が一緒に居る時点で誕生日が始まってる気分ですけどね、俺」

「まあ似たようなもんだしねー。あ、ちなみに弟くん? 留美ちゃんも京華ちゃんも、まず相手の中身を知りたがる所為で、未だにフリーだから安心していいよ?」

「……いや、安心っつーか。逆に心配になりません?」

「嫁き遅れたら家族を増やせばいいでしょ。人に、人の内面を見る癖をつけさせた張本人がここに居るんだし」

「はる姉ぇさんに関しては俺は一切関与してませんがね。俺よりひどかったっしょ、姉さんの場合」

「目は腐ってなかったわよ?」

「心が腐ってたっしょが」

「あっははー、言ってくれるなぁ比企谷くん」

「いや呼び方戻ってる。怖い怖い怖い」

 

 軽口を言い合っている内に片付けが完全に終了。

 軽い掃除も終えると、いざ明日のための計画を───

 

「まあ、明日は父の日でもあるから、弟くんは別にこれに参加しなくていいんだけどね」

「ダメね、断るね」

「あはは、だと思った」

 

 こと結衣を祝うことに関して、夫を差し置いてもらっては困る。

 むしろ一番最初に、誰よりも早く祝いたいまである。

 毎年日付越えたら一番に祝うのが俺だ。もちろん同じ寝室、同じベッドで。

 

「んふふー……弟くんー? ……同じベッドで、とか考えてるでしょー?」

「もちろんです」

「うわ隠しもしない。んー……ねぇ弟くん? 冗談とか抜きで、今回は抜けてみない?」

「……それは、祝われる側に回れってことっすか?」

「そ。なにもガハマちゃんのことを祝うなって言ってるんじゃなくてさ? どうせ日付越えたら一番に伝えるんだろうし、それはいいんだけど、だからこそって方向で」

「あ、賛成! この絆、はるのんに賛成であります! なんだかんだ、ママはパパや雪乃ママからのおめでとうに弱いから、わたしたちのお祝いが弱体化する可能性があります!」

「Si、ならばこそ、別々で祝ってみたい。そうすると喜びも二倍。父と母を敬う心、とてもジャスティス」

「そうそう。まあそうなると雪乃ちゃんも中々手ごわくなるってことだけど───どうする雪乃ちゃん。なんなら弟くんと組んで、こっちの祝いと対決してもいいけど」

「生憎ね、姉さん。結衣さんは自分の誕生日を争いごとの種にされることを望んだりはしないわ」

 

 雪ノ下、キッパリ。

 まあそうだよな。基本、争いは嫌いなあいつだ。

 輪の中に入ってきたなら、“ただひたすら楽しいことしよう!”って感じで手を引っ張っては微笑むのだ。自分が一番、いろんなもん内側に溜め込んでるくせに。

 そういった溜め込んだもんを、時にはつついて破裂、時には忘れさせてほぐしてやるのが、俺や雪ノ下や一色の役目みたいなもんだ。誰に頼まれたわけでも、決めたわけでもない。ただ、そうしたいだけの……まあ、なんだ。あの頃から続く、一種の身内的な願いと行動の果てってやつだ。

 楽しいことでの争いならまだしも、ギスギスした雰囲気になるって分かり切ったことには絶対に反対する。なお、キッパリ言えない状況だったり、言い出しづらい場合はちらちらと俺や雪ノ下を見る模様。

 

「じゃ、普通に祝う方向でいっか。雪乃ちゃんがそうまで言うんじゃしょうがないしね」

「あの。祝われるとかガラじゃないんすけど」

「今まで散々祝われてきたのに? 誕生日にも父の日にも騒がしいお嫁さんと娘が二人も居るのに」

「あー……その。毎度確かに祝われてますけどね。家族だから頷けるところもあるっつーか……家族だから耐えられるっつーか……」

「じゃ、問題ないじゃない。弟くーん? 私たちの今の関係はー、なんだったかなー?」

「一色、言ってやれ。ねちっこい姉はいりませんとか」

「先輩が言ってくださいよ! なんでここでわたしに振るんですかー!」

「でも、みんなで家族とか、いいよねー。毎年こうして、都合つけてみんなで集まるとか、私も結構憧れだったんだー。あ、はるさんは今年、海外とか行く予定はないんですか?」

「私? んー……ないかなぁ。母さんから逃げるって名目なら、手段としてはあるかもだけど」

 

 なにがあなたをそうさせてんですか。

 もうちょい話してあげましょうよ、ママのんと。

 一度コレと決めたら口うるさいだけで、基本は可愛いもの好きで素直じゃないだけの、大きな雪ノ下って感じじゃないですか。言ったら告げ口されるだろうから言わんけど。

 

「とにかくです。先輩? そーゆーことなので、今回は一緒にお祝いは無理ってことでご了承くださいごめんなさい」

「だからついでにフるのやめて? いらんショック受けるから」

「え? それってわたしが好きってことで───」

「過去を思い出してトラウマ掘り起こしてるだけだからそれはないですごめんなさい」

「人の言葉でなんてもの掘り返してんですかー!」

 

 いやほんとそれな。でも俺だって掘り起こしたわけじゃねぇのです。

 人間の感情ってままならないよなぁ。

 しかしながら……こういう場において、一人でも祝われる側が居るのはやりづらいだろう。ていうか、俺の方がやりづらい。

 だって祝われる側とか意識したことなんてそんなないし。

 精々、結衣にいつ祝われるかとかそれを想像してソワソワしてて、反抗期だった絆にキモい言われてショック受けたくらいだ。

 なので……このままこの場に居座って気まずい思いをするよりは───スピードワゴンはクールに去るってやつだろう。

 

「んじゃまあ、そういうことなら……俺、もう部屋戻りますんで」

「比企谷くん」

「あ? どした?」

「くれぐれも、犬に嫉妬をしないように気を付けてちょうだい」

「真面目顔でなに語るかと思えばそれかよおい」

 

 軽く口の端を引きつらせつつ、普段どう見られているのかを正しく認識、溜め息を吐いた。

 まあいい。今は部屋に戻って、のんびりまったり……。

 ……い、いえべつに? 結衣成分補充とかラノベチックなこととかしませんし? ただ精々そのー……気が済むまで抱き締めるだけですし?

 いつものことだもんな、おういつものこと。

 …………なんか……改めて思えば、いつものことのハードル……変わったなぁ。

 しみじみ思いつつ、喫茶店エリアをあとにした。

 通路を抜けて、ないとは思うけど結衣が寝てたら邪魔になるだろうから、静かに階段を上がってみれば───

 

「ん、えらいえらいー♪ そうそう、おトイレはここで、眠る場所はあっちでー♪」

 

 上った先の廊下で膝をつき肘をつき、ポテトと同じ目線で躾をしている妻を見つけた。

 まだこちらには気づいていない、なんならいっそ廊下にねそべり、曲げた足をぱたぱた揺らしながら頬杖ついて鼻歌でも歌いそうなくらい上機嫌な妻。

 ……とりあえずアレな。はい激写。

 

「ふえっ? うひゃああああああっ!? ヒ、ヒッキー!? うぇっ、なっ……いぃいいいつからそこに居たの!? ってか写真! わわわわだめぇええっ!!」

 

 緩んでいた自覚があったのか、シュバッと立ち上がって駆け寄る……ことはせず、焦りすぎてか立つこともしないままどたばたと手と膝とで駆けてきた妻。

 ここで、さっきの結衣の声を真似て“ハイハイがお上手でちゅねー”とか言ったら……喧嘩待ったなしだなよしやめよう。

 

「ななななななんでっ!? えっ!? もうそんな時間!? うひゃあ真っ暗だ! あ、あれっ!? みんなご飯は!? 仕事は!?」

「終わった。もう片付けも済んでるぞ」

「………」

 

 音で表すなら、へなへなペタン。

 脱力して座り込んでしまった結衣は、そこまで夢中になっていた自分に驚いたのか、仕事を一切手伝わなかったことに罪悪感を抱いているのか。たぶんどっちもだろうなぁ。

 しかし俺は案外嬉しかったりする。

 なにせ一生のお願いの延長だ、少しは迷惑をかけてくれるくらいで丁度いい。

 

「健やかなる時も、病める時も、支えるって誓ったのに……」

「あほ。今まで俺が支えてもらってたんだから、今は俺が支えてるところなんだっつの」

「………」

「そこでジト目しない。言いたいことはわかるから」

 

 自分の方が支えてもらっているって言い出せば、俺達の場合はキリがない。

 けど、事実だから覆しようがないのだ。そこに居てくれるだけで支えになってくれる人なんて、俺達には互いに居なかったから。

 俺の場合はかろうじて小町がそうなんだとしても、あの子ったらお兄ちゃんのことゴミぃちゃんとか称しつつげしげし蹴っちゃうこともありましたしねオホホホホ。

 

「いーか結衣。誓ったのは、支え合うことだ。支えることじゃない。だから、いっつもお互いにじゃなくていいんだよ。つか、いいことにしよう。言い出したらお互い、自分の方が貰いすぎてるって言って止まらないだろ。……いやまあ確認するまでもなく、俺の方がもらいすぎてるけどな」

「そ、そんなことない! あたしの方がいっぱい支えられてる!」

「……ほれ、こうなるだろ」

「あ……。うん、えへへ、そだね」

 

 互いに苦笑を漏らす。

 付き合いなんて、学生時代の頃から比べたら二倍三倍じゃ足りないくらいの付き合いだ、理解できるところも大分増えた。

 それでも完全に知り合っている夫婦なんてものは滅多に居ないし、俺達にしてもそれはまだまだなんだろう。

 ……現に、まさか結衣があんな猫撫で声で犬に接しているだなんて思わなかったし。

 

「……ってか、結婚式で誓ったことを律儀に守ろうとするヤツなんて、自分以外に居たのな」

「神様には誓わなくても、一緒に歩きたい人に誓うことに、嘘なんてつかなかったよ?」

「………」

「………」

 

 だな、と呟いて、手を伸ばす。

 片や、階段の途中の夫。

 片や、廊下にへたり込んだ妻。

 けど、見方によっては愛する人に跪く、みたいに見えなくも……いや普通に昇り途中の男だな。うん。

 それでも、俺達は気にしない。

 伸ばされた手に微笑んで、それが頬に触れれば目を閉じ重みを預けてくれる妻。

 恥ずかしくたって格好悪くたって、いつだって支え合ってここまで来た。

 俺達の場合は、“こんな”だからいいのだ。

 ちゅっ、と軽くキスをして、額をくっつけ合って、くすぐったそうに笑う。

 こんなくすぐったさが温かく感じられる、俺達だから。

 

「あ……でも、えと。きょ、今日は……さ? いいのかな。その……いっつもはさ、自分で言っちゃうとアレなんだけど……さ? じゅっ……18日の前は、みんなで話し合ったり……とか」

「あー……ほれ。明日はなんの日だ?」

「父の日! …………あ」

「おう正解。お前の誕生日で、父の日だ。だから、祝われる側はすっこんでろだとさ」

「あははっ……そっか。じゃあ、しょうがないよね?」

「おう、しょうがない」

 

 言って、階段を上り切って結衣を抱きかかえる。その過程で結衣は傍に居たポテトを抱えて、えへー、と笑う。

 

「さっきね、この子のこと構ってる時、思ったんだ。絆と美鳩はほんといい子に育ってくれたからさ。苦労はこの子にかけてもらおうかなって」

「お、おう。そか」

 

 “ポテトに苦労をかけられる”。

 言葉にしてみると、なんとも調理に苦労している結衣の姿が浮かんできて、少し笑いそうになった。

 けど、そか。

 絆には手を焼かされたことが“俺だけ”あったが、確かにいい子に育ってくれた。

 しかしなポテトよ。あまりに結衣の手を煩わせ、俺と結衣との一緒の時間を削ることになれば、俺はいつしか修羅と化そう。ってか自分が嫉妬する未来が今から鮮明に描けすぎてて我ながらキモい。

 そっかー、俺、動物に喩えるなら自分は狐だーとか思ってた部分があったけど、実はネコネコの実・モデル:ロシアンブルーであったか。

 いやべつに? 部屋で飼うことになって? 一緒の時間が減るからって、せっかくの家族にケチつけるとかないよ? ないとも。ないです。

 心の中でいろいろ飲み込み、振り切り、気持ちをガションと切り替えて、完全に悪い方向の気持ちを忘れる。

 大丈夫だ、ぼっち経験者は気持ちの切り替えが得意なのだ。

 なので結衣を抱きかかえたまま自室までを歩き───「あ、ヒッキー、止まって?」お、おう?

 歩みを止めて、促されるまま結衣を下ろすと、結衣はポテトを下ろして……下ろされたポテトが、いつの間に用意したのか、廊下の先にあるクッション完備のケージへと歩き、納まり、ひゃんと鳴く様を見送った。

 

「……来て早々、すげぇな……」

「元気がよくても、まずは“自分の巣穴”を覚えさせるのがいいんだって。外敵が来なくて安心できる場所じゃないと、なかなかリラックスしないんだ」

「なるほど。休日の日に外出せず、自宅に引きこもるどこぞの誰かを連想させる……」

「リラックス、するでしょ?」

「するな。実になるほど」

 

 自分の場所がある世界ほど安心できるところはないってことか。

 まずはそれを覚えてもらったと。

 

「ちなみにお手とかは?」

「あれは芸だし、いっそべつに覚えさせなくてもいいんだ。ただ、なにかしなくちゃものは食べられない、っていうのは覚えさせたほうがいいかも……かな?」

「そこで俺を見るのはやめなさい」

「あはは、うん。ごめんねヒッキー。こういうことを話す時、ちらっと兄を見てやると動揺しますから、って小町ちゃんが教えてくれて」

 

 ちょっとー……!? なにやってんの小町ちゃん……!

 人の大事なお嫁さんに妙な兄情報を教えるはやめなさいって、あれだけ言っといたでしょ……!?

 いえまあお陰で胃袋も心も同棲時代に掌握され済みですがね?

 妹グッジョブ、マジグッジョブ。

 

「じゃあ……えと」

「ん……おう」

 

 改めて、っていうのは恥ずかしいもんだが。まあ、いいのだ。

 なにせ明日は大事な妻の誕生日であり、父の日でもある。

 妻を祝えて俺も祝ってもらえるなんて、最高の日じゃないの。

 笑い合い、もう一度キスをして、自室へ。

 いや、雰囲気は出てるけど、そういうアレはもうちょいあとな。

 ……まだ風呂にも入ってないし。というわけで着替えを取って、二人で風呂へと向かった。

 

……。

 

 お互い、今日かいた汗を流し、寝間着に着替えて自室へ戻る。

 せっかくなので、お姫様抱っこで。

 そんな中、ふと、風呂でよく温まった顔を持ち上げ、お湯の温度で火照った以外にも赤い要因のあるであろう顔で訊ねてくる。

 

「ね、ヒッキー? あたしはさ、誕生日おめでとうって言ってもらえるけど、父の日おめでとうって……なんか違うよね? なにか、おめでとうが言えればいいのに」

「なに、どしたの急に」

「うん。ほら、さっきのどっちが貰ってるかの話なんだけど……」

「あー……」

 

 そんなの簡単だろ、と頭をコリコリ掻く。

 たださすがに恥ずかしいから、そっぽを向きつつベッドに下ろした妻の顔を見ず、耳に口を近づけて……「出会ってくれてありがとう。そんで、出会えておめっとさん、俺」と呟いた。

 そうしてからリモコンで電気をつけると、「ひゃっ、わ、わっ、待っ……」と結衣が焦った声をあげて…………そこには、真っ赤っかで、わたわたと手を突きだして俺を止めようとしていた妻の姿が。

 

「いや……なんかその。……赤いな?」

「~……! ヒッキーずるい……! あんなこと言われたら、どんな顔したらいいのかわかんないよ……!」

 

 自然体で構いません。つまりそれでいい。

 赤い顔も照れた顔も、全部全部好きなんだから。

 ただし、出来る限り悲しみの涙は流させたくない。そんな俺です。

 そうして俺が和んでいるうち、そんな顔が少し寂し気に揺れる。

 

「……出会わせてくれたのは、サブレだよね」

「……おう」

 

 なんとなく予感はしていたから、俺も普通に返した。

 返して、見つめ合って……電気を消して、抱き合って……ベッドに沈んで。

 そんな状態でゴロゴロしながら、あいつが死んで以来、意図的に避けていたサブレの話を始めた。

 あの時あんなことがあった、あの日にこういうことがあったよね、と。

 そうして話し込んでいる内に日付は変わり、俺と結衣は誕生日がどうとか理由はとりあえず置いておいて、お互いに顔を見合わせたままに『おめでとう』と言い合った。

 いろいろな意味を込めたありがとうに、お互いが微笑み合って、またキスをする。

 出会えたこと、出会ってくれたこと、引き合わせてくれたあいつに感謝を届け、お互いにはおめでとうを届けて。

 そうして抱き合ったまま眠り、朝を迎えれば───賑やかな家族に一匹を加えた日常がやってくるのだろう。

 それに、不安と期待を混ぜながら、ゆっくりと呼吸を整えていった。

 どうかいい夢が見られますように、なんてことを軽く願いながら。

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