どこにでもあるようなガハマさんとヒッキーのお話 作:凍傷(ぜろくろ)
「ねぇねぇゆきのん! ゆきのんに訊きたいことがあるんだけどさ!」
「なにかしら」
「アブラハムニってなに?」
「───……あの。ごめんなさい、今、なんと?」
「アブラハムニ!」
「………」
「雪ノ下、たぶんあれだ、アブラハム」
「……あ、ああ、そう、そうなのね。ええと、アブラハムというのは───」
「羊の子で、一人はのっぽであとはちびなんだって。のっぽな羊ってどんなだろうね!」
「……雪ノ下、七人の子、な。羊じゃなくて」
「……そ、そう。ええと……」
「えとー……みんな仲良く暮らしてるのはわかるんだけど、なんで急に踊り出すんだろ。右手、左手、とか言うのってなんでかわかる?」
「………」
「アブラハムの子っていう童謡のことな」
「ヒッキー! さっきからうっさい! いちいち言わなくてもゆきのんならわかるってば! ね!? ハッキリ言っちゃってゆきのん!」
「ごめんなさいちっともわからなかったわ」
「ゆきのん!?」
「…………、ほれ由比ヶ浜、これ歌詞な」
「わっ、とと……ねぇヒッキー、自分のもの、簡単にぽんぽん渡すのよくないよ?」
「いや……べつに盗んだりしねーでしょお前。取られて困る情報もないし」
「え? あ、やー……それってあたしのこと信頼してくれてるってこと、だよね。そっか、そう……ふふ……えへー……」
「由比ヶ浜さん、それよりもそのページをじっくり読んで頂戴」
「え? あ、うん。んっと…………、……~……!?」
「そういや由比ヶ浜、前に俺にもっとふれんどりぃに接したほーがいい、とか言ってたよな。フレンドリー一歩目としてこれからお前のことアブラハムニって呼んでいいか?」
「うわーん! やめて! やめてよー!!」
「くぷふっ……! アブラハムニ……!」
「ゆきのん! 笑うとかひどいぃ!!」
「けどまあ確かに……なんでこれ、右手左手言いながら踊ってるんだろうな」
「そういう踊りだからではないかしら」
「最後にお尻回しておしまいの踊りってなんだよ……怖ぇよ」
「くぷふっ……!」
「でもさ、このアブラハム? ってなんなんだろ。どっかの国かなんかかな」
「ああ、なんでも人の名前らしいぞ? 外国の方じゃ“Father Abraham”って歌で知られてる」
「……ヒッキー。もしかしてわざわざ調べたの?」
「いや………………気になるだろ、やっぱ」
「ヒッキーの方がよっぽどアブラハムニじゃん!」
「やめなさいちょっと、アブラハムニを罵倒文句みたいに使うの。アブラハムニさんに失礼でしょ、あ、すんませんご本人様でしたか」
「ヒッキー!!」
「くっ……くふふっ……~……!」
───休日の喫茶店は、混む時間が案外定まる。
まあもちろん、会社に行く前だとかその帰りだとか、学校帰りだとかが大体。
それ以外でいうなら、奥方どもの集まりだとか───材木座のようになにかしらの打ち合わせだとかが挙げられる。
ただし本日の休日は6月18日で、父の日でもあった。
「あ、あーその……お、お誕生日、おめでとう、結衣」
「うん。ヒッキーも、父の日だから祝わせてね。おめでとう、っていうのはやっぱりちょっと違うかもだけど───せーのっ」
『おめでとぉおーぅ!!』
誰かの誕生日には、きっと忙しくなるであろう日だろうと休みにするここ、喫茶ぬるま湯では、本日───結衣の誕生日会が開かれていた。朝っぱらから。
同時に父の日でもあるってことで、主役は俺と結衣と、先日ご購入したミニチュアダックスのポテトだったりする。
しぱんっ、しぱぱんっ!! とクラッカーが鳴り、客席に謎のロールテープ……なんつったっけこれ、が飛び散る中、俺は結衣と顔を見合わせ、照れるように笑った。
……まあ、ぐっすり熟睡なさってた所為で連れ出すのも気が引けたから、ここに居ないんだけどね、ポテト。
「さーじゃんじゃん食べなさい! 大いに飲みなさい! 今日の主役はパパとママなんだからね!」
「Si、当然この美鳩も容赦しない。食べる。賑やかさに乗じて私腹を肥やす……Nn、ジャスティスでデリシャス……!」
実際、今回は“祝われる側に回れ”との指示もあったように、この騒ぎの全容などはまったく知らない。
つか、まあ、祝われるだけなんだろうから全容もなにもないのだろうが。
はる姉ぇ……雪ノ下さんが企画、というだけで、うすら寒いなにかが背筋を登ろうとするのは何故だろう。経験則ってだけか。なるほど納得。物凄い説得力だ。
まああれだ。一色が言っていたように、俺を含めたみんなで結衣を祝う、っていう方向からはズレている。
今回の主役は結衣であり、父の日でもある所為か副主役が俺、みたいな感じになっている。
「いんやー、けどこうしてみんな集まるっつーたらやっぱぬるま湯でしょぉ! なんか祝いのきっかけでもなけりゃ、みんなで集まれねぇしさー!」
「戸部先輩は相変わらず戸部先輩ですね。いい加減口調とか直せとか言われないんですか?」
「んや、さすがに仕事場とかじゃ気ぃ使うよ? けども気ぃ抜いていい場所でくらい砕けたいじゃん? なーっ、隼人くーんっ♪」
「だな。その点で言うと、ほんとここは気安いよ」
おうそりゃどーも。
どーもだけど、こっちちらちら見て照れるのとかやめてくれません?
「てかヒキオ……こほん、比企谷。あんた相変わらず結衣のことそうしてんのな」
「結衣の誕生日には、俺は何を願われても断らないを信条としてるからな。出来る限りでいいからこうしてくれと、たとえ冗談で言われようとも断らない覚悟が俺にはある。あるったらある」
「顔真っ赤にして、よくやるわ……」
「えへへ……優美子も葉山くんにやってもらったら? 慣れると幸せだよ?」
「───!!」
「いや……いや、待ってくれ優美子。それはまだ俺にはハードルが……!!」
「ふふり。ならば美鳩が助言をば」
「むふり。しからば絆が助言をば」
動揺する葉山を前に、現れたるは二つの影。
……あ。葉山があからさまに嫌な予感を表情に浮かばせた。
まあ、わかるわ。こいつらが不敵な笑みとともに一歩前に出ると、大体ろくなことにならないし。
「「超えられるハードルがあるならば超えてゆけぇい! その先に、貴様の父としての強さがある!」」
「えっと……ぐ、具体的には?」
「今すぐハグ。我らの目の前で」
「おおヴレイヴ。とてもジャスティス」
「それは勇気がどうとか以前の問題じゃないか!?」
まあ、心の準備を勇気で片付けられるかは本人の意思だもんな。
俺? 俺は結衣のためなら自分の羞恥なんざ横に置けるのだ。そう決めた。決めたからあんまじろじろ見ないでくださいめぐり先輩。
「よかったね、比企谷くん。ガハマちゃんがわんちゃんのこと受け入れてくれて」
「……っす。今回のこと、いろいろ計画とか立ててくれてありがとうございました」
「いいのいいの、元はといえばはるさんが“やってみよう!”って決めたことだし、あの人に振り回されるのも慣れっこだし」
いや……なにやってんすかはる姉ぇ……。
めぐめぐめぐりん先輩が一瞬とはいえ疲れた表情を見せるとか、相当ですよ?
「まあ、義理とはいえあの人の弟になったってことは、それだけ振り回されるってことだろうし……またなにかあったら協力するから、いつだって頼ってくれていいからね?」
やだ天使……!!
でも……すいません。
俺、どれだけ想像を巡らせても、めぐり先輩がはる姉ぇに振り回されて泣いている未来しか見えない……!
「もははははは! はぁちまんよぉ! 飲んでいるか! 食っているかぁああっ!!」
「飲んでるし食ってるよ。なんでお前に確認されなきゃならん」
「あふんっ、ひどい。我はただ話のきっかけになればと言ってみただけなのに」
「なんつーか、お前は変わらないよな」
「当然である。我が我であるからこそ我の作品が売れるのだ。己を無くして媚びへつらうものになんの魅力があろうか! 我は見たいのだ……! 人間の、その個人が秘めし可能性というものを……!」
「学生時代はパクリばっかだったくせによくそこまで言えるな」
「《ゾブシャア!》ぐわぁあああああーーーっ!!」
何気ない正論が、ザイモクザン先生を傷つけた。
「ぐ、ふぅううっ……! それは、確かに正論……! だが我はそこから小説というものを学んだのだ……! まずは書く楽しさを……! そして、次第に読んでもらえる嬉しさ、そしてソワソワとした緊張感……! ……で、ボロクソにけなされる絶望……」
「いきなり素になるなよ……」
「だがご安心! かの有名なスケベ本先生の主人公とて、最初はテイルズオブファンタジアのパクリから入ったのだ! 我とて同じよぉおっ!!」
「どうでもいい場面で女が脱ぎ始める話がか」
「《ゾブシャア!》ぐわぁあああああーーーっ!!」
何気ない過去の過ちが、ザイモクザン先生を傷つけた。
「は、はぽっ……はぽっほ……! お、おねがいはちまん……! それだけは忘れてくださらぬか……!」
「未だに中二は背負えても、そういう部分はダメか」
「言ったであろう! 媚び諂った部分など既に汚点なのだ! それを戒めに日々を駆け抜けているとはいえ、真正面から言われるとあの……マジつらいんで勘弁してください……」
「お、おう……」
どうやら本気の本気で黒歴史らしい。
まあほら、あのー……な? たとえばさ? 絵が好きで絵を描きまくってたとする。
当時は上手く描けてる自信があっても実際はまだまだで、調子に乗って描いてしまったものがあったとして───それを成長してから見つけた時。いや、むしろ親が部屋の整理をしている時に発見されてしまったものがあったとして。
……もしもそれが、人生初のエロ本だったらどうか。
『……!!』
ぽしょりぽしょぽしょと、結衣の耳を塞ぎながら材木座に語りかけてみると、心底怯えた表情で震え上がった。あ、ちなみに俺もである。言っておいてなんだけど、想像したら魂から震え上がった。
「あの……我、まだまだマシな方だったのね……」
「想像でならどんだけでもひどく出来るんだから、こんなところで挫けるなよ」
「例え話で我を傷つけたの、八幡なのだが!?」
賑やかになった材木座をさらっと宥めつつ、少し移動。
そこでは戸部が葉山と酒を飲んでいた。
「おー! ヒキタニくんおひさー! どんくらいぶりだっけー!」
「酔ってるな、思いっきり」
「悪い、楽しませてもらってるよ」
「悪くないから存分に楽しんでくれ。こういう日でもないと羽目外せないだろ、お前ら」
「あー、俺とかまだ平気だけど、隼人くんはなー……」
「いや、これで昔ほどじゃないとは、父親から聞かされてる。家族との時間が取れるくらいには、陽乃さんの方で調節してくれたみたいだ」
「ほーん……? で、戸部は?」
「おー! 俺とかもうめっちゃラブラブよー!? あ、ごほんっ。……まあ、周囲に幸せものって言われるくらいには楽しくやってる」
「素の口調、めっちゃ格好いいなお前」
「おう、よく言われる。けどチャラくしてた方が目もつけられないって、姫奈が言ってきて……さー……うえへへへ、これってばもう最高に愛されてるって証拠じゃねー!? もう俺ってばべー! っべーわー!」
耐えられなくなったのか、結局元の口調に戻った。
まあ、戸部だし。
……となると、葉山はどうなのか。
「お前の方はどうなの。ほらその、夫婦生活とか」
「ああ、順調だ。珍しいな、お前が俺の心配をするなんて」
「無関係だったわけじゃないからな、そりゃ多少は気になる」
主に親御さんたちとの関係とか。
よくもここまで娘を待たせやがったな……とか恨まれてなきゃいいけど。
「順調だよ。家族関係も。君達は本当に、互いに関わることで随分と変わったんだな」
「お前相手に俺のことを事細かに語った記憶なんざ俺にはねぇよ」
「“言われるまでもなくわかる性格だ”って聞こえなかったのか?」
「お前はそういうところ、ようやく隠さなくなったんだなって言い返してやりてぇよ」
「君に対してはそうありたいって意識しているところはあるな。対等だと思っているからな」
「お前、それ好きな」
「ああ。おかしなことを訊くんだな。自分の口から自然と出る言葉を、わざわざ嫌う理由なんてあるのか?」
「お前にゃありそうな気がするわ」
「あ、うん。あたしもそう思うかも」
「そうなのか!?」
「おー……まあ俺としても隼人くんには悪いけどそれっぽいとことかあるかもだわ」
「………」
いやほら、お前っていっつも言葉を選んで、無難なことばっかり言ってたイメージあったし。
なんならいっそ、自分の奥底から沸きだしたそのままの言葉なんて、ろくに言ったことがなかったりしません?
ほら、わざわざ嫌う理由はなくても、躊躇する理由とかならありそうだろ?
……まあ、頭で思うだけで伝えはしない。なんか偉そうな言い回しになりそうだし。
「…………さて」
「ヒッキー?」
これで一通りアイサツは済ませた、ということで「ちょっと弟くーん? こっちこっちー♪」……終わりません? ここで終わりましょうよ。
俺、はる姉ぇの傍には行きたくないかも───
「本日が父の日ならば、父のために己が身を盾にするのが娘の役目……! さぁこいはるのん! この絆が相手だー!」
「はるのん……海外ではとても世話になった挙句にとても世話をしたはるのん……。相手にとって不足はない……!」
「へぇ……? なに二人とも。私とやり合う気?」
「その通りである! 矢でも鉄砲でも火炎放射器でも持ってこいやァーーーッ!!」
言いつつ、絆は回し受けの構え!
「既に新しいコーヒーは淹れた……! 少しでもおかしなことをしたら、かつてのようにズビリッパコーヒーがあなたを襲うことになる……!」
言いつつ、美鳩はすぐ傍のカウンターにあるコーヒーをすぐさま取れる位置を陣取った。
「はいお前らはちょぉっと静かにしてようなー?」
「《ギリギリギリギリ》グワーーーッ!! ま、回し受……グワーーーッ!!」
しゃかしゃかと忙しなく手を動かしていた絆にアイアンクローを進呈。
「くっ……美鳩がやられた……! けど安心するのは早い……! ヤツは比企谷四天王の中でも最弱……! ならばこの美鳩が───!」
「美鳩。このコーヒーもらうね?」
「えっ……あ、ま、待ってマ───」
適温だったコーヒーは、結衣がごくりと飲んでしまった。
「………」
そして、二人の前に笑顔で君臨するはる姉ぇのこの存在感よ。
「パ、パパッ! わたしはパパとママを守りたくて立ち塞がったのに!」
「Si……! こ、こんなのはあんまり……! みみみ美鳩は、美鳩は……!」
「そう思うならまず立ち塞がり方から見直せ、ばかもん」
「まままま回し受けは危険なんてないんだよ!? 自衛手段とかそういう段階の問題でー!」
「ここここここの美鳩とて身の危険さえ迫らなければ、コーヒーを振るうことなど───あわわわわわ……!!」
「絆、美鳩~? 誰かを前に、まず最初に“攻撃されること”を前提にしないの」
「うぬっ……た、確かに……! この絆も老いておったわ……! はるのんを前にして、警戒せずになどおられようかと……!」
「……でもママ。はるのん相手に警戒するなはちょっと無理」
「ぁ………あー……」
「ちょっとガハマちゃん!? そこは否定してよー!」
というわけで次のアイサツは雪ノ下はる姉ぇさん。
来てくれて、おめでとうと言ってくれたからには全員に挨拶を……と思ったんだが、思ったより来てくれて驚いたよ。
なんなのみんな、6月18日だけは意地でも予定空けてあるの? 俺は言うまでもない。当然だ。
「相変わらずここは賑やかだね。家族が賑やかなんて、羨ましいなー」
「今では賑やかの一部分なあんたがなに言ってんですか」
「んっふふ~ん……♪ なにって、弟くんに“賑やかの一部”、つまり家族って言ってもらいたくて言ったんだけど?」
「狡猾で面倒な姉とか要らんので縁切っていいっすか」
「あはははは、容赦ないなぁ。でもだ~め。勝手に縁切れないように、いろいろ書類で固めてあるから」
「なにやってんすかアータ。いやマジでなにやってんすか」
「なにって。家族を好きになる努力? ……じょーだんじょーだん、もうとっくに好きで大事だから、そんなドン引いた顔しないで」
「は、陽乃さん、好きになる努力から始める、なんて言わないでください。そりゃ、えと、学生の頃はちょっぴり苦手だなーとか思ったことはありますけど、今、あたし、陽乃さんのことほんとにお姉ちゃんだって思ってますから」
「ほんと?」
「は、はいっ」
「ぜったい?」
「はいっ」
「じゃあお姉ちゃんのお願いとか聞ける?」
「はい!」
「弟くんちょーだい?」
「聞いたけどダメです」
「うっひゃ! あははははは! すっごいきっぱりだ! いいねー、愛されてるねー弟くん! あはははは!」
笑い、うんうんと頷きながら、はる姉ぇは結衣の頭をやさしく撫でて、言う。
「うん、相手が姉だからとか、そんなくだらない理由で大切なものを譲ったりとか、しちゃだめだよ? そういうことをする子になったら、お姉ちゃん……本気で潰しちゃうんだから」
「陽乃さん……」
あ、なんかちょっぴりいい空気。
……だったのだが、
「じゃあ陽乃さんに渡す筈だった、美鳩の子供の頃の写真はあげないままにしますね」
「ちょっ!?」
結衣が笑顔で反撃に出た。
……あ。これちょっぴり怒ってる時の笑顔だ。
「い、いやー……それがないと、私がお母さんに怒られるっていうか……!」
「人の心配をからかうための道具にする人なんて知りません」
「ごめんねガハマちゃん! 私もまだお母さんは苦手なの! ね? ねっ!?」
頬を軽く膨らませて、プイスとそっぽを向く結衣を、はる姉ぇが宥めにかかる。
その勢いに押されて結衣を放し、少し離れたわけだが……そこに丁度雪ノ下が居た。
どうにも姉の様子を眺めていたらしいが。
「……なんつーか。あっちのがよっぽど姉妹してる感じ、するよな」
「そうね。きっと遺伝子レベルで産まれる場所を間違えたのよ、私と結衣さんは」
「お前の立ち位置に結衣が、とか怖いわ。じゃあなに? 俺お前が猫と散歩してる時に───その、なに? 猫を助けようとして、結衣が乗ってる車に轢かれるの?」
「失礼ね。私は猫にリードをつけて引っ張ったりなどしないわ。それでもしその飼っている猫が野良猫に襲われたらどうしてくれるのよ。高い確率で病気になって死ぬ、と言われているのよ?」
「お、おう、そうなのか」
えー……? 俺、猫の散歩をしているご婦人を見たことあるんだが……あれはまあ好みってことなんだろう。
てか、飼い主同伴前提でリードつけて散歩してる飼い猫が、野良猫に襲われる瞬間ってどんなんよ。
などと、厳しいことを言ったりもしません。
大丈夫、今日は父の日。
パパは子だろうと妻だろうと、姉だろうとなんだろうと厳しいことは言わんのだ。
なのでもうちょい父の日を大事にする意味も含めて、俺のことも大事にしてほしいです。
「ところで比企谷くん。もう一人……いいえ、もう一匹の主役はどうしたのかしら」
「まだ二階の廊下のケージで寝てるんじゃないか?」
「…………あの。それは正気なのかしら。……え? 仮にも狩猟犬だったのでしょう?」
「種類なぞ知らん。俺にとってあいつがあいつだ。無理に変えたあいつじゃねぇよ。ポテトはあれでいーんだ。よくなければ結衣が叱るだろうし、もっと反抗するなら俺も手伝う。それでいいんだ」
「……ふふっ、随分と投げっぱなしな信頼なのね」
「人を雇う職場で、俺がお前や一色に上から目線で、その性格なんとかしろ、なんて言ったかよ。そーゆーこった。作った自分なんて要らん。じゃなきゃ店の名前の“ぬるま湯”なんて、本当に名前だけのものになるだけだろが」
「───……、……そう」
「おう」
まあ、昔に比べりゃ随分丸くなった気がするから、そんなことも言えるのかもしれんが。
ともかく、“その性格をなんとかしろ”なんて言葉は……そだな、笑い話の延長か、勢い任せで言うくらいで丁度いい。もちろん、冗談で、ということが前提としてある場合のみで。
そう苦笑しながら言って、陽乃さんと言い合っている結衣のもとへと歩き、後ろからガバー。
「うひゃあああぅ!?」
とっても驚いてくれました。
慌てて振り向いた姿を今度は真正面から抱き締めて、愛情を込めて撫でる。
「んぷゎっ……ヒ、ヒッキー?」
「ちょっと疑問なんだけどな、結衣」
「ふえっ? う、うん……?」
「……父の日、父はなにをしてたらいいんだろうか」
「え……えと。あたしとしては……さ。一緒に居てくれるだけでいいんだけど、それって父の日と関係ないし……んー……」
訊ねてみれば、真面目に考え始めた。
別にもうちょい簡単に考えるだけでもいいのに、俺のこととなるとどうしてこう真剣になってくれるのか。
答えを探してみたらむず痒くなって、やっぱりぎうーと抱き締めた。
「わぷぷっ……」
と、そこへ呆れ顔でやってくる、小町と留美。
「またやってるよこの兄は……結衣さーん? 嫌だったら押し退けていいんですよ? ていうかボディに一撃くれてやっちゃってください」
「八幡、少しは人目も気にするべきだと思う」
結衣とは違う“仕方ないなぁ”って顔で、綺麗な顔を苦笑に変える小町。
その隣でじとりとこちらを見るのが留美で……なんつーか、やっぱりあんま変わらんね、キミたち。
そしてそんな風に結衣は、我が妹にして妻の義妹となった小町の助言の通りボディに一撃くれるわけでもなく、俺の背に腕を回すとぎうーと抱き締めてきた。
「まあ、結衣さんはそうですよね。はい兄、そこで抱き締め返す。なんですぐに応えてあげないかなぁこの兄は……」
言われるまでもないですから、お願いだから夫婦の愛劇場に口出しするの、ほんとやめてくれません?
いじわる小姑でもしませんわよそんなこと。
「で、おにーちゃん?」
「おう、どした、妹よ」
「……今のお兄ちゃんの目を見て言うのもなんだけど、まあ一応毎年恒例ってことで。……ちゃんと、幸せのままお嫁さんを祝えてる?」
「お前ね、普段だったらこういう席が終わってから訊いてくんのに、どったの」
「そろそろいいかなって。宅のお兄ちゃんは人が居ないところでは饒舌なくせに、いざ人が居ると本音とかなかなか口にしないからね。だからほら、抜き打ちみたいなアレのアレの延長」
「………」
ちらりと見ると、さっきまで結衣と言い合っていたはる姉ぇが、モノクマさんもかくやって表情でうぷぷぷぷと笑っていた。
……ちょっと小町ちゃん? お兄ちゃんいっつも言ってるでしょう? なににノセられてもいいから、はる姉ぇにノセられるのだけはやめときなさいって。
「まあ、男が感じる“言うほどのことじゃない”ってことの大半が、夫婦生活や恋人間にとっての呆れるくらい大事なことだ~ってのは……その、なんだ。……わかるつもり、だぞ?」
「じゃあはい、口に出す。さんのーがーはい」
「それただお前……いや、はる姉ぇさんが聞きたいだけだろ」
「普段から人の目なんて気にしないでいちゃこらしといて、今さら視線が気になるとか言わないでしょ?」
「改まれると難しいことってあるでしょーが」
なので逃走。しかし留美に回り込まれた。
「どったのお前。こういうことに積極的に混ざってくる感じじゃなかったろ」
「そりゃあ、たまに食べに来たりはしてたけど、そういう時にみんなが言う……その、いちゃこら? とかしなかったでしょ」
「え……まさかお前、それを見たいがために今回のことに参加したのか?」
「……馬鹿じゃないの? さすがにそこまで暇じゃない」
そらそーですね。
でもお前が真っ先に“馬鹿じゃないの”とか言う時って、その酷さを利用して隠したい言葉がある時ばっかだって知ってるから、視線うろちょろする癖直してから出直しなさい。
貴様の動揺を抑える仕草や言動など、この元プロボッチャーの八幡さんにとっては何十年も前に通過した道だ。
なので説得と論破の意味と、人前で語れないほど小さい想いでこいつと一緒に居るんじゃねぇんだぞという意味を込めて……遠慮なく愛を語り、腕の中の妻を愛でた。
結果。
留美はあわあわと顔を真っ赤にして、はる姉ぇは笑いながら「ほんとブレないなぁ弟くんは!」と俺の肩をぱんぱん叩き、小町は───安心したように、微笑んだ。
「ほんと、あの頃の兄からは考えられないほどの進化ですよ。一時期はひねくれが過ぎて、進化の過程でスプリングマンになっちゃうんじゃないかってほどの変人でしたし」
「おいちょっと? 俺いつから悪魔超人になったの? ひねくれってそういう意味じゃないのよ小町ちゃん」
とツッコんでみれば、作戦成功、みたいなニターっとした笑み。
マア! この子ったら人の国語知識を利用して、ただ兄に説明させたいだけだったみたい!
……そして案の定、腕の中の愛しき妻が「そうだったんだ……」とか感心してらっしゃるし。でも構いません。
俺にとっては既に可愛さの中のひとつです。