どこにでもあるようなガハマさんとヒッキーのお話   作:凍傷(ぜろくろ)

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その夏が暑かったから。

 真夏日。

 まさにそんな言葉が相応しい暑さが続く中、冷房はつけているものの、なんとなく目が覚めた夜。

 自身の誕生日を過ぎた、まさに真夜中の寝室を出れば、むわりと漂う不快な生暖かさが体に纏わりつくような感覚に、うっ……と部屋から出ることを数瞬躊躇する。

 しかしそのまま歩を進めて寝室のドアを閉め……ながら、すいよすいよと眠る結衣の姿ににこりと微笑み、静かにドアを閉ざした。

 こう、きちんとドアノブを動かしてから、静かに閉ざし、ノブを戻して。

 

「さて」

 

 喉が渇いていた。

 となれば、向かう先は最短で階下の奉仕部。

 学生時代を思い出すように武技『ステルスヒッキー』を使用して存在感を消し、足音さえも殺して歩く。

 おお、見よ、気配や音に敏感である犬のポテトにさえ気づかれぬこのシノビアシ・ジツを。

 などと遊んでないで、とにかく階下へ。静かに、寝ている者を起こさないように。

 そうして辿り着いた階下……の、奉仕部にて。

 

「…………?」

 

 気配。暗がりで、ゴゾォと蠢くなにかを発見。

 ゴパチャアと冷凍庫を開けて、漏れる光からなにかを取り出すその姿は…………うちの娘だった。

 またチューベットでも冷やしてたのかあいつは。

 と近づいてみたら、冷凍庫を閉ざす際に見えたのその横顔は───

 

「美鳩?」

「ひうっ!?」

 

 声をかければ、心底驚いたのか素直に跳ねる美鳩の肩。

 すぐに振り向くと同時に戦闘体勢を取るのは、その、なんだ。お前はやましいことでもしてたんかいとかツッコミたくなる。

 

「な、何者……!? ここが喫茶ぬるま湯と知っての狼藉ならば、この美鳩が許さない……!」

「妖怪冷凍庫漁りに狼藉者呼ばわりされる覚えはねーよ馬鹿者」

「……!? ……パ、パパ?」

 

 おうパパぞ。

 言って、冷蔵庫に近づいて開き、水を取り出すと適当なグラスに注いでガヴォガヴォと飲む。

 この冷たさがたまりません。

 暑い日に飲む水っていうのはこう……その、なに? 水を飲むっていうよりはさ、なんというか冷たさを飲む、という感覚に近いと思うのだ。水分はもういいと思ってるのに、冷たいものを喉に通したい……そんなアレな。

 

「で、どしたの。チューベットでも冷やしてたのか?」

「……? No。それは絆の所業。美鳩の夏のpreferito(お気に入り)は…………これ」

「?」

 

 言って、美鳩は冷凍庫から取っていたらしいブツを俺に見せてきた。

 ラベルが剥がされている小さなペットボトル。

 暗くてよく見えないが、お茶……かなんかか? 色がついてるっぽい。

 

「『ア゙アアアェイ! お茶』かなんかか? まあ、冷やしたら美味いよな、あれ」

「No,違う。………………ん。パパ、飲んでごろうじろ」

「いいのか? ってか、プレフェリート……お気に入りだったか。を、簡単に渡していいのかおい」

「代わりはたくさん。ひとつじゃ足りやしない」

「そ、そか」

 

 この冷凍庫には果たして、チューベットと謎飲料がどれだけ詰められているのか。

 しかしまあせっかくなのでミリッ……とキャップを捻り、未開封が確認されたそれをぐびりと飲んでみた。

 するとどうだろう。

 キンキンに冷やされたソレの冷たさ、それと旨味とが口内に走り、次いでシャリッ……とした歯応えが遅れてやってくる。

 

「こりゃ……梅の味か……?」

「Sì。mio preferito,“梅よろし”のシャーベットドリンク……! これの美味しさ、冷たさはたまらないほどジャスティス……!!」

「た、確かにこれは……! んぐっ……ぉ、お、おお……!」

 

 飲むと、口に残るシャリシャリ感が、すぐに溶けて喉を通る。追ってやってくる少し強めな味と甘みがまたたまらず、いやとにかくこれ美味い、なんだこれやばい。

 

「絆にはこの美味しさを受け取ってもらえなかったから、是非ともパパには───」

「んっ、んぐっ、んっ、んっ……ぷぁっは! おぉおお……! いいなこれ……!!」

「───………………飲みっ…………」

 

 美味しくて、つい一気に飲んでしまった。

 するとどうだろう、普段から半眼で眠たげな美鳩の表情が、さらにどんよりと瞼が落ちるような目となり、じとぉとこちらを見つめてきて……

 

「あ……す、すまん、全部飲んじまった……」

「……気にしてない。ストックはたくさんある」

「そ、そか? じゃあなんでそんな落ち込んで───」

「…………シャーベットになるには時間がかかる……。梅よろしは凍るまでが長い……」

「…………なんか…………すまん」

「一口…………飲みたかった……」

 

 うおおやばい……! 美鳩が素直に弱音を吐いてる時は本気で弱ってる時だ……! 暑いもんなぁ最近!

 ていうか元々自分が飲みたくて冷やしてたのに、飲もうとして出した分を全部目の前で飲む親とかどうなの!? ……それこの場合の俺じゃねーか!

 こ、こういう時は……!

 

(開けてみたら偶然もう凍ってました♪ とかは───)

 

 ムチャアと冷凍庫を開けてみる。毎度思うが、冷蔵庫等を開けた時のこの音、なんか……いいと思いません?

 しかし悲しいかな、開けてみたら他の梅よろしが凍ってました、なんて……そんな都合のいいことは起こらない。

 …………ので、既にシャーベット状になっていた絆の熟成チューベットをもらった。無断で。

 

「ふん」

 

 振り下ろしたそれを膝でコパキャアと両断。

 片方は俺が口に、もう片方を美鳩の口に突っ込むと、美鳩の悲しみはとりあえず紛れた。

 

「……絆には内緒な?」

「…………《こくこく》…………《ぱああ……!》」

 

 上機嫌な表情でこくこくと頷かれた。

 俺と秘密の共有、というのが嬉しいらしい。

 ……すまん、八幡悪い子だ。なんとなくそれを期待して、こういう行動を取ってしまった。

 

「けどほんと美味かったな……梅よろし」

「Sì、あの味は他のでは出せない。そして最近の暑さにやられ、連日近くの自販機で購入していたら、二つ並んだ梅よろしのどちらもに売り切れの文字が輝いた……」

「どんだけ買ってんのちょっと」

 

 いや、俺もマッカン箱で買うことあるけど、自販機滅ぼすとかねぇどんだけ? ねぇどんだけなの教えて? ねぇ。

 

「ところでパパ」

「おう」

「最近知った。パパは最強の喧嘩師となにか関係が……!?」

「どこのお兄さん情報だよあるわけないでしょちょっと。声がちょっと似てるかもとか思ってもそういうのはやめなさい」

 

 中の人が同じってだけでそういう行動に出る人結構居るんだから。

 べつに俺の背中に侠立ちが彫ってあったり、拳一つでヤクゥザの組ひとつを潰せるとか、暑い夏にこっそり可愛いカキ氷機とか買って事務所に置いてあったりとかしないからね?

 

「ん、っと。んじゃ、チューベットも食ったし……戻るか?」

「No,美鳩は意地でも梅よろしが凍るまでを待っている」

「う……すまん。絆が来てなにか言い出したら、俺のこと言っていいからな」

「Sì」

 

 素直にこくりと頷く娘を前に、おやすみと言って自室へ戻る。

 階段の途中で絆と遭遇、擦れ違ったが、のちに階下から悲しみの悲鳴が。

 …………このまま部屋に戻るのも気が引ける。

 後日だろうとなにかを買うか奢るかする約束でも───

 

「こうなったらパパのマッカンを別の容器に移して凍らせて喰らうという所業に───!!」

 

 聞こえた声に、慌てて階下へ下りてゆく。

 おいやめろ。

 マッカンは飲み物だからこそいいんだ。

 ソウルドリンクは飲み物じゃなけりゃドリンクじゃない。そうだろう?

 だからやめろ、今すぐやめろ。

 やめ───…………

 

  あ、なんか普通に美味しかったです、マッカンシャーベット。

 

 しかしこの騒動でどうにも眠気が覚めてしまった娘二人は、戻ろうとする俺にモンスターの如く回りこみ、眠気が来るまで付き合ってくれと言う。

 ……まあ、こいつらが大きくなってからは、我が儘は言ってきても叶えてやったことなんてあまりなかったかもだ。

 なので。

 珍しくもあっさり頷いた俺を前に、椅子に座って体を左右に揺らしながら“Cheers”を歌い出した。はたらく細胞の歌だったか。懐かしい。

 眠る気ほんとあるのかって状況だけど、たまにはいいんじゃないかね、こういうのも。

 

「あ、ポテト下りてきた」

「さすがに犬には聞こえる」

 

 おいでおいでと美鳩が手招きすると、ポテトは真っ直ぐに美鳩のもとへ。

 俺がおいでおいでーと言ってみれば、立ち止まって俺を見たあとに、くぅん? と首を傾げた。

 あー……ほんっとに結衣の気持ちがわかる。わかるわー。

 サブレ相手に散々首傾げられてたもんなー。同じ屋根の下に居るのになー。

 

「パパー、わたしと美鳩、これからにゃんこいのBD見るけど、パパはどうする?」

「なんでにゃんこいなのかは知らんけど、俺は部屋に戻るよ」

「むぅ。どうせなら朝まで一緒に居ればいい……」

「困ったことに、朝目が覚めた時にお互いが見えないと安心できないんだよ、俺と結衣は」

「これからの行動を訊きたかっただけなのに惚気られた!」

「パパ、自重……」

「やかーし。それより、静かにな。一応みんな寝てるから」

「ほーれほれ歩泰斗様~、おやつ取ってこーい」

『ひゃんひゃんっ! ひゃんっ!』

「言った傍からお前は……」

 

 投げられたカリカリおやつを前に、ポテトは大燥ぎであった。

 寝起きでそんなもん欲するのは犬くらいだと思う。

 

「よーしよく取ってきたよく取ってきた。食べたい? まだ食べたい? 何個? 二個? 二個かっ、このいやしんぼめっ!」

『ひゃんっ!』

「じゃあいくよ? 二個いくよー? ……キルキルアウナンアウマクキルナンンン……!! これぞ正義の必殺! ゴールデンキャノンボォオーーール!!」

 

 そして盛大にやかましくも元気な我が娘は、妙な構えを取るや二つのカリカリおやつをシュパァーンと発射した。

 追いかけていくポテトはとても楽しそうである。

 

「いやほんと……静かにな?」

「心得た!《どぉーーーん!!》」

「……雪ノ下基準で静かにな」

「……ねぇパパ。ザイモクザン先生基準にまからない?」

「それは静かとは言わん」

「マメマメマメマメ…………」

『《ガリリガリョガリョ》ひゃふっ、ぷふっ……ひゃ、ひゃふ……ゲハッ! ガハァッ!』

「はーいはいはい、美鳩ー? 戻ってきたポテトにひっきりなしにカリカリ豆食わせない」

「犬を飼ってたら一度はやると思うよ?」

「たくさん食べる、うぬが好き」

「自主的に食わせてやれ……。おーいポテトー? ここに居ると酷い目見るぞ? 一緒来るかー?」

『…………?』

「おおもういい、首傾げるのはいいから。強く生きろよ……いやマジで」

 

 大丈夫、なんの心配もありませんよ。

 過去に犬と猫を飼った経験のあるプロボッチャーの八幡さんは、この程度で泣いたりなどしないのです。

 代わりにテーブル上の簡易ベッドで寝ているヒキタニくんを撫でて、心癒された。

 癒されたならばもはや振り返らない。

 階段を登り、寝室へと戻ると、そこですいよすいよと寝ている結衣を……愛でることにした。

 いや、エロォスな意味じゃなくてな?

 こう、きしりとベッドに座って、安心しきって寝ている結衣の頭をソッと膝枕して、もうめっちゃやさしく……撫でまくる。

 ポイントは呼吸に合わせるように行動すること。

 大前提として、ステルスすると一発で目を開けます。

 俺の気配がないのに自分に触れるなにかがあると、ほんと一発で目覚めます。

 なのでむしろ自分という存在感全開で愛でまくる。

 というわけで存分になでなで。

 心底安心しているのか、起きる様子もなく……むしろくすぐったそうにむにゃむにゃ言いつつ微笑んでいる。

 おーよしよし、(かわ)いいこ(かわ)いいこ~♪

 

(ふむ)

 

 こうしてちょこんと胡坐の上に妻の頭を乗せ、枕にしてもらっていると、なんだか役に立ててる感が地味に湧いてくる。

 せっかくなので軽く肩を揉んだり、ツボマッサージを痛くない程度に……

 

「ん、ん……んぅ……んーん……」

 

 で、ここで脱力~……

 

「ん………………ふ、んー…………すぅ、すぅ……」

 

 で、血流がよくなったあたりでやさし~く耳たぶを揉んで、顎の輪郭に沿って触れるか触れないかの低い刺激でマッサージ。

 どうしても勝手に力が入る場所まで脱力させてやると、結衣の体が少しずつ汗ばんでくる。

 風邪を引かん程度にエアコンの設定温度を微調整、と。

 で、あとは……《はぷり》……OH。

 

「………」

「……ん、ふぅ……ん、んくっ……」

 

 人差し指がはぷりと銜えられた。

 しかもなんかちうちうと吸われてる。

 あ、そういやさっきチューベット食った時、指についてから洗ってなかった。

 あ、こらよしなさい結衣! マッサージのためにいろいろ触ったから、多くなくても埃とかついてるかもでしょ!

 やめなさいこらっ! やめっ……ちょ、離して!?

 と、右の人差し指に吸い付いた彼女の口に、左の指を近づけた途端、今度は左人差し指が銜えられた。

 

「………」

 

 これは、あれだろうか。なにかを犠牲にしなくちゃなにかが逃げられない、トラップかなんかなんだろうか。

 お、おう……あれな? 昔の少年漫画とかであった、罠に嵌まった主人公を仲間が助けて飲み込まれちゃう的な……!

 アイスキャンディーかチューベットでもあればどうにか出来たんだろうが……!

 

「…………えーと」

 

 あの。たとえば、それはええと。指以外のものでもよろしいのでしょうか。

 はいここでエロいこと考えた人死刑。

 

(いえ健全ですよ? こんなことは日常茶飯事。そう、愛を確かめ合う夫婦ならばこれくらいは)

 

 ということでキス。

 体勢を変えて、指の代わりにそのー……舌を。

 そしたらはぷりと舌が吸われて、なんの負けるものかと俺も結衣の舌を探り当てると、ぞるぞるとなぞるように舐めあげて───

 ぴりっとした刺激と感覚に頭の中がモヤに覆われたかのように、なんだか思考が鈍っていって、やがて目の前の好きで大事で愛している人のことしか考えられなくなり───

 

  ……そのキスは、結衣が舌からの刺激と幸福とで、何処とは言わないけど登り詰め、体全体を襲う甘くて強い痺れと熱さによって目覚めるまで続きました。

 

 え? それから?

 …………ケ、KENZENデシタヨ?

 けけけ健全だったとも!

 ただまあそのー……熱くなっちゃったから、とても力強く頭を胸に抱き締められたとか、その後にめっちゃ顔にキスされまくったとか、行き場のない情熱を持て余すかのようにとにかく強くきつく抱き締められて、ぐりぐりと胸板に顔をすりつけてきたりとか、散々うーうー言ったあとに、真っ赤な顔で「ばか……はちまんのばか……!」と涙目で言われてしまったとか……うん。

 いえまあそのー……宅のお嫁さん、俺以外が自分の中に侵入することをとてもとてもとてもとても嫌っておりまして。

 ですからなんといいますかそのー……届かざる左の護剣(マンゴーシュ)とか大嫌い。あ、あのジュニアが装着する薄いやつのことです。ローデリア王国の護剣術は関係ありません。

 で、ですからえっと、そういう周期はつまり、体が熱くなろうとも我慢するしかないわけでしてそのー……。

 

「ええっとその……あの……」

「うー……! ふ、ふっ……ふぅっ……! うー……!!」

 

 涙を滲ませて、俺の胸に顔をうずめたまま、じろりと俺を睨みつけてくる。

 ああうんほんとすんません。

 なんか今ヘタなごめんなさいとか逆効果だよな、謝るくらいなら熱くさせるなって話で。

 じゃっ……じゃああれなっ!? むしろ今それ言うかーっ! って感じの冗談でシラケさせるとか、むしろそれで場を冷たくして冷静に───!

 あれ? これ結構いい案じゃなかろうか。

 ……そうな。

 じゃあ───

 

「なんだったらそのー……3人目、いってみるか?」

 

 言ってみた。

 そんな軽い調子で言うようなことじゃないでしょー、ってツッコミがくると確信して。

 ───しかし俺は女性の感情というものを、まだ完璧に把握していなかったのだ。

 結衣の気持ちなら最早完璧と自負していたつもりであったが、“こんな時の結衣”のことまで把握出来ているはずもなく。

 

「……ほんと?」

 

 返されて、“え?”なんて返すより先に───そう。悪ふざけモードから自分を解放するより先に確認を求められてしまい───

 

「おう」

 

 返してしまいました。

 

 

  次の瞬間───

 

 

  ───寝室は、愛の空間と化したのです……

 

 

……。

 

 絆や美鳩が産まれてから、実に十数年ぶりの子を作るための本気行為。

 それは溺れるくらいの愛をもって開始され、事実溺れ、どろどろに溶け合い、娘達が産まれてからも続けていた営みよりなお深く深く重ねられ……続いた。

 やがて互いの絶頂による痺れまでもが二人を繋げているような気分にまでなり、俺達は間違い無く深い愛と繋がりを感じながら……カーテンの隙間から漏れる朝日に目を細めることで、終わりを迎えた。

 体ががくがくで上手く力が込められず、立ち上がるのでさえやっとな二人のまま笑い合い、ちゅ、ちゅ、と何度もキスをしながらゆっくりと回復を待つ。

 回復、といってもジュニアはさすがにもうぐったりと動くこともなく、足などが多少まともに動くようになってからは寝巻きを着直し、二人で浴室へ向かった。

 二人でシャワーを浴びて、上がって、拭いて、着替えて。

 そして───

 

「「…………仕事、休みたい……」」

 

 盛大に疲れ果てた身体で、今日も今日とて仕事の時間までを仕込みで潰すのだった。

 いや、ほらその、な? いたし続けて疲れたので休みますとか最低すぎるだろ。

 なので疲れていようと寝不足だろうと開店は揺るがないのだ。

 と、二人で額をごつんとくっつけ合って、仕方ないよね、仕方ねぇなぁってくすくす笑っている中、コチャリと開いた奉仕部横の仮眠室からゴゾォと出てくる双子姉妹&ポテト。

 その表情は明らかに貫徹のものであり……あれからずぅっと、アニメを見ていたことが簡単に想像できた。

 

「……あー……その。だいじょぶか? 仕事、出来そうか?」

「ね……」

「ね?」

「眠いです……パパ、絆は、絆は……もう、眠くて……」

「……んんん……パパ……んー……パパ、パパー……ぱー…………」

 

 あ、うん。だめだこれ、ダメだな、うん。駄目。

 

「お……こりゃだめだな、ムリそうだな、娘がこの調子じゃ開店とか無理だわ、もうこうなったらどうしようもないわ、努力と根性と腹筋で取り戻せるもんじゃねぇわ」

 

 よし閉店。

 今日は休みにしよう。

 サワヤカに微笑んで、俺は───……臨時休業のPOPでも作ろうとしていたところを雪ノ下に止められ、とてもありがたい説教ののち、ふらふらしながら仕事を始めたのでした。

 

……。

 

 で……そんな日々が大体二週間かそこらは続いた頃。

 夜も順調、今度はきちんと睡眠も取っての営みは続き───本日もさあ仕事だというある日の朝。

 

「………」

 

 一歩を踏み出そうとした時、服をきゅっと掴まれる。

 誰? と振り向いてみれば、顔真っ赤にして俯いたお嫁さん。

 ハテ、何用だろう。もしやただのスキンシップ? 最近毎日深く愛し合ってるから、急に離れるのが寂しいとか───それ俺か。

 じゃあ? ……ああいやともかく。ここからの上目遣いコンボで毎回やられるヒッキーだけど、毎回やられてりゃ耐性もつくってもんです。

 さあ、どこからでもかかってきなさい、などとターちゃんやるより先に、やっぱり話し合いとか時間を作るため、やはり臨時休業のPOPとか作っちゃいたいんだけど……え? あの、どったの?

 

「あ、の……さ、はちまん」

 

 ふるりっ……と震えるように肩と言わず体を小さく弾かせ、彼女は上目遣いをすることもなく……俯いたまま、言った。

 

「なんか……なんか、ね? ……あの……たぶん、きちゃったかも、っていうか……」

「へ? 来たって……なにが?」

 

 ザッパ? ザッパなの? ちょんまげの方が好きだったりするの? あ、それとも聖徳太子? あの憲法の達人の。

 はたまたチャンスにカツラを脱ぐタイプの……いや、むしろ課長がハイレグなあの!? おのれ鍋奉行がぁあぁ!

 つまりそれはカタパルトってことでその原因が中身がロボじゃないことに関係しててつまりはっ……そのっ………………ごめん、俺前座だから。よし! なにひとつわからない!

 落ち着こう。

 来ちゃったかも、というのはええっと。あのー……。

 

「あぁその、すまん。……そういうの、わかるもんなのか? ぁぃゃっ……! 俺が想像してたものとは違うってんならそれはそれでいいっつーか……」

「ううん……あってる、よ……? たぶん……えと、うん……そーゆーこと……で」

「お、おぉお、おおぉ……おう……」

「………」

「………」

「………~」

「《ぎうー》いたいたたいたいたいたい……! な、なんだっ? どうしたっ?」

 

 今度は服じゃなくて脇腹抓られた。

 どしたのちょっと、今の俺いろいろと混乱してるから、普段ならお前の全てにおいてプロフェッショナルなつもりでも、現在はランクが大分下がっちゃってましてネ?

 

「だって……えと……で、」

「で?」

「でか、し…………~……!」

「いや、だってな……! 絆と美鳩の時に調べたんだが、そういうのって少なくとも7日~15日くらいはかかるって、なんかに書いてあった気がするぞ? そんな、馬鹿正直に二週間かそこらでだな───」

「そ、それはあたしだって知ってるよ!? てか八幡より知ってるってば! ででででもっ! でも……なんか、わかっちゃったっていうか……丁度二週間だし、なんか……ほら、その。体の中の大事なもの、なにもしてないのに減っていってる気分っていうか……ね?」

「───」

 

 わあ。

 それはつまり……え? マジって……ことですか?

 自分の中の栄養、子供に流れていってるとか、そういう……こと?

 

「…………」

「《きゅむっ》わぷっ」

「……気持ち悪さとか、だるさは?」

「ぇ、あの……いまのとこ……ない、かな」

「吐き気もない? ほんとか?」

「う、うん。だいじょぶ」

「そか。じゃあ───」

 

 ぎゅう、と抱き締めて、少し屈んで。

 その耳に、優しく小さく、でかしたを届けた。

 

「あぅう……~……!」

「葉山んとこと同じくらいになるかもな。……あ、まだ他のやつには……?」

「あ、うん。一番は八幡にって思ってたから」

「……おう、大丈夫だ。産むななんて言わねーよ。あぁ、まあ、けどな……今度もママさんやママのんが手伝ってくれるとは限らんから、いろいろ忙しくなるとは思うが……相談はしような。じゃなきゃ怒られそうだ」

「あはは……だね」

 

 さてさて、かつての部長サマと後輩はどう反応するのか。

 お義母さんとかママのんは、なんとなくだけどめっちゃ喜びそうな気がする。

 親父とお袋は…………報せなくていいか。やかましそうだし。

 

「……八幡。お義父さんとお義母さんに、報告ね?」

「………」

「……ね?」

 

 やだ……! 俺の行動パターン、ほんとわかってらっしゃる……!

 こうなったらもうどうしようもない。これで知らんフリとか結衣への嘘行為である。

 仕方もなしに「おう」と返し、俺は自分の嫁さんを思う存分抱き締めた。

 と、そこへ、いつもの如く我も我もと娘が順番待ちをするかのように並ぶのだが。

 

「……ぬう!? なにやらいつもと雰囲気が違うような……!? パパ、ママになにかあった……!? もしや緊急事態!?」

「いやおい、由比ヶ浜家の血ってそういうところに鋭いなにかとか備わってんの? なんでわかんのちょっと」

「むふーん! なにせこの絆は皆様の絆であるが故、ママ以上に空気に敏感だといいなぁと日々思っておるのです!」

「思ってるだけなのか……」

「でも気になる。パパ、ママになにかあった? ママの雰囲気がいつもと違う。お報せがあったりする? 悪い方向ならすぐ対処、良い方向なら超ジャスティス」

 

 超ジャスティスってなんだ。え? 正義が正義を超越しちゃってるの? それって正義なの?

 

「いや、あのー……ほら、な?」

「服いらないと思って捨てた!?」

「言葉回しが似てるからってそっちで考えるなアホ。言うから、言うからちと待ってくれ」

「Sì、纏める時間は大事」

 

 ……知らんかった。

 とうに16を過ぎた娘に、弟か妹が出来るかもしれないぞー、とか言うのってめっちゃ勇気要るのな……!

 いやこれっ……ど、どどどどう言ったもんか……!

 え、だって同じ屋根の下で生活しとんのよ?

 つい二週間前から、梅よろしとかチューベットのことで夜な夜なガヤガヤとやりとりしててさ? 実はその夜から結ばれてましたのオホホとか……。

 あ、だめ、これめっちゃ恥ずかしい。

 言った途端に親としての何かが消滅しそう。

 でもどの道わかっちゃうわけだし、世に言う“ほうれんそう”は後回しにするとろくなことにならないと、ぼっち時代の経験で思い知っている。それを抜きにしたって、結衣との将来のためにって必死で働くようになってからは余計である。

 つまりはそのー……逃げ道など最初からなかったんや……。

 

「絆、美鳩。とても大切な話がある」

「拝聴いたします《カッ》」

「一言一句逃さない《カッ》」

 

 抱き締めたままの結衣を解放して、真っ直ぐに、真面目な顔で娘たちを見ながら一言告げると、娘達は姿勢を正して踵をカッと揃えると、そう言った。

 ……なんなのこの行動の早さ。

 俺が結衣を離して話すことがそんなに珍しいか。……やべぇ珍しいわ。

 

  ともあれ。

 

  そうして俺は───

 

  この二人に、どういう状況なのかを───

 

  語ったのです。

 

 すると

 

「ヒィイイイイヤッホォオオオオオオオウッ!!」

「う、宴……! これは宴しかない……! 美鳩に妹が……! 妹か弟が出来る……ついに……! なんたるジャスティス……! 轟然たる我がジャスティスの胎動……!!」

 

 お前は母親が身籠るとブラッディカリスでもぶっ放すのか。

 ああいや、そんなことは今はいい。いいのだ。

 ……どうするかね、この状況。

 と、結衣を抱き締め直しつつ考えていると、雪ノ下が登場。

 ヒャッホウと騒いでいる絆と、おろおろとしながらも喜びを隠しもしない美鳩とをじっくり見たのち、

 

「うるさいわよ比企谷くん。開店前とはいえ、お店の中なのだから静かにしてちょうだい」

「いやお前状況しっかり確認した上で、なんで俺に真っ先にうるさい言うの」

 

 俺に対してのみ大変失礼だった部長さんは、今でも度々辛辣であった。

 と、ツッコミを届けるその視界の先から、一色もやってきた。

 

「今日も賑やかだねー、きーちゃん、みーちゃん」

「さ、最高……さ?」

「最高に……ジャスティス!」

 

 最高らしい。てかなんなの絆、その最高加減。なんで疑問系?

 

「いや、すまん。実際きちんとした確信が持ててるわけでもなくてな。言っていいもんかって悩んだものの、とりあえず娘にはってな」

「……そう。つまりお店の用事というよりは、家族間での話というわけね?」

「いや、まあ……そう、っちゃそうなんだが……店のことでもあるっつーか」

「煮え切りませんね。なんなんですか? 先輩がもごもごしている時って案外どうでもいいことが多いんですから、ズバッと吐いちゃってくださいよ」

「お前ほんと俺に対して容赦ねぇな……。あー、じゃあ言うぞ? そんなことをこんなに簡単に、とか言っても一色の所為ってことで」

「えっ!? なんですかそれずるいです! もごもごしてたのは先輩じゃないですかー! それって先輩の優柔不断をつついたら勝手にこっちの責任にされるようなものですよ信じらんないですサイテーです!」

「えぇっとだな、雪ノ下、一色」

「ええ」

「むー……なんですか、先輩」

「……結衣が、身籠った。三人目。俺の、子供」

「───」

「───」

 

 とりあえず結衣の手をとり俺の耳へ。

 俺は結衣の耳をきゅむと塞ぐ。

 

「なっ……!?」

「えぇええええええっ!?」

 

 雪ノ下が叫ぶとは思えなかったので、主に一色対策。

 塞いだ分だけ防音は出来たが、いやほんと想像に漏れないなこいつ。

 

「さささ三人目って! いつですかいつ仕込んだんですかていうか最近夜中おき出してマッカンシャーベットとかシャリシャリしてたのにいつの間にですかまさかあれ行為の中の休憩だったんですか談話しちゃったわたしの平穏返して下さいサイテーです!」

「お前ほんと演説者向きだって思うわ……よく噛まずに言えるなおい」

「ひっ……こほん。比企谷くん、由比ヶ浜さん。それはその……本当、なのかしら」

「いや、俺もさっき結衣に言われたばっかで、正直頭の中がぽやぽやしててな……」

「あなたのそれは、いつだってゆいがは───結衣さんを抱き締めているからでしょう。大事な話の時くらい離れなさい」

「……そんな四六時中抱き締めてるわけじゃ」

「どの口が言うのよ」

「どの口が言うんですか」

「………………なんかすまん」

 

 仕方なしに離すと、即座に結衣は二人に連れ攫われ、仮眠室へGOした。

 俺はといえば……店のカウンターにて準備をしながら、未だに大燥ぎの娘二人を眺めつつ、苦笑。

 ……親とか義理の家族たちへの連絡は、きちんと確認取れてからで……いいよな?

 ぬか喜びになるかもしれんし。

 ああいや、その。出来るまで、やることやるつもりではあるんだが。

 

「パパ! 絆は考えました! どんな名前にするのかを!」

「パパ! 美鳩は考えた……! どんな名前にするのかを……!」

「ポテトにつけたようなあだ名をつけたら娘といえど覚悟しろ」

「パパ怖いよ!? くぅ……! これは子供が産まれる前に、パパ成分をたくさん摂取しないと嫉妬の戦士にクラスチェンジしてしまいそうだ……!」

「Sì……パパをママ以外に独占されてしまったら、この美鳩とてまだ見ぬキョーダイに嫉妬してしまいそう……!」

 

 いや……そりゃまあ……なぁ。

 確かに産まれてくるのが娘だと、デレデレになる可能性が……なぁ。

 そして息子であった場合は嫉妬に狂いそうな予感が……。

 

「絆」

「ラーサー!」

「美鳩」

「ラーサー……!」

「…………遊ぶか」

「「Wenn es meines Vaters Wille!!」」

「お前らほんと自由だよな……」

 

 でもいい。遊ぼう娘達よ。準備、しながらな。

 こいつらの言う通り、産まれるのが娘であれ息子であれ、こいつらを時折寂しくさせる時は絶対にあるだろう。

 ならばこいつら言うところの成分? とやらは、補給しておいて損はない。

 ほら、俺もあれだし? 結衣が子供にかかりっきりになったらモヤモヤするだろうし?

 なのでとりあえず歌った。

 恥ずかしさなど置き去りにして、童心を取り戻す勢いで、準備をしつつ、かつふざけながら。

 のちに雪ノ下が額に手を当てながら溜め息を吐くなんて状況になったり、一色に「先輩……三人の親になるっていうのに……」とか呆れられてもまだ、俺は子供にやさしいパパであろうと努力を惜しまぬ決意をここに。

 

  あ、ちなみに。

 

  はる姉ぇにはあっさりと雪ノ下から連絡が行って、その日の午前中だってのにものすげぇ速さでママのんとともに来訪しました。

 

 ママのん経由でママさんにも連絡が行き、めぐりん先輩には一色から。

 そんな感じで俺が報告するまでもなく家族ネットワークは広まり、開店した喫茶ぬるま湯は昼の部で終了。

 こうまで臨時休業が多い店って、きっと他にない。

 それでも客が多いってんだから、ほんとお客様には感謝です。

 ただし結衣に色目を使う野郎は除く。

 

  で。

 

 ただ今現在、ぬるま湯の店側の席はぎっしりと知り合いで埋まり、口々におめでとうを届けられるわけだが。

 

「葉山……なにお前、暇なの?」

「雇い主がここに来いって言うんだから仕方ないだろ……! 俺だってなにがなんだかって気持ちだったよ……!」

「いや……そういやそうか、なんかすまん」

「ていうかその。君、まだそういう……その、夜の行為、してたんだな。ほら、俺達にはいろいろ事情があって遅れたのはあったけど……」

「普段から、まあ、な。さすがに危険な時には我慢するんだが、お前と三浦のこともあって、ほら、その…………三人目、どうだ? ってことに……なって、な」

「そ、そうか。けど、助かるよ。言っちゃなんだけど、こっちも子供がって時に知り合いのところにもってなると、優美子も安心出来るだろうし……子供にも友達が出来るかもしれない」

「俺は逆に心配だけどな。絆と美鳩がコミュ力発揮するタイプとなると、次の子供がぼっちになる可能性とか……」

「怖いこと言うなよ……そういうのは経験者が引っ張ってあげなきゃだろ」

「あほ、ぼっちに引っ張るもなにもねぇよ。ぼっち相手に一番有効なのは、引きこもってる場所まで自分から行って、問答無用で一緒になってやることだ」

 

 経験者は語ります。

 いやほんと……自分で行くって決めた女子って強いからね?

 ぼっちの理論なんていろいろ崩されちゃうから。

 

「ま、なんにせよ安心してそーでよかったんじゃねぇの? お前の奥さん」

「……あぁ。優美子、嬉しそうだ」

 

 飲み物を注文してカウンターに座る葉山は、後ろを軽く振り返った自分の肩越しに、結衣と楽しそうに笑う自分の奥さんを見た。

 俺も楽しそうに笑う結衣を見てほっこり。

 

「……ほれ、マッカン」

「……ああ」

 

 葉山が注文したのはマッカンとブラックだ。

 いつもの、とは言わないが、俺はブラックを、葉山はマッカンを手に、軽くカップを合わせ、冷たいそれを一気に飲んだ。

 

「うげぇっ……苦ぇ……!」

「う、っぐ……! 甘っ……!!」

 

 いい加減慣れろと言いたいが、それはおそらくお互いにだ。

 けどまあ……それも、これをやるたびのいつものことだ。

 

「俺は君が嫌いだ」

「こっちの台詞だ、馬鹿野郎」

 

 “これからもよろしく”を言い換えたような気安さで、俺達は笑う。

 これから起きることなんてわかる筈もないんだが、まあそんなことはいつだって言えること。

 起きるなにかに備えることは出来るんだから、俺達は今までの経験を糧に、それらに備えて……余裕の時は、こうやって笑っていよう。

 

「で? お前はどっちが産まれると思う?」

「娘……かな。なんとなく。そっちが男の子だった場合、恋人になったりするんだろうか」

「娘が可愛いと、今笑顔で言ってる言葉を後悔する日が絶対くるぞ」

「それって、娘はやらんぞ、みたいなやつか? はは、いいな。君の息子相手ならそういうのもやってみたい。逆にきみのところの子が娘だったら───」

「娘がきちんと惚れない限り、絶対にやらん。絶対にだ」

「はっ……くっ……はははは……! あ、ああ、お前なら絶対にそう言うと思ってた」

「はあ……そーかい」

「ははははは……はぁ、ほら、奥さん呼んでるぞ? 行ってあげなくていいのか?」

「あんまりからかうつもりなら、また双子けしかけるぞお前……」

「やめてくれ、二人には悪いけど嫌な予感しかない」

 

 もう、意識して目を腐らせることもない。

 今はただ、喜びと楽しさばかりを胸に、ゆっくりと幸せな日々を噛み締めていよう。

 

「ヒッキー!」

「おー。……呼び方戻ってるぞー」

 

 こんな、眩しくて温かい、ぬるま湯の中で。


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