どこにでもあるようなガハマさんとヒッキーのお話   作:凍傷(ぜろくろ)

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解り合うことの価値②

 カララ……。

 

「……ヒッキー」

「……おう」

 

 雪ノ下が呼んだんだろう。

 由比ヶ浜がおそるおそる入ってきて、雪ノ下は……居なかった。

 

「ゆきのん、先に帰るって」

「そか」

「えと……ゆきのん、顔真っ赤で……嬉しそうでさ。……どんな話、してたの~……って、訊くのはずるいよね」

「……そだな。隠すようなもんでもねぇとは思うけど……由比ヶ浜、お前には雪ノ下が言うだろ」

「……そっか」

「おう」

 

 しかし、驚いた。あの雪ノ下が俺に……ね。まだ信じられん。

 

「ヒッキー顔真っ赤……キモい」

「うわ、まじか……どんだけ嬉しかったんだよ俺……」

「…………嬉し……かったんだ」

「そりゃそうだろ、なにせ雪ノ下だぞ? まさかとは思ったが……」

「…………」

「……? 由比ヶ浜?」

「……ヒッキー……」

「? おう」

「ゆきのんがさ、自分の言いたいことを全部伝えたから、って言ってた。ヒッキーはそれが嬉しかったんだよね?」

「ああ。きちんと受け取ったしな」

「それって……同じ気持ちだったってこと?」

「あー…………ああ、まあ、そうなる……のか?」

「…………」

 

 え? いや、ちょっと待て。なんでそんな泣きそうな顔してんだよ。

 え? そんなショックなの? い、いいじゃねぇかよ、俺がそんな夢見ちゃいけないの?

 

「ぁ…………ぇ、と……あ、あはは……そ、そっか……そっかぁ……。よ、よかったね、ヒッキー……おめで……とう……」

「お、おお……? あんがと……でいいのか?」

「いいんだよ……うん、それで……きっと……。や、やー、でもさ、ちょっと意外だったかなー。ゆきのんがまさか、そんな……」

「だな……俺も意外だった」

「あ、あはー……そだよねー……」

「おう……」

「うん………」

「………」

「………」

「由比ヶ浜は……俺に、なにか言うこととかはないか? 今ならなんでも聞いてやれるぞ。逃げも隠れも隠しもしねぇし……なんかな、今、すっげぇ気が楽なんだ。お前と雪ノ下相手なら、隠し事とかしなくていいのかもとか……そう考えたら、な……」

「ひっきぃ……」

 

 心を打ち明けるって、すげぇな。本当にそう思う。しかもそれを受け取ってもらえるなんて、思ってもみなかった。

 絶対に拒絶されて、キモがられて終わるんだと思ってたのに。

 ……でも、どうしてなんだろうな。俺は嬉しいのに、由比ヶ浜は今にも泣きそうな顔で笑っていた。

 

「ど、どした? なんかあったか?」

「うん……とっても……とってもさ、大事なものを……さ。諦めなきゃいけないかもなんだ……。ううん、諦めなきゃいけないんだよね……もう、選ばれちゃってるならさ……」

「……由比ヶ浜?」

「なにやってんだろねー、あたし……あはは……。いっつもあとになってああしておけばーって思ってさ。空気読んで、後手に回って……さ。そんでさ、大事なものばっかり残らないでさ……」

「……その。俺に出来ることなら、相談に乗るが……」

「無理だよ……絶対困らせるって解ってるもん……」

「んじゃあ、奉仕部に依頼ってことにしとけ」

「……奉仕部に…………そっか、そっかぁ……。でもさ、無理なんだよヒッキー……。相談なんて出来ないんだ……。だって、さっきゆきのんがさ……恋愛に関連する相談は、受け付けないようにって……さ」

「……! ちょっと待て、お前の相談って恋愛事なのか?」

「…………っ……、ふっ……く、うぅ、うぅうう~~~……!!」

 

 訊いた途端、由比ヶ浜の目からぽろぽろと涙がこぼれた。

 どうして、なんて訊ける雰囲気ではなくて、俺はそろそろ頭痛までしてきた病状に歯噛みをしながら、状況に踏み込む決意を固める。

 普段なら面倒だだの言って関わろうともしないんだろう。……が、相手が雪ノ下や由比ヶ浜なら別だ。

 自分の心ん中ぶちまけて、それを真っ直ぐ受け止めてくれた二人だ。二人の願いなら小町級に聞いてやりたいって思っている。これが心を許したって状態なのかは知らんけど、はっきり言えることは一つだ。自分が原因だろうが、いやむしろ、自分が原因なら涙なんて見たくねぇんだよ。出来ることがあるならなんだってやってやる。

 ……熱の所為で自分をコントロール出来てねぇけど、ともかくそう思ったんだ。躊躇する理由は全くないまである。

 

「だったら、そのっ……お、俺が聞いてやりゅっ……ぐっは……! き、聞いてやる。悩んでること全部ぶちまけちまえ。なんでもいい。思考が鈍ってる今がチャンスだぞ……どんなことでも言ってみろ……」

 

 と言ったものの、ぐわんぐわんと世界が揺れる。あ、やばい、これ相当やばい。保健の先生まだ?

 

「………………じゃあ」

 

 そんな世界の中で、由比ヶ浜が涙を流しながら、笑った。

 そして言うのだ。「けじめ、つけさせて」と。

 それだけでいいから。それで終わりにするからと。

 だったら、きちんと聞かなければいけない。

 なんのけじめかは知らんが、由比ヶ浜には大事なことなんだろう。それを邪魔するほど野暮じゃない。ならちゃんと、聞く姿勢を。

 

「……比企谷八幡くん」

「……おう」

 

 フルネームで呼ばれた。

 途端、“空気”を支配された気がした。

 とてもやさしい、居心地の良い空気だ。

 そんな世界の中で、彼女はとても綺麗に笑い、俺へ向けて……言ったのだ。

 

「……ずっと。ずっと好きでした。ずっとあなたを見ていました。……っ……あたしと…………っく……ひぅっ……えぐぅうっ……~~~っ……つき、……付き合って……くださいっ……!!」

「───……」

 

 真っ直ぐな、とても真っ直ぐな気持ちが、胸に届く。

 ぼっちとして構えていた、勘違いしないための“言い訳の盾”なんて役にも立たない。

 なのに由比ヶ浜は途中で溢れ出る嗚咽に襲われ、綺麗な告白はまるで、“振られることが確定した告白”のようなものになってしまった。

 ……そう、皮肉にも……俺が海老名さんにそうしたように、聞けば本気なのかもって思ってしまうようなものなのに、そこには別のものが混ざっているように感じてしまう。

 俺のは嘘。由比ヶ浜のそれは……悲しみだった。

 

「ひっ、うぇぅっ……っく……! やだよぉ……やだよぉぉお……! こんな空気……読みたくないよぉ……! なんで……どうしてぇえ……! うあぁああああん……!!」

 

 やがて、そんな悲しみが完全に嗚咽に変わり、由比ヶ浜は泣き出してしまった。

 ……俺は、どうしたら……? つか、え? 由比ヶ浜が俺を好き? いやいや……え? まじ? じゃあなんでこの娘ったら泣いてるの? もしかして罰ゲーム? それが悲しくて泣いて……って、んなわけねぇだろ。

 自惚れていいなら、俺達の関係はそんなものじゃないって断言出来る。

 今さらそんな、俺への罰ゲームで告白、なんて状況で泣くようなことにはならない筈だ。むしろその場合、泣くのは俺だけで十分な筈だ。

 

「……由比ヶ浜。訊いていいか?」

 

 ……頷く。喉は嗚咽で塞がれ、喋ることすらまともに出来ていない。

 

「俺のことが好きって、本当なのか?」

 

 ……頷く。涙がこぼれ続ける瞳で俺を真っ直ぐに見て、何度も、何度も。

 なんて悪趣味。

 いや、由比ヶ浜がじゃなくて。

 泣きながら、それでも自分を好きと言ってくれる由比ヶ浜が、綺麗だって思えてしまった。悪趣味だろ、こんなの。

 って違うだろばか、今はそんなことよりも出来ることがある筈だ。

 もう勘違いだとか言って、自分を傷つけないための盾を構える必要なんてない。

 俺はもう、結果がどうあれ雪ノ下と由比ヶ浜を信じてみようって思ってる。

 加えてこの告白……正直うそだろって言いたい気持ちもあるが、女の武器が涙だからってこんな辛そうな涙が武器になっていい筈ねぇだろ。

 だから。……だから。

 

「───、は、あ……」

 

 頭が痛む。が、そんなものも後回しだ。

 そう、“だから”だ。俺は本当に由比ヶ浜に想われていた。恐らくはずっと、クッキーの依頼に来て、最初からヒッキー呼びだったもっと前から、いっそ言ってしまうなら、あの事故の頃から。

 ……まじかよ。一年以上も人を想うって、どれだけ我慢強いんだよ。しかも相手は俺だぞ?

 そんな想いを暖め続けて、今日告白してくれた彼女が……どうしてか泣いている。

 息を吐き、黙している俺を見て、次第に表情が歪んできて、一層に涙が───

 

「っ───」

 

 それを見ていたら、じっとなんてしていられなかった。

 あとでどうキモがられようが謝って許されるなら謝るから、今は───!

 

「《ぐいっ!》ひゃあっ!? あ、あわっ《ぎゅうっ!》ふあっ……!?」

 

 ベッドを軋ませ、由比ヶ浜の手を取り、引き寄せ……抱き締めた。

 見ていられなかった。お兄ちゃんスキルがだのどうのと、言い訳ならいくらでも出せるが、今回ばかりはほうっておけなかったから、自分の意思で引き寄せた。

 そして抱き締め、頭をぽんぽんと軽く叩いてやる。

 

「ひぃぅっ……うっく……や、やめてよ……! やさしくしないでよぉ……! あたしっ……あたし……ひっきぃのこと、諦めなきゃ……あきらめなきゃいけないのに……!」

「……いーから、まずは落ち着け。なんでいきなりそんな、やけっぱちみたいな状態になってんのか知らんが……今のお前、その……」

 

 ここで離したらヤバイ。そう思えた。

 なにもかもが嫌になって、とんでもない行動に出る。ほぼ確実にだ。

 だから、言葉の割りに抵抗もしない由比ヶ浜を宥めるようにやさしく抱き締め、どうしてこうなったのかを考える。

 

「ひっきぃ……ひっきぃいい……!」

 

 やがて由比ヶ浜は、捨てられた子供がすがりつくように、俺の胸に顔を埋め、こすりつけてきた。

 俺は……涙が制服に滲んでいこうと構わず、そんな由比ヶ浜の頭をゆっくりと撫で続けた。

 

「……あたしね、ひっきぃのこと……好き……好きなの……」

「……おう」

「でもね……ゆきのんのことも好き……。ヒッキーに恋人が出来るとしたら、相手がゆきのんなら諦められるって……きっとおめでとうって言えるって思ってたのに……っ……ねぇ……ひっきぃ……苦しいよぅ……辛いよぅ……!」

「………」

 

 ん?

 恋人……ん?

 雪ノ下? …………ん?

 

「いや、お、おう? あ……おう? ちょっと待て、いや待ってください。いや、いや…………───」

「……? ひっきぃ……?」

 

 ……。パニック状態のヤツに正直なことを話して、果たして通じるのだろうか。

 いや、無理だろ。こいつのことだ、“えへへ、ヒッキーはやさしいね”とか言って信じないだろう。

 じゃあどうする。なにをどうしてやればこいつは安心出来る。

 告白経験なら人一倍あるつもりではあるが、こんな状況での告白なんて八幡知らないよ。

 けど───やらなきゃいけない時ってのが人にどんだけあるかは知らんけど、今はその時だ。失敗は……許されないし、俺が許せない。

 ……よし。やることは決まった。実行する覚悟もだ。拒絶されたら死ねるなこれ。ああ、それもいいだろう。

 

 Q:自分のちっぽけなプライドよりも優先したいものが出来ました。あなたならどうする?

 

 A:即座に実行に移り、俺が出来る全てを以って……───

 

「由比ヶ浜」

「ぐすっ……ひっきぃ……ひっきぃい……」

 

 胸にすがりついてきている由比ヶ浜の肩を掴み、目を合わせるために引き剥がそうとする。

 

「! やっ……やぁっ! やぁあああっ!! ひっきー! ひっきぃいっ!!」

 

 まるで駄々っ子のように泣く姿がそこにあった。驚いて手を離せば、必死になって俺に抱き付いてくる。

 ……十分だ。ここまで想われてりゃ、躊躇もなにもないわな。むしろこれが勘違いだったら世界の在り方がおかしいって断言するね。

 

「由比ヶ浜……おい、由比ヶ浜」

「ひっ、ひっく……! ごめ、ごめんね、ごめんねひっきぃ……! ちゃんと、ちゃんと諦めるから……がんばるから……! あとすこしでいいから……だからっ……」

「……~~……」

 

 ……祈る相手が居ねぇ。小町でいいか。小町、俺に力を貸してくれ。

 どうしても躊躇が走るが、もう決めたことだ。迷わない。よし、いけ。

 

「すぅ、はぁ───んっ!」

 

 ぐっ……と。由比ヶ浜の肩を押し、一気に剥がす。

 もう一度見たその顔は、絶望と喪失がそのままそこにあるようなもので───しかし。そんな顔のままの彼女に、何も言わずにキスをした。

 

「……、…………え?」

 

 戸惑いの声は聞かない。

 その上で、引っ叩かれても構わんという覚悟の下、唇だけではなくいろいろなところへキスを落とす。

 戸惑いが呆然に変わり、呆然が驚きに変わり、驚きが爆発しそうになる頃、もう一度唇を奪った。

 

「んんんっ!? んむぅうっ!!」

 

 押し退けようと動くも、そこに力なんてろくに入っていない。

 俺は遠慮なくキスを続け、頭を撫で、背を撫で、やがて舌で口内を侵食し始める。

 

「~~~っ!?」

 

 これには当然驚き、体を暴れさせるも、やはりそこにも力はなく……やがて抵抗が消え、おそるおそる近づいてきた舌に舌を絡め、じゅるると吸ってやると、口を密着させたまま叫び、力を抜いた。

 

「あ、あぅぅ……は、ふあぅ……っ……ひっき……ぃぃ……うぅ……」

 

 くてりと力を抜いている由比ヶ浜をやさしく胸に抱く。

 どうして力が抜けたのかは知らんが、その姿をやさしく抱き締め、撫でて……伝えたかった言葉を届けることにした。

 

「……いきなりすまん。迷惑だったならあとでなんでも聞いてやる。……けどな、まずは落ち着いて聞いてくれ。なんか誤解があったのかもしれんが……俺と雪ノ下、べつに付き合ってるとかじゃねぇぞ?」

「ふえ……? でも……」

「いや、まあ嬉しかったのは確かだが───言われたのはアレだから。“友達になってください”だから」

「───………………え?」

「いや、これまで二度ほど俺から言ってはみてたんだが、どれも断られててな。だから今回、雪ノ下から言われたってのが嬉しくて」

「え……? え……? ひっきぃ、ゆきのんと恋人同士になったんじゃ……」

「おい待て、どうしてそうなるんだよ……。俺と雪ノ下がとかあるわけねぇだろ。お前は雪ノ下さんかよ」

「だって……だって……」

 

 震えながら、ぽろりと涙をこぼし、もう一度抱き付いてくる。

 静かに抱き付いてきたその身体は震えていて、とても小さくて、頼りなくて。だからだろうか。だからだろうな。頭を撫でる手も一層にやさしくなって、やがて由比ヶ浜も安心したように嗚咽を潜めてゆく。

 

「だだだ大体、勘ちゅっ……か、勘違いかもしれないとか思っていたとはいえ、好意をその……持ってくれてるかもって思ってるヤツをほっといたまま、誰かの告白を受け取るとかありえねーよ。そういうのはよ、その、あれだろ。ちゃんと決着つけてからだろ。じゃねぇと自分が許せなくなるだろうが」

「~~……ひっきぃ……ひっきぃいい~~……!!」

「《ぎゅうう……!》お、おい……」

「いいの……? あたし、諦めなくて……いいの……?」

「ああまあその、なに? お前さえ嫌じゃなけりゃ……いいんじゃねーの? いや、あー……さすがにこれはねぇよな。ん、んんっ! えぇっと、だな……その。今から返事するけど、いいか?」

「え…………───え!? 返事って……うひゃわぁっ!? そういえばあたし、勘違いですっごいこと…………え? ひっきぃ……キス……え? …………───あ《ぽろぽろぽろ》」

「……おい……告白する前からそんな嬉しそうな顔で泣くんじゃねぇよ……。つか、ほんと、悪いな……。絶対に成功するって確信が持てなきゃ告白も出来ねぇなんて」

「ひっきぃ……! ひっきぃいい……!!」

「いや聞きなさいよ……」

 

 胸にこしこしと顔を擦りつける由比ヶ浜は、さっきから“ひっきぃ”としか言わない。可愛いなちくしょう。そして俺の制服が涙でびしょ濡れだ。

 

「ん、んんっ!」

 

 そんな彼女に今から告白。……マジか。

 ……あー……うわ、今までで一番緊張するぞこれ……つか、今までの俺の告白って、告白っつぅか言いたいこと言ってすっきりしてただけなんじゃ……? え? まじ? これが恋?

 いや、だってよ、あれじゃん? 今まではちょっとやさしくされたら“こいつ、俺に気があるんじゃ?”って思った程度で告白だったわけだ。

 それがなに? 今これあれでしょ? 誤解で泣くほど、抱きついたら離れたくなくなるほど、泣き叫ぶほど好きでいてくれる相手に、今から告白するわけでしょ?

 ……ああ、なるほど、こりゃ次元が違う。勘違いの恋よりよっぽどレベルが高いわけだ。そりゃ、告白にも勇気が要る。

 “恥ずかしいから”って、逃げるための言い訳がどんどん浮かんでくる。

 なのに、そのずっと奥。孤独で居ても人が避けて通る自分が、ずっと暖めていた言葉は……そんな勘違いと言い訳の奥底でずうっと眠っていた。

 それをやさしく掘り返して、口にする。

 難しいことじゃない。孤独だったからこそ口に出来る、ぼっちとしての最高の告白を。

 

「……由比ヶ浜結衣さん」

「っ……《びくっ》」

「……“ずっと、俺の傍に居てください”」

 

 それは、ぼっちの究極だ。独りを好み、馴れ馴れしさを嫌うぼっちが、あろうことか自分から隣に人を置くという、ある意味ぼっち失格の言葉。

 けど、結局はそれなのだ。俺が出来る限界。

 絶対幸せにする約束なんて出来ないし、泣かせないなんて言葉だって嘘くさくて言えやしない。

 持つ者が持たざる者に、なんて俺には無理なのだ。

 俺に出来ることなんて、隣に居てくれる人を自分が引いた線の内側に招き入れることくらいだ。

 誰でもいいわけじゃない。

 そんなくだらない選り好みだけが、ぼっちに出来る、他の人から見れば捻くれているだけの歩み寄りなのだ。

 好きって言うなら誰でも出来るし、たぶん……海老名さんにそうしたように、いくらでも言えてしまうのが俺なのだろう。

 しかし傍に居てくれ、と言うのでは意味がまるで違う。

 好きだと言って振られるならいい。愛してるって言って鼻で笑われるのだっていいだろう。

 それでも“傍”だけは軽々しく言えはしない。

 勝手に近寄って馴れ馴れしくする存在がどれだけ居ようとも、自分から傍に居て欲しいと望む人など、ぼっちにとっては特別中の特別だからだ。

 

「……いいの……? ゆきのんじゃなくて、いいの……?」

「お前な。デートだろうとどうだろうと、こういう時って他のやつの名前出さないのがルールとかなんじゃねぇの? え? なに? それもしかして遠回しに振ってる?」

 

 この情報は小町の提供でお送りします。……ああなんだろな、“女の子はいいの!”とか言いそうだな。

 なんて、恥ずかしさを誤魔化すように頬を掻きながら思っていると、由比ヶ浜がより一層強い力で抱き付いてくる。

 

「やっ、やだっ……! 振ってなんかないよっ!? ほんとだよっ!? あっ……でも、えと……ほ、ほんとに? あたしでいいの?」

「おう。つか、お前“で”じゃなくてお前“が”いい。そもそも俺に選べる余裕とか権利とかねぇよ。言っとくけどお前、俺アレだから。自分で言うのもなんだが受動的な男だから。異性に告白とか、確信持った上に、その、相手からされなきゃ出来ねぇっての」

「……じゃあ、さ。もしゆきのんがさ。友達に、じゃなくて恋人にって言ってたら……?」

「あ? あー……ならないだろ。今のあいつじゃ」

「え?」

 

 そう。それは確信が持てる。

 なんにでも兆候ってものはあるもんだ。俺はそれを少しずつ感じ取っていて、そんな俺が歩み寄ったからこそ、それもまた近づいてしまった。

 いっそ嫌われたままの方がよかったのかもしれない部分も無いわけじゃないって……なんで思わなきゃなんないんだか。

 ああ、ぬるま湯は気持ち良いな。外気も合わさって丁度いい感じだったらもう最高な。

 けどまあ、浸かったままじゃまずいぬるま湯だって当然あるのだ。

 べつに水被ったら女になるとかブタになるとか、そんな奇跡の温泉の話をしているのではなく、状況的な意味だ。

 

  ───修学旅行の時から引っかかってはいた。

 

 由比ヶ浜でさえ訊ねてきたのに、あの雪ノ下が、俺の、中身も話さない提案にあっさりと乗ったこと。腹を割って話し合った途端、友達になりましょうと言ってきた違和感。

 嬉しくはあった。もちろん了承もしたし友達になったことで、痛む頭を抱えながらも喜んだりはしたのだが。

 そんな、見たことのなかった雪ノ下を見て思ったのだ。

 あれは残酷だ。もし誰かが今のあいつを好きになったとして、それが誰であろうとその想いは叶わないだろう。

 ある種の信頼の形でもある。が、そこに俺や由比ヶ浜が望むような信頼があるかといったら……恐らく、そんなものはないのだ。

 だから。友達にはなれてもその先は絶対にない。

 あるとしたら、あいつが今の自分の状態を自覚をして、自分できちんと変わりたいと思わなければ───……うわあ、なにこれ、どんだけ時間かかるブーメラン投げてんのあいつ。

 雪ノ下ー? 雪ノ下さーん? あなたこのままじゃ成長出来ませんよー?

 ……いや、自覚だの自分でだの、いちいち待つ必要はない、か? 真正面から堂々と言ってやればいい。

 それに俺、ラノベでよくあるあの“これはあいつ自身が気づかなければ意味がない”とか嫌いだし。なにあれ。確かに考えることは大事かもしれんけど、それでなかなか解らなかったら勝手にキレて“どうしてそれが解らないんだ!”とか言いだすんだろ? 理不尽じゃねぇか。それならさっさと教えて考えを纏める時間にさせてやれよ。

 

「なぁ、由比ヶ浜」

「う、うん。……ぐしゅっ……なに? ヒッキー」

 

 何故か最後まで俺の制服で涙を拭った由比ヶ浜が、胸に抱きついたまま顎を持ち上げて俺を見上げてくる。───やだ、可愛い! いや落ち着け俺、惑わされるな俺。こんな時に隙のある発言や行動や反応をしてみろ、すぐに手の平を返したような“ヒッキーキモい”が───!

 

「………」

「………」

「…………ヒッキー?」

「《すりすり》ひゃいっ!?」

 

 キモいどころかすりすりされちゃってますが!?

 あれ? つーか俺の告白どうなったの? いや、そりゃものすげー傍に居てくれてますがね? え? でもやだ、言葉がないと八幡不安。

 不安だけど手を伸ばして、頭を撫でても嫌がられない。

 ……そういうことで、いいのだろうか。

 つか、文字通り熱に浮かれてというか、熱に浮かされて、いろいろとんでもないことやってるよな、俺。

 あーうん解ってる、八幡解ってるよ。これ絶対健康になったら頭抱えて悶絶するわ。

 

「あーその……アレ、アレな」

「?」

 

 やばい可愛いどうすんのこれ可愛い撫でられたらキモいとか言うと思ったのに可愛い離れもしないよ可愛い。

 つか落ち着かせるためとはいえキスまでしたのに嫌がりもせずすりすりって反則なんですが可愛い。

 え、えー……俺、これどう反応すりゃいいの? あ、頭撫で、OK。見つめる、OK。勢いだったがまあその、キスもそのー……OK?

 いやそういうことじゃなくて。雪ノ下のことだよ。

 

「ん……」

 

 纏めよう。目を閉じて俯いて、思考を回転させてゆく。

 雪ノ下は恋愛ごとに関しては請け負わないって言ったよな。つまり友情ごとなら請け負うってことで《ちゅっ》───あらいい匂い。そして唇がやわらか───って!

 

「んぶぶふむっ!?(訳:由比ヶ浜っ!?)」

 

 目を開ければ由比ヶ浜のドアップ。

 そして一度では終わらないそれは、「はぷっ……ん、ふっ……ちゅっ……はふぁっ……ひっきぃ……」と連続で俺に襲いかかり、思考する隙を与えずに降り注いだ。押し退けようとしても、気づけばなんとやらというのか、体に力が入らない。あ、やばいほんとやばい、頭がぼーっとする。いやキスの所為じゃなくて、これ相当悪化してるよね?

 ていうかそもそもなんで俺、いきなりキスされてるのん? 俺ただ考え事を……あ。

 そういえば見上げられて、“ん……”とか言って俯いて目を閉じて考え事を開始した。こう言っちゃうのもなんだが、“ん……”って恋する乙女がキスをねだるのによく使われる言葉ではございませんか? いやあそれにしても本日はお日柄も良く、顔も身体も暑くてぐわんぐわんしますね。

 もっともっとと身体ごと押し付けてキスをしてくる由比ヶ浜に、力を込められない身体はやがて、ぽすんとベッドに沈む。それでも由比ヶ浜は離れず、横から俺に覆いかぶさるようにしてキスをしてきた。

 いやちょ、これ……ちゃうん!? これっ……やばいんとちゃうん!? こんなところ偶然やってきた人とか保健の先生に見つかったら異性交遊問題でいろいろと……!

 すぐにそう思い到って由比ヶ浜を押し退けようとするも、本格的に力が入らない。どころかボディタッチ的なコミュニケーションをされたとでも勘違いしたのか、由比ヶ浜は嬉しそうに、かつ優しい笑みを浮かべた。

 あ、やばい。小町ちゃん、お兄ちゃん女性が捕食者とか言う言葉、今なら信じられるかも。いや、由比ヶ浜ががっついてるとかそういうんじゃない。むしろ相当に乙女で可愛らしく、さっきから俺の心臓も跳ね上がりっぱなしだ。

 問題なのは俺がろくに力を入れることも出来ないところにあって、そんな状態の俺にとろりととろけた幸せ顔でキスをしてくる女性を、他にどう喩えればいいと? …………天使か。天使だな。

 

「《ちゅっ》んぷっ……ま、待て、ゆぃ《んちゅっ》はむぷっ!? ゆ、ゆい《ちゅるっ》ぷはっ、ちょ、ちょ《ちゅー》んむー!?」

 

 喋ろうとすると塞がれる。つか、由比ヶ浜って言おうとすると“ゆい”の部分で塞がれて、なんだか目の前の女性の名前を連呼しているようで滅茶苦茶恥ずかしい。

 え? そんなのどうってことない? 考えてもみろ、いやこっちの立場になって考えてみろ。キスされて、相手の名前を呼んで、キスされて、名前を呼んでなんて、どこのバカップルだよ。むしろ俺がねだって求めてるみたいじゃん。

 確かにこんな、自分のことを強烈に好きでいてくれる“恋人同士”に憧れなかったわけじゃございませんよ? むしろ心の中とか幸せすぎて未だに状況に追いつけずに戸惑っておりますよ。だから頭の中整理したいのに熱の所為なのかぼーっとするし、それでも纏めようとした考えがキスで破壊されるし。

 つまりほら、なにが言いたいかっつーとさ。

 

「……好きだ」

「───!《きゅんっ……》…………ひっきぃ……」

 

 全部纏めて今言いたいことを言うとしたら、なにより優先されるのは結局それだった。

 過去の自分は惚れやすかったと自覚している。今の自分は惚れないようにと気を張っていた部分もあったと自覚している。

 だがそれでも気になる人は当然居て、自分から俺なんぞに近寄ってくる女性といったら由比ヶ浜くらいで。……そんなやつ、心ん中で無意識にだろうが気に掛けない男が居たら本気でスゲーわ。

 

「ひっきぃ……ひっきぃ……! あ、あたしもね、あたしもっ……好き……好きなの……! 大好きで……っ……大好きだから……!」

 

 落ち着いたと思っていた涙がまたこぼれる。

 傍から見れば由比ヶ浜にベッドに押し倒されているような状況。俺の顔の横に手をついて、上から見つめてくる彼女の涙が、ぽつんぽつんと降ってくる。

 ああ、ええっと……言うなら今だな。さすがにこれ以上は状況的にまずい。

 

「……それで、なんだけどな、由比ヶ浜。雪───」

「……ひっきぃ、あのさ……」

「え? あ、お、おう? なんだ?」

「結衣、って……名前で呼んでほしいな……」

 

 ハウッ。

 …………いっ……いやいやお前いきなりなに言ってんの? 好き同士になったばっかりだってのに、いきなり名前呼びとかどんだけレベル高……おいちょっと待て俺名前呼びどころかハグもハグ&頭撫でもキスもしたし押し倒されちゃってるよ。なにやってんの俺もう言い訳とか無理だろこれ。

 よ、よし、断固抵抗するぞ。そもそも一気に段階を踏みすぎで───

 

「……ダメ?」

「結衣《キリッ》」

「ひっきぃ……っ!《ぱああっ……!》」

 

 全世界のぼっちたる我が同士たちよ。

 ……俺、頑張ったよね? 天使相手に……頑張ったよね?

 や、目を潤ませて“ダメ?”は反則だろ。ぼっちの心にアレは破壊力が高すぎた。

 強い意志も強靭なぼっちソウルも役に立たなかったよ。

 考えてみりゃ俺、小町にねだられて強くつっぱねられた覚えがねぇよ。あ、あの喧嘩になった相談ごとは度外視する。

 おーおー喜んじゃって………………可愛いなちくしょう。

 え? ほんとこんな可愛い人が俺の彼女? 恋人?

 ……人の未来ってほんと未知数やわぁ……。

 あ、でもだめ、今日はほんとだめ、気持ち悪くてだるい。

 はい、目を閉じてー……深呼吸し《ちゅっ》はむぷっ!?

 

「んちゅっ……んっ……ひっきぃ……ひっきぃ……んっ……」

「んぷちゅっ……ちょ、ゆい、ゆいがは《ちゅっ》いやちょ《ちゅっちゅっ》ゆっ《ちゅくっ、れるれる》んんんーーーーっ!!?」

 

 目を閉じたらキスをされたでござる。

 いやちょっとー? 由比ヶ浜さんー? 俺だるいから寝たかっただけで、キスをねだったわけじゃ……ああ、舌が、舌が口内を蹂躙して……

 

  ……結局そうして、廊下から足音が聞こえるまで、終始、由比ヶ……こほん。結衣のペースでキスをされ続けた。

 

 あー、こりゃあれね。この天使、明日絶対風邪だわ。

 

「で、だな、話なんだが《ちゅっ》んぷっ……いや、だから《ちゅっちゅっ》ゆぷっ《ちゅっ》ゆい《ちゅるっ》ぷはっ《ちゅるるっ》ちょまっ《んちゅー》んんーー!」

 

 とりあえず。

 誰か助けてくれ。幸せだけど恥ずかしすぎて死ぬ。

 


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