どこにでもあるようなガハマさんとヒッキーのお話   作:凍傷(ぜろくろ)

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夢が繋がった日①

 夢。

 人間が生きていく上で、必ず見るもの。

 目を開けながら見る夢は目指すものであって見るものじゃないが、言うまでもなく俺の夢は専業主夫……だったのだが、それも猫になった夢で消え去った。

 不思議なもので、あの日は現実だったんだと思いつつ雪ノ下に訊いてみても、頭がおかしい人扱いされた。

 小町に訊いてみても、結衣が俺の荷物を持ってきてくれた事実はあったが、それはただ俺が忘れていったものとして認識されている。猫と書いた紙もあったそうだが、それは俺が突然書き出したものとして認識されているらしい。そりゃそうだ、書いたってことは事実だし。

 どうなってるんだか、と思いつつ、ならばと結衣に頼んで雪ノ下のスマフォのフォトフォルダを見てもらったのだが、猫の俺が結衣の頭に乗っている写真は無かったそうだ。

 

「ゆきのんゆきのんっ、あそこのクレープがねー?」

「ち、近いわ、由比ヶ浜さん」

 

 そんな疑問もどこへやら。

 現在、結衣の提案で外に出ていた。と言っても、ちょっとお菓子買って話そうよって程度のもので、集合場所は雪ノ下の家。

 結衣にしてみれば猫の夢……俺はラブコメの神様が見せた夢だと思っているが、それのことについてどうしても知ってほしいようだ。

 まあ、大切な人には秘密を知ってほしいとか、そういう気持ちはちょっとは解る。

 俺にとってのその相手が小町と結衣くらいなわけだが。あ、あと戸塚な。材木座? なにそれ、どっかのシアター?

 

「………」

 

 二人できゃいきゃい楽しそうに話す二人を、一歩も二歩も遅れた場所から見守る。

 ちょくちょくと結衣がこっちを振り返っては、「ヒッキー遅いし! 隣来ればいーじゃん!」と言うが、よせやめろ声かけるな、と口パクで伝え、他人のフリ。

 だってほら、知り合いとか思われたら恥ずかしいじゃん。あいつらが。

 俺はそれでいいのだ。

 あんなゆるゆり空間に入ったら、なんか俺キモい笑みとか浮かべそうじゃねぇか。

 それこそ通報されるわ。……されちゃうのかよ。

 でもさ、ほら、見てみろよ。今あいつら、ケータイにイヤホン繋げて二人でひとつのイヤホン片耳ずつつけて音楽聞いてるんだよ? あそこに混ざれって? 勘弁してください、俺が死にます。

 

「はぁ……。どうでもいいけど、車には気をつけ───……は?」

 

 頭を掻きながら、つぶやくように言った時だった。

 地面に向けていた目を真っ直ぐにしたその先。

 横断歩道、赤信号が色を変えるのを待っている二人に向けて、大きな塊が迫っていた。

 二人は音楽を聞いているのか気づいていない。いや、それにしたってすぐ近くに大型トラックが止まっていて、そのエンジン音で掻き消されているのだろう。

 

  考えながら、とっくに走っていた。

 

 走ってどうするとかは考える暇が無かった。

 ただ走って、手を伸ばし、掴んで、思い切りトラックの進行方向の外へと逃がした。

 反動で、自分が体勢が悪いまま前に出てしまうことも構わず。

 

「えっ───」

「ひゃっ!? ヒッキ───!?」

 

 たたらを踏むくらいならすぐに身体を逃がせと命令するけど、体は思うように動いてくれない。

 足に力を込めて逃げ出そうとするのに、崩れた体勢がどうしてもそれを許してくれなかった。

 いっそ倒れてしまえばいいのだろうかと考えてもどの道潰される。

 なら跳躍? いろいろ考えていられるくせに、どうして身体は思考より早く動けないのか。

 ああ、だめだ。これ、死ぬ。

 黒塗りの高級車の比じゃない。

 だって、ブレーキ音すらしない。

 居眠りか。

 なんだよそれ。

 やっと俺、やっと……自分は幸せになってもいいんだろうかって───思い始めてたのに。

 

「っ───ひっきぃいいっ!!」

「!? なっ! ばっ───」

 

 ようやく体勢を立て直した瞬間、手を思い切り引かれた。

 反動で振り向いた視界に映ったのは、涙目で、必死な顔で俺を引っ張る結衣。

 せっかく逃がしたのに、助けるために戻ったのだ。

 ばかやろう、なんで、無理だ、お前の力で男一人を引っ張り切れるわけ───!

 

「───!!」

 

 いろいろな考えが一気に頭の中に流れる。

 助けたくても、塊はもう目の前で。

 

  だからせめて、自分が盾に。

 

 突き飛ばしてももう間に合わない。

 そもそも、結衣が立っていた位置がまずかった。

 思い切り引っ張って逃がしても、外側だった結衣は上手く逃がせた雪ノ下と違い、逆に俺から離れた位置まで逃がせられなかった。

 そこまで考えた瞬間、強烈な衝撃。

 結衣を持ち上げ、自分の背を盾にし、逃げられる限界まで跳躍して、それでも逃げ切れず、吹き飛んで───地面に叩きつけられ、そして───……そして。

 

「………」

 

 けほ、と。なにかが聞こえた。

 なんだろう、と目を開けてみると、ぐったり横たわる結衣の頬に、赤いなにかがべちゃりとついていた。

 拭おうとするのに手は動かなくて、どうして、と思って首を動かそうとすると、痛みのあまり声が消えた。

 

  ああ……赤い……。なんだこれ……なんでこんな……。

 

 体が動かない。周囲がうるさい。

 えっと……どうなったんだっけ。

 生きてる、んだよな……? 結衣、結衣はどうだ?

 ……解らない。

 なんだろう、世界が赤くなっていく。

 まってくれ、なんで、さっきまであつかったのに、いま、こんな、つめた……い……

 

「ひ……きがや……くん……? ゆいが、……はま……さ……え? え……? な、なに、これはいったい、どうして……!?」

 

 ……だれかのこえがきこえる。

 ともだちになりたかっただれかのこえ。

 あれ? どうしておれ、“なりたかった”なんて、かこけいに……。

 ゆい、ゆい……ぶじなら、なにかいってくれ……たのむから……。

 ああ、つめたい……さむい……。

 こまち……きょうのばんめし、なにつくってるかな……。

 あったかいのが…………いいなぁ……。

 ゆいもゆきのしたもつれていくから…………そしたらさ、またおかしなはなししながらさ……。

 そしたら……。

 さぁ……。

 ……。

 

   ×   ×   ×

 

-_-/?

 

 遠い、ずっとずっと昔の夢を見た。

 世界は今よりも広くて、新しいものばかりで眩しかったいつかの日。

 希望ばかりに目を輝かせて、知識を得ることがとても楽しくて、知ることの全てを信じていた遠い遠い蒼い季節の話。

 

  誰かが言う。産まれてきてくれてありがとうと。

 

 男女であるその二人は嬉しそうに涙をこぼし、祝福してくれた。

 ああ、自分はこの二人の子供として産まれたのかと……笑いたかったのに、泣いた。

 おぎゃあおぎゃあと泣くのが子供の仕事なら、自分……あたしはきっと、この時に産まれたのだろう。

 

 

 

 

-_-/由比ヶ浜結衣

 

 気づけばあたしはあたしとして歩いていた。

 解らないなら解らないなりに生きるしかないと受け止めて、前の記憶を持ったまま。

 うん、そうだ。あたしは由比ヶ浜結衣。

 総武高校に通っていて、奉仕部に入っていて、ヒッキーが好きで、その……こ、恋人、に……なれた。

 でも……今でも思い出せる。

 大きな塊……トラックがあたしとゆきのん目掛けて突っ込んできて、それをヒッキーが助けてくれて。

 でも“ヒッキーが死んじゃう”って思ったら足に力が入って、体を逃がすんじゃなくて戻して、ヒッキーを引っ張ってた。

 瞬間、ヒッキーは“どうして”って泣きそうな顔をして、あたしを抱き締めて……そして、そして。

 

「………」

 

 たぶん、間に合わなかったんだろうね。

 あたしはあそこで死んじゃって、今こうして……どうしてか、またあたしとして生きている。

 鏡に映るあたしはまだまだ小さい。

 そりゃそうだよね、子供だもん。

 住んでる場所もまだ団地だし、引っ越して以降会うこともなかったいつかの友達も、まだそこに居た。

 ……うん、ヒッキーの言うとおりだったのかなぁ。別れた人といつまでも友達、なんて……ありえないって。

 

「ヒッキー……」

 

 好きな人のあだ名を口にする。

 会いたいな、と思っても、子供が簡単に行ける場所じゃないし、簡単じゃなくてもきっとママもパパも許してくれないんだろうなって思った。

 ヒッキーに会いたいな。

 今なにをしてるのかな。

 電話……かければ通じるかな。

 あ……あはは……覚えてないや。

 ばか、あたしのばか……。

 ケータイにばっか頼ってるから、こんな時に番号とか解らないんだ。

 

「結衣ー? お友達が来たわよー」

「あ、うん、ママ……今、いくね……」

 

 今日も子供なあたしを演じる。

 でも、心の中ではいつもヒッキーとゆきのんのことばかり。

 あたしはこうなっちゃったけど……ヒッキーは無事だったのかな。

 ゆきのん、泣いちゃってないかな。

 ごめんね……ごめん。

 心の中で謝って、表面では笑う日々が続いた。

 そうやって友達とその日その日の衝動で遊ぶことを決めていても───あたしは、猫を飼うことはもうしなかった。

 

 

───……。

 

 

……。

 

 しばらく経った。

 小学生になって学年も上がって、どうせならと勉強を頑張ってみて、案外解ってみると楽しくて。

 心配してもどうしようもないってわかってても、どうしてもヒッキーとゆきのんのことを考えちゃうあたしは、どうもママとパパからすると随分と大人しい子みたいで、時々やたらと構われる時がある。

 欲しいものはない? とかあれ買ってあげようか、とか。

 まあ、うん。ねだりもしないしわがままも言わないから、いい子なのか悪い子なのか。

 心配をさせない子供っていうのも寂しいものだって、前になにかで読んだことあるし。

 ……じゃあ、わがままとか言ってみてもいいのかな。

 ヒッキーの家に行ってみたいとか……ううん、ヒッキーの家じゃなくてもいい。その近くの公園に行ってみたいとか言って、そこからヒッキーの家に……。

 でも……会ってどうするんだろ。

 会って、それから……。

 ……“他人”のヒッキーに誰だよとか言われる瞬間を想像してみた。

 あ……え、と……えへへ。だ、だめだなぁこんな。それだけで泣きたくなるなんて。

 あたし、ヒッキーのこと好きすぎだよ……もう……。

 

……。

 

 泣いているところをパパに見つかって、慌てたパパが気分転換にって車を出してくれた。

 ママも一緒で、家族でお出かけ。

 向かう先は……知らない。でも、もうどこだっていいのかもしれない。

 ヒッキーに会えたって、結局は他人から始めなきゃだし、そこにあたしが好きだったヒッキーが居てくれるイメージが全然沸かない。

 あたしは確かにヒッキーだから好きになった。でも、どんなヒッキーでも無条件に好きになれるわけじゃないと思う。

 自分を救ってくれたから惹かれた。それだけじゃないけど、それが関係ないかっていったらそういうわけでもない。

 あたしは怖いんだ。

 いつか自分で言ったみたいに、別の出会い方をしてくっだらない方法で救われて、それでもしヒッキーを好きになれなかったら、どんな自分がそこに居るのかを想像するのが。

 そんなことない、きっとあたしはヒッキーのことを好きになる。

 だって、幸せだったし嬉しかった。

 人を好きになるって感情を初めて知って、夢中になれた。

 一時の迷いだって言われたって、だってそれは確かにそこにあるなにかじゃないか。

 あるものを否定して、ないものを認められるなんて冗談じゃない。

 だから……だから。

 

「結衣、ちょっとここで待っててねー。ママ、パパとちょっと買いたいものがあるからー」

「……うん」

 

 やってきたのはショッピングモール……かな。よく見てなかった。

 連れられるまま歩いて、子供の遊び場みたいなところに辿り着いた。

 パパとママはそわそわしながら歩いていって、ああ、たぶんあたしが喜ぶなにかを探しにいくんだなーって、なんとなくそう思った。

 気を使わせちゃった……あはは、だめだね、ヒッキー、ゆきのん……。あたし、ひとりじゃ全然だめだ……。

 得意だった空気を読むことも、今じゃぜんぜんだよ……。

 ねぇ……ヒッキー……ゆきのん……。

 あたし……。

 あたしさ……。

 ひとりじゃ…………ひとりじゃぜんぜんだめだよぉ……。

 

「ひっく……うくっ……うぇぅっ……」

 

 涙がこぼれた。

 子供たちが元気に遊び回る中、独りで。

 みんなは楽しそうなのに一人だけ独りぼっちで泣いている。

 ヒッキーも……こんな気持ちだったのかな。

 そうやってまたヒッキーのことを思い出して、また涙が溢れて。

 そんな時だった。

 

「集団の中で泣くくらいなら集団から外れとけ……。なにお前、ぼっち初心者なの? だったらまずは一人で居ることを当然だって受け止めろ。いいか、“一人”って文字をこう……“独り”と覚えろ。これがプロのぼっちになるための第一歩……? なんだよ」

 

 頭をぽんぽんと撫でられ、顔を上げてみると……子供が居た。

 どこかけだるそうに喋って、でもこっちを気遣ってるのが凄く解る、“懐かしい空気”。

 知っている。

 あたし、この子のこと知ってる。

 目は腐ってないけど特徴的な髪の毛。

 なによりピンって立ったアホ毛が、彼が彼であることを証明してくれているみたいで───!

 

「う……あ、ぅ……あ…………ぁあああ……あぁあああんっ!!」

「え、お、おわっ……!? ななななんだなにがまずかった!? 馬鹿な……こう見えても子供の扱いには自信がっ……ああいやおいお前、泣くな、求めろ、さらばあたえられんっ……ってなんのこっちゃ……! とにかくあの、やめて? やめてください、親とか来たらこれ俺が明らかに犯人だろちょっと……!」

「ひっく……えぐっ……~~……ひっきぃ……ひっきぃいい……!!」

「へ? …………え?」

 

 つい漏れた“ひっきぃ”って言葉に、目の前の子供が身体を震わせた。

 濡れた目で見る世界はぐにゃぐにゃで、それでもそんな中で、その子供がすごく驚いていることはよく解って……「そんな」とか「うそだろ」とか呟いているのが耳に届いて、“もしかして”が少しずつ現実になってゆく。

 

「……ゆ………い? 結衣………か?」

 

 震える声が届く。

 それで解った。解ることが出来たんだ。

 この子供は、どうしてか知らないけど……ううん、しちゃいけないことだったけど、“期待していた通り”、ヒッキーなんだって。

 だから嬉しさと一緒に、“ここに彼が居ること”の真実を考えて、前のヒッキーは同じように死んじゃったんだと思い、喜びだけを抱けないまま、頷いた。

 

「ゆっ……結衣っ───結衣……っ……結衣いぃっ!!」

「えぐっ……ひっきぃっ!!」

 

 二人、互いに互いを知ったら、もう止まらなかった。

 “前のあたしたち”のことが胸に苦しくても、居てくれた。覚えててくれた。知っていてくれたのだ。

 それが嬉しくて、近くに居るのに駆け寄るように飛びついて、抱き締め合った。

 

「~~……ごめんっ……ごめんな結衣っ……ごめんっ……! 守ってやれなかった……! ごめんなぁっ……!」

「───! ちがっ……違うよ、違うよヒッキー……! あたしが戻ったから……! ヒッキーはちゃんと助けてくれたよ……!? あたしがっ……うえっ……うぇええん……!!」

「あ、ああぁあっ……ああぁああ……!!」

 

 二人して、抱き締め合って、泣いた。

 あんなにも暖かかった場所。もう戻れない場所、時間を思って、話そうとする言葉全部が泣き声になって。

 ただ悲しかった。辛かった。

 あんな一瞬で人って死んじゃうんだって。

 あんなに苦労して幸せに向かおうとしても、あんなに簡単に死んじゃうんだって。

 あたしたちが大切にしていたものが、あんな一瞬のために続けてきたものだったなんてって、悲しくて泣いた。

 しばらくしてパパとママ、ヒッキーのパパとママと、連れられてた小町ちゃんが来るまで……ううん、来ても、ずっとそうやって泣いていた。

 パパとママ、驚いてた。もちろん離れるようにって言われて引っ張られたんだけど……抵抗した。このあたしになってから、初めてパパやママの言うことに反抗した。

 あんなにねだらない結衣が、離れたくないだなんて、って驚いてた。

 うん、そりゃそうだよね。もう離れたくないからって、あたしとヒッキー、ずうっと手を、っていうか腕を絡めるみたいに抱き合ったままだったし。

 それにはヒッキーのパパとママも驚きだったみたい。

 ヒッキーはこっちでは物静かで冷静で、頭が良くて手のかからない……でも、泣きもしない真面目な子だったみたい。

 だから驚かれて、それでも……ヒッキーのパパとママ、どこか嬉しそうに苦笑いしてた。しょうがないなって感じで。それはあたしのパパとママも同じ。

 

「比企谷さん。これもなにかの縁ということで」

「だな。由比ヶ浜さん」

「八幡がこんなに人と一緒に居ようとするなんて珍しいんですよ」

「あらまあ~、うちの結衣もなんですよー」

「だめ! にーはこまちのー!」

「はっはっは、小町、小町にはパパが居るだろー?」

「やー! にーがいいのー!」

「……おのれ八幡、このスケコマシめが……!」

「ばか、子供に向かってなに言ってんの。あ、じゃあこれ連絡先。いつでもいいんで連絡ください。っていうかまあほぼ毎日朝から晩まで仕事だから、子供たちに関してはいつでもどうぞって感じなんですけど」

「こんな息子でいいならむしろそちらに《コパァン!》ぼぺっ!? ちょ、おまっ! 買ったばかりのスリッパはないだろ!」

「だからアホなこと言うなっつってんでしょ。家のことも小町のことも学業も真面目な息子になんの不満があるっての」

「小町が俺になついてくれない……!《ギリリ……!》」

「……まずその性格改めなさいこの阿呆。……ほら、行くよ八幡、小町」

 

 ……でも。出会いがあれば別れがあるって言葉があるみたいに、時間は待ってくれなかった。

 住んでいる場所だって違うし、帰る場所も家族も違う。

 だから別れるのは当たり前で。

 

「結衣」

「ん……ヒッキー」

「俺の住んでる場所は変わってない。お前が居るのは……まだ団地か?」

「うん。結構遠い」

「そか。気軽に会いに行く……ってのは難しいな。でもな、結衣」

「うん……」

「こうして、また会えた。それだけで奇跡だって俺は思ってる。“会える機会”は俺達で作っていきゃいい。だから……頑張っていこう。俺が言えたセリフじゃねぇけど、ほら。目、腐ってないだろ? 不謹慎かもだが、少し嬉しいんだ。目の所為でいろいろ言われることもない。お前の隣に居ても、お前の趣味が悪いとか言われないんじゃないかって」

「あ……」

「だから……」

「……うん。がんばろ? ヒッキー。実はさ、あたしも今結構、勉強が楽しくてさ」

「……そっか。じゃあその調子でいけば───」

「うん、総武高校なんてよゆーだしっ」

「おう、俺だって負けてねぇぞ。算数から学び直してるし、それが案外新鮮で楽しめてる。だから───」

「うん、だからだね」

 

 だから、次に会うたび、成長した自分でいよう。

 そう約束して、あたしとヒッキーは……笑顔でお別れをした。

 今はまだまだ子供だから。

 まだまだ、なんにも出来ない子供だから。

 子供を卒業出来るまで、学べることは学んでいこう。

 そして、胸を張って隣を歩くんだ。

 もう馬鹿だなんて言わせないし、髪だって染めない。

 ギャルっぽくなってビッチなんて呼ばせてたまるかーって感じだし、自分の可能性を“あたし馬鹿だから”で諦めることも、もうしてやらないんだ。

 そして……そして。

 あの娘に会いにいこう。

 頭が良くなって、見える世界を変えた自分で、堂々と親友だって言える自分で。

 サブレが可哀想だから、絶対に事故なんて起こさせてあげないけど……きっとあの場所に行けば会えるから。

 

   ×   ×   ×

 

 それから、頑張る日々は続いた。

 ママに言わせると、ヒッキーと会ったあの日から、あたしはまるで別人みたいに元気になったそうだ。

 そうなのかな。自分じゃ解んない。

 電話は……毎日してる。

 長電話しすぎちゃって怒られちゃったけど、その割りにママはニッコニコだ。

 これはもう嫁ぎ先が決まっちゃったかしら~なんて笑いながら言っている。

 あたしは───うん。もうね、ヒッキー以外とか無理だ。

 助けられて、好きになって、繋がった夢の中で好き合って、告白されて、受け入れて。

 これからって時に全部無くして、ただ生きるために生きる、みたいな生き方をして……そんな時に再会できた希望みたいな人。

 好きで、好きすぎて、きっとこれ以上を望むんだとしたら、その“それ以上”自体がヒッキーじゃなきゃ嫌なくらい。

 そしてそれは、きっと会う度に叶えられるんだ。

 だからあたしも負けられない。頑張ってもっと強いあたしになって、ずっとヒッキーの彼女でいるんだ。

 

「ママ! 料理教えて!」

 

 どんなこともコツコツ。

 苦手なことも、ちゃんと言われたことを聞いて、それをなぞるところから始める。

 大丈夫、きっと出来るから。

 あたしが幸せにするんだ。

 誰かのために自分の命さえ盾にしちゃうあの人を、あたしが。ずっと、ずっと。

 

 

───……。

 

 

 パパとママの都合が合って、出掛けられる日にはいっつも比企谷家に向かう。

 言った通りヒッキーのパパとママは仕事づくめでろくに帰れないみたいで、車で出掛けること自体が数えるくらいしか無かった小町ちゃんは、窓から入る風を顔に受けながら目をきらきらさせていた。

 あたし? あたしは───

 

「………」

「………」

 

 なにも言わないで、ヒッキーの腕を取って抱き付いていた。

 会えない日が長い分、会えたらもうすごい。心がすごく喜んでるのが解るんだ。

 近ければ近いほど嬉しくて、幸せで。

 それはヒッキーも同じみたいで、腕に抱きついたら、もっとくっつけるようにって体勢を変えて、抱きしめてくれた。

 

「イギギギギギギ……!!《ぎりぎりぎりぎり……!!》」

「パパー? 子供相手に嫉妬はみっともないわよー?」

「わ、解ってる……! 解っているが……! 結衣が……あの結衣が……! パパにもママにも無防備な笑顔を見せなかった結衣が……!」

「うふふ……幸せそうよね。あんな風に笑えるだなんて、母親なのに知らなかったわ……」

「ぐっ……、……そう、だな。そこはその……八幡くんに感謝だ」

「あの日、どうして泣いて抱き合ってたのって訊いても答えてくれないのよ。きっと、とっても大切なことがあったのねー……ママがヒッキーくんに触ろうとすると怒るし。ママ悲しい」

 

 そんなこと言われたって仕方ない。

 だってもう、あの時解っちゃったから。

 あのヒッキーが大声で泣いちゃうくらい、あたしは本当に想われてたんだって解っちゃったから。

 あの時、本当に……心から、ああ、この人を幸せにしたいって……思っちゃったから。

 だから頑張れるんだ。

 あたしはもっと頑張れる。

 もう無くしたくないから。

 無くす怖さを知っちゃったから。

 

「にー! こまちも!」

「小町には父さんが居るだろ」

「やー! にーがいいの!」

「親父ェ……」

 

 ヒッキーは普段、子供らしくを演じるために親のことを父さんって呼んでる。

 あたしと二人の時は親父とか。

 でもたまーに出ちゃうみたいで、今もなんかぽしょりって漏れてた。

 

「えへへー、にー♪」

「はいはい……」

 

 仕方ないなって顔でヒッキーが左腕を差し出すと、小町ちゃんはぎゅーって全身でヒッキーの左腕に抱き付く。

 そして、あたしを見て“これこまちのだもん!”って顔をする。

 

「悪いな小町、俺はもう結衣に売約済みなんだ」

「ばいやく?」

「もう売り切れてるってこと。俺が幸せにしたいのは結衣なんだ」

「こまちは?」

「俺は兄ちゃんだからな、小町の幸せはいつでも願ってるぞ。でも、幸せにするのは俺じゃないんだ」

「……よくわかんない」

「それでいいよ。ただ、小町はもうちょっと勉強しような」

「にーがするならする」

「はいはい……」

 

 どうするでもなくヒッキーは苦笑いをこぼした。

 パパがまた運転しながらイギギギギって言ってるけど、気にしない。

 幸せにしてくれるって。幸せにしたいって言ってくれて、あたしはそれだけで胸がいっぱいだったから。

 

 

───……。

 

 

 そんな日が続いて、小学校を卒業して、やがて中学生になる。

 小学六年あたりから胸が大きくなってきて、男子の目が集まり始めてきたけど……中学はもっとだった。

 綺麗になる努力はずっとしてるし、余計なところにお肉がつかないようにって運動も。

 ヒッキーもジョギングとかストレッチをしてるみたいで、この前会った時はその柔らかさに驚いた。もうね、べたーって。足がすっごく横に開いて、上半身が床にべたーって。

 あたしはまだそれが出来ないから、ちょっと羨ましかった。

 あと、ちょっと危機感。

 目が腐ってなくて運動してて、頭がいいヒッキー……ただの格好いい男子じゃん!

 小町ちゃんに訊いてみれば、女子とかに結構声かけられてるんだって!

 ……あたしも男子に声、かけられてるけどさ。

 んんー……なんか、なんかだー……。

 

「───」

 

 中学で、いつかみたく優美子を見つけた。

 でも、誘われても手を繋ぐことはしなかった。

 

 

───……。

 

 

 中学3年。

 告白された。

 振った。

 何度目か忘れた。

 好きな人が居るって言った。

 “誰だ”って訊かれて、教える理由がないから教えなかった。

 そしたらその男子のことが好きな女子に絡まれちゃって、いじめ……みたいなのが始まった。

 やだな。なんで、こんなこと。

 好きな人が居るから嫌だって言ったのに、どうして、こんな……。

 そんな風にして落ち込んでたら、ヒッキーにあっさりバレて、ヒッキーにイジメのこととか話したくなかったから言わなかった……んだけど、何度も何度も訊かれて、イジメで弱ってた心が降参しちゃった。

 あたしから事情を聞いたヒッキーはあたしの手を取ると、もう片方の手で自分の胸をどんと叩いた。

 どうするのかなって思ってたら、ヒッキー、自分の学校サボってあたしの学校に乗り込んできて、教室に入るなり言ったんだ。

 

「朝っぱらから失礼します。今日は婚約者がイジメに遭ってるっていうんで来ました」

「な、なんだねキミは! 今は授業中───」

「授業中なら声がよく通ると思いまして。あと騒ぐ人も居ないでしょう。……由比ヶ浜結衣の婚約者で、比企谷という者です」

「ぬぁっ!?」

「ふえやぁあっ!? え、ちょ、えぇええっ!?」

 

<エ? コンヤクシャッテイッタ!?

<ジャアアイツガユイガハマサンノスキナヤツ!?

 

「ヒ、ヒッ───はは八幡くんっ!? どうして───」

「ああ結衣、さすがに見過ごせなかったから……来ちゃった☆」

「な、なっ、なぁあっ……!!」

 

 ヒッキーはテヘペロみたいな顔をしておどけた。けどすぐに心配するなって顔をして、言ってくれる。

 

「あぁ、ちゃんとママさんとうちの両親の了承は得てるから。問題起こしてもいいから、イジメなんぞは滅ぼしてこいだと」

「えっ……ママ……」

 

 そっか。ママにももうバレてたんだ。あ、や、ヒッキーが言ったのかな? ……ううん、きっとバレてたんだよね。ママ、へんなところで鋭いし。

 あたしがそんなことを考えた次の瞬間には、ヒッキーの顔がキリってなって、教室中を見渡して、言った。

 

「あー、その。そんなわけだから、もうこいつに告白とかイジメとか、やめてくれると助かる。好きな相手が居て、その想いを貫いただけなのにイジメに遭うとかおかしいだろ。告白全部受け入れて何股もしてりゃあ満足か? 違うよな。それから、イジメを始めた女子。誰とは言わないけどな、そんなつまらないことをしてる暇があるなら、好きな相手に好かれる努力をしろ。そんなことしてても相手は振り向かないぞ。振り向いたとして、その先でそいつが見るのはイジメをしてる姿だけだろ」

 

 ……。どこかで息を飲む音がした。

 けど、それだけで何かを言うわけでもない。

 きっと解ってたんだと思う、あの娘も。だって……イジメって、人に好かれるようなことじゃ……ないから。

 

「ちょっと待てよ! お前が由比ヶ浜さんの婚約者!? 証拠は! 証拠はあんのかよ!」

「え……いや、なにこの人、なんか今にも自分がやりましたとか言いそうなんだけど……ああまあとにかく。結衣」

「うんっ、ヒッ……八幡っ」

『───!?《ざわっ……》』

 

 名前を呼ばれたから、あたしは“いつものあたし”でヒッキーの傍へ駆け寄った。

 駆け寄って、腕に───抱きつきたかったけど、先生の手前、それはちょっとまずいかなって思ったからやめた。

 

「あ、あの由比ヶ浜さんが……! 男子にそっけなくて、スルースキルMAXだとか噂されてた由比ヶ浜さんが……!」

「う、うわ、うわー……! 恋する顔ってあんななのね……!」

「……かわいい……《ぽしょっ》」

「え? ちょ、久美? 久美っ!? 顔赤いわよどうしたの!? えちょ……マジ!?」

「ウ、ウソダウソダウソダーーー! 由比ヶ浜さんは俺と結ばれるべきでぇえっ!!」

「うわキモッ……なんか勘違いしてるやつがいんですけどー……」

「う、うそだよね由比ヶ浜さん! いや結衣! き、きみは俺と一緒に居るべきで───」

「……勝手に名前を呼ばないでください。あたしは本当に、心から八幡が好きだし、結婚だって八幡とじゃなきゃ嫌です。彼はあたしが幸せにするって子供の頃から決めてるし、あたしを幸せにするのも八幡じゃなきゃ嫌なんです」

「は、はは……そ、そいつに言わされてるんだろ? 大丈夫、お前を解ってやれるのは俺だけで───」

「由比ヶ浜さーん、ズバっと言っちゃえー」

「あー、友人がこんなやつだったとかショックだ……由比ヶ浜さん、大丈夫、なんかもういろいろ解ったから。彼とお幸せにってことで、トドメさしてやって。……その、俺も、好きな相手が居るって聞いてたのに告白とかして悪かった」

「俺も……ごめん」

「俺も……」

「俺も……って、え? お前も!?」

「お前興味ないとか言ってたじゃねぇか!」

「え!? お前もかよ!」

「お前、なんて言われた?」

「いや、ただ好きな人が居るからごめんなさいって、真っ直ぐに……」

「だよな、すっげぇ真っ直ぐに言ってくれんだよな」

「そうそう、未練っつーの? 可能性残させないために真剣にっつぅのかな」

「なんか……ちょっと嬉しかったんだよな、あれ。いや、なんかさ、……好きになったのが由比ヶ浜でよかったーってのかな。や、同じクラスになっていいなって思ったからいきなり告白したんだけど」

「ぶはっ、ちょ、おまっ」

 

 なんか、ちょっと教室の中がおかしな空気になった。

 おかしな、っていっても悪い感じじゃなくて、男子はへらへら笑ってる一人を除いてみんな笑ってる。

 女子もそれに釣られるように、なんだか納得したみたいな顔で。

 そしたら一歩、一歩とあたしのことを目の敵にしてた女子が歩いてきて……

 

「あ、の……わたし……」

「……うん。あたしね、この人のことが本当に好きなんだ。他の人ととか考えられないくらい。だから……ごめんね」

「う、ううんっ!? そうじゃないよ! なんで由比ヶ浜さんが謝るの!? 由比ヶ浜さんはちゃんと言ってたのに、それを無視して勝手に苛立ったのはわたしで───! ご、ごめっ……ごめん、なさいっ……!」

 

 その娘は泣きながら謝ってくれた。

 あたしは……うん。勘違いされるのって、辛いなーとか何度も思ったから……えと、ヒッキーが勘違いを嫌いになった理由がわかったかなーとかいうくらいは傷ついたから、ちょっとだけ文句とか言いたかったけど……うん、無理だね。

 だからもう許した。それに、やっぱりあたしって単純なのかな。こう、えっと、くすぶ? ……うん、燻ってたムカーって感情よりも、ヒッキーが来てくれたことに対する嬉しさがあっさり勝っちゃって、もう怒るとかそんな感情、どっかへいっちゃってた。

 だから許して、もうひとりの問題の人へと向き直って───

 

「あたしには本当に大好きな、この人を幸せにしたい、この人に幸せにしてもらいたいって人が居ます。そしてそれはあなたではなくこの人です」

「う、うそだ! うそっ───」

「なにより、好きな相手の言葉も信じられないで頭から否定する人を、あたしは好きになれません」

「あ───…………あ、あ、え……? あ……」

「おおお! ナイスクロスカウンター!」

「思った以上にバッサリだぁあーーーっ!!」

 

 どうせまた嘘だと言われると思ったから、はっきりと被せるみたいに言った。

 名前も思い出せない男子は呆然として、やがて震え出して、「もういい!」って言って教室の外へ───「多田! 授業中だぞ!」……戻ってきた。

 あ、あー……えっと。うわー……顔真っ赤だー……。

 ど、どうしよヒッキー、どうし……って、どうして胸押さえて泣きそうな顔してんの!?

 

「言葉も信じられないで否定ばっかでごめん……」

「え? え、あ───ちちち違うよ!? ごめんねヒッキー! ごめんね!?」

 

 そういえばそうだった。

 ヒッキーも、今でこそすっごい素直であたしの言葉も受け止めてくれるけど、最初の頃なんてあたしの言葉を受け取るや効率がどーのってすぐに否定してたし。

 

「あー、それでキミ。もう用事は済んだね? イジメに関してはこちらできちんと───」

「え? イジメ? そんなのありませんでしたよ? ていうか、あってももう生徒同士で解決しましたんで、教師の出る幕は無いんじゃないでしょうか」

「なっ……!? ではキミはなにしに来たというのかね! 確かにイジメがあると───」

「では“みんな”に訊きましょう。みんなー、このクラスにイジメなんてあったかなー?」

 

 ヒッキーは言いながら、さっきのコにニカッと笑ってみせた。

 戸惑いながらあたしを見るその子にあたしもニカッと笑って、頷いてみせる。

 その瞬間から、クラスのみんなが示し合わせたように笑って、ヒッキーが腕を振り上げるのと同時に言ったんだ。

 

『ありませーーーん!!』

 

 先生、顔真っ赤。

 勢いのままヒッキーに「授業妨害だ! 出ていきなさい!」って言って、面倒なことを追加される前にヒッキーはさっさと出ていっちゃった。

 我が学校にイジメはありません。

 ひとつ前のあたしの時、よく聞いた言葉だ。

 それを上手く使って、ヒッキーは場の空気を解消して出ていった。

 自己犠牲みたいなことはしなくなった。けど、こういう問題に首を突っ込みたがるのは……もう性分みたいなものなのかなぁ。

 傷つくところは見たくないから、出来るだけしないでほしいのに……そんなことをやってのけてしまう彼を見てると、仕方ないなぁって思いながらも笑っちゃうんだから、あたしもどうかしてるのかも。

 

 ……ところでだけど。

 学校が終わってから会った時に、「あの……婚約者って……本気にしても、いいのかな」って、勇気を出して訊いてみた。

 ヒッキーは「えー」とか「えー」とか「おー」とか「ンー……なんだ」とか言って、なかなか返してくれない。

 でも顔は真っ赤だから、頑張ろうとしてくれているのはわかった。

 解ったから……いいかな、まだ。

 言えるようになったら言ってねってだけ返して、あたしはヒッキーの腕を取って隣を歩いた。

 

「そういえばなんで“えー”だけ二回言ったの?」

「……“COSMOS”って知ってるか?」

「?」

 

 解らなかった。

 

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