どこにでもあるようなガハマさんとヒッキーのお話   作:凍傷(ぜろくろ)

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夢が繋がった日②

 そして、高校。

 ヒッキーが中学に乗り込んできたあの日から、一気に女子のみんなから話しかけられるようになって、あたしが総武に行くって知ったら泣く子がいっぱい居た。

 嬉しかったし別れは寂しかったけど、決めていたことだから。

 それで……なんだけど。

 

「あ、あの……隣に引っ越してきた由比ヶ浜です……」

「」

 

 玄関を開けた先で、ヒッキーが固まってた。

 そう、なにがどうなったのか、どうしてそうなったのかは知らない。

 でも結論として、由比ヶ浜家はマンションじゃなくてヒッキーの隣の家へと越してきた。

 

「え? いや、え? お隣さんどしたの? 居たよね? なんか割りとしっかりした造りの家に住んでたお方」

「あたしにもよく解んなくて……ただ、パパが比企谷さんには感謝だな、とか言ってたから、ヒッキーのパパがなにかしたんじゃないかな」

「……あの親父にそんな人脈が」

「人脈って、お隣さんだよ!? そんなに狭いって思ってたの!?」

「いや……普通そうじゃないか? お隣ならまだしも、三件隣とか普通に苗字知らないで当然とかなかったか?」

「……ぁぅ」

 

 言われてみれば、そうかも。

 団地でも遊ぶ子は居たけど、名前知らない子とか苗字知らない子、結構……ていうか団地に住んでたかさえ解らない。

 

「ふ、普通だね? 普通……だよね?」

「お、おう普通だ。普通だから……まあその、知らなくていいことなんだろな」

「……そだね。それに、嬉しいんだから喜んどけばいいんだよねっ」

「おうっ」

「えへへっ、ひっきぃ~~っ♪《がばし!》ふきゅっ!?」

 

 抱きつこうと思ったら抱き締められた!

 わ、わわわ……! こんなん初めてだ、恥ずかしい……!

 

「結衣……」

「ヒッキー……」

 

 呼び合って、顔を見たら、もうだめだった。

 自然と顔が近づいて、少し傾けあって、やがて───

 

「結衣ー? 挨拶は済んだー?」

「ふきゃあああーーーーーーっ!!?」

 

 やがて、ババッと離れた。

 

「あら。あらあらあらー? ママったら邪魔しちゃったかしらー?」

「じゃっ、じゃじゃじゃ邪魔とかじゃないしっ!? てかどーしたのママ! あ、挨拶にはあたしが行くって言ったじゃん!」

「そうよー? ヒッキーくんへの挨拶はー、結衣に~って。お隣なんだから、ママがヒッキーくんのママたちに挨拶しないわけないでしょー?」

「あぅっ!? で、でもそれにしたって、もうちょっと後でも……そのっ……ゴニョゴニョ」

「ヒッキーくん。ママに気を使わないで、もう……しちゃっても、いいのよ?」

「エッ……いや、その」

「だ~いじょうぶよ~? ママ、もう二人が隠れてちゅっちゅしてるの、知ってるからー♪」

「ママーーーーーッ!!?」

 

 い、いつから……いつから!? 

 あ、あの時かな……それともあの時!? あ、や、やー……あの時かも……!

 いやいやもしかしたらあの時……! ……はうっ!? あの時かも!

 ……思い当たる時ありすぎだ!?

 

「パパももう知ってるわよ? その日なんて涙で枕を濡らして、えーとー……うふふ、いろいろあったし」

「いろいろってなに!?」

「ゆーいー? 出来るなら弟と妹、どっちがいいー?」

「なんかすっごい生々しい話が来た!? うあーーんヒッキー!!」

「ん、解ってる。……ママさん」

「うん、なに? ヒッキーくん」

「……妹でお願いします!」

「ヒッキー!?」

「うふふ、まっかせなさーいっ♪」

「ママーーーッ!? う、う~~~っ……! もー! もーーーっ!!」

 

 もう怒った! 二人とも勝手だ!

 人のことからかって楽しんで《ぎゅっ》うん、まあいいや。

 えへへ、ヒッキーあったかい。

 後ろから抱き締められるの、好きだなー。

 こう、ふにゃーってなっちゃう。

 

「あらあら、結衣は本当にヒッキーくんが好きねー」

「うん」

「否定も躊躇もないのね……我が娘ながら、恋すると一直線……ヒッキーくん、結衣のこと、よろしくね。ママの子とは思えないくらい秀才少女で、ちょくちょくママの子らしく天然でポカやらかす子だけど、やさしく可愛く綺麗に育ってくれたわ。たぶんそれはママたちだけの力じゃなくてー……」

「いえ。ママさんが居たからそんな結衣に育ったんです。それは確実ですよ」

「ヒッキーくん……」

「あと、えっと……そんな結衣だったからこそ、その……俺も引っ張られたっていうか……惹かれたっていうか、その」

「あら。あららあらあら~~~……♪ なんだかこれ、ママがヒッキーくんに告白されてるみたいねー♪」

「ヒッキー!?《がーーーん!》」

「違う! 断じて違う! 誤解だ! 濡れ衣だ! ~~~……ママさん!」

「うふふ、うふふふふふ……! あーもうヒッキーくんかわいいわー♪ ママねぇ、娘もだけど、息子もほしかったのよー。だから子供の頃から知ってるヒッキーくんが、もう可愛くて可愛くてー」

「だめ! ヒッキーはだめ! あたしのだかんね!? ママにはパパが居るでしょ!?」

「ねぇ結衣。ママ、早く孫が見たいの。ママの子供と結衣の子供が兄弟みたいに育ったら、可愛いと思わない?」

「え? あ……わあ、なんかそれいーかも……!」

「そしてある程度育ったら複雑な人間関係に戸惑うんだな……」

「やっぱりだめぇっ! マ、ママ! だめ!」

「えー……? こればっかりはどうなるか解らないし、結衣が手がかからなすぎたから、ママ逆に寂しかったしー……ママもまだまだ若いからー♪」

「そそそうじゃなくてっ! 年齢とか考えようよ!」

「ママ、実は13の時に結衣を産んだのよ?」

「うそっ!?」

 

 え……え? じゃあ、ママ、まだ28か29歳とかなの!?

 知らなかった……! そ、そっか、ママ全然若いもんね! たまにあたしのお姉ちゃんとか言われることあるし!

 

「え、え? でもママ、結婚って16歳からじゃ」

「両親同士の同意があれば、13からいいのよ? あ、もちろん結婚は16だけど」

「おじいちゃんとか反対しなかったの!?」

「むしろ孫ー孫ーってせっつかれたくらいねー。お金の面倒は見るからとにかく産みなさいって」

「……お爺ちゃんとお婆ちゃんの印象がぁ……」

 

 まあ、うん。認められなかったらあたし、産まれてなかったんだけど。

 うー……なんか複雑……。

 う、うん。この世界が前の世界と同じかどうかなんて解んないんだけどね。

 ……でもママ、向こうでも同じくらい若かったし。

 うー……16歳くらい離れた弟とか妹……どう接すればいいのか解らないよぅ。

 

「………《ちらっ?》」

「? 結衣?」

 

 そりゃ……そりゃ、さ? ヒッキーとそういうこと、期待しないわけじゃないけどさ。

 あたしもさ? ほら……これから~って時に事故に遭っちゃったから、なんにも出来なかったし。

 あ、や、やー、べつにそこまでしたいとかー……えっと、そういうんじゃなくて。興味はあるけど……あげるんじゃなくて、貰われたいっていうか、求めるならヒッキーからがいいっていうか……な、なに考えてんだろあたしっ! あはっ、あははっ!

 一時期は周囲に流されっぱなしだったあたしだけど、高2で処……とか遅れてるとか言われたってそんなの気にしない。あたしはあたしのペースでって思うし、そんな周囲のノリでそういうことしちゃうのは違うんだって、今では胸張って頷けるし。

 でも……えと。ヒッキーに求められちゃったら、たぶんあたし…………うん。

 

「……~~《ふしゅう……》」

「《きゅっ》……いや、あの……顔真っ赤にして服抓まれると、さすがに照れるんだが……」

「そんなこと言ってヒッキーくん、背景がホテル街だったらゴールインだったわよねー?」

「やめてくださいってばママさん……!」

「いいのよー? ママもママの両親と一緒で、孫とか見たいし。むしろママのママに話してみたら、曾孫が見れるって喜んでたわよ?」

「……おばーちゃん……」

 

 お婆ちゃんの印象が……。

 で、でもそれってヒッキーのこと認めてくれてるってことなのかな。

 まだ会ってもいないのに、いいのかな。

 

「あ、ちなみにヒッキーくんのことは写真とカメラ映像でしっかり紹介してあるから、問題ないわよ? むしろ自分より結衣を優先してる姿が気に入ったーとかで、早く婿に来るなり嫁に迎えるなりして曾孫見せろーって。やったわねー、ヒッキーくん。家族公認よ?」

「~~……《かぁあああああ……!!》」

 

 あ……ヒッキーが顔を覆って俯いちゃった……。耳、すっごく赤い。

 でも……でも、そっか。えへへ、そっか。

 じゃあえと、えとえと。あとはヒッキーのパパとママが許してくれれば……

 

「話は聞かせてもらいましたよ結衣さん!」

「ひゃうっ!? 小町ちゃん!?」

 

 ヒッキーとあたしが顔を赤くして俯いてたら、すぐそばの部屋からバーッて小町ちゃんが飛び出してきた。

 その手には携帯電話。

 

「あ、結衣さんのママさん、やっはろーです」

「は~い、やっはろー、小町ちゃん。それで、仕込みはどう?」

「フフフ、ばっちりですよ奥さん……! 既に父と母に連絡を入れて、二人の許可も受け取ってますとも! ていうかむしろさっさと結婚しろって感じで」

「う、ぉあ……!? ま、まじか……!? あの親父が……!?」

「うん。むしろ“結衣ちゃんみたいな子が俺の義理の娘になるなら願ったりだ”って」

「……親父ぃ……」

 

 ヒッキー、なんかほんと呆れたって感じにすっごく長い溜め息吐いてる。

 でも、なんか、えっと。ハッてしてあたしを見たら、顔を赤くして……でも、目を逸らさないで、照れたみたいに笑った。

 …………。あ、そっか。そうだ。

 これって、そういうことだ。

 あたしとヒッキー、もう……許されたんだ。

 

「いやー、これでようやくお義姉ちゃんって呼べますよ! あ、これからもよろしくお願いしますねお義母さん!」

「あらあら~♪ そういえばこれで小町ちゃん、ママの義娘になるのねー?」

「ママ!」

「小町ちゃん!」

 

 あたしとヒッキーが見つめ合う横で、ママと小町ちゃんががばしーって抱き合ってた。

 あたしは……えと。すっごく嬉しくて、でも照れちゃって、わたわたしてるくせに……目を逸らしたくなくて、じっとヒッキーを見てた。

 ヒッキーもずっと見ててくれて、嬉しくて、恥ずかしくて。

 

「そ、の……な。あの、あ、あー……えっと」

「……がんばれっ、ひっきぃっ」

「ぐっ……! わり、ちゃんと言うな。……由比ヶ浜結衣さん。生まれ変わってもずっと好きです。俺と結婚を前提に付き合ってください」

「───……」

 

 胸が、とくんって鳴る。

 まるで、ずっと待ち焦がれてたみたいに、足りなかったなにかが胸に届いたみたいに。

 ずるいよね、こんなの。答えが決まってるのに、それでも口にするのには勇気が要るなんて。

 言ったあとには喜びが待ってるって解ってるのに、それでも言葉にするのは難しいだなんて。

 

「~~……は、はい……はいっ……! あたしでよければ、喜んでっ……!」

 

 それでも、だよね。

 難しくても、絶対に届けたい言葉はずっとずっとしまってあったから。

 それを取り出して、想いをいっぱいいっぱい乗っけて、好きな人に届けた。

 

「っ……お、おう……いや、はい……あ、あり、……~~…………ありがとう」

「……うんっ」

 

 ヒッキーは真っ赤になって、でも目は逸らさないまま、受け止めてくれた。

 服を抓んでいた手を、今度は彼に伸ばす。

 その時、一瞬……車が突っ込んできた光景が叩き付けられるみたいに頭の中に浮かんできた。

 幸せな気分が一気に消えそうになる。

 この手を伸ばしたら、二人してまた死んじゃうんじゃないかって。

 でも……震えた手は、あたしの身体は、次の瞬間には繋げられて、引き寄せられて、抱き締められてた。

 

「……大丈夫だ。今度は絶対守るから。お前は手を伸ばしてくれ」

「ヒッ……キぃ……」

 

 声が震えた。

 どうして解るの、って言葉を出したかったけど、それより先にヒッキーの体も震えてることに気づいた。

 ……ああ、そっか。ヒッキーも思い出したんだ。

 きっと、戻らずに、手を伸ばさずにいれば自分だけは助かったあの瞬間。

 助かっていれば、ヒッキーは泣かなかっただろうあの瞬間。

 でも……そんなのはあたしだって同じだ。

 自分だけ助かっても、助けてくれた人が助からなかったのに助かっても、ちっとも嬉しくなんかない。

 あたしが逆の立場だったら同じことをしていたって自信を以って言える。

 だからヒッキーも、あの時のあたしの行動についてを何も言わないんだって解ってる。

 

「ヒッキーくん? 浮気したら許さないわよー?」

「する相手が居ないし、そもそも結衣以外に俺を好きになるやつなんて居ませんよ」

「またお兄ちゃんは……。小町何度も言ってるでしょー? お兄ちゃんはもっと、自分がどんだけ格好いいかとか考えたほうがいいって」

「おうありがとな、小町。身内補正だとしても嬉しいぞ」

「……お義姉ちゃ~ん、ママ~、お兄ちゃんが解ってくれませんよぅ」

「あらー……ヒッキーくんはなにか、前に嫌なことでもあったの?」

「まあ、いろいろ。言っても仕方が無いことなんで。でも……結衣は“そんな俺”を見てくれたから。だから……こいつ以外は、無理なんです」

「ひっきぃい……!」

 

 抱き締められながら言われたら、もうだめだ。

 心がぎゅうってされて、苦しい筈なのに嬉しくて。

 だからあたしも、ぎゅうって抱き締め返す。

 自分ってものが、もっともっとヒッキーの傍に近づくように。

 

……。

 

 入学式はなにごともなく終わった。

 ゆきのんが新入生代表で挨拶をして、その姿が眩しくて心が震えて。

 早く声をかけたいのに動いちゃだめってもどかしいなって思いながら───でも。

 接点のないあたしたちが急に話しかけて、ゆきのんは受け入れてくれるのかなって急に怖くなった。

 

「あ、ヒッキー!」

「おう」

 

 残念ながらヒッキーとは別のクラスになっちゃったけど、隣だからすぐに会いにいける。

 ヒッキーはあくまで“友達”って枠は作らないで、話し掛けられれば応える、みたいなスタンスをそのまま保っていた。

 目が腐ってないから結構話しかけられることはあるんだって。

 あとさいちゃんが居たことに目をきらきらさせてた。なんかちょびっと悔しい……って思ってたら、廊下なのに抱き締められて頭を撫でられた。

 うう、あたしってちょろいのかなぁ。ヒッキーにこれをやられたら、それだけで許せちゃうとか……。

 いい……よね? いいよね? ヒッキーにだけなら、べつに問題ないし。

 そう思っちゃえば早くて、胸に抱きしめられたあたしはそのままぐりぐりーってヒッキーの胸に顔を押し付けて、クラスが離れちゃった分の心細さを満たした。

 

「……はぷっ。ね、ヒッキー」

「お、おう……なんだ?」

 

 胸に抱きついたまま、顔だけ持ち上げてヒッキーを見る。

 顔真っ赤。なんか嬉しい。

 

「奉仕部って……いつ頃できるんだろ」

「それは俺にも……ちょっとな。なにかの拍子に聞いたかもだが、その頃は無理矢理入れられたってことで大抵の雑談は話半分だった」

「そっか……」

 

 ゆきのんが動いて作るのか、平塚先生がゆきのんにこういうものを作らないかって言うのかも解らない。

 でも、ぜったいにそこに入ろうって思う。

 

「けど、ほんと余裕で入って来るとはなぁ……アホの子とはもう言えないな。天然炸裂した時以外」

「ヒッキーまたそれ言ってる……あたしだってちゃんと勉強したんだから。むしろ勉強が好きになってから、覚えるのも楽になったし。ヒッキーが国語だけ成績良かった理由、ちょっと解ったかなーって」

「好きこそもののなんとやらだな。ま、部活の方は平塚先生にでも探りを入れながら、今は様子を見よう」

「え? 見るの? えと、ゆきのん探して友達になろー! とか……」

「いきなり言ってあいつが頷くわけねぇだろ……不審に思われるだけだ」

「そうかな……ゆきのんなら平気だと思うんだけど」

 

 でも解った、と続けて、あたしはもう一度ぎゅーってヒッキーの胸に自分を埋めるように抱きついた。

 ……えへへ、ヒッキーの匂いって好きだなぁ。なんか安心する。

 

「……比企谷ー? 廊下で女子といちゃつくとはいい度胸だなぁ」

「ヒリャッ!? ヒリャッカせんふぇい……!?」

「なんだその奇妙に略したみたいな呼び方は……っと、きみは由比ヶ浜だったな。そうか、きみたちは知り合い、というか恋人関係だったのか。べつに青春するなと言うつもりはないが、多少は人目を気にしておけ」

「あ、は、はい……」

「あ、あのっ! 平塚先生っ!」

「……? なんだね?」

「新入生でも、新しい部活の設立とかって出来ますかっ!?」

 

 ちょっと不安だけど、知りたいって思ったら止まっていられない。

 ヒッキーが“それもう訊いちゃうの?”って顔で見てくるけど、うん、訊いちゃう。だって、知っておきたいし。

 

「ああ、べつに可能だ。全校生徒数に合わせて、そういった教室の数も旧校舎に案外余っているものだ。もちろんそれなりの部活内容であり、教師に認められる上に顧問もつかない限りは難しい。だが、顧問がつけばべつに一人だろうと構わない。……既に例外も居るわけだしな」

『───!』

 

 あたしとヒッキーは同時に見上げて見下ろして、確信を持って微笑んだ。

 

「あの、それってもしかして、新入生代表の───」

「うん? なんだ、あいつを知っているのか? ああ、雪ノ下雪乃だ。行動が自由になるや、職員室にやってきてな。やりたいことがあるのでと部活の設立……いや、まあ出来ていたようなものだが、設立を申請してきた。で、顧問は私だ」

「ヒッキー!」

「おう」

『あのっ!』

 

 二人して、笑っちゃいそうな顔を頑張って引き締めながら、声を重ねた。

 ……ここからだ。

 あたしたちは、またあたしたちの青春を始める。

 前とは違う形で、けれど……前よりもっと早くに。

 

 

───……。

 

 

……。

 

 結論から言っちゃうと、奉仕部はとても静かだった。

 紅茶セットもなければ、長机だって用意されてない。

 ぽつんと置かれた椅子に、ただゆきのんが座っているだけ。

 その姿がとても寂しそうで、たまらなくなって駆け出そうとして……ヒッキーに襟を掴まれて止まった。

 

「あうぅ……なにすんのヒッキー……」

 

 喉が絞まった。ちょっと目の前が滲んでる。

 

「いきなり親密度MAXで行ってどうすんだよ……初対面で知らない男に抱きつかれたらお前どうする?」

「うぅっ……」

 

 解ってるけど。

 うー……ゆきのん、ゆきのーん……。

 

「あ、い、いらっしゃい……えぇと……なにかご用かしら……。あ、この教室についてのことなら、きちんと先生に許可を得て───」

「ああいや、違う。そもそも同じ新入生だし、部活設立について教室奪還が目的とかそういうのでもねぇよ」

「……では、どういった用件かしら」

 

 わ。あたしとヒッキーとじゃ態度が全然違う。

 あらかじめヒッキーに言われてたけど、ゆきのんって最初こんなんだったんだ。

 えーと、確かヒッキーの見た目で身の危険を感じるーとか言ったって言ってたよね?

 

「部活内容は平塚先生から聞いてる。入部希望者だ」

「……え?」

 

 ゆきのんが固まった。

 そりゃそうだよね、設立したばっかりなのにいきなり入部希望者だもん。

 

「えっと、由比ヶ浜結衣っていいます」

「あー、その……比企谷八幡だ。よろしく頼む」

「平塚先生は、許可を出したのね?」

「うんっ」

「おう」

「……そう。ええと、まず最初にとても失礼なことを訊くけれど……由比ヶ浜さん、といったかしら」

「え? う、うんっ、なにっ? なにかなっ」

 

 ゆきのんが声をかけてくれたっ!

 な、なにかなっ、なにかなっ!

 

「そこの……比企谷くん、という彼とは恋人、なのかしら?」

「ふえっ!? あ、え、えとー……う、うん……! あの……こここ、子供の頃から、大好き同士、やってまひゅ……!《かぁああ……!》」

「う……お、おう……《かぁああ……!》」

 

 ゆ、ゆきのんたらなんてこと訊いてくんの!?

 や、やー……そりゃそうだけど! 恋人だけど! なんかもう婚約とか、子作りのことまで認められちゃってるけど!

 

「そう……ではしっかりと手綱を握っていてちょうだいね。間違っても、彼が私に近づくことがないように」

「───……」

「……ほれ、な?」

 

 ゆきのんの突然の言葉に、ちょっぴり呆然。

 けど、ヒッキーが“言った通りだろ?”みたいな声でそう言うと、あー、そっかー、なんて納得しちゃった。

 

「そうだね、ゆきのん可愛いもんね。今までもいろんな人に告白とかされたんだよね?」

「───……その。由比ヶ浜さん? ゆきのん、というのは……私のことかしら」

「うん」

「……やめてほしいのだけれど」

「だめ。えっとあのあの、ひひひっひひ人の婚約者っ……さん、が、自分に惚れるだなんて、うう……ここ婚約者の前で言った罪は重いんだよっ!? ゆきのんっ!」

「婚約者っ……!?」

 

 ほんとは恋人、って言おうと思ったけど、たぶんゆきのんならそんな人からの告白も経験してるんじゃないかなって。

 だから、口にするのは結構抵抗はあったけど……こ、婚約者って。

 

「いえ、それは、その……ごめんなさい。けれどその、この歳で……いえ、べつに不思議では……ないのかもしれないわね」

「おい。言っとくが政略的な関係とかは一切ないからな? お互いがちゃんと好き合って……ぐおお……!《かぁあ……!》」

「ヒ、ヒッキー! そこはちゃんと言い切らないと余計に恥ずかしいよぅっ!」

「わり……悪い……! あぁあその、なななんだ……えっとだな……ちゃんと、な? 好き合って、付き合ってるんだ……。大変驚くことに、もう両親同士から子作りしろとまで言われてる……」

「こづっ!?」

「ヒッキー!? そそそそこまで言わなくていいよ!?」

「ウエッ!? あっ……」

 

 ヒッキーがもっかい、ぐおお……って言って顔を両手で覆って俯いちゃった。

 あたしもいっそそうしたいけど、今はゆきのんとちゃんと友達になるところから……!

 

「と、とにかくねっ!? そういう関係だからっ、絶対安心だからだいじょぶ! だから───……ほら、ヒッキー」

「お、おう……そだな。───ああ、だから」

 

 ちらりと見上げて見下ろして、にこっと笑って息を合わせる。

 そして、次の言葉を待っているゆきのんにハッキリと言うんだ。

 

「俺と」

「あたしと」

『友達になってください!』

 

 やっと、あたしたちの奉仕部が始まる。

 始まり方はあの時とは違うけど、きっと……事故のことが無い分、あたしたちはもっと早くに笑い合え「ごめんなさいそれは無理」ゆきのん!?

 

「えぇええっ!? むむむ無理って、なんでー!?」

「急に現れて急に騒いで急に友達になりましょうなんて言われて、あなたたちのなにを信じて友達になれというの」

「じゃあ最初は部活仲間からでいいからぁ! 友達しよーよぉ!」

「《ガリ……》あー、その。雪ノ下? お前がもし、俺達がお前の苗字のことになにかしらの期待だの希望だのを持っているとか思ってるなら、そんなもんはまったくもって無駄なことだぞ?」

「───! ……あなた」

「はっきり言って雪ノ下のあーだこーだなんて興味ないし、金だって自分らで溜めたもの以外は欲しくねぇよ。俺達は俺達の目的のためだけに行動する。そこに、“雪ノ下”って苗字なんてのは関係ないし、ハッキリ言うならどうでもいい」

「どっ!? ど、ど……うでも……と、言われたのは…………初めてね」

 

 頭をガリって掻いたヒッキーが、少し呆れながら言った言葉は、ゆきのんの心に結構ぐっさり刺さったみたい。

 ヒッキー……いくらなんでも“どうでもいい”は言いすぎだと思うんだ、あたし……。

 

「べつにお前が“自分の苗字”をひけらかして生きていくならそれでもいい。苗字じゃなく、自分自身の名前で生きていくんならそれでもいい。お前が何者かとか親がどうとかどうでもいいんだ、心底。だからほら、その……あー、なんだ。よかったら、俺達と友達になってくれ」

「そうすることで、あなたたちにどういったメリットが生まれると? それを教えてもらえるかしら」

「? 友達が出来る」

「うん。友達が出来るよ?」

「い、え……あの。そうではなくて。私と友人になることで、あなたたちがどういった得をするというのかを───」

「友達が出来るな」

「友達が出来るよ……ね?」

「………」

「?」

「ゆきのん?」

 

 えっと。あれ? それ以外になにかあるかな。

 ほら、あたしたちってちょっと特殊だから、ヒッキーと出会えてからはろくに友達といえる友達も作らなかったし、それっぽい人は居てもどんな時でもヒッキーを優先させちゃったから付き合いも悪かったし、気づけば友達っぽかった人なんて自然と離れていってたし。

 友達が出来る……今なら解るよヒッキー! これってすごいことだね! とか思ってたら、ゆきのんが突然俯いて、肩をぷるぷる震わせ始めた。

 

「ゆきのん?」

「……っ……ふっ……くふふっ……! え、ええ……解ったわ、けれど、まずは知り合いから始めさせてちょうだい。その……恥ずかしいことだけれど、友達というものを持ったことがないの。そのくせ、理想だけは高いから、あなたたちに不快な思いをさせるかもしれないから」

「もちろんだよゆきのん! ね、ヒッキー! いいよねっ!? もういいよねっ!?」

「……その〝飼い主おあずけされてた犬”みたいに見上げるの、やめてください」

「そんなことどーでもいーから!」

「《……コリコリ》」

 

 あたしの言葉に、ヒッキーは頬を掻いてゆきのんに言葉を投げた。

 

「まあ、結衣の言ったことも解る。雪ノ下、確かにお前は綺麗だ。だが、正直に言えば俺はもう結衣以外の女性にそういった感情は持たん。あぁあとこれはおまけだが、こいつは好きな相手には異常に人懐っこいから、拒絶しない程度に受け入れてやってくれ」

「え、えへへ……そんなヒッキー、あたしだけなんて……あれ? なんかおまけ扱いだ!? ちょっとヒッキー!?」

「ほれ、行っていいぞ。愛しのゆきのんが待ってるぞー」

「そんな言葉で騙されないかんね!? さっきまであたしの話が本題で───」

「……《ソッ》」

「ひっきぃっ!《がばっ!》……ハッ!? ヒッキー!?」

 

 怒った途端、ヒッキーが両腕を広げて迎える姿勢を取った。……ら、あたしは反射的にヒッキーの胸に飛び込んでた。

 すぐにハッとして離れるけど……うー……! ヒッキーずるい! ここここんなんじゃあたし、もう騙されないから!

 

「あの。じゃれあっているところ悪いのだけれど」

「はうっ!?」

 

 そうだった、ゆきのん! あ、で、でもヒッキーのことも……えっとえっと……!

 

「えと、なにかな、ゆきのん」

「その。二人は入部希望でよかったのよね? ……ようこそ、奉仕部へ。歓迎するわ」

「あ…………ゆきのんっ!」

「《がばぁっ!》きゃあっ!? え、な、なっ……!? ゆゆ、由比ヶ浜さっ……!?」

「人懐こいっていったろ? 隙あらば抱き着くから気をつけろよー」

「……知り合いから赤の他人に降格させてもらっていいかしら」

「やめてよぉ! せっかく部活仲間から始めたのに、そんなのやだよぅ!」

 

 なんだか懐かしい感覚だった。

 そうだったね、最初の頃のゆきのんってほんと、とりあえずなんでも断るみたいな雰囲気あったっけ。

 あんまり意識してなかったけど……ていうか仲良くなりたい一心で必死だったけど、あたし結構頑張ってたんだなぁ。

 んん……でも……頑張ったって意味なら、ヒッキーのことも一緒だよね?

 ずっとずっと好きで、好きで居続けて、今も好きで、好きで好きで。

 その想いが長く大きい分だけ、傍に居るととっても安心できる。

 前のあたしの時、なにかで〝馬鹿な女は頭が悪いから一途でいるしかない”なんて言葉を見た気がするけど……そうだとしてもそうじゃなかったとしても、相手も自分も大事にして大事にしてもらえるなら、馬鹿だろうと天才だろうとそんなのは関係ないんだ。

 勉強が好きになって、いろいろなものへの理解が増えたって、結局ヒッキーが好きって気持ちは消えなかったし。

 むしろ前のあたしよりももっと好きだ。

 どれくらい好きかっていうと……えと、ほら。うん。抱き着いてると、ぽーってなって、ヒッキーにならなにされてもいいやーって……ほら。

 

「それで、なのだけれど。早速最初の仕事を手伝ってほしいの」

「おう、あれだな」

「え? あ、うん。あれだね」

「? あれ、とは……何を頼むか解ったというの?」

「長机と俺達の椅子」

「でしょ?」

「え───……いえ、その通り……だけれど。……そうね、お願いできるかしら」

「任せとけ」

「えっへへー、あ、じゃあ机も拭かなきゃだね。ちょっと雑巾持ってく《ぎゅむっ》ひゃんっ!?」

「俺が行くからいい。お前一人を向かわせるとか、心配だ」

「うー……それってあたしが───」

「新しい環境で浮かれて調子に乗った男子に囲まれたりとかしないかって意味だ。新しい環境ってのに酔うと、人間なにをしでかすか解らんからな。ソースは俺。おまけに材木座とか」

「…………ぁぅ」

「頼りないとかそういう意味じゃないから、そんながっかりすんなよ」

 

 それを言われると弱い。

 入学式の日、ヒッキーはサブレを庇った所為で骨折したんだ。

 だからそれを出されちゃうと、あたしはなにも言えない。

 そうしてあたしが沈黙してると、あたしを後ろから抱きしめてたヒッキーは足早に部室を出ていってしまった。

 ……ヒッキー、運動を始めてから性格的にも前向きになった気がするな。

 前までのヒッキーだったら、同じことを思っても自分から動くことなんてしなかったんじゃないかな。

 それって、えっと…………だよね。えへへ。

 一人でにこにこして、ハッとしてゆきのんと話を始めた。

 きっかけはなにがいいかなーと思って、とりあえず考えて……あ、じゃあ、って、気まぐれな猫の話。

 すぐに乗っかってくれて、結構盛り上がった。

 ……うん、あたしの言ってる猫は、アホ毛が生えた捻くれた彼氏さんなんだけど。

 ああでも、今じゃそんなに捻くれてないよね。とってもやさしい。でもやさしいだけじゃないから、それがなんだか嬉しいんだ。

 一緒に歩くために、いろいろと足りないものを教えたり付き合ったりしてくれる。

 

「………はふ」

 

 一度だけ、もし自分が犬になったらー、なんて話をしたことがある。

 いっぱい怒られた。

 飼い主はヒッキーがいいなー、なんて言ったら、俺みたいな人格破綻者が世話だの教育だのを誰かにするとか馬鹿げてるって。

 それをするならまず自分が変わる必要があるから、間違っても誰かと一緒に歩く覚悟も持たない、口を開けば欺瞞欺瞞言ってるだけの馬鹿のペットにはなるなって。

 ……あたしが言ってるのは今のヒッキーなのにな。

 そう言ったら真っ赤になってた。

 真っ赤になって、“それは嫌だ”って。ちゃんと由比ヶ浜結衣のまま、隣に居てくれって。

 やっぱりずるい。泣いちゃったよあたし。

 

   ×   ×   ×

 

 そうして始まった奉仕部は……とっても暇だった。

 長机を用意して、いつかのままの位置に座って……みたんだけど、ゆきのんともヒッキーとも距離を感じて、結局詰めた。

 

「これだけ長い机だというのに、なぜこんなに固まって座る必要が───」

「え? だってほら、近いと楽しいよ? それにさ、依頼人が来たらさ、やっぱ三人で正面向いて聞きたいし」

「そう、かしら……そういうものかしら」

「そうそう! ね、ヒッキーっ!」

「へ? あ、ああ、そうなんじゃねぇの?」

「ヒッキー!」

「うおっ……い、いや、すまん、なんかちょっとアレがアレでな……。懐かしさの所為か、自分に話を振られるとは思わなかったっつーか」

「むー……」

「悪かった、ちゃんと聞くから。……そだな、雪ノ下、一気にじゃなく、少しずつ妥協してみりゃいいぞ。それは敗北じゃなくて譲り合いだ」

「……いえ、べつに勝ち負けにこだわっているわけではないわ。ただ、私にも譲れないものというものがあって、それを言わせてもらうのなら、由比ヶ浜さんは───」

「あたしにだって譲れないものくらいあるよ? それ言ったらゆきのんは───」

 

 あーでもないこーでもない。

 あたしとゆきのんはお互い思っていることをぶつけあって、ヒッキーが苦笑する横で親睦を深めた。

 何度も何度も、これでもかってくらい話して頷いて、そうじゃないよって首を横に振って。

 そうやって、まずはお互いを知る努力から始めて───そんな日を何日も何日も続けた。

 隣ではヒッキーがやっぱり苦笑してて、でもあたしのやりかたを否定するとかそういうのは全然なくて、むしろお互いが最初から思いをぶちまけられるなら、最初からそうしちまったほうが楽だろ、なんて言ってた。

 

  そして……二週間。

 

「えへへへへへぇ」

「うぅ……その、由比ヶ浜さん、やっぱり近すぎではないかしら……」

「そんなことないよ、友達ならとーぜんだよっ!」

「そ、そう、なの……? そうなの……」

 

 妥協して頷いて解り合って譲り合って、たくさん話をして……勉強も一緒にやって、歌も一緒に聞いたりして、気づけばゆきのんとの距離は無くなってた。

 あたしがゆきのんに夢中の間、ヒッキーはヒッキーでさいちゃんと仲良くなって、あたしとゆきのんも合わせた四人でジョギングとかもしたりして、口にはしなかったけどゆきのんの体力作りも合わせた、いつかのさいちゃんの依頼の土台作り、ってのをヒッキーの案で始めた。

 それにしても、なんか安心。

 ゆきのんが近いってだけで、あたし、すごく落ち着いてる。

 隣に居ても、“近い”って言うだけで拒絶はされない。

 紅茶も淹れてくれるようになったし、遊びに行くことも……たまに。

 ただ、ここでのゆきのんは車で送迎されてた。

 あの事故がなかったからなのか、ただ単に“ここ”がそういう流れになっただけなのか。あたしには解らないけど、とりあえず遊びたいって予約入れておかないと、ゆきのんは送迎を優先させるから一緒には遊べない。

 一人暮らしをしてみたいって言ったんだけど、ゆきのんのママが大反対したんだって。ゆきのんのパパは大賛成だったらしいんだけど。

 あと一週間以内になんとかしてみせるわ、なんて言ってた。

 

「由比ヶ浜さんは、その。親に期待をされすぎている、ということはないの?」

「期待……えっと。はやくそのー……こ、子供が見たいって」

「うくっ……!? い、いえ、期待というのはそういう意味ではなく……ええと。親の家業を継ぐため、という方向での、将来の期待とかよ。……あなたも比企谷くんも、大分成績がいいでしょう? そういう方向で何かを願われている、とかは……」

「んー、ないかなぁ。やりたいことをやりなさいって言われてるし、笑顔になれないことはママが許しませんって怒られちゃってるし」

「……そう。やさしいお母さんなのね」

「えへへ、たまに強引だけどね」

「その……比企谷くんのご両親は……?」

「んあ? あー……基本放置だな。真面目で頼り甲斐のある長男を目指してみたが、余計に放置がひどくなっただけだった。まさか俺だけ由比ヶ浜家に預けて小町と旅行行くとかするとは思わなかったわ」

「あー、あれは驚いたよねー」

 

 そう。ヒッキーは前の世界で旅行に置いていかれていたそうだけど、この世界でもそうなんだ。

 ヒッキーのパパが“八幡、お前は旅行よりも結衣ちゃ───”“あらー、比企谷さん? ヒッキーくん……こほん、ハチくん以外に男性が結衣を名前呼びなんて、許しませんよー?”“───ごごごごめんなしゃいっ!? えぇえっとそのあれだほら! 旅行よりも娘さんと一緒に居たいだろ!? 居たいよな!?”……とかなんとかいうやり取りのあと、ヒッキーがあたしの家にお泊りしたりしたことも何度かあった。車で迎えにいって、一緒に団地に戻るなんて結構楽しかった。

 何年か越しの気の長い説得っていうか付き合いで、もうパパもなんだかんだでヒッキーのこと気に入ってくれてるし、将来お酒に付き合う約束もしたってヒッキーが言ってた。

 いつかパパにお酒を買って、一緒に飲む予定ができた、なんてヒッキーは笑ってた。

 そのお酒も、二十歳になったらすぐに買って飲んでみたい、なんて言ってる。

 あたしたちはとにかく無駄遣いをしない。お金をずうっと貯めてるし、特にヒッキーは物心ついた頃から家族に誕生日を祝われないで、お金だけ渡されてたらしくて、それも貯めてるから結構すごいみたい。

 前のあたしだったらすぐに友達との遊びで無くしちゃって、貯めるなんてしなかったなぁ。だからやりくりを覚えたし、少しでも安くなればっていろいろ考えた。だから計算は少しだけ得意だった。それが数学の授業やテストで役立つかって言ったら全然だけど。

 ま、まあ今はヒッキーと一緒に勉強したりして、ゆきのんにも認められるほど、まあまあ頭はいいつもりだし!

 

(わ……)

 

 ……優美子と付き合いがあるわけじゃないのに、たまに“し”が出てくることに結構驚く。

 ごめんだけど、この世界では深い関係の友達はそんなに作らないつもりだ。

 どうしてもお金が飛んじゃうし、あっちにふらふらとかはしたくない。

 だから、なんだかんだでぶつかり合ってた優美子とゆきのん、その両方と友達っていうのは、やっぱり難しいし……気になっちゃうだろうけど、そこは我慢。

 “これ”って決めたらちゃんと選ばないとだ。

 あたしとヒッキーは、もう選んだから。他に揺れるなんて、あっちゃいけない。

 

「ゆきのんのママは?」

「……。あれは厳しい、という部類に入るのかしら。自分の思い通りにならないことを嫌うのは皆同じだし、自分より上手い人が居るのなら、その人に任せた方が効率から言えばとてもいい。けれど───」

「ゆきのん?」

「いえ、なんでもないわ。そうね……ただの、そう。ただの、我が儘な……人間よ」

 

 そう囁くように言って、ゆきのんはフッて笑った。

 その微笑みがどんな意味を持ってるのかは解らないけど、その日から……ちょっぴり、ゆきのんはこっちに歩み寄ってくれた気がした。

 


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