どこにでもあるようなガハマさんとヒッキーのお話   作:凍傷(ぜろくろ)

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夢が繋がった日③

 しばらくして、ゆきのんが一人暮らしを始めた。

 やっぱりゆきのんのママにはとても反対されたらしいけど、ゆきのんのパパは賛成してくれたみたいで、高校にも一人で通ってる。

 前より誘いやすくなったし、運動とかも積極的に混ざってくれるようになった。

 ジョギングとかストレッチとか。もうあたしもべたーって出来るから、ヒッキーと一緒で体の柔らかさとか、けっこー自慢だったりする。

 ……うん、座って、両足開いて、上半身をべたーって地面にくっつけるのは、他のやつの前ではやるなってヒッキーに言われてるからやらないけど。

 中学の時にやって、男子の目が気持ち悪かったから、もう絶対やだし。

 まあ、えと。それはそれとしてなんだけど……うん、奉仕部。そう、奉仕部。

 奉仕部は、相変わらず暇してる。

 

「おお、百点満点。さすが俺」

「くっ……! まさか、比企谷くんに……!」

「えへへぇ、数学でゆきのんに勝っちゃった……!」

「!?《がーーーん!》」

「ゆきのん!? なんでそんな驚くの!?」

「い、いえ、だって……普段のあなたから考えると、なんというか、その……」

「まあようするに行動が馬鹿っぽいってことだろ」

「誰がバカだ!?」

「ごごごごめんなさい、そうではないのよっ……! 比企谷くん、少し黙っていてちょうだい」

「………《ニヤニヤ》」

「その気色の悪い笑みで見つめるのもやめなさい」

「なにそれ理不尽」

 

 依頼者なんてちっとも来ないまま、集まればお話したり勉強したり。

 そんなことを続けて、やってきたテストで、まさかの百点満点。

 ゆきのんは軽いミスをしちゃったみたいで、ひとつだけ間違って……結果がこれ。

 仕方ないよね、急な一人暮らしの所為でまだいろいろ戸惑ってるんだろうし。

 でも……えへー、やっぱりひとつでもゆきのんに勝てたのって嬉しい。

 料理も勉強もだめだったからなぁ、あたし。

 

「………~♪」

 

 ゆきのんがどんどんと近くなる。あたしはそれが嬉しい。

 ヒッキーに言わせると、高校生活を一年まるごとぼっちで過ごせば、心だってどうあっても冷たくなるもんだって。

 だから一年の始まりから知り合えたのは幸運だったって。あ、おまけに“ソースは俺”とか言ってた。……そだね、ヒッキーも骨折して入院しちゃった所為で、あっちじゃ一ヶ月近く休んで……一年間ぼっちだったから。その、あたしはちょくちょく様子見に行ってたけど。

 あたしも勇気だして、もっと早くにヒッキーに声かけてたら、とっくに……だったのかなぁ。

 それこそ、ヒッキーの病室に行って全部謝って全部打ち明けて、えと、あの頃はまだちょっと形になってなかった気持ちとか、燻らせたまま……ほら、友達なんかになっちゃってさ。

 でさでさ、毎日お見舞いに行って、ゆっくり仲良くなって、ぼっちのエリートなんかじゃないヒッキーと……いつか。

 

「…………《じー……》」

「お、おお? 結衣? どした?」

 

 そんなことを考えてたら、じーってヒッキーのこと見てた。

 恥ずかしかったのか照れなのか、ヒッキーはちょっともじもじしながらあたしを見る。

 目は腐ってなくて、髪型とかも小町ちゃんに“結衣お姉ちゃんみたいな可愛くて綺麗な人が婚約者なのに、自分の容姿に無頓着とか小町的にポイント低い!”って、えーと……モテる男のなんたら~って本を開いて勉強させてた。……んだけど、ヒッキーは一言、あたしに“どんな髪型とか服装がいい?”って訊いてきて、あたしはびっくりしながらそれに答えていった。

 そしたら……なんか、もう。もうもう。

 休日とかね、ヒッキーすごい。格好いい。

 たまたまヒッキーのママ……えと、もうお義母さんって呼びなさいって言われちゃってるけど、えとー……えへへ。じゃなくて。

 たまたまお義母さんが連休の時に服を買いに行こうってことになって、お義母さんに何処に行くんだって呼び止められて、素直にデート用とかの服を買いに行くってヒッキーが言ったら、お義母さん、ニ~ヤ~って。すっごいやさしいし嬉しくてたまらないって顔で、ヒッキーにお金握らせて“……男、いや……漢になってきな、八幡”なんて言ってた。すっごいイイ顔で。

 その軍資金がとんでもなかったからすぐに返そうとしたヒッキーだけど、お義母さんは“あんたにゃいつも家のこととか小町のことで迷惑かけてる。言っちゃなんだが自慢の孝行息子だ。これはその礼みたいなもんだから、遠慮……いや。こんな時まで我慢すんじゃない”ってヒッキーの背中を叩いた。

 それから服を買って髪型も変えてみたら……すごかった。

 うん、なんていうか……すごかった。

 学校だと今まで通りの髪型だし、いつも通りなんだけど……休日、すごい。

 そんな人が今では、小町ちゃん言うところの好き好きオーラを遠慮無しにあたしにぶつけてくるから、えと、なんてのかな。えへー……恥ずかしいのと違くて、照れるっていうか。うん。嬉しいんだけど、こう……ほら。えと。

 ……し、幸せってこんな感じなのかなーって、ぽーっとしちゃうんだ。

 さいちゃんもゆきのんも、初めて見た時驚いてたもん。

 

「えへへぇ」

「《きゅむっ》……っと。……あー、うん」

「《なでなで》わぷっ……んー……!」

 

 奉仕部で過ごす静かな読書の時間。

 隣に座るヒッキーの腕を静かに抱き締めて、自然と緩む頬に、嬉しさを感じる。

 なんか、なんかだー。なんかもうあたし、いろいろあれだ。ヒッキーと一緒で嬉しい。

 今さらだけど、やっぱり好きだ。確認するまでもないけど、好きだ。

 でもちょっと心配。

 初めて服を買って、じゃあいっそって髪型も美容院でビシっとして帰った時、すごかったもんね。

 あの格好で一人歩きとかしてたら、絶対に声とかかけられちゃいそうだ。

 お義母さんに本気で“誰!?”って驚かれてたもんなぁ。

 でも……うん。

 ヒッキーの本当にいいところはそういう外見的なものじゃないから。

 そうしてもっと、ヒッキーのことを知ってくれる人が増えたらなって、そう思うのに……女の子に声をかけられるのを見ると、ちょっぴりモヤっとしちゃう自分が嫌だった。

 ……前の時、ゆきのんの時もゆきのんが誰かと仲良くするのが嫌だって思ったけど……あたし、ほんと独占欲強いのかなぁ。……強いんだろうね。

 空気を読んでなにかを譲ることはあっても、本当に大切なものは……絶対に、譲りたくないって思う。

 

「しかし、こうなると二年の教科書も欲しくなるな」

「入学して半年も経っていないというのに、また随分と自由な言葉が出たわね」

「文系方面には自信があるから、理系に集中していれば問題ない……と断言は出来ないが、多少自信があるんだ」

「あたしはそれほどでもないかなぁ。えっとヒッキー、ここの解釈ってこうでいいんだっけ?」

「まあ、高校で覚えるものにもいろいろあるよな。そもそも漢字の読み方が違う。これの読みはな」

「ふんふん……は~、やっぱヒッキーって国語強いね」

「案外覚えてるもんだな。いや、こういうのの場合は“触れて思い出してる”って言ったほうがいいのか?」

「……? まるで一度学んだことがあるような言い方ね」

「おう。実は俺、知り合いの卒業生に教科書見せてもらったことがあってな。それを覚えてるもんだなーって」

「……そう、そういうこと。卒業生といえば……、……」

「ゆきのん?」

「いえ。ただ、姉もそうだと言いたかっただけよ」

 

 ゆきのんは陽乃さんに関わる話になると、言葉を詰まらせる。

 あたしはキョウダイっていうのが居ないから気持ちが解らないけど、そんな言葉に詰まっちゃうようなものなのかな。

 ヒッキーに言わせると、それこそ言葉に詰まるどころか溢れ出るのに。

 そんなゆきのんの反応を見て、ヒッキーはさっさと話題を変えちゃった。

 ……なんか、ヒッキーも変わったな~って。

 前の時でもこういうことはしたかもだけど、どっちかっていったら自分が絡まなきゃ流れに任せるみたいな感じだったのに。

 や、それでもなんだかんだ首突っ込んでくれてたんだけど。

 …………。えへへ。あ、や、思い出し笑いとかはいいから。

 

「……今日はここまでにしましょう。そろそろ完全下校時刻になるわ」

「っと、もうそんな時間か」

「時間が経つのって速いよね。昔はもっと長かったのになー」

「? 普通は、覚えるものが多いと短く感じるものではないかしら」

「いや、雪ノ下、結衣の場合は勉強に限ってのことだ」

「ヒッキー!? なんで言っちゃうの!?」

「……ええと? つまりそれは───」

「昔は解らないことだらけで、むしろ覚えようともせずに時間の経過を待ってたタイプ……って言えば解るか?」

「……《じと》」

「ちちち違うんだよゆきのん!? あれはただ理解の範疇を超えてたってゆーかっ! もうヒッキーもなんでこんなこと言っちゃうの!? 話題出したのあたしだけど!」

「由比ヶ浜さん、それは自分で答えを言っているようなものよ」

「ふぐっ!? ……うー、うー……!!」

「《くいくいくいくいくいくい》や、ちょ、やめなさいこら服引っ張らないの……! 悪かった、悪かったから……!」

 

 図星を突かれて、っていうかあたしも思ってたことを指摘されて、なにも言えなくなっちゃった。結構恥ずかしい。ヒッキーには解ってもらいたくてくいくい服を引っ張ったけど、ヒッキーは言葉の割にくすぐったそうに笑いながら、シャーペンを置いて左手で服を引っ張るあたしの右手を掴んで、右手でぽんぽんと頭を撫でてくれた。

 それだけで、ふしゅーって恥ずかしさとかが抜けちゃうあたしって、単純なのかな。

 いいよね、それで。だって、そのほうが幸せだ。

 

「あ、ゆきのん、今日は遊べる?」

「勉強をしたあとに遊ぶ……まるで小学生ね、由比ヶ浜さん」

「楽しみたい心に年齢なんて関係ないってばゆきのんっ」

「比企谷くん、あなたの恋人でしょう。止めてちょうだい」

「その躾がなってないわよみたいな顔やめない? お前、結衣に対して一気に馴染みすぎな上に遠慮無くしすぎでしょ……」

「遠慮を無くされたのなら返さなければ負けているみたいじゃない」

「お前って、負けず嫌いな……」

「おかしなことを言うのね比企谷くん。世の中、好んで負けることを選ぶ人なんて、人生に“諦め”を張り付けた人くらいなものよ」

「《ゾグシャア!!》……無自覚な抉りってわりとダメージデカいってこと、久しぶりに体感したわ……。だよなー、最初の頃の雪ノ下ってアレだったもんなー。思い出しても泣きそうになるよ……」

「?」

 

 今度はゆきのんに見えないとこで、ヒッキーから服をくいくいされた。

 なんだか嬉しくなってその手を掴んで、なでなでさらさら。

 たま~にこうして甘えてくれると、胸がこう……なんてのかな、えっと。えへへ。きゅーってゆーか、ぎゅーってゆーか、とにかくええと。頭よくなっても、例えられる言葉ってなかなか見つからないことってあるね。

 だったら、やっぱり、だよね。

 楽しいなら言葉の飾りつけなんてしなくて、楽しいって言えばいいんだ。

 今のあたしは…………嬉しい、だね、やっぱり。

 

「まるで~僕らの~青春は、コメディーみ~た~いに~」

 

 あ。でもヒッキー、久しぶりのダメージが辛かったのか、悲しい歌を歌い始めた。

 

「貶され笑われ嘆いても~……変わらない自分めざ~して~」

「ヒ、ヒッキー?」

「ドキドキすること~、この胸に~、や~ぁって~こいー」

 

 なんか目がどよどよしてきてる!? ヒッキー!? ヒッキーってば!

 

「子供が無邪気に駆け抜ける~、み~た~~~いに~~……燥ぎたいんだー……」

 

 青春17ワロス、とか言って、ヒッキーはあたしの手にのの字を書き始めた。

 なんか見てらんなくなって抱き締めたら変な声だして戻ったけど。

 

   ×   ×   ×

 

 楽しくて眩しい時間が過ぎてゆく。

 高校二年生になって、ヒッキーと同じクラスになって、優美子に誘われたけど“葉山くん”のグループには入らず、女子だけのグループで楽しんで。

 結局優美子とは友達になった。我慢しようとしたけど、だめだった。

 あ、でもお金とかは使わない方向でっていう自分を最初にちゃんと伝えたら、“むしろ無駄遣いとか逆に許さねーし”って笑ってた。

 この世界でも優美子は葉山くんのことをちらちら見てる。

 時々一緒のグループ作らない? って訊いてくるけど、人が増えればそれだけ難しいことも増えてくる。

 あたしはもう目標があるから、遊ぶことになったって“じゃあ一緒に”は無理だからって伝えたら、それでもって優美子は一歩を踏み出した。

 それからは、優美子とはそんなに話してない。

 顔を合わせればいっぱいいっぱい喋るけど、お互いに気になる相手が居るし、無駄遣いもしない二人だから、喫茶店に集まって女子会~っていうのも全然だ。

 気づけばいつかみたいにクラスの女子の中心って位置に居た優美子は、やっぱりちらちらと葉山くんを見ては赤くなってた。

 

  あたしはいつも通りだ。

 

 ヒッキーの隣の家に越してきてから、ヒッキーとはずっとジョギングとかストレッチを続けて、体力作りとかの運動もばっちり。これでも運動神経とか自信ある。前のあたしはそこまでじゃなかったけど。

 ゆきのんもさいちゃんも一年で大分体力がついたって喜んでたし、特にゆきのんがすごい。元々運動神経がよかったから、休日にテニスとかやると、もうほんと、すごい。さいちゃんの練習のためだったのに、気づけばあたしもヒッキーも巻き込まれて、ゆきのんが手伝えない時でもさいちゃんの練習相手が出来るくらいにまで、まあまあ上手くなってた。

 ヒッキーがそこに足すみたく、柔道も教えてくれって言った時は、ああ、あれかなって思った。うん、あたしも頑張った。

 それはそれとして、テニスってやってみると面白い。走って振るって……うん、でも長くやってると胸痛い。

 あ、えと。休日のことは今はよくて。

 そう、あたしの学校での過ごし方とか、そのあとのこと。そう、いつも通りのこと。

 休み時間の度にヒッキーの席に行って話をしたり、お昼になれば一緒にご飯食べたり、放課後になればヒッキーと一緒に奉仕部に行ったり、ヒッキーと一緒に下校してヒッキーの部屋で勉強したりお話したりごろごろしたり、ヒッキーのベッドで一緒に寝たり、朝いちばんにヒッキーにおはようって言ったり、ヒッキーと一緒にご飯食べて、ヒッキーと一緒に登校して、席替えでヒッキーの隣になった女子と席を代えてもらったりして、ヒッキーの隣でヒッキーと授業を受けてー……こんな幸せな時間を残したくて、日記とかつけてみようかなーってゆきのんに言ったら、どうせ比企谷くんのことしか書かないのだからやめなさいって言われた。

 そ、そんなことないよ!? ほら、えっと………………か、帰りに買い物とかするし! ……ヒッキーと。

 楽しい番組とか見て笑ったーとか……ヒッキーと。

 ととと解けなかった問題が解けて喜んだーとか! ……ヒッキーと。

 バババイトとかもめっちゃするし! ……ヒッキーと同じ場所で。

 え、や、ちょっと待って!? やめてよゆきのん! なんでそんなやさしい顔ではいはいって笑うママみたいな顔してんの!?

 

「うー……」

「うーっす……って、おい雪ノ下。なんで結衣、ふてくされてんの。人がトイレ行ってる間に喧嘩があったとかやめてくれよ?」

「由比ヶ浜さんが自爆しただけよ。悪いことではないし、むしろ微笑ましい部類の悩みだから、比企谷くん。あなたがつついてあげなさい」

「つついてって。……結衣? 結衣ー?」

「~~……あ、あたし決めた! ヒッキー断ちする!《どーーーん!》」

「………」

「………」

「…………俺。お前になにかしちまったかな……。ごめん、結衣……なにも思い当たらないんだ……」

「うひゃああ!? そうじゃないよヒッキーはなんにも悪くなくて! むしろあたしがだめだなぁって思うことばっかで! えとえとっ……あ、あのねヒッキー、聞いて? さっきゆきのんと話してて気づいたんだけど……」

 

 泣きそうな顔のヒッキーに慌てて自分の気持ちを伝える。

 ヒッキーのことばっかで、このままじゃなんていうか、ダメになっちゃうんじゃないかって思ったから、あんまりにもべったりな今のあたしをなんとかしようって思ったことを、真っ直ぐに。

 

「けれど由比ヶ浜さん? 比企谷くんの話をきちんと受け止めると、あなたは比企谷くんと一緒になってから随分と能力を向上させたようだけれど……」

「いや俺べつにそういうこと言ってねぇから。人一人を俺が育てたとか偉そうに言えるほど、人として誇れる道とか歩んでないからね? 俺」

 

 確かに、ヒッキーと会ってからのあたしは……随分変われたんだと思う。

 会ってからっていうのは、サブレを助けてもらってから。

 周囲に合わせるだけだったあたしが恋を知って、奉仕部を知って、自分の意見を伝えることを前に出す喜びを知って。

 この世界でもヒッキーともう一度出会えて、頑張ることが出来て、頭もよくなったし料理も結構いけてる。

 それはそうなんだけど、そろそろヒッキーにべったりな自分も卒業して、強くならなきゃって。

 

「あたし、がんばるから!」

「……そう。頑張りなさい、由比ヶ浜さん。一日くらい」

「うん! ……え? あの、ゆ、ゆきのん違うよ? あたしもっとこう……」

「明日を楽しみにしているわね」

「ゆ、ゆきのん? 聞いて? ゆきのん? ゆきのーん……」

 

 穏やかに笑いながら読書に戻るゆきのんに、もうあたしの声は届かなかった。

 

……。

 

 完全下校時刻になると、部活が終わる。

 鍵を返してくるわと言って別れたゆきのんに、「おう」って返事をするヒッキー……の、左腕から目が離せない。

 部室出て一歩目でこれだった。

 抱き着きたい。あそこ、あたしの場所。

 なんかそんな意識が噴水みたく湧き上がってくる。

 あ、あれ? こういうのってじわじわ湧き出してくるものなんじゃないのかな。

 おかしいのかな、あたし。

 

「………《じー……》」

「いや……おい」

 

 一緒に下校。

 左腕。じー。

 

「……───ってことがあってな、あの時小町が───」

「そうなんだ! もー、ヒッキーはー!」

 

 電車に乗らず、歩いて下校。好きな時間。

 他愛ない会話で、ヒッキーの肩をぽすんって叩いたりして、触れると胸がとくんどころかどくんって鳴って…………えと。

 左腕。じー。

 

「……いや……」

 

 家の前。

 いつも通りヒッキーと、ヒッキーの家に入ってただいまーって違うよ!?

 きょ、今日は違う! ちゃんと家に帰るの! ヒッキー断ちしてるんだから!

 そそそそうだ! 家に帰ってー、「ただいまー」部屋に戻ってー、「んしょ……うう、また胸おっきくなったかな……」着替えてー、「いってきまーす」ヒッキーの家に……ってだから違うよ!?

 ななななんでそうなんの!? ヒッキー断ちやってるんだってば! ほら、戻って! 戻るの! もどっ……も…………

 

「…………《じー……》」

 

 えと。

 ちょ、ちょっとくらい顔見るとか……いいかな。

 あ、でもいきなり行ったらほら、あたしの決意とかそんなもんかーって笑われるかもだし……あ、用事とかがあればいいよね!

 ほ、ほら、ママがなんか急に晩御飯作りすぎちゃったーとか!

 

「《ガチャバタン! バタバタバタ……!》ママ!」

「あら結衣、今日はもう料理、手伝ってくれるの? まだヒッキーくんと一緒じゃなくて───」

「これ晩御飯!? お裾分けしてくるね!」

「え? ちょ、……結衣~!? それまだ作りかけっ……結衣!? 結衣ー!?」

 

 ことこと揺れてたお鍋を手に、ヒッキーの家に突入。

 迎えてくれた小町ちゃんに鍋を見せると“わあっ……!”って顔になって、入ってから鍋を開けると“うわあ……”って顔になった。

 うん……作りかけだね。あたしもうわーだよ。自分にうわーだ……。

 こっちで仕上げようと思って、って言い訳をすることでなんとか納得してくれた小町ちゃんだけど、うう……絶対に怪しまれてるよね……?

 

「~♪」

 

 でも大丈夫、あたしももう、ヒッキーになかなか美味いって言ってもらえるほど、料理の腕は上がってる。

 このお鍋がなにになる予定だったのかはまだちょっと解んないけど、なんならママに連絡して作り方を……

 

「さーさどうぞどうぞお義母さん」

「ごめんなさいねー小町ちゃん。結衣ったらハチくんのことになると周りが見えなくて」

「あれ……ママ? どしたの?」

「どしたのじゃないでしょ、もう……ママ久しぶりに叫んじゃったわよ。それはまだ結衣には教えてない料理なんだから、勝手に暴走しないの。まったく……それで? 今回はどうしたの?」

「今回って……そんな毎回なにかやってる、みたいな言い方……」

「ハチくん関連で毎回やらかしてるじゃないの」

「あぅ……」

 

 言い返せなかった。

 今日だって、ヒッキーの顔が見たくて暴走しちゃったし。

 なのにヒッキー、部屋に居るみたいで下りてきてくれないし。

 うう……ヒッキー、ヒッキィ~……。

 

「ていうかお義姉ちゃん、会いたいならいつも通り会いに行ってらぶらぶいちゃこらしてくればいいじゃないですか」

「だ、だめ。今あたし、ヒッキー断ちしてるから」

「───……」

「───……」

「お義母さん、料理、始めましょうか」

「そうねー、それじゃあ小町ちゃん、エプロン借りるわねー?」

「……あれ? ママ? 小町ちゃん? えと……あれ? あたしあの……ねえ? ねえー……?」

 

 ママと小町ちゃんは、コンロの上に置かれてる鍋をちらりと見ると、やさしい顔で料理を始めた。

 あたしの言葉は右から左。

 あ、あれ? ねぇ、聞いてる? ママ? 小町ちゃん?

 ちょっ……あれー!?

 

……。

 

 少しして、いつも通りヒッキーの家で食事。

 調理の最中、ずっとママとか小町ちゃんにからかわれた。上にいかないのかーとか、熱があるのかーとか。二人ともひどい。

 で、今はこうやって食事中。ヒッキーと小町ちゃん、ママとあたし。

 他はお仕事で帰りは遅いから、いっつもこの四人。

 でも今日のあたしはママの隣で、ヒッキーの隣は小町ちゃん。

 

「《じぃいいいいい~~~~ぃいい……!》」

「うぐぉ……あの、お義姉ちゃん……? 小町、そんなにじいっと見られると、年頃乙女とは思えない奇妙な声とか出しちゃうんで、やめてほしいなーと……ていうかもう隣に来たらどうですか?」

「へ、や、やっ……だだだめだよっ、あたし今、ヒッキー断ち中だから!」

「あらー、だったら結衣は家の方で一人で食べる?」

「…………~~《じわぁ……!》」

「ゆ、結衣? なにもそんな泣きそうな顔することないでしょー……? ああほら結衣、ママが悪かったから……」

「なんていうか、お義姉ちゃんってばお兄ちゃんのこと好きすぎですね……。そんなお義姉ちゃんに質問ですけど、なにを以ってお兄ちゃん断ちとしてますか?」

「え? やー……それは、ほら。腕に抱き着かないとか、すりすりしないとか……ヒッキーの部屋で話したり、一緒の布団で寝たりしない…………とか…………《ずぅううん……》」

「あの、もうほんと好きに寝ちゃってください、見てるほうが気の毒になるほど落ち込まれると、小町すっごく辛いっていうか」

「小町、真顔で返すのやめたげなさい。せめて笑って返してやれ。俺も今めっちゃ恥ずいから……!」

 

 がまん、がまん。

 ヒッキーの隣にはあたしが、とか思っちゃってるけど、我慢。

 そうだ、なにも関係をゼロにするってゆーのじゃないんだから、ヒッキー断ちをやめたらいっぱいくっつけばいいんだ。

 うん、よく三日坊主って言葉があるし、四日我慢すればいいよね?

 四日なんてすぐだ。ヒッキーと一緒だと一週間だってあっという間なんだし。

 だからヒッキーと離れて、学校からここまででもとっても長く感じたのに、それを四日………………四日。

 

「よっか……《ずぅううう………ん……》」

 

 一分が長い。一時間が長い。よっか。長い。

 あ、そ、そだ、勉強すればいいんだ。あたしは頭がよくなって、ゆきのんはあたしが“ヒッキーにそこまでべったりじゃない”って納得出来て、日記だって意味があるんだーって解って貰えて。

 そ、そう、日記。今日から日記を書くんだ。

 ヒッキーと離れて過ごしたこととか、ヒッキーとはせずに一人で勉強したこととか、一人で番組見て、部屋で一人で過ごして、ひとりで、ひとりで…………

 

「よっか……《ずぅうううううう……ぅうん……!》」

「……お兄ちゃん。お義姉ちゃんが“よっか……”しか言わなくなっちゃったよ……」

「……大方、三日坊主の一歩先に行こうとか考えて、四日は続けようとしてるんだろ……」

「!《ビクーン!》」

「あ、肩がびくーんって……図星ですかお義姉ちゃん」

「結衣? 無理はしないほうがいいわよ?」

「む、無理なんかしてないもん《プイッ》」

「もう、この娘は……。ハチくんと会う前はあんなに素直だったのに、すぐイジケるようになっちゃって」

「イジケとかそういうのじゃ───っ……! …………ないもん《かぁああ……!》」

 

 自覚してる。ごめんママ、こんなの自分勝手なワガママだ。

 自分で言っておいて、全然守れてない。

 ヒッキー断ちっていうなら、ママが言うみたいに自分の家に戻って一人で居るべきなのに。

 見えないと怖い。あの瞬間みたく、今度はヒッキーだけが居なくなっちゃうんじゃないかって、怖いんだ。

 

「………」

 

 居なくなる。

 それって、別の部屋で寝てる最中に、急にヒッキーが病気とかになったりしたら───

 

「っ……!」

 

 そんなことあるわけない。

 でも、じゃあ、どうしてあたしたちはあの時、車に襲われるようなことになったんだろう。

 そんなことあるわけない、が起こったからじゃないのか。

 じゃあ、そんな安心は当てにならないんだ。

 ……思わず、涙が浮かんだ目でヒッキーを見てしまう。

 ヒッキーは……黙々とご飯を食べてる。

 ヒッキーは不安じゃないのかな。あたしがもし、とか……考えないのかな。

 そんなことを考えてたら、ママが頭を撫でてきた。

 うぅう……子供扱いされてる……。ヒッキーにされると喜んじゃうけど、ママにされると恥ずかしい。恥ずかしいのに……安心する。

 ……やっぱりあたし、弱いままだなぁ。

 

「……結衣。結衣のやりたいようにやればいいのよ」

「ママ……」

「我慢して後悔なんか、しちゃだめよ? ママ、結衣にはあまりなにかをしてあげられなかったけど……そんな後悔をするようなことを選ぶなら、絶対に怒るから」

「……うん」

 

 ママが背中を押してくれる。

 一人で決められたらなって思うけど、そんなのはもっとちゃんと自分で立てるようになってからだ。

 まだまだ努力が足りないんだ、きっと。

 だから、今はまだ我慢する。

 そんなことあるわけない、を心配してたら、それこそあたしはヒッキーから離れられない。

 

「……で、お兄ちゃんは後悔とかだいじょぶそ? いっつも自慢の兄で、小町的にポイントも鼻も高いけど」

「しゃーないだろ……結衣が頑張るっつってんだから」

「そーじゃなくて、お兄ちゃんは? どうしたいの?」

「抱き締めて甘やかしたい《キッパリ》」

「うわー……あのお兄ちゃんにここまで言わせられるのって、やっぱりお義姉ちゃんだけだよね……」

「俺断ちって言ってるんだから協力は当たり前だろ……。当たり前だけど…………」

「……え? な、なに? 小町の顔になんかついてる?」

「《スッ》……、……はぁ」

「ちょ!? 今頭撫でようとして溜め息ついたでしょ!? どっ……どーせ小町じゃお義姉ちゃんの代わりにはならないけどっ! ならないけどー!!」

 

 ……とか思ってたら、ヒッキーがちらちらこっち見てきてた!

 あたしが気づかなかっただけで、なんか結構見てきてる……わ、わわ……あたしだけじゃなかったって思っただけで、胸がすごい……うう、やっぱりあたし…………ううん、単純でいいや。あたしはヒッキーが好き。答えなんてそれだけでいいんだから。

 でも我慢だ。今日はもう我慢する。

 こんな調子で四日だって一週間だって我慢できる自分になるんだ。

 うん。

 ……うん。

 出来ると思うんだけど……うん、出来る。

 でも、ないとは思うけど、ヒッキーから求められたら、我慢出来る自信とか、ないや。

 

……。

 

 で、翌日。

 

「《ぎゅうううう……!!》…………」

「はぁ。結局こうなったのね」

 

 放課後の奉仕部で、あたしはヒッキーの腕に抱き着いてすりすりしてた。

 だ、だって、ほら、アレがアレで………………だって。

 

「それで? 比企谷くん、昨日奉仕部を出てから何秒保ったのかしら」

「秒とかひどい!?」

「一秒後には俺の左腕をちらちら見てたな」

「ヒッキー!?《がーーーん!》」

「そう。抱き着かなかっただけ素晴らしいものね……それで?」

「会話をしてなにかの拍子に“もー、ヒッキーはー”とか言って肩を叩いてきたりした拍子に、その手が流れるように腕に絡まりそうになって、その度にハッとして引っ込めて、うーうー唸ってた」

「や、やめてヒッキー! やめてよぅ! てか見てたの!?」

「いや、そりゃ見るだろ……隣で顔真っ赤にしてうーうー唸られてちらちら見られまくってるのに、気づくなってのは不可能だ」

「そう。それで?」

「家が隣同士なのは前に話したよな? まあ今までの流れで一緒に俺の家に入りそうになって、慌てて自分の家に戻ってって、どうしてるのかなーって自分の部屋の窓から結衣の家見てたら、私服に着替えた結衣がぱたぱた出てきて、ハッとして戻って行ったな」

「見てたの!?《がーーーん!》う、うぅううう……!!《ふしゅうう……!》」

「で、完全には戻りきらずにちらちらと自宅の玄関とこっちの家を交互に見て、きゅっと目を閉じて自宅に戻っていった」

「……我慢できたのね。すごいわ、由比ヶ浜さん」

「うぅっ! え、えと、えと、その……ね? ゆきのん……」

「少しあとに“これお裾分けだから!”ってママさんが作りかけだった晩飯のおかずを強奪して持ってきてたけどな」

「あ、あぅあう、あのね、ゆきのん? あのね?」

「……あなたには失望したわ由比ヶ浜さん」

「ゆきのーーーん!?《がーーーん!》」

 

 だだだだって傍にヒッキーが居ないと寂しくて!

 落ち着かないし、調理中にはママににこにこ笑顔で“今日はハチくんのところ、行かないの~?”なんて言われるし!

 ヒッキー断ちのことを話せば、なんでか真剣な顔で“ね……熱でもあるの……!?”って言ってくるし!

 あたしあんな真剣な顔のママ初めてだったから、逆にこっちが驚いたよ!

 あ……えと、初めてじゃなかったか。ヒッキーがサブレを庇って事故に遭った時に、一度見たっけ。当然だけど、怒られちゃったし。

 

「う……で、でもヒッキーの傍にはいかなかったんだよ!? ヒッキー、部屋に居て下りてこなかったし! ご飯の時も隣じゃなかったし!」

「顔見せたらお前が落ち着かないって思ったからだよ。……むしろこっちが会いたかったってのに《ぽしょり》」

「え? ヒッキー? 今なんて?」

「なんでもねーよ。まあ、アレだ。結局昨日から今日にかけて、こいつは我慢出来たんだよ。……ついさっき、教室出るまでは」

「~~~……《かぁああ……!》」

「そこまで我慢して、何故?」

「あー……なんつーか、ほら、な。我慢はしてたんだが、席が隣同士だろ? ちらちら見られて、しかもその目が構ってほしい犬とか猫みたいでほっとけなくてな……」

「猫……そ、そう。猫。猫ならば仕方ないのかもしれないけれど……」

「え? 納得しちゃうの? いやまあ最後はこう、あんまりにも構ってほしそうだったから、一緒に部活行こうって時にな、ほれ、あれだ。……言っちまったんだよ。こう、……“おいで”って。そしたらまだ教室にほぼ全員居るってのに全力で抱き着いてきて、キスはするわ舐めてくるわで」

「うわぁああああんやめてよぉおお!! だだだってヒッキー! ヒッキーがぁあ!!」

 

 言い訳を並べても、ゆきのんはやさしい顔で頷くだけ。

 ちゃんとこっちにも言い分がるんだって伝えたいのに、恥ずかしさの所為で頭が回ってくれない。

 

「だ、大体! ヒッキーだって“こうしたかった”って言ってくれたじゃん!」

「彼女に恥のすべてを押し付けて黙っているなんて最低ねクズ谷くん」

「信じられねぇ速度で手の平返しみたいに罵るなよ……いや、そりゃ言ったけどよ。その……なに? 自分の欲ばっか押し付けて、彼女が頑張るって言ってんのにくっつきたいとか、理解のない最低野郎みたいだろ……だからさっさと話して、自分が先に折れたってことを言いたかったんだよ……。結果だけ言うと、お前誤解しかしないだろ、今みたいに罵り優先にして」

「《ぐさっ》っ……そ、そう、ね。言ってしまって後悔しているわ……ごめんなさい比企谷くん。私には解らなくても、きっとその行動は彼氏として正しいのでしょうね」

「ヒッキー……ゆきのん……」

「だ、だから、あー……我慢とか、無しな。今さら遠慮とかされてもアレだし、なんつーかアレがアレで…………~~……隣に居ないと調子狂うんだよ……《ぽしょり》」

「……? ヒッキー? 今なんて───」

「やっ……べべべつになんでもねぇよ」

「……私はきちんと聞こえたけれど」

「!? や、ちょっ……!」

「え? え? ゆきのんゆきのんっ、ヒッキーなんて言ったの!?」

「雪ノ下、口止め料だ。野菜生活を買ってくるから勘弁してくれ」

「お断りよ比企谷くん。私、そういう賄賂のような取り引きは嫌いなの」

「じゃあ出来る限りの言うことを聞く方向で───」

「……出来る限り。大きく出たわね。人は死ぬ気になれば出来ないことなどないと言われているのよ?」

「お前、一言を黙る代わりにどんなこと要求するつもりだよ……等価交換って言葉知ってる?」

 

 知ってるけど、ヒッキー、そんなにあたしに聞かれたくないこと、言ったのかな。

 なんか……ちょっと、悲しい……な。

 

「《がばっ! ぎゅうっ!》ひゃわぁっ!?」

 

 少し寂しさを感じた途端、ヒッキーに引っ張られて抱き締められた。

 そのまま頭を撫でられて、ヒッキーの温かさを感じると、寂しさも悲しさも簡単に引っ込んでく。

 それから口止めまでしようとしてたことをヒッキーが自分から話してくれて、なんかあたし、もう顔真っ赤で、ヒッキーの胸に顔を押し付けて黙るくらいしか出来なかった。

 言ってくれたら嬉しいのに。隠さないでほしい。不安になるから。不安になるって、信頼してないのかなって気分になっちゃって、なんか自分が嫌になるから。

 

「比企谷くん、由比ヶ浜さん、離れなさい」

『《パッ》……《抱きっ!》』

「一度離れればいいと言っているのではなくて……」

「ゆきのん、あたしまちがってた。我慢するんじゃなくて、我慢しなくていい方法を探せばいいんだ!」

「……そう。それで、日記はどうするの?」

「うん。ゆきのん観察日記にする!」

「絶対にやめてちょうだい」

 

 ……。日記は結局、書くことはなかった。

 


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