どこにでもあるようなガハマさんとヒッキーのお話   作:凍傷(ぜろくろ)

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責任はとるって言ったんだしな③

 人が変わろうって決めた瞬間、人はそれまでの楽な生活に後ろ髪を引かれるもんだって八幡は言う。

 楽だから、誰もがそれを選んで、せっかく見つけた眩しいものを掴みもせず、集団に埋もれていくのよって雪乃は言う。

 あたしは、変わろうとした先の世界が自分にとって眩しいものなら、迷わずに進んでいける。

 そりゃ、もったいないなって思うものもある。無くしたくないなって思うものなんてたくさんだ。

 でも───そのたくさんが、その先のものを否定するだけしかしないものなら、いつかそれは大切なんてものじゃなくなっちゃうんだ。

 全部が欲しいってどれだけ思っても、いつかは離れるものもある。解ってるんだ、あたしだって、もう経験してるから。そんな経験があるから、空気を読んで、せめて悲しまないようにって歩いてきたんだから。

 

  いろんなことを言い合った。

 

 熱くなりすぎちゃって喧嘩したこともあった。

 なんで解ってくんないのってくらいのぶつかり合いをして、その度に八幡が間に入って、冷静になってから話を組み立てて、お互いの気持ちを少しずつ受け入れて、考え方の方向……えと、たとえ? を変えてみると、案外その……軽くさ、こう……ぽーんってボールをパスされるみたいに受け取れて、あとはもう解ってあげられなくてごめんって謝り合って。

 あたしたちはまだまだ子供だ。

 自分の意見が絶対に正しいんだって意地になっちゃうことが多いし、こうして間に入ってくれる八幡だって、結構やらかすことがあって、話し合いっていうか……解り合い? 八幡が言い出した、へんな言い方だけど間違ってない集まりに参加してくれた小町ちゃんに、

 

「はぁ……お兄ちゃん? どうしてそうなるの? そうじゃないでしょー?」

 

 ってよく怒られてる。

 集まりには平塚先生を混ぜることもあって、先生はあたしたちのことをすごくやさしい顔で、眩しいものを見る目で見つめてきて、よく……あたしたちを抱き締めて、笑ってくれる。子供みたいな顔で。

 

「……そうだな。私にはそれをしてやることが出来なかった。歩み寄ることが出来なかった。君たちはその青春を大事にしろ。それは将来、君たちにとっての大切な宝になる……って、もう他人に言われるまでもないのだろうな」

 

 って。

 歩み寄れなかったっていうのが誰のことか解らなかったけど、八幡と雪乃が頷き合ってるのを見たら……ああそっか、陽乃さんのことなのかもしれないって思えた。

 たぶん、知っていくっていうのはそういうことでいいんだ。

 ちょっと不安だったからあとで訊いてみたら、やっぱりそうだったし。

 服をちょんって引っ張られる感覚があって、振り向いてみたら雪乃が嬉しそうな顔で「解ってくれてありがとう」って。

 そんなの、あたしだってありがとうだ。

 言わなきゃぶつかり合う必要もないことだって言い合って、その所為で喧嘩になっても、ちゃんと聞こうって姿勢で待ってくれる。頭ごなしに怒鳴ってさっさと居なくなったりしないで、受け止めようって構えてくれることがどれだけ嬉しいか。

 そのことも口にしたら、そんなのこっちだって同じだ~って雪乃にも八幡にも言われた。

 ……同じって、嬉しいな。今はそんな関係が、くすぐったいけど嬉しい。

 

……。

 

 頭の中がすっきりすると、今までのことが嘘みたいに物覚えが良くなった。

 まだまだ雪乃や八幡には勝てないけど、勉強も十分ついていけてる。

 平塚先生にも「この調子なら比企谷と同じ大学は余裕だな」って言われたし、安心だ。

 雪乃は最終的にどうするのって話になったけど、雪乃は別の大学に行くんだって。

 「もう逃げないと決めたから……ごめんなさい」って言う雪乃は、すっごく、えっと、なんかこう……誰にも負けないって感じの……オーラっていうの? よく言う迫力みたいなのがあったから、きっと寂しいとか言うのは重荷になる。うん、言ったけど。言いたいことは言い合う約束だから。

 そしたら雪乃は笑って、

 

「二度と会えなくなるわけではないでしょう? なんならいっそ、私の部屋に三人一緒に住む?」

 

 なんて言ってきた。

 驚いたけど……なんか、それもいいかなって。

 そんな話をどこで聞きつけたのか、陽乃さんが奉仕部にやってきて、いろいろとつついてきた。

 

「雪乃ちゃん、比企谷くんたちと同じ大学に行くの、やめたんだって?」

「ええ。やりたいことが見つかったの。そのために必要なものを築くため、狎れ合いではなく支え合うことを選ぶの」

「ふ~ん? 雪乃ちゃんにそれが出来───」

「出来る出来ないではないのよ、姉さん。するの。もう決めたわ」

「───……へー……? 誰になんて言われ───」

「姉さん。もう人を試すみたいな言い回しはいいわ、ごめんなさい。……私はもう自分で決めたのよ。意地だとかプライドだとかではなく、ただ自分がそうしたいと、心から思えたの」

「……雪乃ちゃん……」

「ありがとう、姉さん。私は、たとえ苦労を積み重ねようとも、見つけた答えを諦めることはしたくないのよ。だからもう、自分の道だけを見てちょうだい。誰に押し付けるでもなく、誰に決めてもらうでもなく。私は私として、私の答えのためにもがき、苦しんでいきたいから」

「……。そんなもの。高校生のガキが出したものに、いったいどんな価値があるっていうのさ。ねぇ雪乃ちゃん? こんな一時の場の空気に流されて、あとで後悔する人なんて呆れるくらいに居るんだよ? 雪乃ちゃんは怖くないの? “それが一番だ”って信じて走った先で、裏切られるかもしれない~とかさぁ」

「怖いわ」

「ほら、やっぱり雪乃ちゃんは───」

「でも。それを決めるのはあなたじゃない」

「───!」

 

 雪乃は怒る様子もないまま、微笑むみたいに言う。

 あたしと八幡は、黙って見守るだけ。

 陽乃さんが“なにも言わないんだ?”みたいな顔であたしと八幡を見るけど、あたしも八幡もうっすらと笑うだけだ。言葉なんて返さない。

 

「っ……ゆ、雪乃ちゃん? 雪乃ちゃんは───」

「姉さん。もう、人を試すような、言い回しは、いいわ、と言ったのよ」

「………」

 

 ひとつひとつを言い聞かせるみたいな言い方。

 それを受けて、陽乃さんはなにも言わなくなった。

 ただ、じぃって雪乃を見つめて、一瞬だけだけど、泣きそうな顔を見せたあとに、笑った。

 

「そっかそっかー。ね、比企谷くん。これが比企谷くんの言う、本物?」

「違いますよ」

「っ、え……!? ち、違う? これ、じゃないの? え?」

「俺がなにをどう言ったって、それの通りのものが出来るわけがないでしょーが。だから、本物ってのはこれじゃありません」

「……、じゃあ、比企谷くんはなんだってこんな……。こんな関係の先に、きみは何が欲しいの?」

「あー、悪いけど言えませんねー。知りたかったら俺と友達になってください」

 

 八幡の言葉を聞いて、陽乃さんは笑った。

 笑ったあとで、「なにそれ」って冷たい声で言う。

 

「“陽乃さん”」

「っ!? な、なにかなー比企谷くん。急に名前で呼んだりするからびっくりしちゃったよ?」

「勘がいいくせに誤魔化す大人は嫌いですよ?」

「───……」

「………」

「はぁ……───そ。比企谷くんが言うところの友達っていうのは、馬鹿みたいに信じ合うだけの狎れ合い?」

「姉さん」

「……あーもー、わかったわかりましたっ! ……はぁ、雪乃ちゃんが可愛くなくなっちゃった……」

「答えが解ってるくせに、人に言わせるための言い回しばっかするからでしょーが。自分は自分の願ったように言わせたいくせに、自分は他人の願いは受け取らない。陽乃さん言うところの、ただの可愛げのないガキでしょ、そんなの」

「うわー、ばっさり来たなぁ……。ま、いいけどね。自覚あってやってたし」

 

 わー……自覚あったんだ。や、うん。あるんだろうなーとは思ってたけど、自分で言っちゃうとは思わなかった。

 なんだかんだで陽乃さんってすごいよね。

 ちょっと言い負かされたのかな、って空気だったのに、椅子持ってきて座ったら、もう普通な顔してるし。

 

「それで? 答え合わせはしてもらえるのかな?」

「しませんよ? 俺達の答えに陽乃さんは関係ありませんから」

「うわっ……またばっさり……! ひどいっ! 雪乃ちゃん、比企谷くんがいじめるっ!」

「勝手にずかずかと入ってきて、自分の意見を身勝手に押し付けてきた人に言葉を返すことが虐めだと言うのなら、犯罪なんてやりたい放題ね」

「むしろなんで話してもらえるって思ってたんすか。そもそも勝手に出した問題に答えを求めるとか、アウトでしょう。ぼっちゲームは人様の迷惑にならぬよう、独りで静かに豊かにするのが暗黙のルールってやつでしょう」

「ちょっ、ちょっと待った待った! 雪乃ちゃんも比企谷くんも息合いすぎじゃない!? 少し会わないうちになにがあったの!? ……あっ、もしかして恋人同士になっちゃったとかっ!? 雪乃ちゃんてばやる~、このこの~っ♪」

「姉さん。それは友人への侮辱と受け取っていいのかしら?《……ニコリ》」

「わお……! 雪乃ちゃんが怖い……!」

 

 そうは言うけど、陽乃さんは随分と普通だ。

 いつも通り。でも、ちょっとだけ違うっていうか。

 

「……ねえ雪乃、八幡。やっぱりさ、陽乃さんには話したほうがいいんじゃないかな。ほら、お姉さんなんだし」

「おおっ、ガハマちゃんいいこと言った! ほらほら雪乃ちゃん? 比企谷くん? ガハマちゃんもこう言ってることだしさー。あ、まずは雪乃ちゃんと比企谷くんを名前で呼んでるところの説明からお願いしよっかなー? いいよね?」

「無理ね。人の話を聞く態度ではないわ」

「無理ですお引き取りください」

「えちょっ!? ゆゆゆ雪乃ちゃんっ!? 比企谷くん!? ここはほらっ、駆け引きとか……! ほ、ほらほらー? 雪乃ちゃん? ここで話を切っちゃったら、正々堂々と戦って勝ったってことにはならないぞ~?」

「そう。勝負をしたつもりもなかったのに、姉さんは勝手に負けたのね。では出ていってちょうだい。出口はあちらよ?」

「……! ひ、比企谷くっ───」

「……ひとつ質問っす。“陽乃さん”は、雪乃に自分で答えを出せる人間になってもらったら、何がしたかったんすか? そうなったらそれで終わりっすか? それとも引っ掻き回したかっただけっすか?」

 

 ……。質問のあと、陽乃さんは少しだけ、えと、ぼーっとしてた? のかな?

 なにを言われたのか解らない、みたいな感じになって、少ししてから溜め息を吐いて答えるみたいになった。

 

「答えたら、そっちも答えてくれる?」

「え? 嫌ですよめんどくさい」

「そっ……そこで断るってどうなの!?」

「姉さん。あなたは自分が今までどれほど性質の悪い人間だったのかを知るべきよ。私はもう自分と向き合い、それらを整理することが出来たから───言わせてもらうわ」

「言うって……雪乃ちゃん?」

「自分を曝さない人に、“私達”を理解することなんて不可能よ。だからお願い。自分を偽らず、自分のままで話をして、聞いて、受け取って……理解してほしいの。私ももう逃げないから……お願い、“お姉ちゃん”」

「───! ……雪乃ちゃん……」

 

 関係を諦めることって、結構簡単なことだ。

 なのに、関係を続けるのは結構大変で、ほどけそうなものを繋ぎとめるのはとっても難しい。

 どっちか一方が“もういいや”って思っちゃったらきっと無理で、直っても結局どっかにほころび? みたいのがあってさ。どうやったらそれを直せるかなって、きっとみんな考える。なのに踏み込めば切れちゃうからって不安になって、結局はなにも出来ないでほどけるのを見守っちゃうんだ。

 じゃああたしたちならどうするかなって考えて……三人で向き合って、結局はこうするんだ。それはきっと誰だって最初は取る行動で、こうするしかないことだ。なのにいろんな人が途中でやめちゃう大切なこと。……そう、知る努力から始めるんだ。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 陽乃さんに、涙が出るくらい笑われた日から少し経った。

 結局あたしたちはあたしたちの事情を全部陽乃さんに話して、それから思い切り笑われた。

 笑われて笑われて、たまたまやってきた平塚先生に拳骨されるまでそれは続いて、でも最後に陽乃さんは見惚れちゃうくらい綺麗な、なんかこーすっきりした? みたいな顔で八幡になにかを言ってから……平塚先生に連れていかれた。

 それ以降、陽乃さんが奉仕部に来ることはなかったけど───平塚先生の話じゃ、平塚先生のところに頻繁に来るようになって、ちょっと呆れてるって。

 

「ま、歩み寄ってくれるのなら拒む理由もないさ」

 

 平塚先生はそう言って笑ってた。

 一方で、あたしたちは……相変わらずだ。

 勉強をして運動をして、三人で居る時間を増やして、解り合う時間を増やした。

 

「あーのー、せんぱーいー?」

「あ? どした?」

「いえ……なんか、先輩方、近くないですかねー……って」

「あー……」

 

 陽乃さんが来なくなってからは、いろはちゃんがよく来るようになった。っていっても、それは前からだったけど。

 

「いろはちゃん、なんかの手伝いならあたし、手伝えるよ?」

「そうね。今なら力仕事もそこそこいけると自負しているわ。……そろそろその、体力もついてきた頃だと思うし。だからその、手伝えることなら手伝ってあげようと……その」

「いやお前どんだけ力試ししたいの。やめとけ、なんか自滅する未来しか想像できねぇよ」

「ていうかですよ? 三人とも、いっつも机の両端と真ん中って感じで座ってましたよね? それがなんで今じゃ……」

「しんぎょーの変化ってやつだよいろはちゃん」

「……結衣さん。それを言うなら心境の変化よ。あなた、般若心経でも唱えるつもり?」

「ちょ、ちょっと間違えただけだってばゆきのん! ほら、あたしもう成績とか安定してきてるし!」

「雪乃、よ。……そうね、一色さんの質問に答えるのなら───」

 

 あたしたちの座る位置は、動かないヒッキー寄りになってる。

 誰が言い出したわけでもなくて、少しずつ雪乃から近づいてきてくれてる。

 だからあたしから見て右に居るヒッキー……八幡側に、あたしも雪乃も近づいてる感じだ。

 べつに物理的に寄らんでもいいだろって八幡は言うけど、近いとなんか嬉しいからこれでいいんだ。

 

「なんとなく、先輩がもう結衣先輩と付き合ってるのは解りますよ? ですけど、そうなってるのに雪ノ下先輩が近いのがよく解らないっていうか……」

「あー……まあ、他のヤツから見ればそういう風に見えるんだろうけどな。……あのな、一色。お前にはもう聞かれてるから言うが……俺達は真剣に、お互い同士で“本物”ってものを目指してみてる。これがそれなのかっつったらもちろん違うわけだが……あー、その、なんだ。つまり俺達は恋人と親友ってやつで、周囲が考えそうな二股だとかそういうのでは断じてない」

「……、…………あの。それ本気で言ってます? 男女間で友情とか、相手同士に相当レベルの高い恋人がいなきゃ無理ですよ? ていうかそれも友情かどうか怪しいって思いますし」

「だな。こっちが納得していようが周囲はそうじゃねぇ。そういうことも知った上で、それでも俺達はそういう関係を目指してんだよ。……笑いたきゃ笑っていいぞ、ゆき……はぁ。陽乃さんにも散々笑われたわ。笑われて、うらやましいって太鼓判もらった」

「え……あのはるさん先輩にですか!?」

「そうだったんだ!?」

「なにか言い残したと思えば、そんなことを……そう、あの姉さんが……」

「だからまあ、あれだ。あんなこっぱずかしいことを聞かれたお前にだから頼む。見守ってやってくれねぇか。在り得ないとか頭ごなしに否定するんじゃなくて、そういうのもあるんだ程度でいいんだよ。もちろん強制はしねぇし、そもそもするもんでもねぇから、呆れてぇなら好きなだけ呆れてくれていい。これが原因で人が離れることくらい予測の範疇だ。ただ───」

 

 八幡が喋る中、いろはちゃんは俯きながら居心地悪そうにしてる。

 こんな空気をなんとかしてあげたいけど、これは引っ掻き回しちゃいけないものだって解るから、見守った。

 自分にとって空気が悪いからって、それを壊すだけが“人との関係”じゃない。

 相手にとって空気が悪いからって、それを壊してあげるのが“信頼”じゃない。

 学んで知ることで、目を逸らしたいことなんてたくさんある。

 もっと世界がやさしければなぁ、なんて、願っても叶えられないものもたくさん知った。

 ほんと、この世界って厳しくて、難しくて、もっと簡単だったらいいのにって思うことばっかで。なのに……

 

「……ただ。そんなのを、よ。理解してくれるやつが、そういう……その。恥を知ってくれてるやつだったらいいなって……思った、つか……ああ、その……だからつまり」

「……せんぱい」

「っ……お、おお……なんだ?」

「その……納得できないこと、いっぱいです。なんですかそれってのが、正直なところっていいますか。……でもですね、ひとつ、ああいえ、ひとつどころかちょっと思い切りぶちまけさせてください。いいですか?」

「…………おう」

 

 願われれば断らない。

 理解しようって、受け止めようって思ったら……知ろうと努力する人は断れないよね。

 そんな言葉がなくたって、なんだかんだ言って八幡は頷いちゃうんだろうけど……

 

「まず先輩。先輩は結衣先輩が好きで、二人は付き合ってる、ってことでいいんですよね?」

「……おう」

「雪ノ下先輩はそれを知った上で、友達として一緒に居る……」

「ええ、そうね」

「……危機感とか、ないんですか? 友達のままならいいです。そりゃ、友達なら、隣に居ることはできますよ。でも、けど、もし好きになってしまったらとか……考えないんですか?」

 

 いろはちゃんの目は雪乃に向かってる。

 睨むくらい、真っ直ぐ。

 雪乃は……そんないろはちゃんの目を真っ直ぐに見て、「そうね」って呟いた。

 

「いつか私が、頼ること、信頼することを恋と誤認して、それがきっかけで、ということもあるかもしれないわ。男性にここまでの信頼を寄せたのなんて初めてだもの、そんな初めてが無いなどと、断言をすることはできないわね」

「だったら───! 怖いって思わないんですか!? その時に大事にしてた、えと、そのっ……友情、とかっ……信頼してたものがなくなっちゃうって……自分の所為で壊れるかもって……」

「それで壊れるのなら壊せばいい。壊して、また話し合い、時間はかかってもくっつけて、必ずまた笑うわ。ただの理想論と言われれば、言葉としてはそこまでの話でしょうね。本当にくだらない、子供が描くような夢物語」

「……そこまで言えるのに、どうして」

「ふふっ……子供だからに決まっているでしょう? 描ける夢を描き続けて、周囲に笑われてでも馬鹿な夢を描き続ける。……一色さん、人の傍には常に人が居るわ。人というのは、人が何かを為そうとする時に身を案じ、悪意のない安全を口にして、平穏をその手に渡してくれるものよ。それが妨げにしかならない場合でも」

「そっ……そう、ですよ。無理して周囲にヘンに思われることをする必要なんて───」

「けれどね、それでは進めないの。成功者の努力というのは、周囲を納得させるところから始まるの。あるいは、その悪意のない“あなたのためを思って”を振り切るところから。……解るわ。あなたは本当に、私達の今後を思って言ってくれている」

「あ……、……な、なんでそんなこと言うんですか……。……言っちゃうんですかー……! わ、わたしはっ……」

「学校一の悪役を救うのに、正攻法なんてなんの役にも立たないからよ。一色さん、知りなさい。正義で悪は救えないわ。やさしさでも、悪でも救えない。悪は救われてはいけないの。悪は悪でなければ、そのままでなければ、悪がしてきたことが無駄になるから」

「じゃあ、なにも……っ……誰も救われないじゃないですかー……」

「……そうね。だから───」

 

 フッて笑って、雪乃は立ち上がって、座ってるあたしの肩両方に手を置いた。

 え、え? ゆきのん? じゃなかった、雪乃?

 

「……だから、自分から行くのよ。救われてはいけない悪が捻くれているその場所まで、自分の足で」

「え……でも、でもそれって……」

 

 小さく考えてみる。

 救われないのは誰だろう。

 悪って誰だろう。

 どこで救われないんだろう。

 解りきってることを、短くまとめてみれば、答えなんてもう胸の中にずっとあった。

 だから言う。当然のことを当然だって胸を張るみたいに。

 

「……うん。それじゃ、誰も救われないよね。そこに居る捻くれた誰かさんも。そこに行ったあたしたちも」

「ええそう。けれど───」

「うん。でもだ。あたしたちはべつに、救われたくてこういうことしてるんじゃないんだ。敵って思われたっていい。馬鹿なやつだ~とか思われたっていいんだ。そこに行くっていうのはさ、行って自分も救われたいから~とか救いたいから~とかじゃないんだ。もっとすっごく単純でさ。あたしがヒッキーの傍に行きたいだけだから。そんな想いが悪と一緒に救われるとかさ、“みんな”はきっと許さないよね」

「そ、そんなことないですよ、ちゃんと、ほらっ、結衣先輩が言ったみたいに話し合えばっ……!」

 

 いろはちゃんが目に涙を溜めながら言ってくれる。

 ……うれしいな。

 生徒会のこととかイベントのこと、フリーペーパーとか……そのあともヒッキ……八幡のこととかで話すことはそりゃあったけど、あたしたちのことでこんな風に真剣になってくれるなんて。

 でも、それでいいんだ。

 あたしたちはべつに、幸福を諦めてるわけじゃないから。

 窮屈になっちゃうかもだけど、譲りたくないものはちゃんと貫かなきゃ。

 

「ね、いろはちゃん。いろはちゃんがヒッキーだったら、えーと……大きな……組織? の中で悪になっちゃった人を幸せにしたいって思ったら、どうすると思う?」

「え……わたしが、先輩だったら……ですか?」

「うん」

「ええ。皮肉と捻くれを存分に盛り込んだ上で、軽く考えればいいわ。すぐに答えが出るから」

「───え、っと……そうですねー……。悪のままで、先輩を……大きな組織から───あ」

 

 ちょっと呆れが混ざった声が、いろはちゃんの口から漏れた。

 あはは……まあ、そうだよねー。簡単に想像出来る分、ちょっとアレだ。

 八幡はもっとべつの方向でも考えられるんだろうけど、あたしたちならそれくらいで丁度いいんだ。

 

「なんですかこれただの屁理屈もいいところじゃないですか散々悩ませた責任とってください」

「いやおい、いきなりなんなんだよ……」

「いろはちゃん?」

「一色さん?」

「~……あの。ようするに学校では悪なんですから、そこ以外ではやさしくするみたいな感じでいいんですよね? 解ってくれない人に無理矢理に理解を押し付ける~とかじゃなくて、解ってくれないならほっといてくれ、みたいに」

「ふふっ……ええ、そういうことよ。解ってくれる人は一握りでいい。いっそ居なくたって構わないわ」

「うん。居てくれた方が嬉しいけど、そんなのこっちの都合だもんね」

「っつーか、それが解ってるならもうここに依頼とか来ないんじゃねぇの? 理解できないやつらに頼ろうとか、いろいろアレだろ……」

「理解から外れているから使い捨ててやろう、なんて思う者も居るでしょう? あなたなら真っ先にそう言うと思ったのだけれど」

「解ってくれたらいいってやつの前で、さすがにそれはねぇだろ……いや思ったけど。真っ先に思ったけど」

「あはは、そだよね。ヒッキーならなんか思ってそう」

「八幡、な」

「うぅっ……たまにくらい許してよ……」

 

 あたしたちの会話に、いろはちゃんはやっぱりぽかーんってしてた。

 でも少しするとくすくす笑って、陽乃さんみたく声をあげて笑い始める。

 

「い、いろはちゃん?」

「もー、なんなんですかそれー。ほんと、ただの子供の理屈じゃないですかー」

「そうね。だから子供のうちにそれを確かなものに作り上げるのよ。大人になってからでは難しいと思うものを、馬鹿みたいに信じてみる。失敗しても信じられる相手なら、私達は何度だって失敗出来るわ。だから───まちがっていてもいいのではないかしら」

「……。雪ノ下先輩は、ほんとにそれでいいんですか?」

「ええ。むしろ私が彼に恋をした時にこそ、関係というものが試されるのだから。たとえ壊れても、私は私の思う通り、それまでの関係を信頼して想いをぶつけるわ」

「うわー……ぶつけるつもり、とかじゃなくてぶつけるんですねー……」

「その時の感情が大切なら、ぶつけなければ失礼でしょう?」

「失礼って……結衣先輩に対してですか?」

「“その時まで目指していたいものに対して”よ」

「あ…………“本物が欲しい”」

 

 いろはちゃんの言葉を聞いて、あたしも雪乃も頷いた。

 頷いて、いつか雪乃にしたみたいに言ったんだ。いろはちゃんはどうしたいって。

 

「……。今すぐに決めろとか、無茶振りもいいとこですよ……なんなんですか、三人とも青春しちゃって……キモいです、正直、とってもキモいです」

「一色……」

「でも、…………そんな関係が羨ましいって思ったら、自分のことが可笑しくて仕方ないです。笑っちゃいますよ。笑って……そして……それで…………」

 

 いろはちゃんが、真っ直ぐに八幡を見る。

 そして言った。「誤魔化しとか無しですからね」って呟いたあとに、目を逸らさず。

 

「わたしは、一色いろはは比企谷八幡先輩が気になってます。好きかどうかって言われたら、まだきっとライクです。でも、たぶん、このまま一緒に居たら……好きになると思います」

「───、……。葉山のことは?」

「相談って体じゃないと、どっかの誰かさんは逃げるだけだと思いまして」

 

 いろはちゃんは笑顔だ。でも、楽しそうなものじゃない。

 そんな顔を見て、あたしは……───

 

「………」

 

 目を逸らして黙ってれば、きっと楽なんだろうなって。

 でもそれはずるいから。本当の意味でずるいから、それはしない。ちゃんと見る。

 自分が好きな人が、他の誰かに想いをぶつけられている瞬間を見て、思うところがないわけない。胸が苦しいし、信じてても不安にはなっちゃう。

 いろはちゃん、可愛いし、ぐんぐん踏み込んでいくし、なんだかんだでヒッキ……、……“ヒッキー”に、手伝ってもらえるいろはちゃんが羨ましいって思う。

 そりゃさ、手伝ってって言えばいろいろ愚痴はこぼしても手伝ってくれるヒッキーだ。たぶんあたしが頼んでも手伝ってくれる。でも───……でも。

 ……これってずるいって言えるのかな。自分にだけやさしくしてほしいな、なんて……ずるいのとはちょっと違う気がした。

 

「そんなわけですから、葉山先輩のことは……ランドで終わってるんです。最初っから、始まってもなかったんでしょうけど。“みんなの憧れの葉山先輩”が隣に居ればって憧れてただけで……結局あたしは、誰も好きになったことなんてなかったんですよ。……泣いちゃうほどとは思いませんでしたけど。きっとアレですね。本物じゃなかったとしても、気持ちをぶつけたのが初めてだったから……それが否定されるのが辛かったんでしょうねー」

「……お前すげぇわ。それは気づけなかった」

「葉山先輩のことですか? 気持ちのことですか?」

「どっちもだろ。本気かどうかも解らねぇ中途半端な気持ちを武器に、遠慮もなしに葉山に突撃しかけられるだけすげぇよ。……っつーか、未練はあったろ」

「まあ、多少は。知っていこうとは思いましたけど、“一人”として知ろうとしたら、見えちゃったものがあって……───あの。葉山先輩ってあれですよね。みんなは見ても、一人は見ないって感じで」

『───!』

「だからってわけじゃないですけど、なんとなく解っちゃったっていうか。本当なら最後まで知ろうとするべきだとは思いますけど……だめですよね。たぶんあの人はなにも返してくれないんです。得たものは分け与えて、一人のためには動かない。気になっている人が居たとしても、たぶんそれ、恋とかじゃないんです」

「……まあ、そうな」

 

 ぽしょって呟くヒッキーに、いろはちゃんはあははって苦笑いをこぼす。

 雪乃は溜め息を吐いて、でも……

 

「この場に居ない者を罵ったところで始まらないわ。それより一色さん」

「……はい。先輩、わたし結構欲深いです。欲しいものは欲しいって、口には出さなくても影で実行しちゃいます。ですので、今の内に……ライクのうちに、そういうの……折らせてください。それで先輩は、好きって言ってくれる人を振るのがどれだけ辛いか、ちゃんと知ってください」

「ライクなのに振るって方向でいくのかよ……」

「当たり前です。そもそも先輩がやさしいのがいけないんです。最初っから奉仕部全員で手伝ってくれてれば、こんなライクはなかったんですからきっと」

「……ここで謝るのは」

「ダウトです。なので、そんなしょーもない先輩にはわたしが、きちんと女性と付き合うための“恋愛のいろは”を教えてあげます」

「え、あの、いろはちゃん? そういうのはあたしが───」

「だめです。結衣先輩の場合、絶対に甘やかします」

「そうね」

「ゆきのん!?《がーーーん!》」

 

 ゆきのん即答だ! ひどい! ……でも、うん……甘やかしちゃうかも。

 つい出ちゃった言葉にやっぱり注意されて、ちょっとだけ迷ったあとに正直な気持ちを打ち明ける。

 もやもやは無くしていこう。ちゃんと人と向き合ってかないと。

 

「? そんなの当たり前じゃないですかー。結衣先輩は恋人さんですし、ずっと想ってた相手と恋人になれたなら、それをまずは満喫しないともったいないですよ。なので、好きなだけ“ヒッキー”でいいと思いますよ? それって結衣先輩だけの、先輩の呼び方なんですから」

 

 言ってみたら返された。なんか 恥ずかしい。

 

「雪ノ下先輩も、なりたての恋人に押し付けすぎです。遠慮ないのもいいですけど、結衣先輩の気持ちもちゃんと考えてください」

「……そう、ね。ごめんなさい結衣さん。私はその、恋という方面では知識が浅くて」

「う、ううんっ!? あたしがもっと自分の気持ちを言わなかったのが悪いんだからっ!」

「いや、それを言うなら俺が───って、これいつものパターンだな。うし、また一から組み立てるか」

「賛成っ! ……それでえと……いろはちゃんは、“どうする”?」

「先輩からの言葉を受け取ったら、それから考えます」

「……流せたと思ってたんだから、つつくなよ……。その重箱の隅、毒しかねぇじゃねぇか」

「可愛い後輩の成長のためと、先輩自身の成長のためですよ。どーせ先輩のことですから、中学時代とかまで気になった女子とかに勢いだけで告白~とかしてたんじゃないですかー?」

「《ぐさっ》………」

 

 あ。ヒッキー、あからさまに目、逸らした。

 

「なので、ばっさり言っちゃってください。どうせ先輩もわたしも……葉山先輩も、本気で人を好きになったことなんてなかったんです。言っちゃえば、たぶん先輩が勢いで告白した誰かも。だから平気で突き放せますし、いっそ噂を流して笑うことだって出来ます。女子って男子が幻想するほどいい子ちゃんじゃありませんから」

「いい子ちゃんだけだったら俺だってこんなになってなかったんじゃねぇの? ……ま、今はそれでよかったって思ってるが」

 

 ちらってヒッキーがあたしを見た。

 えと、それってそういうことでいいのかな。

 ……ううん、今はそういうの置いておこう。

 

「んじゃ……いくぞ?」

「はーい。じゃあ……───先輩。わたし、先輩のことが今は先輩として気になってます。好きになっていいですか?」

「───、……っ……」

 

 しくん、って胸が痛んだ。

 途端、逃げ出したくなるくらいの不安が、ぶわーって湧いてくる。

 やだな、って思っても聞き遂げなきゃいけなくて、でも言ってほしくなくて。

 なんでだろう、ってもやもやが胸の奥からのぼってくるたびに泣きそうになって───それが、あたしは───

 

「……すまん。好きな奴が居るんだ。俺は俺が持つ全部で、そいつを幸せにしてやりたい。だから、無理だ」

 

 ……“しくん”、が“ずきん”になった。

 耐えられなくて、涙がこぼれる。

 

「あはは……はい、解ってましたけどね。はー……結構きついなぁ、これ……」

「……っ……い、いろはちゃ───」

「結衣先輩、泣いてくれてありがとうございます、とかは言いませんよ? それきっと、わたしのためとかじゃないんでしょうし」

「……うん。あたし……」

「いいじゃないですか、それだけ好きならわたしもスパって諦められますし。もっと踏み込んでからじゃなくて、よかったです」

「いろはちゃん……」

 

 隣に座るヒッキーが少しおろおろしながら気にかけてくれる。

 でも、大丈夫だから。これは、ほんと、どうしようもないものなんだと思う。

 べつにあたしが傷ついたからとかじゃなくて……やさしい人が、人との関係を願った人が、人を突き放さなきゃいけないそんな状況を、勝手に悲しんだだけなんだから。

 

「すー……はー……。はい、では。ちょっとちゃんと整理するまで時間はかかると思いますけど、でも……それでこの関係全部を諦めるのは正直もったいないので。一色いろは、先輩方の輪に入って知っていきたいと思います」

「一色さん……それは」

「大丈夫ですよ、二度の失恋くらいじゃ乙女は挫けたりしないんです。むしろこの関係でもっと人間関係への知識を磨いて、せんぱ───……比企谷先輩が羨むくらいの恋人さんを作って、いつか後悔させてやるんですから」

「一色……お前」

「線引きってやつですよ。……先輩、あざといとか言いながら、素のわたしを見ても逃げも突き放しもしないで付き合ってくれて、ありがとうございました。それが本当の“好き”になることはありませんでしたけど……ちゃんと後輩の気持ちを受け取って、“先輩”してくれる人はあなただけでした。だから───……だから、ありがとうございました」

「……。おう」

 

 綺麗な笑顔だった。可愛く見せるとかそういう意識なんてない、ほんとに綺麗な笑顔。

 ヒッキーはそれを受け取って、深呼吸をしたあとに“おう”って返した。

 それを見て、あたしは……

 

「あ、でも結衣先輩? この関係を続けていく上で、どうしても気になっちゃうってことはあるかもです。人間なので。その時は遠慮なくぶつかってくんで、その時は恋人さんの強さで、きちんとわたしを諦めさせてくださいね?」

「ふえっ!? あ、もももちろん! 望むところだよ!」

「そこはかとなく不安が残る返事ね、まったく……」

「……だいじょぶだよ、雪乃。あたし、ちゃんと学んでいくから。たださ、好きになったら好き同士で笑い合って、だけじゃないんだなって……ちゃんと受け止めただけだから。や、やーほら、こういうの想像してたのとやっぱ違うなーってさ。だから……」

 

 だから、それを見て、あたしは強くなろうって思ったんだ。

 あたしが揺れてちゃだめだ。

 ちゃんと受け止めて、好きって言うだけの恋愛は卒業していかなきゃいけないんだ。

 難しいけど……ちゃんと、逃げないで受け止めてく。

 あたしは、ヒッキーが好きだ。だから、こんな気持ちを諦めるなんてこと、ヒッキーが迷惑だって言わない限りは続けていくんだ。

 迷惑だって……嫌いだって言われたら、その時はいっぱい泣こう。

 そんな未来を想像して、そうならないようにってちゃんと頑張れるように。

 


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