どこにでもあるようなガハマさんとヒッキーのお話   作:凍傷(ぜろくろ)

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そこにある青春のかたち③

  数日後には入学式。

 

 入学式の日には俺が無理矢理同行し、車に注意することを厳重に言い聞かせつつ。

 弁当は結衣が作り、持たせた魔法瓶には特製ブレンド。要望があれば紅茶も。

 昼食の時間にそれらで女子がフィッシュされたらしく、放課後に早速友達になった女子を連れてきた時は苦笑しか出なかった。社交性の高さは結衣譲りだな。あと一色仕込み? なんにせよ、ぼっちではないらしい。

 そんな調子で日々を元気に騒ぐ娘は、日に日に様々を学び、身に着け、すくすくと成長している。

 

「いろはママ! 誕生日おめでとー!」

「ありがとうきーちゃんっ、さあさあ先輩? 先輩も遠慮せず祝ってくれていいんですよ?」

「これでまたひとつ歳をとっ《どすっ》おぼっ!?」

「ほんっと先輩って結衣先輩以外にはデリカシーのかけらもありませんね! どーしてそういう言い方しか出来ないんですかー!」

「エホッ……やめっ……おまっ……! 予告もなしに腹パンとか……!」

「その男にデリカシーを説いたところで、空気に溶けて消えるだけよ。一色さん、いい加減に学びなさい」

「むしろそこは先輩が学んでデリカシーを身に着けてほしいところですよ……」

「まあその、冗談だ。お前ほどじゃねぇけど、ケーキも用意したから許してくれ」

「えっ……先輩が作ったんですか!?」

「いや、結衣が」

「……短い人生でした」

「どーいう意味だ!? ちゃ、ちゃんと美味しく出来てるってば! ヒッキーと一緒に作って、味見もしてもらってるし平気だから!」

「ええ。一色さん? それはきちんと美味しいから安心していいわ」

「そ、そうですか。雪ノ下先輩がそう言ってくれるなら………───……“それは”?」

「ちなみに最初にママだけで作ったケーキは、チョコレートコーティングをしたわけでもココアパウダーをまぶしたわけでもないのに黒かったです。綺麗に梱包してザイモクザン先生宛にファンからのプレゼントとして贈ろうとしたら、さすがにやめとけとパパに止められました」

「そんなことしようとしてたの!?」

「ふんわりケーキを目指して作られたのに、ナイフを入れるとザキョキョ、バリィとまるで包丁でハードな麩菓子を割るような音が鳴って、その際のパパの感想が“斬新なエアインチョコだな”でした」

「ヒッキー!!」

「いや俺悪くないだろ!」

「そうね。食べ物と比喩しただけでも最上級のやさしさだと思うわ」

「ゆきのんひどい!? う、うー……!」

「はぁ……もう。わたしの城で失敗は許さないんですけど……お祝いされて怒るほど子供じゃないですし。《ぱくっ》……ん、む……はい、このケーキ、とっても美味しいですから、許しちゃいます」

「《ぱああっ……》いろはちゃんっ……!」

 

 4月16日。

 一色の誕生日ということで休業。

 ケーキを焼いたりプレゼントしたり、全員でどっかに出かけたりと、それはもう楽しんだ。

 誰かの誕生日には大体こうな。おう、毎年こんな感じ。

 

「屋根よーりーたーかーいー鯉のーぼーりー! おおきーいー真鯉ーはーおとうーさーんー! 風が無ければ輝けぬ鯉ども……笑止! さあ絆が支えておいてやるのです! ぽかんと開けた口から風を喰らい、ぷるぷる震えておるがよいわー! あっはっはっはっはー! パパー! 屋根の上で鯉のぼり振り回すのたぁああのしぃいいいいっ!!」

「飾るだけって言っておいてなんで振り回してんだお前はー! いいからさっさと下りてこーい!!」

「ねぇねぇヒッキー。なんで鯉のぼりの歌って“おかあさん”が居ないんだろね」

「解釈はいろいろあるけどな。歌が作られた時代とか鯉のぼりが作られた時代じゃあ、女性が前に出ることが許されなかった~とか、緋鯉を母として数えてなかったからとか。ただまあ、家族として見るならよ。……ええとその、なに? ……お母さん視点で歌ってるから、ってことで……いいんじゃねぇの?」

「ヒッキー……」

「まあ、今じゃ普通に真鯉はお父さん、ってところが省かれて母親の歌にされてるバージョンもあるそうだし、立場逆転で一気に日陰のお父さんとかまさに俺な。だから、まあ。見守るのは交代交代ってことでいいだろ」

「……うん」

「ああっ! またパパとママがラブラブしてる! ふふん、しかし絆は気の利く娘です。夫婦仲が円満だというのに、泣き叫んで邪魔をする赤子とは違います。……美鳩、美鳩……届いていますか。姉の名の下、あなたにピピピ電波を送ります。我らが家族愛は、いつだってMAXですよ……!」

 

 5月になれば子供の日に娘を祝い妻に感謝し騒いで燥いで。

 きっちりと美鳩にプレゼントを送ったら、きちんと子供の日のうちに届いたようで、当日に国際電話で感謝された。

 

「あー、その……なんだ。元気にやってるか?」

『ん……今、とても元気。パパの声はやっぱり安心する。美鳩的に揺るがぬジャスティス』

「そか。友達とかは───」

『ぼっちを貫こうとしたらシンディに捕まった。うるさい。とてもうるさい。でも賑やか。だけどうるさい』

「そ、そこまでなのか……って、名前からして訊くまでもないが、女なんだよな?」

『シンディはオカマ。“ジャパニーズ・オネエ”と言って譲らない。ことあるごとに“なによ!”って言い出してうるさい。あとうるさい。とてもうるさい。……賑やかなのだけは認めてる。あといろいろと気が利く。でもうるさい』

「……主だった感想がうるさいばっかりなんだが」

『喩えを出すなら忍んでない上半身裸の頭巾師範のようなうるささ。すごい漢感満載。あとうるさい。お化粧とか人一倍うるさい』

「ああ……そりゃうるさそうだな……」

 

 美鳩も向こうで楽しくやっているらしい。

 出来た友人がうるさいのだけが悩みの種だそうで、その種が雑草並みに芽吹きまくってぐったりしているんだとか。

 用意された住居には雪ノ下さんとママのんとで住んでいて、そこで花嫁修業めいたものも学んでいて、“帰る頃には何処に引きこもっても恥ずかしくない専業主婦……!”と言っていたことは、他の誰にも知らせずにおこうと思う。

 

『たまに、遠く離れていても愛情を感じる。それはたぶん双子の特権。あると信じていればあるんだから、それはきっと、とてもとても尊い、親に感謝すべきあたたかなジャスティス』

「……おう。ま、大型連休でも入ったらたまには戻って来い。アメリカは三か月も夏休みがあるって聞いたが、そっちはどうだ?」

『ん……あるとは思うけど、今年は帰らない。一年目からやると、たぶん癖がつく』

「そか。解った。……結衣か絆に変わるか?」

『それもいい。パパの声で充電完了。家族愛は絆を通して届いてるって思い込んでおく。そっちのほうがきっとジャスティス』

「わかった。じゃあ、健康には気をつけてな」

『だめ。まだ切るのだめ。早すぎる。まだ第二充電が完了してない』

「完了って言ってただろうが……はぁ、まあいいよ。客が来るまでは好きなだけ付き合ってやる」

『……? この時間だと、そっちはとっくに───』

「パパー!? お客さんすごい! めっちゃすごい! もういっつも忙しい時間帯なのになんで長電話なんて《ぐわしぃっ!》はぴょっ!?」

「はっはっはー、絆ー? 今すっごい暇だなー?」

「だからパパッ……! 娘にアイアンクローは……! あぐっ……はごぉっ…………!」

『…………うん。ありがとう、パパ。大好き』

 

 絆とは違い、俺の傍から離れずに早くからコーヒーについてを学んでいた美鳩は、日本の専門学校ではなく海外で学ぶ方向で歩を進めた。

 雪ノ下さんと話していたのはそっちの相談であり、卒業と同時に資格がもらえる場所を選んだとかで、その意志は固そうだ。

 学校でも学び、家でもそっち方面の勉強をして、頭のなかをコーヒーだらけにしつつ生活しているのだとか。

 「比企谷くんが嘘とかつかずにきちんと教えたお蔭で、基本は出来てるから」とは雪ノ下さんの言葉。そりゃまあ、コーヒーのことで、しかも実の娘に、嘘とかないだろ。

 料理のことも菓子のことも、雪ノ下や一色に訊いて覚えたし、川崎や小町に教わったことも様々だ。俺の味覚については結衣にたっぷり仕込まれたっぽいが、まあそれが向こうで役立つかって言ったらNOだろう。

 ただ、男と話すのが苦手な美鳩であるから、バリスタとしての会話能力には不安が……とか相談したら、雪ノ下さんが「じゃあ比企谷くんが言うところの強化外骨格の付け方でも仕込んじゃおっかな~」とかいやちょっと待て! 待って!? 待ってください! あいつにあんなもん仕込まれたら俺を含めた家族が泣くのですが!?

 

  母の日。

 

 散々と騒ごうが忙しかろうが、イベントはやるのがぬるま湯根性。

 全然ぬるま湯じゃねぇ。しかしやる。

 

「ママ! ハッピー母の日! えーと……ママには赤! 雪乃ママには白で、いろはママにはピンクです!」

「俺からは全部だ。いつもありがとうな、結衣」

「わ……え、えへへ……毎年ありがとうね、ヒッキー、絆」

「今年はきちんと花言葉も調べました! ぬかりはありませんっ、むふんっ!」

「あ、そういえばきーちゃん、去年は全員に赤を渡してたっけ。先輩? カーネイションの色別の花言葉ってなんでしたっけ」

「そこで俺に振るなよ……」

「じゃあ雪ノ下先輩に訊くので先輩はもう用済みですからどうでもいいですごめんなさい」

「あのちょっと? そっちの意味でも振らないでくれます?」

「カーネイションの花言葉は赤が真実の愛、白は尊敬、ピンクは感謝と言われているわ」

「へー……丁度三人でそれっぽく纏まった感じですよね、わたしたち。そしてその全部を結衣先輩に渡す先輩……」

「な、なんだよ……べつに嘘はついてねーぞ? 感謝してるし尊敬してるし、なにより好きだし大事だし深く愛しているまである」

「あーはいはい、もう解ってますから」

「……俺に近しい人って、なんで慣れてくると対応が小町的になってくるんだろうな……」

「慣れたからでしょう? つまりそれが一番楽なのよ」

「嬉しくねぇ……」

 

 しっかりと美鳩からもカーネイションが届けられて、結衣も雪ノ下も一色も顔を緩ませていた。

 なんとも、我が家は思いやりに溢れている……かもしれん。

 「あっ! ママのんに送るの忘れちゃった! どうしようパパ!」「おまっ!?」……なんてことがあり、慌てて送ったが遅れた所為でママのんが落ち込んだ、という情報が美鳩からの国際電話で届けられた。どんだけうちの娘好きなのあなた。

 荷物が届いていないかを何度も確認させられたらしい都築さん、毎度お疲れ様です。

 

「《べりゃあっ!》……さらば5月……! 貴様のカレンダーとしての役目は今終わった……! そしてフフフ、今年も来た……6月! ジューン・ジュンジュン・ジューンジューン! パパパパ! ママの誕生日、今年はどうしよう!」

「その前にわんにゃんショーもな。毎年、わんにゃんショーと誰かの誕生日は休業日だから絶対に行く。行かなきゃ雪ノ下の精神テンションがヤバい」

「あー……一度どうしても行けなかった時、大変だったもんね……」

「あの時はこの世の終わりみたいな顔してたな……」

「うーん、でも……今年は美鳩が居ないのかー……それだけが残念だよ、パパ」

「だな……あいつも毎年楽しみにしてたから」

 

 六月。

 誰かの誕生日がある月になると、どうしてもテンションが上がる。

 それが家族のものならば余計にだ。

 絆は学校の方で中間試験があったらしいが、余裕で乗り越えた。

 燥ぎっぷりは馬鹿っぽいのに、普通に頭はいいんだよな。結構天然でポカやらかすだけで。

 

「東! 京! わんにゃんショーーーッ!! 猫よ! ああ犬よ! 絆は! 絆はまた来ましたよ! スマホカメラオーーーン! 映像を撮って美鳩に送るのです! さ、さあパパ! まずは何処から行こう!? 犬かな! 猫かなぁ! うえへへへへ……!」

「はいはい落ち着こうねー絆ちゃん。動物好きなのは解ってるから。ほらほらよだれ、ちゃんと拭く」

「え!? よだれ!? うわわほんとだ……! ありがと、小町お姉ちゃん」

「とりあえずお前は雪ノ下と猫に行っとけ。俺は結衣とのんびり回るから」

「えー!? 今年も!? う、うー……あの、パパ? どうしてもっていうならそのー……う、うさぎからでも……いいよ?《ポッ》」

「その言葉のどこに頬を赤らめる要素があるのかがまず解らん。いーから行け、ほれ」

「うさぎはいっつも発情してるとかどっかで聞いた気がして……」

「わざわざ言わんでよろしい」

「そうそう。ほらきーちゃん、さっさと行くよー? 先輩たちには先輩たちのペースがあるんだから」

「あの、一色さん? 私にも私のペースが───」

「雪ノ下先輩のペースに合わせてたら、猫だけで一日が終わっちゃうじゃないですかー」

「うぐっ……」

「雪乃さんって猫のことになると長すぎますからね。あ、今はどうなんですか? 新しく猫を飼ってるんですよね? なんていいましたっけ」

「ヒキタニくんですよ小町お姉ちゃん!」

「いつ聞いても“うわー”な名前……もうなにやってんですか雪乃さんがついていながら」

「意見を出す前に決められていたのだから仕方ないでしょう? ……これでも何度も却下したのよ」

 

 東京わんにゃんショーには従業員全員+小町で出動。

 毎年のことながら、賑やかなことだ。

 小町が自分のことで喫茶店を手伝えなくなってきてからは、こうして集まることも珍しい。

 それでも時間が取れればこうして楽しみ、全力で遊ぶわけだ。

 

「……んじゃ、行くか」

「……うん」

 

 わんにゃんショーに出掛ける時、結衣は手首にいつかの首輪を巻いてくる。

 今では誰の首にも巻かれない、細工してアクセサリになった綺麗なそれは、かつて俺が贈り、サブレがつけていたものだ。

 わんにゃんショーに来て、燥がないわけじゃないが……別れを経験してからは、その燥ぎ様は半分も湧かず、やさしい顔をして犬を撫でるだけだ。

 

「なぁ結衣。犬はもう───」

「うん。もう、飼わないよ。意地になってるだけなのかもしんないけど、サブレだけにしたいから」

「そか。……まあ、飲食店で多くの動物を飼うのはってのもあるが……それは気にするなよ。飼いたいって思ったら遠慮すんな」

「それ考えると猫を許可したのは驚いたかな。どうして飼おうって思ったの? 美鳩が外国に行った寂しさの穴埋めってだけじゃないよね?」

「まあ……絆なら無理矢理にでも順応するとは思ってたから、ペットはいらなかったんだろうけど」

「じゃあ?」

「絶対にそうしろとは言わないから、その……あれだよ。あー……傍に居てくれるもののあったかさ、忘れねぇで欲しかった。目ぇ逸らしたくなるほど恥ずかしいし、なに言ってんだこいつって内容かもだが、その、なんだ。……本心だよ」

「ヒッキー……」

「別れを泣いてくれるのは嬉しいんだろうけど、よ。今の、今日まで一緒に居る俺の意見を届けるならな。……泣いてほしくて、そんな笑顔をしてほしくて隣に居るわけじゃねぇんだ。いっつも感謝して、隣に居てくれて嬉しくて、隣を歩けて幸せで。出会ってくれてありがとうとか、好きになってくれてありがとうって感謝はあっても、その先でいつか先の別れにどっちかが泣くとしても……引きずるなって言いたいんじゃない。泣くなって言いたいんじゃねぇけど……笑みを濁らせないでくれとは、絶対に言えるんだよ」

「あ……ぅ……」

「お前がそのー……ヒキタニくん? を妙に避けてるのは知ってる。猫は居なくなるからって、それだけの理由じゃなくなってることも、まあ」

「うん……」

「なにかが居なくなったから“ハイ次ね”ってのは違うって、まあ……俺にも解る。愛していた何かを忘れて、ってのも無理だから、それもなんか違うよな」

「……ヒッキー?」

「その、だから、ようするに。もし、だが。もし俺が死んで、お前がいつか別の男と、って考えると、化けて出る自信がある。お前がもし死んで、いつか俺がってなったら、俺は自分が嫌いになりそうだ。その場の感情理論なんてこんなもんだけどよ、結論出すなら仕方ねぇんだよな。そうできるように出来ちまってる」

「………」

「それでもだ。我が儘は言うぞ。お前にはもっと笑っていてほしい。そうすることでまたいつか泣くことになっても、泣きながら、そいつとの楽しい思い出を思い浮かべられるような、そんなお前であってほしい。言っててキモいが、その、あれだ。一応、本音だ」

「………」

「………」

「ヒッキーは……相変わらずずるいね」

「まあ、そうだな」

「あのね? あたし……あれからね? ゆきのんからさ、猫の……習性? 聞いたんだ。聞こうと思ったわけじゃなかったんだけど、喋り出したら止まんなくてさ」

「……じゃあ」

「うん。子供の頃はただ居なくなるだけって思ってた。あんなに仲良しだったのに、いきなり居なくなるんだって。少し成長してからは、死んじゃいそうになるとそんな姿を見せたくなくて居なくなるって聞いて、誤解してたことが悲しくて……馬鹿だなあたしって後悔して。でも……」

 

 ……猫は死期を悟ると、主人の前から居なくなる。よく聞いた話だ。

 しかし実際は違っていて、怪我などをした場合や病気になった場合、外敵に襲われぬように安全な場所を目指し、移動するのだという。

 怪我や病気の時に狙われればひとたまりもないからだ。

 が、多くの場合はその安全な場所で傷が悪化、病気が悪化し、そのまま戻れずに死んでゆく。

 その他にも、安全だと思って休んでいても、そこが必ずしも安全ではなく敵に襲われる可能性だってあるため、傷つけられ、弱り、動けず、やがてそのまま。

 猫ってのは自由で、家で飼っていてもすぐに外に出てしまう。

 当然、そこで怪我を負えば安全な場所を求めるが、じゃあ家の中に居ればいいのにと思っても、果たして傷を負った猫や病気の猫にとっての“構ってくる主人”が敵ではないかといえば、人間だけの考えを押し付けるには荷が重い。

 だから自分が感じた安全な場所……主人も来ることが出来ない狭い場所などを選び、そこで休み、悪化し、やがて。

 

「野良猫……だったんだもんね。子供だったあたしたちがさ、遠慮なく撫でまわしたりしてれば、怪我してたり病気だったりすれば、ゆっくりなんて出来るわけなかったんだ。なのに勝手に苦手意識持ってさ。遠ざけて……後悔して」

「結衣……」

「ヒッキーの“知って安心したい”って言葉、すっごく解るんだ。あたしももっと、知ろうとすればよかった。そんな後悔があってもさ、やっぱり怖いんだよ。自分より先に死んじゃうなにかを受け入れるのが」

「まあ、そだな」

「サブレ……さ。少し顔見せないとすぐあたしのこと忘れたり、忘れてるから威嚇したりだったけどさ。最期の時、苦しそうに悲しそうに鳴きながら、あたしの顔を舐めたんだ。助けたいのになにも出来なくて、抱き締めることしか出来なくて」

「……おう」

「でもね、絆と美鳩を産む時にさ。ヒッキーが泣きそうな顔であたしの手を握ってくれて。やっと、ちょっとだけ解った。なにも出来なくて、泣くことしかできない人が、それでも傍に居てくれて……嬉しかったんだ。なにも出来なくて悔しいって泣いてるヒッキーに、あたしはそれでも、ありがとうをいっぱい届けたかった。いっぱいキスして、いっぱいありがとうって言いたかった。……だからさ」

「………」

「えへへ……あたしもずるいや。自分で見ないように、考えないようにしてたくせに、自分で考えて、組み立てて、口にして……やっと今気づけた。あたしさ、サブレに“なんで死んじゃったの”とか“なんで居なくなっちゃうの”とか、そういうのを言いたいんじゃないんだ。サブレもさ、あの時に鳴いてたのは悲しいからとかそういうんじゃなくて……手を握ってくれてたヒッキーに、あたしが言いたかった言葉とかで……」

「………」

「《くしゃり》ん……今度サブレに謝らなきゃ。誤解しちゃってごめんって。こっちが誤解かもだけど……」

 

 くしゃりとやさしく髪を撫でると、結衣は儚げに笑ってそう言った。

 確認する方法なんてなくても、“せめて”を思えば前を向ける。

 俺から言わせてもらえば、“前”だけが正しいなんて誰が決めたんだ、って話だが……それでも。必要なんだよ、人には。前を向くって行為が。じゃなきゃ進めねぇから。

 けど、だからこそ、一度前を向いて、なにかを飲み込めた人間ってのは強い。

 強いから……

 

「ね、ヒッキー。サブレは強い主人と弱い主人、どっちが好きだったと思う?」

「いや、お前威嚇されてただろ。お前って時点で好かれてねぇんじゃねぇの?」

「そんなことないったら! キモい! ヒッキーキモい!」

「キモくねぇよ。つーか俺のキモさ今関係ねーでしょ」

 

 言いながら、いつかを思い出しながら、こつんと額をくっつけ合って、長く長く息を吐いた。

 で、言うのだ。それでいいんじゃねぇの、と。

 

「いいのかな」

「いいだろ。強いとか弱いとかじゃねぇよ。俺も同じだ。お前だから好きになった」

「……うん、あたしも。ヒッキーだから好きになった」

「お、おう……だから、いいだろ、それで。お前だから威嚇しようが、お前だから最期まで一緒だったんだ。それを、ちゃんと受け止めてやりゃいいだろ」

「そっか。…………そっか」

 

 それからは……笑った。

 なにがおかしかったのか、沸いて溢れ出して止まらない、蛇口から溢れる水のように。

 笑って笑って、周囲の人に引かれても……それでも、涙が出るまで笑った。

 こういうのは後で恥ずかしさのあまりに頭を抱えるパターンだが、そういうもんだろ人生って。その方が楽しい。そんなもんでいい。

 犬に囲まれて過去を話し合い、悔やんだいつかを語り合って、急に笑って急に泣いて。そりゃ周囲は引くだろうが……この場で考えなきゃ解決出来ないものがあるなら、そんな恥ずかしさなんて些細なことだ。

 存分に恥ずかしさを味わおう。

 んで、あとで二人でまた笑おう。

 その笑顔は今日の始まりよりも自然だろうから。

 

   ×   ×   ×

 

 6月18日。

 気づけば大切なものになっていた文字の並びに、ほにゃりと顔が緩む。

 毎年恒例、個人的ビッグイベント。

 美鳩が居ないのが寂しいものの、しっかりとプレゼントを送ってくるあたり、家族愛を愛する美鳩らしい行動だ。

 

「特別じゃない、英雄じゃない、みんな~の~上には空~があるっ♪」

 

 我が喫茶店は、従業員の誕生日には休みになる。

 べつに休みにするから俺達に付き合え、と言っているのではなく、そもそもそれじゃあ回らんのだ。たった一人が欠けただけでも上手く回らんのだから大変だ。そりゃあ川崎に人を雇えとか言われるって。

 いやさ、そりゃな? 最初は誕生日のやつだけ休業ってことに……と話したんだ。

 だってほらそのー……あれだろ? 俺とは違って、リア充ってのは誕生日には友人を招待したりされたりで楽しむもんなんだろ? ……俺には嫌な思い出しかねぇけど。

 だから、休みにするから遊びにいってもいーよって、休日を設けたわけだが……これがまた面白いほどに誰とも出掛けず、むしろぬるま湯総出で祝って、祝ったあとは外に出掛けて騒いで楽しんで食事して、だったりする。

 ちなみにその際の金は経費である。経費っつーか……うん、俺が払う。

 誕生日なんて月に何度もあるわけでもない。

 俺だけじゃ経営不可能な場所を手伝ってもらってんだから、誕生日に許される無遠慮な贅沢くらいどんとこいだ。

 で、そんな俺達が総出で何処に来たかと言えば……カラオケ。ではない。

 

「雨の日もあるっ♪」

「風の日もあるっ♪」

「たまにー晴れたら」

『まるもーおーぉけぇ~っ♪』

 

 現在、ただふつーに道を歩いているだけである。

 仕事のことは忘れて楽しむ、が休日の過ごし方ってもんであり、俺達はその切り替えが実に上手い。

 上手いから歩きながら歌っちゃうし、歌った絆に合わせて結衣が風を歌い、一色が晴れを歌い、最後は三人で声を合わせて。

 雪ノ下は混ざるべきかどうかを考えているのだろう、やたらそわそわしている。おいちょっと? なんでそこで俺を見るの? なに? あいつが歌うなら俺も歌おうってアレ? やめて? 俺そのパターンって口パクしかやらなくて、相手が俺を睨んできた記憶しかねぇから。

 つーかこいつら無駄に歌上手すぎて、隣で歌うとかかつてはプロボッチャーだった八幡さんからするととても恥ずかしいレベル。

 しかも三人ともものすげぇ楽しそうに歌うんだもの、そこにゾンビを混ぜるとか、パパ恥ずかしい。ゾンビなのかよ。もう腐ってねーよ。

 

「いや……ちらちら見られても歌わねぇから」

「もう、八幡協調性なさすぎ」

「おー、よく協調性なんて言葉覚えてたなー。すっかり忘れてるものかと思ったわー」

「一緒の大学とか行くために一緒に頑張ったでしょ!? いつまで馬鹿扱いしてんのヒッキー!」

「落ち着きなさい由比ヶ浜さん。その男は自分が名前で呼ばれることに違和感を覚えて、誤魔化しているだけよ」

「だから……なんでお前ら人の考えてることとか解っちゃうの? いいだろもう、解ってんだったらほっといて?」

「先輩は慣れてくると解り易いですからねー。結衣先輩も愛しの旦那様に馬鹿にされたりとかしなければ、一番に気づいてたと思いますよ?」

「……いや……おう」

「……ばか」

「すまん」

 

 服の腰あたりを引っ張られて、見てみれば真っ赤な顔で少し目を逸らす愛しの妻。

 それとは逆を何故か引っ張るのは、絆であった。

 

「どした?」

「パパ! こんな時は歌いましょう! 幼い頃からママたちの歌を聞いて育ったこの比企谷絆! 歌にはそれなりの自信があります! むしろここで歌いましょう! 歌おう友よ!」

「いや歌わないから。この歳で家族と一緒に天下の往来で歌うとか恥ずかしすぎるだろ……」

「天下の往来じゃなければいいんだっ! じゃあヒッキー! カラオケ行こう!」

「また今度な。来年とか」

「う、うー……いいけど、なんで来年?」

「今年は美鳩が帰ってくるつもりがないらしいからな。どうせなら、そういうのは家族全員で楽しもう」

「……ほんと、先輩って身内にあまあまですよね」

「ええ、いっそ清々しいほどにね。それで比企谷くん? 祝われるべき相手の提案を蹴る、ということは、他に提案があるのね?」

「サ」

「サイゼリア以外で」

「───」

 

 なんでだよ。

 サイゼリアいいじゃない、安くて美味くてのんびりできて。

 そんなことをわざわざ考えながら、クックと笑う。

 

「成長しねぇな、俺達も」

「やりとりを楽しんでいるだけのくせに、よく言うわね」

「それ、雪ノ下先輩もじゃないですか。さっきから顔が笑ってますよ?」

「! あ、こほんっ……いえべつにそういうやりとりがどうとか懐かしいからとかそういう意味で笑んでしまったのではなくて、つまりはこれは私が」

「ゆきのん。素直に」

「ァゥ…………あなた、やっぱりずるいわ」

「えへへぇ、そうじゃなきゃ、こんな関係望めないでしょ?」

「先輩たちって三竦みを見てるみたいで飽きませんもんね。結衣先輩は先輩に弱くて、先輩は雪ノ下先輩に弱くて、雪ノ下先輩は結衣先輩に弱くて」

「待ちなさい一色さん。なぜ私が由比ヶ浜さんに弱いという結論が」

「え? ……お前、強いつもりだったの?」

「え?」

「え?」

「………」

「………」

「? ヒッキー? ゆきのん?」

「……お前いっつも結衣に押し切られてるだろ」

「あ、あれは……! いえ、そういうあなただって由比ヶ浜さんに“だめ?”と言われると絶対に頷いているじゃない」

「い、いやあれはほらお前、あれがあれで……あれ弱さとかじゃないからね? 竦んでるんじゃなくて、惚れた弱みとかだから。……弱いのかよ結局」

「そうだよいろはちゃん、あたしだってゆきのんに強く言われたらなんも言えなくなっちゃうし。あ、でもヒッキーに弱いってのはそうかもかなぁ」

「うーん……いろはママはそこに入らないんですか?」

「わたし? わたしは……」

「絆、やめなさい。そいつはトラブル運送業って感じだから、混ぜるな危険なんだ」

「な、なんですかー! その言い方ー! もとはといえば先輩がわたしに生徒会長を押し付けて、そのくせなったらなったで自分でなんとかしろみたいな態度取るから悪いんじゃないですかー! あんなわたしにしたのは先輩なんですから、責任取るべきだったのにあの頃の先輩はー!」

「ばっ、おまっ……! だから天下の往来で大声をだな……!」

 

 賑やかさはいつも通り。

 性格的には子供のまま大人になった、みたいな状態だが、それでもまあそんな感じで生きている。

 それでいい。わざわざ難しい考え方をして、枯れた生き方をする必要もねぇだろ。

 だからこそ絆も遠慮せず混ざることも出来て、家族でわいわいガヤガヤ。

 今年は美鳩が居ないのが寂しいものだが、だったら逆に、絆と美鳩の誕生日には盛大に祝ってやろう。

 まさか向こうまで旅行するってことは無理だから、普通に贈り物をする方向で。

 

「それで、結局何処に行くんですか? サイゼ? それともサイゼですか?」

「ぷふくくくっ……! いいですよきーちゃん、今のは先輩によく似てます……!」

「ええそうね。来るなり帰るかを訊ねてくるあの無駄骨という言葉を体で表さんとするあり方は、実におかしな存在として記憶に残っているわ」

「ちょ、やめて? そんなの忘れてていいからやめて? つーか、行く先なら結衣が決めてくれないか? カラオケ以外なら付き合うぞ」

「パセラは?」

「いやあそこカラオケだからね? 選択肢にハニトーが増えただけだからね?」

「あはは、うん。さすがに冗談。じゃあえとー……」

 

 提案。

 こうして歩いて楽しんで、家に帰ったらみんなでごろごろしてまったりする。

 一にも二にも俺と絆が大賛成。

 雪ノ下と一色は仕方ないなって顔で、苦笑とともに頷いた。

 そんなわけで軽く買い物なんぞをしたのち、その足でのんびりと家に戻り、仮眠室に布団を持ち合って適当に並べると、そこに全員が寝転がり、まったり。

 「テレビでもつけますかー?」と訊いてきた一色に待ったをかけ、適当にCDをチョイス。流れた音楽に息を吐き、再びぽてりと布団に倒れた。

 

「あ……いい曲ですね。なんだか落ち着きます」

「歌ばっか聞いてると、たま~に音楽だけってのが恋しくなるんだよ」

「亡き王女のためのパヴァーヌね……意外だわ」

「まあ……偶然どっかの店で聞いて、気になって調べてる内に気に入ったパターンだな。独りで考え事とかする時、少し落ち着ける」

「ところでパパ、明日父の日だけどどうする?」

「いや、それ俺に訊く? いいよべつに、どうもしなくても」

「じゃあ明日はわたしが! この娘である絆が! おはようからおやすみまでをしっかりサポート!」

「お前におはようされたら、朝っぱらからフラッシングエルボーが飛んできそうだからやめろ」

「しないよそんなの! しても、寝てるパパのベッドにトペ・スイシーダするくらいだよ!」

「と、飛び降り自殺……!? 比企谷くん、あなた娘になにをさせるつもりなの……!?」

「いやちょっ……待て、待て待て、プロレス知らないのに普通に意味が解るお前が怖ぇえよ……。どこまでユキペディアさんなの、こんなところでマルチリンガル発揮されると驚きよりも言葉を失うわ……。あのな、ただの技の名前だから本気にすんな」

「? 自殺? ……トペさんが水死だ?」

「……ちなみにスペイン語な。トペは頭、スイシーダは自殺。プロレスのリングから場外に居る相手に頭から突っ込むところから、そう名付けられたらしい。水死だと全国のトペさん泣いちゃうから、その日本語読みはやめてあげような、結衣」

「え、う、うん……?」

 

 言いつつも、隣で四肢をのびのびリラックス状態な結衣を抱き寄せ、胸に抱くと頭を撫でる。

 あ~……まったり。

 割といつもやってるけど、やろうと決めてやると……なんか新鮮。

 

「はぁああ……なんかこうしてなにもせずにぐったり過ごすのも、案外いいもんですねー……」

「そうね……“こう”と決めないと、なんだかんだとなにかしらをしたり考えたりしてしまうから……確かに、この雰囲気にパヴァーヌは合っているわね」

「えへへ……家デートの時は、こうやって静かな音楽流しながらまったりだもんね」

「家デートの度にこんないちゃこらしてるんですか先輩……」

「デートってのはほれ、一緒に居て相手を知ることを差すんだろ? だったら今の俺達にとって、これ以上のデートはねぇんだよ」

「まあ、結構アイコンタクトとかしてますもんね……。普通に“それ解っちゃうんですか!?”ってことまで平気で。わたしもまあまあ解りますけど、まだ先輩ほどじゃないですね……」

「ふふーんっ、ヒッキー以外にも、ゆきのんのことなら結構解るよっ?《むふーん!》」

(……ドヤ顔かわいい)

「《なでなで》ヒ、ヒッキー? あれ? ちょ、くすぐったいよ? どしたの? ヒッキー? ヒッキー?」

 

 妻がかわいい。

 あの頃で言うとママさんくらいだろうか。ママさんの年齢、知らんけど。でもかわいい。

 

「けれど、そう……明日は父の日なのね。明日はどういったイベントをするのかしら」

「父親なら割引とかでいいだろ。もしくはMAXのみ無料とか」

「どんだけ同志を求めてるんですか先輩。あと無料はやりすぎですよ」

「パパじゃなきゃダメなんだからいいんじゃないか? 母の日のケーキ割引よりよっぽど安いだろ」

「あはは……毎年、あれやると女の人の客がすごいよね」

「って、結局仕事の話になってるじゃねぇか。今日はもうこのまままったりでいーだろ……」

「あー、せんぱいに賛成ですー。なんか今、とっても心地良い感じです……」

「ん、あたしも……。はー、なんか……なんかだけど、今さらだけどさ? ここまで来たんだなーって……ちょっと安心」

「……そう、ね。ええ……いろいろあったけれど、よくもまあ関係が続いているものだと思うわ。ふふっ……子供同士の口約束のようなものだったというのに、全員がここに到ることを疑わなかった。私は、それが……」

「……ゆ~きのんっ」

「……ええ。平気よ、由比ヶ浜さん。もう、受け取っているから。わかってもわからなくても、そういうのがわかる……ふふっ……ええ、こういうことなのね」

「えへへ……」

「ありがとう、由比ヶ浜さん。私の中の答えも……ようやく“かたち”になりそう」

「うーん……わたしにはそれが見えませんけどー……でもそれがなんなのかは、なんとなく解るつもりです。面白いですよね、ほんと。たぶんこれ、名前をつけちゃいけないんだと思います。いつか先輩が言ったアレだって知ってても、口にしちゃったらもったいないっていうか。見えないままだからいいんだと思います」

「……そうだね。言っちゃったら……うん。言っちゃうのは、なんか違うんだと思う。きっかけとしてヒッキーが言ってくれたあの時だけでいいんだよ、きっと」

「パパ? 顔真っ赤だよ? パパ?」

「ちょ、やめて絆さん、パパ今とっても照れくさいから」

「恥ずかしいことなの? そのー……名前のないなにかが」

「いやべつにその……な、言っちまえば恥ずかしいんじゃねぇんだよ。俺はそれだけは絶対に否定しねぇよ。そこに手が届きそうな今を、青臭かろうが胸張って誇りたい。本気でだ。……ただ、な、その……あー、なんだ、こう……嬉しすぎるから、っつーか……な?」

 

 解らないから知って安心したいガキが居た。

 知りたいからこそ話し合って、解りたい少女が居た。

 “知っている”と口にしたからこそ、言わなくても解ることに憧れた少女が居た。

 俺達のきっかけはきっとそこから始まって、今は……そんな三つが混ざり合って、ようやく“かたち”になってきた。

 それはいつか憧れた“見えないなにか”であって、でも……名前をつけてしまったら陳腐なものになってしまう予感を持つなにか。

 だから、知っていても口にしない。それでいいんだと思う。

 

『───』

 

 バラバラに寝転がった俺達。

 全員が仰向けのままに、なんの気なしに左手を頭上に伸ばすようにすると、面白いことに絆を抜いた全員と手が触れた。

 そして笑うのだ。

 子供が意地になって、“ごっこの遊び”を“大人の仕事”に無理矢理昇華させたようなこんな関係。

 当時は子供だった俺達のそんな青春を、大人のほとんどは“やめたほうがいいぞ”みたいに止めた。

 高校三年で知り合った誰かも、大学で知り合った誰かも、口々に“善意”でそれを止めようとした。

 それでも俺達はそれが“なにか”になることを信じて走った。

 “雪ノ下”に支えて貰えなきゃ叶わなかったであろうそれを乗り越えて、こうして今、偶然みたいな関係は続いている。

 苦労した分、笑顔を削った日々の分だけ、経験したものの数だけ、“それ”に名前をつけることに違和感を抱くようになり、今ではそれを口にすることもなくなった。

 “言わなくても解る場所”に辿り着けた俺達は、そこでなにをすればいいのだろう。

 ふと、そんなことを考えて……触れた手を纏めて掴むみたいに絡めた。

 

  楽しめばいい。

 

 一般的に言う青春時代なんてものが既に“過ぎ去ったもの”の中にあったとしても、そんな文字通りの“過去”にはなかったものが手のひらにある今だからこそ、今出来る青春を、じっくりまったり───息つく暇もなかった修行時代には出来なかったくらい、たっぷりと味わえばいい。

 ここには全部があるのだから、そんな全部と歩いていく。

 やっぱり、“それでいい”のだ。

 

「むー……! 絆をほったらかしで、その解り合ってますって顔をするのが悔しいです! こ、こうですか!? 手を重ねればいいんですか!」

「うーん……きーちゃんにはまだちょっと早いかなぁ」

「だったら絶賛早熟するので教えてください! ほらほら、絆ったらもうとっても大人ですよ!? え、えーと……う、うっふーん?」

『ぶふっ!』

「うきゃああああああっ!! わわわ笑うなんてひどい! ひどいです! こっちは頑張ってるのに!」

 

 幸福がここにある。

 全部は、ここにある。

 心地よくて嬉しくて、安心したように体が勝手に長く息を吐くと、俺はそのまま眠ってしまった。

 

  そして、いつかの懐かしい夢を見る。

 

 夢の中の俺は自転車をこいでいて、視界に犬の散歩をしているサイドテールの女の子と、接近する黒塗りの車を見ると───痛いのは嫌だな、って思うくせに、結局は同じ行動をとった。

 そして、案の定骨折して、ぼっち確定で入院生活を過ごした。

 面白いのはそんな入院ぼっち生活の中、小町が背中を押して無理矢理入室させた女の子のことで───……俺は、経験したことの無い光景を見て、苦手なくせに自然と、その黒髪の女性を応援した。

 がんばれ。

 そいつは一筋縄じゃいかないだろうが、腐り切る前なら……きっと心からお前に心を許すだろうから。

 そんな温かな夢を見ながら、やがて父の日を迎えた。

 

 

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