どこにでもあるようなガハマさんとヒッキーのお話 作:凍傷(ぜろくろ)
戻ってきた結衣が驚く様を存分に堪能してから行動開始。
雪ノ下さんは雪ノ下を探しに猫スペースへと向かったので、現在こちらには比企谷親娘だけである。
美鳩は結衣の腕に抱き着いており、絆は俺の腕に。
「ああ、ママの香り……安心する」
「美鳩は甘えん坊さんのままだねー。えへへぇ、なんか安心するねヒッキー」
「“外国に渡ったらなんもかんも変わって帰ってくるんじゃ……!”とか心配してたもんな、結衣」
「大丈夫……奥義をいくつか得てきただけで、美鳩の中身は変わらない。変わるとしたら、そう……誰かに心から変えられる瞬間だけ……!《ポッ》」
はいちょっと待ちましょうね? そこで真っ赤な顔で目を潤ませながら俺に言う意味はなにかなー?
……ツッコんじゃいけない気がする。スルーしよう。
「てゆーか……美鳩?」
「なに? 絆」
「………」
「…………《もにゅり》……無言で胸を鷲掴むのはどうかと思う。とりあえずヘルスラスト」
「《ドス》うひょう!? ちょ、お腹に地獄突きはやめて!? なんでパパも美鳩も地獄突きするの!?」
「ならばこちらも説明を求める。なぜ胸を掴んだの」
言いつつ、何故か結衣から離れ、俺の腕に抱きついてくる美鳩。
「《もにゅもにゅ》こ、こらっ、言いながらどうして俺の腕に押し付けてくるっ! やめなさいちょっ……こらっ!」
「……双子なのに大きさで負けている……!? み、美鳩!? 外国でなにがあったの!?」
「……ふふり。女の子は恋をして成長する。それは、想いが強ければ強いほど。パパの隣で日々を過ごしていた絆より、遠く離れた地で恋い焦がれていた美鳩のほうが乙女度が高かった……ただそれだけのこと。この気持ち、実にジャスティス」
「っ……こ、この絆がっ……まさか、傍に居ることで満足していたというのか……!」
「腕に抱き着かれながらそんなこと言われるとは思いもしなかったわ。そして生憎だが俺は結衣一筋だ。好きになったら自分の全部をそこに置いて、一生を懸けて愛していく。それが人生ってもんだと思ってる」
『くうぅっ……! やはり最大の敵はママ……!』
「なんでいきなり敵扱いされてるの!? う、うー……ヒッキー……」
寂しそうに唸る妻を招き、腕を組んで歩く。
左腕を結衣にきゅっと抱き締められると、右腕は私がと、美鳩と絆で争奪戦を始めた。
とりあえず娘は自由にさせといて、妻に笑いかけながら歩いてゆく。
それだけでもほにゃりとやさしい笑顔を見せてくれる妻が、なんとも愛しい。ああ幸せ。
「ところでママ」
「ん、なぁに? 美鳩」
「美鳩が海外暮らしをしているうちに、なにか……あった? ママ、前までわんにゃんショーは少し躊躇してた。なのに今日、嬉しそう」
「あ、あー……うん。やーほら、えっとー……そだね。いろいろあったんだ。大丈夫、ママはこれからも頑張れるって、それだけの話だから」
「……パパ?」
「……そだな。いいことがあったんだよ。それだけじゃだめか?」
「……ううん。パパがそう言うなら、ママにとってそれはとてもいいこと。ジャスティス」
「そうそう、楽しく行きましょう。今日もお留守番をしているヒキタニくんを嫉妬させてしまうくらい、犬と猫とたわむれて楽しめばいいのです」
「だな。んじゃ、行くか。のんびりと」
「あ……うん、ヒッキー」
より腕を絡め、手も絡め、繋ぎ合う。
そして、去年よりも少しだけ緩んだ笑みと一緒に、ただ静かに撫でるだけだった犬スペースへと歩いてゆく。
娘の同行も許可しなかった以前と比べれば、随分と落ち着いたもんだと思う。
そこでたっぷりと犬と遊び、ヒキタニくん用のお土産を選んだりして、今日を楽しんだ。
会話は主に美鳩の話になるのは当然のこととして。
× × ×
散々と楽しみ尽くし、戻ってきた喫茶ぬるま湯にて。
「……改めまして。夏休みの間だけ帰還が許された一羽の鳩、名を美鳩。寝ても覚めてもバリスタの勉強でそろそろピジョニウムが枯渇してきていたから、チャージするべく帰還。修行中のため、舌を殺すような飲食は禁止しているので、それは解って欲しいのと同時に、選り好みで食べてしまうのをママにもごめんなさい」
「あはは、いいよ。ちゃんと舌とかにやさしい料理作るから。はー、でも海外かー。ヒッキーの時は短期集中のやつだったっけ?」
「そだな。あの時はお前が一緒に行くって言って大変だったな……」
「そ、それはもう忘れてったら……!」
「むう。ということは。美鳩は長期でのんびりと、ですか」
「ふふり、その通り。ただし、学ぶペースは選べるし、授業だって好きなだけ取れる。つまり知識と経験を積んで、それが認められれば修了として、いつだって卒業が可能。もちろん資格を得られるわけだから、その判定も甘くない。大変」
「あはは、そうそう。美鳩ちゃんたら少し授業をするなり、講師に“パパの傍で経験を積んだ実力を見てほしい……!”なんて言って、修了試験なんて受けようとしてねー」
「……や、やめてはるのん。あの時の美鳩は自惚れていただけ……! 講師に散々言われたのはもはや黒歴史……! でも基本がしっかりしていると褒められたのも事実。これから肉付けしていくところだったのでしょう、から続く言葉でパパが褒められた瞬間、彼女は美鳩の恩師になった。軽くジャスティス」
軽くなのかよ。
というわけで、現在はぬるま湯内の奉仕部。
ここに住む者+雪ノ下さんというメンバーで揃って座り、近況などを語り合っていた。
「けど美鳩、夏休み中でも、やろうと思えば授業は受けられたんだろ?」
「各自自習期間。夏休み中、自身で様々を学び、学校以外でも知識を深めるのが目的らしい。そこでどれほど自分を鍛えられるかでも、自分の将来への意欲が窺がえるらしい。そうして長期の人が休んでる中、夏休みを利用して短期で学びに来る人を育てる、らしい」
「あー……なるほど。登校日とかはないのか?」
「気になったこと気づいたことがあれば、講師にいろいろ訊くことも許可されてる。でも義務じゃないから、好きにしていいって聞いた。ね、はるのん」
「そ。一応、どこかのお店で勉強したいって時は、そのお店の名前を教えておくっていう……まあこれも義務じゃないんだけど、出来れば伝えて、そのお店がその生徒に合っているかを講師側で検討してみたりーとかやさしい部分もあったんだけど」
「故に美鳩はこのお店を選んだ……! イタリアに本格的に修行に来てるのに、日本に行ってどうするって無言のツッコミがあったけれど、美鳩にとってそんな冒険こそジャスティス……!」
「あ。安心していいよ、比企谷くん。美鳩ちゃん、自宅と学校の他に、ちゃんとエスプレッソが美味しいお店でバイトもしてるから。お店の人に結構可愛がられてるし───あっとと、比企谷くんにとっては性別が気になるかなー?」
「美鳩、店の主人は女か? 女だな? 女だよな?」
「? 妻子持ちのハゲ。サングラスがとっても似合ってる、体のおっきな人。日本人のお客さんからは親しみを込めて海坊主って」
「おいやめろ」
っつーかなんで宅の娘は頭が丸い人を容赦なくハゲ呼ばわりするんだよ。
そっとしといてあげなさい、それが好きでやってる人もいるんだから。
「まあとにかく、順調ってことでいいのか」
「そう、とても順調。それまでに散々怒られて馬鹿にされたことは決して忘れない。日本人というだけで“エスプレッソに砂糖も入れずに飲むイタイ通気取りが来たぞ!”と笑われたあの日を、美鳩は忘れない……! 美鳩にとってコーヒーとは砂糖を入れるもの……! それを日本人だからと鼻で笑った存在に、黄色と黒の結晶、我らがマッカンを投げつけてやりたかった……!」
いや、投げつけちゃだめだろ。飲ませてあげなさいよ。
「というわけで美鳩は常に進化しています。ここでも勉強第一にするつもりなので、パパ、お願いします」
「……そか。まあまずは舌も少し休ませてやれな」
「りょーかい、パパ」
人の足の間に座り、にこーと笑う娘がおる。
まあ可愛いので撫でる。めっちゃ撫でる。
「はー……わたしもお菓子の修行の時はいろいろありましたけど、コーヒーも大変なんですねー……。先輩が修了出来るくらいだから、楽なんだと思ってました」
「おいちょっと? これでも俺、当時は相当頑張ったんだぞ? 短期とはいえ泊まり込みだったし、休む時間なんてほぼ無かったわ」
「まあ、それもウチで紹介した場所と用意した場所だったけどね。あの時はいろいろと人脈フル活用したっけなー」
「うぐ……ア、アリガトウゴザイマシタ」
結果的に援助してくれたのは雪ノ下母だけど。
「あっははははっ、結果を出してくれたんだし、いいよ。結果も出さずに途中で逃げ出すようなら、追い詰めて捕まえて、じ~っくり潰してたけど」
うわこわっ、怖い、怖いよこの人。
宅の娘は大丈夫なんだろうか。妙なストレスとか溜めてない?
え? 溜めてない? むしろママのんが過保護すぎて困るレベル?
「あ……そういえば美鳩言うところのママのんは?」
「今頃夫婦水入らずじゃない? あっちはあっちでいいでしょ、あまり興味もないし。じゃあ比企谷くん、美鳩ちゃん、早速だけどコーヒー淹れてみてよ」
「えー……? 動き回ってからコーヒーとか淹れたくなぁいぃ~」
「えー……? 帰国して早々、コーヒーとか淹れたくなぁいぃ~」
「うわー、この似た者親娘め……。いいからほら、早く。これも修行の一環でしょ? あ、それとも失敗するのが怖いのかなー? どーなの? ほれ、ほれほれー」
「それは美鳩への、ひいてはパパへの宣戦布告と受け取ります……! では───」
「うん、美味しいのを一杯───」
「出てってください」
「…………エ?」
「宣戦布告をしてきた敵を家に入れっぱなしの家族がいったい何処におりましょう。さあ出てってください。やすい挑発でコーヒーが飲めるとお思いですか。生憎と美鳩は先日まで、授業とバイトと家庭教師の教え、そしてはるのんの身の回りのお世話まで完璧にこなした隙の無いMihatoMk.Ⅱ。はるのんの考えていることなんてお見通し。人の目が無いからと服を脱ぎ散らかしてだらだらと堕落するその姿を、今ここで鮮明に口に出しても───」
「うわー! わーーーっ!! ちょ、やめて美鳩ちゃん! わかったわかったから!」
「ふふり、悪は去りました。家族水入らずの瞬間に早速修行の成果をだとか、無粋というものです。明日になれば存分に披露しますので、今は再会を喜ばせてください、はるのん」
「はぁあ……まったく。わかった、それもわかりました。どーしてこんなふうに育っちゃったかなぁ。確かに舐められないようにってわたしとお母さんとでいろいろ叩き込んだけどさ?」
「それが原因でしょう……はぁ、まったく……我が家族ながら……」
「雪乃ちゃんひどいっ! お姉ちゃんだって美鳩ちゃんが傷つかないようにって頑張ったのにっ!」
「服を脱ぎ散らかして? 炊事洗濯掃除、美鳩さんに任せきりで?」
「~~~……アゥ……《かぁああ……!》」
そしてこの赤さである。
どんだけ羽を伸ばして過ごしてたんすか、雪ノ下さん。
「とにかく、美鳩はこの一年で確実にステップアップした。大人のレディーに一歩近づいた。それはとてもジャスティス」
「みーちゃん? 大人のレディーは父親の足の間に座らないと思うよ?」
「だいじょぶ、ママもやってる。つまりそれは大人も許される至高のジャスティス」
「うわー……先輩、なんだかみーちゃん、前より甘えん坊になってません?」
「肩車じゃなくなっただけ助かってるよ……。こいつ、穿いてるのがスカートだろうと肩に上ってくるから大変だった」
「お望みとあらばいつでもっ……《ポッ》」
「やめろ、いい、結構です」
「パパひどい……」
さて。
まあそれはそれでいいんだが……うん。
甘やかしまくってるよ? 一年離れてたんですもの、たっぷりだろここは。
それはいい。それはいいんだが。
「……《ズッ》」
「…………《ズッズッ》」
隣の妻と長女が、少しずつ椅子をズッて近寄ってきてるのはなんとかならんだろうか。
家族愛が素晴らしいって言ってしまえばそこまでなんだが、これ絶対雪ノ下とか一色とか、とにかく雪ノ下さんにからかわれるパターンだろ。
つーか結衣? 結衣さん? アータ親なんだから、少しは我慢をですね?
「先輩、なに唐突に結衣先輩引き寄せてキスしてんですか心の準備くらいさせてくださいキモいです」
「キモくねぇよ。いいだろべつに、好きなんだから」
「あぅう……ひっきぃ……《かぁあ……!》」
親でも好きならいいじゃない。我慢? 知らない子ですね。
「まあ、ここでまったりするのもいいけど、俺としても気になるし……よし美鳩、コーヒー淹れるか」
「……!《ぱああっ……!》う、うん、淹れる……! パパに見て欲しい……!」
「あれ? なにその笑顔。さっきわたしそれ言って、出てけって言われたのに。あ、あれ? 美鳩ちゃん? あれー?」
「美鳩さんも、その……ええと。ピジョニウム? というのを補充できたということでしょう? それと、人がせっかくのんびりしているところに、海外でぐうたらして身の回りの世話を押し付けていた人にコーヒー淹れてと言われては、言い返したくもなるでしょう。姉さん? あなた、家の問題から離れてからというもの、少したるみすぎているのではないかしら」
「う、うわー……雪乃ちゃん辛辣ー……。そして否定出来ない……。これでもお姉ちゃん、がんばってるんだけどなー……」
「そういえばはるさん先輩はどんな仕事してるんでしたっけ?」
「ん? んー……海外の方でね、勉強したこと活かせる仕事。全部無駄にしちゃうのはもったいないでしょ? 今回の留学も、そのツテでなんとか出来たってだけだけど。……ほらほら比企谷くん? 今回はぜ~んぶお姉さんの人脈があればこそなんだから、感謝してくれていいんだぞー?」
「感謝ならしてますよ、とっくに。ただ真正面からお礼言ったって、茶化すでしょ、雪ノ下さん」
「それが楽しくてつついてるんだもん、当たり前でしょ?」
うーわー、この人ほんっと大人げねぇ。
まあそれも、子供らしい遊びとかしてる暇もなかった反動だったりするんだろうか。
昔っから、時間があれば絆や美鳩たちの遊びに付き合って燥いでたし。
ああいう時に見せる笑顔は破壊力がすごかったっけ。
「………」
まあ、いい。
今はのんびりコーヒーでも淹れようか。
大事なのは贈る心。楽しむ心。やすらぎの心。
尖って穿った気持ちで淹れたもので、人に安心は贈れない。
これ、修行時代の恩師の名台詞。
難しいなら笑顔になれ、悩みで自分を潰すくらいならいっそ忘れてぶつかってけ、と。なんとも豪快だった。
「美鳩。心は?」
「わくわく。コーヒーを淹れる時に暗さは無用。美鳩は腐った目のパパも大好きだけど、コーヒーを淹れてるやさしい顔のパパはもっと好き」
「……そか。あんがとさん」
「うん。あんがとされた」
店の方まで出て行って、そこで準備をしてからじっくり淹れる。
出来て当然だから余裕の表情なのではなく、相手に安心を贈れることを喜べるよう、そんな顔で淹れるのだ。
仏頂面で雑に淹れられて喜ぶやつは居ない。そりゃそうだ。
だからこそ、淹れる者こそが安心してなきゃいけない。
美鳩と顔を見合わせて、ニカッと笑う。
いっつも眠たそうな目の美鳩も、この時ばかりは本当に楽しそうに笑う。
昔っから続けてきたからか、そんなことをするタイミングってのも解っているようで、そうしてコーヒーを淹れるのも一度や二度じゃない。
うちのやり方を知っていて、学んだものをそこに混ぜて、けれど難しい顔をするのではなく、そうして提供できることを喜ぶように……やがて、家族に贈る一杯が完成する。
その香りに頬を緩ませ、パーンとハイタッチ。
奉仕部に戻って振る舞うと、大絶賛された。
コーヒーは……どっちがどっちだかは教えなかったが、全員にあっさり解られてしまった。
「パパのはやっぱり安心するね……。美鳩もこんなコーヒーを淹れたい……人を安心させたい。だからこの道を選んだ」
「最初は好きなモノを仕事に出来たらなって軽い考えだったんだけどな。やってみればしっくりくるもんだ。まあ、訊きたいこととかあったら遠慮なくこい」
「ならパパの好きな女性のタイプを訊きたい……!」
「おい」
いろいろツッコミどころ満載のまま、お帰りなさいパーティーは続いた。
ものを作るってものにうずいたらしい一色と雪ノ下が、ケーキと紅茶を用意しだしてからはそれこそパーティー。
そのまま夜遅くまで、騒ぎは続いたのだった。
ああ、ちなみに夜は俺と結衣の寝室に娘二人が雪崩れ込んできた。
昔はこうして寝たもんだが、もう狭い。
「ああっ、落ちるっ、落ちますママッ! もう少しそっちに……!」
「もうこれで限界だってば! あ、あたしとヒッキーなんて、もう抱き合ってるくらいだし……」
「パパの背中、あったかい……ぎゅー」
「いや、美鳩? もうちょいそっち行けるだろ。ぎゅーじゃなくて」
広々とは無理だったが、まあなんとか、無理矢理寝た。
お? おう、もちろん娘の前だからって遠慮せずいちゃいちゃしたが。かつて宣言したことは今だって続いている。
娘の前だろうと妻をないがしろに~なんて、誰がするかっつの。
……。
翌日。
今日も元気にお仕事である。
「いらっしゃいませ」
「え……美鳩ちゃん? 帰ってきてたのかい?」
「……お帰りはあちら」
「いや……だから。なんで絆ちゃんも美鳩ちゃんも、俺にだけそれを言うんだ……」
本日のお客様第一号、葉山隼人。
一応美鳩が席に案内して、メニューをズイと差し出す。
「モカとマロンケーキのセットを」
「ん……わかった。震えて待て」
「え? 震えて? なんで?」
とことこと眠たそうな顔で戻ってきた美鳩が、モカとマロンケーキをと告げる。
マロンケーキの用意はあるからこれでいいとして、モカか。
「美鳩、やってみるか?」
「《ぱああ……!》パパ……! 大好き、愛してる……!」
「いやまあ、相手が葉山だからだが。一応自分が淹れたってことも言ってやれよ?」
「そこは解ってる。パパのことだから、どうせ美鳩の淹れるモカの分はお金を取らない」
「……だな。まあ、気負わずにやってみろ」
「うん」
そうして始まる作業。
後ろから見守る俺、なんか親とか師匠っぽくてちょっとくすぐったい。いや、親だけど。
しかしこう、眠たそうではあるのに目は真剣そのものだ。
きちんと手順を踏んで、混ぜる量も気をつけて、やがて完成。
それをむふーんと満足げに見下ろす美鳩。ドヤ顔である。
「じゃあ持っていく。感想はすぐ傍で。大丈夫、美鳩は現実というものを知っている。まだまだパパのものには敵わないから、なにを言われても平気。でも辛くなったら泣きにくる。胸とか貸してくれたら美鳩的にとてもジャスティス……!」
「いーから行け」
ぶつぶつ言う美鳩の背を押して、葉山のところへ向かわせる。
出来はいい方だが……飲み慣れたものとは明らかに違えば、葉山の反応は変わってくるはずだ。
合格点をあげる条件は、葉山が気づかないこと。
「ん……モカマロンセット、です……」
「ありがとう」
「………」
「………」
「………」
「………あ、あの、美鳩ちゃん?」
「美鳩のことは気にしなくていい。飲んで?」
「あ、ああ……いただくね」
葉山がカップを手にする。
な、なんだか俺まで無意味に緊張してきた。
どんな反応をするんだ葉山のやつ。
「《スズ……》ん……あれ? 味を変えたかい?」
「───!」
「………」
だめか。
さすがに変化があれば気づくらしい。
みるみる美鳩がしょんぼりして、戸惑う葉山をほったらかしにしてこちらへととぼとぼやってきた。
「美鳩はまだまだ修行が足りない……」
「っつっても、味が違うって感じただけで、まずいとは言ってないだろ」
「美鳩はパパの味を継ぎたいの。だから、それはだめ」
「───……」
やだ、娘が可愛すぎる。ええいもうこやつめ、どうしてくれようか。
……とりあえず頭を撫でくりまわした。
うん、娘、可愛い。
「うはー! 寝坊したー! あ、おはようパパ! 美鳩もやっはろー! ってなんか撫でられてる! なにがあったか知りませんがこの絆も追加でお願いします!」
とりあえず便乗していくスタイルらしい。
いや、客居るのに堂々と寝坊とか言うなよ……。
「おはよう、絆ちゃん」
「いらっしゃいませお客様。お帰りはあちらよ? 回れ右して帰りなさい」
「……比企谷。俺、そろそろ泣いてもいいか?」
「やめろ、空気が悪くなる。っつーか、今日は飲みにきただけか?」
「その言い方、飲酒しに来たみたいだからやめてくれ。ええと……これ。雪ノ下さんの母親から、イタリアのお土産を預かってきた。本当は本人が来たかったそうなんだけど、ちょっと忙しいらしくてね」
「いや、悪いだろ……旅費とかあっち持ちなのに」
「ああ、ほら。美鳩ちゃん、孫みたいに可愛がられてるから。家に戻って、気持ちが全部比企谷のほうに向かないかって気が気じゃないのかもしれないな」
「あー……お義父さんみたいなもんか」
結衣の父親は、そりゃあもう孫に甘かった。仕事があって来れないことが多いし、どっちかといえばママさんばかりが来ていたが、それでも来れた時はすごかった。もうね、あれぞえびす顔って感じ。
孫にデレデレの海原雄山もびっくりのデレデレっぷりだった。
写真とか送るとめっちゃ喜ぶぞ。まあ、最近じゃあ絆も美鳩も、パパの手元に残さない写真は撮ってほしくないとかいって、カメラ向けると逃げるけど。
お義父さん、泣いてたっけ。
「ところで比企谷、このモカ」
「おう。娘の修行の成果だ」
「そうか。うん、やっぱりいつもと違うけど、いい味だよ」
「お世辞はいらない。どうしても世辞を贈りたいならパパの口から言わせるべき……!」
「いやなんでだよ」
「へー、これ美鳩が淹れたんだ。あ、じゃあわたしももらっていい?」
「パパの味にはまだ遠い。アドバイスがあったら言ってほしい」
「まっかせろい! 姉妹だからって容赦しないからね!」
「ん……絆のそういうところ、嫌いじゃない」
そうしてまた、美鳩が真剣な顔で準備を始める。が、その一歩目からダメ出し。
「笑顔が足りない! やり直し!」
「……! 迂闊……!」
再開。
楽しむ気持ちを思い出した美鳩が、なにを思い出したのか、ふふっと笑いながら淹れ始める。
「うんうん、パパのコーヒーは癒しがテーマだからね。ほっと息を吐けるぬるま湯。それがここ。真剣な顔で難しく作ったって、そんなのたとえ美味しくてもパパの味じゃないよ、美鳩」
「ここぞとばかりに抉ってくる……! でも、わかった……もうまちがえない……!」
「ふふんっ、美鳩が向こうで胸を膨らませてる中、わたしはパパの味というのを研究したからね。……足を引っ張るとかじゃなくてさ、二人でちゃんと守っていこうよ。わたしもここ、大切だから」
「……なんか悔しい。でも、それは解る。大切にしたいその心、常にジャスティス」
やがて完成する。
それを無言でコチャリと葉山の前に置く絆。
……飲めと。
「う、うん……じゃあ、いただくよ」
「いい判断です。飲まなければ客ではないと見なし、追い出してました」
「これも金をとるのかい!?」
「お金を払ってでも飲む価値がある、と感じたら払ってください。それでいいです」
「いや……それ、答えによっては俺がここに物凄く来づらくなるんだけどな……」
「しのごの言わずに飲むのです」
「……~……わかった」
カップを手に取り、しゅる……と熱いモカをすする。
その表情は……少し、固い。
「……ごめん。美味しくないわけじゃないけど、比企谷の味を目指してるならこれは違う」
「美鳩ー! 違うってー! もういっちょー!」
「えぇえっ!? いやっ……さすがに三杯とかっ……け、ケーキも食べたし……!」
「あら、葉山くん。あなたそれでも男なの? 女性が成長しようと頑張っているというのに……薄情ね」
「はっ……薄情なんかじゃ……! よし比企谷! 美鳩ちゃん! どんどん持ってきてくれ!」
「え、お、おい葉山? 葉山ー? ……聞いちゃいねぇ。おい絆……葉山の前で雪ノ下の真似して煽るのやめろって言ってるだろが……」
「美鳩の成長のためだよパパ!」
「……金はもらわないからな?」
「うん。パパの考えなんてお見通しお見通し~♪」
「はぁ……だったらもうちょい、騒がしくしない方向で頼む」
それはだめ、なんて返事をされて、溜め息を吐きつつ……葉山の試練は続いた。
え? そこは美鳩の、じゃないのかって? ……いや、これどう見ても葉山のだろ。
……。
で。
「…………《どしゃり》」
水っ腹に苦しむかつてのリア王が、テーブルに倒れた。
「おかしい……こんなに近づけようとしているのに、どうして……?」
「あー……美鳩。自分自身で気づかなきゃ意味がないとか、面倒なのは嫌いだからズバっと言おう。美鳩はコーヒー淹れる時、なにを考えてる?」
「え……コーヒーを淹れることしか考えてない」
「そか。俺はその度その度、結衣に喜んでもらいたい一心で淹れてる」
「……! 愛……!」
「愛とかハッキリ言うのやめなさい恥ずかしいでしょ。まあ、ともかく。客に淹れるつもりではやってないんだよ。喜んで欲しいなら淹れ方も丁寧になる。喜んでくれるって思えば、顔も勝手に笑っていくだろ。だからな、美鳩。なにか大切なものとか人とか、まあ……喜んでもらいたいって気持ちで淹れてみろ。それでもだめならもっと悩んでみろ。愛情が足りないのかもしれないって足掻いてみろ。そうでなければ“本も”───ああその、なんだ」
「パパ?」
「……こほん。まあ、ともかく。それでやってみろ。見えるものがあるかもしれない」
「……ん、わかった。頑張ってみる」
「おう」
熱く語ってしまった。反省。
しかしこれがきっかけで化けてくれたらむしろありがとうだ。
……葉山、動かないから次は俺が飲むんだろうか。
まあ、いいか。家族との付き合い、大事。
「っつか、絆? 結衣はどうした?」
「もう来ると思うよ? 洗濯機が壊れたーとか言ってた」
「まじか」
「うんまじ」
洗濯機ってほんと、なんでこのタイミングでって時に壊れるよな。
新しいの買うか、修理に出さないと。
「パパ、出来た」
「おう」
まあ、今は娘の成長を味わおうか。
こんな日が来るとはなぁ。
娘が修行までして、俺のあとを継いでくれるとか……やだ、八幡泣いちゃう。
「《しゅる……》ん……おおっ? かなり近づいたんじゃないか?」
「ほんとっ……? ほんと? パパ……!」
「おうほんとだほんと」
さっきの今でこれほどとは……た、宅の娘は天才やー!
……とは言わない。努力の賜物だな。
うん、頑張った! 美鳩は頑張った!
ふと、学生時代に結衣に言われたことを思い出して、心がほっこりした。
あの頃は、こんな未来に辿り着けるなんて思いもしなかった。
それを思えば、それを叶えるために手を貸してくれた全てに、感謝せずにはいられない。
俺の感謝なんて欲しい人が居るかは解らんけど。
「俺は結衣を想って、だけど。美鳩は誰のために淹れたんだ?」
「………………《ポッ》」
はーいちょっと待ちましょうねぇ娘さん。
何故俺を見て頬を赤らめるのかな?
「これはパパへの愛のかたち。パパが美味しいって笑ってくれるなら、美鳩はそんな想いをコーヒーに込めて何杯でも淹れられる。この心、とてもジャスティス」
「へいへい……」
「むう……受け止めてくれない……。でもそれくらいのほうがたぶん燃える」
「燃えんでよろしい。ほれ絆、美鳩。一応これ、雪ノ下に渡してこい。ママのんとか雪ノ下さん絡みはあいつに丸投げだ」
「らじゃっ☆ 絆一等兵、推して参る! 略して推参! あ、ところで中身ってなに? イタリアの食べ物とかだったら絆、めっちゃくちゃ興味あります!」
「それも含めて雪ノ下に訊いてこい」
「らじゃー!」
絆が「たっべもっのたっべもっの♪」と歌いながらスキップで駆けてゆく。
向こうのほうで走ったことを怒る雪ノ下の声が聞こえたが、気にしなくていいだろう。
「はー……ヒッキー、洗濯機、壊れちゃった……どうしよ」
で、入れ替わりで結衣が来た。その顔は実にしょんぼり。
しかし客が居ると知るやシャキンと切り替えられるだけ、こいつも随分とそういうことに慣れたもんだ。
「あれ? 葉山くんだったんだ」
「おう」
「……えと。どしたの? 具合悪くなった……とか?」
「葉山は犠牲になったのだ……未来を目指す娘の夢……その犠牲にな」
「? なにそれ」
うん解らん。
しかしまあそれはそれとしてだ。
結衣にも飲んでもらおう。そして、娘の成長に驚いてくれ。
「結衣、これ」
「? コーヒー?」
「おう。美鳩が淹れたモカだ。飲んでみてくれ」
「そうなんだ!? へー……! あ、えと……ヒ、ヒッキー? これ間接キス……」
「言いたいことはよーく解る。それを今さらだーとか言うほどヤボじゃないが、今気にするところ、そこじゃないからな?」
「あ、あはは、だ、だよねー……! う、うん。それじゃ……うん」
言いつつ、しっかりと飲んだあとがある場所から、しゅるっとすする。
ああ顔熱い。ていうかお前も、そんな赤くなるくらいならするんじゃありません。
キスとかそれ以上のことを散々やっておいて、今さら間接キスで躊躇するとか……ああもう俺の妻さん可愛すぎ。
「わ……美味しい……! ……あ、でも」
「ん。ママ、覚悟はできてる。美鳩はパパの味を継ぎたい。だから味が違うなら言ってくれなきゃ成長できない」
「うん。じゃあ言うね」
「うん……!」
───それから、結衣の俺のコーヒーに対する熱い思いが語られた。
味わい、温かさ、心にじぃんと沁みるまろやかさとか、大切に思われてるって思えるなにか、そこから広がる気持ちや愛を、それはもう。
次第に美鳩はわたわたと戸惑い始め、しかし結衣は止まらない。
次第にのろけ話に派生して、それはお客さんが来るまで続いた。