どこにでもあるようなガハマさんとヒッキーのお話 作:凍傷(ぜろくろ)
で。
「うう……思い知った……。美鳩のコーヒーにはまだまだ気持ちが足らない……。ママがとろけるくらいの味を出せてこそ、パパの味を継ぐこと……」
「いや、俺も結構新鮮だったわ。結衣が俺のコーヒーをあんな風に思っててくれたなんてな……」
「あうぅう……わ、忘れてヒッキー、忘れて……!」
熱く語りすぎた結衣、現在ゆでだこ状態。
まあそりゃね、娘に対してあたしはこんなにパパが好きなんだぞーってめっちゃ語ったようなもんだし。
俺もめちゃくちゃ恥ずかしかったわ。
「客もぼちぼち入ってきたし、コーヒーの練習はまた今度な」
「ん……。次こそ、なんて言わず、じっくり学んでいく。美鳩はここが大好きだから」
「……おう」
娘の素直な言葉にありがとうを。
俺達が好きでいるこの場所を、好きになってくれてありがとう。
「雪乃ママー! アップルティーとイチゴショートのセットひとつー!」
「絆さん。叫ばず、きちんとここへ来て伝えなさい」
「看板娘は元気が一番!《ビッシィーーーン!》」
「妙なポーズも取らなくていいわ」
言いつつも仕方ないわねって顔で、いそいそ紅茶を淹れる雪ノ下。
いやお前ほんと結衣とか娘とか猫に弱いな。
「はいどうぞ。転ばないよう気をつけなさい」
「さすがにそれはないってば」
フラグかと思ったが、セットは無事に客に届けられた。
うーむ、今日は紅茶が多いな。パパ、結構暇。
「パパー、MAXコールドいっちょー!」
「おおっ! ……って、お前今注文とかとってきてなかっただろ」
「うん。ママが欲しいって」
「へ? 結衣?」
「う、うん。なんか飲みたくなちゃったかなーって……だめ?」
「………」
真心込めて作らせていただきます。
「し、仕方ないな、おう。仕方ないから、な《ニコニコ》」
「パパ、顔がニヤケてる」
「ほっとけ」
そんなわけで淹れる。
淹れて、差し出して、飲んでもらえば、結衣はいつかのように「うひゃあ」と甘さに震えていた。
それが懐かしくて、俺もつい笑顔になる。
いやもうあれね。今が営業時間じゃなかったら絶対抱き締めてる。
ていうかもう抱き締めていいんじゃないかな。
「パパ?」
「!?《ハッ》」
わあ、手が伸び掛けてた。危ない危ない。
さすがに客が居るところではまずい、おうまずい。
落ち着け俺。
「お、おし、仕事な、仕事。……絆、コーヒーの注文取ってきてくれ……」
「それはお客様次第だから無理だよパパ……」
そりゃそうだった。
……。
そうこうして、本日の仕事、修了。
最後の客を見送り、看板の電気も落として店に戻った時点で結衣を抱き締めた。
「《がばしー!》ふきゃあっ!? え、あわわ、ひ、ひっきー?」
「いや……悪い。なんつーか、仕事の途中からずーっとこうしたくて」
「う、うん……なんかずーっと見られてるなーとは思ってたけど……」
「すまん」
「ううん、あたしは嬉しいよ? あたしもさ、ほら……こうしたかったし」
「《ぎゅー……!》お、おう……」
胸に、ぎゅーっと抱き着かれる。
いつもの結衣の香りがして、それだけで安心する。
人それぞれに安心する匂いってあるけど、困ったことに俺は……いや、匂いフェチとかでは断じてない。
ただ相手のいつもの感じが好きっていうか。
「………」
強く抱き締められる中、俺も強く抱き締める。左手で背中を引き寄せて、右手で頭を撫でるように。
するとぐりぐりと頭で胸をくすぐられ、なんともくすぐったい。
このくらいの歳になると冷めきった夫婦関係とか珍しくないらしいが、俺と結衣は本当にアレである。その、ええっと、なに? な、仲良し?
いい歳して未だにラヴラヴ。いいことだ。
「………」
右良し左良し。
ちょっと催促するみたいに、とんとんと肩を叩いてみる。と、真っ赤でとろけた妻が俺を見上げ、ほにゃりと微笑んでくれた。
この年齢の女性ってまだまだこんなに若々しいものですかと誰かに問いたくなる。
ママさん然り結衣然り、外見若すぎでしょ……やっぱり“綺麗”っていうよりは“可愛い”な妻に、そのままキスをする。
今でも照れが先に走るあたり、俺も間接キスがどうとかって結衣を笑えない。
仕方ないでしょ、好きなんだもの。
「ぷあっ……はふ……んん、ヒッキー……」
「おう」
ぎゅーっと抱き締め合う。
くすぐったくてあったかくて、恥ずかしいのに離れたくなくて。
結婚しても子供が出来ても、相手に恋してるっておかしいだろうか。
……おかしくないよな。うん、俺、とっても普通。
一緒になることでいろいろな面を知ることになっても、幻滅するどころか好きになれた。
だって人間だもの、完璧でいられる超人を好きになったわけじゃない。
「………」
ぎゅーってして、頭を撫でまくって、またぎゅーってして。
そんなところを、カウンターに隠れる双子の娘に見られた。
いや、隠れても無駄だから。アホ毛がしっかり見えてるからね?
つっこんでみれば、ごそごそと出てくる二人。
「ん……以前からちょっと疑問だった。もし同じ血液型の比企谷の血をママに輸血したら、ママにもアホ毛が生える……?」
「えっ!? そ、そうなのヒッキー!」
「んなわけないだろ……っつか、なんでちょっと嬉しそうなのお前」
「え……だ、だって。あたしだけ、それ無いし」
「………」
う、うん。好きよ? 俺、こんな突拍子もないことを急に言ったりする妻のこと、めっちゃ愛してる。
え? 欲しいの? こんなぴょいと尖ったやんちゃ坊主が。
「……《ちら、ちらちら》」
「………」
へいへい解ってるよ、気の利いたこと言ってやれってんでしょ。つーか娘にそういうこと促されるとか、俺どんだけ心配されてるレベルのヘタレなの。
「あー、その。俺はお前のお団子もサイドテールも、好きだぞ?」
「え……ヒッキー?」
「だからその、そんな気にすんな。お前にはお前の良さがある。らしさ、じゃなくてな?」
「…………」
またぎゅーってされた。めっちゃされた。もうもう言いながら、ぐりぐり頭を胸にこすりつけられた。やだ可愛い。
「………」
「………」
で。娘たちよ。なんで結衣の後ろに並んでいるのかな?
並んだって抱き締めたりしねぇよ? いやほんと。
いや……いじけられたって……いや、おい……ちょっとやめて? 俺悪くないのになんか罪悪感が……だぁ! わかったよ! 抱き締めればいいんだろ!
「はぁ……悪いな、結衣」
「ううん? あの時はあたしをないがしろにしちゃやだよ、とか言っちゃったけどさ。あたしだっていつまでも子供じゃないんだし、それくらい平気だから」
「ママから正式に許可が……! ではパパ! 今日は一緒に寝ましょう!」
「それはだめ」
「ママ大人げない!」
「たまには美鳩たちにパパの隣を譲るべき……」
「それだけは絶対に、誰にも譲りませんっ。ヒッキーの隣は……あたしじゃなきゃ、やだから」
「ううっ……ママが可愛い……! なんですかこんなの反則です……!」
「……じゃあ一緒ならいい?」
「……前みたいに? う、うん……それなら……」
「じゃあ絆、パパの隣とーった!」
「美鳩はその反対側」
「それはだめだったら!」
「ママ大人げない……」
「ううう……ヒッキー、娘がいじめる……」
「いや……だから……。お前らどんだけ俺のこと好きなの……」
ちょ、やめて? 三方向から服引っ張らないで?
服とかつまんでくる女子とかに憧れたことはあったけど、こんな多方向からとか嬉しくない。
それでも結局はぞろぞろと寝室に向かうことになって、もちろん順番に風呂にも入って、で───
「……不束者ですが、よろしくおねがいします」
戻ってきた寝室で、なんで娘が三つ指立ててるんだろうな。
「……チェンジで」
「パパひどい!?」
いや、べつにそういうのを経験したことがあるとかじゃなくて、漫画で知っただけだから。
だからやめて? そんなショック受けた顔しないで?
「うう……もう。今日はヒッキーと二人きりがよかったのに……」
「また今度な。子供が親を好きでいてくれてる内は、こういうのもいいだろ」
「……嫌いになんかならないんじゃないかなぁ、この二人は」
「もちろんだよママ。パパとママを嫌いになるとか」
「俺は嫌われてたけどなー……」
「む、昔のことは忘れてください! あんなものは黒歴史です! 今のわたしはパパのこと大好きだから! もうめっちゃくちゃ大好きです!」
「ふふり。その点美鳩はずっとパパが好き。どやぁ」
「くっ……なんかむかつきます……! っとと、そっちもうちょっと詰めてください落ちる落ちる落ち《どしゃあ!》ふきゅっ!? ……ごぉおお……! 脇腹にきました……!」
だから。お前はもうちょっと、女っぽい悲鳴を上げる努力をだな……。
と言ったところで聞かないのは解っているので、まあ軽い忠告で終わらせた。
「そ、それは……パパが女の子らしい女の子が好きってことでいいの?」
「あ? いや、俺の好きなタイプは結衣だが」
「限定されすぎです! も、もっと広い目で見ないと新しいものとか産み出せないよ? ほらほら、たとえば娘とか」
「いや、そんな広い目とかいらんから。視界が広くても娘に手を出す時点で腐ってるじゃねぇか」
「くっ……手強い……!」
「アホなこと言ってないでとっとと寝ろ」
言いつつ、結衣をぎゅーって抱き締めて目を閉じる。
今日、娘が居なかったらどうなってたのかしら。
……いや、まあ、言わねぇよ? 恥ずかしいだろ。
「……それはある夜のことだった……!」
「無理に怪談とか言わんでよろしい」
むしろ寝ろ。寝てください。
「……ある~日……森の~中……」
「歌わんでもよろしい」
熊さんも冬眠したがってるだろうから寝かせてあげなさい。
今6月だけど。
「えと……あたしもなんか言ったほうがいい?」
「………」
もじもじしている妻の頭を撫でて、寝なさいとぽしょり。
我が家族ながら、本当に賑やかでいいことだ。
───……。
……。
ぺらりぺらりと日付は進み、愛妻の誕生日がやってきた。
約束通りカラオケに来た俺達は、それはもう盛大に楽しんだ。
来た場所、パセラだけど。
「好きなーおーとをー、奏でーてーみるー♪」
「このむーねーに響け僕ーのー歌ー♪」
娘二人が一緒に歌い、一色が歌い、雪ノ下が歌い、結衣が歌い。
で、渡されたマイクに思わず「え? 俺も?」と返した。
まずは全員一回歌うこと、と、馬鹿みたいに分厚い曲リストをドカァと渡されてはいたが……。
「………」
まあ、いいか。
たまには昔を思い出して、思い切り歌ってみよう。
娘の前でいろいろ曝すのも、こう、ええと、なに? 青春を振り返る、みたいでいいんじゃねぇの?
案外ファザコンから離れるかもだし。それはそれで寂しいが。
そんなわけで選曲。
先に替え歌であることを伝え、曲が流れ始めると、やっぱり人前で歌うとか慣れねぇよな……なんて考えながら……歌ったのだった。
-_-/由比ヶ浜結衣
───好きな人が心を込めて歌う様子を、隣でただ見つめた。
結婚しても“好き”が消えない人。
子供が出来ても、こんな歳になっても、好きで好きで、自分でも笑っちゃうくらいに好き同士なあたしたち。
ゆきのんもいろはちゃんも、ご近所さんだって“ここまで好きで居られる方が珍しい”って言うくらい、あたしとヒッキーはお互いが好きだった。
もちろん喧嘩したことだってある。
上手くいかないことなんて、同棲を始めた頃からたくさんあった。
でも……なんでだろね、喧嘩しても怒っても、どうしようもなくて泣いちゃう、なんてことだけは絶対になかったんだ。
喧嘩しても歩み寄ってくれたし、擦れ違っても振り向いて手を握ってくれた。
悩んでたら声をかけてくれたし、落ち込んでいれば、すっごいぶきっちょだけど励ましてくれて。
修行とかで大変な時でも毎日電話をくれて、あたしが辿り着きたかった場所に、連れていってくれた。
「………」
周りを見れば、家族が居る。
ゆきのんもいろはちゃんも、あたしにとってはもう家族だ。
一緒に居て欲しいし、楽しいことがあれば一緒に笑っていたい。
もちろんいつだって思うことはあって、二人が結婚しないのは“そういうことなのかな”って……思ったりして。でも、それで落ち込むのは本当にずるいから、目は逸らさないけど笑顔で。
ちょっと前、陽乃さんに提案されたことがある。
元はゆきのんのママの提案だったらしくて……いっそのこと、みんなで家族にならないかって。
どんだけ娘たちのこと好きなのかって、苦笑いしちゃったけど。
でも、言いたいこと、解るんだ。
あたしたちは自分たちの気持ちを前に出して、こんな関係を続けてる。
ゆきのんもいろはちゃんも、誰とも付き合わないで、とっくにこんな年齢で。
それも納得できてるから続けてるけど……これからを考えれば、辛いことだってきっとある。
まるで僕らの青春はコメディーみたいに
ヒッキーが歌う。
懐かしい昔を、黒歴史を吐き出すみたいに、でも……どこか楽しそうに。
絆と美鳩がその歌の内容に、「パパをキモがったり告白を言い触らしたりなんて正気ですかもったいない!」なんて言い出して、ゆきのんもいろはちゃんもお腹を抱えて笑ってる。
そんな、楽しそうな光景に、あたしもやっぱり笑った。
家族より家族してる。
結構前に、優美子に言われた言葉。
羨ましいって言われて、あたしはなにも返せなかった。
去っていく背中になにも言えなくて、悲しくて泣いた。
優美子には優美子の事情があって、葉山くんにだって、そうしない理由がもちろんあって。
想い続けてれば絶対に叶うなんてことはなくて、誰かが幸せになれば、何処かで誰かが泣いているのかもしれない。
「───俯いた君よ……どうか一つ。……覚ぉ~えぇて~いてー……♪」
歌は続く。
替え歌で繋がれる言葉は結構めちゃくちゃ。
でも、それがヒッキーにとって、吐き出したかった言葉だって解ったから、その歌に耳を傾ける。
「滲んだ目で見る世界にも……あたーたーかい場所はぁーーーあるぅっ!!」
滲んだ目、って聞いた時……思い出したのは奉仕部の光景。
あたしとゆきのんで、正面に座って依頼をしてきたヒッキーを見つめたいつか。
そんな日々を温かい場所、って言われた気がして……
「まるでぇ僕らのぉおおっ! 青春はぁっ! コメディーみぃたぁああいにぃいっ!!」
そこからは、叫ぶみたいな歌が続いた。
誰かに、届け届けと願ってるみたく、胸にくる声で。
「知らない不安に怯えてもぉ……見えない本物求ぉおーーーめてぇえええっ!!」
ふと、きゅって手を握られて、横を向けばゆきのんが……ヒッキーを見たまま、あたしの手を握ってた。
あたしも握り返して、驚いて振り向いた顔に、笑顔で返した。
すぐにその隣のいろはちゃんの方も向いたから、たぶんいろはちゃんも握ったんだろうな、なんて思いながら───あたしも、知りもしない、聞いたこともない替え歌の歌詞を想像して、口にしていた。
ゆきのんもいろはちゃんも。
「あふれる笑顔よぉーーーっ! “俺達”にぃいっ! やーーぁってーーーこいぃーーーっ!!」
ずっと昔、憧れたものがあった。
たぶん、誰でも憧れるもので、人との関係が上手くいかなかった子ほど、それは欲しくて仕方のないもので。
焦がれて、伸ばして、届かなくて、届きそうで、振り払われて、笑われて、傷ついて……泣いて。
そうして諦めて、それでもまだ……情けなくても惨めでも、心のどこかでずうっとそれを望んでた。
それに名前をつけてみても、口にしちゃうのはなんか違くて。
だからあたしたちは、それがなにかを解っていても、もう口にはしなかった。
口にするなら、“ヒッキーの依頼”。
あたしたちはあの日、強い一歩を三人で踏み出せた。そこにいろはちゃんも混ぜて、欲しいから手を伸ばして、望んで、歩いて。
結果が今で、思っていた全部と違っていたとしても、じゃあ全部を諦めるのかっていったら……そんなものは違うんだって言える。
誰もが夢見た景色を、ちょっと違うからって捨てちゃう度胸は誰にもない。
もし捨てちゃったって、それは度胸から来るものなんかじゃなくて……ヤケになって勢いで捨てちゃって、あとで泣いて悔やむもの。
「───」
四人で叫ぶように歌った。
娘たちは知らない歌だったみたいだから、ぽかんとしてたけど……それでも最後には笑顔で、ノリだけで手拍子をしてくれたり。
自分たちの青春は、コメディーみたいにおかしなものから、悲しいことまでいっぱいあった。
物語に名前をつけて笑えるような、楽しいことばっかじゃなかったから、それをコメディーって呼んでいいかは解んない。
楽しくなるようにって努力もしたし、努力しないで楽しいからコメディーっていうんじゃないかなって、思い返してみればそう感じちゃうことなんていっぱいだった。
でも。じゃあ、ここまでの自分には後悔だけしかないのかーとか。
今がそんなに嫌なのかーって言われたら、やっぱりそれは、そうじゃない。
今が好きだし、今の関係が大事だし、変わっていく中でも、ずっと繋がっていたいって思う。
幸せなんだ。
でも、全部を願うならそれだけじゃなくて。
あたしは───
───……。
散々歌って、あとちょっとで時間ってところで、あたしは口に出した。
楽しい雰囲気を壊しちゃうんじゃないかなって怯えながら、娘に聞かせることでもないんじゃないかな、とも怯えながら。
「へ? 雪ノ下母が?」
「う、うん……あと、陽乃さんも」
「……はぁ。あの姉は、本当にいつもいつも……」
「えっとーつまりですよ? わたしたち全員で“雪ノ下”の養子にならないかーってお話ですよね?」
「そういうことになるのね……。勝手な母と姉だとは思っていたけれど、まさかここまで……」
口にしてみれば、やっぱりみんな微妙そう。
そりゃそうだよね、あたしも…………いや、あたしは。
「ん……いや、なんつーか。正直な話、いいか?」
「あ、それならわたしもあります」
「奇遇ね、私もあるわ」
「それはこの絆とて同じよ《どーーーん!》」
「腕を組んだ双子が並ぶ……これはとてもあれを言いたくなる。良い子の諸君……!」
「美鳩、あれ双子じゃないよ」
「うん知ってる」
全員が溜め息を吐いた。そして、言った。
「べつにそれ、今となんも変わらんだろ。ただそのー……いろいろと金が浮く?」
「それですよ先輩。住み込みしてるとはいえ、いろいろと出ていくものはありますし、毎度毎度要らない書類が送られてきてうんざりです」
「そうね。現状がほぼ変わらず、敢えて言うなら絆さんと美鳩さんが義理の娘になって、……その。比企谷くんと由比ヶ浜さんと一色さんが、義理の兄妹に……」
「あれ? それって小町ちゃんの許可も取れば、小町ちゃんも義妹ってことじゃないですかー! なんかいいですねそれ! わたし妹とか欲しかったんですよー!」
「……それに。お店とはいえ、一つ屋根の下にこうも長い間、男一人のもとに女性が、というのもいい印象を与えないわ。いっそ家族になってしまえば、という提案は、むしろプラスになるかもしれない」
「……となると、先輩がお兄ちゃんになるわけですか」
「おいやめろ、この歳でお兄ちゃんもなにもねーだろ」
「そうなると、長女は由比ヶ浜さん、ということになるのね……」
「えっ!?」
急に言われてドキッとする。
ていうか、え? みんな嫌じゃないの?
わたわたしてる内に、いろはちゃんがお姉ちゃんとか冗談みたく言ってきて、一気に顔が熱くなった。
そんな暑さを逃がしたくて、顔を振ったらその先にゆきのん。
「え? え、……ええと。その……結衣、姉さん?」
「───」
うん。家族になろう。
じゃなくて!
「え、え!? みんないいの!? そんな簡単でいいの!? あたしすっごく悩んでたのに! これで亀裂とか入ったらどーしよって!」
「今さらそんなんで亀裂入るかっつの。むしろこのままの方がいろいろあれだ。あー……とりあえず俺は賛成。お前らは?」
「ええ、私も構わないわ」
「わたしもです。うちはパパにもママにも孫を抱かせてあげられなかったのが心残りですけどー……家族が増えたって言ったらどうしますかね、ほんと」
「驚愕されるのだけは事実でしょう。説得は骨が折れると思うわ」
「あ、ううん? そこは陽乃さんが“どうにでもする”って」
「…………その。なぜ、そこで“なんとかする”ではなく“どうにでもする”……なのかしら」
「ちょ、なんかすっごく心配になってきましたよ!? 結衣先輩!? パパとママは無事なんですか!?」
「あ、あたしも知らないってば!」
……え、えー……なんかすっごく簡単に受け入れられちゃった。
心配とか問題は残ってるけど───でも。
「雪ノ下八幡、ねぇ……これ、親とかとの関係はどーなるのかね」
「雪ノ下……八幡……」
「あ? ……おい? ちょっと? 雪ノ下? どしたのお前、顔真っ赤にして」
「あ……こほん、別に、どうもしないわ。ただ…………ふふ、そうね。ただ、少しだけ昔の気持ちを思い出しただけよ。今となっては、きっとどうでもいいことよ、“義兄さん”」
「あ、いいですねそれ。じゃあわたしも……えっと、八幡義兄さん? ……うえ」
「おい、そこで吐きそうな顔すんな。なんなのお前、人の名前呼んどいて」
「いーえーべつにー。ただ似合わないなーって思っただけです。やっぱり先輩は先輩ですね。ただ、全員が雪ノ下先輩になるんじゃややこしいので、ハチ兄でいきます。……うわー、自分で言っててくすぐったいですねこれ」
「いや……お前らさ、そこは結衣にお姉ちゃんとか言ってやれ───よ……って、どした、結衣」
お姉ちゃん……お姉ちゃん……お姉ちゃん……!
「も、もっかい!」
「あ?」
「もっかい言って! ヒッキー!」
「もっかいって、なにを」
「お姉ちゃん! ね!?」
「いやちょっと待て、なにが悲しくて愛する妻を姉呼ばわりしなくちゃなんねーの。俺そんな趣味ないんだけど?」
「ヒッキー……ダメ?」
「……あ、い、いやその……」
「相変わらずちょろいわね、ちょろ谷くん。いえ、雪ノ下になるのだから……縁の下くん?」
「おい、それ“力持ち”つけねぇとただの床下暮らしだろうが。なにお前、俺に縁側じゃなくてその下で茶でもすすれとか言いたいの?」
「…………プフッ」
「いや……ここで笑うなよ……悲しくなっちゃうだろ……」
それでもぽしょりって言ってくれるヒッキー。
ちょろいとかじゃなくて、ありがとうばっかりが浮かぶ。
でも今は嬉しかったから、その頭を胸に抱いて頭を撫でた。
いい歳してーとか言われても、このくらいの歳だったらママだってやってたし、全然普通だ。うん普通。
よそはよそ、うちはうち。
それが幸せのかたちなら、それでいいんだ。
「ええっと、ようするにですよパパ、ママ。これからは雪乃ママもいろはママも、義理とはいえ本物のママになると?」
「あー……まあ、そうなるのか」
「わたしとしては姉も憧れますけど、そこは小町ちゃんでチャージしましょう。というわけでいろはママ、着任ですっ☆ あ、じゃあパパとも仲良くないとですよね?」
「へ? や、ちょっと待て、そりゃ養子縁関係上の話であって」
「そうね。特別意識する必要もないのではないかしら。今までと同じで構わないでしょう? その距離が、合っているのだから。ただ───」
「? ゆきのん?」
「家族。……ふふっ……どうしてかしらね。あの頃は温かみも感じられなかった響きなのに、今はそれが……とても温かいわ」
「ゆきのん……」
「思えば、試すような口調や自分で決めるよう促す挑発。そのすべてが独り立ちを願ったことで……私はそれに、一人では応えることが出来なかった。見方を変えれば、温かみなんてすぐ傍にあった筈なのに」
「戻れるなら戻ってみたいところだけどな、無理だろ。そーいうのはアレだ、言葉遊びで満足しとけばいい」
言葉遊び?
って、みんなが首を傾げる中で、ヒッキーは少し頬を掻いてからそっぽ向いて言った。
「あーほれ、あれだ。パラレル? もしもの世界の自分たちなら案外、とかそういうのな。前に見た夢がちっとばかし面白いもんだったから、なんとなく……な。あとは───雪ノ下」
「なにかしら」
「……今のお前に、“自分”はあるか?」
「あ……」
いつかの日、陽乃さんがゆきのんに言った言葉。
あの重い空気が一瞬だけ出てきたけど、それもゆきのんの小さな笑みで吹き飛んだ。
「ええ、あるわ。私は、今ある場所の未来が欲しい。誰に決められたものでもない、誰に倣ったものでもない、私が私として欲する自分は、そんな日々を望んでいる。あなたはどうかしら」
「俺はひたすら結衣を幸せにするだけだな。んで、自分も幸せになる。現状でとても満足している俺だが、今ではよっぽど欲張りだ。まだまだ幸せにしたい。ほい一色」
「え? わたしもですか? えっとそうですねー……わたしは今の関係以上ってのは想像出来ませんし、むしろ相当満足してますよ? ウェディングドレスに憧れなかったわけじゃないですけど、べつに好きな人もいませんでしたし。心から好きな人と、ウェディングドレスを着て、っていうのが乙女の夢です。“誰でもいい”からドレスを、とは違いますからね。なので、わたしは、このままさらに楽しく幸せに、を望みます。女子は欲張りでなくちゃ、ですよ、ハチ兄さん」
「やめなさいその呼び方。……絆と美鳩はどうだ?」
「家族が増えるのは望むところです!」
「ん……美鳩は、ただ喫茶店を継ぎたいんじゃない。“あの喫茶店”だから継ぎたい。それが家族になる……その未来、とてもジャスティス」
「まあそこは小町お姉ちゃんがどう言うかも考えてからですよね。いろいろありますが、絆的にはどんとこい! です!」
「ん、そう。語ってみるならこんな感じ。───小さな町に集まった家族は、雪の上に一色ずつ色を描く。独りずつが描く色は混ざり合って、様々な色を広げてゆき、やがて八万の絆を結ぶ。鳩はそんな白い景色で、雪の下にある遠い春を待ち続ける。それは、とてもとても心温まる、未来あるジャスティス」
「おおポエム」
「ポエムとか言わない。ほんと、絆はわかってない……」
「なにをー!?」
娘二人が騒ぐ中、小さく想像してみる。
家族になった全員で、ひとつの喫茶店を続けてゆく、そんな未来。
いろいろありそうだけど、なんでかな。楽しそうって言葉ばっかりが浮かんでくる。
「……陽乃さんには、これがガハマちゃんへの誕生日プレゼントになればいいねって言われてたけど……」
「ふふっ、そうね。姉さんがそう言ったのなら、面倒ごとはあの人に任せましょう」
「賛成」
「即答すぎますよ、先輩。まあ、わたしもですけど」
想像が広がっていくと、自然と頬が緩んでいく。
もちろん問題だって山積みになっていくんだろうけど……そんなものを少しずつ崩していくのも、この人たちが家族になったあとなら楽しそうだって思えたから。
「じゃあえっと? はるさん先輩が長女ってことでいいんですかね?」
「え? やー、えとー……長女は、平塚先生だって」
『───え゙?』
騒がしい日常は続いていく。
15の出会いで始まって、16のあの日に再会して、17の頃に駆けだした、眩しい青春。
誰かの青春を見て指差して笑うんじゃなくて、こんなにも楽しい青春を、自分自身で笑顔で駆け抜ける。
残り時間を歌に込めて、今まさに思ってたことをヒッキーが歌いだすと、なんだかおかしくなって全員で笑った。
青春は短いと、誰かが言った。
青春は若さだと誰かが謡った。
でも、それなら叫ぼう。夢に年齢制限なんてないんだって。
いつだって夢見ていいし、いつだって懐かしんだっていい。
今できることを思いっきり楽しんで、そのあとに、赤面するなり恥ずかしがるなりしたっていい。
それはきっと、恥ずかしいけど……顔は緩んでて、楽しい思い出になる筈だから。
隣に居る人と手を繋いだ。
握った手は二つ。
二人とも、ぽかんとしたあとに恥ずかしそうに笑ってくれる。
親友も後輩の手を繋いで、恥ずかしそうにしていた。
青春時代に出会った絆が家族になるって、なんだかくすぐったいけど。
まだ本当にそうなるのかなんて解らないけど。
今は。
そう、今は、そんなくすぐったさを噛みしめていよう。
変わっていく世界の中で、変わり続けても嬉しいままの幸福を、ずうっと離さず握りながら。
幸せだな、幸せだねって……微笑みながら。