どこにでもあるようなガハマさんとヒッキーのお話   作:凍傷(ぜろくろ)

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いや、メールのタイトル。言っとくが義務とかじゃねぇからな。

 奉仕部の引き戸をノックした日。

 どうぞと言われて入ると、いつも通り雪ノ下と由比ヶ浜が居た。

 

「あれ? ヒッキー? どしたのノックなんかして」

「いや……持つ者が持たざる者に。その理念にすがりたい。頼む」

「え……ヒッキー?」

「あなた……最近おかしいと思っていたけれど、その目は───」

「……最近寝れねぇんだよ」

 

 不眠症? 不眠症なの?

 ストレスが多すぎるとなることがあるとか言われてはいるが、俺に限ってまさかと……え? やっぱり不眠症なの?

 

「あらゆる“これでぐっすり”法を調べて、やってみても効果がねぇんだよ……。妙にイラつくし身体は疲れたままだし、なんとかしてくれ」

「安眠枕ー……とかは?」

「あんなもんに金出せるか。買ったところでどうせそのー……なに? サイズが合わなかったーとかで一瞬にして使わなくなるだろ。通販ものの宿命な。便利な言葉だよなー、“個人差があります”って。アレ絶対にアレだろ。ぼっちにはフィットしないように作られてんだろ」

「なんかすっごいいちゃもん出てきた!?」

「落ち着きなさい比企谷くん。あなただけをのけ者にした賞品を作るほど、会社というものは暇ではないわ」

「………《ずぅうううん……》」

「ゆきのん!? ゆきのん! 落ち着くどころかすっごい傷ついてるよ!?」

「いや……いいんだ……解ってたし? 俺を気に掛けてくれるやつなんて戸塚とか戸塚とかたまに平塚先生くらいだし」

 

 ああ辛い。なんかこうアレだ。考え方がいつもよりマイナスすぎて辛い。

 もういっそ猫になりたいな。自由な猫に。そんで寝るんだ。ぽかぽか暖かい陽だまりの下で───…………陽だまりって漢字の所為で雪ノ下さん思い出しちまった。余計に眠れん。

 

「重傷ね。いつものあなたならこれくらい平気でしょうに」

「気の持ち方が最底辺になっててな……。これ以上落ちようがないとかいうのはやめてくれな……人ってのは自殺するまで心が何処までも落ち込む人間だし、自殺しないからって気が落ちていかないって言ったらアレだから。嘘だから」

「……ほんとうに重症ね」

「頼む……戸塚に本気で心配されて、俺が戸塚にあんな顔をさせていると気づいた時には俺がどれだけ……!」

「なんか理由がすっごくアレなんだけど……ねぇゆきのん、なんとかできないかな。これじゃヒッキー可哀想だよ……理由はアレだけど」

「そうね……理由はアレだけれど、部員も救えないようでは他人を自立させるなんて到底無理だもの。理由はアレだけれど」

「そのいちいち“理由はアレだけど”を合い言葉みたいに使うのやめろ」

 

 泣いちゃうよ俺。今なら本当に。

 

「けれど……どうしたものかしら。あなたのことだから、ネットで公開されているようなものからお金のかからないものは一通りやったのでしょう?」

「おう。どれも眉唾だったわ」

「そう……ではそれ以外からやってみるしかないわね」

「ゆきのん、それ以外って?」

「そうね……傍に居ると安心出来る人の傍で寝てみる、…………ごめんなさい、あなたにはそんな存在が居なかったわね」

「おいおいおい雪ノ下ぁ、勝手に決めてもらっちゃ困るな。俺にだってそんな相手はちゃあんと居るぞ?」

「えっ……!?」

 

 おい。ちょっと? 由比ヶ浜さん? あなたなんでそんなめっちゃくちゃ驚いてんの?

 なにその世界の終わりみたいな顔。俺にそんな相手が居ると世界が滅びちゃうの?

 

「どうせ小町さんでしょう?」

「おい。人の大事な妹をどうせとか言うな。言っておくが俺は」

「なら小町さんを呼びましょう。それともあなたの家まで付き合えばいいのかしら。依頼を受けたからにはきちんと見届ける義務があるもの」

「え、なにそれ。俺お前らの前で、小町の存在に安心しながら寝なきゃならねぇの?」

「相談してきたのはあなたじゃない」

「………」

 

 え、えー……なにそれレベル高すぎるんですけどー……?

 とか思ってたらノックの音。依頼者かと思ったのか、雪ノ下が「どうぞ」と返すと元気よく開けられる引き戸。

 その先から出てきたのは───「やっはろー! 雪乃さんっ、結衣さんっ!」……妹の小町だった。

 え、なにこれ、なにがどうなってんの? もしかして雪ノ下が呼んだの? にしちゃ来るの早すぎじゃない?

 

「こ、小町さん? あなたどうして」

「いやー、なにやら兄がピンチな気がしたので暇潰……え、ええ、ええ! 気になったので来たんですよ!」

「暇潰しなんだ……」

「やだなぁ結衣さん! そんなことないですってぇ! ……あ、お兄ちゃん朝ぶり」

「おー。……すげぇ棒な挨拶だなおい。お前ほんと暇潰しに来ただけだろ」

「細かいことは気にしなくていいんだよお兄ちゃん。で、最近いつもより目が腐ってたけど、どうせそれが原因でなんか話してたんでしょ? ほれ言ってみなさい小町に」

 

 ほんと時々素直に言いたくなるほどうざいなおい。言わねぇけど。

 

……。

 

 で。

 

「ほうほう不眠症。で、小町の傍なら安心して眠れるかもしれないとー…………お兄ちゃん、それを人に堂々と話しちゃうあたりポイント低いよー……。そゆことは家で言わないと」

「あぁはいはい、そんで、俺ゃどうすりゃいいの」

「そうね……とりあえず、小町さんの傍で眠れるかどうかを確かめてみてはどうかしら」

「あ、じゃあ小町がお兄ちゃんの隣に座ってー……はいお兄ちゃん、そこで突っ伏して寝て。今すぐ」

「おい。なんかこれいろいろと違うだろ。なんで妹に顎で机促されて眠らなきゃならねぇんだよ」

「試してみればいいじゃない。無駄なら無駄だとすぐに解るのだから」

「……へいへい」

 

 仕方も無しに、椅子に座ったまま机に突っ伏す。

 息を整えて、自分が眠る時の呼吸を思い出して───…………

 

「…《じー……》」

「…………《じー……》」

「…………………《じー……》」

「おい。なんで全員で見てんだよ。眠れる眠れない以前に気になるだろうが」

「えやぁあややなに言ってんの見てないし! じ、じーしきかじょーなんじゃないの!? ヒッキーキモい!」

「お兄ちゃん……不眠を他人の所為にするのは小町的にポイント低いよ……?」

「こほん。そ、そうね。あなたの生態になんてまるで興味もないのだから、視線を感じるなんて過剰な意識こそを沈めて、さっさと寝なさい」

「え、えー……?」

 

 ひどい言われようだった。いやまあ俺の扱いなんざこんなもんか。

 ならば良し。さっさと寝よう。

 

「………」

「…《じー……》」

「…………《じー……》」

「…………………《じー……》」

「…………」

「…《じー……》」

「………《じー……》」

「…………………《じー……》」

「…《じー……》」

「《じー……》」

「…………………《じー……》」

「……おい」

「うひゃあっひゃあっ!?」

 

 近づく気配があって、見てみれば由比ヶ浜がじりじり近づいてきていた。

 声をかければ叫ぶ有様。なにやりたいのこいつ。

 

「え、あ、やーほら……もう寝たかなーって……」

「そんなすぐに眠れるわけねーだろ……もうほんと頼む、藁にもすがるつもりで眠りたいんだよ……」

「あー……そっか。ごめんねヒッキー」

「いや……ああ、うん。悪い、俺もちょっとイライラしてるからな……」

 

 知らず、語調がキツくなっていたかもしれない。

 落ち着こう。落ち着いて、さっさと寝ちまおう。

 

……。

 

 ……で。

 

「……ちっとも眠くならん」

 

 だめだった。

 10分ほどねばってみたが、眠気のねの字すら沸いてこない始末。

 

「うーん……なにが悪いんだろうね」

「あー、小町じゃお兄ちゃんは安心できないかぁー……残念だなぁ、ショックだなぁ。あ、だったら他の人なら安心出来るかもしれませんねぇ~♪」

「ふえっ? こ、小町ちゃん?」

「……小町さん。あなた、なにを」

「結衣さんに雪乃さん、兄の隣に座ってもらえませんか? 兄を助けるためだと思って。あ、小町どきますから、さささ、どーぞどーぞ」

「え、でも、だって《ちらちらちら》」

「…………あー……すまん。どんな方法でもいい……贅沢とか言ってられねぇんだ……ほんと辛くてな……。頼む」

 

 なにより気持ち悪い。なにこの感覚。これから救われるなら藁をも掴むわ。……今さらだけどこの言葉、藁に失礼じゃねぇのかね。だって溺れた状態からでも自分を助けてくれるかもしれないんだろ? ……失礼だな。藁をも、じゃなくて藁だからこそ掴もう。

 

「眠れるならどんなことでもやる。だから頼む」

「うわー……お兄ちゃん、そこまで……」

「小町ちゃん? 言うならせめてその“うわー”は無くしましょうね? そうすりゃちょっと感動的に聞こえてたかもだから」

「うわー……」

「無くすのそっちじゃねぇよ」

「じゃあもうあれだね、こうなったらお兄ちゃんが体験したことのない方法でやってみるしかないね」

「あ? なんだよそれ」

 

 俺が体験したことのない睡眠方法? ……まるで思いつかん。なに? 催眠術でもかけんの?

 

「ほら、よくあるでしょお兄ちゃん。ピクニックとか行くとカップルがやるあれ。膝枕とかなら案外このごみぃちゃんもころりと逝っちゃうんじゃないかなーって」

「膝枕!? え、えっ……!? それ、誰がやるの……!?」

「おやおや~、結衣さんはやる対象が気になって仕方ないご様子。順番でやってみようと思ってたんですけどー……やります? やっちゃいますかっ?」

「うぇええっひぇ!? や、ちょ、そんなっ、ありえないしっ!」

「そうね。膝にそんな目の腐った生物を置いたら足が腐ってしまうわ」

「その理論でいってたら俺の瞼なんざとっくに腐敗してるだろ」

 

 とか言っている中、小町は物凄い速度でゾダダダダダとケータイをいじっていた。

 少しすると由比ヶ浜のケータイが賑やかになり、慌てて取り出すと……少しして、奇妙な声を発した。

 

「こここっこここ小町ちゃん!?」

「はいはいそういうことですからっ! 大体いっつもそう思ってたんですよ! どーしてそうしないんですか! 見てるこっちがもやもやしちゃうんで、もうそこに書いてあるとーりです!」

「う、うー、うー……!」

 

 なにやら知らんが真っ赤な由比ヶ浜。

 なぜか俺をちらちらと見てきて、視線を散々とうろちょろさせたあと、俺の傍まで来て……制服の端っこを、ちょんと抓んだ。

 え? なに? なんなのこれ。

 

「ヒ、ヒッキー……眠れるなら……なんでもいいんだよね? それだけだよね?」

「え? お、おう……もちろんだ。なんか秘策があるなら頼む」

「…………《かぁああ~~~っ……!!》ずるい……ヒッキーずるいよ……。なんでこんな時ばっか、頼むとか……!」

 

 制服引っ張りながらぽしょぽしょと言われた。あの、聞こえてますからね?

 ぼっちの聴覚、ナメちゃあかんぜよ。……聞こえても、なんでずるいんだかまるで解らんのだが。

 

「はい結衣さん、床はきっちり掃除してお兄ちゃんのコートを敷いたんでいつでもどーぞです!」

「あれ? なんで俺のコート勝手に床に敷いてんの? え? 膝枕ってここですんの? え?」

「ヒ、ヒッキー……ほら」

「え……あ、……」

 

 由比ヶ浜が真っ赤になった顔を俯かせながら俺を引っ張って、ちょこんと座って……ぽん、と膝を叩く。

 え? ……マジで?

 どうすんのこれ、と雪ノ下を見れば、溜め息とともに早くなさいとばかりの視線が俺を射抜いていた。

 えー……いや、まあ……ほんとにこれで眠れるならいいけど。

 

「はぁ……解った。すまん由比ヶ浜、頼む」

「あ、うん。いいよ、ヒッキー辛そうだもん」

「……ほんと、すまん。気持ち悪かったらすぐにどかしてくれ」

「き、気持ち悪くなんかないってば……もう」

 

 不眠による気持ち悪さとだるさを引きずりつつ、床に膝をつき、横になる過程で由比ヶ浜の膝に頭を乗せる。

 即座に“キモッ!”とか言われて捨てられるかと思いきや、膝に置いた俺の頭を、やさしく撫でてきた。

 軽く見上げれば真っ赤な顔。怒って……るんじゃないんだな。どっちかっていうと戸惑ってる感じだ。

 俺と目が合うと「えへへぇ」と恥ずかしそうに笑い、さらりさらりとさらに頭をなでる。

 

「───」

 

 なんか、落ち着く。気安いっつーか。

 ……そういや、たとえば膝枕する相手が雪ノ下なら、どんな罵倒が飛んでくるかとか後が怖いとか考えて、緊張しっぱなしだっただろう。

 小町相手じゃ二人の視線が気になるし、そこまでシスコンなのかってこいつらに思われすぎるのは……なんだか嫌だとか気になって、それもダメだったに違いない。

 じゃあ由比ヶ浜は?

 

「………《……うつら》」

 

 ……なんだろな。でも、安心出来る。

 良い匂いだとか柔らかいだとか、それよりも先に……安心できた。

 なんでだろうな。俺なんかの頭を乗せてるってのに、由比ヶ浜はまるで嫌がってない。受け入れられてるって感じが……ひどく落ち着く。

 

「…………《うつら───かくり》」

 

 ああ、心地良い。

 人の傍で寝るのって……こんなに警戒しなくていいものだったっけ───…………

 

 

 

 

 -_-/由比ヶ浜結衣

 

 ……。あれ?

 

「ヒッキー? ……あれ? ヒッキー?」

「え? あ、ありゃー……お兄ちゃん寝ちゃってますね……」

「どれほど単純なのかしら……まさか本当に膝枕で眠ってしまうだなんて」

「いえいえぇ、きっと相手が結衣さんだったから安心したんですって。ほら、お兄ちゃんって基本、他人のこと警戒してますし」

「え、えぇっ!? あ、あたしだからって…………うぅ、そうなのかな……」

 

 顔に熱が溜まるのを感じる。そうなのかな。だったら嬉しいかも。

 

「………」

 

 ……わー……ヒッキーの寝顔だ。

 …………かわいい。

 すごく無防備で、警戒してる様子なんて全然ない。

 さらりと髪を撫でると、むにゃむにゃいって……やっぱりかわいい。

 あっとと、二人が見てるんだった。ね、眠れたんならもういいんだよね? ちょっと残念だけど、頭をそっと下ろして……

 

「んぅ?《ぱちり》」

 

 あ、起きた。

 少しぱちくりとまばたきをして、疲れ果ててるのに起きなきゃいけなかったパパみたいな死んだ目で、部室を見渡した。

 

「……あー……悪い、やっぱ気持ち悪かったか……」

「───《ずきり》」

 

 起きて早々にその言葉は胸に刺さった。

 そうだった、気持ち悪かったらどかしてくれって言われてたのに、視線が気になったからってすぐに逃げようとしちゃったんだ。

 他の誰に思われるのはいいけど、ヒッキーにそう思われるのは悲しかったから───あたしは。

 

「すぐ退くから《がしっ》おぉぁっ!?」

「ちょ、ちょっと足の位置変えただけだからっ! 気にしないで、えとー……ね、寝てていいよ?」

「…………」

「………」

「……すまん」

 

 ヒッキーはそう言って、また目を閉じた。いつもならあーだこーだ言って、するりって逃げるのに。

 よっぽど眠たかったのかな。

 やがて少しもしないうちにすぅすぅと聞こえる寝息。

 ほっと息を吐くと、ハッとして視線を持ち上げる。

 そこには、にやにやした小町ちゃんと、やれやれって顔のゆきのん。

 う……でも、気持ち悪くなんかないんだから、逃げたりはしない。

 

「おやおやぁ~、結衣さんってばまるで、我が子を守る親猫のよう……!」

「小町さん、こういう時はあまりからかうものではないわよ。そして猫に喩えたからには手出しはさせないわ」

「あ、だいじょーぶですってっ、小町もそういうところはちゃあんと弁えてますからっ。兄のお嫁さん候補の邪魔をするほど、小町は自分の興味に正直ではありませんし」

「……ほんとうに、なぜこの子はこう一言が多いのかしら……」

「まーまーまー! それより邪魔しちゃなんですし、完全下校時刻までは少し時間を潰してきましょ!」

「そうね。……由比ヶ浜さん、そこのゾンビが急に起き出して襲い掛かってきたなら、すぐに私の携帯に連絡を入れて頂戴。すぐに駆けつけるわ」

「え? あ、え? ゆきのんっ!? 小町ちゃんっ!?」

「あ、だいじょーぶですよぅ! ここには人が来ないように、ちゃあんと見張ってますからー♪」

「そ、そういう問題じゃなくて───あ、……あー……」

 

 ぴしゃりと戸が閉められて、しんとした空気が奉仕部に広がった。

 ……うわー、静かだ。あ、平塚先生じゃなくて。

 

「………」

「……すぅ……すぅ……」

「…………えへへぇ」

 

 見下ろす先に、ヒッキー。無防備な寝顔がそこにあって、それがあたしに頭を預けた結果だ、っていうのがなんだか嬉しかった。

 眠れないって言ってたのにあっさりだ。

 もしかして全部小町ちゃんの差し金だったんじゃないかなーとか思っちゃうくらい。

 でもヒッキーはほんと辛そうだったし、あたしに頼むって言ってきてまでだったから、きっとそういうのとは違うんだよね。うん。

 

「………」

 

 思えばこんな近くでヒッキーの顔見ること、なかったな。

 目を腐らせて人の動きを観察して、さいちゃん相手じゃないとなかなか綻ばない表情。

 それが、あたしの膝の上で緊張もせずに…………わ、わー、わぁあ……! なんだろ、すごいどきどきする。嬉しい。

 なんかどれ試してもだめだったのに、あたしの膝だったら眠れたってのが、あたしが選ばれた~みたいな感じですっごい嬉しい。

 

「……わ、肌キレイ……」

 

 さわり、と触れると、なめらか。

 パパみたいにざらりってしてない。同年代の男の子ってこんなのなのかな。

 触りたいとか思わないから、ちょっと解らない。

 ヒッキーだけだ。うん、ヒッキーだけ。あたしはそれでいいし、それがいい。

 そりゃ、ヒッキーはキモいしアレだしだけど、言いたいことをきっちり言ってくれるし、こっちもそんな気を使わなくて済むし。一緒に居て楽ってのかな。なんかね、嬉しいんだ、やっぱり。

 

「………」

「…………」

 

 寝息と、あたしの吐息だけが支配する空気。

 心地良い。

 なんか……好きだなぁ、これ。

 気持ち悪さも妙な心配もなくて、気を使わなくて、なのにあったかい。

 

「………」

 

 頭を撫でる。

 飽きもせず、何度も、何度も心を込めて。

 

「………」

 

 あなたが好きです。

 もっと近くに居たいです。

 元気に挨拶したら、だるそうにしながらもきちんと返してくれるあなたが好きです。

 小町ちゃんにやさしいあなたも、不器用なやさしさを持つあなたも、たまに見せてくれる遠回しなやさしさも、全部全部、大好きです。

 でも……自分から傷つくあなたは嫌いです。

 もっと頼ってほしいです。

 あなたの力になりたいです。

 

「…………えへへ」

 

 声は出さずに、口だけ動かして思いを伝えた。撫でる手はやさしいまま。

 時々くすぐったそうに動くのがおかしくて、少し笑う。

 ああ、なんか……なんだか、えと、なんてーのかな、えへへ。

 胸のあたりがじぃんってなって…………幸せなのかな。幸せなんだねきっと。

 好きな人が無防備に自分を預けきってくれているっていうのが、心にじーんってくる。

 

「……あ」

 

 意識せず、視線がヒッキーの唇に向かった。

 途端、胸がとくんと跳ねる。

 え、や、やー……それはさすがにまずいよ。寝てる人のとか、いくら相手が好きでもさ、ほら……まだ気持ち伝えてないし聞いてないし。

 

「…………《こくっ》───ぁぅ」

 

 知らず、喉が鳴った。

 これは誤魔化せない。妙に緊張しちゃって、でも緊張しちゃうってことは“しよう”って考えてるってことで。

 で、でもヒッキーの好きな人がゆきのんだったら? いろはちゃんだったら?

 

「…………」

 

 あ……だめだ、これ。

 そんなこと考えたら、余計だ。

 好きな人にファーストキス。夢見がちかもしれないけど、ずっと憧れてた。

 でもヒッキーの好きな人があたしじゃなかったら、それはぜったいに叶わない。

 じゃあ? ……じゃあ。

 

「…………《ふるるっ》」

 

 体が震える。

 たぶん、それをするのは卑怯で。

 でも、あたしは───

 

「……全部が欲しいって……やっぱりわがままだよね」

 

 それでも、あたしは体を曲げて、好きな人の傍へと顔を近づけた。

 ……近づけたんだけど、座り方が悪かった所為でちょっと届かない。

 うぅ……なんかかっこわるい。顔に熱が集まるのを自覚しながら、ヒッキーの頭をちょっと持ち上げて、その口に自分の口を重ねた。

 途端、胸に訪れる幸福感。

 一回だけじゃ切なくて、二回、三回ってキスをして、口を離す。

 どきどきがすごい。

 

  やっちゃった───

 

 そんな気持ちも沸いてくるけど、それよりも幸福感がすごかった。

 好きな人とするのって、こんなにすごいんだ、って。

 でも、それを相手からしてもらえないことに、幸福と同等くらいの寂しさを覚えた。

 

「……ヒッキー……あたしね、ヒッキーが好き……大好き……」

 

 届かない言葉を贈る。沸いてくる寂しさを抑えきれず、また身体を曲げてキスをする。

 密着させる部分を増やして、それでも切なさが消えてくれなくて、そ、それじゃあ……と、ヒッキーの顎に触れて口を開かせて、舌を差し込んで。

 ひどいことしてるな、って思いながら……せめて、そこにある幸福を感じた。

 

……。

 

 そして、完全下校時刻。

 

「…………《こーーーん……》」

 

 膝枕を終了してから、頭を抱えて蹲るあたしが居た。

 安心してくれたから寝てくれたんだろうに、あたしはなんてことを……って。

 ヒッキーはあたしの……っていうか女の子の膝で熟睡したってことが恥ずかしかったのか、あたしと目を合わせようとしない。

 ゆきのんと小町ちゃんが戻ってきて、部室の鍵も閉めて……それで解散。

 どこかに寄る気分にもなれなくて、あたしはとぼとぼとバス停までを歩いた。

 その日は後悔ばかりを抱きながら、それでも唇に触れるとどきどきして、ずるいって思いながらも微笑んだ。

 家に帰って部屋に篭って、どきどきしながらなにもしない時間を過ごして、夜になってお風呂に入って……部屋に戻って、髪を乾かして……それで……それで。

 

「ん、あれ?」

 

 髪を乾かしている最中、気づいたのは自分のガラケーがペカペカ光ってること。

 メール……誰だろ。優美子かな、ってメールBOXを開いてみると、ヒッキーだった。

 タイトルは“責任は取る”で、内容が───

 

「……ハニトー、食べにいこう……?」

 

 え、と。どういうことだろう。

 責任ってなに? え? なんてボーっとしてたら、またメール。今度は小町ちゃん。

 内容は“いや~結衣さんよくぞやってくれました! 結衣さんならやってくれると小町は信じてましたとも! そんなわけで兄をよろしくお願いしますね、お義姉ちゃん♪”……って…………え?

 

「お、おねえっ……!? え? え!? なにこれどーゆーこと!?」

 

 事態が飲み込めなくて怖くなってきた。小町ちゃんに電話をかけても出てくれない。

 代わりにメールが届いて、“お気づきかもしれませんが、膝枕状態の兄、結衣さんの膝から少しでも離すと目覚めましたよね? 家で【由比ヶ浜にキスされて告白された】って真っ赤な顔で相談された時は、もう小町どうしましょうかと”

 

「うひゃあああああああああああああああっ!!!!」

 

 そうだった……そうだった!!

 ヒッキー、少しでも膝から動かしたら目ぇ覚ましてたよ!

 え? じゃあ、え!? あの時、ふぁ、ふぁーすときすのとき、え!? ヒッキー起きてたの!?

 じゃあ舌───ディープの時も……っ!?

 

「ひっ、ひやっ! やぁああああああああああっ!!!」

 

 悶絶。恥ずかしいなんてものじゃなかった。

 でも、逆に嬉しかったりもしたんだ。

 一度きりのファーストキスを相手が知らないなんて……って、しちゃってから思ったから。

 

「結衣ー? どうしたのー。夜にうるさくしちゃだめでしょー?」

 

 そしてノックもせずにママが来た。

 ……あ、終わった。

 その時あたしには、自分がママにあらいざらい話させられる未来が、きっちりと見えてしまった。

 

 

 

 

 -_-/比企谷八幡

 

 世の中って解らん。うん、解らん。

 

「や、やっはろー」

「ウェッ!?」

 

 由比ヶ浜の膝枕で眠り、目がパチっと覚めたら由比ヶ浜にキスされたという、なんとも恥ずかしい日を体験した翌日。

 休日ということもあって、小町に“たまにはピクニックいきたーい!”とねだられ、仕方ねーなと用意したら……家を出た一歩前に由比ヶ浜。

 瞬時にこれは罠だと気づいた頃には後ろから小町に蹴り出され、家の扉はがちゃんとロックされてしまった。

 

「あ、う、あ、え、と……その…………わ、わるかったな、その。寝た振りなんかして……」

「あ、ううんっ!? そりゃ、その……いきなりさ、あんなことされたら……その……」

「…………《かぁあ……!》」

「…………《かぁああ……!!》」

 

 二人して家の前で赤面して沈黙。やだなにこれ恥ずかしい。

 

「きょっ……今日は、……どうした?」

「あ、うん……ママがね、もうバレてるなら……えと……~~~……」

「あ、あー…………まあ、なに。俺も似たようなもんで……」

「ヒ、ヒッキー……責任、取るって……」

「……おう。ああまで真っ直ぐに言われちゃな……さすがに考えるだろ。で、だな。その。一応、一晩考えた。小町にも相談したが、その前も散々。で……だな……あー……」

「う、うん」

「正直、戸惑ってる部分が多い。俺もたぶん、好きなんだと思う。ただなんつーのか、こう……もっと大事にしたいっつーか……好きって結論つけちまうよりも、もっと悩んでる時期を味わいたいっつーか……いや待て、キモいのは解る。小町に言ったら真正面からキモいって言われたから」

「……えと。結局……だめなのかな」

「いや待て、“好きなんだと思う”は確かに持ち上げて落とす典型だがちょっと待て! だ、だからだな、大事にしたいんだよ、由比ヶ浜結衣って女の子を。好きかと言われりゃそりゃ好きだし、あれからお前のことが頭から離れねぇし、夢にまで出てきたりして、それこそ寝ても覚めてもってやつで…………だから、つまり、その、だな…………でデでででデートして、その、なに? じじ自分の気持ちを、確かめたかった……っ……つーか……」

「………」

「……~~《かぁああ……!》」

「……ぷふっ! あははははっ! な、なんかヒッキー……ぷはははは! なにそれっ……ヒ、ヒッキーのほうが女の子みたいっ……あはははは!」

「ぐっ……う、うるせー……! どうせ小町にも同じように笑われたよ……!」

 

 つか、それでもまさか本人にまで笑われるとは思ってもみなかった。

 まあ、恥ずいわな、これ。言った本人だって相当恥ずかしいわ。

 

 

 

 

 

-_-/ゆいゆい

 

 ───笑う自分とは対照的に、むすっとして怒る姿が愛しく感じる。

 よかった。期待していいんだ。

 好きって気持ち、まだ持ってていいんだ。

 じゃあ……もう振られちゃうことに怯えなくていいよね?

 そう思った時、昨日小町ちゃんが最初に送ってきたメールを思い出した。

 

  “みなさんにはいっつも一歩の押しが足りません! そんなんじゃ兄を取られちゃいますよ!?”

 

 どきっとした。だって、大事な初恋だ。初恋は実らないなんていうけど、それは違うって思いたい。

 だから出した勇気が、あたしを彼の前に立たせてくれた結果に繋がっている。

 確かにいっつも一歩が足りなかった。

 解ってくれるって思って、一歩を踏み出さなかった。

 でも、もし踏み出すことでそれが叶うなら……

 

「……あー、あと小町からの伝言だ。えと、なんつったか。由比ヶ浜だけに送ったわけじゃねぇから、チャンスは平等ですよ、とかなんとか」

「───!!」

 

 ……平等。だったら、誰が一番かだ。

 恋の行方はわからない。

 ドラマとかでだって物語でだって、幸せから一気に落ちることだってあるんだ。

 だから……頑張らなきゃだ。

 

「ヒ、ヒッキー!」

「ぅおっ……お、おう……どした?」

「あ、あたしね!? あたしっ……あたしはっ……由比ヶ浜結衣はっ……!」

 

 スタートからちょっとずるしちゃったけど、それでも後悔はしたくない。

 自分に出来る精一杯と、もう一歩を忘れないようにして……きっと、必ず。

 だから告白をした。好きな人の家の前で、好きな人に、勘違いだと言われないために。

 そしたらヒッキーは顔を真っ赤に、ほんとうに真っ赤にして、でも彷徨いそうになる目を頑張ってあたしに向けて、一言だけ言ったんだ。

 

  それが聞けたら、あたしはもう笑顔で泣くしかなかった。

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