どこにでもあるようなガハマさんとヒッキーのお話 作:凍傷(ぜろくろ)
-_-/由比ヶ浜結衣
風が流れていた。
さら、と揺れた髪が、自分の頬をくすぐる。
ふと目をあけると、大好きな人の顔。
いつの間に寝ちゃったのかな、なんて思いながら、手を伸ばして……膝枕をしてくれている人の頬を撫でる。
「目、覚めたか?」
「うん……ごめんね、いつの間にか寝ちゃってた」
「気にすんな。疲れてたんだろ」
見渡すといつも通りの景色。
懐かしさを覚えて、ゆきのんは? とこぼしたら、彼は笑う。
「一色と菓子対決中。新作をどうするかで、もめてるみたいだ」
「そっか」
むくりと起き……ようとして、もうちょっと甘えていたくて、寝転がったままぐうって伸びた。
随分懐かしい夢を見た。
高校生になればきっとなんでも出来るって思ってた、幼い日の思い出。
なってみても結局はなにも変わらなくて、でも……好きな人が出来て、クッキーを作って、贈って、告白して。
いろいろあったなぁって言っちゃえばそれで終わっちゃうものも、思い返してみれば本当にいろいろあった。
それでもあたしたちが頑張ったから今があって、この喫茶店はその結晶だ。
強気の一歩があったから。
しみじみ思いながら、ぐりぐりと彼の足に顔をうずめる。
なんか、ほっとする。
「ほれ、起きたなら───」
「あ、そ、そだ。じゃあ優美子は?」
「誤魔化しが下手だなおい……隼人に弁当届けてからは知らん。挑発に乗って、雪ノ下と一色に巻き込まれてお菓子でも作ってるんじゃねぇの?」
「……じゃあ姫菜は?」
「いやなんで海老名さん? 絵本作家になって、結構人気出てるだろ。アシスタントに戸部使い放題とか、最高な」
「───」
思い出してくる。
浮かんでくる。
そうだ、あたしたちはちゃんと選んで、その先でここに立っている。
全部が欲しいなんて子供の我が儘みたいなことを言って、ぶつかって、傷ついて、傷つけて、泣いて、泣かされて。
そうして手に入れた今に、あたしたちは、ちゃんと。
「ヒッキー」
「また懐かしい呼び方を……。なんだ? 昔の夢でも見てたのか?」
「うん。すっごくあったかい夢だった」
「そか。けどそろそろ起きて、あいつら止めてくれないか。営業は終わっても、あれじゃあ片づけ出来ねぇだろ……」
「あはは、うん。よ、ッと……」
彼の足から頭をどかして、立ち上がって息を吐く。
さて。
ちょっと疲れちゃって眠っちゃったけど、今日も元気元気。強気に一歩。
「ああそうだ、結衣」
「え? なに? ヒッキー」
「ああ、その。……俺もな、愛してるぞ、お前のこと」
「───……、ふえっ!? ななななに言ってんのヒッキー!」
「どんな夢を見てたのか知らんけどな、言われたんなら返さないとだろ」
「言っ……てた、の……? あたし……?」
「お、おう。さすがに顔が緩んだ。だからまあ、やられたらやり返す」
「それちょっと違うよ!?」
「いいんだよ。俺が言いたかったんだ。今日もありがとな、結衣」
「あ………うんっ」
喫茶店、雪色結びは今日も賑やかだ。
ここでこうしてても、いろはちゃんの菓子工房からはうるさいくらいの声が聞こえる。
喫茶店の名前を決めたのは陽乃さん。
ヒッキーは“ぬるま湯”がいいって言ってたけど、すぐに却下された。
従業員はほぼ高校の頃の友達。
ゆきのんに優美子にいろはちゃん。めぐり先輩もたまに来て手伝ってくれて、平塚先生は常連さん。
陽乃さんは社長って立場で、その名も有限会社雪色結び。なんかの組織みたい。……組織だけど。
姫菜は絵本作家になって、なんか動物の雄が熱い友情を育むのとかいっぱい書いてる。たまにここに書きに来る。その時はとべっちも一緒だ。
葉山くんは優美子と結婚して、弁護士の仕事をしてる。
優美子は毎日おべんとを作って届けて、なんだかんだでほにゃりと嬉しそうに笑ってる。
「うわー……お菓子のことでなんでこんなに言い合えるんだろ……聞かなかったこととかには……出来ないよね?」
中二は小説家……らのべ? っていったっけ? その作家になった。
さいちゃんは看護師。
休みの日なんかは遊びに来てくれる。
中二はヒッキー目当てで。
沙希は保育園の先生。いつも娘がお世話になってる。
小町ちゃんは料理学校の先生になって、暇な時は喫茶店を手伝ってくれたり。
思い出すと懐かしい。
今でも全員と繋がりがあるって、すごいことだ。
ヒッキーが“毎日がプチ同窓会だな”って言うのも解る。うん解る。
「あ、結衣せんぱーい、聞いてくださいよー! 雪ノ下先輩がー!」
「一色さん? それを由比ヶ浜さんに言うのは少し卑怯ではないかしら」
「っつーかあーし、さっさと隼人の晩御飯とか作りたいんですけど? いいからどけし。疲れには甘いものがいいからって、お菓子つけるって約束したんだから」
「そんなものはあなたの勝手な都合でしょう?」
「そうですよ、大体ここはわたしの工房で───」
「みんなで出し合って作ったもの、よ。主に姉さんだけれど」
「うぐっ……」
今日もこの喫茶店は賑やかだ。
言い合ってはいるけどちゃっかりともう、一人一人がお菓子を作ってるし……出来上がったら出来上がったで、試食し合って笑ってるし。
「それで由比ヶ浜さん? どうかしたのかしら」
「ヒキオにセクハラでもされた?」
「なんでいきなりセクハラになんの!? て、いうか……あたし、ヒッキーになら……えと」
「あーはいはいごっそさん。はぁ……隼人、早く帰ってこないかな……」
「彼が帰るのはここではないでしょう?」
「仕事が終われば家から電話してくれんの。いい加減覚えろし」
「電話が来たらあなたが飛び出していくくらいしか知らなかったわ。ごめんなさい、なにも説明されていなかったから」
「うぐっ……」
いきなりセクハラとか言われて赤くなってるあたしをよそに、ゆきのんは楽し気に言う。
もうすっかりお菓子作りにも慣れた優美子だけど、最初は手作りチョコも作れなかったんだから驚きだ。
……や、やー……あたしも全然、だけど。
これでも調理師専門学校を卒業したし、免許も持ってる。
頑張って頑張って、頑張り続けた結果、ヒッキーだけがすっごく喜ぶ料理しか作れなくなっちゃったけど。
「でもそろそろだよね? 葉山くん」
「いつもならね。もう家で待ってよっかな……」
「鍵は貰ってるんだよね?」
「う、うん。いつでも来ていいって……《ポポポ》」
「じゃあもう帰っちゃえばいいじゃないですかー」
「いや……なんか電話されて帰るほうが、必要とされてるみたいだし……ほら」
「あ、解るよ優美子! この前ヒッキーがさ!」
「それ前に聞いた」
「言わせてよぉ!」
関係はきっとだいぶ変わって、でも変わらないものもあって。
ひとつひとつで考えてみれば、ただ仲良くって関係でも……きっと複雑なんだよね。
それでもあたしたちはこうしてお互いが交わる場所? っていうのを見つけて、今でも一緒に頑張ってる。売り上げは……毎日てんてこまい。
雪ノ下建設の人がここに食べに来て、休みに来て、飲みに来て、その数がもうすごい。
ゆきのんのママがそうなるようにって仕事の方針を変えたらしいけど、毎日忙しい。
うん、もちろんその人たちだけがお客さんじゃないんだけど。
みんな美味しかったって言って帰ってくれるから、やっぱり嬉しい。
頑張った甲斐があったなーって。
「《prr》っと、じゃああーしいくから! じゃあね結衣!《ガチャバタンちりりんっ》」
……。
びっくりした。
優美子のスマホが鳴ったと思ったら優美子が走って、出入り口を開けて締めて。扉につけられたおっきな鈴が鳴ると、あたしもゆきのんもいろはちゃんも、あははって苦笑した。
「ようやく一息つけるわね。……お茶にしましょう、一色さん、ケーキをいいかしら」
「あ、はいっ」
「由比ヶ浜さん、料理をお願いしたいのだけれど」
「え? いいのっ!?」
「甘さは控えてでお願いするわ」
「うんっ、まかせてっ!」
ゆきのんが料理を作ってくれ、なんて珍しい。
なんか……いいよねこういうの。なんか、なんかだ。えへへ。
でもいっつもみたくヒッキー用にやっちゃいそうだから、隣にヒッキーに立ってもらって、それで作った。
……なんか、同棲時代を思い出す。えへへ。
「大学の時、こうしてキッチンで一緒に料理とか作ったよね」
「ああ……まず、なんにしても桃缶を買わせないようにするのが大変だった……」
「それは忘れてったら!」
なんでもない会話をしながら作る料理は楽しい。
料理は愛情、とか言うけど、楽しんで作るほうが合ってる気がする。
みんな口をそろえて、“あたしは愛で作ったほうがいい”って言うけど。
「───……」
頑張って手を伸ばして、手探りで進んで、それでも全部なんて無理だったら……あたしはどうしてたのかな。
全部無くしちゃって、泣いてるだけだったのかな。
そう考えると、ちょっと寂しい。
失敗しても傷つけても傷ついても、手を伸ばし続けて……それでも、って……
「ほれ、考え事しながら作らない」
「え? わっ、う、うん」
ぷに、と頬をつつかれた。くすぐったい。
「………」
暗い考えを捨てちゃって、明るいことを考えることにする。
ヒッキーは、学生時代が信じられなくなるくらい、傍に居てくれるようになった。
こうして頬をつついたりとか抱き締めたりとか、お互いを知れば知るほどやってくれるようになって。
「よっと……ふふーん、どう? ヒッキー」
「綺麗に焼けたな……オムレツはもう完璧なんじゃないか?」
「えへへぇ、喫茶店にふわとろオムレツがあると、ちょっと嬉しいよね」
「あ、それは解るわ。出来立てとか持ってきてくれるとマジテンション上がるのな」
「ハンバーグもいいよね」
「おう」
何気ない話をしながらサラダも用意して、一通りの軽食を完成させる。
それをヒッキーと一緒に持って行って、ミーティングルームでお食事。
「わー……! なんですかこれ、もうオムレツは完璧なんじゃないですか結衣先輩……! ……甘さをもうちょっと無くしてくれれば」
「そうね。色といいカタチといい、中のとろとろ感といい、素晴らしい出来だわ。……甘さがもう少し押さえてあれば」
「あ、あはは……ごめんね、結局いつも通りにやっちゃった……」
「料理は愛情ですねー……結衣先輩の料理ってほんとそれだから困っちゃいます」
「一度是非、私達用に練習してみせてほしいわね」
「えっ……いいのっ!?」
「いえごめんなさいやっぱりなんでもないわ忘れてちょうだい」
「ゆきのーーーん!?《がーーーん!》」
ゆきのんひどい! 失礼だ!
あ、あたしだってちゃんとやれば、きっちり……!
「…………《じー》」
「? 結衣?」
「………」
作ってる最中、ヒッキーの喜ぶ顔しか思い浮かべられる気がしない。
や、やーほら、だって今までそれだから頑張ってこれたんだし。
あー……あたし、やっぱりヒッキーのこと好きだなー……。
「それじゃあ、いただきましょう」
「いただきまーす」
「お、おう。その、いただきます」
「どうぞめしあがれーっ」
そうして晩御飯が始まる。
絆と美鳩は沙希のところだ。
休み前はいっつも、沙希のところで泊まり込みで遊んで帰る。
沙希のことが好きな理由はなに? って訊いたら、なんか雰囲気がパパみたいだからって言われた。
うん、うちの娘、パパのこと好きすぎ。
迷惑じゃない? って訊いても、沙希は賑やかなほうがいいって言って、いつも助かってる。
最初はどうしても構ってあげられなくて、沙希にお願い出来るかなって無茶を承知で言ってみたら、なんかあっさり引き受けてくれた。
それからはええっと。休みの前になると、って。
子供が好きなんだねって言ったら、すっごい照れくさそうな笑顔で「まあ」って。あたし、笑っちゃった。ほんとヒッキーみたいだった。
うちの娘だけかって言ったらそういうのでもないらしくて、沙希の家はいっつも賑やかだ。
「目玉焼きには醤油やソースってやつが居るけど、オムレツはケチャップだよな?」
「だし入りのそばつゆとか結構おいしいですよ?」
「塩や塩コショウという人も居るでしょう」
「じゃあ、オムライスの中身はチキンライスだよな?」
「チャーハンも捨てがたいです。一度食べてみてください」
「カレーピラフ風のものを入れるのもありではないかしら」
「………」
「………」
「………」
「結衣。結衣はどうだ?」
「結衣先輩、チャーハンですよね?」
「由比ヶ浜さん、正直に」
「ふええっ!? え、えとー……あの、ほら。……ド、ドリア……とか?」
「オムドリア! ……そういえば学生時代に食って感激した覚えがあった……!」
「え? なんですかそれそんなのあったんですか、どうだったんですか味は」
「熱くて美味くてとろふわで、なんっつーかすごかった」
うん。あれ、美味しかった。
ヒッキーのためにって頑張ってみたけど、結局作れなかったっけ。
そんなことを考えてたら、ヒッキーが頭を撫でてくれて、「あの時のこと、覚えてたんだな。その……ありがとな」って、ぽしょり。
そりゃ、覚えてるよ。ヒッキーの好みだもん。
(でも……今なら)
出来るかな。
自分の料理の腕がどれだけ上がってるかは別としても、ほら、その。ちゃんとレシピがあれば。
……うん、ちょっと頑張ってみよう。
「えと、うん、じゃあちょっと頑張ってみる。他に食べたいのとか、ある?」
「あ、じゃあわたし、自家製ミラドリとか食べてみたいです」
「えっと……レシピとかあるのかな」
「調べればあるかもです。今度調べときますね」
「そういやもう、サイゼとか行ってないな」
「喫茶店をやっていると、そういう場所に行くのは少し抵抗があるわね」
「あ、うん。それよく解るよゆきのん」
それからも他愛ない話で盛り上がる。
本当になんでもないことで、それでも毎日が楽しいから。
「ねぇヒッキー」
「ん? どした?」
「えへへ、ううん、呼んでみただけ」
傍に居てくれる人の名前を口にして、あたたかくなる単純な自分に笑みがこぼれる。
幸せだなって思える今と、いろいろあったけど楽しかったって思える過去にありがとう。
答えだけを見つめて歩くのは結構怖い。
計算式が違っていれば、答えだけを見てたってきっとどこかでまちがっちゃう。
そういうなにかに怯えながら、それでもやっぱり答えに辿り着きたくて、頑張る。
辿り着いた先でしたいことはなにかな、なんて考えて、それさえ考えずに走ってきたことに気づいて。笑って、呆れて。
でも、そんなのでいいんだよね。失敗しない、なんて無理なんだ。
失敗しても辛くても、辿り着きたい場所があるなら、頑張んなきゃだ。
「───」
特別なんてものじゃなく、ただの“普通”がそこにはある。
普通だからそこにあって、当たり前だからそこにあって。
あたしたちは、そんな普通の中で普通の会話をして。
そんな関係が特別だっていうのなら───
いつかの日、考えたことを思い出す。
これからのあたしたちはどんな道を歩けるのかなーって、ちょっとした物語みたいに考えてみた。
その時あたしはどうしているのかな。
その時あたしは笑っているのかな、泣いてるのかな。
泣くんだったら喜びの涙とかがいいな。悲しいのはちょっとヤダ。
もっともっと難しいことなんてない、“楽しい”の中で笑えたらいいのにな。
誰かを好きになって、その人の隣に居て、なんでもないことで笑って。
傍には友達が居て、辛いことがあっても乗り越えて、手を繋いでよかったねって笑えるような、そんな世界。
ちょっと無理があるかな。
そう諦めそうになっても、目指せるなら目指してみたいって前を向いたいつか。
計算が間違ってても辿り着けたこの場所で、それが答えだって信じて走って、頑張って。
たとえばの世界があったとして。
そう思ったいつかを思い、ここに居るみんなを見る。
あたしは笑顔で居られている。
隣に捻くれてるけどとてもやさしい人が居て。
やさしさに慣れていなかった綺麗な女の子が居て。
願ったものにたくさんの人を足しながら、あたしは今……笑ってる。
足りないのなら踏み出してみよう。
一歩先の世界に飛び込んで。
それで、なんでもない言葉で挨拶をするんだ。
そこから広がっていくものと、手を繋げるように心を込めて。
やっはろー、って。