どこにでもあるようなガハマさんとヒッキーのお話 作:凍傷(ぜろくろ)
なにかがおかしい。おかしいよね? おかしいだろ。
「………」
「………」
つけられてる。
この場合、つけられる、を漢字にするなら“尾行られてる”になる。
でもどうせならお行儀よく“尾行られている”と言いましょうね。書くとしたら余計に。あ? 俺? べつに行儀悪くたって見てるやつなんて居ないからいいのだよ。いや良くはないが。
“俺はいいけどお前はダメ”、よくない。
まあそんな感じで。
休み時間のたびに。
昼休みのたびに尾行される日々は続き───
……。
あの騒動から数日後の昼のことであった。
いつも通りの時間を過ごし、昼になればベストプレイスで優雅に食事。
この瞬間、たまりません。
……って、なる筈だったんだが。
「あ、の……ひ、比企谷くん。ちょっといいかな」
「………」
声をかけられビクッとして、段差に腰掛けたまま振り向いてみれば、いつかの女子。ユイとかいったっけか。
髪を戻し、三浦たちとも話さなくなり、孤立……とは違うか。あれは明らかに自分から距離を取っていた。どっちかっていったら三浦のほうがおどおどしていたくらいだしな。
その間に立って困った顔をしている葉山の顔はお笑いだったぜ、などとパラガスはしないが、やっぱその程度だったってことだろう。
しゃーないだろ、あれは。逆に三浦がアレをされて、友達のままで居たいって思えるか? 無理だろ、ふざけんなしとか言って自分から離れていくだろ。この女子もそれをしただけだ。
「あ、ああ……その……なに?」
「うん……まださ、お礼、ちゃんと言えてなかったから」
「言っただろ、あの日の翌日に」
「あ……そか、ちゃんと聞こえてたんだ……よかった」
「……おう」
「うん……」
「………」
「………」
え? なに? 終わり?
ちょ、ちょっと、終わったなら去ってくれるとありがたいんですけど?
なんで留まってるの? 俺こんな時に女子に対して気の利いたセリフなんて言えないんですけど? え? これで立ち上がりつつ頭突きして気絶させればいいんですか? たすけてヨシタケ!
「あの……あたし、さ。グループ……抜けたんだよね」
「まあ……知ってる。自分から距離取ってたみたいだし、な」
「あ……うん。見てたんだ」
「い、いやっ……きっかけになったなら、ほら、その、なんだ。俺の責任だし? そこで見て見ぬフリをするほどクズになった覚えもねぇよ」
「…………《くすっ》そっか」
やだやめて? なんでそこで微笑むの、可愛いだろうが。
鍛えられたエリートぼっちじゃなければ絶対に一発で惚れてたね。だってめっちゃドキドキしてるし。
「で、なに? あんま俺と一緒に居ると、見られて誤解されるぞ。最底辺ぼっちなんてほっといて、新しいグループにでも入ってろよ」
「ううん、それはもういいんだ。あたし、あんまり頭はよくないからさ、いっぱい考えて、結構時間かかっちゃったけど……もう、いいって決めたから」
……いや、主語抜けてますよ? 決めたってなにを? グループに属さないことを決めたの? それとも別のことを決めたの?
「あたしさ、その……人の顔色ばっかり見て、自分の意見とか言えなくてさ。そんな自分が嫌だなーとか思ってて……優美子に言われてた時もそんな感じで……ずっと他人の言葉に合わせてばっかだったから、あんな時になにを言えばいいのか解らなくてさ」
「……まあ、とりあえず謝れば済むって意識は解る。……解決はしねぇけどな」
「あはは……だよねー……って、ああ、もう……。ほら、こういうのがさ、どうしても出ちゃうんだ。なにか言われたら“だよねー”ばっかでさ。だから───」
「ああ、ほら。前置きとかいいからさ。結局なにが言いたいんだよ。辛かったね、可哀想だねって言ってもらえりゃ満足か?」
「………」
被せ気味に言葉を放つ。
悪いがこちとら平穏を求めてここに居る。誰かの後悔を聞きたくて居るわけじゃない。だから言いたいことがあるならさっさと言えと、口で、目で伝えた。
……伝えたのに、どうしてこいつは眩しいものを、羨ましく思うような眼で見てくるのか。
「うん。それ。あたしもさ、言いたいことを言えるようになりたいって思った。合わせてばっかじゃない、比企谷くんが優美子……ううん、三浦さんに躊躇しながらでもはっきり言えたみたいに、強く」
「……へ?」
「だからね? 比企谷くん。その……あ、あたしと、友達になってください」
「………」
「………」
きっかけ、ってのはさ。ほんと、よく解らん。
けど確かにそこにあって、見えなくても思い出せる厄介なものだ。
こいつがあの時の俺になにを見てどう憧れたのかなんて、正直興味もないのだが。
しかし……
「……ハッ。大方、俺が頷いたらただの罰ゲームでしたとか」
「言わないし、もう友達とかも居ないから」
まあ……
「じゃあお前が“なに勘違いしてんの”とか言って───」
「言わない。約束してもいいよ?」
その……
「俺に対しての約束を守る理由も価値もないだろ」
「他の人のことは知んないけどあたしにはあるし。……あ、えと。ある。うん、ある。“し”はもう使わない。うん」
なんだ……
「俺にそういうの通用しねぇから。なにせ俺は小学でも中学でもぼっちで、女子に馬鹿にされた回数、やさしくされたからと勘違いして告白して撃沈した回数、それを言い触らされた回数で言ったら、最底辺にしてトップカーストと呼べるエリートだ。今さら騙されねぇし、騙されたって痛くも痒くもない」
「? なんで勘違いしたの?」
「いや、だから。それが俺だけに向けられていたって勘違いして、こいつ俺に気があるんじゃね? とか思って───」
つまり……
「じゃあ始まりは勘違いでもいいよ。友達になろ? ほらほらケータイ出してっ、連絡先交換しよっ?」
「《ドキーム》……い、いや。騙されないぞ? アデョッ……アドレス交換とか、魅力的なことを言ったところでこのエリートボッチャーである八幡さんが動揺するとでも……!《どきどきそわそわ》」
「めっちゃ動揺してるよ!?」
あれだ……
「いやこれあれだから。あれがあれなだけだから」
「や……アレってなんだし。あぅ……“し”、禁止……禁止」
「…………」
「………」
「……ん」
「ケータイ渡しちゃうんだ!?」
「べつに見られて困るもんがあるわけでもねぇし。考えてみりゃあ期待して失敗して曝されようと、俺の立つ場所が変わるわけでもねぇしな……」
あれだよあれ……
「そんなことしないったら……。あ、でもじゃあなおさらだ。赤外線通信とか、したことある?」
「はっ、エリートぼっちなめんな。そんな響きに心をときめかせてそわそわした中学時代、俺は女子に引き攣った笑みと同情とともにアドレス交換を手動でして───他のやつとは赤外線だったくせに俺には手動でさせて、メール送ってもメーラーデーモンさんに本文そのまま叩き返されたほどの猛者だ」
「…………」
「……お、おい? なんでお前が怒ったみたいになってんの?」
「……ちょっとその人にむかついただけ。ほら、比企谷くん、赤外線しよ? あたし、もう慣れちゃったけどさ……一番最初に成功すると、とっても嬉しいから」
「───…………」
……あれだ。
「《タッ、たしたし……》……どれだよ赤外線」
「ん、ちょっと見せて……スマホの場合は確か……」
「いやっ、近い近い近いっ」
「え? あ、ひゃあっ!?」
……。
「え、と……あの。こう、たしか……はい、あとは押せばいいから」
「お、おう……」
「じゃあ……」
「……おう」
その。これもなにかのきっかけってことで。頷いておけばいいんじゃねぇの?
なんのきっかけだったのかなんて、起こってみなけりゃ解らんのだから。
「《ピピッ……ピロリンッ♪》あ…………~~《ぱぁああっ……!》」
「えへへぇ……どう?」
「《ハッ!?》あ、いや……べべべつに大したことねぇし?」
「一回きりなんだから、初めては喜ばないともったいないよ? あたし、嬉しかったもん」
「ぐっ……《かぁあ……!》」
正直顔がニヤケてやばい。
なにこれ、ただ文字を送って、登録して登録されたってだけだろ?
俺だって小町とか小町とか小町とメールのやりとりとか超しまくってるし、通信なんて当たり前の筈なのに……。
「…………」
どうして、連絡先が相手の同意の下に増えたってだけで、他人の名前が並んでくれたってだけで、どうしようもなく顔がにやけるのか。
「じゃあ、これで友達だねっ」
「いやそれはない」
「ないんだっ!? え、えー……? なんでー……?」
「俺はやさしい女は嫌いだ。どうせ今はやさしくしても、あとで“簡単に騙されてやんのチョロイ上にキモい”とか言うに決まってる」
「しないってばそんなこと……。あ、じゃあさ、お試しっ」
「お試し?」
「そう! えーとほら、まずお試しで友達やってみるの。あたしも全然比企谷くんのこと知らないし、比企谷くんもあたしのこと知らないよね。……ってか、名前すら解ってないとか、ないよね?」
「……いや、ほらその……なぁ? あれだろ?」
「あれってなに?《じとり》」
こいつハナから信じてねぇ……いや知らないから信じるもなにもないんだが。
けどほらアレだよアレ。リア充どもの名前の特性を考えろ。葉山とかモロそれだろ。どうせこいつもえーと、ユイとか呼ばれてたし、苗字にもユイがあるんだろ?
ほれ、だったらアレだ。千葉の民らしく千葉にちなんだ、または千葉と関係のあるっぽい“ユイ”がついた名前で迎えてやりゃあいい。
あるだろ、千葉駅からいける駅とか、千葉のどこかにそういう名前の。
あー…………あ、あったわ。
「由比ヶ浜」
「わっ……知ってたんだ……そ、そっか、……そっか《てれてれ》」
「───」
まじかよ合ってたよ、ありがとう千葉、愛してる。
神奈川だけど。由比ヶ浜、神奈川だけど。
てか、これからどうしろっての。え? 仲良くするの? そりゃね、強引だったとはいえ初めてのアドレス交換相手(小町は除く)。無碍には出来ないし、むしろ心躍る懐かしい気持ちがじわりじわりと湧いてきたりもしますが、このエリートはそう簡単には騙されん。
きっと今はやさしくても、あとで手の平が返されたりするのだ。
だから俺はそれを待って、そうされたらほれみろと笑ってやる。それでいい。
つまりはそのー……まあ、いいんじゃないの? 今はこうして関わられても。
昨日家で小町に数学のこと自慢したら、“言われたこと”もあったし。
「で、お互い知り合ったわけだけど……なに? この関係ってなにするもんなの?」
「え? 友達でしょ?」
「………」
「?」
いや、そうじゃなくて。あなた最初に言いましたよね? ジュビコ……もとい、三浦にはっきりと物言いをすることが出来た俺がどうのこうのって。
そうなりたいとかじゃなかったの? え? 違うの? やだ八幡恥ずかしい。
恥ずかしいのに当たり前みたいに“友達でしょ?”って言われてトゥンクしちゃった自分のハートが恨めしい。ちょっと、ちょろいですよマイハート。もっと落ち着きなさい。
なにそんな、ポロポロ心臓落としてんの。なに? 俺モノブロス? 岩に角刺しただけで心臓落としちゃうくらいちょろいの?
「いや、ほれ、あれだ。ギブアンドテイクっつーか……メリットなけりゃ、俺と一緒に居る理由もないだろ」
「? シャンプー?」
「どこの弱酸性だよそれ。じゃなくて、ああもう」
とりあえず説明から始めた。
覚えようとする気はあるらしくて、熱心にふんふんと聞いてはいるんだが……こいつ、あれだ。電話で話を聞いて、その時は覚えてるのに電話を切ると緊張が消えるのと一緒に内容も消えるタイプの人間だ。
つまりその場その場のことしか頭に残らないから、人に馬鹿と言われやすいタイプ。
……まあ、語尾に“ただし”がつくんだろうが。
人を馬鹿だのアホだの言うのは楽だ。それで落着するし、そう認識してしまえば話しは続かずに済む。
が、こっちにも事情がある時はその限りではない。
ギブアンドテイク、メリットなんて言葉を出したからには、俺にも目的がある。
それこそ小町に言われたことと繋がるわけだが───
「関係ってのはアレだ。由比ヶ浜、お前は遠慮なく物事をズバッと言う力を身につけるため。俺は……コミュ力を磨くため、互いに利用し合える関係とかそういうのだ」
「やだ」
きっぱりだった。
ちょっと待ちなさい、そういう話じゃなかったのか?
「利用じゃなくて、協力がいい。それだったら大賛成。でも利用はやだ……かな」
「なに言ってんだよ……んなこと言って、むしろ利用するだけなのはそっちだろ? 上の者が下の者から搾取する。世の中はそうやって出来てるだろ」
「……そんなの友達じゃないじゃん」
「《ズキッ……》………」
……。ああ、これ無理。こいつ、本気で“友達”を語ってる。
その純粋さに胸が痛んだ。
「……解ったよ。協力な。元々俺が割り込んでなければ、ある意味では穏便に済んでたかもしれないんだ。その責任は取る」
「責任ってなんだし……あわわ、せ、責任ってなに?」
「いや聞いとけよ……俺が割り込んでなければほら、あのー……なに? 三浦が溜め息吐いてもういいやとか言ってなあなあになるか、葉山が止めて喧嘩みたいな空気も終わってたろ。んで、ほとぼり冷めたあたりにお前がごめんなさいして、三浦がべつにいいしとか言って、また元の鞘ってやつ」
「………」
その光景を想像したのだろう。
由比ヶ浜はどこか自虐じみた悲しそうな笑みを浮かべ、ぽしょりと「そうかも」と呟いた。
「でも、それはもう起きないことだから……今は今だ。うんっ、あたしがんばるっ!」
「ほーん……? で、まずはどうすんの。ハッキリものを言うって、具体的にはどうやって?」
「え? えとー……あはは、考えてなかった……」
「……まあ、俺もコミュ障の方はそう簡単にどうこう出来る問題じゃないとは思ってるしな……つか、ほんとにいいのか? カーストでいや、俺とお前って天地もいいとこだが」
「んー? べつにいいんじゃない? 話したい人と話せないルールなんてつまんないじゃん」
「俺は話しかけても引かれるけどな」
「あ、あはは……じゃあこれからはあたしがいっぱい話しかけるからっ!」
「同情とかならそんなもんはいらん」
「そんなんじゃないったら。ていうか、同情でも友情でもなんでもいいじゃん。話したいから話す。それでいいじゃん。きっかけがなきゃ、誰とも話せないんだから」
「………」
論破された。勝ったと思うなよ……。いや、もう勝負ついてるか。
馬鹿な、エリートの力とはこんなものだったのか……!?
いや、違うか。なんつーか、こいつはこれだからいいって思えてしまった。
希少だから、逆に曲げたくない。
大体俺の性格自体がそもそもコミュには向いてないのだ。
だったら、小町の言うように専業主夫に必要な奥様ネットワークに対抗し得る自分を磨かなければ。
自分を変えてまで結婚をしたくはないが、卑しくも専業主夫を目指すのなら周囲との付き合いは絶対条件。たとえば俺の所為で小町が周囲から悪く言われるようなら、俺も立ち上がらないわけにはいかない。
ええまあ、昨夜ですね? そんなことを妹様にまじまじと説教されてしまったわけで。「専業主夫目指すのはいいけどさー、お兄ちゃんそれで人も自分も守れると思ってるの?」って。
ただ家に引きこもって家事をすればいいわけじゃない。
家計簿とも戦わなきゃならんし、そうなればタイムセールなどは逃せない。
料理も勉強しなきゃだし、そもそも奥様方というのは情報が全ての世界。
その会話の中に入れなければ、周囲から嫌われ、自分にも妻にも子供にもひどい迷惑になる。
お兄ちゃん目覚めました。専業主夫を望むなら、自分を変えてまでとかそんなことは言ってられん。つか、望んでるのが結局専業主夫なら、それまでの過程なんてただの努力であって変化じゃねぇよ。
高二病とかどうでもいいから真面目に夢を目指す。その方が眩しい自分でいられるだろ。
……そう胸を張ったら、「それで夢が専業主夫じゃなければね……」と小町に腐ったものを見る目で見つめられた。
まあ、なんにせよ、どちらにせよだ。
言った通り責任からは逃げ出さない。
やることはやるし、やっちまったものは捨てられない。
だからギブアンドテイクの上で、俺はこの初であろう友人のため、ぼっちの時間を割く覚悟を決めた。
───……。
……。
で。
「ヒッキーヒッキー!」
こいつ、由比ヶ浜結衣だが───
「ヒッキー! これなんて読むの!?」
日が経つにつれ遠慮というものを無くし───
「ヒッキー、帰りにさ───」
いつの間にやらヒッキー(比企谷、からとったらしい。断じて引き篭もりじゃないと熱弁された)と呼ばれ……
「ヒッキー!」
笑顔を見せるようになり、
「ヒッキー?」
照れるようになり、
「ヒッキー……」
時に怒るようにもなり、
「ひっきぃっ♪」
なんつーか、変わった。いい方向に。
……あ? 俺?
俺はほら……あれだよ。あれ。あれなんじゃない?
まあ俺のことはいいよ。
由比ヶ浜な。あー、その……結論。
由比ヶ浜結衣は、興味が向いたものには物凄い力を発揮する。
こう、集中力? っていうの? ちょっと違うかもだが、とにかくすごい。
ただ、
「ンぶぅううっふぇっ!?《オゴォップッ!!》」
「ひゃあぁっ!? ヒッキー!?」
料理の腕は壊滅的であった。
弁当作るのが流行ってるとかで、なんか作ってきてくれたんだが失敗作もいいところ。
ポーションをストローで飲んだ馬のような声をあげて、俺は我慢も出来ずに吐き出した。
……ああ、うん、その後の由比ヶ浜だろ? 怒って味見して、自分も男性にはとてもお見せできない状態になりかけたよ。
「………」
「………」
そういう関係が続いて、気づけば俺もこいつに引っ張られるように、笑っていた。それに気づいてすぐに顔を引き締める、なんてことは、もう何度あっただろう。
そのたびにこいつが“仕方ないなぁ”って顔をするから、いつしかそんなものを引き締めるのも……面倒になってしまっていた。
自分を変えるのは好みじゃない。が、自然に変わったなら、それは好みとは別のなにかだろう。
そんな言葉の逃げ道を拾っては、いつしか俺も、こいつ……由比ヶ浜が喜んでくれるであろうなにかを探すことに没頭して、カースト、なんて言葉を置き去りにした関係を築いていた。
相応しいとか相応しくないとか、そんな言葉で人の関係を語るなら、誰も幸せになんてなれないから。それを証明したいわけでもないし、自慢したいわけでもない。
ただ、いつの間にか隣に居るのが当然みたいに思えるようになった友達と、いつまで一緒に居られるのかな、と……最近では思うようになっていた。
高校での付き合いがそれ以降も引き継がれることなんてそうそうないだろう。
大学で分かれればそれは当然と言える。
こんないいヤツが広い世界に出れば、俺のことなんてすぐに忘れるのだろう。
それを思えば、友達、なんて関係でよかったのかもしれない。
「比企谷くん。最近耳に届いたのだけれど……あなたに恋人が出来たとか」
「何処情報で誰情報だよそれ……んなわけないだろ。俺と付き合えるような人間なんて居るわけがない」
「そう……はぁ。成長を促す、というのは難しいものね」
「んー……? ああ、俺のことか。どんだけ俺を追い出したいんだよお前……」
「べつにそういうことを言っているわけではないわ。成長が見られない、と……そう言っているのよ。する気がないにせよ、周囲からの影響で多少は変わってもおかしくはないと思うのに」
「そう簡単に人が変われるわけねぇだろ。……っと《ガタッ》」
「比企谷くん? まだ下校時刻ではないのだけれど」
「喉乾いたから飲み物買ってくるだけだよ。ついでだ、なにか飲みたいもん、あるか?」
「野菜生活をお願い。…………これも、多少の変化かしら」
「あ? なんか言ったか? 俺難聴主人公とか大嫌いだから、言ってくれるまで引き下がるつもりはねぇぞ」
「自覚がないのは面白いものねと言ったのよ。さ、行きなさいパシリ谷くん」
「お前そういうのやめろ。マジやめろ」
言いつつも歩き、戸を開け、廊下に出た。
さて、自販機自販機……って、金あったかな。
───……。
……。
しばらくして部室に戻ると、客人が居た。つか、俺のよく知る人物。
「由比ヶ浜?」
「え? ふひゃあっ!? ヒッキー!? えなぁあななななんでここにいんの!?」
「いや、俺ここの部員だし」
「丁度よかったわ比企谷くん。あなたの気持ちを聞かせなさい」
「へ? “マッカン飲みたい”?」
「その気持ちではなくて……」
「ちょ、雪ノ下さん!? なに言って───!」
「他人から伝えられたくないのなら、自分で言いなさい。遠回りをせず、直接。そもそも色恋の話を誰かに相談なんて、失敗したらあなたの所為だと言いたがっている言い訳にしか聞こえないわ」
「うっ……」
色恋? いろ…………え? 由比ヶ浜が?
まじか……え? なにこれ、なんでこんな、ムカッとしてんの俺。
……え? 嫉妬? 名前も姿も知らない相手に嫉妬してんの?
…………そか。そっか。はは、そっか。なんだかな、まったく。
気づくのが遅いとか、そういうんじゃ……ないよな。早く気づけたとして、結局結果は変わらなかったに違いない。
人を好きになるのを好きになったいつかとは違う、“彼女だけは”って気持ちがひどく胸を打つ。でも……無理だろ。手遅れとかそんな次元じゃなく、最初から。
だから俺は言う。いつも通りの顔で、心を動かすこともなく、冷静に。
「そっか。由比ヶ浜、好きなやつ居たのか」
「え、あ……ち、違うよっ!? それはそのっ、そーゆーんじゃなくてっ!」
「ああ気にすんな。好きな奴が居るならそっちに夢中になるべきだろ。俺のことなんか気にすんな。お試しの友情だったんだ、今こそお試しだったって言って離れりゃいい」
「…………ちが……」
「罪悪感とか必要ねぇよ。なにもかもが今まで通りになるだけだ。つか、依頼ってそれか? 好きな人に付きっ切りになるから、ぼっちになるヤツのケアをよろしくとか……あ、ないか。むしろどう告白すればいいのかって相談か」
「まって……まってよ、ひっきぃ……ちがう、ちがうの」
「……そだな。悪い」
ガラにもなく、ってこともなく動揺した。
俺ほどのぼっちともなれば、その動揺を外に出さない程度の技術は持っているんだが……それが通用しないくらいに動揺した。
「雪ノ下、とりあえず俺は依頼を受けることには賛成だ。知らない仲じゃないしな。けど、色恋沙汰はこれっきりだと助かる」
「そうね。けれど比企谷くん? あなたはそれでいいのかしら」
「構わねぇよ」
「そう……由比ヶ浜さんの依頼は、好きになった相手に告白して幸せになりたい、幸せにしたいというものだったのだけれど、構わないのね?」
「だから、いいって」
「二言はないわね?」
「いや、なんなの? 俺にそこまで確認する必要あるのか? ああまあその、そこまで言うなら二言も訂正もしねぇって返すけど……これっきりって話だしな」
「そう……では由比ヶ浜さん。あなたの依頼はこれで達成されたわ。存分に幸せになりなさい。二言も訂正もないようだから」
「あ…………う、うんっ! あのっ、ヒッキー!」
「あ? なんだよ」
「好きです! あたしと付き合ってください! 幸せにします! 幸せにしてください!」
「………………」
いきなり言われて思考停止。
のちに起動、なにを言われたのかを組み立ててみて、沸騰。
言葉を出そうとしたが二言も無く訂正も出来ず、俺は……
「……絶対に幸せにしてやるから覚悟しろちくしょう……!」
「なんでそんな悔しそうに言うの!?」
……俺は。
男の意地と、エリートぼっちであったプライドにかけて、この女の子を絶対に幸せにすると誓ったのだった。
ただ一方だけ言うってのはフェアじゃない。
フェア精神なんてものが俺にあったのかといえば、そんなものはその場その場での戯言でしかないんだが、案外それも悪くないだろ。
「あー……その。言われてからで悪い。さっきはみっともなく嫉妬とかして、相手が自分だって解って恥を掻いたわけだが……」
「え……そ、そっか。ヒッキー、嫉妬してくれてたんだ……って、え……? じゃあ……?」
「う……あ、あー……ああ。その、なんだ。由比ヶ浜」
「……あ、あの、ヒッキー。お願い。もしこれから言ってくれることが、あたしが欲しい言葉なら……結衣って呼んで欲しいな」
「………」
まじかよ。
いや、でも幸せにするって言っちまったし。
しまった、これカードゲームで言ったら永続トラップじゃねぇかよ。
責任は果たすって意地が俺にある以上、由比ヶ浜が望むことは俺が叶えなきゃいけないわけで。
……まじか。
「……結衣」
「───…………~~~~~っ……!!《じわぁあ……!!》」
「えっ……お、おいっ……!? なんで泣くんだよ、まだなにも言ってないだろ……つかまさかそれほど嫌だったとかか……!?」
「違うわよ勘違い谷くん。由比ヶ浜さんは先に言ったでしょう? “自分が望む言葉なら名前で呼んでくれ”と。そしてあなたは名前で呼んだ。……由比ヶ浜さんは、約束された幸福を前に、喜びを噛み締めているだけよ」
「へ? …………グワーーーーッ!!」
アイエエエエ!! ガハマ!? ガハマナンデ!
言われてみれば名前呼んじゃってるよ! その時点で望む言葉を言いますって言ってるようなもんじゃないかよ! ぐっは! ぐっはぁ! なにやってんの俺バッカじゃねぇの!? バッ……ば……!! ~~……。
「ひっく……ぐすっ……ごめ、ごめんねひっきぃ……! なんか、なんかね、涙がね、勝手に……~~~~っ……ひぃうっ……えっく……!」
「………」
ちくしょう。
なんだってんだよ、くそ。
永続トラップ? それがどうした。こんな幸せそうな顔で泣いてくれる人の傍で、ずっと幸せにしていけるんだぞ? もっと自覚しろ、もっと覚悟を決めろ。
自惚れていいから……自分が幸せにするんだって頷いちまえ。
「……結衣。俺も、いつからか友達以上の目でお前を見てたみたいだ。お前に好きな人が居るって知った瞬間、本当にみっともなく嫉妬して、自分の気持ちに気づいた馬鹿野郎だけど……こんな俺でよかったら、お前を幸せにさせてくれ。で……その。捻くれてる俺だけど、きちんと受け止められるように頑張るから。……幸せってものを、感じさせてほしい」
「ひっきぃ……」
「情けねぇけどさ……正直、人を信用することに、まだまだ不安があるんだ。迷惑だってかけるって思う。お前が想像するよりよっぽど面倒を被ることになると思う。それでも……嫉妬ばっかで悪い。お前の相手が俺って解って、嬉しかったんだ……。こんな告白聞いても、気持ち悪いとか思わないんだったら…………これからも、頼む」
「…………うんっ。ぎぶあんどていくー、だね」
「……一緒の大学行こうな。勉強は任せろ」
「うんっ! って、あれ? なんで急に大学とか勉強の話? ん、でも頑張ろうっ!」
笑って、ひとり“おー!”と手を天井へ突き出す結衣。
その姿に笑みが漏れ、俺は……自分の手の平を見下ろして、軽く握ってみた。
……いいよな。馬鹿になっても。もういいだろ? 馬鹿に戻っても。
ガキが夢見た世界の果てってのは、いつだって目の前にある。
世界はそれを認めてくれないし、いっつも常識ってもので縛って、家族はそんな常識外れが恥ずかしいから頭ごなしに否定する。
子供は親の言うことを聞くしかなかったし、それが受け入れられないことだって学んで行くと、いつしか世界の果ての輝きってもんを忘れてしまう。
純粋って言葉は眩しいものだって思う。
そこには自分が持ったままでいられなかったくせに、中途半端に信じていたかったからこそ腐ってしまった理想ってもんが詰まっている。
今さら手を伸ばしたって、真似してみせたって絶対に戻ってきてはくれないもの。
それでも───もし、そんな純粋ってものが隣を歩いてくれるなら。そんな世界を見たままに歩いていてくれるなら。俺は……そんな純粋を幸せにすることで、馬鹿なガキだった自分の夢を、今さらだけど叶えてやろう。ついで、で悪いけどな。
「な、結衣」
「うん……なに? は、は……はち、まん」
「《ズキュゥウウウン!!》………」
あの、ちょ……待って。それ反則……。なんでいきなり名前呼びとか……!
なにこれ、一瞬で幸せなんですけど。やっすいな俺の幸福価値。
でもいい、それでいい。やすくてもいいから、そんな些細をくれる人とこそ……俺は。ずっと。
「え、と……な。おま……お前のこと、聞かせてくれ。その、よ。俺、まだ知ってること……少ねぇから……。知って、ちゃんと知る努力して、それから……幸せにしてやりたいって……思うから」
「……うん。じゃあ、あたしももっとヒッキ……あわわ、八幡のこと、知らなきゃだ…………ふわわ……! やっぱりはずかし……!」
「……ヒッキーでいいぞ? なんつーか、もうそっちで慣れた」
「うー……でもさ、やっぱりさ、名前で呼んでくれるなら、名前で呼び返したいし……あ、やっ、今の“し”は違くてっ!」
「べつに禁止してないから気にすんな。言葉くらい好きにすりゃいいだろ。そんな、遠慮する関係とか目指してるわけでもねぇんだし」
「そう。それなら遠慮なく言わせてもらうわね。いちゃつくなら余所でやりなさい浜谷くん」
「おいやめろ、妙に混ぜて呼ぶんじゃねぇよ。つか場の空気読んでくれ」
「あら。読んだからこそ今まで黙っていたのだけれど?」
「おうあんがとさん……」
「言葉と顔がまるで一致していないわね。変わらないことを望んでいたあなたとは大違いだわ」
「ばっかお前、俺は変わってねぇよ。こんなもんは普通だ。俺はいつだって自分の奥底から沸きだした生きる目的に正直だからな。正直に生きる。俺に誓って真っ直ぐに。ほれ、変わらないただひとつのぼっち。それがエリート」
「………」
無言で結衣を指差された。
はい、もうぼっちではありません。
すまないエリートぼっちよ……俺にはその称号は重すぎたようだ……。
せっかく新惑星ロンリーの王になって、底辺ぼっちを最下級ぼっちって呼ぶ準備もしてたのに。心の中で。
「解ったよ……はぁ。ぼっちの称号はお前に譲るわ」
「いらないわ、そんなもの」
「いやそんなものって……エ、エリートだぞ? ベテランを乗り越えプロを経て、ついにはエリートになった、唯一俺が胸を張れた孤独の称号───」
「いらないわ」
「………」
「いらない」
「なにも言ってねぇよ……って、そうか。お前エリートの素晴らしさを解っ」
「いらないわ」
「…………《ずぅううん……》」
「ヒ、ヒッキー、ほら、お話ならあたしが聞くからさ。ね? 落ち込まないで?」
「結衣……《じぃいいん……》……俺、俺を好きになってくれる人がお前で、ほんとによかった……」
「ふやぇっ!? あ、あぅ……そ、っか……えへへ、そっか……そっかぁ……」
もう決めた。俺絶対にこの子幸せにする。
もうね、この子天使だろ。天使だよな? 俺の中で天使決定。八幡的エンジェル認定。
「さて、では依頼は完了ね。恋人も出来て、人を幸せにするための意欲も湧いた。……比企谷くん、これは更生したとは言えないかしら」
「お前どんだけ俺のこと追い出したいんだよ……いやいいけどよ……。んじゃ、更生ってことで平塚先生に報告してくるから。……勉強と小説読むだけみたいな関係だったけど、まあその……静かなのは嫌いじゃなかった。一応言っとくわ。さんきゅな」
「構わないわよ。私はきちんと仕事をしただけなのだから」
「…………。おう」
結衣と連れ立って、奉仕部をあとにする。
思えば案外短いような入部だった。
楽しく……は、なかったな。退屈だった。
が、勉強に集中できたのはいいことだった。
そんな部活とも今日でお別れか。せっかく小町にも褒められていたんだが……またなにか探さないと……か?
いや、なんかあいつの場合、恋人が出来たってだけで“部活よりも恋人を優先させなきゃ!”とか言いそう……あ、その前に“なに言ってるのお兄ちゃん。その人はね、画面の中にしか居ないんだよ?”とか平気で言ってきそう。
「ヒッキー?」
悲しい未来予想をしていると、結衣が心配そうに声をかけてくれる。
やだやめて、弱った心に天使のやさしさとか、八幡簡単に寄りかかっちゃいそう。
寄りかかったらかかったで“うわキモッ!”とか言われそうだからしないけど。
「………」
結衣はそんなことしない。
そんな言葉が頭に浮かんだが、そんなもんは押し付けだろう。
だから俺は調子には乗らない。
自分をきちんと律して、結衣の迷惑にだけはならないように───《ソッ》───あれ?
「ヒッキー……我慢してることとかあるならさ、無理しちゃ……やだよ? 友達だった頃から気になってたけどさ、ヒッキー……たまにすごく悲しそうな顔……してるからさ」
「………」
キモッとか言われるだの云々以前に、既に結衣に軽く引っ張られ、抱きとめられたでござる。
うわわわわいい匂いなにこれやわらかいなにこれ!
つか、やめてくれ、こんな、どこかで望んでいたことを連続してやられたら、俺は───
「ヒッキー?」
俺は───
「……いいんだよ、ヒッキー」
アゥ。
頭を抱き締められ、撫でられた。
抵抗しようという意志が浮かんだのなんて最初だけ。
その意思が、人の温かさで覆われ、包まれた時、ほっちの抵抗なんて意味をなさなかった。
誰も言ってくれなかった何かを伝えてくれたような気がして、ただただ硬く閉ざされていたなにかが、静かに解かれ、べつのなにかで結ばれたような気がした。
───……。
……。
同日。
俺は結衣と一緒に平塚先生へと更生云々の報告と、奉仕部を抜けることを伝えに行った。
いろいろと理由を訊かれ、それに胸を張って応え、真人間を目指すことも伝える。
話の最中に彼女を幸せにするために、ということも口にすると、結衣も俺を幸せにすることを熱く語ってくれて、それだけで顔が緩んでいたところへ俺の腹へと軽い拳がボムスと埋まった。ごめんなさいもう惚気ません。
「はぁ……更生のきっかけが女性とくっついたから、とは……きみも正しく男だったということか」
「そういう目で見るのは勘弁してください。それだけが理由じゃないんですから」
たぶん結衣以外じゃこうはならなかったんじゃないかって思うから。つか、そもそも俺と付き合ってくれる人なんて結衣以外に居ないだろ。
だから余計に大事にしたいと思う。いや、する。
「高校二年で幸せにするだのしてほしいだの、人前で堂々と……くそっ、羨ましくなんか……!」
「あ、あー……その。先生もその、もっときっかけとか作ってみたらどうっすか? 先生って綺麗ではありますけど、どっちかっていうと格好いい印象の方が前に出てますし……」
ぎりぎりと歯を食いしばる姿が見てられなくて、当たり障りのない励ましを口にすると、結衣がきゅっと左腕に抱き付いてきて、見れば少し頬を膨らませていた。
イ、イエ、べつに綺麗とかそういうのは、結衣以外の人に惹かれたとかそういう意味じゃなくてですね。
「そ、そうか。綺麗か。そう言われて悪い気はしないが…………ついでだ比企谷。私と気が合いそうな相手を探すには、どうしたらいいと思う?」
「へ? あ、あー……そっすね。人と会う機会があったら、軽めに探りを入れてみるとか。いきなり自分が好きなものをドッカリ突きつけるんじゃなくて、少しずつって感じで」
「……ふむ。少し前のガ○ダムが好きでも、まずは最近の話から入り、少しずつといった感じか」
「……まあその、はい。多分そんな感じなんじゃないでしょうか」
そこでいきなりガ○ダムが出てくるあたり、中々レベルが高いのではないでしょうか。ドライブとか無難な言葉はなかったのでしょうか。いや、俺もそんな趣味はないし、むしろプリキュアとか好きだし、人のこと言えねぇけど。
「大人もやっているゲームなどから入った方がいいんだろうか……よく耳にするのは艦○れか?」
「まあ、それも人を選ぶとは思いますけど」
「実際にあった戦艦などが出てくるゲームだったな。最近じゃどんなのが出ているんだ?」
参考までに、とか言ってくる。
やだやめて? 俺が提督だってことが結衣にバレちゃう。いやもうどうするか悩んでる時点でバレてるか。“なに? それ”って首を傾げて見上げてきてる可愛い。
「あー……鹿島とか、グラーフ?」
「グラーフ……ほう。なにかのコラボかなにかなのか?」
「へ? いや、まあある意味ではドイツとのコラボってことには───」
「そうかそうか、そういう部分から入っていけばいいのか。ああすまんな比企谷、時間を取らせた。奉仕部の退部だったな。解った、きちんと受理しよう。また道に迷ったと思った時は、いつでも扉を叩きたまえ。いつでも待っている」
「……っす。その時は、相談させてもらいます」
お世話になりましたと頭を下げ、俺と結衣は職員室をあとにした。
さて……これで自由の身、というわけだが……
「ヒッキー……」
「ん、どした?」
「…………《じー》」
「……? ……? ゆ、結衣?」
「……ん、なんでもないっ。帰りにさ、クレープ買っていこ?」
「か、帰り道にクレープ……! レベル高いな……!」
「こんなの普通だよ普通っ、ほらほらヒッキー!」
「おわぁっとと、おいっ、引っ張るなって!」
「えへへっ、友達同士じゃ出来なかったこと、もう我慢しなくていいんだよねっ? あたし、ヒッキーとしたかった恋人同士ですること、いっぱいあるんだっ!」
「へひゅっ!? え、やっ、それっひぇ……」
「うんっ、デートしよう!」
「───……」
デート。
聞き間違えかな? なんて思っていると、結衣が引いていた俺の手首を手繰り寄せるようにして腕を抱き、「ひゃひぃ!?」とへんな声をあげる俺ににっこり笑って「行コ?」と促してきた。
……ああハイ、もう勘違いとか聞き間違えだとか無理です。
気の迷い? なにそれ、こんな迷路なら迷いたい。
でもその迷路自身がゴールだから、なんかもうたまらない。
余計な捻くれた考えとかが、“否定”を生み出そうとするたびに破壊されて、内部からトロケさせられていった。
アア……ダメ……なんかもうダメ……。
俺、ダメにされてる……。
エリートってなんだったっけ……。
だだ大丈夫、なんの心配もありませんよ。
エリートボッチャーである八幡さんが───は、八幡さんが……!
「ヒッキー、ねぇヒッキーっ」
「ななな、なんだ?」
「えへへ~……呼んでみただけっ♪」
……エリートは死んだ。もう、幸せに突っ走る馬鹿でいいです。
馬鹿ップルとか言われても本望だ。なにそれ最高の称号じゃん。
こうして俺達は人目も憚らずいちゃつき、笑い合う仲になりましたとさ。
友達は少ないっつか居ないけれど、日々がとても充実しております。
あ、でも最近、戸塚という天使と、背中をポンと叩いた川、川なんとかさんと友達になりました。
葉山グループとは相変わらず疎遠ではありますが、結衣は結衣で吹っ切ったようなので、俺がとやかく言うことでもないと受け入れて。
で、奉仕部なのですが───部員は雪ノ下一人、という元のままになった、となる筈だったのですが。
とある婚活パーティーに出席していた平塚先生が、珍しく順調に仲が良くなっていた男性に、なにを思ったのか口にした言葉があった。
「我の拳は神の息吹! 堕ちたる種子を開花させ、秘めたる力を紡ぎだす!」
美しき滅びの母の力が、男性を呆然とさせたそうな。
え? ああうん、なんか“お前の所為で全部台無しになった”って、もう一度奉仕部に突っ込まれたよ。
今度は結衣も一緒に。
雪ノ下に「脱獄に成功してもう一度捕らえられた囚人を見ているようだわ」と言われたが、余計なお世話だ。
つか、艦隊ゲームの話してたのに、どうして“そっち”のグラーフを想像するとか考えるよ。先生それ違う、べつのグラーフや、とかその場に居ない俺がツッコめるわけないじゃん。
あ、でもそれがきっかけでプライベートでもゲームの話題で話をするようになったとかで、たまに廊下をスキップする平塚先生を見かけるよ。
……俺、もう一度突っ込まれる意味なかったんじゃね?
「静かだけど……なんかいいね、こんな部活も」
なんかもういいねこの部活、部活サイコー。奉仕部万歳。意味? 意味なんて作ればいいだろ結衣と一緒にいられるとか結衣と一緒の部活だとか。
「でもこう、なんの依頼もないのもちょっとアレだよね。あ、そうだゆきのん、依頼者が来ない日はさ、自分たちでお願いしてみるってどうかなっ」
「……。由比ヶ浜さん。その、ゆきのん、というのは……私のこと、なのかしら」
「え? うん。雪ノ下雪乃、だからゆきのん。ヒッキーは比企谷、だからヒッキー」
「……あなた、あだ名のセンスが壊滅的ね……」
「ゆきのんひどい!? そんなことないもん! じゃ、じゃあゆきのんあたしにつけてみてよ!」
「えっ……そ、それは」
「ほらっ、ゆきのんっ」
「……。雪ノ下。お前、誰かにあだ名つけた経験とか───」
「いいでしょう、私が責任を持って、由比ヶ浜さんにあだ名、というものをつけてあげるわ。ええと、そうね……《ぴんっ♪》……ゆいゆい、というのはどうかしら」
「絶対に嫌だよ!?《がーーん!》」
「!?《がーーーん!》」
少しドヤッてた顔が驚愕に染まった。
まあ、そんなこんなな関係はこうして始まったわけだ。
二年からの奇妙な関係だが……まあ、こんなのも悪くない……よな?
ちなみに平塚先生だが、趣味の話でヒートアップしすぎて、大喧嘩して付き合いは無くなったらしい。
……趣味への拘りって、深いもんなぁ……。
でも部室に来て「結婚したい……!」って嘆くのはやめてください。
「ではそうね。比企谷くんに良いあだ名をつけられた者の勝利としましょう」
「ヒッキーはヒッキーだよ?」
「由比ヶ浜さん。ヒッキー、というのは引き篭もりという蔑称と取られることもあるのよ。自分の彼がそういう目で見られたくないのなら、別のあだ名を用意するべきだわ」
「あぅ…………ひっきぃ……?」
「いや、俺もべつに結衣だけが言うなら構わんのだが」
「あっ……ヒッキー……! ほ、ほらっ、ほらゆきのん!」
「………」
「………」
「……ゆきのん?」
「部長命令よ。考えなさい」
「ゆきのん!?」
やだ、この部長さんとっても負けず嫌い。
そんなこんなで、今日も依頼者が来ない奉仕部は、地味に賑やかだった。