どこにでもあるようなガハマさんとヒッキーのお話 作:凍傷(ぜろくろ)
時々、全てを諦めたくなる。
自分は何をやっても認められないから、やるだけ無駄なのだと……いい加減自分で自分を認めてやりたくなる。
小学中学と散々味わってきたのだから、もういい加減諦めてもいいだろうに……それでも高校ではと気力を振り絞ってみれば、高校生活どころか入学する前にぶち壊しだ。
「あの葉っぱが散る頃、俺のライフはもう0よ、と」
ベッドから窓の外を眺めて、くだらないことをぽしょりと呟く。
それを丁度やってきた小町に聞かれ、ちょっぴり死にたくなった。
「おー、どしたー、小町ー」
「うん、ちょっとお兄ちゃんに会わせたい人が居てさ。さ。ほら。はやく」
「え、あ、う、あ、あの、あのっ」
病室の入り口付近でもたもたと蠢いている妹、小町の傍には一人の女が居た。
肩に届くくらいの黒髪を片側でお下げにした……なんつーの? サイドテール、だっけ? ツインテール同様、髪型の中にそんな呼び方はねぇとか言われそうだが、ともかくそんな髪型の……見知らぬ女。誰? 誰なの小町ちゃん、知らない人についていくどころか、知らない人を連れてきちゃだめでしょ。
「菓子折り渡してハイさよならとか、神様が許せばそりゃあ小町も許します。けど納得はしませんのでちゃんと謝る。これ、人間の知恵」
「なにお前、いつからミスターポポになったの」
「お兄ちゃんうるさい。とにかくほらっ、入ってくださいったら!」
「ひゃああっ……!」
ぐいっと押され、とうとう中に入ってきた謎の女。マア綺麗。綺麗っつーか……可愛い? 童顔タイプだ。
「え、と……どちらさまでしたっけ?」
ともかく相手のことを知らんことには、どう対応していいのかも解らん。
なので小町を軽く睨もうとしたら、ピシャーンと引き戸を閉めて逃走しやがった。
ちらりと、引き戸から女に視線を移せば、びくりと跳ねる肩。
……ああ、いつものアレか。すんませんね、目ぇ死んでて。
「えと、えっと。あの……」
「え、あ、はい……?」
「あ、あたし……由比ヶ浜、結衣って……いいます」
「あ、はあ……ひ、比企谷八幡、ですけど……」
「………」
「………」
え? なに? なんなのこの沈黙。
自己紹介してみたら人違いでしたとかそんなオチ? いやいや病室のネームプレートにちゃ~んと名前、あったよね? 間違えて入ってくるわけないよね?
なんなのほんと。本人、目ぇすげぇうろちょろさせて落ち着きないし。
今“とうきのお面”がいいとこなんだが? いいじゃないこれ。ガラスの仮面に勝らず劣る演出のB級っぽいところ、好きよ?
「ササ、サブレを助けてくれてっ、ありがとうございましたっ!」
「………」
「~~~……!」
「?」
サブレ? はて。俺はいつ何処でどこぞの銘菓を救ったんだろうか。
生憎と鳩を救った覚えはない。俺の名前が八幡だからって、“八幡の神”にちなんで八幡宮の鳩を使役してるとかそんな話でもあるまい。そんなことはピジョン様にでも感謝してください。俺は知らん。
じゃあサブレって? 俺が助けた? 助けた……ああ!
「あ、そ、そっか、犬の飼い主の……」
「は、はいっ、あの時はごめんなさいっ、あ、あたしがリード離しちゃったからっ……」
「あぁああいやいやいやっ、ちょ、待ってくれ頭あげてくりゃっ、くらさいっ、~~くだっ、さいっ!」
つっかえながらなんとか言う。だってそうだろ、いきなり可愛い娘が入ってきてどもりながら頭下げてきて、俺にどうしろっての。
こちとらワクワクさせていた胸を初日から粉砕された気分で、いきなり謝罪されても正直戸惑う。
「許すも許さないも、あ、あー……えっと、俺が、俺が勝手に突っ込んだだけですし、こうして個室を用意してもらったし、…………どうせ、浮かれた気持ちで行ったって」
……きっと、今までのように“なに張り切ってんだあいつ、キメェ”とか言われて……。
「……? あ、の……?」
「あ、いや……」
そうか。そうだよな。よかったじゃないか。どうせあのまま入学してても、期待していた分だけ周りに引かれただけかもしれない。
それならいっそこのまま理由をつけて、仲間になんて入れてもらえない空気のまま、俺こそが空気になってしまったほうが……いいのかもしれない。
「…………ごめんなさい」
「いや、いいって」
「総武高校、だったんですよね。あの、あたしも同じで」
「……いいから」
「あのっ、」
「いいって言───っ……! …………~~……いいって、言ってるだろ……」
「………」
いやな空気。重い空気が流れる。
言ってしまえば彼女、由比ヶ浜っていったっけ。彼女はなんにも悪くない。
リードを手放したのが悪い? 違う。んなもん、離してしまっても飼い主から逃げるように駆け、道路に出てしまった犬が悪い。
もひとつ言えば、それを助けようとして勝手に怪我したくせに、女の子に当たってる俺も悪い。
「はぁ……、……ん。ええっと由比ヶ浜さんっていったっけ」
「あ、うん……」
「俺のことは、ほんと気にしないでくれ。顔見た瞬間解ったろ? この目があって、対人が苦手ってだけでもうキモがられて、そもそも友達作るとかそれ以前の問題だったんだ。そりゃさ、小学中学と散々だったから高校では~って期待したよ? けどさ、考えてもみればさ、新しい環境に胸をわくわくさせてるくせに、こんな目が腐ったやつとなんか誰が友達になるんだってな」
「………」
「だから、さ。由比ヶ浜さん。こんなのはもう慣れてるんだ。同じ高校で悪い。後味悪いよな。だからハッキリ言うから、もう気負う必要なんてないよ。謝罪は受け取った。だから……これ以上は同情なら迷惑だ。きみはきみの友達を作って、学校で楽しくやってくれ」
突き放す。全然慣れないけど、きっとここで一ヶ月過ごして、学校で一年間ぼっちを貫けば、きっと慣れるから。
新しい場所に期待してしまった自分も、きっと飲み込める。それでいい。解ってたことだから。
俺なんかが望んじゃいけなかったんだ。高校生になればなにかが変わる、なんて。
世界はいつだって俺にばっかりやさしくなく出来ている。
ヒキガエルとか引き篭もり谷とか言われて、苗字を嫌ったいつか。
変な名前だの、馬鹿なガキから名前がエロいとか言われて名前を嫌ったいつか。
我慢した先にはきっとなにかが待っているって……そんな希望を持たなきゃ我慢出来なかったいつか。
そんな希望がいつしか自分の中で当たり前になっていて、今ようやく……そんな魔法が解けてしまった。
あとはどうすればいいんだろう。
落ちていけばいいんだろうか。
世界に呆れて自分を諦めて。
ああ、そっか、希望なんて必要なかった。
自分なんて諦めてしまえばいい。
だって俺が望んだものなんて絶対に手に入らないように世界は出来ている。
そうだ、それはいつだって手に入らない。
俺はただ、俺の言葉を受け止めてくれて、くだらない話だろうと笑ってくれる誰かが……そんな、誰かが、たった一人でもいいから欲しかっただけなのに。
「……《どよ……》」
世界は腐っている。
「……《どよ、どよどよ……》」
だから、俺が今さらなにかを頑張る理由なんて……ないのだ。
だったらもういいって諦めて……自分なんてものは、その時多少だろうと大切に思えるなにかのために、磨り潰していこう。
どうせ俺がどうなったって気にかけるやつなんて居ない。
居ないなら、もう……せめてそれだけでも自由でいたい。
口調も変えて、人を遠ざけて、ずっとそうやって独りで居よう。
期待はするな。期待していいのは選ばれた人間だけだ。
俺を理解しようなんて、少しでも思ってくれるヤツなんて居るわけがない。
居たとして、どうせあとで軽く捨てられるのだ。信じ始めた時に、その信頼ごと。
だったらいっそ、利用するつもりの関係のほうが───
「ひ、比企谷くんっ!」
「《ハッ》…………、……なんだ?」
「えっと、えっと、さ《ちら……そわそわ》」
「───……」
さっきから。
そう、入ってきた時から気になっていることがあった。
言ったら傷つけるだけなんじゃ、って遠慮していたけど、もうその必要もない。
独りで居ればいい。
そのために、周囲なんて突き放してしまえ。
今はまだ強く出られない。
でも、そんな自分をこの一年で完成させよう。
……二度と、かけがえのないもの、なんて求めようとする気持ちが起きないように。
二年になって、同じクラスの人間がどれだけ入れ替わっても、期待なんかしてしまわないよう、この一年で。
だから今は笑う。突き放して、心が痛むけど、笑う。
「あのな。そのちらちら人の顔窺うの、やめろ。不愉快だ」
「え───?」
「確かにな、お前の犬を庇った所為で怪我をした。けどそんなもんは俺の自業自得だし、俺の中でとっくに決着ついてんだよ。“お前が悪い”って言われりゃ満足だったのか? ふざけんな、自業自得を他人の所為にするなんて、“みんな”がやるようなことを誰がするか」
「あ、う、うん……だ、だよね……あはは」
「───なんだそれ」
「え? あ、え? えっと……?」
「お前、今自分の考えがあるのに俺に合わせて笑っただろ」
「え、や、ち、違うよ? あたしはほんとに───」
「……ふざけんな。お前まさか、親とか周囲に言われたから謝罪に来たんじゃねぇだろうな……。だったらそんな謝罪、誰が受け取るか」
「あ、う……ち、ちが……」
「ずっとそうやって周囲に合わせてヘラヘラしていって、お前それで本当に楽しいのか? お前の周りに居るやつはほんとに友達なのか? ……それで、そんなもんで満足なら、俺だったら喜んでぼっち選ぶわ。そんなの友達でもなんでもねぇ。ただ歩くだけで適当に頷いてくれるだけの鳩みてぇなもんじゃねぇか」
……いや、さっきまで鳩とか思ってたから出てきたわけじゃなくて。
~~……それにしても、辛い。人に悪口みたいなの言うの、辛いな……。なんで平気でこんなこと出来るんだ、“みんな”ってやつは……。
思わずすぐに謝りそうになる口をぎゅうって噛み締めて、由比ヶ浜さんが怒って出ていくのを待つ。
これだけ言われれば人は怒る。俺みたいなヤツに言われれば余計だろう。
……なんて思ってたのに。
「…………かっこいい」
どうして、そんな言葉がぽしょりと出るのか。
え? あの……え? ちょ、ちょっと由比ヶ浜さん? え? なにそれ。
「建前とか、相手に遠慮とか、そういうの……言わないししないんだね……。羨ましいな……」
「……いや、羨ましいってお前……」
「あ、あたしさ、周りから馬鹿の子、とか言われててさ……。なにやってもどんくさいし、勉強も出来ないし、話題とかも上手く振れなくてさ。えと……気づいたら周りにくすくす笑われててさ」
「………」
経験はある。自分は精一杯やっていても、出来るヤツと比較されるだけで、それはただの“蠢き”でしかなくなる。
そいつの頑張りは評価される。なのに、自分の頑張りには溜め息を吐かれる。
通知表にもっと頑張りましょうと書かれた時、あんたが俺の、俺だけの何を見てくれていたんだって歯を食い縛ったことがあった。
……人間ってのは人の嫌なところしか見てくれない。そのくせ、リア充たちは自然に目を引き、注目されるから評価が高い。
そこから視線を移した時、人はそいつの無様な姿ばかりを見てしまう。
だから……世の中は平等ではなく、腐っている。
「悔しくて、見返してやる~って頑張って総武高校受験して……合格して。やれば出来るじゃん、って……嬉しくって……でも」
自然と苦笑する彼女の頬から、ぽろりと涙がこぼれた。
ぎょっとするが、これでいいとも思った。これで、彼女はきっともう二度と、ここには───
「なんでだろうね……。高校生になったらきっと変わるとか思ってたのに……やってること、なんにも変わらない……。人の言葉に合わせてばっかりで、なに言われても“そうかもね”、とか頷いてもいない言葉ばっかりしか出せなくて……」
「っ……」
喉が、ぐぅっ、と詰まる。気持ちが解るからだ。
自分だってなんとかしたかった。が、実際に入学して、新しい机と椅子に座った彼女でさえ、なにも変われなかったと言う。
だったら俺は? そう考えて、やっぱり無理な話だったんだと苦笑が漏れた。
悔しい、見返してやる、自分だって出来るんだ。
そんな気持ちを胸に頑張ったのに。
やっと、やれば出来るじゃないかって、合格を喜べたのに。
こんな現実はあんまりじゃないか。
頑張ったら頑張った分だけ遠ざかるなんて酷い話だ。
そんな現実なんて見たくない。
だったら……
「……《ご、くん……》」
だったら。
まだ、人に酷いことを言うことが辛いと……そう思える自分で居られている内に。
もう一度だけでも、手を伸ばしてみないか?
目の前で泣いている人を、自分と同じように希望を願った人を突き放してまで……そんな人間になりたくて、俺は総武を目指したわけじゃない。
欲しいものがあった筈だ。
むしろいっそ、ここで手を伸ばして拒絶されれば、完全に諦めもつくじゃないか。
「………」
傷つけられるのは慣れている。これからはもっと慣れていくだろう。
きっと涙さえ流すことなく、どれだけ傷ついても……ニヒルに笑える自分になれる。
そうやって精一杯格好つけて、リア充みたいな笑顔なんて忘れていけばいい。
……でも。その前に。
もしも。
もしも、そんな、ずっと胸に抱いていた希望が叶うなら。
お互いが、なんて意識を持って、誰かを信頼して歩くことが出来るなら。
「……あ、え、えっと。由比ヶ浜、さん」
「ひっ……っく……あ……ご、ごめんね、急に……」
「───ひどいこと言った矢先にごめん。その……俺と、友達になってください」
「───…………」
「…………」
どうせ拒絶される。
そんな思いはあった。でも、それ以上に怖かった。
慣れたつもりでも、だってそれは希望だから。自分から願ったことを拒絶されることは辛いことだ。
「~~……な、なんで……? なんで今、そんなこと……。比企谷くんが言ったんだよ……? 同情だったら、いらないって……。あ、あたしだってそんなの───……~~……」
いや、きっと違う。俺だって本当は解ってる。
引っかかっていることがあって、たぶんそれは……俺も彼女も一緒だ。
「……同情でもいい」
「え───?」
「きっかけが同情でも、友達になって、知っていけたらって……昔は思ってた」
「………」
「頑張れば“必死になって馬鹿みたい”って言われて、怠ければ“お前が頑張らねぇから”って言われて」
「う、ん……」
「それでも……そんな自分に同情してくれるヤツが居れば嬉しかった」
「……うん」
「利用するってかたちでもいいんだ……ただ話相手になってくれるだけでも嬉しい、と思う。だから……もう、これで最後でいいから、偽物でもいいから、友達になってくれないか」
それはたぶん。友達ってものに絶望したくなかったから。
嘘でもいいから、きっかけはそれでもいいから、人との関係を諦めたくなかった。
嘘がいつか本当になってくれるなら、自分はまだ頑張れると。そんな希望を捨てずに済むと。
だから、それが最後でいい。それを最後にして、一年で自分を完成させよう。二年からは誰も信じなくなればいい。
そうしてずうっと、独りで居よう。
だから、と。ベッドで動けないまま伸ばした手は、無言のままてくてくと歩いてきた彼女の手と───……
「……ぐすっ……。比企谷くん、えっとさ」
「……? えっと、なに?」
「あたし、偽物じゃ……やだ、かな」
「……、……それは」
「あ、ちがっ、違うよっ!? えっと、あのっ…………あの、さ。あたし、ほら、こんなだから……周りに合わせるくらいしか出来なくて、友達って言える人、たぶん居なくて」
「………ん」
「だから、さ。友達~ってやつにさ、すっごい夢みたいなの、持ってると思うの」
「……あ、うん。それ解るかも。俺も友達っていったら……ほら、裏切られるまで裏切らない、みたいな……なんでも言い合える関係みたいな」
「そ、そう、それなんだっ、あたしもそんな人が欲しくてっ……! だ、だから、さ」
「う、うん」
「だから……あたしね、が、頑張りたいな~って……。こんな自分、もう嫌だから。比企谷くんみたいにハッキリ言える人になりたいな、って」
「……俺も。もっと人と話せるようになりたい。声が聞こえて、言葉を返したら空気が凍って、“お前に言ったんじゃない”って目で見られるの……もう嫌なんだ」
「あー……あれ、辛いよね……」
「だ、だよな……だったら言う前に、誰に言ったのか解るように名前とか言ってほしいよな……」
「そ、そう! あたしもそう思った!」
「あ、う、うん」
「うん……」
「………」
「………」
手は、いつの間にか繋がっていた。
お互いが恥ずかしくて俯いて、でも……顔は、どうしようもなく緩みっぱなしだった。
× × ×
その日から毎日、由比ヶ浜さんは病室に来るようになった。
「比企谷くん、えっと、そーげん?」
「!? ……、…………あ、ああそっか。どこの大自然なんだって思っちゃったよ……壮健だよ、それ言うなら」
「そーけん……比企谷くん、頭いいんだね」
「いや、いいのかな……よく解らない。ラノベとか読んでると、そういう言葉って地味に出てくるから」
「そうなんだ」
初日よりは……まあスムーズに話せているほうだ。
だけどやっぱりまだ友達初心者。会話がなくなることがよくあって、それでも二人でうんうんと悩みながら話題を探す。
「話題って難しいね。詰まっちゃうと微妙な空気になっちゃうし」
「そうなんだよな……“みんな”の中心に居る人って、なんであんなにぽんぽん話題が出てくるんだろうなって思うよ」
「あ、うんそれ。あたしも不思議だった」
関係は……一応友達。
俺と話をする由比ヶ浜さんからは、初日のようなおどおど感はあまりない。
むしろ頑張って友達になろうとしてくれて、なんだかくすぐったい。
「あ……そうだ比企谷くん、聞いてほしいことがあるんだ」
「ん? なに?」
「えっとさ、今日……相模って女の子にね? グループに入らないかって言われて」
「グループ……へえ! すごいじゃん! あ、でも……なんかあった? あんまり嬉しそうな顔じゃないね」
「うん……まだ言いたいことハッキリ言えないし、それにさ、相模さんのグループのことは前から知ってたんだけど、人の悪口ばっかり言ってて……やだなって。もしそこに入ったらあたしもそうなっちゃうような気がしてさ。……条件反射みたいに人の悪口とか言うようになっちゃうの、怖いし……」
「……そうだな。俺もそれは嫌だな」
「あ……《ぱあっ……》うんっ、比企谷くんならそう言ってくれるって思ってた……」
「え、そうか?」
「うん……他の人はさ、とりあえず入っておけばいいじゃんって言うんだ……。それで、適当に合わせておけばいいよって」
「それは……だめだな」
「うん。だよね」
それを治したくて頑張っているんだから、それはダメだ。
それを受け入れたら自分の努力を否定することにしかならない。
けど……それをしてしまうと、クラスから孤立する可能性だってあるのだろう。
人の関係ってのは、本当にやさしくない。
由比ヶ浜さんもそれを知ってか、寂しげな顔をする。
「……もっと……傷つけてばっかりじゃなくて、仲良く出来たらいいのにね……」
「……難しいよな、人間って。もっと話し合えて、解り合えたらって……昔は頑張ったのにな」
「………」
「………」
「あ……ねぇ比企谷くん」
「え? なんだ?」
「じゃあさ、えっと、比企谷くんのこと、もっと教えてほしいな。そしてさ、いいところも嫌なところも知ってたら、もう嫌いになる理由とか、無くなると思うんだ」
「俺のことか……あ、じゃあさ、由比ヶ浜さんのことも、教えてもらって……って、なんかごめん、ナンパみたいでキモいよな、忘れて」
「あはは、そんなことないったら。大丈夫だよ、あたしはちゃんと、比企谷くんはやさしい人だって解ってるから」
「……う……由比ヶ浜さんの方がよっぽどやさしいだろ……」
「えぅ……そ、そっかな……」
「~~……ご、ごめん。へんなこと言ったな。あ、じゃあそのー……比企谷八幡、8月8日産まれです」
「そうなんだ!? じゃああたしの方が二ヶ月お姉さんだね」
「え? じゃあ6月生まれ?」
「うん。6月18日」
「そっか……ん、覚えておく」
「あたしも……えへへ」
由比ヶ浜さんが見せる笑顔は、少しずつだけどやわらかいものになってきている。
他人の様子を窺うようなものじゃなくなってきている分だけ、自分を変えていけているのだろうか。
「あ、ねぇ比企谷くん。あたしのことさ、結衣って呼んでもらっていいかな」
「え……ちょっとハードル高くない?」
「う、うん。あたしも結構どきどきしてるけど……友達ってそういうものかなって」
「な……馴れ馴れしくないか?」
「大丈夫……じゃないかな。ほ、ほら、本人がいいって言ってるんだし」
「そういうもんか……あ、じゃあ俺のことも八幡って呼べるか?」
「う、うん。もちろんっ。えっと………………ひゃあああ……! は、はずかし……はずかしいね、これ……! 思ったより……!」
「だろ? そうだよなっ……すごいな、友達って……こんなこと平気で出来るのか……」
「……やっぱりあたし、友達居なかったのかも。他の人と名前で呼び合う時に、こんな風にならなかったもん」
「そっか……なんか、寂しいな」
「いいよ。その代わり……あ、ううん。代わりなんかじゃないや。……うん。比企谷くんが、友達になってくれたから」
「……今のところ、“八幡が”って言ってくれたら八幡的にポイント高かったかも」
「あははっ、なにそれ」
ふとした時に笑えた。
そんな、“友達っぽさ”が互いの間に生まれてくることが、なんだかたまらなく嬉しかった。
……。
由比ヶ浜さんは、言ったとおりあまり頭がいい方ではないらしい。
なので勉強道具を持ってきて、俺と勉強をしている。
俺も数学とかは大の苦手だけど……いい機会だから、覚えてみようかと思った。
「えっと、これでいい……のかな?」
「ん、どれ? あ、いや、ここ違うぞ? ここの読みはこうで……ここの解釈は───」
「ふんふん……うー、難しい……」
「少しずついこう。平塚先生もたまに来てくれるし、先生が居るなら質問も出来るって。あの人、俺の目を見ても引かなかった。たぶん、そういうので人を判断しない人だ。なんていうか、もっと早くに会いたかった」
「あ、そうだよね。真っ直ぐな人って感じ。……っはぁ~~っ、でも最近じゃ一番勉強してるかも、あたし。苦手だったはずなのに、今はちょっと楽しいや」
「はは、実は俺も。嫌いな“みんな”から逃げるための手段だった筈なのに」
「……もっともっと楽しいって思えれば、頭に入ってくるかな?」
「かも」
関係は良好。お互い笑顔が増えてきて、時々来る平塚先生も笑いながら見守ってくれている。
時々爆発しろとか言ってるけど、友達同士じゃ爆発しようがないです。
……俺達は多分、これ以上なんていけないから。
こんな関係を壊したくない。初めてだったんだ。だから、これ以上を望むのは欲張りだ。
……。
平塚先生が軽いテストを作ってきてくれた。
それを由比ヶ浜さんと同時に開始して、終わったら採点。
「お、国語は俺の勝ち」
「えへへぇ、数学はあたしの勝ちだねっ」
「比企谷は国語が強いな。由比ヶ浜はどれが得意、ということはないが、集中すると強い。明確な目標を作ると頭が働くタイプだな」
「あ、はい。昔から一夜漬けとかは結構……そのー……」
「それは勉強とは言わん。きちんと励め、馬鹿者」
「はいっ」
「……説教してるのに笑顔で返されるとは……。お前は果報者だなぁ比企谷ぁ」
「平塚先生、前に言った通りです。そういうの、やめてくださいね」
「あながち間違ってはいないと思うのだがな。まあいい、きみの青春だ。大いにまちがい悩みたまえ。まちがわない人間なんて脆いものだ。なんでも経験ある者こそ優位に立てる。その経験を活かすか殺すかにもかかってはいるが、今のきみたちなら活かせるだろう《コサッ、パクッ》」
「あ、ちなみに先生、男から言わせてもらうと、タバコ吸う女性って嫌われますよ。病院が禁煙、とか以前に」
「よし禁煙でも始めるか《コサッ》」
取り出され、銜えられたタバコは箱に戻った。
そんなわけで今日は平塚先生が来ている。
「いやーそれにしてもお前は勇気があるなぁ比企谷。犬のために車の前に飛び出すとは、今時神様転生ラノベくらいでしか見ないと思ってたのに。いや、あっちはただトラックに轢かれるだけか」
「運転手のその後が不憫なあれですよね」
「ああ。それも、神の暇つぶしで轢いてしまうことになった、ってやつが一番可哀想だよなぁアレは……。もし私がとか考えると怖くて仕方がない」
「うー……」
「あ、ごめんな由比ヶ浜さん。ラノベの話とか、解らないよな。ラノベじゃなくてもSSとか……解らないか」
「う、うん……でも、ちょっと知りたいかも……とか」
「……無理、してないか? 確かにハマると夢中になれるけど、人によっては嫌悪したりするものだぞ?」
「そうかもしれないけど、なんか……なんかね、知りたいなって思ったから」
「……そ、そっか。じゃあ受け入れやすそうなところから───」
頭を捻る。最初に出たのは“自分が好きでも由比ヶ浜さんには嫌われるかも”という考え。それを出して引かれてしまう自分の姿を想像して、一瞬……喉が詰まった。
……んだけど、ベッド横の椅子にドッカと座るこの先生様は大きな胸の下で腕を組み、ドヤ顔で言ってのけた。
「“涼宮ハ○ヒ”でいこう」
この人すげぇ。
「いや平塚先生、あれ結構人選びます」
「んん、そうか? まだ相手に合わせたつもりだったんだが……じゃあ“僕○血を吸わないで”あたりから」
「《ぴくり》───え? なんですって?」
「……知らないのか……いや、その反応は───……ああ、なら多少馬鹿っぽいのでドッコ○ダーあたりは───バカ○ストでも……」
「バカ○ストはあれ、明久くん不憫すぎでしょ……明確に告白もしてない女性にヤンデレ風に嫉妬されて殴られたり関節キメられたり、あんな見てて心苦しいものを由比ヶ浜さんに奨めないでください」
「……《むー……》」
「うぐっ……由比ヶ浜さ……え、ええっと。ゆ、結衣……さん?」
「う、うん……は、はち、八幡…………くん……」
「…………《かぁああっ……!》」
「…………《かぁあああ……!》」
「なんで病院には禁煙はあっても禁恋はないんだろうな……くそっ、羨ましくなんかっ……!」
いつしか名前で呼ぶようになった。友達っていうのは随分と気安いらしい。
まあ確かに、男子が女子を呼び捨てに、なんて小学中学でもよくあったことだ。
それでも、呼んでいた男子はリア充どもばっかだったけど……まさか俺が呼べるようになるなんて。
「しかし比企谷……きみの目は本当にアレだな」
「真正面からやめてくださいよ。引かないでくれたのは嬉しいですけど、目のこと言われるの、好きじゃないんですよ」
「まあそう言うな。大事なことだろう。きみたちの会話で、中学時代にいろいろあったことはまあ想像がつく。進学校とはいえ、もちろん人が居るからにはそれをつついてくる輩も少なからず居るだろう。だが、そこから目を逸らすな。楽な方へ行けばその時はそれでいいが、踏み込まれた数だけ逃げ場がなくなるぞ」
「じゃあ、教師としての平塚先生の意志ってどんな感じですか?」
「ふむ……そうだな。昔から、弱点なんてものは克服してこそだと思っている。弱点だと悟られたら、そいつがそれを弱点だと笑っているうちに強くなってしまえ。人の評価を良い方向で覆せる者であれ。なにも白鳥になれなんて言わない。努力を見せることが格好悪いなら、漫画やアニメで努力をする主人公なんて恥の極致だろう。それを鼻で笑うか憧れるかは、きみたちの心次第だ。違うかね?」
「……先生。さすがに漫画やアニメを喩えに出すのはどうかと思います」
「ぐっ……そ、そうか?」
「思いますが……救われました」
「…………素直じゃないな、きみは。まあ私も嫌いではないがね、その言葉は」
「………《こくり、こくこく》」
俺と平塚先生が語り合っている中、途中途中で話題に乗れなかった由比ヶ浜さ───……ゆ、結衣、さん、が、こくこくと頷いていた。
その時は気づけなかったけど、どうやら仲間ハズレ感は半端じゃなかったらしい。
いつの間にか仲良くなっていた小町と相談して、俺のラノベを押し付けられ、輝く瞳で帰っていったそうな。ていうか小町ちゃん? 人の小説勝手に貸しちゃだめでしょ?
……い、いや、これで結衣、さん、がラノベとか好きになってくれて、共通の話題が増えたら嬉しいけどさ。
……。
で、翌日。
「は、八幡、くん!」
「あ、いらっしゃい……って、どしたの、なんか慌ててるみたいで───」
「パンナコッタナタデココナッツタピオカ!《クネクネ》」
「ブフォオッ!?」
結衣、さん、が、手の平を頭上で合わせて腰をクネクネ左右に動かし、懐かしいスイーツ的な言葉を並べた挨拶をした。そう、挨拶……一応挨拶なのだ。
知らないフリをしたが、平塚先生が言ったラノベの中に、この挨拶はあった。あの人か、結衣……さん、にこんな入れ知恵をしたのは。大方これをすれば俺が確実に反応するから、とか言ったんだろう。そりゃそうだ、反応しないわけにはいかない。やられたからには返さないわけにはいかないのだ。何故なら、これは返してもらえないと死ぬほど恥ずかしい挨拶だからだ。
「パンナコッタナタデココナッツタピオカ!《クネクネ》」
恥ずかしいけど返す。すると、結衣、さんは真っ赤な顔でホッとした顔をして、けれどやっぱり恥ずかしかったのか、てこてこと足早に近づいてくると、椅子に座ってふしゅうう……と俯いてしまった。
「お、おはよう。今日は休みなの?」
「ひゃ、ひゃい……あ、えと、うん……」
「あ、そっか、土曜か今日」
入院生活が続くと、曜日の感覚が薄れる。ずっと休みって、嬉しいけど退屈だ。いや、毎日結衣、さんが来てくれるから嬉しいには嬉しいんだけど。
「それで、なんだけどさ、はち、は、はち……まん」
「!?《ボッ!》 ……う、ぐ……えと……な、なんだ? ~~……ゆ、結衣……」
「!!《ボッ!》」
頑張って呼んでくれたなら、こちらも応えなければ。
俺達はそういう条件の下で友達になったのだから、与えられるものや分け与えられるものは必ずそうする。
恥ずかしくても乗り越えていかなければ、理想なんてものには辿り着けないからだ。
「ほ、ほら、えっと……~~ぁぅぅ…………め、目の話を、さ。平塚先生とした……でしょ?」
「そ、そだな……目が腐ってるからどーのこーのって……」
「あたしさ、馬鹿の子って言われるのが嫌で、伊達眼鏡買ったことがあってさ……結局フリだけだって馬鹿にされちゃって、つけなくなっちゃったんだけど……八幡……くん、つけてみない……かな。あ、えと、ごめんねっ、やっぱり“くん”をつけたほうがしっくりくるかなって! ほ、ほんとならあだ名とかつけたほうがそれっぽいのかもしれないけど、あたしって名前のセンスとかないみたいで……」
「い、いやっ、結衣……に、なら、どんなのつけられてもいいって思える。ていうか、そういうのをぽんぽんつけられるのが友達ってやつなんだろ? だったら……えっとな、一度つけてみてくれないか? なんでもいいから」
「あ、うん。じゃあ…………あ、嫌なら嫌って言ってね?」
「ん、解った」
「うん。えーーーっと………………比企谷八幡くん、だから……ヒッキー?」
「………………物凄い勢いで引き篭もりそうな名前だ」
「───!? ひゃあああっ!? ち、違うよ!? 違うの! そんなつもりじゃっ……!」
胸の前で小さくパタパタと手を振って、必死に否定する。
ああ、やってしまった。今のは確かにそう捉えられてもおかしくない言い方だった。もうちょっと気を使えよ、俺。
「あ、いやっ、こっちもそういう意味で言ったんじゃなくて! ……ああ、そっか、そうだよな。逆にいいかもだ」
「? えと……八幡くん?」
「ゆ……結衣。よし、結衣。うん。結衣」
「《かぁあ……!》あぅう……ど、どうしたの? そんな何度も呼ばれると恥ずかしいよぅ……」
「あ、ご、ごめん……えっとさ、俺のことはヒッキーでも八幡でも呼びやすい方で呼んでほしい。むしろヒッキーのほうが、他の誰も呼ばなそうでいいかもって思った」
「え……でも引き篭もりとかってさっき……」
「だから逆になんだって。他のやつが呼ばないで、結衣だけが呼んでくれるなら、それってちゃんと友人間の呼び方って感じだろ? 俺はなんか、そっちの方が嬉しいかもって思った」
「……八幡く…………あ、んんっ……。え、っと……ヒ、ヒッキー?」
「……よし。あ、じゃあ結衣にもなにかあだ名を…………あ、あー……えっと……ゆ、ゆゆゆ……ゆいゆい?」
「や、やめて……」
軽く言ってみたら却下された。
「あ、それで……なんだけど。さっき言った伊達眼鏡」
そして早々に話題から無くしたいらしい。そんなに嫌なのか、ゆいゆい。
しかしケースに綺麗に入れられた眼鏡を見せられると、さすがにもう話題は戻せなかった。
「捨てちゃうのももったいないし、真面目そうに見えるかなってちょっとお洒落じゃない感じだけど……八……ヒッキー、つけてみてくれない?」
「ん、よし。つけてみよう」
「わ……言ってみておいてなんだけど、ノリが軽いね」
「とりあえず、なんでもやってから後悔してみようかなって」
「後悔すること前提なの!?《がーーーん!》」
「あ、ご、ごめんっ、今のはそういう意味じゃなくてっ……!」
うわっ、ごめんとか……自然に出とはいえ、男らしくないか?
もっと男らしい口調の方が……いや、でもな。無理に変えても。
まいったな……どんな口調の方が人に好まれるのかとか、俺解らないぞ……。
「~~……え、と……悪い……。ほら、今まで後悔ばっかりだったから……どうせ後悔しか出来ないなら、って……。結衣のくれたものをそういう風になんて考えてないから」
「あ……な、なんだー……そっか、よかったぁ……」
「………」
可愛い。
うん……由比ヶ浜結衣は、今まで会ってきた女性の中で、ダントツで可愛いと思う。
やさしいし、努力家。辛いことも知ってるけど、それに立ち向かう勇気を持つことがきちんとできる。
こんな娘が恋人だったら幸せなんだろなーって、つくづく思える。
でも……俺はそこには立てない。俺は、友達だから。
せっかく得ることの出来た理想を、壊してしまうわけにはいかないから。
さあ、今日も彼女を笑顔にしよう。
持ってきてくれた眼鏡をつければ、きっと変わらぬ俺が居て、あーあって感じで笑うのだ。
そんなものでもきっと話題に出来る。話題に出来ればきっと楽しいから。
だからスチャリと眼鏡をつけて───こう、キリッて感じでキメたあと、
「───どうだいお嬢さん。似合うかい?《キリィッ!》」
ニヤリと笑いかけてみた。じゃんけんで言うピストルのかたちにした手を顎に当てながら。
すると───
「───…………、……《ポー…………》」
結衣は、なんでか真っ赤な顔で目を潤ませて、俺を見たまま停止していた。
あれ? なんで? もしかして怒りで顔真っ赤にして、泣きたくなるほど似合わなかった? うわ、ショックだこれ。せめて笑い話になればよかったのに。
結衣は片手を片手で握り締めて胸に押し当てて俯くと、「~~~~っ……」って声にならない声を出して、ふるふると震えた。
……もしかして面白かったのか? まさか眼鏡つけて笑われるとは思わなかった。
いや、でも……なんだろう、嬉しいな。笑われる=馬鹿にされるが自分の当然だったのに、結衣が相手だと“そういう意味”で笑われているんじゃないって確信が持てた。
「結衣?」
「ぁ…………え、と……うん、に、……似合ってる! すっごい似合ってるよ八幡くん!」
あ、ヒッキーじゃなかった。でも今はちょっと嬉しい。
ていうか……なんでこれ、俺にジャストフィットなんだろ。結衣が着けるために買ったんだよな?
……と訊いてみると、靴とか衣服と同じで、きっと大きくなるからと大きい眼鏡を買ったんだそうな。そしたら大して使わずに封印してしまったそうで。
あー……解るかも。結衣には言えないけど、犬のフンとか踏んでしまったスニーカーとかアレだよな……綺麗にしても二度と履けないよな……。
「あ……けどいいのか? いや、よくないんじゃないか? 眼鏡ってかなり高いって聞いたぞ?」
少し口調を変えてみる。けど、なんか喉が詰まる感じで上手くいかない。
俺に強めの口調とか無理なんじゃないか? 肉食系を目指しても結局草食止まりな中途半端な男にしか到れない気がした。俺だもの。
「あ、ううん、それは本当に大丈夫なんだ。買ったっていってもパパがだし、二千円もしなかったから」
「二千円」
うわあめっちゃ高級……! ラノベが3冊は買えてしまう……!
ああ、けど金か。金は必要だよな……どうせ友達も出来ないんだろうし、友達作りとかは諦めてバイトに精を出してみるかな。
結衣のお陰で、人と話すのも少しずつ楽になってきたし。
あ、いや、これは相手が結衣だからか。俺も頑張ってるけど、結衣の方が話題を出すのが上手い。
それ以前に今の俺は外の情報がないから、必然的に結衣が話すことになるパターンは多い。
これはいけない。もっとこう、俺も病院内で知ったこととか話せたほうがいいよな。
「学校に復帰できたら、バイト始めていつか返すよ」
「い、いいよそんなっ、本当に気にしないでいいからっ」
「いや、こういう約束でもないと、俺はその……ちょっとでも嫌なことがあったら逃げ出しそうだから。……どうしてもまだ苦手なんだ、対人」
「あ……そうだよね。あたしもまだ苦手……。どうしてだろうね、八幡くんとはこうして話せるのに」
「やっぱりある程度、自分のことを話してるから、とか?」
「うーん……でもさ、全部話すのは……やっぱり怖いよ。言い触らされて笑われたりしたら、きっともう信用できないと思う」
「……、……まあ、経験はあるけど」
「…………ご、ごめんなさい」
「あ、いや、あれは俺が馬鹿だったから。……ちょっとやさしくされただけで、相手が俺のこと好きなんじゃ、とか考えて、その後のことも考えないで告白して、玉砕したって、それだけの話なんだ」
「え……こ、告白?《ズキッ……》…………あれ?」
「やさしくされたことなんてほとんど無かったから、ちょっとやさしくされると自分だけ特別なんじゃ、って勘違いしてたんだ。だから、もうそんな自分にはならないように、“俺にだけやさしいわけじゃない”って思うようにしてる」
今でも思う。
告白なんてしなければ、相手は引くこともなく……“やさしい”ままで俺に接してくれていたんじゃないだろうかって。
それは勘違いなんだって最初から知っていれば、俺にも上辺だろうとやさしい友達モドキが居たんじゃないかって。
そんなものは欲しくないとは思った。もっと、本当に俺との関係を大事に思ってくれる、頭の中で描いたような親友が居ればって……何度も思った。
けどそんなことは無理だったんだ。
俺が望んでいいものではないし、リア充だって望んで手に入れられるようなものじゃないものを、俺が手に入れられるわけがなかったんだから。
「…………」
「結衣?」
結衣は俺の話を聞いて、固まっていた。
あぁ、えっと、やっぱりキモかったんだろうか。
悪いことをした……俺の昔話なんてそんなのばっかりだし、そもそもそんな自虐ネタは苦笑しか生まない。
話題になればって結衣とお互いの過去を軽く話したことはあっても、俺でさえ苦笑しか出来なかった。ついやってしまったことに後悔はしても、この空気をなんとかするための知識なんて俺にあるわけもなく───
「……告白したのに、言い触らされた……の?」
「へ? あ、あー……まあ、そうだね。告白して、友達のままじゃダメなのかなーとか言われて、その後は言った通り。相手は俺なんかに告白された可哀想な女子で、俺は……」
「違う……」
「え? えと……結衣?」
「そんなの違う……間違ってるよ!」
「《びくっ》……ぉ、あ…………ゆ、結衣……?」
驚いた。結衣がこんな大きな声を出すのなんて初めてだ。
ヘンな声が出ないようになんとか口を塞いだ俺だけど、頭の中が真っ白だ。
え、ええと、なんだ? どうすればいいんだ?
「告白って……そんなに簡単に出来るものじゃないし……勢いで言ったんだとしても、たくさん想いが詰まってるって思う……! なのになんで……どうして言い触らして見下すみたいなことができるの……? わかんないよ……!」
「…………結衣……」
悩んでいて、気づけば目の前に、本当の感情があった。
ぽろぽろと頬を伝う涙は俺を思っての悲しみだ。
笑われて、笑いすぎて涙を流されたことならあっても、自分のことを思われて、なんて初めてだった。
隣の席になっただけで泣かれたこともあったな。でも、あんなものとはまるで違う。
受け取れる感情の暖かさが、まるで違った。
……ああ、そうか。俺、自分の過去が肯定されて、嬉しかったのか。
告白はした。フラレもした。
誰ひとり頑張ったな、なんて言ってくれるわけもなく、お前じゃ当たり前だと見下す人しか居なかったのに。
会って一ヶ月と経たない人が、俺のために泣いてくれた。
「……《とくん》……」
胸が温かい。でも、やめてくれ。
これは芽生えさせちゃいけないんだ。
ありがとう、結衣。本当に嬉しい。でも、俺は……せっかく出来たこんな暖かい関係を───……
───……。
……。
……あの日以来。
俺の過去の告白について、結衣が怒って泣いた日以来、俺達の関係は随分と近づいた。
なんでも言い合おうってことになって、相談事があれば相談するようになって。
俺もヤケっぱちになって自分の過去を随分と語った。
結衣も自分の過去をたくさん語ってくれて、なんというか恥ずかしいやら嬉しいやら。
「俺もそろそろ退院か……今思えば一ヶ月って短いな……」
「そうだねー……」
看護婦さんに俺と結衣との関係を勘ぐられて、それじゃあこんなボサボサ頭じゃダメだね~なんて髪を切られたり整えられたり。
人との会話のポイントとか、女の子が嫌う話題とかも教えてもらって、入院中に無駄にレベルが上がった気がしないでもない。
ただ勘違いはしない。浮かれたままで話す話題は失敗しか生まないって、もう知っているからだ。
「八幡くんも変わったよね。病院でいろんな人に話しかけられるようになった」
「お、おう。頑張ったぞ俺。言葉が喉に詰まろうと、言いたいことを頑張って伝えた、ぞ」
「うーん……口調、無理に変えなくてもいいと思うよ……?」
「でもさ、なんかなよなよしてて嫌じゃないか? 自分じゃいまいち解らないけど、院内の人のほぼが“もっと男らしい口調にしたほうがいい”って。あ、あと絶対眼鏡は取るなって」
なんなのアレ。俺に男らしい口調で話してもらってもキモいだけなんじゃないのか?
想像してみても、無理してるようで残念に思えてくるんだけどな。
「あ、あたしも、“友達相手にヒッキーはない”って怒られちゃった……」
「俺は気にしないんだけどなぁ……あ、そういえば結衣、あの時なんか言われてたろ。そんなことばっか言ってると、なにかを取られるとかなんとか」
「あ、え、う……!《かぁああっ……!》……う、うん……! も、もう、気持ちは固まったし自覚は出来たから……あとはこう、そのー……頑張るだけ、みたいな……」
「? そっか。なんにせよ、頑張りが認められるって嬉しいよな。俺なんて自分の頑張りは一生認められないもんだって思ってたし。結衣にこの眼鏡もらってから、幸運の女神でもついてくれたのかな。あれから人がやさしくなった気がするよ」
「めっ!? め、女神なんてだめ! ついてないついてないっ!」
「え? そ、そう?」
まじか……女神居ないのか……。
いやでも、天使は居るよな。
「………《ちらり》」
やっぱり可愛い。ほんと、俺なんかと話してくれるだけで天使だってのに、こうしていっつも会いに来てくれて。
一度小町を含めて話してるときに、ぽろりと“天使か……”と呟いたことがあって、その時は顔を真っ赤にして怒らせてしまった。あれ怒ってたよな……かつてないほど赤かったし。
小町にも“お兄ちゃんはこういう時ダメダメだよね”って言われてしまったからなぁ……やっぱり怒ってただろ。
「………」
こうしてベッドで過ごす時間もあと僅か。
それが終わればこの関係も終わるんだろう。
俺みたいなのと学校で話すわけにはいかないだろうし、隠れて会うにしたっていい噂は立たないに違いない。
だったらいっそ、ここで突き放してしまったほうが……ああいやいや、また弱気になってるな。
もう一度だけ信じてみようって……そう思って始まった関係じゃないか。
行き着く先が親友だって構わない。それだけで、俺なんかにはもったいない。
いつか彼女が赤い顔して視線逸らしながら、好きな人が出来たのって言った時に……せめて笑顔で協力出来るように───。
「ねぇ八幡くん。あたしさ、今度髪型をお団子にしてみようと思うんだけど……どうかな」
「団子? えっと、それってどうやるんだ?」
「もうちょっと伸びれば出来そうなんだけど……ほら、こうやって……」
「あ、シニョンみたいにするのか」
「しにょん?」
「えっと、ほら。中国の女の子とかが、髪をまとめて丸っこいのに入れてる……」
「あー! そっか、あれってシニョンっていうんだ! あ、でも確かに髪型にもなんとかシニョン~ってあったかなぁ」
「髪型の名前とかってどこで調べるものなんだ? 俺、一度ネットで調べたことあるんだけどさっぱりだった」
「女の子の場合はファッション雑誌とかかな。文字だけ書かれても“なにこれ”って思うことばっかりだけど」
「結衣はもうちょっと国語頑張ろうな……」
「八幡くんもだよ、数学とか……」
「……ふふっ、だな」
「あははっ、だねー」
関係は良好。それでいいんだ。
この、今までやさしくされただけで湧き出したものとは違う、とても温かいなにか。
俺はきっとそれを告げることなく、友達を大事にしていける。
きっと結衣も……自分の気持ちを話すことに慣れて、俺よりも話しやすい人が見つかれば……いつかは離れていく。
俺がどれだけ相手を信じようと、それ以上が居れば離れていく。
それでも俺は信じていよう。
それが裏切られるまで、裏切られて、こんな世界に本当に絶望するまでは……ずっと。