どこにでもあるようなガハマさんとヒッキーのお話 作:凍傷(ぜろくろ)
つまり、rのあとのガハマさんのお話。
ぱたん、と扉が閉まる。
視線を足元に向けると、靴が並んでいる。
パパも帰ってきていることを確認すると、鍵をかちゃんと掛けて靴を脱ぎ、ミトンを外しながらとたとたと歩いた。
「ただいまー」
「おかえりなさい。んふふー、どうだったのー? 結衣ー」
早速にっこにこ笑顔のママが、今日のことを訊いてくる。
すると、自分でも解んないけど無意識に両手をポケットの中に突っ込んでしまった。
「? 結衣? 寒いの?」
「え? あ、ううんっ、べつにそんなことないけど…………えと」
なんか……うん、なんか。
どうだった、って訊かれたら、どきどきした、としか。
うん、すっごく楽しかったし、嬉しかったし、面白かったし……けど、なによりもどきどきした。
近づいたんだなって、本当に……本当に意識できたし実感も出来たんだ。
「………」
ママはポケットに手を突っ込んだまま視線をあちこちに動かすあたしを見て、なんだかくすって感じに笑って、「ごはん、食べるでしょ? 手、洗ってきなさい」って言った。
……。なんか、見透かされてるのかなーって。
でもお腹は空いてる。結局、浮き輪まんのあとはなんにも食べなかったし。
や、やー……その後っていえばほら、あれがああだったから、お腹が空いたーとか、そういう雰囲気でもなかったし。
「………」
ポケットから手を出して、両手を見下ろす。
右手は小指だけピンと伸ばして、左手は握られた感触を確かめるように閉じたり開いたり。
「…………《ほにゃり》」
「結衣ー? うふふふふ、顔がニヤケてるわよー?」
「ふやいっ!? ななななににニヤケてないよ!? もうなに言ってんのママ!」
「……クッキー。受け取ってもらえた?」
「《とくんっ》………………《かぁああ……!》」
「……そう。よかったわね、結衣」
「…………うん。………………うんっ」
頷いて、いい加減動き出す。
コートを脱いで、洗面所に行って、袖をまくって手を洗───
「………」
洗…………
「………」
…………。
───……。
……。
…………ぽー……
「…………《もぐもぐ》」
「結衣?」
「………」
…………ぽー……。
「…………えへー……♪《にこー……》」
「……ヒッキーくん《ぽしょり》」
「《びびくぅっ!》ふひゃあっ!? えなっ!? なななにっ!? ママ、なにっ!?」
「んふー……♪ 結衣、ヒッキーくんとなにかあったでしょう?」
「えっ…………や、やー……べべべつになんもないよ、うん。なんも」
なんもなかった。
そのうちだもん。そのうち。
ま、まあその“そのうち”も、自分から行って、何度だってあたしから言うつもりだから、待ってなんかやらないんだ。
だから……
「…………えへー……♪《にこー……》」
「さっきから小指見つめてにこにこして。なんにもないわけないでしょー? 小指がどうかしたの? ゆびきりげんまんでもする?」
「ふしゃーーーーっ!!」
「ひゃんっ!? ゆ……結衣?」
「うー……!」
ひょいと伸ばされたママの指が小指に絡まりそうになった瞬間、なんか思わず威嚇みたいなのをしちゃった。
だめ、せめて今日くらいは誰にも触れられない小指でいたい。
「はぁ……ヒッキーくんとなにか、約束でもしたの?」
「う、うー……知んない。ほっといてったら、もう」
ご飯をぱぱっと食べて、片づけて、そそくさと部屋に戻る。
その途中、ママが「頑張ってね」って言ってくれて…………恥ずかしがってばっかりでなにも言わないあたしは、なんだか自分の行動が恥ずかしくなって。だからせめてって、恥ずかしさを押し込めながら「うん」と「ありがと、ママ」だけを……振り向きもしないままに言うだけ言って、部屋に戻った。
「………」
脇に抱えたコートをハンガーにかけて、着替えもせずにベッドに身を投げた。
はぁ、と溜め息をつくと、自分の子供っぽさが恥ずかしくて、ぐしぐしと両手で顔をこすってみる。
……と、その両手がアレだったのを思い出して、顔がちりちり熱くなるのを感じた。
「こっちは指切りで……こっちは寒いからって……ヒッキーが…………」
顔、あっつい。
そのくせ緩みっぱなしだからたまらない。
右手だって結局は小指から絡まって、繋いで、絡ませて。
「………」
花火は寂しい思い出のイメージが大きかった。
でも……今日からは、花火を見れば笑顔になれそうだ。
それが、なんだか嬉しい。
「あ、そうだ」
ごそごそとバッグを開いて、その中から大事に大事に一枚の写真を取り出す。
そこにはあたしのことをすっごく見てるヒッキーと、いたずらが成功して楽しそうに笑うあたしが、それぞれすっごい近くで映ってる。
わ、我ながら恥ずかしいことしちゃったかなーって思うのに、恥ずかしいよりも嬉しいが勝っちゃうんだから、もうほんと、あたしは……ほんと……うん……。
「えと……こうして……こう、と。うんっ、よしっ」
シーで一緒に買ったフォトスタンドにきちんとはめ込むようにして、ベッドから降りるととてとてと歩いて、机の上に置く。
「………」
今日だけで、いっぱい近づけたって……本当にそう思う。
今日のあたしが、ヒッキーにとってどれだけ近寄れたのかは解らなくても、ああやって……寒いからって理由でも、手を繋いでくれたり……指切りのあとに繋いでくれるほど、近づいてはくれたってことで……いいんだよね?
「……うん、もっと頑張んなきゃだ」
命短し恋せよ乙女。
そんな自分にとっての大切な言葉を胸に、明日はどんなお話をしようかなって……早速ヒッキーに会いたくなっていた。
「うう……眠れる気がしない……。今日だって寝不足で、ヒッキーと一緒なのに寝ちゃったのにな……」
ドキドキがすごい。
そんなあたしのケータイが突然音を奏でると、不意打ちもいいところ。あたしはほやわー、ってヘンテコな声をあげちゃって、扉越しにママにぴしゃりと怒られた。
パパ、明日早出で寝てるからって。うん、これはあたしが悪い。
とにかくケータイで相手を調べてみると、小町ちゃんだった。
どうしたんだろ。なんかあったのかな。
「もしもし? 小町ちゃん?」
『あ、結衣さーん! やっはろーです!』
「あ、うん。やっはろー、小町ちゃん」
出てみれば、異常なくらいテンションの高い小町ちゃん。
なんかドタバタ聞こえて、小町ちゃんの声が……えと、揺れてる? 走ってるみたいな息遣いも聞こえる。
『いやー聞きましたよ結衣さん! なんと! なんとあの兄とシーにデートに行ったとか! んああ仰らないで! 詳しいことは先ほど兄から全部聞きましたから!』
「え……全部───全部!? え!?」
『小町が必死こいて問題に向き合ってる最中にまったくこの兄はラブラブイチャイチャしちゃってぇ! でも許します! 小町許します! あんな話を兄から聞いたなら、もう許しちゃうしかないでしょう!』
『やめて小町ちゃんマジやめて今回ばっかりは本当の本気でやめてお願いしますやめてくださいぃいっ!!』
『お兄ちゃんうっさい! 今小町が話してるでしょ!』
向こう側からドタバタ。
一緒にヒッキーの泣きそうな声まで聞こえてきて……え、ええと。なにがあったのかな。
『それでですね! 全部というのはそれはもう全部でして、兄がデート中に見た結衣さんについての感情を、それはも~~う熱く語ってくれちゃいまして! 気持ちをはっきりさせたいから相談に乗ってくれっていきなり言い出すもんですからなにかと思えば!』
『やめてぇえええっ!! マジやめてくれほんとやめてなんでもするから! 頼むお願いお願いします!!』
『なんでも?』
『なんでも!』
『絶対に?』
『絶対に!』
『じゃあやめるね。約束守ってよ?』
『お、おう…………はぁあ……!』
『ん、じゃあ一旦やめたから話すね? それでですね結衣さん』
『ちょ、小町ちゃん!? それやめたって言わな───』
『邪魔しないでお兄ちゃん。約束、守ってね?』
『───』
『それでですねー結衣さん! 今日の兄の結衣さんに対する反応がですねー!』
『いやぁああああ!! やめてぇ小町ぃいいいっ!!』
聞いてて悲しくなるくらい必死な声だった。
そんな声を無視して耳に届いた言葉は───……
「…………」
可愛かったって。
寝顔、可愛かったって。
コートに顔をうずめるあたしを受け止めて、心がすっごく穏やかになったって。
表情がころころ変わるあたしだけど、そんな変化を賑やかだ~とか面白いとか楽しいとか可愛らしいって思うことはあっても、綺麗って思ったのは初めてだった、って……。
気づけば笑顔を目で追っていたことに文字通り気づいたって。
もう一度、“待たないでこっちから行く”と言ってくれて嬉しかったって。
『と、いうわけで。現在兄が顔を真っ赤にしてリビングにひっくり返って悶えてます』
「あ、あはは……えと……小町ちゃん」
『はい、嘘とかじゃなくてマジです。かつてないほど真剣に相談があるーとか言うから真面目に聞いたら、ただの惚気話だったので発散しました。大体ですよ結衣さん。人が受験でいっぱいいっぱいっていうのに、こんな面白いことを小町抜きで……けほんけほん。えーっとあははー……結衣さん』
「う、うん。なにかな、小町ちゃん」
『兄のこと、よろしくお願いします。兄はこんなだから、人に対してこんなに真っ直ぐに感情を吐露することなんてありません。そんな兄が、小町に真剣に相談に乗ってほしいって言ってきました。強引な手段でしたけど……幸せになってほしい、小町にとっては自慢の兄です。ですから───』
「……ん。大丈夫だよ小町ちゃん。あたしも、もう足踏みなんてしたくないから。嘘でもいいのにって思ってた。でも、もう嘘じゃヤだから。だから───小町ちゃん。えと」
『……はい。これからも、よろしくお願いしますね、結衣さん。長いなが~い付き合いになったら嬉しいです』
「え? こ、小町ちゃ───!? それって───」
『それでは小町、ただいまやる気充実モードなのでこれで失礼しますね! こんな報告が昨日きてたなら、満点だって夢ではなかったに違いありません! ほらほらお兄ちゃん! さっさと次のデートに備えて準備とかするよ!』
『いっそ殺せぇえ……!』
通話はそこらでぷつんって切れた。
「………」
相手がヒッキーだから、マイペースにそれこそ“そのうち”程度にしか考えてないかと思ってた。
なのに内心はとっても喜んでくれてて、あたしは……由比ヶ浜結衣は。
「~~~……ぅ、ぁ……わーーーっ!! わっ、わぁっ! わぁあーーーっ!!」
クッションをむぎゅって抱きしめて、ポーンとジャンプしてベッドに沈んだ。
それからぱたぱたと足やら体やらを振ったり跳ねたり。
しばらくしてぴたりと止まると、もう頭の中はヒッキーだらけ。
ぽしょり。ヒッキーって呟くだけで、胸がとくんってなって、ドキドキが止まらなくなる。
ああ、これ、またきっと眠れない。
デートだからってドキドキして眠れなかった昨日と同じだ。
そ、そそそそだ! お風呂入ろう! 入って、さっぱりすればいろいろしゃきっとするかもだし!
そんでさ、お風呂あがる頃にはきっともう落ち着いてるんだ。
落ち着いたなら眠れる。眠って、元気になって、明日またヒッキーに会って、隣まで歩いて、やっはろ-って……!
「………やだな。もう……」
もう、会いたい。
もっと頑張りたくて、見てくれる時間が増えてほしくて、もどかしくて、苦しくて、それなのに顔はにやけっぱなしで。
「ヒッキーのこと、キモいとか言えないじゃん、こんなの」
呟きながらクッションをむぎゅーって抱いて、右手を目の前まで持ってくる。
じーっと見てると、顔がほにゃーって緩んできて……「……えへー♪《ぱたぱた》」……足が勝手にぱたぱた動く。
少しだけそんなことを繰り返したあと、ママに言われてからようやくお風呂のために立ち上がった。
「…………」
部屋を出る前。
机の上の写真のヒッキーを見て、なんとはなしに手をぱたぱたと振った。
いってきます。
すぐになにやってんだろって笑って、今度こそお風呂へ向かった。