論文の提出期限を週明けに控え石黒三成は執筆作業の追い込みに入っていた。その為に今日開かれた学会も参加していない。
むしろ今日の学会は獣症の治療についてではあるが、外科療法に関する内容だった。そのため参加したくない気持ちがあったのも事実だ。
研究データを確認しながら論文を書き進めていると不意に集中力が途切れた。最近、徹夜が続いたためか集中力の持続が悪いらしい。
時刻を確認した三成はカフェインを摂取すべきか頭を巡らせた。このまま作業を進めれば予定通り明日には書き上げられそうだ。
だがその思考を邪魔するように突然研究室のドアが開けられた。
「いしぐろー!」
勢いよくドアを開かせ現れた光秀は珍しくロングコートを着込んでいた。
見覚えのないコートだと思いながら三成は眼鏡を押し上げる。その間に光秀はドアを閉めて三成の元に近付いてきた。
「学会に行ってたんですよね。こんな時刻にどうしたんですか?」
「見ろこれ、カツラ」
赤らんだ顔の光秀は楽しげに持っていたカツラをかぶる。その行動の理由がわからない三成は眉をひそめた。
「酔ってるんですか? 珍しいですね。そこまで奇行に走るなんて」
「なんだ石黒、寂しかったのか?」
「会話が噛み合ってませんよ。もう帰りなさい」
「なんだよ、邪険にすんなよー」
「してませんよ。確かに邪魔ですけど」
光秀の楽しげな顔は最近見られなかったものだ。それを見ることができるのは、正直嫌ではない。けれどそれは論文製作を終えてからで良いと思っている。
そんな事を考えながら三成はため息を漏らした。
「とりあえず帰って酔いを……」
再び向けようとした忠告は突然の口付けに阻まれた。胸ぐらをつかまれた状態で口付けられた三成は目を丸めたまま固まる。
ややあって顔を離した光秀は悪すぎる笑みを浮かべていた。その顔を目の当たりにした三成は戦略的撤退を試みる。
「みっちゃん、逃げんなって」
しかし胸ぐらをつかむ手は放されずそのまま床に引き倒される。
床に倒された三成は自分の上に座る光秀を見上げた。
「あなたは邪魔をしに来たんですか」
「違ぇよばーか。みっちゃんに会いたかったんだって」
呼び方すら見失った光秀は悠然とコートを脱ぐ。しかし白衣を膝で押さえているため三成は逃げることもできなかった。
そうして光秀のコートの中身を見てめまいを感じる。
「なんですか、それ」
「知らねぇの? サンタクロース」
よくある白髭の老人男性が扮したサンタクロースなら三成も知っている。しかしジョークグッズと言われる女性用のサンタクロース衣装は存在も知らなかった。
「そんなミニスカートの……タイツまで履いてるんですか?」
「これが無いと寒いだろ?」
どや顔で答える光秀を、三成はうんざりと眺めた。そういうことは聞いていない。むしろなぜそこまでするのかと聞きたかった。
「……靴はどうしたんですか?」
「おー、途中で脱いだ。後で拾ってー、別所にコート返さねぇとなんだわ」
「では今すぐ靴を拾いに行きなさい」
「それはすることシてからの話な」
「は?」
三成の上に座ったまま、光秀は床に手をつき顔を近づけた。間近に見下ろされた三成はつい目が放せなくなる。
「おまえが足りねぇの」
「俺は…時間が足りません」
論文の締め切りは週明けの明後日だ。ここで酔っぱらいの相手をしている場合ではない。
そう訴えても、完全に酔った相手には通じるはずがなかった。
仕事の面では悪くない関係のはずだが、私情が入ると駄目になる。それは自分の弱さのせいだろうかと、三成はたまに考える。
研究室の奥で身なりを整えた三成は痛む腰に手を当てた。撫でさすりながら研究室を出ると施錠した後にシャワー室へ移動する。
冷たいシャワーで頭を冷やした後に時刻を確認すると既に朝方近くになっていた。
さらに誰もいない院内を歩き回り、どこかに落ちているだろう靴を探す。
勝手に楽しんだ酔っぱらいは研究室の奥で幸せな眠りについているだろう。だがそもそもあそこまで酔うのは珍しいと理性の片隅で考える。
やがて医大の玄関ロビーにヒールの靴を両方とも見つけた。
なるほどここから裸足で地下まで来たのかと、呆れながら考える。しかしあの酔っぱらいは何があってあんな奇行に至ったのかがわからない。
そしてそのわからないという部分が三成の思考の邪魔をする。
午前七時に起きてきた光秀は、頭を押さえながら奥から出てきた。
「なぁ、なんで俺あんなの着てたんだ? つーかすげー頭痛いんだけど」
三成が用意した服を着て現れた光秀の顔色は悪くない。しかしどうやら昨夜の事は覚えていないらしい。
そこまで認識した三成は、ため息を漏らしながら作業の手を止めた。
「俺が辞書で殴ったからです」
「女装した程度で殴んなよ」
「……あと、もうあなたとは絶交します。仕事の用件以外で俺に話しかけないでください」
「はっ!?」
この数時間のうちに出した結論を告げる。そして三成は再び論文の製作に戻った。しかし資料がひとつ足りないことに気付くとゆっくり立ち上がる。
情事の汚れは洗い流せても、その後に残る痛みは落とせない。おかげで立ったり座ったり程度の事で身体が悲鳴をあげるらしい。
それも鬱陶しく思いながら三成は資料室に引っ込んだ。