人の気配はない。
おそらく夏休み初日だから、みんな街に出て遊び呆けているんだろう。
見た目は典型的なワンルームマンションだ。四角いビルの壁一面に直線道路とズラリと並ぶドアが見える。鉄格子のような金属の手すりに『ミニスカ覗き見防止用』のプラ板が張ってないのは、ここが『男子寮』だからだろう。
学生寮の建物は縦に――奥へ延びるように作られていて、玄関や反対側のベランダは、道路から見て側面――つまりビルとビルの隙間にある。
“管理人室と呼ばれる物置”の横をすり抜けてエレベーターに乗る。工事の搬入用エレベーターより狭くて汚いのはご愛敬。
屋上を示す『R』のボタンが小さな鉄板で封印されているのは夜な夜なビルの屋上を飛んでやってくるロミオとジュリエット対策だ。
電子レンジみたいな音と共にエレベーターは七階に止まる。
開くドアを押しのけるように上条は通路に出た。七階という高さだがビル風はなく、隣のビルとの圧迫感もあるせいか余計に蒸し暑い気がした。
「ん?」
と、上条はようやく気付いた。直線的な道路の向こう、――自分の部屋のドアの前で、インデックスが座り込んでいるのに。彼女の少し前には赤い髪も見える。インデックスの体が小刻みに揺れているのを見ると、また行き倒れたのか?と呑気な考えが浮かんできた。
…………何となく、とてつもなく不幸な予感。
「……………………………………………………………………………………………………あー」
インデックスの影に隠れて神槍の姿は特徴的な赤髪しか見えないが、うつ伏せに倒れてるところを見ると、おなかをへらしたインデックスの八つ当たり(噛みつき)に遭ったんだろう。直に食らった上条と神槍にしか分からないあの激痛。あれは軽く気を失っても仕方ないと思う。
「……。なんていうか、不幸だ」
とか何とか言いながら、上条当麻は鏡を見れば自分の顔に驚いていただろう。彼の顔は誰がどう見ても笑っていた。
やはり心のどこかに引っ掻かっていたのだ。『魔術師(神槍は魔法使いと言っていたが)』という言葉は信じれなくても、怪しげな新興宗教の連中が一人の女の子を追いかけ回している、と解釈する事もできる。そしてその女の子を、まるで騎士サマのように守る事にした少年がいる、とも解釈できる。
それが何でもない。いつもの姿(?)で現れた事が嬉しかった。
そんな理屈を取っ払っても、もう一度再会できた事が純粋に嬉しかった。
上条は思い出す。たった二つの忘れもの。渡し損ねた純白のフードとやけにボロボロな茶色いローブ。その存在が、まるでおまじないのように見えてくるのが不思議だった。
「おい!こんな所でナニやってんだよ?」
声をかけて、走る。インデックスは本当にゆっくり振り返る。神槍はまだ気づかない。インデックスにはもう振り向く動作も強大なスタミナダメージになるらしい。神槍は相当深く噛みつかれたらしく、まだうつ伏せで突っ伏している。
上条当麻はそんな『二人らしい』仕草に笑みを噛み殺して、
二人が血だまりの中に沈んでいる事に、ようやく気付いた。
「……あ……?」
最初に感じたのは、むしろ驚きよりも戸惑いだった。
ぺたんと力無く座っているインデックスの陰になっていて見えなかったのだ。うつ伏せに倒れた神槍の背中――ほとんど腰に近い辺りが、真横に一閃されている。まるで定規とカッターナイフを使って段ボールへ一直線に切り込みを入れたような刃物の傷。肩ほどまで伸ばしてあるのを、一つに束ねられている赤髪をもっと赤く染めようと、傷口から溢れだす液体が服を染め上げていく。
こちらにゆっくり振り返ったインデックスの緑色の目は涙で赤くなっており、純白だった修道服には所々に赤黒い染みができている。
上条は一瞬、それを『人間の血液』と認識する事ができなかった。
ぁ……、と呆然とした様子でインデックスの口が小さく動いたのが見えた。
一瞬前と一瞬後。あまりにギャップがありすぎる現実が、思考を混乱させた。真っ赤な真っ赤な……ケチャップ?空腹で座りこむインデックスが最後の力を振り絞ってケチャップを吸って、何かの拍子に神槍にぶっ掛けたのかと、そんな微笑ましい絵を想像して上条は笑おうとする。
笑おうとしたけど、笑えない。
笑えるはずが、ない
としきが……、とやはり呆然とした様子で呟くインデックス。見ると、どうにか溢れだしている血を止めようと自分の修道服の一部を傷口に押さえつけているが、もはや修道服の元の色が分からないぐらい赤黒く変色してしまっている。
「な、…にが。何があったんだ!?くそっ!」
ようやく上条の目が現実にピントを合わせた。重傷の神槍に慌てて走り寄る。インデックスの隣に来ても、神槍は何も言わない。血の気を失って紫色になった唇は、呼吸しているかどうかさえ怪しいほどに動かなかった。
「くそっ、くそっ!!」混乱した上条は思わず叫んで、呆然と座り込んでいるインデックスに掴みかかるところだった。
「何だよ、一体なんだよこれは!?ふざけやがって、一体どこのどいつにやられたんだ、お前!!」
「うん?僕達『魔術師』だけど?」
だから――だからこそ、背後からかかった声は、神槍の声でもインデックスの声ではない。
殴りかかるように上条は体ごと振り返る。エレベーター……ではない。その横にある非常階段から、男はやってきたようだ。
白人の男性は二メートル近い長身だったが、顔は上条より幼そうに見えた。
歳は…………おそらくインデックスと同じ十四、五だろう。その高い身長は外国人特有のものだ。
服装は……教会の神父が着ているような、漆黒の修道服。ただしコイツを『神父さん』と呼ぶ人間は世界中を探しても一人として存在しないだろう。
相手が風上に立っているせいか、十五メートル以上離れた上条の鼻にも甘ったるい香水の匂いが漂ってくる。肩まである赤髪に、左右十本の指に指輪がメリケンサックのようにギラリと並び、耳には毒々しいピアス、ポケットから携帯電話のストラップが覗き、口の端では火のついた煙草が揺れて、極め付けには右目のまぶたの下にバーコードの形をした刺青が刻みこんである。
神槍と同じ赤髪だが、この男のはおそらく染めたのだろう。神槍の赤髪より遥かに不自然で、気味が悪い。
神父と呼ぶにも、不良と呼ぶにも奇妙な男。
通路に立つ男を中心とした、辺り一帯の空気は明らかに『異常』だった。
妙な感覚が凍りの触手のように辺り一帯に広がっている。体の中へ広がる氷の触手のような感覚に心臓は凍り、上条は思い至る。
“これが、魔術師”。
“ここは、魔術という違うモノが存在してしまう、一つの『異世界』と化していた”。
「うん?うんうんうん、これはまた随分とやっちゃって」口の端の煙草を揺らしながら魔術師はあちこち見渡す。
「神裂が突然現れた魔術師の少年を斬ったって話は聞いたけど……まぁ、血の跡がついてないから間違いかと思ってたんだけどね」
この男の言う事が全て正しいとすると、神槍はどこか別の場所で『斬られて』、インデックスに支えられながら命からがら逃げてきた所で力尽きた。途中、辺りにべったりと鮮血をなすりつけただろうが、それらは全て自動稼働の清掃ロボットが綺麗に拭い去ってしまったのだ。
「けど、何で……?」
「うん?ここまで戻って来た理由かな。さあね、忘れ物でもしたんじゃないのかな。そういえば今朝背中を撃った時点ではフードがあったけど、あれってどこで落としたんだろうね?」
煙草を揺らしながら、魔術師は今もペタンと座りこんでいるインデックスに視線を向けた。元々白かった修道服は、神槍の血で赤く染まっていた。インデックスは悔しそうに唇を噛み締めた。唇の端から血の筋がツゥーと垂れる。
上条は一歩真横に動き、インデックスを魔術師から見えないようにした。何故だかは分からないが、目の前の男を彼女に関わらせちゃダメな気がした。
それと同時に上条は考える。
彼女は――二人は一体何のためにここまで戻ってきた?破壊されて使えもしない『歩く教会』の一部をどうして回収する必要がある?上条の右手のせいでもう『歩く教会』そのものが使いものにならなくなったのなら、その一部(フード)を回収したって、何の意味もないのに……。
――――じゃあ、私と一緒に地獄の底までついてきてくれる?
――――良いぜ。地獄だろうが何だろうが、ついてってやるよ。お姫様?
不意に、全てが繋がった。
上条は思い出す。部屋に置き去りにした『歩く教会』の残骸(フード)、あれには触れていない。つまりフードには魔力が残っている。それを探知して魔術師がやってきてしまうかもしれないと、二人は考えた。
だから、二人はわざわざ危険を冒して『戻って来た』。
「……ばっかやろう」
そんな事する必要はないのに。『歩く教会』を壊したのは上条の不手際だし、部屋に忘れたフードにしたって上条は気づいていながらわざと部屋に放置した。そして何より――二人には、上条の人生を守りぬく義理も義務も権利だってありはしない筈なのに。
赤の他人に、出会って三〇分も経っていない上条当麻の事を。
命を懸けて、魔術師との戦いに巻き込まないように。
戻ってこなければ、気が済まなかった。
「――ばっかやろうが!!」
ピクリとも動かない神槍の背中とペタンと座り込んでいるインデックスの姿が、妙に癇に障った。
あの時、あの瞬間。キチンと二人に忘れものを返していれば。
「うん?うんうんうん?嫌だな、そんな目で見られても困るんだけどね」魔術師は口元の煙草を揺らし、
「そこで寝てる奴を斬ったのは僕じゃないし、神裂だって何も血まみれにするつもりなどなかったんじゃないかな。勝手にこっちの事情に割り込んできて、勝手に斬られちゃ世話ない。まぁ彼がどこ所属の魔術師かは知らないけど、相手があの神裂じゃしょうがないか」
「なんで、だよ?」思わず、答えを期待していないのに上条の口は動いていた。
「何でだよ。俺は魔術なんてメルヘン信じらんねえし魔術師(テメェら)みてえな生き物は理解できねえよ。それでもお前たちにも正義と悪ってモンがあるんだろ?守る物とか護る者とかあるんだろ……?」
そんな事、自分に言えた義理ではない事はよく分かっている。
神槍とは違い、上条当麻は去っていくインデックスをそのまま見捨てて日常へ帰ったんだから。
それでも、言わない訳にはいかなかった。
「こんな小さな女の子を、寄ってたかって追い回して。そんな女の子をたった一人で守ろうとした奴を血まみれにして。これだけの現実(リアル)を前に!テメェ、まだ自分の正義を語る事ができんのかよ!!」
「だから、血まみれにしたのは僕じゃなくて神裂なんだけどね」
なのに、魔術師は一言で断じた。微塵も欠片も、響いていなかった。
「もっとも、例え見知らぬ誰が死のうが生きようが、回収するものは回収するけどね」
「かい、しゅう?」
「うん?ああそうか、魔術師なんて言葉を知ってるから全部筒抜けだと思ってたけど。ソレは君を巻きこむのが怖かったみたいだね。それともそこで寝てる彼には教えてたのかな」
魔術師は煙草の煙を吐いて、
「そう、回収だよ回収。正確にはソレじゃなくて、ソレの持ってる一〇万三〇〇〇冊の魔道書だけどね」
…………また、『一〇万三〇〇〇冊の魔道書』だ。
「そうかそうか、この国は宗教観が薄いから分からないかもしれないね」魔術師は笑いながら、つまらなそうに、
「index-Librorum-Prohibitorum――この国では禁書目録って所かな。これは教会が『目を通しただけで魂まで汚れる』と指定した邪本悪書をズラリと並べたリストの事さ。危険な本が出回っていると伝令しても、タイトルが分からなければ知らず知らずの内に手に取ってしまうかもしれないからね。――かくして、ソレは一〇万三〇〇〇冊もの『悪い見本』を抱えた、毒書の
るっぼと化した訳だ。ああ、注意したまえ。ソレが持ってる本ね、宗教観が薄いこの国の住人なら、一冊でも目を通さば廃人コース確定だから」
そんな事を言ったって、後ろを見てもインデックスは一冊の本も持っていない。
上条はもう一度魔術師を睨みつけて、
「ふ、ざけんな!そんなもん、一体どこにあるって言うんだ!?」
「あるさ。それの記憶(あたま)の中に」
サラリと。魔術師は当然のように答えた。
「完全記憶能力、って言葉は知ってるかな?何でも『一度見たものを一瞬で覚えて、一字一句を永遠に記憶し続ける能力』だそうだよ。簡単に言えば人間スキャナだね。これは僕たちみたいな魔術でも君たちみたいな超能力でもなく、単なる体質らしいけど。彼女の頭はね、大英博物館、ルーブル美術館、バチカン図書館などなどなど……。これら世界各地に封印され持ち出す事のできない『魔道書』を、“その目で盗み出し”保管している『魔道書図書館』って訳なのさ」
信じられる、はずがない。
だけど、重要なのはそれが『正しい』かどうかじゃない。こうして目の前に、実際にそれを正しいと信じて少年の背中を斬り刻んだ人間がいる事だ。
「ま、ソレ自身は魔力を練る力がないから無害なんだけど。そんな安全装置(ストッパー)を用意する辺り、『教会』にも色々考えがあるんだろうね。まぁ魔術師の僕には関係ないけど。とにかくその一〇万三〇〇〇冊は少々危険な代物なんだ。だから、“使える連中”に連れ去られる前にこうして僕たちが保護しにやってきた、って訳さ。そう、丁度そこで寝てる彼みたいな連中の前にね」
「ほ……ご?」
上条は愕然とした。これだけ真っ赤な光景を前に、この男は今なんて言った?
「そうだよ、そうさ。保護だよ保護。ソレにいくら良識と良心があったって拷問と薬物には耐えられないだろうしね。そんな連中に女の子の体を預けるなんて考えたら心が痛むだろう?ああそうだそうだ、そこで寝てる彼も渡してもらおうか。一応、どこ所属の魔術師か調べたいしね」
「…………」
カチカチと。体のどこかが震えていた。
それは単純な怒りではない。現に上条の腕には鳥肌が立っている。
そんな根拠も理論もない『盲信』のために人間狩りをする魔術師に頭の神経がブチ切れて、
「て――メェ、何様だ!!」
上条当麻は拳を握る。
相手が魔術師だろうがペテン師だろうが関係ない。何の罪もない少女と、その少女を命賭けで守った少年を馬鹿にする『存在』が、何よりも許せなかった。
今ここに、幻想殺しの少年と、強者の名を冠する炎の魔術師の
上条vsステイルの戦闘描写を全て飛ばそうと考えていますが、どうでしょうか?
主人公が行動不能状態なので、どうしてもオリ要素が出しにくく、原作のまんまになりそうなので。