狼と少女の物語   作:くらいさおら

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第12話

 朝、馬車は走り出し、クリプトとアービィが御者台で、レイとルティ、ティアは馬車の中で、のんびりとしたひと時を過ごしていた。

 昨夜の野営地から王都エーンベアまでは、歩けば四日ほど掛かるが、馬車では後二日の行程だ。

 今夜は、エクゼスと王都の間にある小さな村、アールスタで一泊することになっている。

 

「今夜は~、お風呂~」

 レイからこの村には温泉があると聞き、アービィが村に風呂文化を伝えて以来すっかり風呂の虜になっていたルティは、それを楽しみにしている。

 

 

 真っ昼間から襲撃してくるような野盗や魔物はおらず、それぞれは流れる景色を眺めていた。

 夕暮れが迫る頃、アールスタの村に到着した一行は、程々の格式を持つ宿屋に並びの部屋を取った。

 アービィとクリプト、レイとルティ、ティアが同室になったが、ここでもクリプトがルティに、交代しましょうか、と一言付け加えることを忘れなかった。

 

 落ち着いた雰囲気の食堂で上品な食事を楽しんだ後、それぞれは宿自慢の大浴場に出向いた。

 ティアもエサ探しの旅をする最中に風呂に入った経験はあるが、過度に暑かったり寒かったりする環境が苦手な性質のためか、あまり長く入っていることはできない。

 それでも身体を適度に冷ましながら、場がしらけない程度に二人に付き合っていた。

 

 女性陣と男性陣が大浴場から同時に出てきて、入り口で行き合う。

 部屋に戻るまでの廊下で、反則よ、まだ十五じゃないの、これからまだ、という、虚ろな目をしたルティから漏れるうわ言のような呟きは、アービィとクリプトは聞かなかったことにした。

 

 

 部屋に戻ったあとアービィは、クリプトに疑問に思っていたことを聞く。

 なぜ、従者がクリプト一人なのか。

 高貴な家の、跡取りではないにしろ、娘が、従者一人連れただけでうろうろしていて大丈夫なのかということだ。

 

 いくらクリプトの戦闘力が人間離れしているとはいえ、数に頼んで押し寄せれば全てを防げるはずはない。

 人手を集めても、伯爵家の娘であれば身代金にしろ、売り払うにしろ、大概は元が取れる。

 

 外に出るなら、伯爵家の私兵に護衛させれば、ギルドに依頼するより圧倒的に安上がりではないか。

 それに、ギルドは仕事の仲介をするだけで、人物まで保障しているわけではない。

 今回アービィたちが護衛に付いたが、冒険者の中には荒っぽい者やならず者もたくさんいる。

 護衛が略奪者に早変わりしないとも限らないのだ。

 私兵であれば伯爵家に忠誠を誓っているのだから、まず安心して任せられるはずだ。

 クリプトは、少し考え答える。

 

「お嬢様は、様々な方とお話をしたいとのお考えです。限られた身内や、関わりを持つものだけでは、世界を知ることはできないとお考えのようです。傅かれるだけでは、思い上がり、尊大なだけの人間になってしまう。それはお嫌なのでしょう。ま、ストラーの貴族どもを見てしまっては、そう思うのも仕方ございませんが。もっとも、それを見て、貴族とはこうあるべきと勘違いなされている方も、多々いらっしゃるようですが」

 そう言いながら、クリプトの表情に苦いものが混じる。

 おそらく、大方の貴族や、レイの兄妹を思い浮かべたのだろう。

 常日頃、兄妹は、貴族らしく振舞えと言っては、人を顎で使い、レイにもそれを強要してくるのだ。

 

「そのような人間を見てしまって、これではいかんとお考えになったようです。それから様々な方とお話をすることによって、自らを省みられるというのも大きな理由ですな。護衛の者の人物ですが、それはわたくしにも、お嬢様にも、多少は人を見る目というものはございます。それでも、万一の場合は……」

 そこまで言って、クリプトはにやりと笑みを浮かべ、わたくしも居りますれば、と言いながら懐から鋼線を引き出す。

 背筋に冷たいものを感じながらも、じゃあ僕たちはクリプトさんやレイさんの御眼鏡に適ったんですね、とアービィは言った。

 にっこりと笑って首肯するクリプトと、柔軟な考え方を持つレイに対して、アービィは尊敬にも似た感慨を抱いていた。

 アービィの想いとは別にクリプトは、将来の手駒を探す目的もありますが、と声に出さず呟いた。

 

 村を出れば王都までは、ほぼ一日で到着できる。

 初めての王都に、期待感が膨らむアービィだった。

 朝食に降りてきたルティの目が腫れぼったいことは、とりあえず気にしないでおく。クリプトさんも見ないようにしてるもんなぁ…

 

 

 レイは、相変わらず気さくに給仕の少女に声をかけ、暮らし向きや村の景気、治安や不満等、庶民の声を聞こうとしている。

 それなりに質素で飾らない格好だが、布地の質の良さは見れば解るし、何よりも洗練されたレイの物腰で、貴族であることは一目瞭然だ。

 

 声を掛けられた少女は、緊張でガチガチになってしまい、最初は何か粗相でもあったのかと怯えていた。

 宿の主人は、さすがにガチガチになることはなかったが、次の給仕の募集を掛けることを考えざるを得なかった。

 

 この大陸で貴族を怒らせるなどということは、即、死に繋がる。

 下手をすればその場で手打ちのうえ、近親者にも何らかのとばっちりが出る。

 

 重罪者でもない限り一族郎党を根絶やしにすることはできないが、貴族の機嫌を損ねた平民の近親者が後々どのような目に遭わされるかは、想像に難くない。

 住んでいる場所を逃げ出して流民に身を落とすか、一生嫌がらせを続けられるか。年頃の女性であれば、淫らな代償を取り立てられることも多い。

 

「ごめんなさい、そんなつもりで声を掛けたわけじゃないの」

 済まなそうにレイが頭を下げる。

 ここでもルティとティアが示したものと同じ反応が見られ、全員が苦笑いする。

 

「レイってさ、それ見たくてしてるの? 貴女も気にしなくて大丈夫よ。この人は、そんな酷い人じゃないわ」

 ここまで一緒にいてレイの人となりを見て、個人や信頼する人を侮辱でもしない限り、耳の痛いことにも素直に耳を傾ける人物であると理解したルティが助け船をだす。

 

「バイアブランカ様のご威光で、この村は、みにゃ、安定した暮らしでごじゃいまちゅ」

 噛んだ。

 少女は顔を真っ赤にしている。

 そうね、直轄領だもんね、と言いながら、噛んだことは聞き流し、レイは考える。

 

 やはり、貴族然とした格好ではダメだ。

 自分からどんな話が流れるかを、この可愛らしい娘は怖れている。

 今ここで手打ちにしなくとも、あとで少女の痕跡すら残さず消すことは、バイアブランカ王家には簡単なことだ。

 

 もっとも、讒言など、バイアブランカ王が嫌う最たるものであるが、下級貴族や役人にまでそれが浸透しているわけではない。

 少女の怖れは、血肉に溶け込んだものだ。

 

 しかし、もし、少女の正直な意見をバイアブランカ王が聞いたなら、顔をしかめつつも喜ぶだろう。

 彼の賢王は、レイと理想と同じくしている。

 先王の意向で王家の子供たちは、幼児期を過ぎてから数年の間、下級貴族や騎士の家に放り出され、金銭的にも厳しい育ちをしてきた。

 もちろん、王家に対する敬意と礼儀も叩き込まれるが、それは王家の人間としてではなく、仕える身としての敬意と礼儀だ。

 その教育を通して、自らの立場を自覚させ、その敬意を受けるに足る人物となるべく、厳しく育てられてきた。

 特に王位継承権の高い者ほど、庶民に近い暮らしを経験させられた。

 税の意義を始めとして、国を成り立たせるために平民に忍従させていることを、肌で感じさせてきた。

 

 しかし、王家の意向とは別に、旧来の、貴族とは平民を従わせるべき、と考え続ける者も多い。

 中には強力なリーダーシップを以て、民をひとつに纏め良好な関係を維持するレヴァイストル・シンピナートゥス・ヴァン・ボルビデュス伯爵のような賢者もいるが、ほとんどは武力と権力にものを云わせ、領民を虐げる者ばかりだ。

 

 レイは兄に、妹に、愚者の誹りを受けて欲しくはない。

 が、彼らは父の溺愛の結果、鼻持ちならない貴族に育ってしまった。

 領民を愛し、家族を愛する父が、なぜそう育ててしまったのか、レイには理解できない。

 おそらくは、直轄領以外でインダミト一の税収を挙げ、領民と良好な信頼関係を結んでいるボルビデュス家の子息であるにも拘らず、経営する領地では苛烈な税の取り立てで、本家や他の諸侯領地に対抗しようとしている。

 

 これを恥と言わず、なんと言おうか。

 レイは、給仕の少女が言葉を噛んだ恥ずかしさから顔を赤くする以上に、恥ずかしいことだと思っていた。

 ビースマックの公爵家に嫁いだ姉様はどうお考えなのかしら……

 

 これ以上詮索しては、王宮のスパイと勘違いされてしまう。

 レイは後ろ髪を引かれながらも、給仕の少女を解放した。

 

 

 各自が旅装を整え、クリプトが手早く馬車を宿の玄関に回す。

 

「たまには……、ティア殿、御者台にお座りになりませぬか?馬の扱いを覚えておいて、損はございませぬぞ」

 腫れぼったい目でこの世の全てを恨むような表情だったルティの顔が、一気に晴れやかなものに変わる。

 いや、昨日と同じで結構です、言おうとしたアービィに、黙れ、と言わんばかりの全員の視線が突き刺さり、アービィは素直に馬車に潜り込んだ。

 

 

 馬車の中ではレイによる尋問が暫く続き、人狼であること以外を二人は話した。

 ティアはフュリアの街で知り合ったことにしている。

 

「悪いこと聞いちゃったわね、ごめんなさい……」

 レイがアービィに頭を下げた。

 

「じゃあ、アービィはご両親を探すために?」

 曖昧に頷く二人に、これ以上の詮索は配慮がないと判断したレイは話題を変える。

 

「その痣って見せてもらっても良いかしら?」

 レイは、昨夜のガールズトークの中で話題に出た、アービィの背中にあるという痣が気になっていた。

 これまで痣を見せた相手は、ルティと両親、川遊びをするような友達だけだった。アービィとしては、誰かに積極的に見せびらかすつもりはないし、恥と思っていないので痣がうあることは隠すつもりもない。人前で服を無闇に脱がない、というだけのことだ。

 実際、昨夜の風呂では、クリプトにも見られている。

 

 いいよ、と気軽に答え、アービィは上半身裸になり、背中を見せる。

 発達した筋肉の上に、見たことのない文字のような形の痣が浮いていた。

 

「へ~。なんか、痣じゃないみたいね……。まるで入れ墨のような……刻印のような……。痣にしては形がはっきりしすぎかも。なんか、知らない魔法で刻んだみたいね。ご両親に関わる手掛かりなのかもよ?」

 なんか昔見たことがあったような気がするわね、と心の中で考えるが、はっきりとは思い出せない。

 

 クリプトは、十年ほど前に見た『十代後半から二十代前半の身体のどこかに文字のような痣を持つ男』を探すお触書を思い出していた。

 しかし、馬車に揺られる背中に『文字のような痣を持つ男』は、どう見てもまだ十代だ。

 お触書の男とは、年代が合わない。

 まさか、な、と呟き、思考を馬車の操作に戻す。

 

 陽が傾く頃、王都の堅牢な城壁が視界に入ってきた。

 まだこの時間では、王都を出てくる旅人も多数いた。

 その中に、ロングコートを着込み、フードを目深に被った男がいた。

 

 馬車とすれ違った男は振り返り、馬車を見送る。

 しばらくその場に立っていたが、「狼に、蛇か」と呟き、今出てきたばかりの王都の門に向かって歩き出した。


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