狼と少女の物語   作:くらいさおら

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第30話

 ツェレンドルフへと向かう三人は、途中にある村や町でもヒドラ殺しの英雄として迎えられた。

 どの村や町でも対ヒドラの戦術を聞かれているだけでなく、必ずと言っていいほど、その周辺の魔獣討伐も依頼されていた。

 

 それだけなら剣や呪文の修練になるからまだいいのだが、討伐の後には村や町の有力者からの懐柔工作が待っていた。

 有力者としては、アービィという英雄を配下に入れ、他に対しての優位を確保できれば、発言力の強化に繋がる。

 

 美男美女が所構わずつきまとったり、若者を貴族並に扱おうとする大人たちに、アービィたちは辟易としていた。

 そして、ティアがつきまとう男連中をエサとして喰わないように、それを制止するのも面倒の元だった。

 逃げるようにして集落を後にすることばかりの三人は、ツェレンドルフまでの残りの行程を野営で過ごすと決意していた。

 

 

 既に季節は初夏を過ぎたと言っていい。

 山岳地帯にしては珍しく蒸し暑い寝苦しい夜だった。

 野営地をそっと離れたアービィは、近くの川原へ行き獣化する。

 

 そのまま川に入り、水浴びを始める。

 瀬を流れに逆らい這い蹲るようにして遡ったり、淵を犬掻きで泳いだり、水を堪能していた。

 

 しばらくすると、質量のあるものが淵に飛び込む音がした。

 何事かとそっと近寄ると、獣化したティアが水と戯れている。

 

「あら~、アービィも水浴び~?」

 ラミアは暑いの苦手だから~、と間延びしたようにティアが言う。

 

――ティアっ、な・な・な・な・んて格好でっ!!――

 狼の状態では声帯こそあれ、舌は人語を喋る造りではない。

 そのため、念話でコミュニケーションを取るのだが、あまりの状況につい唸り声まで出てしまっている。

 

「ん~? 別に~普通の格好よ~、ラミアの~」

 首を傾げ不思議そうに聞き返すティア。

 

 ラミアは、上半身は人間、臍の辺りから下は蛇だ。

 そして、『普通』なにも身に纏っていない。

 当たり前のことなので、ティアはこの状態に、羞恥心など欠片も持ち合わせていない。

 

 初めて出逢ったときと同じなのだが、あのときは戦闘の緊張感から、そのようなことを考える余裕は、アービィにはなかった。

 落ち着いた状況でいざ対面してしまうと、目のやり場に困るどころではない。

 

「あ~、もしかして~、これ~?」

 ティアがこれ見よがしに両方の胸の隆起を両の手で揺らし、アービィに見せつける。

 

――ティア、なに考えて……――

 狼狽えるアービィだが、目が釘付けになってしまう。

 それに自分で気が付き、次には目が泳ぎまくっている。

 

「でもさ~? やっぱりアービィは~、ルティの方が~、見たいんでしょ~?」

 面白くなったティアが、さらにからかう。

 

――そんなアービィに、素晴らしいお知らせですっ!!――

 急にティアが念話に切り替える。

 

――?――

 何となく不穏な気配をアービィは感じていた。

 

――間もなく……、ルティも水浴びにやってきま~す!!――

 

――!!――

 

 まずい。それはあまりにも拙すぎる。

 この状況は、盛大に誤解されかねない。

 いや、間違いなく豪快に誤解される。

 

――僕、野営地に戻ってるねっ!!――

 慌てて川から上がり、獣化を解いて服を着る。

 ルティに行き合わないようにと、繁みを潜って野営地に戻ろうとしたとき、すぐ側から声が聞こえた。

 

「あ~、ティア、獣化してちゃダメじゃない~!!」

 直後に響く柔らかいものが水に飛び込む音。

 

 

 アービィは、人狼とはいえ健全な『男』だ。

 脚が止まり、繁みの中からそっと覗く。

 

 

 月に照らされたルティの裸体は、息を飲むほどの美しさだった。

 

 剣技で鍛えられた、贅肉のないスレンダーだが、程良く脂肪層に包まれた柔らかな肢体。

 ルティ本人はコンプレックスを持っているが、形の良い胸の隆起。

 それを際立たせる腰の括れと、その下に続くふたつの隆起。

 

 前を見れば……

 無防備にティアと水を掛け合うルティの……

 

 心臓が早鐘を打ち、頭に血が上ったと感じた瞬間。

 

 

 繁みの木の枝をへし折る音が周囲に響いた。

 

 

 突然の音に、反射的に胸を隠してしゃがみ込んだルティと、開けっ広げなまま尻尾を振るティアが見たものは――

 

 

 いかにも、偶然だよっ!! と言いたげにそっぽを向きつつ、切れ長の目だけはこちらを見ながら、後足で首元を掻く巨狼だった。

 

 直後、羞恥と怒りに震えた少女の罵声が、闇を引き裂いた。

 

 

 翌朝、目を真っ赤にしたまま正座するアービィの横で、レーションを掻き込むルティは、憤懣やるかたない、といった状態だ。が?

 

 ――なんでティアがいるのよっ! そうじゃなければ……えへ……へへへへ………へへ……――

 

「ちょっと、ルティっ!! またどこ行ってるの!?」

 ティアの声に我に帰ったルティは、無意識に垂れた涎をそっと拭っていた。

 

 

 ギーセンハイムの町に着いたとき、三人は不穏な空気を察知した。

 今までのような、ついでの討伐を望む声ではなく、ヒドラに匹敵する脅威をようやく排除できるという、期待に満ち満ちた声。

 既に町に入る時点で下にも置かない待遇だった。

 宿は最上級の部屋が「二部屋」用意され、貴族の晩餐会に出てもおかしくない料理が並べられている。

 当初安宿を探しつつギルドへ行った三人を、半ば拉致するように連れ去った壮年の夫婦は、声を潜め困難な依頼を口にした。

 

 

 ギーセンハイムから半日の行程にある夫婦が所有する別荘に、見たものを石にする化け物が住み着いたのは、10年前のことだった。

 

「それを退治するのですか?」

 ルティの問いに、二人は首を横に振る。

 

「いえ、……いや、はい」

 言いよどむ妻を遮り夫が話し始めた。

 

「退治するのは屋敷に火を掛ければ容易いと思いますが、いえ、屋敷が惜しいのではなく、なぜ化け物がそこに住み着いたか、聞いて欲しいのです。その上で退治していただきたい。そして化け物の言葉を、一言一句違えずに私たちに伝えて欲しい。今はこれ以上のことは申せませんが、ヒドラ殺しのあなた方でなければ、お願いできないことなのです」

 まるで主人の鞭に脅える奴隷のように、床に頭を擦り付ける夫婦。

 ここへ案内され、初めて対面したときに見えた気品や優雅さは、一切見られなくなっていた。

 

 確かにギルドにはその依頼があったが、それは町長名義の依頼で、問答無用の討伐だった。

 なぜ、態々困難な依頼にすり替えるのか。

 裏があるのは間違いないが、夫婦の必死さには悪意を感じない。

 

「明日別荘に様子を見に行ってきます、その上でどうやるか考えますね」

 ルティがとりあえず、そう言ってその場を取り繕った。

 

 

 普通に考えればまるで納得できない依頼だが、あまりにも必死な夫婦に拝み倒された形の三人は、できるできないは別にして依頼を請けた。

 寝る前に作戦を打ち合わせるため、ツインベッドの部屋に集まった。

 打ち合わせという名の酒盛りが終わった後、自然に部屋を出ていったアービィの後ろ姿とティアを交互に見るルティの視線が殺気立っていたことは、ティアは気付かなかったことにしておきたかった。

 

 翌日、夫婦の別荘までやってきた三人は、人の半身が映り込むほどの鏡を持ってきていた。

 直に視線を合わせては危険なので、『透過』したティアがこれを持ち、アービィとルティがそれを見ながら屋敷内を進んでいく。

 突然少女の高笑いが屋敷に木霊した。

 

「なにやってんのよ。面白すぎ、あなたたち」

 ベールを被った、絶世の美少女と言って差し支えない、抜けるような白い肌と碧眼を持った、16、7歳くらいの少女がこちらを指さし笑い転げている。

 

「ごめんなさいね、笑ったりして。鏡を抱えてるのはラミアかしら?」

 

「何で解るの?」

 実体化したティアが聞く。

 

「この子たちがね。脅えちゃってるのよ」

 ベールを取ると、そこには髪の代わりに無数の毒蛇たちが、目を伏せるようにして震えていた。

 

「可愛い~!! 怖くないよ~」

 ティアがこれ以上ないほど、目尻を下げて蛇たちを宥める。

 

 

「戦う雰囲気じゃないわね。依頼にもあるから、少しお話しましょうか?」

 蛇が少々苦手なルティが、声を震わせながら言った。

 

 蛇とは謂え、魔獣の一部である以上、かなりの魔属性を持っている。

 その本能が、最初はティアに怖れを抱き、次いでティアの態度を見て完全に服従していた。

 

 アービィが来訪の理由を話し、壮年の夫婦がなぜ魔獣の言葉を聞きたがるのかを問うた。

 まず、敵意のないことを蛇の髪を持つ魔獣は言い、そして長い説明を始めた。

 

 

 石にしてやろうと思わなければ、ならないわよ。

 見たものすべて石にしちゃってたら、食事も取れないでしょ?

 安心してこっちを見て。

 

 私の名前はメデューサ。

 見ての通り、元は北の民よ。

 家名は無いわ。

 13のとき、無理矢理連れてこられて娼婦にさせられたの。

 

 あのお二人に退治を依頼されたの?

 いいの、私は気にしてないわ。

 

 あのお二人から娘さんを奪っちゃったのは、私の自業自得だからねぇ。

 実は、娘さんが私の恋人に横恋慕しちゃったのよ。

 

 彼は女に対して優しすぎるというか、分け隔てないというか、そのときの気持ちに正直でね。

 そんなところに私も、彼女も惹かれたんだけどねぇ。

 

 だけど、まだ彼女は当時15。

 恋の駆け引きを楽しむ余裕かなんかなかったのよ。

 私も16の小娘だったけどね。

 

 敵意剥き出しで私に突っかかってきた彼女に、私も敵意剥き出しだったからねぇ。

 結局、彼は私を選んでくれたんだけど、彼女から見れば私がかっさらっていたように見えたのかな。

 

 んで、よせばいいのに、私は彼女を散々罵倒して貶めて、馬鹿にしたわ。

 馬鹿は私だけど。

 そりゃぁ悔しかったでしょうよ、娼婦に、それも北の民に負けて馬鹿にされたんだもの。

 

 以前、私が彼に北の妖呪の話をしたことを、彼が彼女に話したことがあったらしいのよ。

 どこでどう調べたか、彼女が私にそのゴルーゴーンの妖呪を掛けてね、私はこうなったわけ。

 それで終われば良かったんだけど、彼女、実はすごくいい子だったのよね。

 

 私がこうなっちゃったの見て…まさか本当にそうなるとは思わなかったんじゃないかな……

 自殺しちゃった……の……

 遺書にはごめんなさいってあったわ。

 謝るのはこっち。自業自得なのにね。

 

 あのお二人は、化け物にされてすぐの頃から私をここに匿ってくれてるんだけど、やっぱり化け物の噂が広まっちゃってね。

 討伐に来た冒険者を何人か石にしちゃったの。

 

 『全解』の呪文で解石はできるんだけど、これが妖呪のいやらしいところでさ、私が解石しないとダメなのよ。

 私はもう元に戻れないの。

 妖呪を掛けた本人がいないからね。

 

 そう言えば、討伐じゃなくて退治って言ったって?

 多分、あの二人は退治したことにして、逃がそうとしてくれてるんだなぁ。

 

 彼?

 そこに立ってるわ。

 

 

 部屋の隅には、前屈みで両腕を突き出し、その両手は何かを握ろうとしているか、揉みしだこうとしているような指の形を取った、驚愕している表情を刻み込んだ男の石像があった。

 

 

 いきなり乳揉もうとしたのよ。

 びっくりして思わず睨んじゃったら……こう……ね……

 

 メデューサにつられ、ルティとティアは思わず額に指を当てた。

 アービィは、同じポーズを取る三人と、男の石像を困惑した視線で交互に見比べていた。

 

 

「作戦は全部変更するね」

 アービィが、ルティとティアに手短に指示を出す。

 

 ルティが絨毯やカーテン等の、燃え易い物を片付ける。

 ティアは、ラミアのティアラをメデューサに付けさせ、人化させる。

 

 ラミアのティアラは、それ自体に魔力があり、ラミア自身の魔力と共鳴して強力な妖術発動のトリガーになっている。

 他の蛇属性の魔獣であっても、装着すれば『変身』や『催眠』程度の低位のラミアの妖術を使えるようになる。

 人化した時点でティアラを外し、当面はそれで固定することにした。

 

 

 その間にアービィは猪を狩ってくる。

 肉は美味しくいただいた後、屋敷の一室で猪の頭を潰し、内蔵をぶちまけ『大炎』で焼き尽くす。

 屋敷の一部が焼けてしまうが、それはご勘弁願うことにした。

 

 

 メデューサを連れて戻ると無用の混乱を招きかねないので、一時的に隣村に匿った。

 北の民を連れた若い三人連れは、小さな村ではかなり目立ったが、北の民を奴隷として飼うことはさして珍しいことではなく、好奇の目で見られるに留まった。

 

 10年前に突然消えた隣町の娼婦のことなど覚えている者は皆無であり、当面はアービィたちが買った奴隷と言うことで押し通すことにした。

 

 一度ギーセンハイムに行き、夫婦を連れて村に戻る。

 互いに害意を持っていないことは明白だったので、宿屋の一室で三人を対面させることにした。

 メデューサと夫婦を残し、三人は部屋を出た。

 

「悲しいね、妖呪って」

 ルティがポツリと呟き、三人は黙りこくっていた。

 

 

 夫婦は、これ以上メデューサを匿っていると多くの冒険者を呼び込むことになり、その身の安全を確保できないことが不安だった。

 北の民への偏見がないということはないのだが、嫌悪しているわけではなかった。

 誘拐され、娼婦に堕とされたという境遇に、憐憫の情すら抱いていた。

 

 娘が命を絶つ原因となってはいるものの、それは娘の自業自得でメデューサに全てを被せようとは思えない。

 娘の仕出かした愚かな行為の償いを、どんな形でしていいか解らず、せめてもの思いで匿っていたということだった。

 

 メデューサは自らの愚かさが娘の命を絶つことになり、後を追うつもりでいたのだが、石化させてしまった冒険者と恋人を元に戻すまでは死ぬわけにいかないと思っていた。

 火の精霊と契約できれば、いつかは『全解』を使えるようになるのだが、そこまで蛇の髪のままで行くこともできない。

 ベールを被っていたとしても、どこで何が起こるかわからないのだ。

 

 両者がどうすればいいか解らないまま、無為に月日だけが過ぎていたところへ、アービィたちが来た。

 ヒドラ殺しの実力を持つ冒険者たちであれば、メデューサを無傷で、最悪殺すことなく、確保または逃すことができるのではと、藁にも縋る思いで依頼したということだった。

 

 ティアが貸したラミアのティアラの力で人の姿になることができたメデューサは、火の神殿へ行くと申し出た。

 そして呪文を習得し、石化を解いた後は娘の後を追うと言った。

 

 夫婦は、メデューサが火の神殿行きには諸手を挙げて賛成したが、死を選ぶことにだけは頑として同意しない。

 石化を解いた後は、治癒師として人々の役に立ってみるというのはどうか、と提案している。

 さらには、養女として家に迎えたい、とも。

 それぞれの主張が平行線を辿り、このままではいつまでも決着がつかないと思ったメデューサと夫婦は、三人を部屋に呼び込んだ。

 

「メデューサさんには、ご夫妻の言うことを聞いてほしいわ。娘さんを失った上、あなたまで失ってしまったら、ご夫妻の後悔はどれほどのことか。そこを良く考えてほしいのよ」

 ルティが、あたしが口を挟んでいいかは解りませんが、と言ってから話し出した。

 

「火の白魔法だけじゃなく、水の白魔法も覚えてさ、本格的な治癒師を目指してもいいんじゃない? あたしたちはこの後ストラーに行くつもりなんだけど、インダミトを通っていってもいいし、そのあとラシアス経由で、ストラーを目指すのもたいした遠回りじゃないわ。一緒に行かない? ラシアスからあなたはビースマックに戻ればいいし、ね?」

 ティアが続けた。

 

 10年の月日を独りで過ごしてきたメデューサには、仲間ができるということに何より心引かれるものがあった。

 夫婦の心遣いは嬉しかったが、北の民を養女にすることへの風当たりの強さや、いつまでも甘え続けるわけにはいかないと考えて死を選ぶつもりでいたが、ルティに諭され少し考え方が変わってきた。

 夫婦も、自分たちが後悔するから死を選ぶな、という言い方はあまりに自分勝手に思えたので、その言葉を言えなかったのだ。

 しばらく考えた後、ティアの提案に乗ることにした。

 

「お世話になります」

 床に降り、正座の姿勢を取ったメデューサは、夫婦とアービィたちに頭を下げた。


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