シュットガルドにアービィたちが到着した翌朝、ベルテロイの駐在武官官舎の一室でインダミト第二王子パシュースは、それぞれの国から派遣された王族武官と相対していた。
「今回の後始末だが、首謀者は国家反逆罪だ。これを縛り首ということは、やむを得ん。甘い処置は次を招くだけだ。だが、一族郎党皆殺しは拙い。王族に手を出していないし、国民を虐殺しようとしたわけでもないからな。せいぜい追放刑だろう」
パシュースがビースマック第二王子フィランサスと、ストラー第三王女アルテルナンテを見ながら言う。
「そうだろうな。特にアルテの方は難しかろう。直接王家に弓引いたわけでもないし、ある意味ストラーの立場を上げるための行動だ。庇う気はないがな」
ラシアス第三王子ヘテランテラが続けた。
フィランサスは、当初皆殺しにする気でいた。
下手に残して逆恨みされてもつまらない。王家に直接弓引く真似はしていないが、国の柱石たる宰相を始め閣僚を殺害しようとしているのだ。
充分すぎるほど国家反逆罪だ。それも一族郎党皆殺しでも足りないほどの。
だが、計画に関っていたのは、これまでのところどう調べても家長一人ずつだった。
家族は全く知っている気配がない。計画の漏洩を恐れてのことだろうが、杜撰な割にはそこだけはしっかりしていた。
その状態で下手に一族郎党皆殺しというのは、多少気が引けた。いつまでもそのやり方で良いのかということも、気が引けている原因だ。
かと言って追放刑で逆恨みされても敵わない。
フィランサスもアルテルナンテも処遇には頭を悩ませていた。
特に国内において全く騒ぎにもなっていないストラーでは、リトバテス公爵以下のグループを死罪にするには少々強引過ぎると取られかねない。
「そこでどうだ、先日引き合わせたルム殿にくっ付けて、北の大地へ入植させるというのは。もちろん、爵位は没収、もしくは下位のものにする。うちから出す予定の者より高いと困るからな。公爵は伯爵程度に、子爵だの男爵は騎士階級にしてくれ」
パシュースは、命を助ける代わりに新天地へ態よく追放してはどうかと言っていた。
暫く考えて、フィランサスとアルテルナンテは頷いた。
「そろそろ出るわ。どうするか、ちょっと父と宰相に諮ってみる」
アルテルナンテが言った。
明日の夜明け頃、シュットガルドではクーデターが起きるはずだ。
もちろん、分り切ったことであり、獲物を罠に引き込むようなものだった。
「じゃ、俺もだ」
フィランサスが続く。
「国境は任せておけ。とりあえず、あの莫迦女が出てきたらとっちめてやるよ」
ヘテランテラが応じる。
「ここは、任せてもらおう。まさか、ヘッテの姉御がこっちを抜こうとは思うまいがな」
パシュースが答える。
「すまんな、パシュー。反乱を起こした連中は、放っておいても勇者殿が始末してくれるだろう。下手をすると、宰相が後始末の前に親父に自分の首を差し出しかねんのでな。それを止めんといかん」
フィランサスが言って席を立つ。
それが合図となり、四人の王族武官は、それぞれの役割を果たすべく部屋を出て行った。
まさか、ベルテロイに対して刃を向ける愚か者はいるまい。
当面することのないパシュースは自室に戻り、王都に送り出した友に思いを馳せていた。
狸と対等に渡り合えるか、それが心配だがランケオラータが付いているし、レヴァイストル伯爵にも言い含めて非公式な顧問として同行させている。
ベルテロイに滞在する間、何度も会談を重ねルムの思考を見て取ったパシュースは、最初こそ蛮族との思いがあったが、私心のないルムに好意を持っている。
他の王族武官たちにもルムを紹介し、共同統治機構立ち上げ後の顔繋ぎも済ませていた。おそらく、ビースマックからはフィランサスが、ストラーからはアルテルナンテが共同統治機構に出てくると思われる。利権確保に二人が乗り出すことは当然といえるが、今はそれどころではないだろうという読みがルムを紹介することを決断させた。間違いなく二人とも国へ戻る。
今回の後始末が終わるまでは戻って来られまい。その間に北の大地での利権を確立してしまえば、インダミトに損はない。
ラシアスは問題外だった。
彼の国は無理矢理他国と競合してまで北の大地に進出するまでもなく、通行税や関税で充分潤うことができる。また彼の国民が抱く北の民への偏見も、北での商業活動には不都合なことをヘテランテラは知っていた。
その偏見が消えるまでには、百年を単位とする時間が必要であろうことも。
それが薄れた頃には、北の大地にラシアスが食い込む余地が残されている保証はない。
それは分っているが、現状で北の大地へ積極的に移住しようなどという商人は、リジェスト周辺に極少数いるだけで、他は強制的に放り込みでもしない限り皆無といっていいだろう。
利権を失うことも困るが、それで国民の反感を買ってしまっても困る。
だが、国民などというものは勝手なもので、自分は行きたくないが他の三ヶ国が利益を上げているのは許せない、自分たちにも利を、と叫び出すことは火を見るより明らかだ。
ヘテランテラの思惑が、せいぜい他の三ヶ国に交易を頑張ってもらい、南大陸の盾として疲弊した自国にカネを落としてもらうこと。
それに尽きることをパシュースは知っていた。
その頃、インダミトのエーンベア王宮ではパシュースに心配された友が、パシュースの父親と会談を終えようとしていた。
「では、バイアブランカ殿、私が北の大地へ戻り次第、妹のヌミフをこちらに遣します。もっとも生きていればですが。いろいろとご指導のほど、よろしく賜りますよう、お願い申し上げます」
ルムがバイアブランカに向けて頭を下げた。
「その点につきましてはご心配なく。それより妹君の安否が心配ですな。今はそちらを優先されてはいかがかな?当面の取り決めは既に充分。それに、ランケオラータを正式に派遣しますしな」
バイアブランカがルムを気遣う。
ルムが王都に到着してから八日が過ぎていた。
到着が夜になったにも拘らず、バイアブランカは王宮にルムを迎え入れ、手厚く遇していた。
例え相手が一国の王だとしても、これは破格の扱いだ。
陽が沈んだ時点で公式な立場からは離れることが、南大陸では常識だった。執務が長引いて深夜に及ぶことはあっても、公式の会談や謁見が、日没後に行われることはない。
晩餐会は公式行事とはいえ、目的が親睦を深めるためのものであり、会談や謁見の後で行われるため、それは例外と考えられている。
それが日没後にも拘らず、晩餐会ではなく公式な『会談』としてルムを迎えている。
『謁見』ではなく、『会談』だ。既にバイアブランカは、ルムを同格の王として遇していた。
もちろん、下に見られることでルムの気分を害して交渉を難しくすることのないようにとの策略だが、この若さで北の大地の半分近くを統べる能力に敬意を表してのことでもあった。
バイアブランカの言葉遣いも、家臣や民に対してのものではなく、一国の王に対するそれになっていた。
ルムはその態度に多少作意を感じてしまい警戒心を抱いたが、それでも堂々たる振る舞いを心がけ、バイアブランカに対し一歩も退かぬ気概を見せていた。
もっとも、バイアブランカにしてみれば若者の虚勢にも見えてしまい、微笑ましく感じていたため、ルムの気概が空回りしていたことは否めなかった。
「お心遣い、いたみ入ります。ですが、あれも北の大地で揉まれた女。ああは申し上げましたが、そう易々と死にはしないでしょう。我らも早く、経済という概念を身に付けませねば、バイアブランカ殿の好いようにやられてしまいますからな」
笑いながらルムが答えた。
「これは痛いところを。こちらとしては、早めに片を付けなければならぬようですな。ランケオラータ、そちは今から北の民じゃ。我らが思う儘にならぬよう、気を付けるがよい。卿よ、諦めてもらうぞ。跡取りは、先の戦で死んだものと心得よ。伯もな、娘御の婿は死んだものと思われよ」
バイアブランカがそれぞれに言う。
ランケオラータを付けておけば、他の三国に対する優位は揺るがない。
そのためには、多少の知恵を付けてやり、インダミトが対北の大地交易で出血を覚悟で損を取ることは、後々の投資と思えば安いものだ。
ランケオラータはルムとの友誼から、精一杯北の民が潤うように振る舞って構わない。
バイアブランカやインダミトの商人たちの手の内をさらけ出すことになるが、いきなり海千山千の商人たちが貨幣経済を持たない未開地に突入したら、あっと言う間に収奪し尽くしてしまう。
もとより商人とはそういたものである以上、それを止めることは死ねと言うようなものだから、バイアブランカとしては止める気などさらさらない。
また、手加減しろと言われて、損をするためにわざわざ北の大地くんだりまで出掛ける物好きがいるとも思えなかった。
ここは国が損をしておくべきと考えたバイアブランカは、ランケオラータをルムに貸すことにしたのだった。
国政の中枢に近いところで父の仕事を手伝って、財務の仕事の経験を積んでいたことで培われた実力は、百戦錬磨とまではいかないにしろ、北の大地をインダミトの商人たちの草刈り場とすることくらいは防げるであろうと期待されていた。もちろん、表立っての行動は極力控え、ルムや北の民の知恵袋としての活動が求められている。
自国の商人に敵対行動と受け取られては、暗殺の危険がつきまとうからだ。
「陛下、私は再度北の大地へ渡るつもりでおりましたし、この場でそれを願い出るつもりでおりました。願ってもないことでございます。よろこんで行って参りましょう。そのうえ、陛下との経済戦争。武人ではございませんが、血が滾ると言うものでございます」
これこそがランケオラータが最も能力を発揮できる分野であり、文官としては男子の本懐とも言えるだろう。
自分の魂が高揚するのを、ランケオラータは感じていた。
「まあ、仕方ございませんと申し上げるよりない、というところでございますな。跡は次男に継いでもらいましょう。もうすぐ引退して悠々自適と思っておりましたが、まだまだのようですな」
ランケオラータの父である財務卿ハイグロフィラ公爵は、まだ歳若い次男を思い浮かべ、政務や財務を一から仕込まねばなるまいと考えていた。
ランケオラータが捕虜になった時点で、次男には跡継ぎになることを告げてある。
当人は兄の帰還を心より望んでおり、棚ぼたで家督を継げるようになったことはあまり嬉しくないようだった。
もちろん、兄が亡き者となったのであれば、否応なく継がなければならないので覚悟はできているが、やはり兄に生きていて欲しいと思っていた。
「娘は亡き者と考えましょう」
レヴァイストル伯爵の言葉に、全員が驚愕の表情を作る羽目になった。
伯爵は、レイを北の大地へ送り出すことに決めていた。
ランケオラータの決意は、ベルテロイ滞在時に聞いている。その晩、レイからは北の大地へ行く決心を聞かされていた。親心としてはランケオラータとの婚約を解消し、安泰な結婚生活を送ることができる相手を探してやりたかった。当然そこには伯爵家として勢力を伸ばさなければ、という思惑も含まれている。
だが、伯爵は娘の意志を尊重することを決めた。
アンガルーシー子爵夫人としての立場はなくなるが、困難に自ら立ち向う二人には、好いた相手と結婚する幸せがあっても良いと考えたのだ。
もちろん、そこには北の大地での権益を得ることができるという打算も、北の大地で初めて根を下ろすことになる貴族としての栄誉も、その領地から上げられる収入がボルビデュス家とハイグロフィラ家を潤すことになるであろうという打算も含まれていたことは否定しない。
長女がビースマックに根を張り、次女が北の大地に根を張ろうとしているならば、三女に婿を取って家を発展させれば良い。
「義父上、レイテリアス殿のことは、お任せいただきたく存じます。この命に代えましてもお守りする所存」
ランケオラータが頭を下げた。
「伯爵殿、私もお約束いたしましょう。レイテリアス殿の安全は、平野の民の名誉に賭けてお守り致す」
ルムも同様に頭を下げた。
この日までに決められた内容は、互いの通商は基本的に自由。
物々交換か金本位の取引が基本だが、北の大地に南大陸の貨幣が浸透するまでとし、極力早く現地で貨幣の鋳造を行う造幣局をインダミトが設置することとした。もちろん、他の三国家の了承が必要なことは言うまでもないことなので、その時点で南大陸の全国家が北の大地で経済戦争に突入することになる。
南大陸の商品と北の大地の金を交換し、現地でその金を貨幣に鋳造する。
それで貨幣に必要な貴金属全てを賄えるとは思えない。
だが、鉱脈の存在も確認されているため、北の民を雇って貴金属の採掘を進めれば、南大陸から貨幣の流失を防ぐことはできるだろう。
同時に積極的に北の大地内での貨幣の還流を推し進めなければ、南大陸が全ての貴金属貨幣を巻き上げてしまい、南大陸にとんでもないインフレを引き起こすことになる。
商人にそこまで考えて商業活動を行える者がどれほどいるか不明だが、それほど多くはないと思われた。
自由に南大陸にカネを持ち帰らせることは危険なので、北の大地から南大陸へいかなる形での貴金属の持込には、高額の関税を設定することにする。
北の大地の購買力が上がり、かつ様々な商品の生産力が上がるまでは、保護貿易の方針を採るしかないだろう。
急な経済統合は、両者に混乱をもたらすだけであったし、南大陸の経済力は北の大地を丸抱えできるほど強くはない。
今回のルムの来訪は、ほとんど顔繋ぎのようなものであり、平和的な交易をしようという両者の意志の確認ができればそれで充分だった。
ランケオラータを北の大地に常駐させ、顧問として活用しつつルムには様々な政策を実施してもらう。北の民が潤わなければ南大陸に利益をもたらすことは不可能だし、搾取では現在以上の軋轢を生むだけだ。
四百五十年に及ぶ平和の維持は、経済によって戦乱が巻き起こることを防ぐ知恵を、心ある為政者には身に付けさせていた。
「ハイグロフィラ卿の次男が、今日よりアンガルーシー子爵を継ぐがよい。ランケオラータは子爵ではなく、カトスタイラス候として余に仕えてもらうぞ。カトスタイラス領は、俸給代わりだ。代官を派遣して、領地の経営に気を使わなくてよいようにしておく。税収は、必要経費以外は自由にせよ」
バイアブランカの言葉に目を白黒させる一同。
カトスタイラス領は、然程大きくはないが王家直轄領の一つで、インダミト最南端にある。
たいした産業はないが、大陸から船で行き来できる島々は、サトウキビに相当する植物や、バニラが自生していた。これを適正に管理栽培すれば、巨万の富を築くことができる。
バイアブランカは、ラガロシフォンでの経済発展が甘味によるものだと気付いていた。
これから新たな産業を興すのであれば、甘味がひとつの鍵になることを見抜き、レイを娶るランケオラータにこの地を預け、国内産業の発展に寄与させるとともに、北の大地での原料の入手を容易にすることにした。
北の大地に貴族制などはないが、インフラの整備のためには関税や通行税などを徴収し、財源を確保しなければならない。
当然民からも現代の住民税に相当する人頭税や、所得税なども徴収しなければならないが、今まで税制とは無縁の生活を送ってきた北の民にいきなり馴染ませることは困難だ。
そこで通商で赴く南大陸の住人がある程度投資として負担することになるが、所得税や人頭税が高すぎては誰も住み着かない。
いきおい主たる税収は関税と通行税に頼ることになるが、あまり税率を上げすぎては売価に跳ね返ってしまう。
その辺りの調整は、ある程度経済に明るい者でなくては勤まらない。
そして、関税や通行税を徴収するには、貴族なりの権力者でなくてはならないが、北の大地には貴族などいない。北の大地をインダミトの一貴族の領地としてしまうわけには行かないが、権力の裏付けや後ろ盾となることはできる。
インダミトの貴族が徴税官を勤め、その税はルムの収入になり、それを使ってインフラを整える。
そのためもあってランケオラータが行くのだが、子爵程度では他国が納得しないだろう。
ということで、王族しかなれない公爵は無理としても、侯爵くらいにしておかなければ説得力が無いというわけだった。
「非才の身ながら、ご期待に応えられるよう、精一杯努めます」
ランケオラータは、そう言って膝を突いた。
ビースマックの王都シュットガルドでは、宰相ディアートゥス公爵がアービィたちを連れてブルグンデロット王に謁見していた。
結局リンドリク子爵に説得されたというより押し切られた公爵は、今回の一件の後始末が付くまでという期限付きで宰相の座に留まることとした。だが、反乱を引き起こしたという責は誰かが取らねばならず、軍務卿と内務卿が、その職務内容から進んで責を負い辞任することになった。
その報告と、アービィたちに対する褒賞に付いて王と協議するため、公爵は反乱の会った夜が明けてすぐに王に謁見を申し込んだのだった。
クーデターについて心を痛めつけていたブルグンデロット王は、閣僚や政務参議官に犠牲者が出なかったことを何よりも喜び、宰相の続投は望むことであると告げ労いの言葉を掛けていた。
軍務卿や内務卿の辞任は認め難いことではあったが、事ここに至ってはやむを得ないと了承する。後任の人選には充分卿たちの意見を充分反映するようにと意見を付託し、勅旨に署名する。
実際問題として、両卿の嫡男はまだ経験不足だ。
新しい血を閣内に導入しても良いが、侯爵級の人間で軍務、財務に明るい人間が見当たらなかった。
無能の集団というわけではなく、どの候補者も一分野においては傑出した才を見せるのだが、全体を見渡してバランスをとれるかというと、得意分野に偏りがちになるという欠点が見られたのだった。
王は、両卿の嫡男に継がせ、院政を敷かせるつもりでいた。
細々とした後始末は午後の会議で決めるとして、今は目の前にいる若者たちに対する褒賞に関して頭を悩ませていた。
国を救った功績は、どう評価してもしすぎるということはない。
本来であれば、侯爵の地位ですら足りないほどだ。王は、当初侯爵の地位と直轄領の分領を以って、若者たちに報いるつもりで謁見前に宰相に打診していた。アービィたちも自分たちを国に縛り付けるためではないと感じていたので、無碍に断ることは躊躇われたのだが、結果的にビースマックに縛り付けられてしまうことには変わりがないため、心苦しくも断ることを宰相に伝えている。
では、どうしたものか。王はアービィたちを前に考え込んでしまっていた。
実際のところ、アービィたちにしてみれば、パシュースからの依頼で動いていた。
このあとベルテロイに戻れば報酬を受け取ることができるし、昨夜公爵から金貨一枚でガーゴイル退治を追加で引き受けている。
その後不死者と化したハラたちを倒したことに付いては、公爵から追加料金として金貨五枚を打診されていたが、金貨一枚で手を打っていた。
つまり、これ以上褒賞をもらう謂れがなく、既に王からの感謝の言葉で充分だといえた。
現実問題として、黙っていれば分らないことではあるが、ここで褒賞という形で報酬を得てしまうと、依頼に対して二重に報酬を受け取ることになり、パシュースに対する不義理となってしまう。ストラーで家を貰ってしまったときは、完全にその点に付いてうっかりしており、あとでニリピニ辺境伯に謝罪していた。
もっとも、孤児院にするという形で手放しているうえ、ニリピニ辺境伯もそれについて問う気はなかったので何の問題にもならなかったのだったが。
以上のことをブルグンデロット王に説明し、これ以上の褒賞を辞退した。
いくら王から黙っていれば分らないとは言われても、どこからか話は漏れるものであり、後にしこりは残したくはない。
アービィたちの国籍は、今でもインダミトである。自国の王族に対し不義理を働くわけにはいかなかった。
「陛下、一つお願いがあるのですが」
アービィがおずおずといった。
「なにか。遠慮などする必要はないぞ。申してみよ」
ブルグンデロット王が答える。
「反乱の首謀……いえ、被害者が不死者に転生したという場所を見てみたいのですが。まだ、破壊はされていませんか?」
どうやら昨夜アービィが感じた邪悪な波動は、プルケール邸から発せられていたものらしい。
アービィは、フォーミットや北の大地の避難小屋で遭遇した邪悪な気配と、昨夜の波動に同じものを感じたことが、気になって仕方がなった。
もし、現場がまだそのままで維持されているのであれば、その場に行ってみたい。
もしかしたら自分がこの世界に召喚されたときに、それを邪魔して人狼に変化させられたことと何かしらの関係があるのかもしれなかった。
「そのようなことに興味をお持ちか? 構わぬ。まだ捜査の途中であろうからな。宰相から口を利いてもらえば、何の問題もなく入れるだろう」
勇者とは、思わぬものに興味を持つものだと感心やら呆れの感情を抱きつつ、ブルグンデロットは許可を出す。
「ありがとうございます。それでは国に帰る途中、寄って参ります。陛下、これからもお元気で」
アービィが挨拶し、王の下を辞去する。
「うむ、気を付けて帰られよ。また、いつでも来られるが良い。ビースマックは、いつでも勇者殿を歓迎するぞ」
いかにも残念そうにブルグンデロットは見送った。
臣下に欲しいという気持ちも強かったが、それは叶わないようだ。
大いなる自由人たちは、一つの国などという小さな籠に押し込めるべきではない。
そうブルグンデロットは感じており、それが羨ましく思えていた。
プルケール邸に到着したアービィたちは、御者に待つように頼み、ディアートゥス公爵に書いてもらった許可証を門兵に見せてから場所を聞いて邸内を進んだ。
邸内の奥まった部屋のそれはあった。
入り口だけで窓の無い部屋。照明も携帯式の燭台のみのようで、今もそれに火が灯されていた。
床には不気味な文字がちりばめられた魔法陣が描かれ、周囲には砕けた杯の破片が燭台の火を受け、鈍い輝きを見せていた。
この部屋に来るまで、捜査に派遣された兵以外に人は見られず、当主を失った家族や使用人たちは、王宮にある拘留房に拘禁されたらしい。
アービィがいくら世事に疎いとは言え、国家反逆罪を犯した者の家族がどのような末路を辿るかくらいは知っていた。
良くて服毒による自決。もちろん表向きは急死とされるが、それでも家族郎党が一斉に急死するのだ。数日のラグを置くとはいえ、世間に対し見せしめといっていることは明らかだった。だが、これはまだ寛大な処置であり、家族が全く知らないうちに計画が進んでいたときくらいのことだ。普通は、一族郎党全て公開処刑。王宮前の広場で、関与が甘いものは断頭台、関与が深いものは縛り首だ。
もちろん、斬り落とされた首や吊るされた死体は、腐乱するまで放置。
そのままゴミとして処理される。
プルケールとキリンドリクス両男爵の家族が、どれほど計画に関与していたかは知らないが、昨夜宰相邸に姿を見せていないことから、ほとんど知らなかったのではとアービィには思われた。
それがいきなり朝になって、当主の罪状で王宮に引っ立てられている。
身に覚えの無いことで断罪されなければならない恐怖を想像し、アービィはせめて死罪にならないようにして欲しいと上奏すべきかと考えていた。
アービィは、しゃがんで魔法陣の線を手でなぞる。
今は邪悪な波動を感じることはない。
どういう関係かは分らないが、あのフォーミットでちらりと影だけ見えた魔術師が関与しているのではないかと思われた。
確たる証拠や根拠は無いのだが、なぜかアービイはそう確信している。
ひと廻りなぞり、起点に戻る。続いて内側の線をなぞり、書かれている文字をなぞる。
微かに記憶にあるルーン文字と梵字に似ている二種類の文字が、おそらくは図形として描かれていた。もちろん、アービィが召喚される前の世界にあったルーンや梵字とは違うものだ。
全ての文字をなぞっているアービィは、特に意味があってしていたわけではなかった。
ただ、なんとなく見てみたかっただけだし、そのままの勢いでなぞってみただけだった。
全ての文字をなぞり終わったとき、アービィは魔法陣の中心に腰を落としていた。
その瞬間、魔法陣が不気味に鳴動を始め、明滅を繰り返す。ハラたちが不死者に転生したときと同じ明滅だった。
不意に邪悪な波動を感じたアービィが、部屋の中にいた全ての人たちに避難を促し、自分も魔法陣を出ようとしたときそれは起こった。
爆発するような勢いで魔法陣が発した閃光にアービィが飲み込まれ、ルティが悲鳴と共にアービィの手を引こうと魔方陣に手を伸ばす。
だがルティの手は魔法陣の周囲に出現した見えない障壁に阻まれ、まるで感電したかのような衝撃にルティの身体が弾き飛ばされた。
突然の衝撃に意識を失ったルティをティアが抱え起こそうとしたとき、ルティを助けようとしたアービィもまた、見えない壁に弾き飛ばされていた。
光が消えたとき、魔法陣の中で倒れたアービィは、ピクリとも動かなくなっている。
実際には数秒程度の間だったが、ティアには数時間にも感じられた。
ルティの悲鳴を聞きつけた兵が駆けつけたとき、アービィとルティが倒れた横でティアが完全に取り乱していた。
兵はティアを何とか落ち着かせようとするが、ティアの耳には兵の声が届くことはない。
大声で兵が助けを呼び、数人の兵が駆けつけてくる。詳細な状況が把握できないが、勇者一行が危機的状況であることだけは分る。
一人が宰相に報せに走り、残りの人員でアービィとルティ、そして今は放心状態のティアを宰相邸に運びこんだ。
幸い、ルティは宰相邸に到着するまでに意識が回復し、ティアもそれに伴い僅かだが落ち着きを取り戻すことができたが、アービィが目を覚ますことはなかった。
そのままルティにとって永遠かと思うような一晩が過ぎ、ようやくアービィが目を覚ました。
「あ、おはよう……」
ベッドから上体を起こしたアービィに、泣き腫らした目を真っ赤にしたルティが抱きついた。
「もう、心配ばっかり……」
その後は言葉にならない。
「え、あ、ちょっと、ルティ……」
一晩も意識不明だったことすら気付かないアービィは、ルティの行動に驚くばかりだった。
ティアもドアの外にいたのだが、そこへ入って行くほど空気が読めないわけではない。
アービイのことは心配なのだが、ここはルティの思い通りにさせてやるべきだと思っていた。
宰相邸に運び込まれた後、一時的に意識を失うほどのダメージを受けたにも拘らず、ルティは頑として側を離れずにアービィの世話を焼いていた。
といっても、アービィが目を覚まさない以上、脱水症状を起こさないように、時折口に水差しから水を含ませる程度しかすることはなかった。
その間、ティアは城の魔導師たちに、妖呪に付いて教えを請うていた。
万が一にもアービィに妖呪の影響が残っては大変だ。
二人とも『解呪』を使えるようになってはいるが、メディのようなこともある。
魔法陣を描いた者が、プルケールかキリンドリクスかハラかは分らないが、既にこの世から消滅している以上、場合によっては解呪できなくなるかもしれなかったからだ。
長年魔道に関して研究を重ねてきた城の魔導師たちでも、北の大地に伝わる不死者への転生秘術は文献に記された以上のことは分らなかった。
文献は手順や効果は記されていたが、魔法陣自体は使い捨てであり、一度発動させたものが再度効果を表すことはないとも記されていた。つまり、今回の魔法陣発動は、完全なイレギュラーであり、どのような効果があるか誰にも分らない。事実、アービィの人狼としての一面が持つ呪文や呪いへの抗堪性がなければ、不死者に転生していたかも知れなかった。
万が一、魔法陣の中にルティが飲み込まれていたかと思うと、ティアは全身に冷や汗が流れるのを感じていた。
アービィを包んだ閃光が消えたとき、北の大地の最北にある城の一室では、邪悪な波動を纏った魔導師が宙空に描いた魔法陣を覗き込んでいた。
その中には、床に描かれた魔法陣の中心に倒れたアービィの姿が映りこんでいる。
アービィに影があることを見て取った魔導師は、宙空の魔法陣を舌打ちと共に消し去っていた。