狼と少女の物語   作:くらいさおら

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第67話

 歴史的な会談から一夜明け、アービィたちはパーカホへの帰途に着いていた。

 イーバへ行くときは、アービィ、ルティ、ティアでルムを護衛する形になり、四人で行動していた。

 しかし、現在はヌミフ、バードンと、プラボック、そしてヌミフと共に南大陸へと赴くオンポックを入れた八人の大所帯だ。

 

 ルムとプラボックの会談後に設えられた宴席で、アービィが雑談に紛れさせて言った今後に関するいくつもの難題は、到底ルムとプラボック二人だけで決めきれるものではなく、ランケオラータも含めたうえで話し合わなければならないことだった。

 これまでルムもプラボックも指導者とはいえ、部族や集落間の利害調整が主な仕事で、行政の経験はほとんどない。だが、これからは、利害調整はもちろんのこと、インフラ整備や土地の割譲、最北の蛮族への備えとしての共同戦線の管理、南大陸からいかにして資本を呼び込むかなど、やらなければならないことは多岐に亘る。

 その膨大さに、ルムもプラボックも顔を蒼ざめさせていた。

 

 

 一方で、昨夜突然宴席に呼び出され南大陸へ行けと命じられたオンポックは、まるで状況を理解できず目を白黒させるだけだった。

 このプラボックの甥に当たる十六歳の少年は、呼び出される直前まで南大陸へ堂々と行くことなど、あり得ないことだと認識していた。彼にとって南大陸は、雪に苦しめられることのない憧れの地であり、いつかは移住したいと夢想する文字通り夢の国だった。

 それが、まさか南大陸の国家に密入国ではなく、国賓級の扱いで送り込まれることになろうとは思ってもいなかった。

 

 周囲を大人たちに囲まれてパーカホへ向かう道中で、少年は耳に入る会話の半分も理解できなかった。

 しかし、知識欲と知的好奇心に溢れた少年は、解らない言葉や文脈がある度に、最も歳が近そうに見えるティアを捕まえて根ほり葉ほりその意味を尋ねている。

 今まで武力こそ全ての解決策と信じていた少年だが、幾度かの失敗とその度に掻いた恥により多少の分別を身につけていた。

 

 

 少年は、バードンがイーバにやってきた際に、拷問に掛けてウジェチ・スグタ要塞防備の隙を聞き出し、軟禁ではなく暴力によって恭順させ、侵攻の手引きをさせれば良いと考えた。

 さらにはヌミフを軟禁しておくだけでは勿体無いとも。夜になって、彼は叔父にそう持ちかけてみたが、できるものならやってみろ、と突き放されただけだった。

 これは彼の性格が歪んでいるというわけではなく、北の民として当然の発想しただけのことだ。

 

 その夜、オンポックは短刀を懐に忍ばせ、バードンの寝所へと忍び込んだ。

 だが、気配を察知したバードンに平手打ちを喰らい、意志と意識を刈り取られ、気付いたときには自分の寝所で朝を迎えていた。

 翌朝、バードンはプラボッからの謝罪を、微苦笑と共に受け流していた。

 自分を拘束しようともせず、しろとも言わなかったことに言いしれぬ恐怖を抱きつつ、オンポックは複雑な表情でその場面を眺めていた。

 

 幾度目の返り討ちに遭った翌朝、意識を取り戻した彼の目に飛び込んで来たものは、穏やかに彼を見下ろすバードンの顔だった。

 殺されると思い再度目を閉じるが、いつまで経っても息が詰まることもなく、殺気を感じることもなかった。恐る恐る目を開けると、そこには相変わらず穏やかなまま自分を覗き込むバードンの双眸があった。

 何故殺そうとするのか、と言うバードンの声と、何故殺さないのか、と言うオンポックの叫びが重なり、バードンが大笑いする。

 馬鹿にされたような気分で憮然とするオンポックに、バードンは静かに語りかけた。

 

 オンポックにとって、死は当たり前すぎるほど身近なものだ。

 餓死、凍死、病死、狩りの際の事故死に戦による強制的な死。いつ誰に訪れるか、南大陸でも無縁ではないとはいえ、北の大地での死との遭遇率は南大陸とは比べ物にならないほど遙かに高い。自然環境が最大きな要因だが、政治が機能しないどころか存在しないに等しいことも、また大きな要因だった。

 バードンは、北の大地と南大陸の差異をオンポックに説き、どうすれば万民にとって最大公約数の幸せが実現できるかを考えるべきだと言った。

 

 

 それまでオンポックは、自分の幸せしか考えたことしかない。

 せいぜい自分にとって大切な人々、大きな枠組みでは自分が属する部族までだ。万民全てが納得できる幸せなどないと、端から考えることもしなかった。限られた土地と食料、生活圏の奪い合いに明け暮れる毎日は、誰かの幸せは誰かが不幸を甘受しなければならないことだと思っていた。

 当然南大陸への移住も、そこの生活へ解け込むのではなく、生活圏を奪い取ることだと考えていた。

 北の大地の考え方を、価値観が全く違う南大陸に当てはめようとしていただけだった。

 

 南大陸の住人も、北の民が移住してくることを無碍に拒絶したわけではない。

 『窮鳥懐に入れば猟師これを撃つこと無し』に類する概念はこの世界にも存在し、当初南大陸の住人も歓迎こそしなかったものの、北の民を迎え入れていたものだった。だが、北の民の流入する人数が増え、あちこちに北の民のコミュニティができ始めると、周囲の住人たちとの間に軋轢が生じ始め、やがて諍いが頻発した。

 もともと価値観の相違から地域のコミュニティに解け込めない北の民は多く、それが身を寄せ合うようにして独自のコミュニティが自然と形成されていく。

 

 あとは北の民の理論が暴走し、生活圏の奪い合いが南大陸の住人にも押し付けられ始めた。

 食文化や一般的なマナーの相違がある時点で疎ましがられることが多かった北の民排斥の動きが南大陸で起きるまで、それほどの時間を要することはなかった。

 個々人の付き合いにおいては問題になりにくかった些細な価値観の相違も、集団同士になると決して相容れることはできない決定的な溝になる。アービィが召喚される前に住んでいた世界でもあった民族問題は、時代も世界も超えて存在していた。

 その後、南大陸の住人たちの間に北の民への蔑視と偏見、差別が生まれ、北の民の間に南大陸の住人たちへの怨恨が醸成されるのは自然な流れだった。

 それでも雪に苦しめられることのない南大陸への移住は、北の民にとっては悲願でもあり、蔑視と偏見、差別に耐え、恨みを呑んで南下の飽くなき欲望を捨てることはなかった。

 

 

 オンポックもまた、若さ故の浅慮もあってか、この考え方から逃れることはできるはずもなかった。

 だが、対するバードンはいい大人でもあり、聖職者でもある。教義の正邪はさておき、万民を幸せに導くことこそ、至上の使命と考える者だ。

 アービィに対する異常なまでの敵愾心も、両親の仇が人狼であることも大きな原因の一つだが、万民の幸せを害する者を排除するという使命感が最大の原動力となっている。

 

 だが、北の民を排除する気は、バードンにはなかった。

 また、マ教の教えを説き、教化すれば南大陸に解け込めると思うほどおめでたい狂信者でもなかった。

 マ教の説く教えの中で博愛の精神という部分が南北両大陸の融和に繋がるものと理解し、異なる者の存在を認め、両者が妥協し合うことが重要だとも考えていた。

 

 オンポックは、これも若さ故の素直さからか、バードンの言葉に耳を傾けるようになっていった。

 自分が敵わない相手と認めたことが最大の理由であったが、それでも他者の言葉を聞くようになったことは、彼にとって大きな進歩だった。

 プラボックがバードンと話し合う際にはできるだけ同席させてもらうように努め、プラボックが帰った後もそこに残ってバードンを質問責めにした。

 ときにはヌミフとも語り合い、その際の疑問を二人でバードンにぶつけることや、二人の意見の相違をバードンに判定してもらうこともあった。

 

 こうしてバードンやヌミフと打ち解け、二人を慕うようになったオンポックが、南大陸へ派遣される者に選ばれることは自然な流れだった。

 実のところ、プラボックはあまり歳近い者を選んで自分より先進的な考えを持たれ、権力闘争になっても困るという思惑が働いたことも否定できない。

 もっとも、これから先二人で行動する機会が増えることで自然と親密になり、平野と中央の民の橋渡しとなることをプラボックが期待して、わざと男性を選んだということもあったのだが。

 

 そこはかとなくプラボックの意図を察知し、ルムは複雑な心境だった。

 ヌミフに想い人がいることも承知していたし、それが側近の一人ということも知っていた。だが、いずれ二人が身を固めることになった場合、そのときは側近からは除外しなければとも考えていた。身内びいきと取られては、いろいろとやり難くなるからだった。妹の恋路を邪魔する気は全くないのだが、得がたい側近を失うこともまた避けたかった。

 心の端でヌミフとオンポックが良い仲になってくれたらいいかもしれないと、ルムは考えるようになっていた。

 

 

 アービィは、ルムの気も知らずティアとヌミフにまとわりつくように歩くオンポックに、微笑ましい視線を送っている。

 どことなく、フォーミットにいた頃の自分を見ているようで、親近感が湧いていたのだった。

 あの頃の自分はルティにまとわりついてばかりで、それこそ男女が一緒にいてはいけないとき以外、四六時中ルティの後をついてあるいていた。

 ルティも突然できた弟を可愛がり、どこへでも連れ回していた。

 いつしか男女を意識するようになり、ルティに守られるのではなく、守りたいと思うようになっていた。今、僕はあのとき思ったようになれてるのかな?

 

 

 パーカホに戻った一行は、ランケオラータにプラボックとオンポックを引き合わせ、早速話し合いの場を持った。

 いっそランケオラータが統治者になってしまえば政治は上手く行くのだろうが、それでは北の民は南大陸の支配下に入ってしまう。

 インダミトのバイアブランカ王がランケオラータに対する命令権を有している以上、それは認められないことだった。

 

 平野の民と中央の民の共同統治は、ルムとプラボックの合議制が理想なのだろうが、この非常時に合議制などという手間の掛かることをしている余裕はない。

 当然食料支援や土地を割譲する立場のルムたち平野の民が優位なのだが、中央の民が支配されるわけでは断じてない。

 ルムにその気が無くとも、統治者の立場に収まってしまえば、中央の民に不安と不満が渦巻くことは確実だ。ルム自身、力ずくで小規模な部族間の調停こそやってきた経験はあるが、統治の経験はほとんどない。

 年齢的にも成熟したプラボックに、経験や洞察力などいくつもの点で劣ることは自覚していた。

 

 それに、いずれ立ち上げられる南北大陸の共同統治機構に、ルムが出て行くことは既定路線だ。

 その際北の大地の最高権力者が出て行くことになれば、その後に権力闘争が勃発することは火を見るより明かだ。さらに最高権力者が両大陸共同統治機構にいては、北の大地がその者の勝手放題にもなりかねない。

 バイアブランカ王はそれを狙っている節もあるが、ランケオラータから内々にその構想を聞かされたアービィは召喚される前の世界にある国連を引き合いに出し、一国の元首と国連大使のような関係が望ましいと進言していた。

 

 共同統治機構は、あくまでも各国の利害関係を調整する場であり、その第一人者が両大陸の覇者になることがあってはならない。

 アービィはその危険性を説き、各国の内政と共同統治機構の間には、厳然たる独立性を確保するべきと言っていた。

 もちろん、国連は召喚される前の世界の事例であり、そのままこの世界に当てはめてすべて上手くいくとはアービィも思い上がってはいない。

 それをこの世界に合うかを判断し、使えるようならこの世界に合わせてアレンジするのは、ランケオラータたちこの世界の政治に暁通する者の仕事だった。

 

 

 それを受けて、ランケオラータは平野の民と中央の民で、小規模ながら共同統治の実験をすることにした。

 もちろん、ルムとプラボックには実験の目的を事細かに説明し、同意を得たうえでのことだ。

 政治の経験が乏しい二人にしても、実験と言われるとあまり気分の良いものではなかったが、実地で政治を学ぶことができるとして、前向きに捉えていた。

 

 結局、ルムが一歩譲り、中央の民の自尊心に配慮する形で、共同統治の第一人者にはプラボックが収まることとなった。

 これは、逆に考えればプラボックには、難しい舵取りが要求されることになる。

 食料の分配も土地の租借も、中央の民を優先することなど、僅かにでも政治センスがあればできることではなかった。

 僅かでも中央の民を優遇すれば平野の民が黙ってはいない。なにしろ、ここを耕し、土壌を改良し、まがりなりにも畑に仕上げたのは、言うまでもなく平野の民だ。それを無償に近い形で明け渡すのだ。収穫が多く見込める土地ばかりを中央の民が独占するなど、許せるはずもなかった。

 反対に平野の民に対してプラボックの遠慮が過ぎれば、今度は中央の民が納得しない。

 中央の民は平野の民の奴隷ではないと、激しい突き上げを喰らうことは確実だ。

 

 租借地の位置も重要な要因だ。

 山脈に近ければ近いほど、最北の蛮族との最前線に近くなる。もともと平野の民が住んでいるとは言え、どちからかに偏っては防壁代わりにしたという誹りは免れない。

 最高権力を手にする代わり、最も重い義務を背負わされたことに、プラボックは思わず身震いした。

 

 

 ルムにしても、気楽に構えていられるというわけではなかった。

 プラボックが意図しなくても出てしまう偏りを正し、両地域の民それぞれに不満を抱かせないように補佐するという重要な役割がある。それでもプラボックが利害関係の調整に忙殺されることは間違いなく、インフラ整備や食糧の増産、南大陸との交易まで目を届かせることは不可能だ。

 北の大地を経営する細々としたことは、ルムが担当しなければならない。

 

 それぞれの民の統治は、ルムとプラボックではなく、ナンバー2の者が当たることになった。

 平野も中央も、幾つもの点で意見の相違が出ることは確実で、それぞれの統治はしなければならない。ルムにせよプラボックにせよ、利害調整や大陸経営に専念できるように、個々の統治に気を囚われることがあってはならなかった。

 それぞれの小さな利益に気を取られていては、より大きな視野で物事を見ることなど到底無理だからだ。

 

 とはいっても人である以上完璧を求めても無理なことは、アービィもランケオラータも承知している。

 その辺りを補佐するためにもランケオラータが来ているのであり、第三者の立場からの調整の他、アンガルーシー領の経営とインダミトの国政に携わった経験を活かした税制やインフラ整備などの内政と南大陸との折衝、そして軍政などの補佐が重要な使命だ。

 レイもその意味では重要なスタッフの一人であり、進んだ考え方を持つアービィや豊富な知識を有するティア、庶民の目線から的確な提言をしてくるルティも同様に、重要なスタッフだとランケオラータは見ていた。

 その中でもアービィは、この世界より文明が発達した異世界から召喚されたと聞いている。

 その知識や教養は北の大地を経営するうえで、何者にも代え難い財産となることを、ランケオラータとレイは感じ取っていた。

 

 当のアービィは、専門馬鹿と言っていいほど世事には疎かったが、それでも新聞くらいは読んでいたので、通り一遍の知識はあると思っている。

 アービィは北の大地の政治形態に、アメリカの連邦制をイメージしていた。平野の民と中央の民をそれぞれ州に、プラボックとルムを大統領と副大統領、そしてランケオラータたちスタッフの面々を連邦政府に見立てている。もちろん全く同じようにできるはずもないし、大統領制や議員内閣制をいきなりできるとも思ってはいない。いずれは統治者や議会の直接選挙があっても良いとアービィは思っているが、王制や貴族制が主流のこの世界に急激な体制改革をもたらすことは、他者の傲りだと自らを戒めていた。

 改革はこの世界で生まれ育った人間から自然に醸成されてこそできることであり、中途半端な知識を振りかざして世の中を混乱させるなど、犯罪行為にも等しいことだとアービィは自覚していた。

 

 

 インフラ整備にしても、交易ルートの確立にせよ、何をするにもカネが掛かることをランケオラータは理解している。

 そのためには、なんとしても南大陸から資本を引き出さなければならなかった。だが、交易の旨味がなければ、誰一人として相手にしてくれるはずもない。商人や国家は、慈善活動で運営されているものではないからだ。そのためにも北の大地に眠る金銀銅といった貴金属や鉄等の金属鉱脈、アービィが石炭や石油と呼んでいる燃料資源を採掘事業として軌道に乗せ、富に換えなければならない。そして物流と軍の移動の迅速さを確保するため、石畳による道の舗装と中継基地の設置も最優先事項といって良い。

 その他にもそれこそ馬に食わせると言うほど、やるべきことは山積されていた。

 

 軍令に関しては当面ハイスティに任せておくが、独立混成大隊が到着した時点で、その指揮官に権限を委譲する。

 やはり、餅は餅屋で、軍を効率よく運営するには、間諜ではなく将軍を当てるべきだ。

 さらにハイスティには、ヌミフとオンポックをインダミトまで連れて行くという、重要な任務があるからだ。

 

 そして、軍令は軍政の指揮下にあり、軍政は軍人であってはならないというルールをアービィが主張し、彼には珍しく譲ることはなかった。

 守勢の際には軍部に任せておいて構わないが、一転攻勢に出たときに歯止めが利かなくなる恐れがあったからだ。

 軍事行動は政治の延長に過ぎず、軍の独断専行を許していては大局を誤ることをアービィが住んでいた世界で日本が証明済みだった。

 

 現在北の大地に残る南大陸の住人も元を質せば軍人なので、こちらも五百から六百人程度の一個大隊規模に編成し直す。

 全員を軍としてしまうと第一次産業に通じる者の絶対数が不足してしまうため、全体の半分程度で軍を編成することになった。

 基本的には志願制にするが、当人の特性によって柔軟に対応することにした。

 

 これに併せて、北の民も軍を編成することになったが、根本的な部分で戦術思想が異なる両者を同一の部隊に配属することは無理がありすぎた。

 基本的には南大陸の軍が戦線を維持し、北の民で編成する部隊は遊撃隊と位置づけ、決戦兵力として活用するべきだとアービィとハイスティが主張した。

 

 それぞれの指揮官と司令部を設置し、その上位に統合幕僚本部のような機関を置き、全体の統括をする。

 どちらにも悪意などないとしても意見の相違が顕著なため、この部門の担当になる者は胃が丈夫であることが第一の資格だとアービィは思っていた。

 意見の相違は軍という概念から、戦場での振る舞い、生への考え方と多岐に及んでいる。それぞれが独立した戦士という考え方が主流であり、生き残るためには手段を選ばない北の民。規律を重んじ上官の命令の下統率の取れた行動を第一と考え、名誉のためには死をも厭わない南大陸の軍人。この二つを統一指揮するなど、現状では望むべくもなかった。

 いずれは北の民も南大陸指揮の軍編成と戦法に慣れる必要はあるだろうが、いきなりそれを押し付けることによって北の民の良さを消してしまうことは避けたかった。

 

「軍の話になったところで、南大陸の、いえ、インダミトの戦略についてお話させていただきます」

 ランケオラータが話題を替えた。

 

「いずれ南大陸で共通の認識にしたいと考えていますが、今のところ足並みを揃えることは難しい状況ですので、インダミトのとお断りしておきます。第一に、インダミトは北の民との共存を望んでいます。本音で話してしまえば、我々は北の大地は今後巨大な市場となると考えています。これを放置しておくことは、国家の成長にとって大きな損失です。幸い、ルムさん、プラボックさんとはこうして手を取り合うことができたことは、大変な僥倖と認識しています。できることでしたら、最北の蛮族と呼ばれる部族とも、通商の意志があるならばしたいと考えています。」

 ランケオラータはここまで言って一息つく。

 

「ですが、最北の蛮族は報告によるところでは、中央の民の皆さんを不死者へと転生させ、これを侵攻の尖兵としている。これは、南大陸の安全保障の面からも看過できることではありません。もちろん、最北の蛮族全てが我々に敵対するわけではないという、希望的観測もあります。これからは、和戦両面を基本戦略として、最北の蛮族との話し合いと同時に不死者や魔獣による侵攻を挫き、中央部を取り戻し、平野部以南への進出を食い止める。これを最優先としたいと考えます」

 何かご質問は、とランケオラータは付け加えた。

 

「質問があります」

 ルティが挙手した。

 それまではざっくばらんな話し合いが続いていたが、ランケオラータの話し方の変化に伴い雰囲気が一変していた。

 

「ランケオラータ様は、話し合いを続けるとおっしゃいますが、その窓口はどのように開くのでしょうか? ルムさんとプラボックさんに質問ですが、今まで最北の蛮族との間で、話し合いというものが成立したということはありますか?」

 ルティの話し振りまでが一変していた。

 国政に携ったことも、軍議に参加したこともないのだが、ラシアスの近衛第二師団と行動を共にした際に見聞きして、軍議とはこんな話し方だったと思ってのことだった

 

「全く、ない」

 

「一度も、な」

 ルムとプラボックの答えは、簡潔にして明瞭だった。

 つまり、和戦両面という方針の一翼が、早くも折れたということだ。

 

「そうですか。では、私からもプラボックさんに質問です。不死者の襲撃以前に、最北の蛮族との直接戦闘はいつ頃にありましたか? 魔獣ではなく、人間とです」

 ランケオラータが質問した。

 

「そうだな、ほとんど奴らの攻勢は魔獣が戦闘に立ち、少数の人間がその指揮を取っていた。魔獣が攻め切ればよし、撃退すれば、魔獣を盾にして人間は逃走している。その質問は、最北の蛮族と話をする機会があったか、ということだろう? その答えは、皆無と言っておく」

 プラボックが答えた。

 

「その通りです。残念ですが、基本戦略は撃退というとことになりますね。第二の基本戦略ですが、インダミトには最北の蛮族を滅ぼすという意思はありません。あくまでも、基本は、ということですが。もともとの中央部との境界線まで押し返せれば、それ以上南大陸の軍が北に攻め入ることは、今のところないと言っておきます。ですが、場合によっては、少数精鋭を最北の蛮族の領土に潜入させることがないとは言いません。また、皆さんが攻め入ることを積極的に支持しませんが、止めることもないと言っておきます」

 インダミトの戦略は、基本的にこの二点だ。

 可能ならば北の大地全土を市場としたい。

 最北の蛮族とも共存を視野に入れている。

 彼らが共存を拒み、あくまで敵対するというのであれば、これを滅ぼすことなく南下を食い止める。この二点に尽きた。

 

 一民族の殲滅など、どう頑張っても不可能だ。

 広い大陸に紛れ込まれてしまえば、外見に差異のない北の民の中から最北の蛮族のみを狩り出すことなど、大海に落とした砂粒を探し出すことに等しい。

 そうなれば、民族の恨みを呑んだ刺客を野に放つことになり、いつ果てるとも知れない不毛なゲリラ戦を戦わなければならなくなる。

 

 要は、市場形成の邪魔さえしなければそれだけでいい。

 一定のラインを決め、それ以上南下しなければこちらからも攻め入らないということを最北の蛮族が受け入れるなら、その防備くらいは南大陸で肩代わりするつもりだ。

 さらに、そのラインを越えて通商したいという部族があるならば、境界を越えた後に戦闘を仕掛けない保証さえあれば、これを拒むつもりもなかった。

 

 

 だが、現状では最北の蛮族に、和平の意志はないと見るしかなかった。

 そうであれば独立混成大隊が到着するまでに、最北の蛮族に対する最前線をどこに設定し、前線基地をどこに置くかを決めておかなければならない。

 最前線は、山脈地帯の中央側の麓に設定し、前線の拠点はイーバで構わないだろうというのがプラボックの意見だ。ルムもアービィもこれに異論はない。イーバを要塞化し、不死者と化した中央の民を一歩も踏み入れさせない体制を築き上げなければならない。主要街道はもちろん、細い間道まで全てを封鎖する必要があった。

 あとは、どうやって中央に取り残された同胞を救い出すかが問題となる。

 

 不死者に襲われたものからの報告で、不死者は夜しか活動できないと推測されていた。

 夜間の警戒が緩まないような歩哨のローテーションも考えなければならない。

 単純な三交代四交代では、必ず緩みが出る時間帯ができてしまう。

 

 通常の人間同士の争いではなく魔獣が絡んでいるということは、インダミトの一地方領主で対処しきれる問題ではなくなっている。

 取り急ぎ各国やマ教教会、精霊神殿に協力を取り付け、南大陸全体の問題として捉えなければならない。

 差し当たり、ベルテロイのパシュース第二王子に諮るべきだろう。

 

 だが、それらが協力体制を整え、北の大地に軍を送り込めるようになるまでは少なくとも半年は掛かる。

 国内が大混乱の最中にあるビースマックやストラーは、それ以上の時間が必要かもしれない。半年で準備を完了できたとしても、ちょうどその半年後の雪に閉ざされ軍の移動ができなくなる時期を考慮すれば、早くて次の春までは現有勢力で対処するしかない。

 かなり厳しい戦いになると、全員が冷たい汗を流していた。

 

「気になることがあります。相手には転移呪文を使う術者がいますので、道の封鎖だけでは不充分ということを周知してください」

 アービィがそれ以上の問題提起をする。

 

「だが、どうやってそれを防ぐ? 魔法障壁を、大陸を横断するような規模で作るなど不可能だ」

 プラボックが、注意するだけではどうなるものでもない点を指摘した。

 こちらは全体を守らなければいけないが、相手は任意の一点に攻め入ればいいのだ。勝利条件が厳し過ぎる。

 

「中央部に向けての警戒だけではなく、全周囲を警戒するしかありません。防衛線は背後に回られて、そちらから急襲された場合かなり脆い。これを防ぐには、背後も警戒するしかありません。確証があるわけではないのですが、術者だけが密かに潜入し、魔法陣を秘密裏に作ったうえで、大量の不死者なり合成魔獣を魔法陣を通して送り込んでくる可能性も捨て切れません。魔法探知に使えるようなものはありませんか?」

 ティアが指摘を受け答える。

 アービィとティア、バードンや神官であれば、呪文の発動に伴う気配を感知することは不可能ではない。

 だが、一般の人間にそれを求めても無理な相談だ。何か探知機のようなものが必要だった。

 

「う~ん、そんな都合の良いものはないなぁ……神官殿に作ってもらえるようなものがあればいいが。せめて、ティア様が言った魔法陣を探知できるようなものでもあればいいのだが……」

 ルムが苦しげに答えた。

 一同の表情が曇り、解決策のない袋小路に嵌ったような錯覚に囚われていた。

 

「どれほどの効力があるかは判りませんが、我が神のご加護の元結界を張ってみましょう。同時に、精霊神殿の皆様にも同様の結界を張っていただくことで、対処できることもあろうかと存じます」

 バードンが思いついたように提案する。

 

 アービィは思い出した。

 アマニュークで休息を取った際、エンドラーズが張った結果以内に悪霊やレイスが侵入してくることはなかった。レイスはあの部屋から出てこなかっただけといったらそれまでだが、少なくとも周辺を浮遊する悪霊からアービィたちの姿は見えていないようだった。

 そのことを同時にルティとティアも思い出し、それを説明する。

 

「では、バードン殿と神官殿たちに、各集落を回っていただき、結界を張っていただくということでよろしいでしょうか。バードン殿、どうかよろしくお願いいたします。神官殿たちには、私から話を通しましょう」

 応急ではあるが対応策の目処が立ち、ほっとしたような表情でランケオラータが言った。

 

 

「プラボックさん、覚悟しといてくださいよ。これからは何か一つ決める度に、ギャンギャン文句言われますから。最初は黙ってるかも知れませんが、慣れてきた頃からすごいですよ」

 アービィが重苦しかった雰囲気を振り払うように、人の悪そうな笑みを浮かべてプラボックを脅かす。

 

「アービィ殿、文句と言われるが、こちらは世話になる立場だ。中央の民に文句など言わせんよ」

 それに対して不敵な笑みを浮かべたプラボックが答えた。

 

「あら、文句が聞こえてくるって、歓迎することですわ。陰でこそこそ文句言ってなんかいられたら、何が良くないか判りませんもの。それで不満ばかり溜められて後で爆発されるより、プラボック様が腹痛に悩まされる方がずっとマシなことだと思いますよ」

 意識して場の雰囲気を和らげようとしたレイが言う。

 

「そうですよ。為政者の悪口なんて、何したって出ます。それより、悪口や文句を自由に言える雰囲気が大事なんじゃないでしょうか。為政者の悪口を言ったら罰せられるなんてことで反対意見を封じたら、レイの言うとおり反乱が起きますよ」

 レイの気遣いに気付いたティアが続けて言った。

 

「耳が痛いなぁ、ティア。じゃあ、アンガルーシーとカトスタイラスでは私の、ラガロシフォンではレイの悪口が渦巻いているとでも?」

 ランケオラータが混ぜっ返す。

 

「はい、きっと」

 ルティが一言で済ませ、笑いが弾ける。

 

 

 平野の民と中央の民による連邦国家が誕生した。

 もちろん、まだ国家としての体裁が整っているとはいえない。そこに住む人々に帰属意識もまだ生まれていないといって過言ではない。

 だが、今まで何の希望も見出せなかった北の大地に、大きな希望が芽生えたことだけは確かだった。

 

「ところで、ルム殿。なんでティア殿だけ、ティア様と呼んでいるんだ?まさか……」

 プラボックの問いにルムが答えに窮する。

 

 再度、笑いが弾け、事情を知らないプラボックとオンポック、そしてバードンが憮然とした表情を作り、プラボックだけが何かを思いついたように笑い出した。

 彼は、盛大に誤解しているようだった。


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