狼と少女の物語   作:くらいさおら

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第69話

 アービィたちが北大陸連隊と今後の方針を協議している頃、南大陸の中心にある教都ベルテロイの駐在武官官舎に、四人の王族駐在武官が集っていた。

 ひとつの敷地内に隣接して建てられた官舎は、故郷の王宮に比べれば狭いものだったが、王族の権威を汚さない程度の豪華さと庶民の反発を抑える程度の品の良さが漂っている。

 必要最低限の生活に必要な部屋と執務室、そして応接室と会議室しかないが、無駄に広い王宮よりよほど暮らしやすいとストラー第三王女であり、この官舎の主であるアルテルナンテは感じていた。

 

 インダミト国第二王子のパシュースが最初に訪れ、ストラー国内での騒乱の後始末に慰労の言葉を述べた。

 次いでラシアス国第三王子のヘテランテラが同様に声を掛ける。最後に少々疲れた表情のビースマック国第三王子のフィランサスが、三人に礼を述べた。

 ようやくのことで、南大陸の四国家全てを巻き込んだビースマック騒乱の後始末が終わり、アルテルナンテの主催でささやかな慰労会が行われていた。

 

 

「我が国民をあまり酷使しないでもらいたいものだな、アルテ、フィー。話は聞いたぞ。勇者殿がシュットガルドでぶっ倒れになったそうじゃないか」

 パシュースが二人を見ながら言った。

 

「その点については申し訳なくおもうけど、酷使という点ではあなたには負けてると思うの。充分な休養も取らせずに北の大地に放り込むなんて、人の所業とは思えないわ」

 侍女に任すことなく、王女自らがワインを注ぎながら答えた。

 これから話す内容が内容なだけに、食事の準備はともかくこの場には四人しか入れられない。

 パシュースは、いや北の大地へは勇者殿が自発的に行ったのだが、と呟きながら、グラスにワインを受ける。

 

 ストラーではアマニューク砦で悪霊退治をした後、国内に燻る他国へ影響力を持ちたがる貴族を炙りだしていた。

 ビースマック騒乱の後に、フィランサスが持ち帰った完全体のガーゴイルが決め手となり、リトバテス公爵とローグルバ男爵、ヴィングストニー男爵の両男爵を始めとした一派十数名を検挙することができた。

 もともとの打ち合わせ通り貴族特権を全て剥奪のうえでの追放刑が決まっているが、多少手間取ったためルムたちの出立には間に合わなかった。

 

 後日、国の官憲が付き添いのうえ、地峡を越えることになっている。

 首謀者に名を連ねる貴族家長たちは、ビースマック同様家族にすら計画を漏らしておらず、家族にとっては青天の霹靂だっただろう。

 付き合いのある友人たちがいる国で起きた騒乱に心を痛めていたら、その友人とあろうことか自分の家族が首謀者だったなど、性質の悪い冗談にもならない。

 

 

「宰相には俺が着くまでは引き留めておけと言ってあったが、入れ違ってしまったらしい。ヘッテにまで手間を掛けさせて済まなかった」

 フィランサスは素直に頭を下げるが、グラスはアルテルナンテの方向へ出されていた。

 

 ビースマックは、ストラーほど後片付けは楽ではなかった。

 首謀者たちはほとんどが騒乱の中で命を落としていたが、手先となっていた下級貴族や騎士階級の軍人たちの処分に頭を悩ませていた。

 特に小隊や中隊を率い、率先して反乱に身を投じた小隊長や中隊長は、その全てが捕縛され縛り首になっている。

 だが、その配下で命令に従っただけの兵をどうするかで、閣僚たちの意見が分かれていた。

 

 反乱に身を投じた以上は罪は罪。

 全員を捕縛して取り調べたうえで反乱の意志がない者は軍から放逐、少しでも共感を見せたものは終身禁固という意見が一つ。

 もう一つは、命令に従っただけの者をここで罪に問うことは、再度の反乱の芽を残すことになり、向後の憂いとなるとして、罪には問わないとするものだった。

 

 さらに首謀者の家族は追放刑で決まりだったが、その中の一人であるハラの家族を追放となると、ブレフェリー家が国から消える。

 宰相の懐刀として、国家の柱石を担うこの家を潰すわけにはいかなかった。

 しかし、ブレフェリー家だけを優遇するわけにもいかず、そうなると他の首謀者の家族も国内に留め置きとなり、ストラーの処断が過酷なものと写ってしまうだろう。

 

 散々頭を悩ませたが、ある程度の処断は必要ということで表向きは厳しい沙汰を下していた。

 まず、反乱に参加した兵は、全員を捕縛して取り調べの結果、命令に従っただけの者は沙汰無し。

 反乱の意志はなかったものの、積極的に手を貸したものは期限付き禁固ということになった。

 

 そして、ブレフェリー公爵家は改易。

 リンドリクを伯爵に叙爵したうえで、新たな伯爵家として政務参議官に任ずる。 

 父である政務参議官ブレフェリー公爵は家族の監督不行き届きとして、男爵に降格のうえで他の反乱首謀者の家族たちと共に北の大地へ追放刑に処す。

 だが、これは当然公表などしないが、ランケオラータの懐刀としての役割を負わせるための方便だ。

 

 ランケオラータはまだ若い。

 若さは武器だが、国家の経営には老獪さも必要だった。

 そして、これの処分であればハーミストリアに咎を負わせることなく、インダミトの顔を潰すこともない。

 

 さらには北の大地の利権にビースマックも食い込むことができる。

 少し考えれば誰にでも分かってしまうことだったが、強引に押し通していた。

 パシュースもそれは承知していたが、敢えて異を唱えることはしなかった。

 

 

「いや、礼や謝罪には及ばんさ。莫迦女が始めようとした火遊びを事前に吹き消しただけだ。それに、中隊を出したのは俺の独断で、勇者殿へのせめてもの罪滅ぼしと思ってくれ。ウチの莫迦女を遣り込めただけにしてくれた勇者殿には、あれくらいではまだ足りんくらいだ。なにせ……」

 ヘテランテラは言葉を区切り、一同を見渡した。

 

「この世界に勇者殿を攫ってきたのは、我が国だ。どう申し開きしようと許されることではない。勇者殿の異世界での暮らし、家族、友全てを奪ってしまったのだからな。魔王すら倒す力を持つというのならば、我が国を滅ぼすことだって雑作もないはずだ。だが、勇者殿はそれをしなかった。滅ぼされても文句一つ言えない我が王室だが、民を路頭に迷わせることにならなくて済んだ。それだけでも、俺は勇者殿に一生頭が上がらん」

 ヘテランテラは心の内を吐露した。

 

「ラシアスとしてはどうなんだ? 北の民の手助けはできないか?」

 パシュースが聞く。

 

「国民感情を鑑みるに、諸手を挙げてとはいかん。数百年の間に積もりに積もった悪感情を払拭するのは、そう簡単ではないことは解るだろう?閣僚たちも貴国の軍が通過するのを認めた理由は、我が国の負担が減る、という一事だからな」

 難しい顔でヘテランテラが答えた。

 

「だが、我々が送り込む物資への関税や通行税で、貴国は潤う。これは北の民への感情を和らげるのに役に立つだろう?だからといって、安易な関税の吊り上げはやらせるなよ」

 後は貴国の政治が片付けるべき仕事だ、とパシュースは付け加えた。

 

「それに関しては釘を刺しておこう。既にインダミトとビースマックは商港の整備を進めている、とね」

 目先の利益で将来に亘る大きな権益を逃すほど宰相コリンボーサは莫迦ではないだろうが、政治センスに乏しい摂政ニムファがどう出るかヘテランテラは一抹の不安を感じている。

 

「我が国は、勇者殿には全面的に協力させていただくわ。国内の膿を出させてくれたのだし、ね。どうすればいいかしら。関税と通行税を下げる? 我が国も、商港を整備させようかしら」

 アルテルナンテが言う。

 無償で食糧援助はやれないことではないが、国庫は無限ではない。

 また、いくら勇者に対して恩があるといっても、何の利益も上げられないのであれば、国として動くことはできない。

 

「当然我が国もだ。彼の地で勇者殿が困るなんてことは見過ごすことはできない。やはり、関税と通行税か? あとは商港の整備だな?」

 フィランサスが追随する。

 

 高額な関税は商品の単価を引き上げ、購買意欲を下げさせる。

 ラシアスに儲けさせるためにはある程度の関税は甘受するが、さらに行く先で高額の関税が掛かっては庶民の手には入り難くなり、貴族だけではたいした需要にはならない。

 もう一つは、万が一ラシアスの関税が吊り上げられた際の、交易ルートの確保に繋がる。

 

「そうか。ならば話は早い。当面、関税と通行税を下げてくれたらそれで良い。良い物がいろいろあるらしい。金、銀、銅、鉄、宝石も、燃える石も、燃える水も大量にあるそうだ。アルテのところが出してくれた作物の生産が軌道に乗れば、南大陸の食糧事情も好転する。当面はこちらの食料を売るばかりだろうがな。そして当然だが、我が国は自国民保護に全力を挙げる。勇者殿だけでなく、忠勇な我が国の侯爵も彼の地に渡ったからな」

 パシュースは、場の雰囲気が自ら思い描いた通りであることに安堵し、南大陸の安全保障上過去に類を見ない改変案を話し始めた。

 

 

「君たちも知っての通り、過日北の民の指導者であるルム殿が我が国を訪れた。その際にウチの古狸と話し合って、最北の蛮族に対して共同戦線を張ることで合意している。当面はカトスタイラス領とハイグロフィラ領の兵と、あのアーガスの馬鹿踊りで北の捕虜になっていたボルビデュス領の兵がそれに当たることになっている。今後だが、北の民とは交易を行う関係上ウジェチ・スグタ要塞は開放したい。無闇な移住はルム殿も困るといっていたので、許可証なりを出してもらって消極的禁止だ。もちろん、南大陸から北の大地への移住は歓迎すると言っていたし、奨励したい。流れ込まれて困るのは、南大陸に敵意を持つ者だけなんだ、実際には。つまり、武力を持ってルム殿に連なる民を追い返すのではなく、交易によって北の民に南下の意義を失わせればいいと言うことだ」

 グラスのワインで喉を湿らせ、パシュースはここからが本題だとばかりに三人の顔を見渡す。

 

「ウジェチ・スグタ要塞に詰めている各国の兵を、ランケオラータ侯爵に預けたい。もちろん軍自体の総指揮は、ヘッテのところのラルンクルスでいい。今はインダミト国の諸侯連合軍だが、南大陸連合軍として北の大地に住まう山岳地帯の民、ルム殿率いる平野の民、山脈の民、中央の民を支援する」

 パシュースの口調が熱を帯び、頬が紅潮したのは酒のせいだけではなかった。

 三人の王族武官は、そうこなくてはいかん、という表情を浮かべ、力強く頷いた。

 

 

 この世界初の南北両大陸合同の戦略会議があった翌朝、ヌミフとオンポックはハイスティに連れられパーカホを出た。

 ウジェチ・スグタ要塞通過後はラシアス国内を一気に縦貫し、ベルテロイを経由してインダミトに入る予定だ。既にパシュースからヘテランテラを通して道中の安全確保は依頼済みであり、ラシアスの北の民に対する国民感情がどうであれ、ウジェチ・スグタ要塞からベルテロイまで軍の護衛が付くことになっているが、彼らはそのことをまだ知らない。

 憧れの地であり、敵地でもある未知の世界への期待と不安を抱え、ヌミフとオンポックは旅路を急ぐ。

 

 ハイスティはそんな二人から矢継ぎ早に出される質問に答えながら、微笑ましい想いに捕らわれている。

 商人に身を窶し、国家間の薄汚い謀略や諜報に従事してきた彼にとって、この百日ほどは久々に正体を隠すことなく表街道を歩くことができた貴重な日々だった。身体までも休めるような安寧の日々ではないにせよ、睡眠時すら緊張感から解放されることのない南大陸での毎日とは別世界だ。

 もちろん各国の諜報員が紛れ込んでいることは承知しているが、対北の民としての情報収集が主任務であるため、互いの利害がぶつかることもなく消極的休戦が暗黙の内に成立していた。

 

 地峡を越えればまた商人として動き回ることになるので、その説明をしたところ、何故身分を偽るのかという素朴な疑問が返され、ハイスティは返答に窮してしまった。

 裏切りや殺し合いには慣れていたが、裏切りを前提とした付き合いや、それを職業とすることにヌミフもオンポックも驚きを隠せない。それ以上に裏では腹の探り合いがあることはいいとして、殺し合いをしながら表面では友好を唱いあげ、言葉だけでなく本当に友好関係を築いていることが信じられなかった。

 

 友好を唱える人々に、隠れて殺し合っているのではない。

 皆承知の上で友好を唱い、殺し合う。

 北の民であれば、片方が滅びるまで矛を収めることはなく、話し合いなどは無条件降伏を伝えるときまであり得なかった。

 

 これから先、インダミトへは視察という名目で行くのだが、実態は留学であり、南大陸の考え方や価値観への洗脳とも言える。

 ルムもそれは承知の上だが、完全に洗脳してしまっては後々軋轢を生むだろう。北の民自らが南大陸の価値観を、周囲の人々に押し付けては反感を生むだけだ。

 南大陸で生まれ育った北の民とでもいうのなら兎も角、生まれも育ちも北の大地で、そのうえ指導者の身内となれば、北の民を南大陸に売り渡したとの誹りを受けても仕方がないだろう。

 

 無理に北の民の価値観にこちらから諂う必要は全くないが、南大陸の価値観に染め上げる必要もない。

 普通に南大陸の価値観や考え方で物事を教え、折に触れて北の大地にどう応用させるか、両者で考えればよい。

 若い二人がどちらかにかぶれた思想に染まらないように、常に注意し、適した人材を充てればよいとハイスティは考えていた。

 

 期待に満ちた瞳を輝かせた二人を連れて、ハイスティがウジェチ・スグタ要塞の前にたどり着いたのは、パーカホを出てから十二日後。

 朝夕に吹く風に、時折涼しさを感じ始めた夏の終わりだった。

 

 

 ハイスティがヌミフとオンポックを連れてインダミトへ旅立つのを見送った後、アービィたちは引き続きそれぞれの打ち合わせを続けている。

 アービィは、ルムとプラボックと共に北大陸連帯司令部と各級指揮官たち、バードンや精霊神官を交えた戦術会議に臨み、ルティとティアは、ランケオラータ夫妻に北の民でも商売に明るい者を交えた商戦略会議に入っていた。

 

「山脈地帯全ての集落に、南大陸の兵を配置することは不可能であります。数字の上では可能に見えますが、その場合各拠点に配置できる人数は手薄になり、休息を取ることは無理になります。いかに口で精強とは申し上げても、睡眠すらまともに取れない状況では、防衛戦闘は無理であります」

 戦務参謀が、兵力についての説明を終え着席する

 

「山脈の内、人馬が行動可能な範囲は、平地において馬が全力で駆けて、三日ほどの長さと聞き及んでおります。それ以外は人の足では踏破できない峻険な高山地帯か、常に泥濘と言って過言ではない沼沢地であります。従いまして、我々が防衛行動を取ることが可能な地域に、重点的に前衛部隊を配置し、高山地帯及び沼沢地は、平野部との境界に防衛線を構築すべきと思慮いたします」

 作戦参謀が発言を終え、再度戦務参謀に発言を促す。

 

「イーバに司令部を設置することに異論はないと考えます。しかし、当初計画しておりました山脈の集落全てに南大陸の兵を配置することに関しては変更を余儀なくされています。全兵力を投入すればこれもまた可能ではありましょうが、兵站に重大な支障を来してしまいます」

 核心に触れる前に戦務参謀は着席し、再び作戦参謀に発言を促した。

 

「イーバに司令部を置くことに、変更はありません。警戒配備に就く大隊の戦闘に携る人員は約六百名、四個中隊です。各中隊は百五十名で、五個小隊で構成され、小隊三十名は三個分隊、分隊十名は二班五名ずつで構成されています。イーバより中央寄りにある十九の集落に一個小隊ずつを配置し、半数を前線勤務と休養に分けます。休養に当たった班は、イーバを含めて四カ所に拠点を構築し、所属中隊ごとにそこに集め、万が一の場合戦力を集中活用するための予備兵力とします。前線勤務は、分隊ごとの三交代。日の出から日没までをひとつ、日没から夜半までをひとつ、夜半から日の出までをひとつとして、一日に隙が出ない警戒態勢を取ります。幸い、拠点とするイーバより中央よりの集落は、歩兵の一日の行動圏内に収まっていますので、この計画であれば山脈防衛線上を常に五名の班が哨戒できることになります」

 作戦参謀はここまで説明し、会議に出席した面々に質問はないかと問う。

 

 

「五名とは心許ないな。もっと増やしてもらいたい」

 プラボックが言った。

 

「もちろん、南大陸からの増援がありましたらそうしましょう。ですが、現状ではこれが限界であります」

 後方支援を主任務とする戦務参謀が答える。

 

「北の民の方々にも働いていただきます。イーバより後方の集落に詰めていただき、万一の決戦兵力となっていただきます。ここからは志願があればですが、前線の小隊にも入っていただきたい」

 作戦参謀がプラボックに言った。

 

「了承した。山脈の民を充てよう」

 プラボックは少し考えてから言う。

 

「それはダメです」

 アービィが挙手しながらも、否定は許さないという気迫を見せながら言った。

 

「アービィ様、ご説明を。ただ、ダメだけでは……」

 アービィの意図を感じ取り、険悪になりかねない雰囲気を察知した戦務参謀が、アービィに正式な発言の機会を作る。

 

 

「では。山脈の民の皆さんは、盾ではない。前線は、中央の皆さんがするべきです。今でこそプラボックさんたちに服従してはいますが、元々は独立した部族集団です。いくらそこに住んでいたからといって、支配下にある部族のみを最前線に放り込んだら反感を買います。志願があれば別ですが、顔色を窺っている今、こちらから志願を募ることは強制に等しいものがあります。まずは、中央の皆さんが範を垂れ、山脈の皆さんが自発的に防衛に加わるのを待つべきです」

 アービィは山脈の民が自尊心を取り戻すためには、最前線に出るべきだとも考えていた。

 今のままでは、山脈の民は中央の民の支配下のまま、未来永劫屈辱を飲み込んで暮らしていかなければならない。

 この戦乱が終わればそれぞれの居住地に帰ることになるが、山脈の民は父祖の地を奪い返せたことにはならない。

 だが、現状で山脈の民を最前線に投入することは、使い捨ての駒にしたと受け取られるだろう。

 志願を募っても、アービィの言う通り強制でしかない。

 

「では、どうしろと?」

 プラボックが問う。

 

 両者に険悪な空気が流れる前に、作戦参謀が発言の許可を求めた。

 

「山脈の皆さんには、高山地帯の麓なり沼沢地との境界なり、行っていただかなければならないところがあります。中央の皆さんに、山脈の守りはお願いしたいと考えていました」

 連隊司令部やランケオラータにしても、山脈の民の自立は大きな問題だった。

 武力で奪われた土地を自尊心と共にいかに平和的に戻させるか、それも後々にしこりや貸し借りを残さないようにだ。

 

 中央の民にしてみれば山脈は仮の住まいであり、父祖の地を取り戻せれば無理をしてまで居座る必要はない。

 何もしなくとも出て行くだろう。

 しかし、魔獣に蹂躙され、屈辱的な条件で中央の民に膝を屈した山脈の民の自尊心は、それでは取り戻すことはできない。

 征服されたことで自尊心を失ったまま堕落し、常に援助を集るようになるか、下手をすれば新たな火種にもなりかねなかった。

 比較的安全な後方で防衛任務に就けつつ、彼らから最前線に出ると言い出すように誘導することも、戦務参謀に課せられた重要な任務だった。

 

「ですが、我々は山脈の地理に詳しくない。山脈の民の中から、各小隊に数名ずつは付いていただかなければなりません。それでいかがですか?」

 戦務参謀が長い説明を終え着席する。

 

「承知した。我らとて、山脈の民を盾として後方で安寧を貪るつもりは、元よりない。父祖の地を望む最前線に就くことに、嫌があるわけではないからな。それに、山脈の民を永遠に面倒見続けるわけにもいかん」

 プラボックは戦務参謀の説明に納得し、自らの案を撤回した。

 

 

「前線の防衛体制については、各部会で早急に実施計画を纏めてもらう。兵站任務についても同様だ。早急に舗装と、食料を含む物資の輸送を始めなければ、我々が来たことで北の大地が餓えかねない。自壊するために来たのではないからな。兵站に関しましては、平野の民の皆さんに働いていただきます。ルム様、それでよろしゅうございますか?」

 連隊長がルムに確認した。

 

「最前線に就く栄誉はいただけないのかね、連隊長殿?」

 先陣切って剣を振るえないことに、ルムは僅かに不満を感じていた。

 

「その機会は、この先いくらでもありましょう。それよりも、腹が減っては戦になりません。前線の防衛も兵站も、どちらも同等に重要な任務であります。それに、ルム様にはランケオラータ様とともに、平野の経営をしていただかなければなりません。剣など、当分の間油にでも漬けておいていただきましょう」

 連隊長がにべもなく言い、ルムが盛大に落ち込んだところで会議は終了となり、部会ごとの細部の詰めに移行していった。

 

 

「まずは、食料の自給率を上げることだ。昨年とは比べ物にならないほど収穫が見込めるとは言っても、中央と山脈の民が流れ込んできている。人口が倍以上だ。当面カトスタイラス領のカネで南大陸から食料を買い込むが、それだけでは早晩立ち行かなくなる。来年の収穫が、今年の倍以上になるようにしてもらいたい。これは、南大陸と交易する以前の問題だ」

 今は第一大隊と名称を変えた独立混成大隊が入っただけでも、食糧の増産分は相殺されている。

 そこへ中央と山脈の民が流入し、食糧事情は一気に悪化していた。

 何よりも食料の確保が、優先される状況だ。

 

 地峡に続く山岳地帯を除き、貨幣経済が発達していない北の大地に購買力はない。

 かといって、ランケオラータは食料を始めとする物資を恵むなどとは、微塵も考えていなかった。

 カトスタイラス侯爵の名で購入し、それを北の大地で産する貴金属と交換する。

 

 鉄やその他の金属、燃える石や水は、ランケオラータが持つカネや、北の大地で産した貴金属を加工したカネ、南大陸から来る商人たちが持ち込むカネで購い、貨幣経済を根付かせることをランケオラータは考えている。

 貴金属鉱山の運営が軌道に乗るまでは、ランケオラータは食料を始めとした物資の代金を立て替えるだけだ。

 

 

 造幣も、技術を持った者がインダミトから派遣されるまでは、棚上げになっている。

 造幣の許認可については、財務卿が父であるハイグロフィラ公爵である以上問題ないが、誰の手に渡るか知れない貨幣の鋳造がいい加減であってはならない。

 少しの手抜きで北の民全ての信用を、失わせることになる。

 

 以前から南大陸と交易していた山岳地帯の民を除き、北の大地に貨幣経済が根付かなかった理由は、平野にしろ山脈にしろ、中央にしても単一部族で一枚岩というわけではなく、多くの部族が入り交じっていたからだった。

 これまでは部族毎に自給自足の生活を送り、互いの交流は積極的とはいえず、略奪や土地の奪い合いが頻発していた。

 

 それがアーガスの独断専行を迎え撃つために平野部が纏まり、結果的に中央と山脈の民を受け入れることが可能になった。

 そう考えると、アーガスの罪も多少は軽くなるかも知れない。

 中央や山脈の民にしても、最北の蛮族が一気に侵略してこなければ、ここまでの纏まりを見せることはなかっただろう。

 最大の災厄を却って奇禍とできたことは、犠牲となって亡くなった人々に対してはなはだ不謹慎だが、喜ぶべきことであったかも知れなかった。

 

 ランケオラータは、この機会に北の大地に経済の概念を植え付け、繁栄の基礎とするつもりだ。

 それはルムへの個人的な友誼や、純粋に両大陸の平和を望む心情から来る部分もあったが、平和の内でしか繁栄することができない商業国家としての宿命を背負った、インダミト王国の国家戦略に則るものであった。

 

 

「あたしたちが買い込むために南大陸から運ぶ物資や、北の民からの徴税はいかがなさるおつもりですか?」

 ティアが訪ねた。

 

 税の概念がない北の民から、いきなり人頭税や年貢を取り立てる等の徴税は難しい問題だった。

 南大陸では当たり前になっている貴族の徴税権は、インフラ整備の資金として活用されることが前提だ。

 そして領主が見窄らしい生活を送っていては、他領から見下されることがあるため、貴族はある程度の見栄を張り豪奢な生活をする必要もあった。

 

 領民たちは、領主が他の領地より豪奢な生活を送ることを、自分の見栄としている部分もある。

 ウチの領主様はお前の所より羽振りがいいぞ、それを支えているのは俺たちだ、というわけだ。

 領主自らが清貧であっては、領内が遠慮して経済が滞るだけでなく、税収が足りていないのではと領民が不安になる。

 

 当人が望むと望まざるとに関わらず、もちろん程度問題だが、貴族はふんぞり返っていることは、反感を買うことも多いが、それ以上に領民を安心させる効果が大きいのだった。

 ただし、それはあくまでも南大陸の常識であり、そのまま北の大地に通用するわけではない。

 インフラ整備の習慣がないため、税の目的を理解させるところから始めなければならない。

 それをしなければ、ただの簒奪者として、北の大地を叩き出されるだけだ。

 

「人頭税にしろ売上税にしろ、金銭で徴収する税は当分無理だ。だが、後になって取るとなれば反発は必至。所得税や売り上げ税がない分、年貢を多くするしかないだろう。かといって、南大陸で一般的な四公六民では、民が餓える。三公七民でいくしかない。収穫を増やし、余った分は我々が買い上げる。それである程度の収入が確保できたら、年貢率を下げて人頭税や売り上げ税を導入しよう」

 ランケオラータが当面の方針を説明する。

 金銭収入がない以上、収穫物による物納しか手がない。

 これをカネに換え、南大陸から物資を買い込む。

 年貢を低く抑え、余剰収穫物を安く買い上げ民に貨幣を浸透させつつ、北の大地に還流させ市場を形成する。

 やるべきことは気が遠くなるほどあった。

 

「北の大地内の税は解りましたが、関税や通行税はいかがなさいますか?」

 ルティが聞いた。

 今のところ主な購入者はランケオラータだ。

 当たり前だが、商人たちは税を上乗せして売価を決定している。

 関税や通行税は主たる収入源だが、その分も結局は同じ懐から払うことになり、収入にはならない。

 

「もちろん徴収するわ。今のところ私たちの懐内で出入りするだけだけど、将来北の民の購買力が上がって私たちを通さず購入するようになってくれなきゃ困るの。でも、その時になっていきなり関税や通行税を取るなんていったら、商人たちは北の大地を避けてしまうかもしれないのよ。ただし、南大陸の関税率は高すぎるわ。低くても五割、高い領地だと二十割なんて場所もあるくらいよ。ここは、せいぜい二割。できれば一割、通行税と合わせて二割程度で良いと思うの」

 レイが答えた。

 レイの話す内容は、アーガスの失政でどうしようもなかったラガロシフォン領を、ティアからのアドバイスに従って立て直した経験に依っている。

 目先に転がる安易な収入増に目が眩み、商人の流入を止めてしまっては本末転倒だ。

 関税や通行税を低い税率に抑え、活発な商業活動を促進し、売上税や所得税で税収を上げた方が、結果的に増収に繋がることをレイは経験から知っていた。

 

「私は軍にも期待しているの。千人以上の購買力は馬鹿にできないわ。最初は私たちの懐内でおカネが回るだけでしょう。でも、北の大地の生産力が上がって、それから北の民が商売を覚えて、私たちを通さず仕入れができるようになれば、おカネは北の民たちに落ちるようになる。いずれは私たちも南大陸から食料を買うんじゃなくて、北の民たちから買えるようになってほしいのよ」

 レイの言葉をティアは頷きながら聞いていた。

 

「ティア、ありがとう。あなたがいろいろ教えてくれたから」

 ティアを見たレイが小さく呟く。

 

「え? いや、そんな、ただ思ったことを口にしてただけだから、あたしは」

 ティアが照れたように取り繕う。

 

 以前、ティアは、魔獣としてではなく、性の対象という女としてでもない、一人の人間として認められたことが嬉しかったと言っていた。

 だが、それはティアが人間として認められたということではなく、ティアという一個の生物の存在価値を認められたということだった。

 その意義に気付いた今、それがティアを突き動かす原動力となっている。

 

 本能の赴くままに生きていた頃とは違い、一人の男を愛してしまったとき以来、人に仇成すだけの存在である魔獣に存在価値があるなど、ティアは思ってもみなかった。

 それ故、ラミアという魔獣であることを隠して生きている。

 アービィに魔獣の未来を託していたティアだが、自分もその未来を切り開いていることに、ティアはようやく気付き始めていた。

 

 

 そこへ軍議から解放されたアービィとルム、プラボックとバードンが入ってきた。

 最北の蛮族への備えにこの四人は欠かせないが、北大陸経営にも欠かせない存在だ。

 おおまかな流れを掻い摘んでティアが説明し、交易や観光事業の話が始まった。

 

「アービィ、異世界にも燃える石とか水はあったんでしょ? どんな使い方してたの?」

 ルティはアービィが部屋に入ってきたのを見ると、興味津々という表情で聞いた。

 

「燃える石も水も、一番の使い方は燃料だね。馬車の馬がいらなかったり、船を走らせたり、空を飛ぶ乗り物もあったよ。それから、燃える水からは、いろんな物が作られてた。例えば、丈夫で肌触りがいい布とか、ガラスみたいなものとか」

 アービィは思いつくままに話した。

 

「じゃあ、それ全部作れる?」

 瞳を輝かせたレイが聞いた。

 

「うん、無理。僕はそっち専門じゃないから。それに、この世界にある鉄じゃ強度が足りないし、足りない薬とかがまだ多すぎるんだ。多分だけど、あと四、五百年後だよ、燃える水を燃料以外に使えるようになるのは」

 あっさりとアービィは言った。

 アービィは、最低限の化学や物理の知識はあったが、工業系の知識については皆無に等しい。

 イメージで蒸気機関の仕組みは解っているが、図面を引けるわけでも、図面があっても組み上げられるわけでもなかった。

 

 それにこの世界の冶金技術では、充分な強度を持った鉄を作ることはまだ無理だ。

 まずは、高火力を得られる石炭による製鉄技術を進化させなければ、もしアービィが知識や技術を持っていたとしても、材料が手に入らない。

 未来の技術で文明が一気に進歩するなど、アービィにはどう考えてもあり得ない話でしかない。

 

「なんだ、つまらない。じゃあ、今なら何に使えるの?」

 ルティが面白くなさそうに言う。

 

「当面は、燃える石を燃料に、だね。薪より、炭より効率が良いよ。それから冶金にはすごく役に立つ。あとは料理。ラガロシフォンで作ったピッツァとか、炒め物がもっと美味くできるかな。温泉がなくても温かい風呂も沸かせるしね。燃える水は灯りにも使えるよ。火事には注意しないと危ないけどね」

 アービィは考えつつ言った。

 この世界でも石炭は、ストラーで無煙炭が産出し、ビースマックやインダミトで製鉄や暖房の燃料として利用されていた。

 だが、その産出量はごく少量で、広範な利用法が確立しているわけではなかった。

 

 いきなりプラスチック製品や内燃機関を作れるほど、知見も技術も蓄積がない。

 アービィもたいした知識を持っているわけではないので、ヒントくらいしか出すことはできなかった。

 それでも蒸気機関のヒントをビースマックの職人たちに提示すれば、そう遠くない未来に実用化に漕ぎ着けられるのでは、という期待はあった。

 

 

「例えばさ、今風車とか水車で水を汲み上げたりしてるでしょ。それを動かすために、燃える石を使うんだ。お湯を沸かすと湯気が出るよね。鍋だと、お湯の表面全体から、湯気が立ち上るでしょ。それをね、先が窄まって小さな穴を開けた蓋から湯気を出すと、すごい勢いになるんだよ。ヤカンだと湯気の勢いってすごいでしょ。その勢いで風車を回せば、ね。出た湯気をまた鍋に戻せるようにすれば、水を足す必要も少ないから。これができれば、いろんなことに応用できるんだ」

 アービィは蒸気機関の概念だけを伝えた。

 もちろん、これだけで動力機関を完成できるとは思っていない。

 

「面白そうだな、それは。ビースマックからの入植者がいれば、北の大地の、特許とかいったか、それにできるんじゃないか?」

 ランケオラータがアービィに言う。

 

「そうですね。ただ、かなり複雑な仕組みですから、ビースマックに開発を依頼した方が早いと思います。僕のいた世界でこれを考えついた人は、不世出の大天才と言われた人です。その人ですら、実用化までは一人では無理でした。ビースマックの職人集団が大挙して移住してくれるなら、あるいは北の大地だけでも開発できるかも知れません。でも、それはかなり望み薄でしょうね」

 北の民の利益を優先するなら独自開発だが、知見も技術の蓄積もまだほとんどない。

 世界全体の進歩を優先するなら、ビースマックに開発を依頼した方が圧倒的に早いだろう。

 アービィはそう考えていた。

 

 

「それよりも、燃える石や鉄、金銀銅の採掘道具、農耕機具の改良の方が先です」

 アービィは言った。

 犂(すき・プラウ)はこの世界でも発明されており、ストラーでは改良を重ね鉄製の良質な物へと進化していた。

 北の大地でも独自に発明され、進化の収斂によって南大陸で普及しているものと、ほとんど変わらない形の物が使用されている。

 

 鍬や鋤、スコップ、ツルハシにしても同様だった。

 しかし、南大陸との決定的な違いは、その材料にあった。

 南大陸では鉄製の物がすでに一般化していたが、北の大地では絶え間ない戦乱のせいで鉄は武器へと優先的に利用され、農機具へはほとんど利用されていなかった。

 

 ランケオラータは、農機具を南大陸から買い込めばいいと考えていたが、アービィは違った考えを提示した。

 武具こそ南大陸から買えばよい。

 今後、最北の蛮族以外が、南大陸に弓引くことはないという証明にも繋がる、と言ったのだった。

 

 もし、北の民が南大陸との戦を企むなら、武具を禁輸してしまえばよい。

 魔獣や野盗を防ぐためであれば、武具は買い込むだけで充分とアービィは言った。

 もちろん、独自開発の継続は技術の発展に繋がるため、これは奨励するべきとも付け加えている。

 

 だが、今は農耕機具や採掘器具の開発や大量生産が優先だった。

 武具ではいくら頑張っても食料は作り出せないからだ。精霊神官たちは、南大陸から農具も持ち込んできている。鉄製農具の効率の良さは、既に北の民も気付いており、早くもそれらを手本とした模倣品が作られていた。

 神官や義勇兵の中には鍛冶の技術を持つ者もおり、石炭を利用した製鉄も始められるだろう。

 そうなれば、その鉄を利用した採掘道具の改良も始まり、北の大地の生産力は、急速に伸び始めることは間違いない。

 

 この冬は、雪に怯えるだけの冬でなくなる。

 ルティは、アービィが言った蒸気の現実的な利用方法や、石炭を利用した効率の良い暖房を考えている。

 ティアは、最北の蛮族もこの流れに乗ればいいものをと思っている。

 

 次の春には、北の大地奥深くに足を延ばし、最北の蛮族と接触を持ってみよう。アービィはそう考えていた。


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