朝だ。
今日から、ホグワーツ魔法魔術学校の生徒となる。
寮生を免除された俺は、校内の隠された部屋の一部で暮らしている。今、校内にいる生徒は俺だけだ。
入学を祝う為の宴は夕刻を過ぎてからになる。どんな子供達が来るのだろうかと考え、リズを傍らに呼んだ。
ああ、リズはこの間の蛇の名前である。
性別が雌である事は分かっていたし、どうせ長く付き合うのだからと可愛らしい『リズ』という名前にしたのだ。だいぶ昔に赴いたことのある世界の狙撃手の名前を拝借させてもらった。あの人は、可愛らしいというより美人だったか...。
さて、昼過ぎまでリズと話し込む前に朝食にしよう。
出来上がった物は、ドロッとした緑の液体。
なんてことはない。只の野菜ジュースだ。ちょっとばかり魔法を使って五倍くらい凝縮してあるが...。これを更に凝縮させ、小さな錠剤をいくつも作り出す。......よし。これでいいだろう。
こんな事をしている理由は、腹を満たす為だ。いつでも、どこでも、好きな時に腹を満たす為の代物だ。本来ならば食事など摂取せずとも生きていられる体だが、腹が減らない訳ではない。そして、俺はリズと違って大喰らいなのだ。成人男性の一日分の摂取量が、俺にとってはオヤツ感覚でしかない。以前訪れたことのある世界でも驚かれたくらいだ。
この世界では、一日に摂取出来る時間が少ない。と言うのも、一日の大半を授業を受けて過ごすからである。まあ、俺自身は何の影響も受けないが、周りの生徒達はどうだろうか。「腹の虫の音で集中出来ない」などと暴行されそうになるのではないだろうか?
そんな事にはならないようにしなくては。
人殺しで退学だけは免れたい。
一粒、口へ放り込み胃へ流す。
「ごちそうさまでした」
うん。味も悪くない。腹も膨れた。満足だ。
さあ、リズと話し込むとしよう。彼女の生まれ故郷の話。家族の話。鱗の秘密。......年齢? いくら動物と言えど、女性に年齢を尋ねるのは失礼ではないか?
リズとの会話を楽しんでいる中、突然部屋をノックする音が響いた。この部屋の事を知っているのは、俺以外には爺様と数名の教師くらいしかいない。
「今行く。少し待て」
まあ、こんな事言っても、外側には何も聞こえないのだがな。扉まで近付くがリズが警戒していない。つまり、扉の向こう側の人間は敵ではないということだ。
扉を開くと、そこには予想通りの人物がいた。
「準備は万端かの?」
「何の用だ、爺様」
「うむ...。一つ伝え忘れていた事があっての。今夜の宴の席で、お前さんには余興をしてもらう事になっておる。今の内に考えて...」
「余興...? まあ、構わんが。何でもいいのか」
このジジイ...。俺が焦る姿を見たかっただけだろう。
その手には乗らん。余興が見たいと言うのであれば、見せてやろうじゃないか。
俺がすんなりと承知すると、爺様は少しつまらなそうに「頼む」と呟いて姿を消した。
さて、どんな余興にしてやろうか...。
身支度を終え、部屋の隅にある鏡の前に立つ。
黒いシャツに白のズボン。どこにも属さないという意味で、白いネクタイの首に巻く。
マダム・マルキンの暴走で出来上がった制服である。
「普通でいい」と言った俺の注文など一つも耳に入っていなかったようだ。...まあ、他の生徒と区別がつく分には、悪い事だけではないということにしておこう。
さて、そろそろ新入生の組み分けが始まる頃だろうか。
リズに留守番を頼んで、隠された部屋を後にする。今からなら、全員の組み分け後に登場出来るだろう。
「今年度から新たな制度を設ける事になった。グリフィンドール、スリザリン、ハッフルパフ、レイブンクローのいずれの寮にも属さない...言うならば《インディペンデント》じゃ。......おお、来たようじゃの。彼が、そのインディペンデント生...トール・オルフェウスじゃ」
扉を開いたのと同時に、全生徒と全教師の視線が集中する。その視線の中を進み、教師側のテーブルへ向かう。爺様は《インディペンデント》についての補足条項を語り始めた。
「インディペンデント生は、他の寮生とは違って得る得点は存在せん。代わりに、毎週一番得点が良かった寮に属し、インディペンデント生が取った得点はそのままその寮の得点となるのじゃ。...もし、この中に《インディペンデント》になりたい者がおるのなら、我々教師全員の推薦状と、森の番人と城の番人の推薦状が必要となる事を付け加えておこうかの」
「御紹介に預かった、トール・オルフェウスだ。新入生一同は、俺と同級生という事になる。せいぜい頑張って勉強に励んでくれ。──さて、ここで俺からの贈り物だ。清聴してもらえるとありがたい...」
鼻から大きく息を吸い込み、喉を震わせて音を奏でる。
雑談に湧いていた者、一人だけの思考に浸っていた者、批難の声を上げていた者。この場にいる全ての者は、俺の歌声に惹き付けられていた。
静寂の中で響くのは、異なる世界で神に捧げるモノとして祝いの場でよく歌われていた曲。曲名は覚えていない。彼らには、聞いたことのないリズムとメロディと言語が一度に耳に入って行く。全ての意味を理解する事など不可能だろう。それでも、静寂が崩れる事はなく歌い切った。
色々な表情の者達がいる中、役目を終えた俺は「御静聴、感謝する」とだけ告げてその場を離れ、爺様が特別に用意したインディペンデント生用のテーブルに着いた。目の前に並ぶ料理の数々に舌鼓を打ちながら、各寮の監督生との雑談を楽しんだ。
翌日。少し早く教室に向かおうとしていた俺を足止めしたのは、眼鏡を掛けた男子だった。背丈、顔付きからして俺と同じく一年生と見ていいだろう。...あのローブの色からするに、グリフィンドール生か。
「おい!」
「そんなに怒鳴らなくても聞こえている。それに、俺は『おい』なんて名前ではない」
「うるさい! お前、いい気になるなよ。あんな歌で、僕の心が動かされたと考えるなよ! いつか、お前を超えてやるからなっ!!」
「......そうか。頑張れよ」
威勢のいい少年だな。...さて、どこの教室だったかな?
眼鏡の少年をその場に残して、教室のある棟へと急いだ。
「おーい、ポッター! 早く行こーぜ!」
「あ...ブラック」
「シリウスでいいって! 今の、昨日歌ってたオルフェウスって奴だろ? どうしたんだ?」
「......絶対に、超えてやるっ...!」
去って行くトールの背中を睨み付けながら呟いた一言に、全てを察したシリウスは気まずそうに「あー」と声を漏らした。
「女子の目がハートになってたもんなぁ。ほら、あの子も...えーと、リリー・エバンズだっけ?」
「絶対に負けないんだからな!」
「じゃあ、この後の飛行訓練で勝負したらどうだ?」
「それだ!! 僕の事はジェームズと呼んでくれ、シリウス!」
ガッチリと交わされた握手。その後、彼らの関係が友人から親友という悪友になるとは誰も思わなかった。たった一人を除いて...。
◇
「よし、勝負だ!」
「......」
午後からの箒を用いた飛行訓練の授業にて、目の前に現れた少年の第一声がそれだった。まあ、教師からも、自由に飛行して良いとの許しが出ていた事だし、問題は無いかと思われた。だが、勝負...ねぇ。
「まあ、飛行の勝負だとは思うが...。どんな勝負なのか聞いても構わないか?」
「箒に乗って、あそこの鳥を先に捕まえた方が勝ちだ!」
少年は箒に跨ると、ふらつきながら浮いて行く。
堂々とフライングか。ふっ...。駄洒落のつもりだろうか。いや、単なるズルだな。
勢い良く飛び出した少年は、逃げ回る小鳥達を追い掛ける。初めての飛行にしては上手い方だろう。だが、小鳥は追い掛ければ追い掛ける程逃げ回る。いつまで経っても、距離は縮まる事はない。
俺は、箒の柄に足を掛け浮かび上がる。
箒に乗るのも久しぶりだが、どこの世界も変わらないな。
「そこの小鳥。来い」
少年から逃げ回っていた小鳥達が、こちらに向かって飛んで来る。嬉しそうな小鳥もいれば、必死に向かって来る小鳥もいた。まあ...どう来ようが、俺の勝ちに変わりない。少年が悔しそうに睨んでいるが、元々は少年が持ち掛けてきた勝負だ。文句はあるまい。
「俺の勝ち、だな」
「ぐっぅぅう...! 次の授業で勝負だ!!」
少年の宣言通り、次の授業でも勝負を持ち掛けられた。その次の授業でも。その次も。その次も。その次も...。
入学早々から退屈せずに一週間が過ぎた。少年は休日にも勝負を持ち掛けてきたが、それは流石にお断りさせてもらった。俺にもやりたい事があるのだ。全ての挑戦を受ける程、俺は暇ではない。
そう言えば...一週間の内に、変化があった。主に、少年の周りに付いている人間の事だ。黒髪の少年の他に、彼らの後ろを付いて回る気弱な少年をよく見るようになった。そして、彼らが俺の他に目の敵にしている人物がいる事が分かった。
翌週からはスリザリンと共に行動する機会が増えるだろう。少年の例の勝負癖は、グリフィンドールを減点に繋げる行為として定着しつつある。現に今、グリフィンドールの獲得点数の半分を少年一人が台無しにしている。
しばらくは静かな授業が臨めるだろう。
さて、今日は禁断の森に行く予定だ。爺様にも許可を貰ったし、森の番人であるルビウスに同行してもらう手筈になっている。禁断の森にしか棲息していない動植物の採取が主な目的だ。課題? いやいや。単なる趣味に過ぎない。
城の外は未だ霧に包まれており、視界に映るものは限りがある。ルビウスは「危険だからやめておけ」と諭したが、この霧が出ている間にしか姿を見せない動植物がいるのだ。これ程までいい機会は滅多に無い。これを見逃す理由はどこにも無い。ルビウスは諦めた様子で付いて来ているが、少し離れただけで彼の大きな体さえ見えなくなる。
どうも俺は熱中しがちなようで、ルビウスが連れて来た番犬のファングによく吠えられた。俺がはぐれてしまわないように...というのは理解出来るが、そこまで吠えられてしまうと貴重な動植物達が逃げてしまう。注意しなくては......。
「──お...!」
目的の物が見つかった。思わず大声を上げそうになってしまったが、なんとか堪らえる。
俺の目前には、黄色や紫、緑に青...といった様々なイボを背中に生やした大きなカエル。カエルを傷付けずにイボを採取する事が出来れば、様々な実験が可能になる。
さて、とりあえず──
「──ペトリフィカス・トルタス(石になれ)」
人間以外の生物にも呪文が効くかと少々不安だったが、俺の声を聞いたカエルは石のように固まってしまった。実験は成功と言える。
すぐに試験管を数本とピンセットを取り出し、色の違うイボを一つずつ採取していく。カエルを傷付けないように、イボを潰してしまわないように神経を尖らせる。
全てのイボを取り終えるまでに三十分も掛けてしまった。
「フィニート(終われ)」
呪文終了を唱えると、カエルは逃げるように去って行った。まさか、己が呪文を掛けられるとは思いもしなかっただろう。驚かせてしまったな....。
さて...。あとは霧が晴れるのを待って、夜まで散策を続けるつもりなのだが、ルビウス達はいつまで付き合うつもりだろうか?それにしても静かだな。微動だにしないし、まるで石のよう......。
「フィニート(終われ)!」
「っぶはぁ!!」
「すまん。どうやら、呪文が広範囲に拡散していたらしい。......何気に制御が難しいな」
「一生あのまんまかと思っちまった...」
ルビウスに続いてファングも弱々しく吠えた。
その後、小屋をずっと留守にはしておけないと言ってルビウスは帰った。まだ採取を続けたい俺には番犬のファングを残したが、大丈夫なのか、こいつ...。尻尾が下に巻いているし、小さな音に敏感過ぎて悲鳴と威嚇が混ざったような吠え方をするし....。
この時、もし早めに散策を切り上げていたら『彼』に気付くのが遅れてしまっていたかもしれない──。